フェイクラバーズ 作:かえで
——それから3日後 8の月20日 午後3時すぎ
花火大会が終われば、秋の気配が少しずつ見えて……来ない。
今日も空に輝く太陽が、ミストをぎらぎら照り付けている。
そんな残暑厳しい休日の真昼間。
リディアは、熟年夫婦ふたり暮らしのお宅の玄関先で奥さんと向かい合っていた。
「じゃあ、これチケットね」
「ありがとう。今年は芸術の秋だから楽しみねぇ」
長細い封筒を手渡せば、奥さんが嬉しそうに受け取ってくれた。
封筒の中には、ギルバートのバロン公演のチケットが入っている。
数少ない娯楽がもうすぐやってくるのだから、楽しみで仕方がないだろう。
—— —— ——
ミストに住むほとんどの女性は、毎年ギルバートのバロン公演に足を運んでいる。
女性たちのチケットの手配、並びに集金と配布を、毎年アリサ一手に引き受けていた。
今年も一昨日、彼女の自宅に数十人分のチケットが届いた。
しかし、当のアリサは産後一週間も経っておらず、まだ外を動き回ることが出来ない。
それを見かねたリディアが、チケット配りと集金のおつかいを名乗り出たのだ。
—— —— ——
「はい、代金。お釣りはなしだよ」
「……うん、うん。ちょうどお預かりします」
奥さんから数枚のギル札と硬貨を受け取り、金額を数えるとちょうどぴったりであった。
「ねこばばしちゃだめだよ?」
「しないよぉ。アリサ怖いもん」
「だよねぇ!」
奥さんと互いに冗談を交わながら、笑いあう。
この奥さんは、おつかいの人間に手間を掛けさせない配慮に長けている。
白魔法導入の署名運動の時も、二度手間にならぬように。
すぐに署名して用紙を渡してくれた、とってもいい人だ。
「……さっきは悪かったね」
「え?」
奥さんの表情が急に沈んだものに変わった。
「うちの奴が、ばかなこと言ってさ」
「いいよ別に。ああ言ってくる人結構多いの」
「そうなの??」
「うん……おじさんばっかりだけど」
「全く。あれのどこがいい男なんだか……! ここは見る目がない男が多いねえ」
奥さんがむすっとした表情で、両手を腰に手をやった。
自身の旦那さんをはじめに、一部の住民に呆れているようだ。
—— —— ——
1週間前のGの記事。そしてアドニスの吹聴は、ミストに大きな影響を及ぼした。
なんと、ジャンヌの事前予想の右斜め上を超えて。
リディアにアドニスを勧める者まで現れる始末。
こちらのお宅の旦那さんもそのひとりだった。
先ほど奥さんがお金を準備するために、部屋の奥にいた間。
リディアの相手をしていた旦那さんが、突然こう言った。
『もうアドニスにしとけよ、な??』
旦那さんはすぐ奥さんに頭をぶっ叩かれて、今は部屋の奥に引っ込んでいる。
—— —— ——
リディアにとって救いなのは、この奥さんのように。
アドニスはやめろと言ってくれる者の方が多いことだった。
「……まあ、アドニスよりマシったって、エッジ様も大概ひどいんだけどね」
「あっ、もう行かなきゃ」
「悪いね、話に付き合わせて。ご苦労さま」
「はーい」
奥さんがため息をもらしてから、エッジの話題を出した。
このままいたら、エッジの悪口を聞かされてしまう。
リディアは用事を思い出したふりをして、お宅を後にした。
(みんながアリサに見えてしょうがないや……)
ミストの住民のアドニス評は、明暗くっきり分かれているのに。
悲しいかな。エッジへの物言いが、揃いも揃って厳しいものに変わってしまった。
リディアの意志を尊重すると同時に、特殊な身分のエッジに同情するライザ。
怒りのポイントがみんなとズレている上に、沸点が高いミゼル。
話を聞いても『そうなんですか』の一言で終わらせるラルフ。
エッジを悪く言わない者は、この3人ぐらいしかいない。
