フェイクラバーズ 作:かえで
——正午すぎ
現在エブラーナ城は、お昼休憩真っ只中。
ザンゲツも、使用人の詰め所で昼食をとっているところだ。
まかない担当と一部の使用人以外、全員食堂にいる。
そのため、ここにいるのはザンゲツひとりだけ。
(幸せだなぁ……!)
塩むすびの残りを口に全てほおりこみ、ゆっくり咀嚼する。
具は一切入っていない。けれど、適度な塩味がついている。
握ってくれた女性の顔を脳裏に浮かばせて、極上の至福に浸る。
「はぁ……」
すべて食べ終えて、からっぽになった竹かごのふたを閉じた途端。
またもや鬱々とした気分に戻り、机に突っ伏して息をついた。
至福の時間は、一種の現実逃避。それが終われば現実に戻らざるを得ない。
***
——8の月下旬
シビエンではこの日、前当主イヌイの末娘リンの成人の儀が執り行なわれた。
—— —— ——
この数日前、リンはダムシアンの大衆紙Gを利用して、お館様への愛の告白をやってのけた。
リン親子の強引なやり口に、呆れを通り越して怒りを露わにする民も少なくない。
おそらく、リンを王妃に望む民は……両親以外、誰もいない。
—— —— ——
成人の儀の翌日、8の月21日。
ザンゲツは出勤したすぐに、執務室に呼ばれた。
「『あいつら』が今日、昼からここに来る。——バレねえように相手してやれ」
……お館様から、影武者任務を命じられてしまった。
『あいつら』——リンと、リンの両親イヌイとメイ——の相手をするために。
これまでザンゲツは、お館様の影武者として城内待機を命じられていた。
しかし、この日で、ほぼ朝から晩まで書庫で読書三昧の日々に終止符が打たれた。
—— —— ——
エブラーナでは、18歳で成人とみなされる。
18の誕生日を迎えると、忍者を生業にするか。忍者と他の職を兼業するか。
それとも、修行を辞めて忍者ではない別の職につくか。
今後の将来を決める権利が与えられると同時に、婚姻も許される。
大衆紙Gの記事での予告通り、お館様への逆求婚をするために。
リンは早速、お館様との面会予約を取りつけたと思われる。
—— —— ——
それからも、1日おきにリンは両親を連れて、いそいそとお城にやってきた。
『返事は絶対するな。正体がバレたり、誘惑されたりしたら、てめえ、ぶっ殺してやるからな』
リンたちが来る前、必ずお館様からこう言われ(脅され)て。
ザンゲツは『エッジ』として、リン親子の相手をさせられた。
***
「——おい」
「っ!?」
ふいに誰かから声をかけられて、身体をびくりと震わせた。
まかないを食べ終わって、誰かが戻ってきたのか?
「……あぁ、じい様ですか」
「未だ手付かずか。怒られても知らぬぞ?」
頭を上げれば、見慣れた人物——じいが呆れ顔で正面に立っていた。
食堂を後にして、ここに立ち寄ってみれば。
ザンゲツが食事も取れないほど、憔悴しているように見えたのだろう。
「いや、もう食べ終えましたぞ」
竹かごのふたを開けると、じいへ空っぽの箱を見せてあげた。
「毎日毎日、準備させて……たまには楽をさせてやろうと思わぬのか?」
「毎日毎日、喜んで握ってくれておりますが」
「っ……」
ふたを閉めながら、当たり前のことを口にすれば。
じいが息を詰まらせて、何とも言えない表情に変わった。
ザンゲツは結婚後、まかないをいただくために、食堂へ足を運んだことがほとんどない。
なぜなら、城内で仕事をする日は、必ず愛妻の握るおむすびを持参しているから。
—— —— ——
かれこれ、20年以上前になるだろうか。
『せっ、拙者のために、死ぬまで塩むすびを作ってくだされ……!』
『わかりました。毎日握ってさしあげますよ』
ザンゲツは、当時お付き合いしていた女性に土下座求婚した。
その結果、即座に受け入れてもらい、半年後に婚姻を結んだ。
—— —— ——
