フェイクラバーズ 作:かえで
——8の月17日 夜
イザヨイは、1週間前から本日までエブラーナ南部を歩き回っていた。
そこで仕入れた情報を、いち早く絶対主であるエッジに報告するため。
現在の任務地シビエンに戻る前に、エブラーナ城に立ち寄った。
「まだ生き残ってたのか……」
提出した報告書を読み終えて、エッジが神妙な顔つきでそうつぶやいた。
「代々名を偽り、色街を転々としていたと思われます」
「他に生き残りは」
「あのふたりだけしかおりません」
「……引き続き、シビエンでタツミと協力して奴らの動向を監視しろ。余裕があれば、家探しするなり何でもいいから手がかりをつかめ」
「かしこまりました。それでは……」
イザヨイは報告書を受け取り、すぐさま背を翻して扉に向かう。
そして、ドアノブに手を掛けた瞬間。
「……待て」
「え?」
呼び止められて、ゆるゆると振り返ると。
エッジが椅子を回転させて窓の方を見て、何か書類を読んでいる。
まだ何か用があるのだろうか?
「あの」
イザヨイが小さく声をかけると、エッジが背を向けたまま、こう告げた。
「ひとつ頼みがある」
「何でしょうか」
「今から30分休憩。——ハツイにそう言っておいてくれ」
「!?」
(どうしてハツイのことを?)
エッジの口にした言葉に、イザヨイは耳を疑った。
ハツイは、お城で働く女中のひとり。イザヨイ人生初の友人である。
ハツイとの関係を、エッジが知っているとは思わなかった。
誰から聞いたのだろう?
「詰め所に声かけりゃ、連れてきてもらえるだろ。それだけ済ませてから、シビエンへ向かってくれ」
一女中の休憩のタイミングなど、お館様が決めることではない。
ここに寄ったついでに、仲の良い友人にも会っていけ。
例え背を向けたままでも、エッジの情けが身に染みる。
「かしこまりました……それでは」
(ありがとうございます……)
どんな形であれ、この方のそばで一生を終えたい。改めてそう思いながら。
イザヨイは震える声で返事をしてから、執務室を後にしたのであった。
§
「ハツイなら、まかないの洗い物中よ」
「何か用? 私、戻るから伝言預かるけど」
「……東西の外通路で待っていると伝えてくれないか」
「いいわよ」
詰め所で他の女中に伝言を託して、先に待ち合わせ場所にやってきた。
篝火に照らされた内庭では、若い者たちが身体を動かしている。
修行はこの時間でも日常茶飯事である。
柵に寄りかかり、夜風に当たりながら、その光景をぼうっと見やる。
「懐かしいな……」
1か月ぶりのエブラーナ城が、どこか懐かしく感じてしまった。
—— —— ——
イザヨイは、エッジに忠誠を誓っている。同時に、淡い恋情を抱き続けている。
エッジのために仕事が出来れば。そして労いの言葉をかけてもらえたら。
エッジの姿を視界に入れることが出来たら……。
—— —— ——
他人は全て、お人形。そんな認識でしかなかったぐらいには。
イザヨイはつい最近まで、エッジのために生きる日々を過ごしていた。
城内での日常風景を目にして、感傷に浸るなんてありえなかった。
(それだけ視野狭窄に陥っていたのだろうな)
変われば変わるものだ。自身の変化に苦笑を浮かべてから。
顔を上げて、空に散らばる無数の星々を見やると……。
「『熒惑心を守る』……!」
南の空に、さそり座のアンタレスと惑星のひとつ火星。
そのふたつの赤い星が並んで輝いているのを視界に入れた途端。
イザヨイは表情を一気に曇らせた。
(先日見たとき、ここまで接近していなかったぞ!?)
