※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

78 / 160
エッジ視点
しばらくエッジ視点多し


一難去ってまた一難

 

 

——9の月3日 正午まえ

 

 

 太陽が真南にさしかかろうとする頃。エッジはバロン城の門の外でたたずんでいた。

 朝から『隠れみの術』を使っている。ここにエッジがいると誰も気付かない。

 

 5分ほど待っただろうか。

 城門が開いて城の中から、わらわら大勢の人が出てきた。

 ……彼らはみな、ミストの住民である。

 

 親しい者も、顔だけ知っている者もいる。

 門番から「おつかれさまでした」と声をかけられて、手を振って応じる者もいる。

 そんな中、ミゼルが城門から最後に出てきた。

 

「みなさぁーん! ちょっとこちらに集まってくださぁーい!」

 

 ミゼルの一声で、住民がみな彼の元に集まる。

 

(楽しそうにしやがって……大仕事終わったから余計か)

 ミゼルはツアー添乗員。リディアやライザを含めた住民はツアー客。

 バロン城探索ツアーさながらの光景に、思わず吹き出しそうになった。

 

「豪勢な場所かつ国王さまの面前……とても厳かな場に長時間お付き合いいただき、ありがとうございました」

「あれのどこが厳かなんだよっ」

「一昨日と変わんなかったじゃねえか。ちいとも反省してねえ」

「おじちゃんが一番疲れてるでしょ……」

「はははっ! 確かにみなさんのおっしゃる通りですねっ」

 

 リディアや他の住民から、すかさず突っ込みを入れられた。

 それでも、ミゼルはあけすけもなく大笑い。

 

 エッジも姿を隠して、その場を見届けていたけれど。

 リディアたちに同感。一昨日の延長戦にしか見えなかった。

 

 —— —— ——

 ミストの悪人どもは集会終了後、バロン城へ連行。牢に拘留されていた。

 そして、つい先ほど。バロン城の謁見の間にて処罰が言い渡された。

 

 リディアをはじめとした住民数十名は、それを見届けるために。

 ミゼルの引率で、朝からバロン城を訪れていた。

 

 処罰言い渡しの場には、セシルとローザが立ち会っていた。

 しかし、悪人どもは自分たちの罪を棚上げ。

 この処罰は無効と訴えたり。今のミストやミゼルに文句を言ったりして。

 集会と同じように悪びれもせず、ふんぞり返っていた。

 

 特にアドニスは終始うるさく、セシルから途中退出を命じられていた。

 あの温和で寛大な男を、うんざりさせる者はそうそういない。

 —— —— ——

 

 何はともあれ、エブラーナとバロンの協力の下で。

 3ヶ国の国王を巻き込んだ、ミストの大掃除は終わった。

 もっとも、住民はエブラーナが協力していることは知らない。知る必要もない。

 

「記者もいたみたいだぞ」

「あのですねー、あの人たちの名前と似顔絵しか載りませんよ」

「なんだ、つまんね」

「載らない方がいいだろ」

「記事にしてもらうなら、悪いことじゃなくていいことをしましょーよ」

 

 不満そうな顔した目立ちたがり屋の中年男性を、ミゼルや他の住民が笑った。

 

 申し渡しの場に漂っていた不穏な空気が、今はきれいさっぱり雲散している。

 ミゼルが、それを確かめるかのように住民の様子をうかがってから、こう告げた。

 

「本日は、これで解散します。後はバロンで遊ぶなりミストに帰るなり、自由にお過ごしくださーい」

 

 ツアーの自由行動とばかりに、大半の者が東の城下町に向かう。

 ミストに帰るのだろう。西の発着場へ向かう者も少々いる。

 そして、エッジお目当てのリディアは……。

 

「お昼ごはん何食べる?」

「まだ暑いし、さっぱりしたものがいいなあ」

「ベスたちにおみやげ買って帰りたいし……終わったら、市場とお店に寄って帰りましょうか」

「うん! 行こう」

 

(明後日、ここ来るのに……元気だな)

 リディアがライザと共に東方面へと向かった。

 昼食をとってから、お店巡りをして帰るらしい。

 

 東や西に散らばる住民たちを見届けると、ミゼルがまた城内に入っていった。

 セシルに改めて挨拶してからミストに帰るのだろう。

 長らく抱えていたバロンへの怨恨も、この一件で大分和らいだに違いない。

 

 エッジもジャンプして城壁を飛び越えると、バロン城内に戻った。

 

(アスラに報告しに行くか)

 エブラーナに帰る前に、寄り道したいところもある。

 さっさと最後の一仕事を終わらせなければ……。

 

§

 

 エッジが向かった先は、バロン城の地下にある牢屋である。

 過去に足を運んでおり、既に牢の内装や兵の人員配置は頭の中に入っている。

 

 悪人どもは、一昨日から全員ここで過ごしていた。

 しかし、今はアドニスだけ放り込まれているはず。

 

「——ばかやろう! ここから出せよっ!!」

「うるせえぞぉ! 新入り!」

「諦めろやぁ!!」

「なんで俺だけなんだよっ! 親父やあいつらも牢屋行きにしろって!」

 

(身内にも恨みごとかよ……終わってんな)

 牢に続く大きな扉の前には、監視兵がふたり立っている。

 その向こう側から、アドニスの叫び声と複数人の男性——囚人の罵声が聞こえてきた。

 

『悪りぃな。ちょっと休んでてくれ』

 

 エッジはあるアイテムをふたつ懐から取り出して、ぽいぽいっと監視兵へ投げつける。

 

「っ……!」

「うっ!」

 

 監視兵がどさどさっと音を立てながら、床に倒れた。

 

 アイテム——クアールのひげは相手を戦闘不能、いわゆる気絶させる効果がある。

 誰かを気絶させるなら、アイテムを使うか。急所を狙うか……。

 無駄に体力を使いたくないので、城からクアールのひげを持参していた。

 

『借りるぜ』

 

 倒れた監視兵に近付き、それぞれの懐を探る。

 ふたりめの兵の懐から、金属製の大きな輪っかを引っ張り出した。

 輪っかには、10数本の鍵がじゃらじゃらぶら下がっている。

 

(確か……こん中で、ひと際でけえのが……)

 記憶を辿り、牢に続く鍵を探し当てる。手早く鍵を開けて中に入った。

 左右に格子牢がずらりと並んでいる、長い一本道の通路を進む。

 そして、一番奥——アドニスがいる房で立ち止まった。

 

 アドニスには、エッジの姿は見えていない。

 両手で鉄格子をつかみながら、出せ出せと声を上げている。

 何ともまあ無様な姿。ミストの住民が見たら、みな呆れるに違いない。

 

『……「影縛りの術」』

「っ!?」

 

 麻痺状態にされたから、全身の力が抜けたのだろう。

 アドニスが、鉄格子に寄りかかるようにうずくまった。

 

 この状態なら目的の箇所に余裕で手が届く。中に入る手間が省けた。

 

(撒菱に封印されたまま、海に投げ捨てられるよかマシと思え!)

