フェイクラバーズ 作:かえで
——8の月31日 午後4時すぎ
8の月も本日で最後。月末恒例、どしゃぶりの雨の中。
リディアとライザは、それぞれ赤と青の傘をさしながら。
毎月最後の日に公民館で行われる、料理教室の帰り道を歩いていた。
「ムサカ美味しかったぁ」
「美味しいに決まってるじゃない。ラザニアとほとんど一緒なんだから」
「でも、ソースをふたつ作るのが面倒だよ」
「あなたは特にそう感じるでしょうね……」
本日は作ったのは、ムサカ。
ミートソースとホワイトソースと野菜を重ねて焼き上げたものだ。
百年ぐらい前にダムシアンの郷土料理、ラザニアがカイポに流れてきた。
知らないうちに具材の一部と名前が変わり、カイポの郷土料理になっていた。
教室のはじめに、1日限定講師のカイポ出身の奥さんがそう説明してくれた。
「今日の夜に、明日の朝でしょ?……お昼までこれでいけちゃうよ」
(あとはサラダを作って、パンがあれば十分!)
同じものを持っているにもかかわらず、ライザへビニールの袋を見せつけてあげた。
中には、本日の戦利品——ムサカが入っている。
—— —— ——
料理教室は、主婦が楽をするために設けられたと言っていい。
その日の晩ごはんの準備も兼ねているので、みんなで作れば楽ちん。
主婦ではないリディアも、ほぼ欠かさず参加している。
ただし、若き独身女性あるあるの花嫁修業目的ではない。
いかに戦利品を多くゲット出来るかを念頭においた、ちゃっかり参加である。
—— —— ——
「ふふっ……」
「やだなあ、突然笑っちゃって」
「だって、っ……取り分……前と全然変わらないんだもの」
「それはこれとは別なんだよー」
ライザから、くすくす笑われようが、リディアは悪びれない。
月末は、翌朝エッジと食べる分も含めて、戦利品を多く獲得する必要があった。
しかし、エッジは6の月を最後にミストに来なくなってしまった。
本来なら戦利品の量を減らすべきだが、獲得量は今も変わらない。
(エッジが来なくなった分、お昼ごはんに回せるもーん)
元来リディアは、ものぐさである。今も昔もそれを治す気はない。
好きな人のために、気合いを入れて料理を作ったこともあまりない。
エッジとの関係が終わり、料理面において後悔しているのは。
食べてもらう機会がなかったビーフシチューだけ……最後まで手抜きのままだった。
残念ながら、ものぐさ気質には好きな人も敵わなかったと言えよう。
「そういえば、昨日の講座。どうだった?」
「今の調子なら、年内にケアルとサイトロは習得できるって言われたわ」
「すごーい! やっぱり、ローザの言った通りじゃない!」
白魔法講座に関して、リディアはライザから情報を仕入れるのが常である。
初日に授業風景を見学しただけで、講座に一度も参加していないから。
—— —— ——
4日前。8の月27日から、ミストで新たに白魔法講座が始まった。
白魔法は、リディアを除いて誰でも習得が可能。
そのため、授業は『学習』や黒魔法講座がある日の、昼か夜どちらかに行われる。
講師は、運営本部から派遣されてきたアルベルトと言う名の男性。
27歳の若き白魔導士で、出身地のバロンから通ってくれている。
『ミストはいいところですね。通勤も面倒ですし、ここに住もうか悩んでいます』
講座開講前の25日。はじめて訪れた時にそう自己紹介したぐらいには。
アルベルトは、早速ミストを気に入ってくれた。
—— —— ——
「お世辞でしょ……女性には優しいし、褒めて伸ばす方みたいだから……」
「男の人には冷たいの?」
「講座に来てる人には優しいわよ」
「それじゃあ、別に問題ないと思うけどなあ」
「奥さん取られたって、やきもち焼く人もいるんじゃないかしら」
「そういうおじさんに限って、若い子がー、綺麗な女がーって奥さんに言うんだよ? たまには、奥さんの気持ち味わったらいいんだよっ」
ライザはよほど嫌な人間でないと、嫌いやだめとは口にしない。
代わりにリディアが口を尖らせてまで、はっきり言ってあげた。
アルベルトは眉目秀麗の容姿に加えて、ラルフ並みのフェミニストであった。
初めての授業で、ミストの女性の心をわしづかみにした。
「そういえば、アルベルト先生。今日来てたよね」
「でも、先生がどこで試食するかみんなもめちゃって……」
「これからも続くのかな」
「出来れば、遠慮して欲しいわ……」
—— —— ——
今日の料理教室に、突然アルベルトが現れた。
お休みなのに、わざわざバロンからやってきたのだ。
『どんなことをやっているのか興味があって、見に来ちゃいました』
アルベルトが、そう言って微笑んだ。
数秒後、調理室に女性たちの悲鳴が響き渡った。
