※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

73 / 160
オリキャラ視点


(幕間)反撃の時間はじめ

 

 

——3日後 8の月28日 午後7時すぎ

 

 

 とっくの前に陽は沈み、外はもう真っ暗。

 1時間ほど前に、ミネルバに頼んで部屋の照明を点けてもらった。

 

 他に誰もいない家の中で、ミゼルはひとり目薬と格闘を繰り広げていた。

 小さなしずくが、右目の至近距離……。

 言ってるうちに、ほぼゼロ距離まで迫ってきている。

 もうすぐ、これが目に落ちてくる。

 

「うあぁー、おちる、おちる……!」

 

(こわいよー!)

 自身の右目に目薬をさそうとしているにもかかわらず。

 ぶるぶる手が震えて、胸が緊張と不安に襲われる。

 

 —— —— ——

 実はこれ、目薬と言う名の毒なのではないか??

 目に入れば、失明してしまうのではないだろうか??

 そうなったら左目はもうないから、死ぬまで暗闇の中で生きなければならない。

 愛するジャンヌさんや、可愛い妹同然のリディアさんの顔が見えなくなってしまう!

 いや待て。これは、ミストの名(迷)医師直々の処方の目薬。

 毒な訳がないだろう!

 —— —— ——

 

 ……どれだけ頭の中や、口でわめいたところで無駄である。

 しずくが重力に負けて、スポイトの先端から離れた。

 ミゼルの右目にそれが1滴、2滴とぽた、ぽたっと落ちた瞬間。

 

「ひゃぁー!」

 

 大きな声を上げてから右目を強く閉じて、すぐに開ければ。

 視界に広がるのは暗闇ではなく、居間の天井。

 

「よかったぁ、見えてる……!」

 

 ミゼルは目が見えていることに、安堵の声をもらした。

 

 酔いどれ医師自ら、これをさせさせと強引に押し付けてきたぐらいだ。

 毒なんか入っている訳がないのに。

 たかが目薬ごときで、毎日びびってしまう自分に呆れてしまう。

 

 頬に伝う液体をほったらかしたまま。スポイトを目薬びんの中に入れてふたをする。

 手元に置いてあったきれいな布で、右目を押さえて濡れた顔を拭いてから。

 目薬のびんを手にして、私室に向かう。

 

「……注射の方がよっぽどマシだ」

 

 ミゼルはミストで起こった火事を境に、医師や薬が欠かせなくなった。

 

 これまで薬をたくさん飲んだり、注射をぶっすぶす刺されたり。

 肌にべったべた薬を塗りたくられたりしてきたけれど。

 目薬だけは、どうしても好きになれないでいる。

 片方だけとなった右目に、異物を入れるのが怖いのだ。

 

 ノアに見つからないよう、自分用引き出しの奥にびんを隠せば。

 1日最低1回の点眼作業はおしまい。

 引き出しを開けて、中のものを隠すための冊子をどけると。

 小さな木箱が転がっているのを目にした途端、ため息をついた。

 

「はぁ……リディアさん。いつ気付くかなあ……」

 

 花火大会から数日後、かねてからの約束通り。

 リディアに、謎の石の名前だけ教えてあげたのだが……。

 

 —— —— ——

『大分前に調べとくって言った石っころのことなんだけど……』

『あ、正体わかったんだ』

『あれ、撒菱って言うんだって』

『……まきびし?』

『エブラーナじゃ、カルトロップのことをそう呼んでるんだ。ついでに、あれは石じゃなくて鉄だよ』

『へえ、そうなんだぁ。調べてくれてありがとう』

『撒菱返そうか?』

『いい。おじちゃんへのおみやげだもん。なんなら捨てていいよ』

『あっそ……』

 —— —— ——

 

(秘伝忍術書の内容、完全に忘れてるなあ……)

 リディアの関心の低さに、ミゼルは少しがっかりしてしまった。

 青い撒菱を使う者は、この世でひとりしかいないのに。

 