 アドニスに面と向かって言いたいことは、たくさんある。しかし、時間が惜しい。

 懐から取り出した白い包み紙を開くと、数本の翠色の毛髪。

 ……集会の日に、リディアからこっそり拝借したものだ。

 

『【……』

 

 呪文を口にしながら、右手の人差し指と中指を立てる刀印を結ぶ。

 続けて、宙に向かって横へ縦へ……交互に何度も線を引いていく。

 

『……禁・人よけ】』

 

 最後に術名を口にして、立てた右指をアドニスの頭頂部に当てた。

 その部分が赤黒く光り、翠色の毛髪がふわりと浮かぶ。

 赤黒い光を通ってて、アドニスの頭の中へ次々と吸い込まれていく。

 

「うがああぁぁっ!!」

 

 アドニスが、悶絶さながらの悲鳴を上げ続ける。

 

 —— —— ——

 アドニスに使ったのは、『禁・人よけ』と呼ばれる忍術である。

 100年ほど前に、初代国王が考案した。

 これまで、呪いの忍術——禁術として使用を固く禁じられていたが。

 エッジがこの夏、じいとザンゲツに使って術をこっそり解禁した。

 —— —— —— 

 

 毛髪が吸い込まれる間、激痛が走る。禁術書にはそう書いてあった。

 毛髪が全てアドニスの中に吸収されると、頭頂部の光はぱっと消えた。

 

「はぁっ、はぁ……っ、痛った……」

 

 頭の痛みが治まり、アドニスが息を荒げている。

 ここまで何をされたのか、本人は何もわかっていないはず。

 

『二度とリディアに近付くな。——糞野郎』

 

 憎々しげにアドニスへ捨て台詞を残して、出口へ向かった。

 

 アドニスの頭頂部には、黒い逆五芒星——術をかけた証が刻まれているはず。

 そこなら髪で隠れて星印も目立たない。

 麻痺状態も、10分ほどで自然解除されるだろう。

 

 —— —— ——

 『禁・人よけ』は術名の通り、特定の人物と直に接触出来なくする禁術である。

 

 特定人物の毛髪、もしくは血液200mlを被術者の身体に取り込む。

 それにより、被術者に特定の人物の生体情報を記憶させる。

 以後、被術者がその人物の半径10メートル以内に近付こうものなら即、戦闘不能になる。

 特定の人物が、変装や『変化の術』で姿を変えていようが。

 壁で仕切られた場所や海の中にいようが、お構いなく術が発動される。

 

 そんな『禁・人よけ』を解除する方法は、2種類ある。

 術の使用者が術を解除するか。特定の人物が自ら被術者についた黒い逆五芒星に触れるか。

 

 今回を例に挙げれば、リディアがアドニスの頭に触れたら、『禁・人よけ』は解除される。

 しかし、そんな未来はほぼやってこない。

 なぜなら、リディアもアドニスも『禁・人よけ』はおろか、禁術の存在を知らないから。

 —— —— ——

 

「なんだこの声!?」

 

 先ほどまでと、アドニスの叫び声が違っていたからだろう。

 他の囚人が異変に気付いたらしい。

 

「おーい! 誰か来てくれ!!」

「奥で新入りが騒いでんぞぉー!!」

「牢屋行きがショックで死んだんだろ」

「はははっ! ざまあねえや!」

 

 牢の外にいる監視兵を呼ぶ者もいる。しかし、兵はふたりとも絶賛気絶中。

 

(もうちょい待ってくれよな)

 エッジは外に出ると、床に倒れている監視兵ふたりへ。

 蘇生アイテム——フェニックスの尾を投げつけてその場を離れた。

 いずれ、意識を取り戻すだろう。

 

『……これ、ストーカー対策にもってこいじゃね?』

 

 これでアドニスともおさらば。もう会うことはないだろう。

 エッジはそう思いながら、城の出口へと向かう途中。危険な術の利用法をふと思いついた。

 

 —— —— ——

 ストーカー、いわゆる偏執狂は特定の相手に異常に固執する。

 相手が嫌がっても、つきまとったり嫌がらせをしたりする。

 場合によっては、相手を殺してしまうこともある。

 

 昔から偏執狂はいたはず。しかし、世界的に問題視されるようになったのは、ここ数年の話だ。

 『禁・人よけ』を作った初代国王は、時代を先取りしすぎていたようだ。

 

 リンと婚約解消後。エッジはこの術をリンやメイに使う予定でいるし。

 『禁・人よけ』を、世界各地に潜むストーカーに使えば。

 相手——被害者も安心するに違いない……。

 —— —— ——

 

(やめとこ)

 エッジは大きく首を横に振って、考えを打ち消した。

 時代のニーズに合致したけれど、しょせん禁術。世界中に広めるのは危険すぎる。

 

 『禁・人よけ』の存在と、エッジがそれを使った事実を。

 今までも、そしてこれからも。自身の胸の内だけに留めておかねば。

 

(つーか、アドニスよりオレの方が、よっぽどストーカーだよな……)

 よくよく考えれば、真っ先に禁術をかけるべき者は。

 あの男と同じように、リディアの隣の位置を独占せんとばかりに。

 出来うる限りの手段を用いている、自分自身だ。

 

『どうせ、自分に『人よけ』かけたところで、自分で解除するんだって……』

 

 エッジは独り言をこぼすと、自身を鼻で笑った。

 

 リディアにもう会わない。そんな決意を固めて自制しても。

 ほんの一筋の希望があるとわかった途端。決意を覆してしまうから、無駄……。

 

 

——それから2日後 9の月5日 午前11時すぎ

 

 

 書類の決裁に新聞の閲覧、信書の検閲……。

 文字との格闘は、日々のルーチンワークと化している。

 本日もエッジは朝から執務室で、文字とのにらめっこ作業を行っている。

 

 今夜はバロンの劇場で、ギルバートの演奏会が行われる予定。

 昼過ぎからバロンに向かえば、帰りは当然遅くなる。

 

(午前中に全部片付けねえと……!)

 そんな思いで、一心不乱に作業を続けていたら、扉を叩く音。

 せっかくの集中力が途切れてしまった。

 

「若様」

「……どうした」

 

(なんだよ、邪魔すんなよ!)

 執務室に現れたじいから、怪訝そうな顔で声をかけられて。

 ぎろりとにらみ返してやった。

 

「婚約者様ご一同がお見えになりましたが」

 

 婚約者と聞いた途端。リンたち親子に呆れて眉を寄せる。

 

 8の月の末日。エッジは解消前提でリンと婚約した。

 挙げない挙式は、1年後。来年9の月1日にしておいた。

 あれから、まだ1週間も経っていないのに、もう城に顔を出しにきたらしい。

 

 しかもだ。これまでシビエン親子は、訪問日を事前に連絡してきたのに。

 婚約が決まった途端、アポなし……。厚かましいにも程がある。

 

「オレじゃなくてザンゲツに言え。シビエンの相手は、あいつに一任してる」

 

 エッジはシビエン家の相手をしたくない。

 だから、ザンゲツを手元に残していることぐらい。

 この数ヶ月を見ていれば、じいもわかっているだろうに。

 

「ご安心下され。シビエン家の客人が現れても、体調不良で面会出来ぬゆえに、追い返すよう門番に手配してあります」

「……それを早く言えよ」

 

 シビエンどもに会わなくて済む。

 エッジはそう安堵する一方で、心の中でじいにごちった。

 

(びびらせんじゃねえよ!)

 じいは、エッジの思惑を先読みして動くことがとても多い。

 頭の回転が早いミストの村長と組まれることを恐れて、『禁・人よけ』で行動制限。

 それだけに留めて、未だ自身の手元に残すぐらいには。

 エッジにとって、じいは非常にありがたい存在でもあるのだ。

 

「それとですな。ザンゲツは今日と明日の2日間、欠勤いたします」

「……急病か?」

 

 エッジは渋い顔をしながら、首をかしげる。

 ザンゲツが突然休みを取るのは、生まれて初めてだったから。

 

「月が明けてから、様子が変でしてな。日増しにひどくなるばかりで、本日一向にここに現れぬものですから、先ほど自宅に様子を見に行ったところ、とても城勤めは出来ぬと判断いたしましたので、今日と明日は登城せぬよう申し渡しました」

「風邪か」

「いえ、違いますな」

「だったら何だ。もう老化現象始まったのか」

「逆です。——性欲と性的興奮が治まらんのですよ」

「何だと!?」

 

(あの年で!?)