試食をどこで食べるか、アルベルト争奪戦まで繰り広げられる始末。
—— —— ——
毎回アルベルトが現れる度にあれだと、正直困ってしまうのだが。
リディアやライザをはじめに、醒めていた生徒はごく一部だけであった。
「やっぱり、先生。ここに引っ越してくるのかな?」
「たぶんね……」
「急に暗くなっちゃって、どうしたの?」
アルベルトの話題に入ってから、ライザの声のトーンが落ちてしまった。
構わず話を続けるが、どうも歯切れが悪い。
雨と傘が邪魔で、ライザの表情が見え辛いのももどかしい。
「先生のこと苦手? 嫌なこと言われちゃった?」
ライザは、白魔法講座開講に伴い、担当者についた。
念願の習得機会が訪れて、講座も欠かさず参加している。
そのため、リディア以上にアルベルトと話す機会がとても多い。
一方、リディアはアルベルトとあまり話をしたことがない。
公民館での昼休憩前後や、帰る際に廊下で会って挨拶するぐらいだ。
「そうじゃないの」
「じゃあ、何?」
「先生はミストより、あなたに興味があるみたい……」
「うそ……!!」
(ミネルバがショック受けちゃうよ)
ライザの話を聞いて、目を大きく見開く。
同時に、頭の中にぱっと浮かんだのはミネルバの顔だ。
—— —— ——
25日にアルベルトと、ミストの教師や講師の初顔合わせが行われた。
その時、ミネルバがぽわーんとした顔を惜しみなく周囲に見せていた。
自称彼氏いない歴26年の彼女は、アルベルトに一目惚れしたのだ。
『昔のミストでも、あんなイケメンいなかったよ……!』
その日以降、ミネルバは『学習』の休憩中。
うっとりしながら、アルベルトの魅力を話してくれる。
そして、最後はいつも『聞いてくれてありがとう』
適当に相づちを打っているだけなので、お礼を言われる度に良心が少し痛む。
—— —— ——
「先生。今日も試食の時、あなたの方ばかり見てたの。ミネルバさんがちょっと渋い顔してたわ」
ミネルバはアルベルト目当てもあるけれど、白魔法講座に欠かさず出席している。
そんな恋する乙女状態の彼女を、陰ながら応援しているのに。
「……ど、どうしよう、ライザ」
「嫉妬は怖いわよ。あの人が大人しくなっても、しばらく続けた方がいいかも……」
今は『防音結界』を張っておらず、誰に聞かれているかわからない。
ぼやかした表現でも、ライザの言わんとすることはすぐにわかった。
当面の間、ツクヨミと偽装恋人を演じ続けた方がいいということだ。
—— —— ——
ミゼルの対抗馬として、アドニスが村長決めに立候補した。
彼は公約のひとつに『リディアとの結婚』を掲げた。
そのせいで一部の住民が、リディアに彼との交際や結婚を勧めてくるようになった。
そんな現状にほとほと困っていたら、ツクヨミが偽装恋人の提案を持ちかけてきた。
恋人を演じる範囲は、リディアにおまかせ。
期間はアドニスが大人しくなるまで。
村長決めは来月10日に行われる。
そこで、ミゼルがアドニスに勝てば、いい加減大人しくなるだろう。
リディアはそう考えて、ツクヨミの提案を受け入れることにした。
嘘っぱちの関係は先週から始まっている。
やることと言えば、ふたりでミストの集落内を散歩。
指定された日に、夜ごはんを準備して広場で一緒に食べるぐらい。
自宅に一歩も入れないし、キスやその先なんかもってのほか。
そんな子どもだましの交流でも効果は絶大だった。
『やっぱ、好きな奴と結婚するのが一番だ。幸せになれよぉー?』
それまでアドニスを勧めてきたおじさんたちが、くるくる手のひら返し。
嘘恋人のリディアとツクヨミを、祝福してくれるようになった。
—— —— ——
(ミネルバの恋に決着つくまでは延長した方がいいかも)
アルベルトやミネルバも他の住民と同じように、リディアとツクヨミが恋人だと信じている。
だからアルベルトは、リディアを遠くから眺めるだけで済んでいる。
ミネルバとは『学習』で懇意にしている同僚。
アルベルトに何ら感情も持っていないし、彼女の恋を応援している。
これが原因でミネルバから嫌われたらたまったものではない。
「ふふ……っ」
リディアが偽装恋人の先延ばしに前向きになっていると、ライザがくすくす笑い始めた。
「なあに? 突然笑っちゃって」
「一昨日、おもしろかったわあ。噂通り夜のピクニック……っ!」
ライザの話を聞いて羞恥にいたたまれなくなり、言葉がなかなか出てこない。
これまで、リディアとツクヨミは三度、晩ごはんを一緒にとっている。
その光景から住民に、夜のピクニックと揶揄されている。
一昨日は雨だったので、屋根がある公民館の玄関に座って晩ごはんを食べた。
