※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

7 / 160
エッジ視点


夜を日に継ぐ

 

 

——午後9時

 

 

 好きな女が休んでいる客室の前にやってきた。

 今夜は城に泊まってくれた。いや、泊まらせたの間違いか。

 どちらにせよ、『おやすみ』と挨拶しておきたい。

 そう思って、一呼吸入れてから扉を叩いた。そこまではよかった。

 

「何か用?」

 

 細い扉の隙間から、リディアがちょこんと顔をのぞかせる。

 その姿に、エッジはごくりと唾を飲み込んだ。

 

(なんだ、この苦行!)

 今のリディアは半濡れの髪を乾かすためか、大きなタオルを頭からかぶっている。

 その隙間からのぞかせるのは、艶めいた白い肌。

 かすかに漂ってくる石鹸の匂いが、口布を通り越してエッジの嗅覚を酔わせる。

 頬をうっすら赤く染めて、上目遣いでこちらをにらんでいる。

 そんなに見つめられ続けたら、理性が決壊してしまいそう。

 強引に扉を開けてベッドに押し倒すのも、時間の問題かもしれない。

 

「挨拶なら、食事の後に済ませたでしょ……」

「早く寝ろって言いにきたんだよ」

「それだけのためにここに来たの!?……もうちょっとしたら休むよ」

 

 早く閉めたくて仕方がないのだろう。

 扉の隙間は細いままで、これ以上広がる気配がない。

 

「あと、絶対に。勝手に部屋に入ったり変なことしないでよ」

「……おまえの信頼失うようなことオレがやると思うか?」

「思う」

「あっそ。ま、疲れてるだろうしゆっくり休」

「——おやすみなさい!」

 

ばたん!

 

「……はあ」

 

 容赦なく扉が閉められた。

 苦行の時間が終わり、エッジは目の前にある扉に両手をついて大きく息をつく。

 

 リディアが前科者に、警戒心をまとわせていたのがひしひしと伝わってきた。

 しかし、本人は気付いているのだろうか?

 

 刺々しい気配が意味をなさないぐらいの魅力を、エッジに振りまいていたことを。

 色香にあてられて暴走したら、一巻の終わりだ。

 そう思って、エッジが己の衝動に自ら『影縫いの術』を何度も仕掛けていたことを。

 

 懐から小さな陶器の容れ物を取り出して、じいと見つめる。

 苦行に必死で渡すどころではなかった。

 すぐ容器を元の場所に納めると、エッジはその場を離れて重い足取りで執務室に向かった。

 

 

——午後10時半

 

 

 衝動をかき消すには、仕事が何よりの特効薬である。

 すうと息を大きく吸った後、さらさら流れるようなスピードで一気に文字を書きつづる。

 文字で埋まっていく用紙が2枚、3枚と続く。

 そして5枚目半ばに及んだ頃、ようやくペンを机の上に置いた。

 

「よし、これで完成」

 

 書き上げた用紙を重ねて、とんとんと整える。

 それを右側に退けると、引き出しから新しい用紙を数枚取り出して机の上に乗せた。

 

「……次はやっぱ教育かね」

 

 そろそろ教育改革に取り掛からねばならない。

 ペンを鼻の下に乗せて頬杖をつきながら、あれこれ思案を巡らせる。

 

 エブラーナの未来を担う子どもたちには、いろいろなことを学んでもらいたい。

 そのためには、どのような環境を整えたらいいのだろう。

 そもそも、指導者を育成しないと話が始まらない。人が集まったら施設も作らねばならない……。

 

 そんな中、こんこんと扉を叩く音が聞こえた。

 

「どーぞ」

「こんな時間からお仕事とは、精が出ますなあ」

 

 片手にお盆を持った白髪の壮年男性——ザンゲツが執務室に入ってきた。

 

「おまえ、まだいたのか」

「はい。年寄りが淹れたもので申し訳ございませんが、お茶をお持ちいたしました」

「悪りぃな。もうちょいしたら休憩しようかと思ってた」

「さようですか。——こちら、どうぞ」

 