 ザンゲツは、50歳半ばを過ぎている。

 まだ性欲が残っていたことが、エッジには信じられない。

 

 —— —— ——

 本日、ザンゲツが出勤時間を過ぎても、城に姿を現さない。

 

 彼の身に何が起こるか。じいは事前に予測していたが、的中したと判断。

 先ほど、食料を持参してザンゲツの自宅に向かった。

 すると、彼の妻が困惑したような顔で出迎えてくれた。

 

『わざわざお越しいただいて申し訳ございません。夫が欠勤の連絡をしたと思っていたのに……』

『よいよい。ザンゲツは今どうしとる』

『書斎に引きこもったままです。何があったかも話してくれません。じい様……なんとか説得してもらえないでしょうか?』

 

 妻から逆にそう頼まれて、中に入らせてもらったところ。

 ザンゲツは書斎の中で、自ら小さな結界を張っていた。

 

『はあ……あ、っ……じい様ぁ……!』

 

 じいの予測通り。ザンゲツは、嫌でも湧いてくる性欲と必死に闘っていた。

 

『やはり来たな』

『はぁっ、はあ……拙、者……も、もう我慢出来ませぬ……!』

『仕方ないのう。奥方に話をつけてやろう』

 

 じいは書斎から一旦離れて、ザンゲツの妻に事情を話した。

 どうか夫の欲を満たしてあげて欲しい。頭を下げに下げて、そう頼み込んだ。

 

『そういうことだったんですね。あの人も、最初っから言ってくれたらよかったのに』

 

 事情を聞いて呆れていた妻に、2日分の食料を渡してから再び書斎に戻った。

 

『話をつけてきたぞ。性欲が尽きるまで、いくらでも奥方とまぐわえばよい』

『ほ、ほんとですかぁ……!?』

『今日と明日は、有給休暇にしておいてやろう。——ではな』

 

 ザンゲツにそう伝えてから、じいは城に戻ってきたという。

 —— —— ——

 

「……そういう訳で、今頃ザンゲツは奥方とくんずほぐれつ絡み合っているでしょう」

 

 エッジは口をぽかんと開けたまま、あけすけな報告を聞いていた。

 

「どうして我慢してたんだ。あいつ、嫁と仲いいだろ」

「強制されて奥方とまぐわうのは自身の信条に反する。奥方に申し訳が立たず、恥ずかしいから我慢していた。そう話しておりましたな」

 

(贅沢な野郎だ!!)

 話を聞いて、ザンゲツにいらついてたまらない。

 さっさと愛妻とヤレばいいではないか。いい歳こいた中年が、何が信条に反するだ!

 

「……サカった理由は」

「薬を盛られたのでしょう」

「媚薬か」

 

 メイの香水にあてられたのではないか。そう思ったが、すぐ思い直した。

 星祭りの日。ザンゲツもあの匂いを嗅いでいたが、ノーダメージだったから。

 

「どうやら『邪淫』を使われた可能性が高いと思われます」

「……『邪淫』?」

「薬を用いた『色』です。個人差がありますが、即日ないしは一定の日数を経て、性欲と性的興奮が極度に高まり、何も手につかず、自ら慰めても収まりがつかず、確実な治療法は、性欲尽き果てるまで女性とまぐわい続けるしかない。男性にとって、極めて厄介かつ恥ずかしい術ですな」

 

 じいが無表情で『邪淫』の詳細を淡々と話してくれた。

 

(よくもまあ恥ずかしいこと、すらすら口に出来るもんだな)

 じいは70過ぎた老人。

 とうの前に枯れ切っており、人間の生殖行為はもはや他人事。

 動物のそれと同等にしか感じられないのかもしれない。

 

「して、若様はケイコク家のことをご存知でしょうか」

「ケイコク……」

 

(まさか、じいの奴……気付いたのか!?)

 エッジは心の中で動揺するも、表面上は平静を装う。

 

「……エブラーナ版アマゾネスってのと、好戦的で『色』を使うやべえ奴らってことぐらいしか知らないな」

「さようですか。ケイコク家はカルミネよりも知名度が低いですからなあ。——『邪淫』は、ケイコク家の血を引く者しか使えない術だと言われております」

 

 ザンゲツが引き起こした恥ずかしい症状から。

 じいは、ケイコク家絡みの案件だと判断したようだ。

 

 —— —— ——

 古来より、この大陸では部族同士の争いが絶えなかった。

 エブラーナが建国されるまで、数多くの部族が滅んだと言われている。

 大陸南に拠点を置いていたケイコク家も、その中のひとつであった。

 

 史実によると、ケイコク家の長は代々女性。

 兵も9割方女性で、男性はもっぱら子孫を残すための種扱い。

 部族内で、女尊男卑社会を築いていた。

 しかも、その血を引く者は、好戦的かつ強欲の持ち主ばかりだったという。

 

 他の部族が武力を行使して戦う中。

 ケイコク家は、独自で編み出した『色』と呼ばれる手法を使った。

 『色』は、『邪淫』をはじめとした色仕掛け——性的関連の薬品や術のこと。

 

 敵の部族内に入り込み、『色』を使って敵部族の上層部を傀儡状態にする。

 その後、内乱をけしかけて自滅に追い込んだり。ケイコク家の支配下に置かせたり。

 ケイコク家と敵対する部族同士で争うよう誘導工作して、共倒れさせたりするなど。

 女を武器とした策略により、多数の部族を滅ぼしたと言い伝えられている。

 —— —— ——

 

「今更、100年以上前に滅んだ奴らの話を持ち出すな。『色』なんか、ただの伝説だろ」

 

 例えケイコク家が関わっていようが、元はシビエン家の問題。

 じいやザンゲツたちは関係ない。そう思って一蹴したが。

 

「とぼけるのもいい加減になされよ!」

「っ……!」

 

 じいに凄まじい勢いで怒鳴られて、息を呑んだ。

 

「あの母娘が狡猾で好戦的な上に、自己顕示欲や支配欲……強欲と悪名高きケイコク家の末裔なら、代々各種の『色』を伝えていてもおかしくありませぬぞ!?」

「じゃあ、ザンゲツはいつやられたんだ」

「8の月下旬のどの日か知りませぬが、あの親子がここを訪れた時でしょう」

「……あいつら毎回離れてしゃべってたぞ?」

 

 最後にリンたちがここを訪れたのは、先月の末日。

 エッジ(影武者)が求婚を受け入れた日だ。

 

 メイの香水の臭いが、執務室に残ったら最悪だ。

 エッジはそんな理由から、リン親子がエブラーナ城に訪れた場合。

 必ず謁見の間に通すように申し付けていた。

 だから、彼女たちが影武者——ザンゲツのそばに近付いたことはない。

 いつの間に『邪淫』にやられたのだろう?

 

「メイが手にしていた、暑さしのぎの扇子を覚えておられますか」

「ああ」

 

 からすの羽根をむしってつくったのか?

 エッジがそう勘違いするぐらい、メイが真っ黒黒の扇子を振りながら。

 くそ偉そうに城内を練り歩く姿は、よく覚えている。

 

「あれは扇子に見せかけた吹き筒で、ザンゲツは吹き針を首に撃たれたのではないかと思われます」

「!?」

 

(くそ……! うかつだった……)

 自身の不甲斐なさに、エッジは下唇を強く噛みしめる。

 

 吹き針とは、吹き筒を使って遠くの敵に向かって針を飛ばす術。

 針に『邪淫』が塗られていたのではなかろうか。

 じいのそんな予想は、おそらく当たっている。

 

 メイとリンはケイコク家の末裔。イザヨイからの報告でそう知った。

 色仕掛けするなら、催淫作用が凝縮された例の臭い香水を使うだろう。

 エッジはそう思い込み、あの母娘を舐めちぎっていた。

 

「ザンゲツのことですし、愛する奥方とまぐわい続ければ、1日もかからず収まると思われます」

 

 今の世の中、媚薬と称する商品が多く出回っている。

 『邪淫』にも、それらに含まれている成分のいくつかが使われているはず。

 

 ザンゲツは長年現場で働いているおかげで、媚薬耐性をある程度持っている。

 だから、今回発症が遅かったのかもしれない。

 