「……毎回毎回サンドイッチ……もう疲れちゃった」
「しょうがないじゃない。外で食べるならそれぐらいしかないもの」
「パンにバター塗ったり、ゆでたまご作ったりするのが……面倒で面倒で……」
偽装恋人の何が困るかって。毎回サンドイッチを作らなければならないこと。
携帯には便利だが、作るのがとても手間がかかる。
自分用なら、たまごはまず作らない。パンにそのままハムと野菜を挟んでおしまい。
しかし、気心知れている訳でもない相手にはそうはいかない。
1枚1枚バターを塗り、具材を作る作業はものぐさには辛い。
結果、毎回たまごとハム野菜の2種類を作るのがやっとな有様だ。
ツクヨミは、お世辞だろうが毎回美味しいと言ってくれるから助かっている。
(ツクヨミさんが作ればいいのに……)
本当は、あの忍者が準備してくれたら言うことないのに。
どうも彼は、昔ながらの思想の持ち主なのか。
料理を作るのは女性と思っているきらいがあり、期待出来そうにない。
ツクヨミは次回、来月7日に来ると言っていた。
また、手の込んだものを作らなければならない……。
悶々とし始めたリディアに、ライザがこんなことを言ってくれた。
「たまごは水気がないから、バターを塗らなくていいわよ」
「えっ、それほんと!?」
「ええ。たまごの具に味付けしたらそれで十分」
「なんだ……今までの苦労が無駄じゃない」
「他にもパンに挟む具材はたくさんあるし、明日お料理本貸してあげる」
「うわ、ありがとう……!」
リディアは満面の笑みで、ライザにお礼を言った。
(これでだいぶ楽になる!)
ライザはリディアのずぼらさを十二分に知り尽くしている。
お料理本まで貸してくれるとは、何と頼もしい親友だろう……!
「昨日ね。ユノに『しろぎつねさんとけっこんするの?』って言われちゃった」
「ユノだけじゃないわ。ベスもだし……ここの人たちの総意になりつつあるわよ」
リディアとツクヨミが偽装の恋人。
そう知っているのは、ライザとアリサ。そして、ミゼル夫婦だけ。
他の住民は、みんな騙されてくれている。
リディアが、あのミスト好きの忍者と夜のピクニックをしている!
その噂を聞きつけて、野次馬のごとく見にくる住民もちらほらいる。
一昨日ライザも、娘ふたりを連れて公民館までのぞきにきたぐらいだ。
「でも、みんなそう思ってても……本当は……」
「しばらくご厚意に甘えたらいいのよ。付き合ったら必ずその相手と結婚する訳じゃないもの」
「そうだね」
仮にツクヨミに、思いを寄せられていたとしても。
リディアは、彼の気持ちには答えるつもりはない。
なぜなら、誰とも結婚どころか、お付き合いするつもりはないから。
—— —— ——
ツクヨミが、偽装恋人を申し出てくれた時。さすがのリディアも、ぴんときた。
この人、わたしのこと好きなんじゃないの??
ツクヨミにそうたずねたら、返ってきた答えは、『ご想像におまかせします』だった。
ツクヨミに関しても、仲良し3人の意見は分かれている。
リディアの好きなようにしたらいい派のライザ。
さっさとツクヨミになだれこめ派のアリサ。
そして、肝心のリディアと言えば……しばらく様子見派。
ごはんを作ることを除けば、現状さしたる不満はない。
アドニスのことが落ち着いたら、偽装恋人関係を解消するつもりでいる。
—— —— ——
ツクヨミに対して親愛以上の感情が沸かない。
真逆の人間にもかかわらず、ツクヨミをエッジの姿を重ねてしまうし。
エッジが治めるエブラーナに思いを馳せてしまう。
「あの人も事情があるし、あなたの思いを知っているから、一歩引いてくれているのよ」
「今はああ言ってるけど。おじちゃんのように、いつかわかってくれる人が現れるよね」
リディアがエッジ以外の人に、身も心も捧げる気がないことを。
これまでの言動で、ツクヨミも気付いているはず。
こんな関係をいつまでも続ける訳にはいかない。
現状維持——人目がつく外で、夜のピクニックを続けたら。
いずれツクヨミも、健全な関係だけの関係に飽きてしまうかもしれない。
ツクヨミのことをわかってくれる女性と出会うかもしれないし。
「あの人、24歳なんでしょ?」
「うん」
「わたしたちより年下なのに、老成感漂ってるわね」
「もったいないよ」
「そうよ。まだお若いのに、もう幸せを諦め……」
突然、ライザの言葉が途切れた。
それだけではない。どさ、どさと立て続けに、物が地面に落ちる音が聞こえてきた。
「ライザ?」
つまづいて転んだのだろうか? リディアは立ち止まり、傘をずらしてみた。
すると、投げ捨てたかのように青い傘と手提げのビニール袋が地面に転がっている。
……ライザの姿が消えてしまった!