 ミゼルなら書の内容を、隅から隅まで記憶していたけれど。

 リディアはそこまで記憶力がいい訳ではない。

 書を読んでから2年も経っているので、忘れていても仕方がないのだが……。

 

 実際にご本人さまが、青い撒菱を使うところを目撃しない限り。

 リディアは書の内容を思い出せず、真実に辿り着くことも出来ないだろう。

 そもそも撒菱を使う機会がいつやってくるもわからない……。

 

「まあ、なんとかなるでしょ」

 

 身内同然とは言っても、しょせん他人だ。

 他人の色恋のことを、うだうだ考えていても仕方がない。

 

 目薬を引き出しの奥にしまい込み、その上に冊子を積んで引き出しを閉めた。

 重い腰を上げて、居間へ戻ったと同時に玄関の扉が開いた。

 

「ただいま」

「戻りましたっ」

「あっ、おかえりー。早かったね」

 

 この家の主、鬼より怖いジャンヌさまのお帰りである。

 彼女の後から、期間限定の同居人ノアも中に入ってきた。

 

 —— —— ——

 本日は休日。

 朝からジャンヌとノアのふたりは、トロイアに出かけていた。

 

 トロイアのZのお偉いさんは、『薪要らずの魔法』を漏洩した犯人と共犯関係にある。

 ミゼルのそんな推測が本当に正しいかどうか。

 エッジは先月から、Zにエブラーナのお城勤4名を送り込み、証拠を探させていた。

 

 そのお城勤と情報交換をするために、本日ノアはトロイアに向かった。

 ジャンヌはノアの保護者……付き添いだ。

 情報交換はすぐに終わるので、それからはジャンヌの趣味——観光に費やされる。

 —— —— ——

 

「これ、みやげ」

「へえ、今日は何かな……うわ、フロランタンだ!」

 

 ジャンヌ自ら戦利品の箱を開けて、ミゼルに中身を見せてくれた。

 フロランタンは、彼女がよく買ってきてくれるトロイアのお菓子。

 一口サイズにカットされただけでなく、ご丁寧にも個包装されている。

 

「ガイドブック一押しの店の奴だぞ?」

 

(また行列に並んだのか。よくやるよ……)

 そんな本音を口にしたら、ぶっ飛ばされてしまうので我慢する。

 

 ジャンヌが同じデザインの小さめの箱を机に置いた。

 それには手を付けないところを見る限り、リディアへのおみやげだと思われる。

 

「ミゼルさん、これもおみやげです」

「……お手紙?」

「はい。トロイアでお仕事されていた方々からの報告書です」

「ありがとう。早速読ませてもらうよ」

「喜んでくれるとみなさんおっしゃっていましたよ」

 

 ノアから差し出された茶封筒を受け取り、居間机についた。

 封筒から数枚の書類を取り出し、目を通してみれば。

 Zに潜入しているお城勤のここまでの経緯が書かれていた。

 

(あれ……本気だったの!?)

 ところが、読めば読むほど、喜びとは逆に背筋が凍りついていく。

 Zでの調査と工作は既に完了。あとは日を待つだけ。

 報告書は、そう締めくくられていた。

 

 —— —— ——

 エブラーナ城を訪れて、エッジに土下座してまで。

 忍者レンタルを依頼した、あの日。

 エッジは忍者を貸すとミゼルに告げてから、軽い口調でこう言った。

 

『ついでに、Zも潰してやろうぜ』

 

 エッジは調査のために、トロイアのZへお城勤を送り込んだ。

 そう思っていたら、とんでもない。彼は、Zに報復する気満々だった……。

 さすがに、会社そのものは潰さなかったけれど。

 —— —— ——

 

「いかがでしょう?」

「え?? い、いやぁ……予想以上にいい働きをしてくれて、嬉しいです」

 

(リディアさんのことになると、あの人は鬼や悪魔にもなれるんだ)