「イヌイも同じように、メイにやられたのでしょうな。ただ、様子を見る限り、あの者は別の『色』術か……」

「妄想に付き合ってる暇はない。早く元の場所に戻」

「——妄想ではありませんぞ? ザンゲツの頭の中には、しかと残っておりました」

「何だと??」

「若様もご存知でしょうが、あの者の歴史に関する知識を侮ってはなりませぬぞ? 9年前の襲撃で灰と化しましたが、ケイコクに触れた歴史書を、ザンゲツは過去に城の書庫で読んだことがあると話しておりましたからな」

 

 ザンゲツいわく、書物にはこう記されていたという。

 

 —— —— ——

 ケイコク家を滅ぼしたのは、北の部族シビエン家だった。

 時期は、初代国王が無血での大陸統一を目標に掲げた直後だ。

 

 当時シビエン家は、女性が部族の長をつとめていた。

 子孫がジェラルダイン家に固執する一因となった、例の女当主である。

 女当主は大陸統一前から、ジェラルダイン家の当主——後の初代国王に思いを寄せていた。

 

 ある日、初代国王が話し合いで大陸を統一しようとしている。

 そんな情報がシビエン家にも流れてきて、女当主は考えた。

 ケイコク家に和平を持ち掛けても、応じると思えない。

 初代国王も男だ。ケイコク家の『色』にやられてもおかしくない。

 

 初代国王のお役に立ちたい。

 女当主はその一心で、兵を引き連れてケイコク家へ攻め込んだ。

 

 シビエン家は、他部族に比べて女性兵がとても多かった。

 そのため、ケイコク家お得意の『色』が、ほとんど効かない。

 腕が立つ女性兵に一気に攻め込まれてしまえば、太刀打ち出来ない。

 結果、ケイコク家はただひとりを残して滅んだという。

 —— —— ——

 

「おそらくあの母娘は、その生き残りの子孫。シビエン家に復讐するためにイヌイに近付いたのです」

「だったら、タツミにはなぜ手を出さないんだ。あいつも恨みの対象になるだろ」

「若様があの母娘の手中に陥れば、タツミの処遇などいかようにも出来ますぞ」

「っ……」

 

 『あの母娘の手中』と耳にした瞬間。

 エッジの脳内に、ろくでもない未来が次々と浮かんでくる。

 

 —— —— ——

 リンを王妃に迎えることは阻止するつもりでいる。

 しかし、仮にリンと既成事実を作らされたら、否応なく婚姻を結ばされる。

 

 そうなると、メイはイヌイからエッジにターゲットを変えて、この城に入り浸るだろう。

 あの図々しい性格では、この城で娘と同居しかねない。

 

 しかも、城内の環境に留まらず、国政のことでエッジに指図してくるはず。

 

 エッジを経由して、タツミを国外退去に追い込む……。

 あの母娘なら、それぐらい平気でやるだろう。

 —— —— ——

 

 エッジは、そんなとんでもない未来を阻止するために。

 イザヨイをタツミの元へ送り込み、シビエン家の証拠を探させている。

 先日、あの母娘がケイコク家の末裔だと判明。小悪事もぼろぼろ出てきている。

 しかし、一発で婚約解消につながるものは、まだ見つかっていない。

 

「タツミは結界術のエキスパートです。よほどの実力の持ち主でもない限り、あやつには手出し出来ませぬよ」

「リンもシビエンの血ィ引いてるだろ。あれはどう説明する」

「あの娘は、お館様を手に入れることが出来れば、シビエンなどどうでもよさげに思えますが」

「ケイコクの方が濃いってことか……」

「さよう。——話は変わりますが、一昨日ザンゲツの血液を採取いたしました。ただいま医療部で検査分析中です」

「薬作ってんのか」

「1週間ほどで、性欲を多少軽減できる薬を作れるそうですが……まあ、アテにしない方がよろしいでしょうな」

 

 じいの最後の一言に納得が行った。

 唯一の被害者——ザンゲツは、明日には治る予定なら。

 対処薬が完成しても、実験しようがない。

 

「仮に媚薬耐性ゼロで、無駄に若く体力や精力に満ちあふれる若様が『邪淫』を食らえば、言い伝えのように一昼夜で収まるとは思えませぬし、女性を見ただけで襲い掛かることは間違いありませぬな」

 

(最後は余計だ!)

 まるでエッジを猛獣かのように例えたじいへ、心の中でごちる。

 

 エッジは、リディア以外の女性に一切欲情しない。

 しかし、強制的に性欲を高める媚薬を盛られたら話は別。

 リディア以外の女を抱くなんて、想像しただけでも耐えられない。

 死んでも『邪淫』を食らうわけにはいかない。

 

「門番に、奴らが来ても理由つけて追い返すように伝えろ」

「既に申し渡しが済んでおります」

「っ……」

「あと、こちらを」

 

 またもや先読み行動されてしまい、息を詰まらせるエッジをよそに。

 じいが懐から巻物を取り出して、机の上に置いた。

 綴じひもが変色しており、ぼろぼろ。かなり古いものらしい。

 

「……なんだこれ」

「我が国の家系図でございます」

「家系図?? こんなぼろくねえだろ」

「おそらく非公式のもの、いや……当時の事情で闇に葬られたものですな」

 

 じいがそう説明しながら、古い巻物を机の上で広げ……なかった。

 

「おい!!」

 

 エッジが叫ぶのをよそに、じいが巻物を手にして、再び懐にしまい込んでしまった。

 

「もったいぶってねえで見せろ!」

「そう簡単には見せられませぬ」

「……取引か」

「すぐお気付きになられるとは。さすが若様でございますな」

 

(こんの狸じじいが……!)

 不適な笑みを浮かべるじいを、憎々しげににらむ。

 どうやら、じいとザンゲツのふたりはケイコク家に関して。

 『邪淫』以外にも何か情報をつかんだらしい。

 

「命令だ。そいつを見せろ。ついでに知ってる情報、全部吐け」

「お断りいたします」

「何だと!?」

「ここで若様から斬られようが、燃やされようが。条件を受け入れてもらえぬ限り、見せる気も話す気もございません」

「……条件はなんだ」

「イザヨイをタツミの元に送り込んでおるのはわかっております。『御伽衆扱い』から、通常任務に切り替えていただきたいですな」

「そっちにお城勤を派遣しろと言いたいのか」

「さようでございます」

 

 じいから提示された条件に、エッジは心の中で舌打ちした。

 

 『御伽衆扱い』とは、御伽衆の者が受け持つ特殊任務のことである。

 『御伽衆』扱いから通常任務に切り替えた場合。使用人に任務の内容を知られる。

 シビエン家の案件は秘密裏で進めたい。

 そう思っていたのに、公にせねばならないのがおもしろくない。

 

 ……しかもだ。『御伽衆扱い』の詳しい任務内容は、その任務につく御伽衆とエッジしか知らない。

 ただし、任務場所、大体の任務期間……ごく一部の情報は、他の御伽衆も共有している。

 

(ザンゲツの野郎、イザヨイの行先を知って、じいにチクったな!)

 じいはそれが原因で、エッジがリンと婚約した目的に気付いたようだ。

 これから、何を話すかもあらかた予想がつくというもので。

 

「あやつらは、若様との婚約が成立して今は相当油断しておるようですが、早急に叩きのめさない限り、いずれはリディア様も標的にするでしょうな」

 

(ミストに護衛を送り込んだ方がいいかもしれねえな……)

 『ツクヨミ』では、月に二、三度しかミストに足を運べない。

 ツキノワは子どもとしてミストに潜入しており、リディアを完全に守れるとは言いがたい。

 

 若い男はミストに派遣したくない。そう意地を張り続けるのは簡単だ。

 しかし何かあってからでは取り返しがつかない。

 

「もはや、シビエン家の問題は若様とイザヨイ、タツミだけでは抱えきれぬほど大きなものだと思いますぞ」

「……」

「どうされますかな?」

「わかった……言う通りにする」

 

 エッジは仕方なく条件を呑むことにした。

 

(イザヨイひとりだけじゃ、いい加減限界だしな……)

 先日、イザヨイから報告書が届いた。それを読んだ結果。

 タツミの元へ何人か派遣した方がいいかもしれない。うすうすそう考えていたのだ。

 

「ありがたき幸せ。では、もうひとつ」

「な……まだあんのか!?」

「ザンゲツにかけた『禁・人よけ』を解除して下され」

「!?」

 

 第2の条件を聞いて、耳を疑った。

 年寄りになると、こうも向こう見ずになれるのか?