ザンゲツ夫婦の馴れ初めを、じいはよく知っているはずなのに。
まだ呆れているようだ。
「これは、20年以上続く夫婦の習慣ですぞ? 妻のやる気を削」
「——もうよい」
「……」
「もうよいっ。そなたののろけ話は聞き飽きたわい」
じいが大げさに手を振りながら、ザンゲツを遮ってきた。
(のろけだろうが、何だろうが、事実には変わりないのに……)
奥方に構ってもらえぬから妬いているのだろう。
じいから呆れられる度に、ザンゲツはそう都合よく解釈していた。
「みなも騒いどるが……昨日のあれでは、そなたも落ち込むわなあ」
「はい……」
じいが、この詰め所に来た理由にすぐ気付いた。
あれ——シビエン親子ご来城に関してだ。
「命令とは言え、不本意なことを言わされたらたまらんよのう」
じいも昨日のあれの様子を、こっそりのぞいていたようだ。
ただ、月の末日。じいが受け持つ事務方はとても忙しい。
一夜明けてから、ようやくザンゲツに声をかけてきたと思われる。
「う、っ……」
「どうした?」
「おっ、お館様はぁ……なにゆえ、あんな娘とぉぉぉ……っ!」
ザンゲツは声を詰まらせながら、不平をもらしてから。
再び机に突っ伏して、むせび泣きを始めた。
***
——昨日
朝早くから、シビエン親子がまたエブラーナ城にやってきた。
2日ぶり、5回目のご来城である。しかし、この日はいつもと違った。
『来年の9の月、式挙げるってあいつらに返事しといてくれ』
いつものように、お館様から自身の影武者。
そして、リンの求婚を受け入れる返事をしろと命じられた。
初面会の日直前。ザンゲツは、お館様から『10日後に返事すると答えとけ』と命じられていた。
しかも、Gの記事について、お館様はだんまりを決め込んだまま。
—— —— ——
まさか、あの娘を王妃に娶るおつもりなのか??
いやいや、まだリディア様のことをお好きでしょう??
まだどころか、死ぬまで思いを寄せ続けるでしょうに……。
—— —— ——
などと、ザンゲツがじりじりしていた矢先に、求婚を受け入れる返事をしろ。
そんな無茶な命令を下された。
運の悪いことに、ザンゲツは今や御伽衆。お館様の命令に絶対逆らえない。
あたふたしていると、謁見の間にシビエンの親子が現れた。
『10日も熟考されておられたのですから、これは良い返事だと思ってよろしいですなあ?』
(昔はこんな人ではなかったのに……)
影武者のザンゲツへ、リンの父イヌイがにやにや顔でたずねてきた。
イヌイは元お城勤。ザンゲツの職場の元先輩でもある。
—— —— ——
いやだ、返事したくない!
お館様の得にもならないことを、なぜ拙者が肩担ぎせねばなるまい!
御伽衆がなんだ! 基本給が少し上がっただけではないか!
拙者だけは、お館様から相変わらず怒られておるぞ!?
ここで偽物とバラして、時間延ばししてやろうか?
—— —— ——
……頭の中でそんな文句を垂れながら黙秘を貫き、ささやかな抵抗を続けていると。
天井裏から、ただならぬ気配を感じた。
こちらの様子を見ているのは、お城勤ではなく……お館様。
ここで余計なことをすれば、恐ろしい制裁が待ち受けている。
簡単にそう予測がついてしまうぐらい、殺気が込められていた。
『ら、来年の9の月に……式を……挙げる』
「ほんとですかぁ!」
「よかったなぁ、リン……!」
「1年後には、エブラーナの王妃よ」
ザンゲツは、無言の圧力に屈するしかなく。
シビエン親子が大喜びで帰っていくのを、悔し顔で見送ったのであった。
***
そして、一夜明けた本日。
エブラーナの地元紙Xに、婚約の記事が載っていた。
他の使用人から聞いた話では、リンが連絡していたのだろう。
ダムシアンの大衆紙G。それも一面に、ご成婚の記事が載っていたという。
「拙者、あれから……お館様に叱られてしまいました……」