 リディアの幸せを邪魔した者は、エッジにとって全て敵。

 ぺんぺん草も生えないぐらいに叩き潰されるだろう。

 ……死んでも敵に回したくない。

 

「よかったです。知り合いの方で何かお困りの方がいらっしゃいましたら、声をかけていただけると幸いです」

 

 エッジのえげつないやり方にドン引きしていたら。

 便利屋業務の営業を忘れない、ノアの健気さがさあっと癒やしてくれた。

 

「うん、ぜひそうさせてもらうよ」

 

 ミゼルは書類を封筒に入れながら、ノアに向かって笑った。

 

「明日、会社から忍者引き上げるって言ってたぞ」

「えっ? 全員エブラーナ帰っちゃうの?」

「ひとりだけ残って、会社の監視と、ええと……31日にツクヨミさんのお手伝いをすると話していました」

「……ツクヨミさんがトロイア??」

「はい。こちらのお手伝いがありますし、効率がいいからと。自らトロイア行きを申し出たようです」

「へぇー、そうなんだぁー。あの人もよく手伝ってくれて、感謝しなきゃね」

「そうですね」

 

(その日、封印術を使う気でいるな……!)

 ミゼルはうんうんと、ノアの話に耳を傾けながら。

 頭の中で、ツクヨミの先々の行動に思案を巡らせる。

 

 —— —— ——

 ツクヨミには、今月最後の日に、あるお手伝いを頼んである。

 ゼロで非力なミゼルでは、どうしても出来ない仕事だからだ。

 

 ノアでも出来るが、彼はミストで普通の子どもを装っている。

 ミストの中で、大っぴらに忍者の能力を使えるツクヨミにお願いすることにした。

 

 その日に、ツクヨミがトロイアへ足を運ぶのならば。

 トロイアだけならず、ミストでもあの術——青い撒菱への封印術——を使うだろう。

 —— —— ——

 

 ツクヨミがその術を使っている場面を、リディアが目撃したら。

 秘伝忍術書の詳細を思い出せるかもしれないが……。

(リディアさんの目の前では、使いそうにないな。無理か)

 

「ですから、リディア先生の魔法作成代の交渉には差し支えないと思います」

「それは安心だね」

「リディアもやっと報われるな」

「あの子は、ほぼ全額ここに寄付しちゃうよ」

 

 来月早々にも、Zと『薪要らずの魔法』作成代の交渉が出来るかもしれない。

 リディアが魔法を作った見返り——お金を受け取るのも時間の問題だ。

 

 一旦受け取ったら本人のもの。それをどう使おうが本人の自由。

 ミゼルは口を酸っぱくして、そう言ったけれど。

 リディアはお金を受け取っても、ほぼ全てミストに納めると話していた。

 もし本当に寄付してくれるのなら、ミストにとってとてもありがたい話だ。

 

「あいつはケーキ代さえゲット出来れば、それで満足するからなあ」

「先生、たまにお昼ごはんにお菓子を持ってきているようですよ?」

 

 リディアが、甘いもの以外への執着が薄いことをみんな知っている。

 ミゼルたち3人は、顔を合わせて笑い出した。

 

 —— —— ——

 リディアは、とっても大金持ちである。

 

 ミストの火災が起こってから、世界各地を巡った。

 幻獣界での暮らしを経て、仲間と共に宇宙へ飛び出し、悪の存在を倒した。

 その間、数え切れないほどのモンスターと戦っている。

 倒されたモンスターは、お金——ギルを落とす。

 リディアと彼女の仲間たちは、最終的に超多額のギルをゲット。

 仲間のみなで分け合いっこしたと聞いている。

 

 しかも、リディアは甘いものとラベンダーに関する化粧品以外、購買意欲がない。

 無駄遣いする機会がないので、お金は貯まる一方である。

 —— —— ——

 