 よくもまあ、神経を逆なでする条件を出してきたものだ。

 

「最初の条件だけで妥協しろ」

「……ならば、交渉決裂ですな。この先も、若様のお好きなようにおやりください」

「おい、待て!」

 

 エッジの妥協案に納得出来なかったようだ。

 じいが無表情に変わり、頭を下げるとくるりと背を向けた。

 

 じいを解除しろなら、まあ許せる。なぜなら、じいはエブラーナから出ないから。

 けれど、ザンゲツは絶対にだめだ。

 解除したら、こっそりミストに足を運び、ミゼルと密談するかもしれない。

 そう考えたら、野放しには出来ない。

 

「逃げんじゃねえ!! 知ってること全部吐けよっ!!」

 

 じいとザンゲツが知り得た情報だけは、どうしても欲しい。

 執務室を後にしようとするじいを、エッジは呼び止めた。

 

 この1年の間。エッジはじいたちの前でも事務的な口調で話していたのに。

 知らないうちに、くだけた言葉遣いに戻っていた。

 

「でしたら、術を解除して下され!」

「だめだっつってるだろ!!」

「……!!」

「……!」

 

 じいたちとあの男が、手を組まれたら困る。これだけは絶対に譲れない。

 エッジはその後も、5分ばかりじいと口論を続けた。

 

 結局、渋々折れたじいが、エッジに古い巻物の中身を見せてくれたが。

 最後にとんでもないことを言い残して、執務室を去っていった。

 

 

——午後6時すぎ

 

 

 ライザと肩を並べて、リディアがバロンの大通りを歩いている。

 

 エッジは、彼女たちの後ろ姿を視界に入れながら。

 リディアへ下心まる見えの視線を送る者。リディアへ近付こうとする者がいないか。

 周囲を監視しながら歩いていたら、当の本人たちが楽しそうに劇場の中に入っていった。

 

§

 

 今夜、ここバロンの劇場ではギルバートの演奏会が行われる。

 例年よりも、2ヶ月遅く開催される理由はわからないが。

 今年もエッジは、リディアの見えない護衛をつとめるために、この町を訪れていた。

 

 劇場に入る手前で、横道に逸れた。

 草むらの中に隠れて、すぐに『隠れみの術』を解除してから。

 『エッジ』とはかけ離れた姿で、そこから飛び出して劇場の入り口に向かう。

 

 —— —— ——

 エブラーナとミスト以外で、『ツクヨミ』の姿で歩くと不審者にしか見られない。

 職務質問されるのがオチである。

 そんな理由から、毎年演奏会の際は『変化の術』を使っている。

 

 背格好は普段と変わらないが、髪色は赤。

 普段より前髪が長く、全体的に緩く波打っている。

 『変化の術』でも消えない右頬の傷を隠すため、厚化粧もしている。

 念のために、ミゼル並みに大きな黒眼鏡もかけている。

 

 この姿なら、誰もエブラーナ国王だと気付かない。

 リディアが、うっかり顔を見ても症状は起こらない。

 —— —— ——

 

(毎年、9の月にやれよ!!)

 演奏会の運営に、そんな不満をぶちまけてやりたい。

 なぜなら、今の時期ならバロン恒例『水着美女品評会』と日程がかぶらない。

 下心丸見えの野郎どもが、ここに押し寄せることがないから。

 

 それを如実に表しているのが、不届者の成敗数である。

 なんと、現時点でたったの4人。

 この調子なら、今年は過去最低の10人以下で終わるかもしれない。

 

§

 

 エッジは劇場に入ると、真っ先に客席へ向かった。

 内装をぐるぐる見回しながら、自身にあてがわれた席を探す。

 

 リディアたちは、毎年先に食堂で夕食をとるため、客席に来るのはもう少し後。

 

(金持ちの国は、やっぱ違うな)

 毎年劇場に入る度に、バロンは贅沢な国だと思わせてくれる。

 

 —— —— ——

 この劇場は数年前、城下町の東に建てられたばかり。

 外装は石張りの壁面で囲われており、品格あるたたずまい。

 中に入れば、華やかなシャンデリアがロビーやホールをきらきら照らしている。

 床には一面、赤いじゅうたんが敷かれている。

 上質の布で覆われた客席は、間隔が程よく開けられており、座り心地が良い。

 —— —— ——

 

 バロンは軍事大国として名を馳せている。だから、金が有り余っているのだろう。

 たかが歌や舞台、文化芸術にここまでお金をかけられる。

 小国の国王からしてみれば、うらやましい限りである。

 

(エブラーナからの客も多いな)

 着物を着た客——エブラーナの民——の姿も、あちこち見られる。

 

 エブラーナには劇場がない。

 そのため、エブラーナの民がギルバートの声を聞こうと思ったら。

 一番近いこのバロンか、トロイアの劇場に足を運ぶしかない。

 

§

 

 それぞれの席には、数字と記号——席番が刻まれた金板が貼られている。

 

(おっ、今年は足が伸ばせる!)

 今年は通路に面した席だと分かり、エッジはほくそ笑んだ。

 通路に面した席は、足を縮こめる必要がない。

 

 チケットの席番と同じ席に着いて、足と両腕をそれぞれ組んでから。

 いつものように寝たふりしながら、懐をのぞけば。中に赤い手裏剣が埋もれていた。

 

 この手裏剣。珍しく、表と裏に赤い記号や文字が隙間なく刻まれている。

 これを携帯所持していれば、いつでもタツミの自宅に入ることが出来るらしい。

 

(終わったらタツミん家に、乗り込まねえと……)

 頭の中で演奏会終了後の予定を立ててから、午前中の出来事を回顧する。

 

 —— —— ——

 ザンゲツの『禁・人よけ』を解除しろ。

 じいは、そんな第2の条件をだめもとで提示してきたのだろう。

 後でそう気付いたぐらいには。

 じいが午前中に執務室でぶっちゃけた内容は、褒賞に値するものであった。

 —— —— ——

 

 寝たふりを続けながら、第1の条件——タツミの元へ誰を追加で派遣するか。

 エッジが頭を悩ませていると、慣れ親しんだ気配が近付いてきた。……リディアたちだ。

 

「16、15……うそでしょぉ……!?」

「だから、アリサがぶすっとしてたのね」

「当たり席って、すぐ気付いたんだ」

 

 毎年リディアたちは、アリサの希望で1階席のチケットを買っている。

 エッジも毎年それに合わせて、部下に同じ階のチケットを入手してもらっていた。

 

「あの子……ここ以外の劇場の席配置も覚えてるんじゃないかしら」

「うわぁ、あり得る……!」

 

 リディアもライザも、1階席の縦横ど真ん中の当たり席に座れる喜びより。

 席番だけで、座席位置を把握していたアリサに驚いているようだ。

 

(去年よりも、近くの席になりゃいいが……)

 エッジがそんな期待に胸を膨らませていると。

 リディアの気配がぐんと近付いてきて、そばで止まった。

 

「えぇ、ここぉ……?」

 

 リディアがドン引きしたような声を上げた。

 その方向へ視線を向ければ。エッジのすぐ左斜め前に、リディアが呆然と立っている。

 

(マジかよ……!? こんな幸運、滅多にねえぞ!!)

 エッジの席は14列29番。そして、リディアは14列の28番……エッジの隣。

 心の中で大喜びするエッジと対照的に、リディアは露骨に嫌がっているようだ。

 

「っ、ふふ……さ、座りましょう」

「あぁっ、ちょっと待ってよ!」

 

(そんな嫌がらなくてもいいじゃねえか……)

 先に席についたライザから催促された末。リディアが嫌々14列28番席についた。

 リディアは男性恐怖症ではない。なぜこうも嫌がるのだろうか? 

