※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

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エッジ視点


すき

 

 

——翌々日 9の月7日 午後5時半すぎ

 

 

 広場でリディアお手製の晩ごはんをいただくために。

 エッジは集会が終わってからはじめて、ミストにやってきた。

 

 広場へ向かう道を歩いているが、大掃除が済んだからだろう。

 いつもののんびりとした雰囲気に戻ったように感じる。

 

 —— —— ——

 この数日、エッジはあちこちに出かけていた。

 しかし、その間にも書類はたまっていくし、問題が山積み。

 仕方なく、昨日から本日の昼過ぎまで城に留まっていた。

 —— —— ——

 

(今って、エブラーナを大掃除する絶好の機会だよな……)

 見切り発車で婚約をでっち上げたことを、少し後悔しながらも。

 エッジは、リディアが絡んでいないこともあって。

 自身が招いた我が身と我が国の危機的状況を、前向きに捉えていた。

 

 むしろ、本日で『ツクヨミ』とリディアの偽装恋人関係が終わるかもしれない。

 エッジにとっては、そちらの方がよっぽど心配であった。

 

 —— —— ——

 偽装恋人の契約期間は、アドニスが大人しくなるまで。

 既に契約が切れている。

 偽装恋人を引き延ばす理由を考えている暇もないまま。

 ついに、この日を迎えてしまった。

 

『今日で偽装恋人、終わりにしましょ』

 

 もし、のっけからリディアにそんなことを言われたら……。

 それから何もなかったかのように、晩ごはんなんか食べられない。

 —— —— ——

 

(オレからは『これから偽装恋人どうすっか』って言わねえぞ……!)

 心の中でそんな決意を固めているうちに、広場の入口まで来ていた。

 中に入れば、既にリディアがベンチにちょこんと座っていた。

 言動からは、ものぐさがちらほら垣間見えるけれど。

 リディアは偽装恋人期間中、こうして時間厳守を徹底している。

 

『こんばんは、リディアさま』

「あ、こんばんは」

 

 リディアが、夕暮れの深い赤に照らされた顔をほころばせた。

 

『本日はお休みだったのですか?』

「ええ。ツクヨミさんはお仕事の帰り?」

『はい』

「ご苦労様」

『ありがとうございます。リディアさまは、いつもお早いですね』

「大人の女性だもん。最低限のマナーぐらい守らなきゃ」

 

 胸を張るリディアを微笑ましく思いながら、エッジはリディアの隣に座る。

 

「でも、お腹……まだ空いてなくて……」

 

(おやつ食いすぎたな)

 リディアが渋い表情で、自身のお腹を両手で押さえた。

 もともと、リディアは甘いもの以外は少食。

 おやつを大量に食べたなら、お腹も空く訳がなかろう。

 

『それでしたら、先に果物をいただいてもよろしいでしょうか?』

「ちょっと待ってね……はい、どうぞ」

 

 バスケットの中から、リディアが四角い器を取り出した。

 器には、りんごのくし切りが入っている。

 

(そういや、前はオレンジ、その前はりんごだったな)

 おまけのデザート——果物は、オレンジとりんごの2交代制らしい。

 

『いただきます』

 

 リディアに一声掛けて、くし切りりんごを手に取ると。

 『ツクヨミ』らしく、お上品に半分だけかじった。

 みずみずしくて甘い香りが口の中に広がる。

 

「わたしもたーべよ」

『あの、お腹は空いていな』

「——甘いものは別腹なの」

 

 リディアが真剣な表情でエッジを遮ると、りんごをかじり始める。

 

『確かに……果物もデザートですね』

 

 リディア的には、りんごも甘いものと同類らしい。しかし、どうも腑に落ちない。

 

「ひんごほいしい……へど、ひると……ひろが……っ、はわるんはよへ……」

 

 正しくは、『りんご美味しいけど、切ると色が変わるんだよね』である。

 リディアが、りんごを食べる時は大抵これだ。

 

 口にモノを入れて話すのは、お行儀が悪いとされているが、毎回目をつぶっていた。

 なぜなら、リディアがやると愛くるしく見えるから。

 

 リディアが何回か咀嚼してから、りんごをごくりと飲み込むと。

 すぐさま、新たなりんごのくし切りを口に入れた。

 その様を見て、エッジはぴんと思いついた。

(……いいこと教えてやっか)