 リディアもだが、将来タダで魔法を作らされる者が出てきたら気の毒だ。

 手作り魔法は有償——大なり小なり対価をいただく。

 そんな『先例』が作れそうなのは、良きことである。

 

「おまえ、飯は」

「大分前に食べた……」

「その割には元気がありませんね」

「きょ、今日もリディアさん……来ませんでしたぁぁ……!」

 

 ミゼルは机の上で突っ伏して、嘆き声を上げた。

 

 リディアは1週間に一度、ここに来て夕食を食べていたのに。

 ここのところずいぶん減ってしまった。

 最後に夕食を一緒にとったのは、確か花火大会の日。

 その日ですら、ミゼルは準備で先に出かけてしまい、すれ違い。

 リディアと、かれこれ3週間ぐらい夕食を共にしていない。

 

「おまえとふたりっきりで飯食べたくないんだろ」

「くっ……」

「あははっ!」

 

 ジャンヌたちが出かけた先で、夕食をとるとわかっていたら。 リディアがここに来る訳がない。

 ジャンヌの素晴らしい的確なご指摘に、ノアまで笑っている。

 

 リディアは、ジャンヌに懐いている。

 一方、ミゼルはしょせんジャンヌのおまけ。

 それが、リディアに対するミゼル唯一の不満であった。

 

「ツクヨミさんが来てたからでは?」

「今日は来てないよ……昨日来たばっかだし」

「それもそうですね。お忙しい方ですから」

「なんかさ……あのふたり、違和感ばりばりじゃない?」

 

 ミゼルは不満を露わにしながら、頬杖をついてぼやいた。

 

「みんな騙されてるぞ。なあ、ノア?」

「はい。ベスやユノも大喜びしています」

「夜にピクニックって……いい歳した男と女が清らかな交際って変だよ。家の中で食べたらいいじゃないか」

 

 先日リディアとツクヨミにも同じことを言ったが、ふたりとも聞く耳持たずであった。

 当事者ですら、そんな反応なのだから。

 ジャンヌはおろか、ノアにもこの気持ちは理解してもらえないと思う。

 

 —— —— ——

 数日前。公民館からの帰りに広場を通りかかったら。

 リディアとツクヨミが、ベンチに座って晩ごはんを食べていた。

 

 アドニスを欺く。そのために、ふたりが恋人同士を演じるとは聞いていた。

 しかし、実際その場を目の当たりして呆れてしまった。

 

 リディアはいい。アドニスから身を守るための手段として、提案を受け入れただけだから。

 誰に呆れたかと言えば、肝心要の提案者。

 ……正しくは、お面をかぶって偽名を騙るツクヨミの『中の人』だ。

 外野とは言え、まどろっこしいアプローチに見ているだけでじれったくなった。

 

『ちんけなプライドなんか捨てて、はっきり告白したらどうなんだよ』

 

 思い余って、去り際に耳打ちで暗に『中の人』へそう忠告してあげた。

 

 煽りに近いそれが、相手にも伝わったのだろう。

 広場を去るまで、肌にちくちく刺さるような視線を向けられてしまった。

 

 あの場にリディアがいたから、それだけで済んだ。

 そうでなければ、噂の殺気を飛ばされて気絶させられていただろう。

 —— —— ——

 

(当分ツクヨミさんには、変なこと言わないでおこ……)

 あまり茶々を入れると、今度は噂の恐ろしい術をかけられそう。

 

「珍しいですね。ふつうは逆だと思いますけど」

「そーだぞ? 若い娘が男を軽々しく家に入れたらだめだろ」

「ノアはさておき、きみはもう36じゃないか……」

「なに!?」

「『おばさん』が、生娘みたいなこと言ってちゃっ」

「——あいつがあばずれになってもいいのか!?」

「うわっ!?」

 

 ジャンヌが鬼のような形相で、どん! と机を拳で叩いた。

 ノアは驚いているが、ミゼルは暴力を使った威嚇には慣れっこ。こんなものでは動じない。

 