アンタレスは夏の南天に光り輝き、別名『あかぼし』と呼ばれている。
火星は『ケイコク』と言う異名を持ち、星読みでは凶星。
ふたつの赤い星が近付くと、不吉の前兆『熒惑心を守る』と言われている。
昔エブラーナ大陸には、火星の異名と同じ名を持つ一族が存在していた。
ここ数日、シビエンを離れて南で調査した結果。
シビエン家のメイ並びにリンの母娘が、その一族の末裔だと判明した。
(何もなければよいが……)
ざわざわ不安が広がり、胸に抱えた大きな茶封筒を右手で強く抱きしめた。
封筒の中には、先ほどエッジに見せたばかりの報告書が入っている。
これからシビエンに帰り、タツミにこれを見せなければならない。
—— —— ——
シビエン家当主タツミの妹。リンの成人の儀まで、あと数日に迫った。
リンはそれ以降、エッジに婚姻を申し込むために。
母親メイと父親イヌイを伴い、この城を度々訪れるだろう。
その3人が不在の間。
イザヨイはリンたちが暮らすシビエン家別宅の家探し。
メイの悪事となる手がかりを探すつもりだ。
シビエン家は忍者育成と並行して、様々な業界に進出している。
一族を統べる当主は、多額の資産をも保有する。
しかし、現在は前当主イヌイの後妻メイが、ほぼ全ての実権を握っている。
現当主タツミは、名ばかりの存在。
『メイ……そしてリンを、シビエンから追い出す公然の理由が欲しいのです』
エッジは、元部下——タツミのそんな依頼をあっさり引き受けた。
『当面の間、メイとリンの動きを監視しろ。タツミがいくらでも協力してくれる』
1か月ほど前、イザヨイはエッジの命によりシビエンへ。
タツミの暮らすシビエン家本宅に身を寄せた。
—— —— ——
タツミはイザヨイの元同僚。彼の妻も元使用人。任務に支障はない。
唯一の問題と言えば、エッジが今後やろうとしていることに。
イザヨイどころかタツミも、疑問を持っていることであった。
「イザヨイさーん!」
任務のことを考えていると、遠くから慣れ親しんだ声が聞こえてきた。
(また、たすき掛けっぱなしじゃないか……)
声の方を見やれば、腰に前掛けを巻いた和装姿の女性。
……ハツイが、手を振ってこちらに駆け寄ってくる。
作業が終わり、話を聞いてすぐここにやってきたのだろう。
「久しぶ……わっ」
「——お館様、優っさしー! いつ帰って来るか楽しみにしてたんだ!」
ハツイがイザヨイの身体に、どーんとぶつかる様に飛び込んできた。
約1か月ぶりの再会。喜びのあまりにそうしてきたのは明白である。
急遽任務が決まり、ハツイに何も告げずシビエンに向かったから尚更か。
—— —— ——
ハツイは感情表現が非常に豊かだ。
2年ほど前。女中で働きはじめて早々から、イザヨイに懐いてきた。
はじめのうちはうざいとしか思わず、邪険にしていたが。
ハツイはそれを全く意に介さずうろちょろし続けた。
……気が付いたら、イザヨイの生まれて初めての友人になっていた。
—— —— ——
ハツイのおかげで、それまでエッジに一点集中していた、イザヨイの視野が一気に広がった。
「悪かったな……黙って出ていって」
「いえいえ、すごいお仕事頼まれたんだって思ってた」
「まだ終わってないぞ」
「すぐ出立するんでしょ?」
「ああ。よくわかったな」
「そりゃぁ、あたしも女中2年目だからね。それぐらい察しなきゃ」
任務は継続中な上に、内容も場所も秘密。
終了日時も未定で、次はいつここに戻ってこれるかわからない。
「それより……仕事以外は、たすきを外せと何度言わせる気だ」
「また仕事に戻るよ? このままで別にいいじゃない」
「嫁に行けなくなっても知らないぞ」
「気にしない人としか結婚しないもんねー」
イザヨイは苦笑しながら、ハツイの右わきに手を添えた。
白いひもを引っ張ろうとしたが。ハツイに止められて、逆に笑われてしまった。
エブラーナの民族衣装——和装はどんなものでも袖が長い。
作業の際には白く細長い布——たすきを掛けて、袖をめくりあげる。
たすきは水洗いや洗濯など、こまごま動く女中の必需品でもある。
しかし作業中でもないのに腕を見せるのは、お行儀がよろしくない。
ハツイはいつでもどこでも、たすきを掛けっぱなし。
その度にイザヨイが注意するが、動きやすいからこれでいいと言って聞かない。
「おまえが……」
「なになにっ?」
「おまえが、そのままでいてくれてよかったよ」
イザヨイとハツイは友人同士だが、城での役割や立場は全く違う。
—— —— ——
イザヨイは7の月から、ザンゲツやゲッコウと共に。
新しく設立された特殊部隊『御伽衆』への異動を命じられた。
御伽衆は、エッジの命しか受けない。お城勤と違って任務は極秘扱い。
エッジと、任務を担当する御伽衆の者以外、情報共有してはならないことになっている。
更に御伽衆は、じいやお城勤以上の権限を持っている。
……何か粗相をしたら、エッジに密告されてしまう。
使用人はそれを恐れて、イザヨイやゲッコウを腫れ物に触る扱いをするようになった。
挨拶すれば、頭を深々と下げられる。
『さん』と呼ばれていたのに、『さま』に変わった。
会話は、終始敬語。私語一切抜きの業務に関するものだけ……。
唯一仲の良いハツイが、以前と変わらず接してくれていたため。
イザヨイは周囲の変化をあまり気にしていなかった。
ちなみに、ゲッコウはと言うと。
彼を慕う数人の若い衆から、既にへりくだった態度を取られていたせいで。
あまり気にならないと以前本人が話していた。
—— —— ——
「何?? あたしにへこへこされると思ってたの?」
「……少しだけな」
「御伽衆は、みんなよりお給料いいだけじゃない。前と変わんないのにすると思う?」
「ハツイ、おまえ……」
「出世しただけで態度変えるぐらいなら、友だちになってないよ」
(よかった……)
ハツイの屈託のない笑顔に、イザヨイは胸がいっぱいになる。
1ヶ月離れていた間に、ハツイもみなと同じようにへりくだった態度を取るのだろうか?