路上で立ち止まり、ひもも鎖もない平べったいかばんのチャックを開けた。
かばんはアリサから渡されたもの。若い頃に夜遊びで持ち歩いていたという。
中をのぞけば、チケット代の集金と封筒がまだ4つ残っている。
「4つ……あとは『マダム』たちか……」
(広場にいるよね)
おつかいから1時間経過し、残りは『マダム』たちの分だけ。
彼女たちの自宅に立ち寄ったが、全員不在。それでも、居場所は見当がついている。
そこへ向かうために、かばんを閉めて再び歩き出した。
§
あと少しで広場と言うところで、脇の小道から若い男性——アドニスが現れた。
「やあ、リディア」
「……」
もちろん、リディアの前に立ちはだかる。
「何してるんだ?」
(やっぱり話しかけてきた……)
先月の頭以来。リディアは昼間も誰かと一緒に歩くようにしている。
時折アドニスが、遠くからこちらを眺めていることに気付いていた。
今日はひとりで歩いていたから、声をかけてきたと思われる。
かばんを胸を強く抱き直すと、黙ってアドニスの横を通り過ぎようとした。
「ああ、ダムシアン王のあれ配ってんのな。一緒に付き合ってやろうか?」
「……」
「俺もその日観に行こうかな」
「……」
「なあ、返事ぐらいしてくれよ」
「……」
(来ないで! どっか行ってちょうだい!)
そう念じながら無視を決めこみ、先を急ぐも。アドニスが後から追って話しかけてくる。
付き合ってもらわなくて結構です!……ぐらい言えばいいのだが。
どうせそれを言ったところで、この男は一向に介さずまとわりついてくる。
言うだけ無駄と、リディアはアドニスへの無視を徹底する。
「つれないなあ。無視されるようなこと何もしてないのに」
「……」
「今日はこの辺にしといてやる。——またな」
こちらが無視しているのもあったけれど。
アドニスがほぼひとりで話して、ひとりで自己完結して、ひとりで勝手に去っていった。
「はぁ……」
リディアは息をついてその場に座り込み、膝を抱える。
話さなくても、アドニスがそばにいる。それだけで精神的疲労が著しい。
(やっぱり、ライザの忠告聞いておけばよかったかなぁ)
本日のおつかい。ライザからひとりではだめと止められていた。
家の中でじっとしているのも……。そう思っておつかいを強行したが。
やはり、アドニスと鉢合わせしてしまった。
§
しばらくの間。その場にうずくまったまま、憂鬱な気分にどっぷり浸っていたら。
『リディアさま?』
「わぁっ!?」
突然誰かに声をかけられて、思わず声を上げた。
「……あ、なんだ。ツクヨミさんかぁ」
条件反射で頭を上げれば、黒色が視界の大半を黒が占めている。
それだけで、目の前にいる人物がすぐにわかった。
『こんなところでうずくまられて、どうされたのですか?』
「……ちょっと疲れちゃっただけです」
『それならよいのですが……体調でも崩されたのかと驚きましたよ?』
「大丈夫。体力はないけど、健康には自信あるから」
リディアはおもむろに腰を上げてから。
先ほどのことには触れず、ツクヨミへ軽く笑みを見せる。
『本日は、ライザさんがいらっしゃらないようですが』
「……一昨日からベスが熱出しちゃって、おうちで看病してるの」
『そうですか。お子さんが小さいといろいろ大変ですね』
「ユノに移ったら大変だしね」
『それはそうと、リディア様はおひとりで何をなさっておられたのですか』
「みんなにギルバートの演奏会のチケット届けて集金していたの。アリサが動けないからその代わり」
『それなら、僕もお供いたします』
「……もうすぐおつかい終わっちゃうけど」
『あなたがおひとりで歩かれていると知れば、ライザさんがご心配なさると思います』
(……言うと思った)
ツクヨミが唇にかすかな笑いを浮かべている。
—— —— ——