昨日、シビエンの親子がエブラーナ城を後にしてから。
お館様に『返事もすぐ出来ねえのか!』と怒鳴られてしまった。
悲しいかな。ザンゲツは不運な星の下に生まれてきたらしい。
「仕方がなかろう。若様が八つ当たり出来る相手はそなただけだからのう」
「そんな……!?」
「何を嘆くことがあるのだ。若様が、そなたにだけは完全に心を閉ざしておらぬ証拠ではないか」
「……じい様はずるいであります!」
「何がだ」
「若様は、じい様には決して手をお出しにならないからです!」
じいから慰めの言葉をかけられても、ちっとも心が動かない。
—— —— ——
ザンゲツとじい。ふたりだけでも、お館様からの扱われ方に差が生じている。
じいは、お館様にとって都合の悪いことを申さない限り、怒られない。
暴力なんてとんでもない。
対してザンゲツは、こちらに落ち度がないにもかかわらず。
怒鳴られたり、にらまれたり、蹴られたり……もう散々である。
—— —— ——
結果的にザンゲツは、お館様から世界一ひどい扱いを受けていることになる。
「若様はわしに手を出したくても出せんよ」
「なにゆえに?」
「打ち所が悪くて、わしがあの世に行ったらどうなる」
「あ……!」
じいはエブラーナ内政の要。
お館様がやらねばならない仕事もいくつか肩代わりしている。
じいに手を出したら大怪我か死亡して、突然城からいなくなれば。
お館様の休みはなくなってしまう。
「若様はきちんとお考えになられた上で、そなたに八つ当たりしとるのだ。もう諦めよ」
「ひ、他人事だと思って!! これからもあの親子はここにやってくるのですぞ?? 拙者……1年後の挙式まで戦々恐々としながら暮らさねばなりませぬ……」
「さすがに今日は来ぬ。書庫に引きこもったまま、若様とも会わすに家に帰れるぞ」
「あぁ、そういえば、朝からミストでしたな……」
お館様は、本日朝早くからエブラーナ城に不在。
なぜなら、本日ミストで他国の国王が立会いの下、裁判が行われているから。
—— —— ——
エドワードくんには、ミストのいざこざを解決するお手伝いをしてもらっています。
もちろん、『ツクヨミ』さんに姿を変えた状態でですよ?
9の月1日に、ミストで裁判が行われます。
その際、エドワードくんに手伝っていただくことがあります。
朝早くから脱走しているかもしれませんが、なにとぞご了承下さい。
追伸 あの人のことですから、裁判を最後まで見物してミストを去ると思います。
エブラーナ城に帰るのは、早くてもお昼過ぎではないでしょうか。
—— —— ——
この情報は、ツキノワから届く報告書ではなく。
某人物——ミストの村長ミゼルからの手紙に書いてあったものだ。
—— —— ——
先月ザンゲツとじいはミゼルとの接触を、お館様から禁じられた。
禁術まで施されて、物理的にも近付けないようにされている。
しかし、じいの機転のおかげで、現在月に2、3回程度情報を交換している。
こちらがエブラーナの情報と、お館様の動向を教える代わりに。
あちらからは、ミストの情報と覆面忍者——お館様の動向を教えてもらっている。
互いの情報は、お館様が思いを寄せている女性が絡む、非常に重要なものが多い。
ザンゲツたちは、5日おきに城に届くツキノワからの報告書と併せて。
ミストの情勢をより詳しく知ることが出来るようになっていた。
—— —— ——
「今日はよいが……明日になれば、若様に直談判する者も出てくるかもしれんなあ」
「当たり前ですよ。あんな娘に王妃が務まる訳がありませぬ」
「ここに限った話ではない。国内で相当不満を持たれとるよ」
あの方——リディア——のことは、ミゼルに任せておけばよい。
問題はお館様だ。
現在進行形で、覆面忍者としてリディア様に接近しているのに。
なぜに、シビエンの娘と婚約を決めたのか??