 

「どうしよう、本当に隣に来ちゃったよ……」

 

 リディアが、右に座るエッジを露骨に避けるかのように。

 身体をライザの方に大きく向けて、こそこそ話を始めた。

 

「失礼なこと言っちゃだめ。その方も一応、お金を払って毎年ここに来てるんだから」

 

(いいぞ!! もっとがつんと言ってやれ!)

 ライザがその席で妥協するよう、リディアを諭している。

 エッジは会話を聞きながら、心の中でライザの応援をしていた。

 

「お願い。席替わってよぉ」

「ごめんなさい……」

「そんなぁ、わたしのファンでしょ? ね、お願いっ」

 

 ライザの左隣に座っている客は女性。

 それも、リディアが納得出来ない理由に、より拍車をかけているようだ。

 

「そのチケット選んだの、誰だったかしら」

「っ、わたし……」

「でしょう? 責任持ってそこで鑑賞しなきゃだめよ」

「うう……」

 

 どうも話を聞く限りでは、このふたり。

 去年か一昨年から、エッジの存在に気付いていたらしい。

 

 眠りに来ただけのひとり男性客は相当目立つ。しかも、毎年同じ姿格好……。

 そんな客が今年、とうとう隣に来てしまった。

 だから、リディアは恐れおののいているようだ。

 

「ミストの大掃除も終わったし、お互い気分転換出来そうね」

「出来るかなあ……?」

「あら、どうして?」

「こないだ、ギルバートがね……」

 

 リディアがライザの耳元で、ひそひそ声でこう話した。

 

 —— —— —

 8の月の終わり。ダムシアン城も、噂の『青ばら』にやられた。

 城の奥に保管されていた、ギルバート愛用のリュートを盗まれてしまった。

 保管場所に、青いばらのカードが置かれていたから『青ばら』で間違いない。

 先日ミストを訪れたギルバートが、帰り際にリディアにそう教えてくれたという。

 —— —— —

 

「そんなの、新聞に載ってなかったわよ?」

「隠したんだって」

「あぁ、さすがに恥ずかしいわね……」

 

 現在、世界各地で窃盗団『青ばら』が猛威を振るっている。

 

 —— —— ——

 今年突如現れた『青ばら』は、月に2、3回のぺースで犯罪を犯している。

 成功率は、なんと100%。唯一の手掛かりは、青いばらのカード。

 毎回犯行現場に、それを置いて逃げるか。

 店主や兵……被害者に、それをぽいっと投げ捨てて逃げてしまう。

 

 驚異的な犯罪成功率の前に、被害者は泣き寝入りするしかない。

 宝飾店や美術館、収集家に大金持ち……標的になりやすい者たちは日々怯えている。

 どうか、うちの領地で事件を起こさないでくれ。

 うちの城に入るんじゃない!

 ……各地のお偉いさんも、天に祈りを捧げているらしい。

 —— —— ——

 

 忍者でないと『青ばら』は、検挙出来ない。

 エッジはそうにらみ、先月から『青ばら』の調査を始めていた。

 各地の諜報に号令を掛けて、手がかりを探させているが。

 これといった情報は未だ入ってこない。

 

「だから、今年はいい演奏出来ないって謝られちゃったの」

「大丈夫でしょ。——あの方、リュート演奏のプロよ?」

「……それって、誤差レベルでも大げさに気になっちゃうってこと?」

「ええ。舌の肥えたグルメ評論家が、今日のスープは塩気が足りないって文句を言うのといっしょよ」

「なんだ。わたしたち、素人だから気付かないね」

 

 リディアとライザのひそひそ話は、まだ続く。

 

 —— —— ——

 ダムシアンの王族は、吟遊詩人をつとめる者が多い。

 現国王のギルバートもそのひとり。

 盗まれたリュートは、演奏者の歌声に魔力を上乗せ出来る。

 ダムシアン王家に、代々伝わる由緒正しき楽器だった。

 

 ダムシアン城には、他にも財宝があった。

 それにもかかわらず、盗まれたのはリュートだけだったという。

 —— —— ——

 

「ギルバートから、『「青ばら」は1点ものの財宝を狙ってるかもしれないから、リディアも気を付けるんだよ』って忠告されちゃったの」

「そんな財宝、あなた持ってた?」

「これ……」

「あぁ、それは狙われてもおかしくないわ」

 

 リディアが自身の上半身を覆う、透明のケープをつまんで、ライザに見せている。

 

 —— —— ——

 どうやら、『青ばら』は1点ものが大好物。

 量産品が並ぶ、宝石店なども襲っているが、あれは単なるカモフラージュ。

 もしくは、資金稼ぎ目的だろう。エッジはそう推測していた。

 —— —— ——

 

 ギルバートのリュートと同じように、リディアの服も1点もの。

 しかも、幻獣界製……『青ばら』にとってはよだれものに違いない。

 

(ギルバートの奴、気ィ利くじゃねえか……)

 ダムシアン城に潜入している諜報が報告してくれたおかげで。

 エッジも、ダムシアン国王のリュートが盗まれたことは知っていたが。

 ギルバートがリディアへ忠告したことは初耳であった。

 

「忠告してくれるなんて、ありがたいじゃない。あなたごとさらわれないようにしなきゃね」

「うん。作った魔法じゃんじゃん使わなきゃ……!」

「ええ、そうしなさいな。何かあったら、あなたもみんなも困っちゃうもの」

 

 この春リディアは、ふたつの魔法をアドニス対策に作っている。

 家全体を覆う結界。そして、リディアの現在地が把握出来る氷球。

 それらは引き続き、『青ばら』対策に使われるようだ。

 

(明日ミストに伝書鳩飛ばさねえとな)

 リディアの護衛を、ツキノワに再度命じると共に。

 お城勤をひとり、ミストに追加派遣することに決めた。

 

「『青ばら』が捕まるまで、当分遠出は控えなきゃ」

「……残念だけど、今日で当分お休みね」

「欲しいものがあったら、おばちゃんに頼んで買ってきてもーらおっ」

 

 リディアは、アリサに借りたストールをかばんに入れて、ここに来ているだろう。

 どちらが借りたか知らないが。アリサお手製、防犯用の唐辛子スプレーも持ってきているはず。

 

「ねえ、見て。リディア」

 

(しっかりしてるなあ)

 アドニスの一件があったからか。ずいぶんと危機意識が高くなったようだ。

 そんなリディアに感心していたら。ライザが、別の話題を振っている。

 

「『愛と疑いは一緒にいられない』……今日は新作発表も兼ねてるんだ」

「これ、トロイアの神話なの。すごくいい話よ?」

 

 エッジは寝たふりを続けている。そのため、隣の様子はほとんど見ることが出来ない。

 それでも会話の内容と、かさかさと紙が擦れる音から。

 ふたりが、入場時に渡されたチラシを読んでいることはわかる。

 

「どんな話?」

「ないしょよ。今教えたらつまらないでしょ?」

「ちぇー、おもしろくないの」

「ギルバート様、トロイアの神話を選んで曲を作ってくれたなんて……楽しみで仕方がないわ……!」

 

 ライザが、うっとりしたような声をもらしている。

 

 世界随一の吟遊詩人様が、故郷の神話をベースに新曲を披露する。

 そうとわかれば、まあ喜ぶだろう。

 

(あんなぺらい紙、即ごみ箱に捨てたからどうでもいいや)

 エッジは歌を聞くために、ここにいる訳ではない。

 城下町を歩く不埒者の排除作業。そして、タツミのところへ寄り道。

 ……それまでの休憩である。

 

「あ、始まっちゃう」

「今日はほっぺたつねる人いないから、寝てもいいわよ?」

「やだなあ、寝ないよお」

 

 ブザー音が客席内に響き、開演の時間がやってきた。

 