 ザンゲツがお盆に載っている茶碗を茶托の上に置いてから、両手で静かに差し出してきた。

 ほぼ完璧な行儀作法に、いささか及び腰になりながら、茶碗に視線を移す。

 白い煙がほわほわ立っている。見るからに熱そうだ。

 

(あとでいいや)

 届けてくれたのはありがたいが、もう少し冷めてからお茶をいただくことにした。

 リディアが淹れてくれたものなら、火傷してでも、すぐ飲み干してやるのだが。

 

「仮にもお館様は国王なのですから、拙者をはじめ周りの者をもっとこき使ってもよろしいかと思われますが」

「もうやってる。つーか、仮にもって何だよ」

「ああ、いやいや。これは年寄りの戯言ですので、どうかお気になさらず」

「ふーん……あっ、これちょっと読んでくれよ」

「は、はあ……?」

 

 右側に置いたばかりの書類を手渡してやった。

 それを受け取ったザンゲツが、内容に目を通し始めた。

 

「……人口政策ですか」

「『産めよ増やせよ』な。人口増やして、活気を取り戻してえんだよ」

「成人になるか職につくまで、毎月一律の給付金を支給、妊娠出産奨励金……育休制度、託児所の設置……ははあ、移民対策もですか。なかなかよい案だと思われますが、金策はいかに」

「何とかなるんじゃね? バロンやファブールからの支援はまだまだ続くしさ」

「それなら大丈夫で……!?」

 

 しばらくの間、書類(産めよ増やせよ案)を満足げな表情で読んでいたザンゲツだったが。

 突然、なんとも言えないような表情に変わってしまった。

 

「何ですか。この、『子どもの命はエブラーナの未来』と言うのは……」

「売り文句。心に響くだろ?」

「そ、そうですなあ……」

 

 はははと力のない笑いを見せるザンゲツに、眉を寄せる。

 せっかく素晴らしい文句を思いついたのに、薄い反応を見せられておもしろくない。

 先が見えているお年寄り世代に、このフレーズは響かないのだろうか?

 

「中高年や年寄り……おまえやじいも、隠居したら若い世代に面倒見てもらわなきゃならねえ。早くなんとかしねえとな」

「おっしゃる通りです。あっ、そうですなぁ。拙者からひとつ申し上げるとしましたら……」

「何だよ」

「このような素晴らしい政策を掲げられるのです。まずは、お館様自ら率先してリディア」

「——黙れ」

「っ!」

 

 ザンゲツをきっとにらんで一瞬だけ殺気を飛ばしたが、直立不動の姿勢は変わらない。

 さすが、手練れの忍者。なんとか耐えたようだ。

 

「早く王妃娶って世継ぎをもうけろって言いてえらしいが、今そんなこと考えてる余裕ねえの。民の暮らしを安定させる方が最優先だ」

「お館様……」

「あっ、おまえに頼みたい任務がひとつあってな」

「はっ、何なりと」

 

 これ以上、結婚問題に触れられないように話題を逸らした。

 

「カルミネの動向、探ってきてくれ」

「御意」

「成果がなくても半年経ったら戻ってこい。身の危険が迫ったらすぐ逃げてこいよ」

「……出立は明朝でよろしいでしょうか」

「ああ、構わねえよ」

「しかしながら、なにゆえ突然そのような」

「——これだよ」

 

 エッジは引き出しからねずみ色の冊子を出して、机の上に投げるように置いた。

 その瞬間、ばさばさばさっと何か落ちる音が聞こえてきた。

 ザンゲツが手に持っていた書類を手放したのだ。

 

「お、お館様ぁ!?」

「ん?」

「そっ……それをどこで!?」

「地下の隠し部屋から出てきたんだよ」

 

 ザンゲツが落とした書類をささっと拾って、机の上に置いたものの。

 動揺が収まらないのか、身体をぶるぶる震わせている。

 