(もしリディア様が、お館様を愛慕しておられたら……)
今日は故郷の騒ぎで頭がいっぱいだろう。しかし、後々悲しむに違いない。
その可能性も考えられないほど、お館様は愚かではないと思うのだが。
「いっそのこと、ここの者でストライキでも起こしますか?」
「いやいや。当分黙って見ておればよい」
「そんな悠長なこと言ってる場合ですか!? これ以上、拙者をがっかりさせないでくだされ」
「わしは、そなたをがっかりさせる気はないぞ」
「何を。じい様が……お館様の言いなりになるとは思いませんでした」
ザンゲツが頭を上げて不満をもらしたが、じいは平然としている。
じいも以前から、リンとの婚約には猛反対であった。
昨日シビエン親子が帰城した後。それはそれはもう猛抗議する。
そう思っていたのに、じいはお館様に何もご注進しなかった。
肩透かしを食らったような。ちょっぴり裏切られたような気分だ。
「安心せい。昨日やっと確信を得た」
「は?」
「若様はリンたちを泳がせとる。『敵をあざむくにはまず味方』を実践されておるのだ」
「……王妃に娶るつもりはないと?」
「ある訳なかろうが。あやつら、昨日も謁見の間に通されておったではないか」
「そういえば……」
お館様の面会客は、執務室か謁見の間どちらかに通される。
前者は仕事の打ち合わせに来た者や、お館様と親しい人物。
後者は大した用件でもなく、お館様に媚びへつらう。どうでもいい客。
リンたちも、毎回その謁見の間に通されていた。
「あやつらは、この国が禅譲制に移すことも若様の事情も何も知らぬしのう」
「知ったら、逆に喜びそうです」
「だろうな。婚約が決まっただけで浮き足立って……愚かな奴らよ」
「イザヨイの任務と何か関係があるのでしょうか」
「婚約破棄にもってこいの証拠を、1年以内に探せとでも命じたのだろうな。でないと、タツミと協力せ」
「——じいやさーん」
若い男の声が聞こえて、じいが言葉を止めた。
門番のひとりが段ボール箱を抱えて、詰め所に入ってきた。
「探しましたよー」
「何用か」
「あっ、ザンゲツさんもいるじゃないですか。ちょうどよかったー」
門番がそう言いながら、机の上に段ボール箱を置いた。
箱の側面中央には、白抜きの大きな星印がついている。
「タツミさんから、『紫微星』が届きましたよ」
—— —— ——
タツミはシビエンの現当主。イヌイと亡き前妻の息子で、リンの腹違いの兄になる。
父親を後妻(元愛妾)に骨抜きにされた。妹がお館様にご迷惑をかけている。
タツミはそういった理由から、メイもリンも快く思っていない。
—— —— ——
「やはりか……」
「昨日報せを聞いて、慌てたでしょうな」
星祭り直後。そして、Gの記事が出た翌日。
タツミはこれまで2回に渡り、お館様あてに一族手造りの銘酒を送ってきた。
昨日、婚約が決まり、リンたちが大喜びで帰ってきたのだろう。
家族が無礼を働いた詫びとして、本日またまたお館様へ酒を送ってきたと思われる。
「あやつは、自分たちの夫婦仲を心配した方がよいと思うが……」
「タツミはどうにもなりませんよ。ソイ次第でしょう」
ザンゲツとじいは、互いに顔を見合わせて苦笑した。
(新婚早々、ソイに逃げられたら笑い者もいいとこよ)
タツミも妻のソイも、昨年までこの城で働いていた。
特にタツミは、元お城勤。じいもザンゲツも、彼の人となりをよく知っている。
ありていに言えば、彼はイザヨイに負けず劣らずの、お館様だいすき人間だ。
「今日はお館様あてではありませんよ」
「……どういうことだ?」
「じい様とザンゲツさんへ3本ずつです」
「何ぃ!?」
「せ、拙者たちに!?」
「よかったですねー。今、紫微星は店頭で売り切れ続出です」
「つっ、作りたて……ほやほやぁ……!?」
シビエンの最新作かつ、大人気の焼酎——紫微星を入手出来た。
お酒が大好きなじいが、満面の笑みを浮かべている。
(3本もらうようなことは何もしておらんぞ?)
ザンゲツも嬉しいのは嬉しいのだが……どうにも躊躇してしまう。
—— —— ——
今年の星祭り。ザンゲツは約10年ぶりに、シビエン家でお館様の影武者を演じた。
演技の途中で意識を失い、すぐ我に返ったら。
お館様がシビエン家からいなくなっていた。ザンゲツを置き去りにして。
(城まで駆け足で帰るしかないのか……)
困っていたザンゲツに助け舟を出してくれたのは、タツミとソイであった。
『これから新婚旅行へ旅立ちますから、送っていきますよ』
『……それはありがたいが、寄り道にも程があるではないか』