(なる訳ないじゃない……)

 ジャンヌやノアは、ツクヨミの『中の人』を知らない。だから、そう言えるのだ。

 あの忍者はリディアをそれはそれはもう大切にしている。

 あばずれ——腰の軽い女——になんかさせない。

 

「エドワードくんだって、ずっと入り浸ってたよ? どうして前は黙ってたの?」

「あれは古いお仲間だろ」

「お館様ですしね」

「それだよ。仮にも国王に口や手を出せない。我慢するしかないじゃないか」

「……」

「よしっ、夜のおやつにするか。ノアはいつもの奴でいいな?」

「お願いします」

 

 ジャンヌが呆れたような顔を見せながら、台所に向かった。

 

 —— —— ——

 ジャンヌは言葉遣いやしぐさに反して、貞操観念が非常に高い。

 毎月最後の夜に、リディアの自宅に出入りするエッジを快く思っていなかった。

 

『付き合ってもいない女の家に泊まるなんて、信じられないね……!』

 

 そんなに泊まりたいなら、リディアに告白して恋人になってからにしろ。

 ……と、言うのが当時のジャンヌの言い分だった。

 —— —— ——

 

 一方でジャンヌは、リディアとツクヨミの偽装恋人関係には大賛成。

 超短期間限定かつ、リディアのガードの高さが大きな要因だと思われる。

 

§

 

 おとなはアイスコーヒー。ノアはお砂糖なしのアイスティーが準備出来た。

 ジャンヌが魔法を使ったので、どのグラスにもたくさん氷粒が入っている。

 本日のおみやげ——フロランタンをつまみながらの、夜おやつの時間が始まった。

 

「美味しいねえ」

「ライザおばさんがよく作ってくれますよ」

「あいつのは、手間暇省いた奴だが本気になりゃ本物作れる。一度頼んでみな」

「はい、ぜひそうしてみます」

 

 リディアはとても残念がるだろうが、本日ぐらいは許して欲しい。

 毎夜おやつを食べている訳でもないし。

 ジャンヌが明日、リディアの元におみやげを届けるだろうから。

 

「……もうすぐノアともお別れか」

「大掃除が終わっても、当分ここに残りますよ」

 

 ノアやツクヨミたちのおかげで、悪事の証拠を発見出来た。

 ミストの大掃除の日は近い。

 

 —— —— ——

 トロイア派遣のお城勤も、本当によくやってくれた。

 後は裁きの日の予定調整と、犯人たちの捕獲を残すのみとなった。

 

 その日に、ご出席いただく方々からの返事が揃っていないため。

 リディアをはじめに、住民はまだ何も知らないけれど。

 —— —— ——

 

 ミストの大掃除が終われば、ノアの主なお仕事——調査と護衛任務は終了。

 その後ミストの情報を送る諜報として、ミゼルたちとの同居はしばらく続くが。

 いずれノアはミストを去り、エブラーナのお城勤として仕事を始める。

 ミストの住民はおろか、ミゼルとジャンヌも知らない真の名と姿で……。

 

「ようして1年かそこらだろ?」

「十分じゃないか。1年も一緒に暮らせるんだから」

「それでも短いね。遊び盛りって言うのに、もったいな」

「——ノアは、エブラーナに早く帰って他の仕事がしたいんだよ」

「!」

「この子は、きみとぼくの子どもじゃない。わがまま言っちゃだめだ」

 

 ジャンヌが重苦しい表情で、顔をうつむかせてしまった。

 ミゼルはノアと別れる覚悟は出来ているが、彼女はそうではない。

 

 —— —— ——

 ノアがこの家に来ると決まってから。

 今日までミゼルは、事あるごとに妻へこう言い続けてきた。

 

『ノアは仕事でここに来てるんだ。先のことを考えて、姿も名前も歳もみんなごまかしてる。ノアがミストから離れるってことは、永遠にお別れってこと。それだけは覚悟しておいてね』

 