ツクヨミと同じく、ライザも心配性である。
今は特に、ミストをリディアひとりで外を歩かせたくないほど。
『ひとりでは危ないわ。ギルバート様の公演までまだ日があるし、次のお休みに一緒に回りましょう』
そう言って、リディアのひとりおつかいにぎりぎりまで反対していたぐらいだ。
—— —— ——
「それじゃあ……お願いします」
『はい、かしこまりました』
ライザの名を出されたら、もうお断り出来ない。
リディアは苦笑を浮かべて、付き添いをお願いすることにした。
(すっかりお約束になっちゃった)
先日ツクヨミから、苦悩を打ち明けられたことをきっかけに。
リディアは彼の善意をほどほどに受容出来るようになった。
もっとも、自らツクヨミを頼るつもりはさらさらなく。
ツクヨミの好きなようにさせることに決めていた。
例え、リディアの周囲をうろちょろするアドニスが、不愉快極まりないとしても。
『この後のご予定は?』
「えーと、広場に寄ってからライザのおうちに寄って……あと、アリサにもお金届けなきゃ」
『まだまだ終わる様子はないと思われますが』
「はは……」
ツクヨミはとっても『いい人』。アドニスとは比べ物にならない。
同列に並べて比べようとするのも大変失礼なぐらいだ。
(そういえば、お礼どうするのかな)
おつかいが終わったら、リクエストを決めたかどうかたずねてみよう。
リディアはそう思いながら、ツクヨミと肩を並べて広場に向かった。
§
ツクヨミと話をしながら歩いているうちに、集落の中央にある広場に到着した。
「あっ、今日もやっぱりこっちにいた」
『用事があるのは、あの方々ですか』
「うん。チケット渡すだけだけどね」
やはり、『マダム』が、集まって立ち話している。
彼女たちは最近、家がある東区画よりも広場で話していることが多い。
「みんなー、ここにいたんだ」
「あっ、リディアちゃん。どしたの」
「ギルバートのチケット届いたよ。みんな、おうちにいなかったからここだと思って……」
「そうだ! 今年は2か月遅れだったね」
「アリサちゃんのお手伝いか。偉いじゃないのー」
「お金持ってないでしょ? 後でアリサに直接届けてね。——はいっ」
「ああ、ありがとう」
かばんを開けて、4枚の名入れ封筒を『マダム』たちひとりずつに配った。
チケット代の後払いも忘れぬように付け加えておいた。
みんな嬉しそうな表情で、封筒を受け取るところを見る限り。
相変わらずギルバートは、ミストの女性たちから絶大な人気を誇っている。
「……あれ?」
「珍しい人連れてきてるじゃないか」
リディアの背後にいる異国人を、『マダム』たちが見逃す訳がない。
『どうも、こんにちは』
「こんにちは。また遊びにきてくれたんだ」
『はい。仕事の帰りに立ち寄りました』
「こないだは綺麗なもん打ち上げてくれてありがとねぇ」
『いいえ、どういたしまして』
(ツクヨミさんもだんだんなじんできたね)
ミストの住民は一部を除いて、見慣れぬ人が相手でも愛想が良い。
挨拶や先日の花火のお礼を言われて、ツクヨミも気軽に応じている。
「あんた、ほんといい人だよね。観光地でもないのに、しょっちゅうミストにきてくれてさぁ」
『一番の魅力は自然ですね』
「そんなにいいところに見えるかい?」
『ええ。ありのままのみなさまを、ご主人さまがお慕いになるのと同じようなものだと思っていただければ』
「うわぁ……!!」
「やだぁ!」
「兄さん、うまいこと言うねぇー!」
ツクヨミがうっとりとしたような声で答えたら。
『マダム』たちが、みんな大喜びしている。
彼女たちがすっぴん状態でも、それぞれの旦那さんは『マダム』を愛してくれる。
同じように、ツクヨミもミストを愛しているということだ。
(こんなに『マダム』を上手く扱える人、そうそういないよ!?)