 程なくして、ギルバートが舞台に登場。

 予備と思われるリュートを鳴らして、歌声が耳に入ってきた途端。猛烈な眠気が襲ってきた。

 精神が低いエッジにとって、ギルバートの魔力の高い歌声は睡眠薬のようなものである。

 

(せっかくリディアがいるのに……耳栓持ってこりゃ……よかっ……)

 エッジは見事眠りについてしまい、演奏を聞くどころか。

 リディアが隣にいる喜びを噛みしめ続けることは出来なかった。

 

 

——午後10時すぎ

 

 

 リディアが乗った巡回艇が、バロンの発着場から発った。

 それを見届けてから、エッジもバロンを後にして、エブラーナの北部へ。

 目的地は、シビエン家の本宅。——タツミとソイの結婚式が行われた場所である。

 

 シビエン家の敷地は、薬草園と同じぐらいの広さを持つ。

 北端にある本宅と、南端にある別宅以外は、ほぼ樹木。

 そして、本宅とその周辺を囲む庭は常時タツミの結界に覆われている。

 

「邪魔するぜぇ」

 

 結界を難なく潜り抜けて、本宅の玄関を開けてみれば。

 既にタツミと妻のソイがそこにいた。

 

 お館様が結界の中に入った。タツミが感知して慌てて飛んできたのだろう。

 

「こんばんわ。お館様」

「よう、久しぶ……」

 

 エッジはソイに挨拶しようとしたが、言葉を切った。

 なぜなら、立ったまま出迎えてくれたソイの隣で。

 タツミが額をべったり床につけて、土下座していたから。

 

「おい、タツミ。頭上げろ」

「うちの者がご迷惑をお掛けして、大変申し訳ございません」

「早速、謝罪かよ……」

 

 やってきた早々から、図々しい身内の無礼を詫びられてしまった。

 いくらシビエン家の血が、余計にそうさせるとは言ってもだ。

 いずれリンとは婚約解消するから、そこまで気にしなくていいのに。

 

「ちょっと。お館様、呆れてるわよ??」

「っ……」

「あなたが土下座しても意味ないって、いつも言ってるじゃない」

 

 頭を上げるよう、ソイが服をぐいぐい引っ張るも。

 タツミは頭を床につけたまま、動こうともしない。

 

 シビエン家の血を引いていないソイからしてみれば。

 タツミの犬っぷりは、さぞや滑稽に見えて仕方がないであろう。

 

「ソイの言う通りだ。——頭上げろ」

「っ、はい……」

 

 お館様からの命令に従い、タツミが頭を上げた。

 

(うわ……ひっで……)

 ところが、2か月ぶりの対面となるタツミの顔を見て。

 エッジは口布の下に隠れた口を、大きくゆがませてしまった。

 タツミの頬がげっそり痩けている。目の下には黒いくまも……。

 

「本日、こちらにお越しいただいた理由は?」

「おまえらとイザヨイに、急ぎで話したいことが出来てな」

「リンたちが、また何か……?」

「書状書くの面倒で、直接ここ来た。遅くなっても構わねえか」

「もちろん、お付き合いいたします。徹夜でも構いません」

「えー、なになに?? 面白い話ですかぁ?」

 

 神妙な表情のタツミと相反して、ソイがきらきら目を輝かせている。

 

「ソイ、不謹慎なこと言っちゃだめだよ」

「あっ、ごめんなさい。つい癖で……」

「お茶の準備、頼んでいいかな?」

「はーい」

「……お館様。どうぞお上がりください」

「ああ」

 

 夫にたしなめられても、ソイはどこ吹く風とばかりに、奥へ駆けていった。

 

(お家騒動が面白く見えてんだろうな……)

 ソイはタツミの複雑な家庭事情を知りながら、シビエン家に嫁入りした。

 それぐらいには、鋼の精神を備えた……というより、好奇心の塊であった。

 

§

 

「——どうぞこちらへ」

 

 タツミの案内で、エッジはけやきの間に通された。

 この間は、本宅に3つある客間のひとつ。

 床の間や雪見障子を備えた、純エブラーナ風の内装をしている。

 

「っ!?」

 

 室内に入るやいなや、エッジは息を呑んだ。

 

 アポなし訪問にもかかわらず、既に明かりが点いている。

 中央の座卓には座布団もきちんと並べて置いてある。

 毎日掃除しているのか。ひとつもほこりやちりがないように見受けられる。

 

「さすがシビエン家の屋敷だな。いつ客が来てもいいように毎日綺麗にして」

「——違います」

「は?」

「お館様がここに見えたすぐに準備させました」

 

 タツミが薄い笑みを見せた。

 お館様のためなら、それぐらい当たり前と言いたげだ。

 

(オレが敷地に入ってから、10分も経ってねえぞ!?)

 お館様の深夜アポなし訪問は、ここの使用人に弊害をもたらしていたようだ。

 エッジが彼らに申し訳なさを感じながら、奥の床の間を背に。タツミがその向かい側に座る。

 すると、ソイがお茶を持って、けやきの間に入ってきた。

 

「粗茶ですが、一服どうぞ」

「おう、いただくぜ」

 

 口布を外して、ソイが出してくれたお茶を一口すする。

 

「お夜食、準備しましょうか」

「……いや、気持ちだけもらっとくぜ」

 

(兵糧丸食ったしな)

 再び口を隠しながら、ソイからの申し出を断った代わりに。

 懐から赤い手裏剣を取り出して、ソイに見せた。

 

「それよか、こいつ。すっげえ便利だな」

「あら、どうもありがとうございます」

 

 赤い手裏剣は、武器として使うために作られたものではない。

 タツミの結界内を自由に出入り可能な効果があり、この本宅への通行証になっている。

 

 —— —— ——

 タツミとソイの結婚式が終わった直後。タツミからお詫びの紫微宮6本が城に届いた。

 その箱の中に、こんな手紙と赤い手裏剣が入っていた。

 

『これを持ち歩けば、いつでも本宅に入れます』

 

 赤い手裏剣はエッジだけでなく、ソイやイザヨイ、タツミの部下……。

 タツミが信用に値すると判断した者は、みな所持している。

 —— —— ——

 

 そんな特殊な手裏剣を造り出したのが、タツミの妻ソイであった。

 

「タツミよか、おまえの抜けた穴の方がでけえんだよなあ」

「えぇ……!?」

「あらあら。お世辞でもそうおっしゃっていただけるなんて、うれしいですね」

 

 お館様直々に、お褒めの言葉をいただいたからだろう。

 ソイが満面の笑みをこぼしながら、がっくり肩を落とす夫の隣に座った。

 

 —— —— ——

 ソイは幼少時に負った大怪我の影響で、忍者になれなかった。

 代わりに忍術学に従事し、城の武具開発部で働いてくれていた。

 残念ながら、昨年の暮れに結婚退職してしまったけれど。

 —— —— ——

 

「……それでお館様。話と言うのは?」

「イザヨイだけじゃきついだろ。増員しようと思ってんだ」

「構いませんが、男性はメイの罠に掛かる恐れがありますので、隠密を使える者がよろしいと思われます」

「そんじゃ、ゲッコウたちだな」

「適任ですね」

 

 ゲッコウと彼を慕う若い衆3名。4人は隠密が得意である。

 タツミも昨年までお城勤。彼らの能力を知っているので、難なく了承した。

 

 ゲッコウたちは、トロイア——Zでの任務を終えて、本日まで休暇を取っている。

 明日登城したら、シビエン行きを命じればいい。

 

「よし。明後日からそいつら寄越してやる」

「お気遣いありがとうございます」

「ここがまた賑やかしくなるわね。手裏剣も準備しなきゃ!」

 

 お館様からのよき計らいに、タツミが丁重に頭を下げる。

 一方、ソイは楽しそうな表情だ。

 

 愛する旦那との引きこもり新婚生活に、更なる刺激要素が追加される。

 そうとわかれば、喜びもするだろう。

 

「しかしながら、なぜ増員をお考えになったのでしょう?」

「てめえの面、鏡で見てみろ」

「え?」

「おまえ、そのうちぶっ倒れるぞ?」

「……体調は悪くございません。そうならないよう注意を払っております」

 