『今夜は城下町の宿に一泊します。ついでと思っていただければ』
『城下町ぃ!?』
『シビエンから出るのは久しぶりだし、出来るだけお館様の近くで一夜を明かしたいって、タツミが言って聞かないんですよ』
新婚夫婦は、ザンゲツを城下町の自宅まで送ってくれた。
ところが、別れ際。職場の元後輩がさめざめ泣き始めた。
『お館様から本日……10年前、ザンゲツさんが影武者として姉たちのお相手をしていたと教えていただきました。家族全員が……ご迷惑をお掛けして本当に申し訳ございません……』
タツミは謝罪の言葉と同時に、紫微宮を1本ザンゲツに渡してくれた。
—— —— ——
前回のように、1本で十分ではないか。
ザンゲツには、3本送ってきたタツミの意図がよくわからない。
「あとですねー。じいやさんにお渡しするよう、こちらをお預かりしております」
「……わざわざすまぬな」
「いいえ。では、失礼しましたー」
門番がじいに白い長封筒を手渡すと、詰め所から出て行った。
「……」
門番の姿が消えるなり、じいが封筒を開けて中身を確認している。
小綺麗な封筒とは対照的に、じいが手にしている便せんは、やけにしわくちゃである。
「どうなされました?」
「——イザヨイからだ。入会したいと」
「なんと、早いですなあ……!」
先の月の半ば、じいとザンゲツは新しい会を設立した。
現在お館様(覆面忍者)に悟られぬよう、使用人にこっそり勧誘を行っているところである。
封の中身はイザヨイが記入した、その会への入会申込書。
(あの女中が申込書を渡してくれたのだな)
ザンゲツはイザヨイと唯一親しい女中ハツイに、イザヨイの入会勧誘をお願いしていた。
無事にふたりは接触し、勧誘も成功したらしい。
「あとは、遠方任務の者と国外の諜報だけだな」
「任務を終えて、ここに戻ってきてから勧誘すればよいでしょう」
「しかし、こうも順調とは……ミゼル殿さまさまよのう」
「拙者たちがいかに主観的に物事を認識していたか、あの方は第三者の視点をもって気付かせてくれましたなあ」
じいが感慨深げにそう話した気持ちは、よーくわかる。
—— —— ——
ミゼルの助言に従い、じいとザンゲツは新しい会を立ち上げた。
使用人を勧誘した結果。ほぼ全員が入会に快く応じてくれた。
ちなみに、前身の『お館様被害者の会』は年寄りふたりの酒席として今も継続中。
ミゼルも、名誉会員として前身と新会どちらも入会してくれた。
『ぼくは知性も運動神経もゼロで、へなちょこなんですよ』
彼は初対面時に、笑いながらそう謙遜していたが。
あのお館様と、ほぼ対等に渡り合えるぐらいだ。
じいに匹敵するほど賢く、世の中を渡っていける術も十分心得ていると思う。
—— —— ——
分断目的でザンゲツたちに禁術を使ったぐらいだ。
お館様が、ミゼルを脅威に感じる気持ちはまあわからないでもない。
……などと、ザンゲツがミゼルという存在のありがたみにふけっていたら。
じいが書面を読み上げ始めた。
「……なになに? 『タツミとソイも入会を希望しております。入会申込書を2枚、こちらに送っていただけると……』」
「誠ですか!?」
「ほれ、見てみよ」
じいが、ザンゲツに入会申込書を見せてくれた。
その下部には、イザヨイ直筆と思われる追伸が綴られている。
どうやら、イザヨイがこの用紙をタツミたちにも見せたらしい。
「ふたりは、入会したくてこの酒を贈ってきたのでしょう」
「イザヨイはさておき。タツミとソイはもうここの者ではないぞ?」
新しい会の入会条件には、ここの使用人であることが含まれている。
ただ、タツミとソイは昨年で城を去った『元使用人』。入会条件に当てはまらない。
じいはそう言いたいようだ。
「断るとタツミが泣き喚きますぞ? 婚約に納得行っておらぬでしょうし……」
「仕方がないのう。特別に入れてやるか」
「何をまた。初めからそうするおつもりだったのでしょう?」
「ははっ、そうとも言うな」
じいが、特例としてタツミとソイの入会を認めてあげた。
苦笑しながら、入会申込書を折りたたんでいる。
「おそらく、イザヨイとタツミもわしと同じことを考えとるのう」
「お館様がシビエンを泳がせておると……?」
「さよう。若様自ら囮になるのは、あのふたりには耐えられんよ」
—— —— ——
イザヨイとタツミのふたりは、お館様への忠誠心がとても高い。
『私は(僕は)お館様の盾となり、犠牲になるために生まれてきました』
ふたりとも真顔で答えるだろう。そう簡単に予想出来るぐらいには。
—— —— ——
(拙者たちですら、不思議に思うぐらいだからなあ……)