当の『マダム』の旦那さんたちでも、ここまで彼女たちをご機嫌よくさせられない……。
ツクヨミの意外な得意技に、リディアはあ然とした。
「それより、リディアちゃん」
「なに?」
「さっき、あいつに会わなかった?」
「ちょっと前まで、ここをうろついてたんだよ」
名前を言われなくても、誰のことを指しているのかすぐにわかる。
……アドニスのことだ。
『マダム』たちに向かって、リディアは黙って首を縦に振ってからこう言った。
「誰かといるとそばに来ないけど、遠くから見られてると思う……」
「呆れた。それじゃストーカーじゃないか」
『……どういうことですか?』
「いやね。この子に言い寄ってくる男がアドニスって言うんだけどさ」
「また、ろくでもない奴でね」
アドニスもミゼルに続き、村長候補として名乗りを上げた。
自身が村長になった場合の公約も、他の住民に言いふらしている。
『マダム』たちが口々にそう話してから。当の公約を教えてくれたのだが……。
—— —— ——
花火は今後も継続する。住民はみな平等。
ミゼルが今考えている法律もおおむね賛成。
ただし、白魔法はミストでは教えない。覚えたい者はよそで修行するように。
—— —— ——
「白魔法以外、おじちゃんと同じじゃない……!!」
「パクったんだよ」
「白魔法は親父から指図されてんだろうね」
公約を聞いて、リディアは不信感を露わにした。
『マダム』たちも、怪しんでいるぐらいだ。察している住民は多いだろう。
「住民みな平等をアドニスが言っても、説得力ないよ……」
「お、リディアちゃんも気付いたか」
「おじちゃんが村長じゃなくなったら、みんな仲良くミストで暮らせるって言ってるようなもんじゃない。そんなにおじちゃんをミストから追い出したいの?」
「キロンさんの息子が言うんだからそうだろうね」
「今までミゼルさんが村長だったから、西の人たちはわざと移民いびり。それじゃ、陰湿にもほどがあるっての」
「仮にミゼルさんがいなくなってもね。ターゲットがアリサちゃんたちに変わるだけだよ」
(ゼロだけは、ばかにしたままなんだ……!)
『マダム』たちが、何とも言えない表情で口々に話してくれた。
先月の魔法漏洩騒ぎで、一時でも悪口を真に受けた罪悪感に加えて。
メンバーのふたりが、ミゼルがブチ切れた先月後半の寄合に出席していた。
それ以来『マダム』たちは、ミゼルに肩入れするようになっている。
「おじちゃん、大丈夫かな?」
「公約が同じなら後は人柄勝負だ。女性票がミゼルさんに流れるから勝てるよ」
「男の人たちは……」
「んー、全員が全員って訳じゃないけどさ——」
引き続き『マダム』たちが、ミストの情勢を教えてくれるようだ。
(助かるなあ……!)
情報入手が得意なアリサが、現在お産直後でほとんど動けない。
そのため自力でないと、詳しい情報を知ることが出来ない。
「アドニスも酒好きで、自宅で宴会を開くことが多いだろ?」
「北や東の人が呼ばれてるってのは聞いたことあるよ」
「そいつら、みんなアドニス推し。仲のいい人に広めてんの」
「えー……」
「またしょうもない理由で推してるんだから笑っちゃうよ?」
「『別にミゼルさんじゃなくてもいいじゃないか。どうせエッジ様もよその女と結婚するし。リディアもアドニスと結婚して、アリサのように旦那を尻に引いてやればいい』ってさ」
「何それ。ミストのこと全然考えてないじゃない……」
(おばちゃんの勘、当たってるかも……)
ジャンヌが先日、アドニスについて話してくれたことを思い出した。
—— —— ——
『アドニスと結婚しろって言ってくる人が多いの。もう、うんざりだよ』
『……あいつ、票を買収しているかもしれないな』
『お金配ってるの!? だめじゃない!』
『金をもらっただけで、ころっと意見が変わる奴がいてもおかしくないぞ? あいつの宴会に呼ばれたり、おまえにせっついてくる奴はみんなお調子者の男ばかりだ。票の買収ついでに外堀を埋めるように頼まれたのかもしれないね』
『アドニスって働いてなさそうのに、どこからお金湧いてくるんだろう……?』
『さあね。高いもんばっか身に着けて、宴会三昧。妙に羽振りがよすぎるのが怪しいな』
—— —— ——
ジャンヌの指摘は、あながち間違いではないかもしれない。
「エッジ様も来なくなったし、この調子でミゼルさんを追い出せるって思い込んでるんだよ」