「ライザ!? どこ!?」
名を呼んでも、ライザから返事がない。周囲を見回しても姿が見えない。
小走りで元来た道を戻ってみたけれど、どこにもいない。
「ええ……どこ行っちゃったの……?」
「——げこげこ」
「!?」
再び元の場所——傘と袋が置かれている場所——に戻る途中。
ざあざあとした雨降りの音に紛れて、ある生き物の鳴き声が耳に届いた。
「げこげこ」
青い傘の陰から、青いカエルがぴょこんと現れた。
それを見て、リディアの顔から血の気がさあっと引いていく。
……カエルの正体は、ライザだ。
リディアはリボンを所持しているから大丈夫なだけで。
一緒に外を歩くライザたちは、いつ状態異常にかかってもおかしくない。
なぜこうなることを予測できなかったのか!
「ライザっ!!」
カエル——ライザが青い傘から飛び出して、こちらに向かってくる。
リディアが勢いよく傘と荷物を投げ捨てて、ライザに手を伸ばそうとしたら。
「——誰が渡すかっ!!」
がつん!
「きゃあっ!!」
あとわずかのところで、男性の声が聞こえた。同時に身体に強い痛みが走る。
何者かに横っ腹を蹴られたようで、倒れ込むように地べたに這いつくばる。
「う、っ……」
痛みや汚れをよそに、リディアが上体を起こしてみれば。
声の持ち主——黒い雨合羽を着込んだ人物が、ライザの足をつかんで立っていた。
「アドニス!!」
「やっぱり、おまえはかからなかったな」
同じ黒合羽姿でも、毎月この日に現れていた想い人ではない。
人に平気で魔法をかける非常識な男——アドニスが、ライザを逆さまに揺らしながら。
地べたにひざまずいているリディアのそばに近付いてきた。
「おまえ、なんかで状態異常予防してんだろ」
アドニスが上からリディアを見下ろしながら、不気味な笑いを見せる。
まるで七夕の日以降も、状態異常魔法を何度もかけていたような言い方。
おまけにこれまでとは一転して、悪人さながらの表情。これがアドニスの本性のようだ。
「ま、こうやって誰かを人質にすりゃいいから意味ねえけどさ」
「【……」
リディアはアドニスに向かって、ある魔法の詠唱を口にし始めた。
(トードかけたら逆転出来る!)
変身魔法トードは一度に複数人にもかけられる。
今かけたら、アドニスはカエルに。ライザは元の姿に戻る。
(あと、もうちょっと……!)
いよいよ詠唱を唱え終える。
そう思っていたら、突然アドニスがライザを反対側の手のひらにさっと移し替えた。
「——続けたら握り潰すぞ」
「っ!?」
アドニスから拳を突き出されて、リディアは詠唱を止めてしまった。
彼の拳の中にはライザが入っている。
今はゆるく握った指の隙間から、青色がちらちら見えている。
けれど、少しでもアドニスが強く握れば……。
「——ライザ殺す気!?」
「嫌だろ?」
「あっ、当たり前じゃない! 早くライザを離して!!」
「だったら、今から俺と一緒に来い。用が済めば助けてやる」
「用って……」
「俺とヤるんだよ」
「っ!?」
ライザの身柄と引き換えに、アドニスとまぐわえというのか。
横暴な解放条件に、リディアは耳を疑った。
「既成事実さえ作りゃ、あの忍者も失望する。結婚になだれ込めるからな」
「き、脅迫なんて卑きょ」
「——断ってもいいぞ」
「う……!!」
「責任はしっかり取ってやるからさ」
にやりと口を歪ませるアドニスを見て、息を呑む。
リディアはエッジ以外の男に、身体を捧げる気はない。
特にゲスで卑怯な手を使うこの男には……絶対に身体を渡したくない。
(でも……)
抵抗すると、アドニスの手中にいるライザが殺されてしまうかもしれない。
「今ここで潰してやってもいいんだが、メリットがねえからな」
「ライザが何したの! あたしとあんたの結婚と関係ないじゃない!!」
「おまえにいつもくっついてるだろ」
「そ、それだけで……」
「ここに白魔法取り入れやがって、エスタやニクスとそっくりだ」
「!!」
アドニスが憎々しげに両親の名を出してまでそう言ったことで。
時間の許す限り、リディアを守るかのように外を一緒に歩いていた。
それだけでライザが狙われた訳ではないことに気付いた。
—— —— ——
西区画——保守系先住民は、昔ミストで権力を持っていた者。もしくは、その取り巻きの集まり。
アドニスも、元権力者の筆頭格キロンの息子だ。
彼らはミストに白魔法を取り入れることを、頑なに拒み続けてきたが。
火災後、村長がミゼルについたことで権力を削がれてしまった。
ミゼルが移民を受け入れたことで、彼の味方が増えていく。