 しかし、毎回ジャンヌからは不満そうな顔をされておしまい。

 —— —— ——

 

 妻は、ノアと離れるのが嫌で仕方がないのだ。

 だからと言って、ノアの前で困らせるようなことを言ってはならない。

 

「ミゼルさん、言い過ぎです」

「でも、きみの本音でもあるよね?」

「それは……」

 

 ジャンヌに気を使っているのだろう。ノアが言いよどんでいる。

 

 ミストでずっと暮らす気はない。早く一人前のお城勤として仕事をしたい。

 ノアが今でもそう思い続けていることぐらい。ミゼルは気付いている。

 

「ねえ、ジャンヌさん……」

 

 顔をうつむかせるジャンヌに声をかけて、こう続けた。

 

「ノアが公民館に通ったり、ベスとユノと遊んだり、きみに遠いところに連れていってもらったり……ぼくたちとごはんや夜のおやつを一緒に食べるのは、思い出作りを兼ねた仕事の息抜きにしか過ぎないんだよ」

「……」

「ノアが忍者じゃなかったら、ここには来てなかった。子どもじゃなかったら、思い出作りなんて出来なかった。ノアをここに寄越したことだけは、エドワードくんに感謝しなきゃだめだよ」

 

 ジャンヌの前でエッジの名を出すと、不穏な空気になる。

 

 しかし、Gの記事が出て以来。いつか妻にがつんと言ってやらないといけない。

 ミゼルはそう思っていたため、あえて名前を出してジャンヌをたしなめた。

 

 —— —— ——

 この夏からジャンヌは、エッジをますます快く思わなくなった。

 花火大会の裏方5年契約を途中で辞めたこと。

 突然ミストに来なくなり、リディアを寂しがらせていること。

 他にもあるが、主な理由はそのふたつだ。

 

『どうして、こういう時に限って勘が働かないのかねえ』

 

 リディアとエッジが別れる予兆が全く来ない。そんなことをよく愚痴っている。

 —— —— ——

 

 リディアやミストに不義理を働いたから。

 そんな理由でエッジに悪印象を持つのは、ジャンヌの勝手だ。好きにしたらいい。

 しかし、ノアをここに居候させたいと申し出たのは、エッジだ。

 ノアと同居出来たことに対して、感謝の思いは捨ててはいけない。

 

「……風呂の準備してくる」

 

 ジャンヌが小さな声でそう言いながら、席を離れて浴室に向かった。

 

(重症だなあ)

 珍しく夫からきつく言われて、ダメージを受けたようだ。

 そんなジャンヌを、ノアがおどおどしたような表情で見送っている。

 

「あ、あの、ミゼルさん……」

「気にしちゃだめです。ジャンヌさんごときに遠慮してたら、一人前の忍者になれないよ」

「っ、すみません」

「あの人はもともと子どもがだいすきだから……余計ああなっちゃうんだ」

「でも、悪い気は全然しません」

「ほんと? ぼくたちと一緒に暮らしてよかった??」

「はい。最初のお仕事がここでよかったと思っています」

「うわぁ……!! 嬉しいこと言ってくれるじゃないか」

 

 大人泣かせのことを言ってくれて、嬉しさが我慢出来ず。ノアの頭を撫でてあげた。

 

 ノアは仕事上、嘘をつくし隠し事もするけれど。

 仕事と関係ないことについては、ちょっと強がるぐらいで嘘はつかない。

 

 ミゼルもしばしばジャンヌと同じことを思うことがある。

 それでも、ノアにとって今の生活は仕事の延長線。

 ミゼルが命名した偽名の由来に気付いていたら、尚更だろう。

 

 ノアが、最後の休暇を堪能するお手伝いが出来るだけでも。

 ミゼルもだが、ジャンヌもありがたく思わねばならない。

 