「てっきり捨てたと思って……も!? もしや中まで……?」

「ああ。『全部』読んだぜ」

「っ、さようですかぁ……」

「これ読んでたら、カルミネのこと思い出してな。いい加減、なんか仕掛けて……おい、どうかしたか?」

「い、いえ……」

「ほれ。返してやっから、好きにしろ」

「……ありがとうございます」

 

 ザンゲツが憔悴したような顔をしながら冊子を受け取った。

 

(捨てるなら、燃やすかびりびりにしとけよ)

 お館様に日記を読まれてしまった。

 それがわかり、更にショックを受けているようだが、自業自得だ。

 処理方法を怠らなければ、こんなことにならなかったのだから。

 

「遅くに付き合わせて悪かったな」

「い、いえ、とんでもございません……」

「朝早いだろ。もう上がれ」

「はっ、それでは……」

 

 ザンゲツが威勢のよい返事とは相反して、よろよろと執務室を出ていった。

 

 エッジは席を立ち、壁にもたれて窓からぼんやりと外を眺める。

 あれだけ昼間降っていた雨は、夕方近くに上がった。

 その代わり、今は雲ひとつない夜空に満天の星が散りばめられている。

 

「……王妃を娶って世継ぎをもうけろ、か」

 

(オレも30だ、そりゃあ言いたくもなるわな)

 窓に背を向けてもたれ直すと、ため息をついた。

 

 先ほど、『余計なお世話だ』と牽制の意味を込めてザンゲツを遮った。

 考えてる暇はないと一蹴したが、半分嘘である。

 何も四六時中、国や民のことばかり考えている訳ではない。

 理想の未来を思い描くことなんて腐るほどある。その中では、常にエッジの隣にリディアがいる。

 現実はといえば、リディアとの関係は全く進展する気配すら見せないけれど。

 

 —— —— ——

 『女なんかほっといても勝手に近付いてくる』

 そんないい加減で身勝手な恋愛観は、リディアと出会ってあっけなく崩壊した。

 ほおっておいたら本当に逃げられてしまう。

 

 『諦めずに攻め続けたら、いつかリディアも落ちるはず』

 強気で楽観的だった恋愛姿勢も、リディアが帰郷してから、徐々に狂いが生じ始めた。

 

 無性に顔が見たくて、忘れられたくなくて。

 定期的に仕事を抜け出して、リディアに会いにミストへ行く。

 

 嫌われたくなくて。

 以前と違い、リディアの前では下品な言葉を一切口には出さない。

 

 リディア以外の選択肢が存在しなくて。

 それを失ってしまうことを極度に恐れて、『人畜無害』をリディアの前で演じ続けている。

 

 これ以上、嫉妬に狂いたくなくて。

 『まだセシルのことが好きなの』と言われるのも嫌で。

 失恋の傷はもう癒えたのかどうか。

 今日まで確認しそびれてしまったぐらいには、臆病になってしまった。

 —— —— ——

 

 一線を超えるような衝動や不安が湧き上がってきた場合。

 仕事に没頭することで無理やり消すか、自身を慰めて発散している。

 

「あんなこと、もう出来ねえ」

 

 国王という立場は、相当歯止めが効くらしい。

 昔なら、あの手この手を使って、今頃部屋にこっそり忍び込んでいただろう。

 数年前の自分をあざ笑うと、先ほどのリディアの姿が頭に浮かんできた。

 

 少しでも近い場所で一夜を共にしたくて、リディアを強引にここへ泊まらせた。

 しかし、あんな冷ややかな姿を目の当たりにしたら、己の所業が悔やまれる。

 ミストに帰していた方がよかったかもしれない。

 

(ああ、だめだだめだ。仕事戻らねえと)

 不安や後悔に襲われて自滅する前に机に向かおうとしたら。

 窓の向こうの光景が視界に入り、エッジは目を丸くした。

 

 ……篝火に照らされた薄暗い内庭で、翠色がふわふわ舞っている。

 

.

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。