保守系先住民は、それに比例するかのようにミストの少数派に陥っていく。
そんな中、先日ついに白魔法が導入されてしまった。
20年近く前に、ミゼルやリディアの両親が行動を起こした時は阻止出来たが。
今は数の力で負けているからさもありなん。
—— —— ——
アドニスを含めた保守系先住民にとって、署名を集めたライザはタブーを犯した人間。
ミゼル並みの敵になっていたのだ。
「このまま潰して焼いちまえば、カエルの丸焼きだなぁ」
「……」
「どうする? 早く答えろ」
(ライザを見殺しに出来ない!)
ならば、アドニスと一緒に行くしかない。
どこかに連れて行かれる間に、隙を窺ってライザを助けて逃げてやる。
「わ……わかっ」
「——げこげこっ! げこげこげこっ!!」
「ちっ、うるせえな!」
リディアは意を決して、震える声で条件を呑む言葉を口にしかけた。
すると突然、アドニスの手の中にいるライザが大きな声で鳴き始めた。
普段ライザは、ここまで大きな声を出さない。
『死にたくない! 助けて!』と叫んでいるようにも。
『言うこと聞いちゃだめ!』と止めてくれているようにも聞こえる。
「げこげこっ!! げこげこっ!!」
「カエルにされても、まだ抵抗すんのかっ!」
またライザが邪魔したせいで、リディアから了承の言葉を引き出せなかった。
そう思ったのか、アドニスが憎々しげに左の拳を見やる。
「っ!?」
アドニスがライザを持ち替えて、右の手で足をつまむ。
すぐさま空いた手で、懐から銀色に光る何かを取り出した。——はさみだ。
「や、やだ……やめて……」
カエルで受けたダメージは、元の姿にも影響を及ぼす。
今ここで足を切られたら、元に戻っても足はない。
「足1本切らねえと黙ってられねえのかよっ!!」
「やめてーー!!」
リディアの叫びをよそに、アドニスがはさみを開いてライザの足に向けた瞬間。
「ぅっ!」
アドニスの身体がぴたっと止まった。
そして、白目を向いたまま、あおむけの状態で地面に倒れていく。
その最中、左の手でつかんでいたはさみが地面に向かって落ちた。
右手の中にいたライザも、カエルの姿が功を奏したのか。足を使って上手く地面に着地した。
どさり
「ライザっ!」
ライザがリディアの元に、ぴょんぴょん飛び跳ねて近付いてくる。
リディアが腰を上げて、ライザを包み込むように両手で拾うと。
再びその場で崩れ落ちて、両手を額に当てながら涙を流し始めた。
「うっ……ううっ……!」
ライザが助かった安堵。ライザを巻き込んだ謝罪と自責……。
雨に打たれてびしょ濡れになっていることなんか。
ちっとも気にせず、しばらくその場で泣き続けていると。
『——大丈夫ですか』
長年、聞き慣れた優しい男性の声が聞こえた。
顔を上げれば、ツクヨミが片膝をついたまま、リディアに赤い傘を差してくれていた。
彼がいつも着ている黒いコートは、雨合羽の役割も果たしているらしく。
降り注ぐ雨を、重力に沿って上から下へと滑らせている。
「ツ、ツクヨミさん……どうして……ミストに」
リディアは驚きのあまり、途切れ途切れにツクヨミへたずねた。
どうしてここにいるのだろう。偶然にも程がある。
ツクヨミはすっかりミストの常連だけれど、今日来るとは聞いていない。
『本日は、ミゼルさんのお宅で仕事の話をしていたのです』
「……おじちゃんと?」
『はい。その最中に、奥様とミネルバさんが慌ててお帰りになられたのです』
ジャンヌはいつもミネルバと、料理教室の行き帰りを共にしている。
それを知るリディアに、ツクヨミがここに駆けつけた経緯を話してくれた。
—— —— ——
ジャンヌとミネルバが料理教室を終えて、公民館を出ようとした。
すると、先を歩いていたリディアたちが門を越えた。
その数秒後。アドニスが現れて、ふたりの後をついて歩いていくのが見えた。
濡れるのが嫌なのか。アドニスは雨の日は外にめったに出ない。
なのに、今日は雨合羽を着込んでいる。
しかも、いつもの待ち伏せではなく、尾行とは一体何事か。
何か様子を窺っているように見えるし……嫌な予感がする。
そう勘付いたジャンヌは、ミゼルに伝えるために。
ミネルバと共に、別の道を走って自宅へ帰ってきた。
—— —— ——
『僕なら移動時間はかかりません。ですから、ミゼルさんが僕へ先に向かうように……』
ツクヨミの話を聞き終えて、リディアは視線で周囲を見渡した。
アドニスの姿がどこにもいない。
泣いていた間に、誰かに連れていかれたのだろうか??