「エッジ様とミゼルさん、意外と仲いいからね」
「ミスト見捨てるならタイミング読んであげなきゃ。この子がかわいそうだよ……」
「さっきもあんたと結婚するってアドニスが言ってたよ」
「何なのよ、もう……!」
「大丈夫大丈夫。ここの女はみんなあんたの味方だから」
頭を抱えたリディアの肩を『マダム』たちが叩いてくれた。
励ましはありがたいけれど。これでは村長決めが終わるまでちっとも気が休まらない。
『……あの、ちょっとよろしいですか』
「何だい」
『いつからそんなことになっているのですか』
「そりゃあ、Gであの記事が出たすぐさ」
『ああ……』
「Gと言えば、あの女だよ」
「逆プロポーズって、エッジ様を堕とせる自信があるんだね」
「兄さんなんか知ってる?」
『……申し訳ございませんが、お館様のプライベートに関しては何も存じ上げておりません』
メンバーのひとりからの質問に、ツクヨミが知らぬふりを装った。
(何も知らないって訳じゃないのに……)
エブラーナでは、エッジとリディアのことに関して箝口令を引いていたこと。
リンの一族が持つ特殊な気質のこと……。
ツクヨミはエブラーナのお城勤だから、いろいろ知っているはず。
にもかかわらず、『マダム』たちにノーコメントを貫いた理由はよくわからない。
「ああ見えて秘密主義なのかね?」
『そうですね。公私の区別を分けておられますので……』
「意外だね」
「部下にもあけっぴろげかと思ってた」
「どうせ、Gに載ってたあの子と結婚するんでしょ。ほっときゃいいよ」
Gの記事のおかげで『マダム』たちも、エッジに批判的になってしまった。
ぼやく彼女たちに、ツクヨミは無反応。
今ここにいたのがイザヨイたちなら、お館様の悪口を言うなと怒り出すかもしれない。
けれど、ツクヨミは忠誠心がない。
エッジが何を言われても、自業自得としか思っていないように見える。
「でも安心しな。リディアちゃん」
「えっ」
「アドニス。今日の夜、ダムシアン行くって言ってたよ」
「ほんと!?」
「まーた、オペラだってさ」
「それも、花火の日に観にいった主演とは別の女優!」
「……よかったぁ。今日は楽に帰れるよ」
どうでもいい情報も混ざっていたが。
朗報を知るやいなや、リディアはぱあっと明るい笑顔を見せた。
(アドニスがいないのなら、ひとりで帰れる……!)
本日は20日。夜になると寄合が開かれる。
アリサは言わずもがな。ライザもベスの看病で本日は欠席だ。
『リディアさま』
「はい」
『一体、何を喜んでらっしゃるのですか』
「……え?」
『今日は良くても、明日からまた気を遣う日々が始まるのですよ?』
(今日のこと、今喜ばないでどうするの……)
説教のおかげで喜びを台無しにされて、ツクヨミをじろりとにらむ。
「そうですけど、今日ぐらい別に」
『——僕は毎日ミストに来ることが出来ません』
「当たり前じゃないですか。ツクヨミさん、忙しいもん」
『なぜ、もっと早く僕におっしゃって下さらなかったのですか? ただでさえ、外をひとりで歩くのも危険だと言うのに……!』
(『マダム』の目の前でお説教しないでちょうだい!!)
保護者と化したツクヨミを目の当たりにしたからだろう。
『マダム』たちが、にやにや笑みを浮かべている。
「あ、あの日は……花火とアリサで……てんてこまいで……忘れてた……」
ツクヨミから公開説教されて、しどろもどろ言い訳を口にする。
先日の花火大会で、ツクヨミとたくさん話した。
けれど、アドニスやエッジの話題は全く出なかった。
そもそも、あの日はそれどころではなかったのだから、仕方がないではないか。
『そして、あなたはいつも最後にはリボンがある。魔法でなんとかするとおっしゃるのです』
「……よくご存じですね」
『あなたは召喚士である以前に、ひとりの女性なのですよ?』
「それぐらいわかってますよ」
状態異常を防止するリボンも、肌身離さず身に着けている。
ミゼルから身の危険が迫った場合に限り、魔法の使用許可ももらえた。
よほどではないと、ひとりで出歩かなくなった。
この先もなんとかなると思っている。
『いい加減、楽観的な考えを捨てなさい』
「え……」
リディアは口を半開きにしてぽかんとした。
生まれて初めてツクヨミから、厳しく咎められた気がする。
(前にそういうことあったっけ……?)