 自身の憔悴ぶりをタツミに指摘したが、無表情で体調万全を強調された。

 しかし、ソイが何とも言えない表情で夫をちらりと見ている。

 

「虚勢張んな。結界張りながら、24時間感知巡らせっぱなしなくせに」

「ど、どうしてそれを!?」

「あらまぁ。イザヨイ、チクっちゃったのね」

 

 タツミはお城勤を辞めて、この本宅に帰ってきてから。

 ほぼ常時、本宅周辺に侵入者を防ぐ結界を張り続けている。

 

 —— —— ——

 昨年末、タツミが8年ぶりに実家——シビエンに戻ってみれば。

 部下の半数近くがリンやメイの『忠実な』部下に変わっていたという。

 

 彼らも父親と同様、メイの色仕掛けに落ちたのかもしれない。

 リンも18——成人になれば、エッジに結婚を迫るだろう。

 妹と義母は王族の外戚に入り、最終的にシビエン家を乗っ取る気でいる。

 下手をしたらエブラーナも……。

 

 身内の不審な動きにそんな不安を感じて、タツミはエッジに相談した。

 それがきっかけで、イザヨイがここに派遣されていた。

 —— —— ——

 

 更にタツミは、新婚旅行を終えてここに帰ってきてから。

 結界よりも広範囲に渡って、感知能力を常時——就寝中も——使い続けている。

 先日エッジの元に届いた、イザヨイの報告書にそう書いてあった。

 

「感知はすっげえ集中力使う。じっとしててもくたびれる。おまえもわかってるだろ?」

「もちろん承知しております」

「ゲッコウたちがここ来たら、感知しない時間作れ」

「平気です。使用人もソイも、イザヨイも……家族や手助けしてくれる者を危険に晒せません。イザヨイにも時折回復術を使ってもらっております」

 

 イザヨイのサポートも、先延ばしにしか過ぎないのに。

 タツミは頑として、自身の体力消耗を認めない。

 

 本当なら夫婦そろって、国外避難するのが一番いい。

 しかし、タツミはシビエン家の当主。立場上、よほどでないとここから離れられない。

 身内なのに敵だらけの中で、籠城作戦を取るしかない。

 

 そんな中で、少しでも楽が出来るような提案をエッジが持ちかけているのに。

 敬愛なるお館様の前では、弱味を見せたくないようだ。

 

「……今日な。ケイコク家の新情報をつかんだばっかなんだよ」

「それは誠ですか!?」

「おまえの身体も心配だが、増員しねえとこのままじゃシビエンどころかエブラーナもやべえことになる。だからここ来たんだよ」

「そういうことでしたら、話の続きはイザヨイが帰ってきてからにしましょう」

「ああ。そうしようぜ」

 

 タツミもソイも、メイとリンがケイコク家の末裔と知っている。

 増員も決めたことだ。

 調査員イザヨイが帰還してから、作戦会議を始めた方がいいだろう。

 

「あいつ、いっつもこんな遅くまであっちいんのか」

「はい。朝からずっと別宅に詰めております」

 

 シビエン家の別宅はイザヨイの主な調査場所。

 そこには、イヌイとメイ。そしてリンが暮らしている。

 

 —— —— ——

 以前はこの本宅で、シビエン家直系の者が仲良く暮らしていた。

 しかしイヌイの先妻があの世に行ってから、徐々におかしくなっていく。

 

 イヌイは愛人を作り、その女性——メイとの間にリンをもうけた。

 その後、敷地の南側に別宅を建設。愛人とその娘をそこに住まわせるようになった。

 

 先妻の娘ふたりが嫁ぐと、イヌイも生活の場を別宅に移した。

 今では、儀式や行事以外で本宅に顔を出すことはないという。

 —— —— ——

 

「あれのどこが別宅だよ。本宅にしか見えねえぞ?」

「……っ、おっしゃる通りでございます」

 

 痛いところを突かれて、タツミが申し訳なさそうに顔をうつむかせた。

 

 —— —— ——

 シビエン家の別宅は、豪勢な外観で本宅よりも広い。

 数年に一度増改築しているとも聞いている。

 

 エッジも、タツミたちの結婚式の前にそれを遠目から拝んだが。

 本宅どころか、エブラーナ城よりもお金かけてます感が伝わってきたものだ。

 —— —— ——

 

「でも、今日はいつもより帰ってくるのが遅いわ……」

 

 ソイが心配そうな表情で席を立った。イザヨイの身を案じたのだろう。

 

「大丈夫かしら……」

「戻ってきたよ」

「——戻りました」

 

 ソイが障子を開けながらつぶやくと、タツミの返事。

 同時に、イザヨイがソイの目の前に現れた。

 

「うわああぁぁっ!」

 

 驚きのあまりにソイが、大声を上げながら後ろによろめいたが。

 イザヨイが腕をさっとつかんだため、転倒は免れた。

 

「ご苦労だったな」

「お、お館様!? どうしてここに……」

「作戦会議だ」

 

 ソイの腕を離したイザヨイに、エッジが声をかけた。

 

 イザヨイが信じられないような表情で呆然と突っ立っている。

 敬慕なのか愛慕なのか、そのどちらもなのは知らないが。

 お館様がこんな時間からいたら、まあ驚きもするだろう。

 

「もう、心臓止まっちゃうかと思ったぁ」

「すまなかった……以後、気を付ける」

「ええ。そうしてくれると助かるわ」

 

 ソイから軽く注意されて、イザヨイがしゅんとしながら謝っている。

 

「素直に謝れるなんて……昔じゃ考えられないな……」

 

 そんなふたりを感慨深げに見やりながら、タツミが独り言をこぼした。

 

「お茶持ってくるわ、ここに座って待ってて」

「わかった」

 

 イザヨイがエッジの隣に座り、ソイがけやきの間から出ていった。

 

 タツミは元お城勤。イザヨイの同僚だったが、仕事の話を少々する程度だったと聞いている。

 ソイも城の武具開発部で働いていた。しかし、内勤業務はお城勤と接点がない。

 城で働いている間は、イザヨイと話したことはなかったはず。

 

(やっぱ、イザヨイをここに寄越してよかったな)

 それが今はどうだ。実際6つほど歳が離れているが。

 まるでタツミ夫婦が、イザヨイの兄姉のように見える。

 

 イザヨイは、あの女中——ハツイと友人になっていなかったら。

 ここに派遣されても、毎晩庭園のはしっこで野宿していたかもしれない……。

 

「お館様にお越しいただいて、ちょうどよかったです」

「おっ、何か手がかりつかめたか」

「はい、こちらを」

 

 エッジの隣に座り、イザヨイが改めて姿勢を正した。

 すると、懐から小さな紙を取り出してエッジの目の前に置いた。

 

「マジか……!?」

 

 手のひらサイズの紙に描かれた特徴的な絵。

 それを見るなり、目を見開いて驚きの声をもらした。

 

 タツミも身を乗り出してまで、それを見つめているが。

 みるみるうちに表情が険しくなっていく。

 

「別宅が被害に遭った可能性は」

「ありません。これ以外にも大量にストックがありました」

「間違いないんだね……?」

「ああ。この目でしかと見た」

「あーあ、こりゃ徹夜確定だなあ」

「うっ、うわあぁぁっ……」

 

 タツミがうめき声を上げながら、両手で顔を覆ってしまった。

 またもや身内が、敬愛するお館様の足を引っ張っている。

 それが判明していたたまれなくなったようだ。

 

 無表情で、エッジの隣に座っているイザヨイと対照的に。

 この世の終わりかのように絶望しているタツミを見ながらエッジは思う。

 

 本日もタツミから、紫微星と紫微宮をお持ち帰りさせられるかもしれないと。

 そしてソイがここに戻ってきて、夫の姿を目にしたら。

 喜色満面の笑みを浮かべて大喜びするのは間違いないと。

 

.

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。