イザヨイはほんの少し、そんな不安を感じていた。
しかし、ハツイは1ヶ月経っても以前と変わらない。
それが嬉しく思えて仕方がない。
「そもそも、ザンゲツさんには誰もびびってないじゃない」
「あの人は顔見知りが多いからだろ。昔から、人が足りない部署の手伝いに入ってるし」
「違う違う。お館様のサンドバッグだからだよ」
「……っ、言い過ぎだぞ」
「名付け親はわたしじゃないもん」
ハツイの言い得て妙に、ぷっと吹き出して笑ってしまった。
(タツミの代わりで入れられたようなものだしな)
同じ御伽衆でも、ザンゲツだけは畏怖対象になっていない。
理由はいくつかあるけれど。
あの人はいくら昇進しようが、お館様の奴隷。いわゆる被害者。
使用人からそんな認識を持たれており、同情票を買っているのが大きいと思う。
「そうだ!」
「どうした」
「イザヨイさんに会えたら、渡してくれって頼まれてたの。——お館様には内緒ね」
ハツイがそう言いながら、懐から1枚の紙を取り出した。
「……なんだこれは」
「こないだね、ここの使用人のための会が出来たの。みんな入ってるよ?」
「みんなで賃上げ交渉でもするのか」
「そんな大したもんじゃないって。それ読んだらわかるよ」
イザヨイは夜目が利く。ハツイから渡された用紙に目を通した。
—— —— ——
イザヨイがこの城にいない間に、じいとザンゲツが使用人限定で会を作ったようだ。
用紙には、その会の説明と入会案内が書いてある。
読んでみたら、賃金上げろ。休み増やせ……。
使用人が束になり、エッジに文句を言うものではないことがわかった。
御伽衆としての業務に支障が出ることはなさそう。
入会しても、特に問題はないように思えた。
—— —— ——
「本当は、じいやさんかザンゲツさんしか勧誘しちゃだめなんだけど、イザヨイさんはあたしが一番いいってザンゲツさんから勧誘頼まれてたの」
(いつの間に……)
ハツイの話を聞いて軽く驚いた。
彼女と親しいことを、ザンゲツが気付いていたとは知らなかった。
「会の名前や趣旨からして、イザヨイさん向けだと思うんだけど、どう?」
「……そうだな。今の仕事が落ち着いたら入るよ」
(タツミたちにも見せてやるか)
前向きに答えてから用紙を折りたたみ、懐の中にしまい込んだ。
タツミも彼の妻ソイも、以前は使用人として城で働いていた。
特にタツミは、シビエン家特有の血の影響もあって。イザヨイ並みにエッジに心酔しきっている。
あのふたり。特にタツミは入会金を上乗せしてでも、組合に入りたがるはず。
§
あっと言う間に30分が過ぎていった。
楽しければ楽しいほど、時間が早く流れると感じるものだ。
「そろそろ行くよ」
「うん、気をつけ……」
雑談を終えて、イザヨイが柵から身体を離したその時。
突然ハツイが、はっと目が覚めたような表情に変わった。
「イ、イザヨイさんっ!」
「どうした」
「あれ見て!」
「……ほうき星だな」
ハツイが指さした南の空に首を向けると。
ほうき星がその名の通り、ほうきのような尾をたなびかせながら。
輝く星たちを通りすぎて、西の方角に向かっていくのが見えた。
「いいもの見ちゃった。吉兆の前触れだね」
「ほうき星の吉凶は、星読みじゃないと読めないぞ」
「星読みはもういないし、わたしたちが決めてもなんにも問題ないよ」
星読みとは、夜空の星の動きで未来を占う者のこと。
以前エブラーナ城にも星読みがひとりいたが、9年前の襲撃により落命。
その後新たな国王が即位したが、その職は空席となっている。
なぜなら、その国王——エッジは迷信や占いに懐疑的だから。
「……どうして吉兆に見えたんだ」
ハツイは星読みでも何でもない。
彼女は、一体何をもって吉兆と言い切ったのか?
首をかしげるイザヨイに、ハツイがこんなことを口にした。
「だって、あかぼしと火星の上を通ってったもの」
「……」
「『熒惑心を守る』を掃除してくれたんだよ」
ハツイがぺろりと舌を出して、笑い出した。
ふたつの赤い星の不吉な予兆を、ほうきでかき消したから吉兆に違いない。
非常に前向きなハツイならではの発想に、イザヨイは感心する。
同時に、彼女の存在を改めてありがたく思う。
自身がほんの少しだけでも変わることが出来たのは、ハツイのおかげだ。
今ここで、かねてより考えていたことを打ち明けてみようか。
イザヨイは意を決して、ハツイに向かってこう言った。
「……仕事を終えて戻ってきたら、城下町に食事にでも行くか」
「おおっ、本当ぉ!?」
任務を終えたら、城以外の場所でもハツイと時間を過ごしてみよう。
いつ実現できるかわからないイザヨイからの初のお誘いに。
ハツイがぱああっと顔を輝かせてくれた。
たかが食事のお誘いですら、この反応。やはり、打ち明けてよかった。
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