なぜ、お館様自ら危険に飛び込み、囮や盾になろうとするのか。
なぜ、もっと周囲を頼ろうとしないのか。あのふたりには、皆目理解が出来ないだろう。
入会意志には、お館様へのわずかばかりの抗議も込められていると思われる。
「……」
「何か匂うのですか?」
突然じいが、入会申込書の下に重なっていた真っ白な用紙に顔を当てた。
それだけではない。なぜか鼻をすんすんし始めた。
「……これをあぶってくれ」
じいが、用紙を顔から離すと、それをザンゲツの眼前に突きつけてきた。
「はいぃ??」
ザンゲツはすっとんきょうな声を上げた。
室内で火遁を使え……また恐ろしいことを命じてくるものだ。
威力が大きすぎて、城が火事になってしまう。
「何をとんちんかんなことを。火遁をここで使ったら火事」
「——アレンジしたものがあろうが!」
「っ!?」
(じい様もまた無茶を言う……)
じいに怒鳴られて、ザンゲツは心の中でそうぼやいてしまう。
じいはゼロで遁術は一切使えない。頼りたくなる気持ちもわからない訳でもないのだが。
「ほれ、早よう点けんかいっ」
「わ、わかりました……」
火遁の応用で、中小程度の炎が出せる忍術も存在している。
ザンゲツもその印は知っている。ただ、ろくに使ったことがないのですぐに思い出せない。
「燃やすでないぞっ」
じいに急かされながら、必死で記憶をたどる。
両手でたどたどしく印を組み、指から火遁の応用——小さな炎を出して。
じいに突きつけられた用紙をあぶりはじめた。
「『あぶりだし』ですか……」
タツミがこっそり何かを伝えるために、あぶりだしの紙を1枚混ぜていたらしい。
—— —— ——
みかんなど柑橘類の果汁や、ミョウバン水……。
特定の液体で用紙に文字や絵を書いても、用紙が乾けば何も見えなくなってしまう。
しかし、それをあぶれば、化学反応によって描いた絵や文字が紙に浮き出てくる。
そんな仕組みを『あぶりだし』と呼んでいる。
—— —— ——
あぶりだしは酒宴の遊びや、お祭りのおみくじに利用されている。
「新品にしては、よれよれだったからな」
「それだけでよく気付きましたな。何も匂わなかったですぞ?」
「ミョウバン水で書いたのだろう……おお、見えてきたぞ」
無地の用紙に、少しずつ何かが浮かび上がってきた。
「こ、これは……!」
「何かわかったか」
「……あの女の出自でしょうか?」
浮かび上がってきたのは、漢字たった2文字だけ。
この国では、凶星と呼ばれる惑星の異名である。
ザンゲツはすぐ意味に気付き、歴史好きの血がうずうずする。
「おぉ、そうだ! それよそれ!」
「じい様はまだお忙しいでしょう。よかったら拙者が調べましょうか」
シビエンの情勢が落ち着くまで、どうせ城内待機が続く。
書庫に引きこもっているのだから、ちょうどよい。
調べものの結果次第では、お館様が嘘婚約をした理由が何かわかるかもしれない。
「そなたの得意分野だからちょうどよいな。午後から頼んだぞ」
「読書は当分お預けですなぁ……」
「よく言うわい。嬉しそうな顔してからに」
「影武者より、やりがいのある仕事なのは間違いないですな」
「さよう。若様の命令に従うだけが仕事ではないぞ」
じいに肩を叩かれて、笑いながらじいに同意した。
例え偽装だろうが、お館様に得にもならない仕事よりも。
お館様が幸せになるための仕事がいいに決まっている。
「さて、紫微星をいただいて帰るとするか」
「箱ごとお持ち帰りくだされ」
「そうさせてもらおう」
(……今日の晩酌にする満々だなあ)
一升びんをバラで持ち帰るのも大変だろう。
箱でのお持ち帰りを勧められ、じいがいそいそと段ボール箱から。
ザンゲツ分の紫微星3本を机の上に置き終わった直後。
「……おい、ザンゲツよ」
「何でしょう」
「首がえらく赤く腫れとるぞ」
「え?」
「あぁ、そっちではない。逆五芒星の反対側だ」
ザンゲツは右手を首筋にやり、じいから言われた箇所をさする。
すると、ぼこりと盛り上がった部分を見つけた。
親指ほどの大きさに感じるが、触っても全く痛くない。
「……気付きませんでした」
「虫にでも刺されたのか」
「かもしれませぬな」
「医療部で薬をもらっておくがよい」
「ええ、そういたします」
(いつのまに……?)
かゆみや痛みがなかったので、気付かなかった。
今朝自宅を出る前に、愛妻からも何も言われなかったし。
突然腫れ始めたのだろうか?
—— —— ——
たかが、虫さされ。
そう思っていたはずが、よもや大事になろうとは。
この時のザンゲツやじいは、思いもよる訳もなく……。
—— —— ——
.