「大掃除が終わったら、ジャンヌさんのフォローも考えなきゃなあ」

「……いい旦那さんをもって、ジャンヌさんは幸せですね」

「あんないい奥さん、ぼくにはもったいないよ」

「そうなんですか?」

「そうなんです。きみがミストを離れるまでに、ぼくたちの馴れ初めをこっそり教えてあげましょう」

「はい、楽しみにしておきます……!」

 

 おどけながら話してあげれば、ノアの表情が緩んだ。

 

 当事者自らの口をもって、ノアにも真実を話してあげたい。

 リディアには、先の月に打ち明けたけれど。

 ノアには、未だ馴れ初めどころかジャンヌの事情も話していないから。

 

 —— —— ——

 ミゼルたちは、子どもが作れない。

 子どもがいても、倦怠期がやってくると言われているのに。

 夫婦ふたり暮らしでは、マンネリがすぐに生じてしまう。

 

 ミゼルは、生活環境の変化が訪れる度に、自分たちだけのとっておきの習慣を作ってきた。

 火事の前は、夫婦でエスタのお手伝い。

 それ以降は、ジャンヌを自身の伝令役として度々各地に飛ばしている。

 

 一度子どもと暮らしたことで、ジャンヌも欲が出てしまうだろう。

 ミゼルも人生最大の目標——ミストの大掃除を達成出来れば。

 後はお墓掃除と、リディアの幸せを見守ることぐらいしかやることがない。

 ……今までのような生活には、戻れない。

 

 ノアが離れてから、また新たに夫婦の習慣を何か作るか。

 思い切って環境そのものをごっそり変えるか。

 近いうちに、ミゼルは今後の人生設計を改めて再検討するつもりでいた。

 —— —— ——

 

 あの様子では、ジャンヌはノアが去った後。巣立ち症候群に確実に襲われる。

 少しでも軽減出来るような方法が、何かあればいいのだが……。

 

「——そうだっ!」

「どうしたんですか?」

「ちょっと耳貸して」

「はい……」

 

 突如思いついたある提案を、ノアにひそひそ耳打ちしてあげた。

 話を聞き終えた途端。予想通り、ノアの表情が暗くなった。

 

(さすがに、聞いたすぐは遠慮しちゃうか)

 ほとんど怒らないからだろうか?

 ノアはジャンヌより、ミゼルに感情や本音をあらわにすることが多い。

 

「ノアじゃなくなったら……おふたりにお会いしても、ボクは他人のふりをします」

「いいよ、それで。きみが元気にしてるってことだけわかればいいんだから」

「ボク、おふたりにお世話になってばかりで……これ以上は申し訳ないです」

「問題ない。うち、お金有り余ってるから」

「あ……」

「恨むなら、お仕事代をタダにしたエドワードくんを恨みなさい」

 

 ミゼルは火事で負った火傷と左目を失った代償として。

 バロンから多額の賠償金に加えて、月々の生活保障をいただいている。

 

 —— —— ——

 ミストの大掃除に要する調査員——忍者を借りるために、その貯金を使おうとしたが。

 リディアが絡んでいる。そんな理由で、エッジは報酬をタダにしてくれた。

 そのため、貯金はほとんど手つかずのまま。

 仮に今から依頼報酬を請求されても、ノアに打ちあけた提案にかかる費用は余裕で余る。

 —— —— ——

 

 世間一般の家庭で、子どもが大きくなるまでにかかる費用と比べたら安いものだ。

 ノアは遠慮する必要はない。

 

「ははっ……ミゼルさんって本当変わった方ですね……!」

 

(きみが尊敬する上司も、だいぶ変わってるけどね)

 明るく笑うノアをほほえましく見つめながら、ミゼルは思う。

 

 もともと自分が変人だという自覚はあるし、変人に生まれてよかった。

 もしそうでなければ、雲上人の気配や威厳を漂わせながらも。

 亡き親友でもあり、同志の男を思い起こさせるような。

 あの誰かさんと、友達になりたいとは思わなかっただろうから。

 

.

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。