「あの、アドニスは……?」
『こちらに封じました。僕が解除しない限り、出てこれません』
「ふ、ういん……」
ツクヨミから手のひらをさっと差し出された。
その上には、小さな青い石が置かれている。
(この人、変わった術も使えるんだ)
ライザが「げこげこ、げこげこ」と小さく鳴いているのをよそに。
リディアは、ツクヨミの忍者の才にただ感心するばかり。
—— —— ——
影縛り、変化、火に氷、雷に水と言った各種遁術は知っていた。
けれど、エッジ本人が何かを封印するところを見たことがないし。
本人からその名を聞いたこともない。
この時のリディアは、封印と言う聞き慣れない術もあって。
青い石——撒菱のことなど、すっかり頭から抜け落ちていた。
—— —— ——
『この男は、今後ミストをうろつけません。どうぞ、ご安心下さい』
「……どういう意味ですか?」
『ミゼルさんにお聞き下さい。じきこちらに駆け付けます』
「は、はい」
『それより、ライザさんはいかがなされますか?』
リディアは、自身の手のひらの上に乗っている青いカエルを見やる。
すると、ライザが「げこげこ」と鳴いて、その場でぴょんと一度跳ねた。
「元に戻すね」
「げこっ」
「【……」
言葉と鳴き声でライザと意思を交わしてから、トードの詠唱を唱える。
口を動かしながら、立ち上がると同時にライザをそっと地面に置いた。
「……】」
詠唱を終えると、きらきら光る細かな銀の粒がライザの身体を覆いつくす。
「はぁ……助かったわぁ」
「ライザっ!!」
元の姿を取り戻して、ライザが一息ついている。
リディアは彼女の身体に飛び込み、胸に顔を埋めながら再び泣き始めた。
「……っ、う……よかった……!」
「ふふっ。落ちてもけがしないなんて、カエルって便利ね」
「ごっ、ごめんなさい……あたし……せい……でっ……!」
身体を支えてくれるライザに、謝罪の言葉を途切れ途切れに口にした。
自分と一緒にいたせいで、ライザを危険に巻き込んでしまった。
これ以上一緒にいたら、また今日みたいなことが起こるかもしれない……。
申し訳なさで胸がいっぱいになりながら泣き続けていると。
ライザが急にリディアの身体を引きはがした。
「な、なに……」
「あなた。今、親友辞めようって思ってるでしょう」
「っ!?」
ライザが険しい表情で図星を突いてきて、思わず息を呑む。
「わたしは親友もファンも辞める気ないわよ」
「ラ、イザ……」
自分たちは、こんなことで親友を辞めるぐらい脆い関係だったのか?