過去のツクヨミの言動を、頭の中で振り返ろうとしたら。
リディアの身体が、突然ふわりと宙を浮いた。
「うわぁっ!」
驚きのあまり、何ともまあ色気のない声で叫んだ。
(ど、どうして!?)
気が付けば、ツクヨミに横抱き、いわゆるお姫さま抱っこをされている。
『マダム』たちも目を輝かせて、おおーっと声を上げている。
「やだ、降ろし……!」
リディアは羞恥でいたたまれず、抵抗しようとした矢先。
耳元にツクヨミが近付いてきてこう言った。
『何度言っても聞かないようなら、誰かに取られないように、首輪をつけて鎖でつないでおかねばなりませんね』
「えぇ!?」
「ちょっと、お兄さん……」
「あんたたち、もしかして……??」
『ええ。どうぞお好きなように想像なさってくださいませ』
(な、何言ってるの!?)
ツクヨミの言葉を聞いて、リディアは大きく目を見開いた。
誰か——アドニス——への宣戦布告だけでない。
首輪や鎖とか……まるで、リディアをペット扱い。
しかも、恋人でもおかしくない。そう含みをもたせるようなことを『マダム』たちへ答えたではないか。
「ずいぶん男前なこと言うじゃないか!」
『お褒めにあずかり光栄です』
「リディアちゃん。お似合いだよー?」
「あんたも幸せもんだねえ」
「ちっ、違うよっ! この人とは何もないって!」
「照れない、照れないー」
足をばたつかせて、必死で降ろせアピールするリディアをよそに。
『マダム』たちの、ツクヨミへの賛美は止むことはない。
『歓談の邪魔をして申し訳ございませんでした。この辺で失礼いたします』
「ゆっくりしてってよー」
「リディアちゃん、可愛がってもらいなねー」
「やだもうっ! 降ろしてっ! 降ろしてったらぁ!」
ツクヨミがここから退散するために移動を始めた。
彼が歩く度に、リディアの身体も大きく揺れる。
「いやぁー、あの人すごいねえ!」
「エッジ様より、よっぽどいい男じゃないか!」
「ふふふ……いいネタが出来たよ」
「あれは、もう確定でいいだろ」
(……終わった)
ツクヨミの肩越しから向こうをのぞけば。
『マダム』たちが、楽しそうにこちらへ手を振っている。
リディアとツクヨミが恋人同士だとすっかり信じ込んでいる。
「降ろしてくださいっ!」
『騒ぐと余計に人が集まってきますよ』
「だったら、今すぐ降ろしてっ!」
ツクヨミにお姫さま抱っこされながら。広場を離れて南に向かう小道へと入っていく。
リディアは、その間も降ろせアピールを怠らない。
足を何度もばたつかせて、ツクヨミの胸をばしばし叩きまくる。
『……かしこまりました』
あまりの抵抗に白旗を上げたのか。ツクヨミが不服そうに息をついた。
そして、リディアをひょいと路上におろしてくれた。
きょろきょろ周囲を見回したが、誰もいない。
リディアは安堵しながら、ツクヨミをきっとにらみつける。
「ごっ……誤解されるようなことしないで言わないでっ!」
『あれぐらい別によいではございませんか』
「全然よくないよ! あの人たち、みんな口が軽くて……噂広まっちゃうもん。鎖とか首輪って……わたし、犬じゃない……」
『マダム』は、ミストに広まる噂の発信源だ。
彼女たちが何かしら目撃すれば、その翌日にはミスト中に噂が広まっている。
おまけに、1の出来事が10になるぐらいに色付けもお上手。
明日以降、噂を聞きつけたオリバたちにからかわれること、間違いなし。
『好都合ではございませんか』
「どこが!?」
『あの男との噂が立つより、僕との方がマシだと思いますが』
「……!」
『あの方々が噂を広めて下さるのですよ? それを利用せずにどうするのです』
ツクヨミがそう言い残すと、再び歩き始めた。
リディアはその場に立ち止まったまま、真っ黒忍者の後ろ姿を凝視する。
(噂を上書きしようとしてくれたんだ……)
仲をからかわれたり、噂が広まるぐらいなら。
アドニスではなく、『ツクヨミ』の方がよっぽどいい。
ツクヨミはそう考えて『マダム』にアピールするために、一芝居打ってくれた。
彼の真意に気付いて、嬉しくてたまらなくなってきた。
(これがエッジだったら、もっと喜んでいたかもしれないけど……!)