ライザがそう言いたげで、胸にじわじわ沁みる。
「村長決めで劣勢に追い込まれて、魔法と脅迫に逃げたあの人が全部悪いの。——泣いちゃだめ」
「っ、う、んっ……」
ライザに励まされながら、涙で濡れた顔を手の甲でごしごしぬぐう。
本当ならリディアがライザを労るべきなのに、いつも逆ばかり。
『ご無事でなによりです』
「こちらこそ、助けていただいて本当にありがとうございました」
『おふたりとも、こちらをどうぞ。風邪を引く訳にはいきませんから』
「すみません」
「ありがとうございます」
(ずっと傘、さしてくれてたんだ……)
ツクヨミが手にしていた赤い傘を、リディアに渡してその場を離れた。
ライザの青い傘とふたりの戦利品が、無造作に地面に転がっている。
ツクヨミがそれを順々に拾ってから、リディアたちの元に戻り、それぞれの荷物を手渡してくれた。
リディアの髪の毛はべたべた濡れて、泥もついている。
しかし、服は幻獣界製。既に乾いており、泥も知らぬ間に落ちている。
ライザをちらりと見やれば、こちらも髪の毛と服がやや濡れている程度。
「ねえ! リディア、これ見て!」
「え?」
突然ライザが喜びの声を上げて、戦利品を見せてくれた。
「崩れてるだけ! 紙袋じゃなくてよかったわ……!」
ビニール袋に包まれたそれは、トードをかけられた時に中身が崩れただけ。
ムサカがだめにならずに済んでよかった。
そう主張するライザに、リディアは目を丸くした。
「な、何呑気なこと言ってんの!?」
「夕食がなくなったら、みんなが困っちゃうわ。あなたも多分食べられるわよ?」
「ば……ばかっ! 足ちょん切られるところだったんだよ!?」
「でも、ツクヨミさんに助けてもらったじゃない」
「もう……」
(確かに今から夕食を一から作るのは嫌だけど……)
さっきあんなことがあったばかりなのに、喜んでいるライザを見て。
リディアは少し呆れてしまった。
『ライザさん。とても肝が据わられておりますね……』
ツクヨミも、リディアと同じことを感じたらしい。
怖気ついたような声でライザに話しかける。
「あぁ、ありがとうございます。この子たちとお付き合いしているうちに、ちょっとぐらいでは動じなくなりました」
『そ、そうですか……』
ライザがツクヨミの反応を一向に気にせず、にこりと笑いながら答えた。
ライザは仲良し3人のうちで、最も内面的に変化を遂げている。
長年姑からの嫌味に耐えながら、アクの強いアリサやリディアと付き合っていたら。
こうなってしまうのも仕方がないのだろうか?
§
それから程なくして、ミゼルがようやく現れた。
「リディア! ライザ!」
「おじちゃん!」
ミゼルはもともと運動音痴。しかも、火災で怪我を負い、早足がやっとだ。
忍者のツクヨミに先に行かせたのも当然とも言えよう。
「ふ、ふたりとも、けがは?」
「リディアが、アドニスに身体を蹴られました」
「あぁ……!」
ライザの返事を聞いて、ミゼルが声をもらしながら顔に手を当てた。
「わたしは平気。それより、ライザが……アドニスに……」
引き続きリディアが、アドニスの暴挙の一部始終をミゼルに話した。
ライザがカエルにされて人質にされたこと。
ライザと引き換えに、身体を差し出せとリディアに条件を出してきたこと。
大声で泣いてうるさいからと、カエルのライザの足をちょん切ろうとしたこと。
「……!」
リディアが包み隠すことなく全て話し終えると。
ミゼルが傘を放り投げてから、全身の力が抜けたかのように地面にひれ伏した。
「おじちゃん!?」
「ミゼルさん……」
「大変な目に遭わせて……っ、本当に申し訳ない……!」
ミゼルはそのままの姿勢で、雨に打たれながら。
リディアとライザに謝罪の言葉を弱弱しい声で口にした。
(ちょっと冷たくない……?)
ツクヨミはこちらを黙って見ているだけ。
さっきとは違い、傘をさしてあげる気は全くなさそう。
ツクヨミの代わりに、地面に転がっていた黒い傘を拾うと、ミゼルにさしてあげた。
「ねえ、頭上げてよ」
「何もそこまでしなくても……」
「アドニスが……ここまでやるなんて……予測できなかった……旦那さんやベスやユノに……申し訳がたたない……」
ミゼルがかすれた声で言葉を紡ぐ。
おそらく、自身の無力さに打ちのめされて泣いている。
リディアが、こんなミゼルの姿を見たのは生まれて初めてだった。
(あたしもおじちゃんも、あたしたちだけが狙われてると思ってた……)
ミゼルもリディアと同じことを考えているようだ。
狙われているのは、リディアや自身、そしてジャンヌの3人だけ。
まさかライザにまで危害が及ぶとは予測していなかったのだろう。
「ライザ……」
「はい?」
「夜、きみの家にお邪魔させてもらう」
(旦那さんにお詫びするんだ)
ミゼルはお邪魔と称したが、ライザの家族に謝罪しに行くつもりでいる。
さすがに、今のように地べたにひざまずきはしないだろうけれど。
「ミゼルさんが謝る必要はありません。謝罪しなければならないのは、アドニスじゃないですか」
「頼むよ……そうしないとぼくの気が済まないんだ」
「ミゼルさん……」
謝罪は要らない。ライザが拒否したにもかかわらず。
ミゼルが張りのない声でそう言った。
「あっ、今からふたりとも、アイリス先生に診てもらおう」
「あ、あの。ちょっと……」
「お風呂も入れてもらうよう頼まなきゃな……」
お詫びがしたい。診療所に連れていく。
ミゼルのそんな提案に、ライザが困惑の表情を浮かべている。
一方リディアは、ミゼルに3年前のエッジの姿を重ねて見ていた。
(あの時の、エッジといっしょ……!)
村長決めが発端で、アドニスは悪質な犯行を行った。住民同士の喧嘩とは違う。
ミゼルは、被害に遭ったリディアとライザに事後対応を取って。
村の長としての責務を果たそうとしている。
「ミゼルさん。そこまでは、いいで」
「——ライザ」
「リディア……」
「言うこと聞こう。おじちゃん村長さんだもん。断るともっと落ち込んじゃうよ」
リディアがライザを止めたのは、他でもない。
今のミゼルが、3年前のエッジなら。今のライザは、3年前のリディアと同じ立場。
その時、心理的に動揺していたのもあるが。
リディアも事後対応を拒み、エッジを困らせたから。
「……わかりました。おねがいします」
「ありがとう」
『僕が話をつけて参りましょうか?』
「そうだね……先生に頼んできてくれる?」
『はい。かしこまりました』
ミゼルが申し出を受け入れると、ツクヨミは挨拶と共に濡れた地面を蹴って。
診療所のある北へと、ぴゅいっと飛んでいってしまった。
リディアはそれを見送ってから。未だ地面にたたずむミゼルに視線を移した。
(おじちゃんが泣いちゃうなんて……)
いくら村の長だからとしても、自身を責めすぎではないか?
いくらミゼルがキレキレのキレ者だろうが、神でも何でもない。
完璧な予測なんか出来っこないのに。
「ほら、おじちゃん。立って」
いつまでもここにいても仕方がない。脳内で浮かぶ疑問を振り切ってから。
ミゼルの右手に強引に傘を持たせて、左腕を強く引っ張る。
「っ……すまない」
「やだもう……べちゃべちゃでどろどろじゃない……」
「風邪を引いて一番困るのは、ジャンヌさんなんですよ?」
ミゼルがやっとこさ立ち上がった。しかし、ずぶ濡れな上に服は泥まみれ。
リディアやライザよりも先に風邪を引いてしまいそう。
「わたしが言えた立場じゃないけど、自分責めちゃだめだよ」
「……リディアさん」
「これからどうするか考えるのが先でしょ?」
カルミネの事件直後。ミゼルからよく言われた言葉を、そっくりそのまま返してあげた。
するとミゼルが一瞬、きょとんとしたような表情を見せたが。すぐ苦笑を浮かべた。
「……きみの言う通りだ、ありがとう」
「うん」
「あの時の教訓が役に立ったね」
「へへっ」
ミゼルがリディアの額をこつんと軽く叩いてくれた。
彼も3年前のことをしっかり覚えてくれていたようだ。
「じゃあ、アイリス先生のお家に行こうか」
ミゼルの号令を皮切りに、リディアたちは歩き始めた。
ツクヨミはもう診療所に到着しているはず。今頃アイリスに話をつけてくれているだろう。
§
「あの、ミゼルさん……」
「何?」
「アドニスは、これからどうなるんですか」
ライザが道中、先を歩くミゼルにアドニスの処遇をたずねた。
ツクヨミが封じた石の中に入れっぱなしという訳にもいかないだろう。
するとミゼルが、リディアとライザを振り返ってから、すぐに前に向いてこう答えた。
「明日みんなの前で、罪状明かして自己弁明させる」
「どこで?」
「ここの広場。立会人として、3ヶ国の国王さまにお越しいただくことになってるしね」
「ええっ!?」
「ここでやるんですか!?」
「うん」
セシルとヤン。そして、ギルバートがミストにやってくる。しかも、明日……!
国王さまたちのミスト電撃来訪を聞かされて。
リディアとライザは、ミゼルの背中に向かって驚きの声を上げた。
「アドニスが、魔法を広めた犯人だったんですね」
「そうだよ。証人も証拠も揃ってるし、共犯もいる」
「ほ、他にもいるの!?」
「計画的犯行じゃないですか……」
「自己処罰じゃ軽すぎるからね。取りやめてよかったよ」
「どういうこと?」
「明日になればわかる」
前を向いたまま、落ち着いた声で話したミゼルに。
リディアは驚きのあまり、ライザとお互いに顔を見合わせた。
(ミストの大掃除って……もしかして、このこと!?)
ミストのお墓掃除第2弾か。
年末恒例、各家庭の大掃除のことだと思っていたのに。
最近ミゼルがよく口にしていた言葉は、これのことを指していたのかと。
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