棒立ちの状態で、リディアが喜びに浸っていたのもつかの間。
後を追ってこないことに気付いたのだろう。
先を歩いていたツクヨミが立ち止まり、こちらを振り返った。
『……お次はどちらへ?』
「え、ライザのおうち……」
『では、参りましょう。——「わんこ」さま』
「!?」
ツクヨミがいつものお堅い口調で、リディアを犬扱いしてきた。
その途端、喜びは怒りに変わり、憎々しげににらみながら。
早足でツクヨミに追いつくと、再び肩を並べて歩き出した。
「い、犬じゃないですっ」
『犬は「わん」としか申しませんよ』
「だから違いますって!」
『そこは「わんわん」と叫ばなければなりませんね』
「あ、あたしはペットじゃないもんっ!」
『……っ、本当に面白いお方ですね』
顔を真っ赤にするリディアを見て、ツクヨミが口に手を当ててくすくす笑い出した。
いい歳した男女の言い争いは、犬か人かの攻防戦。色恋とは程遠い。
(……懐かしいなあ)
エッジと出会ったばかりの頃に戻ったような気がして、次第に怒りは収まっていった。
エッジにこうしてからかわれ、その都度怒ってばかりいたのに。
相手は違うけれど、こうして再現できたことがちょっと嬉しくなってしまった。
『……本当に鎖をつないでどこかに閉じ込めておければ……』
「!!」
ツクヨミが突然ぼそぼそ話した内容に、ぎょっとする。
主語が抜けていたが、どう聞いてもリディアのこと。
まさか、本気で犬として囲っておきたいと思っているのか??
「犬扱いしないでって言ってるでしょ!?」
『冗談でございます』
「もうっ……!」
『ところで、先日のお礼の件ですが……』
「あっ、リクエスト考えてくれました??」
『ええ。いろいろ迷いましたが、決めました』
—— —— ——
かねてからリディアは、ツクヨミに善意のお礼をしたいと考えていた。
そして、花火大会の別れ際。ツクヨミにこんなお願いをしていた。
『リクエストがあれば、叶えられるように出来る限り努力します』
言ったそばから、言質を与えたかもしれない。
そう焦ったが、『何でもやる』とまでは言っていない。
ツクヨミはエッジのように、言葉尻を捕らえて無茶は言わないだろう。
そう思い直して、今日まで何を頼んでくるのかちょっぴり楽しみにしていた。
—— —— ——
「何ですか? お菓子以外ならがんばって作るよ?」
『それは後日お願いするつもりでおります』
「……何か欲しいものがあるの?」
『特にございません。むしろ僕がリディアさまに何か買ってあげたいぐらいです』
「じゃあ、何をリクエストするつもりなの?」
ごちそうも後でいい。欲しいものはない。
だったら、何をお礼してもらうつもりでいるのだろう?
(掃除とか……お手伝いさんがやるようなことをリクエストされたら、困るなあ)
首をひねるリディアに向かって、ツクヨミがしもべさながらに、自らの胸に手を当てた。
『僕の——』
ツクヨミのリクエスト内容を聞いて。
ミスト中にリディアの悲鳴がこだまするまであとわずか。
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