 

『どうして切ると色が変わるのか、リディアさまはご存知ですか?』

「……っ、ひらなひ」

『りんごの中に含まれるある栄養成分が、空気に触れるからだと言われております』

「もしかして、梨も??」

『その通りです。どちらも変色しようが栄養面や味には問題ございませんが、はちみつを少量溶かした水に切ったりんごや梨を浸けておけば変色を防ぐことが出来ますよ』

「っ、それほんとっ!?」

 

 エッジが、りんごお得情報を流暢に並べ立てると。

 リディアは目をまん丸にして、返事をしてくれた。

 

『本当です。見栄えがよい方がやはり食欲もそそりますからね。ぜひ一度お試しください』

「いいこと聞いちゃったぁ……! ツクヨミさん物知りなんだね」

 

 数年前、リディアは温室育ちを脱出したいと言い出した。

 『エッジ』が知識を得るよう勧めたら、知識欲の塊になった。

 もっとも、雑学と生活お役立ち情報ばかり。それでも、顔を輝かせて話を聞いてくれる。

 

『エブラーナの知恵を教えただけですよ』

 

(そんなもんねえけどな)

 リディアに喜んでもらえたことに調子づいて、しれっと嘘をついた。

 

「今度試してみる。いいこと教えてくれてありがとう」

『いいえ。どうしたしまして』

 

(くっそ……! 可愛い顔しやがって……!)

 リディアが笑顔を見せてくれて、胸が締めつけられる。

 

 『ツクヨミ』が知識をひけらかして、リディアに知恵を授ける。

 ……『エッジ』と同じことをやっていることに。

 エッジは全く気付かないまま、話題を変えることにした。

 

『あの……』

「なに?」

『あれから犯人たちはどうなったのですか』

「Cに載ってたよ? 読んでない?」

『……申し訳ございません。Cは購読しておりません』

「そうだ、バロンの新聞だったね……」

 

 ミストの大掃除の記事は、CだけでなくAにも載っていた。

 どちらも、バロンの新聞である。

 

 3日に何があったか、知らないふりをした『ツクヨミ』へ。

 リディアがアドニスたちのその後を話してくれた。

 

 —— —— ——

 キロンとアドニス。そして、保守系先住民2名の計4名。

 彼らは、9の月3日をもってミスト永久追放となった。

 今後ミストへの立ち入りも禁じられる。

 

 これからキロンと他2名は、バロンにある某農村で暮らす。

 傷害未遂と脅迫を犯したアドニスは、2年間バロンの牢獄で服役する。

 

 トロイアの会社Zの元社長と元副社長は、ミスト立ち入り禁止の処分が下された。

 ふたりは集会の前日、会社を解雇。社会的制裁を受けている。

 しかも、集会で罪を認めて、反省の意志ありとみなされた。

 そのため、他の4人に比べて軽い処分で済んだという。

 —— —— ——

 

 集会が行われた日の夜。

 住民20数名が公民館に集まり、キロンたちの処罰を話し合いで決めた。

 アドニスの被害者リディアとライザ。そして、バロン城専属の法律専門家も同席したと聞いている。

 一点を除けば、まあまあ妥当な処罰だと思う。

 

『あの人たちが使ったお金は、返してもらえるのですよね?』

「ううん? 迷惑料や慰謝料も請求しないの」

『なぜでしょう』

 

 唯一エッジが気になった点が、使い込んだお金をチャラにしたことであった。

 

 アドニス以外は、お年寄り一歩手前。アドニスもほとんど働いたことがない。

 それでも、勝手に使ったお金は返さねばならない。

 使われた方も返せと要求するのが筋。エッジはそう思うのだが……。

 

「金額が多すぎるし、返ってくる見込みないからだよ。せっつくだけ無駄だもん」

『そうですか』

 

(手切れ金か学習代……にしても、でけえ出費だな)

 ミストはキロンたちと一切関わりたくない。だから要求を諦めたようだ。

 ミストの住民が話し合ってそう決めたのなら、文句は言えない。

 

『他は妥当な処罰だと思います』

「アドニスは死刑にしろって言う人もいたけど……さすがにそこまでは……」

『感情論ですね』

「バロンのお役人さんも、厳しすぎるって止めてくれたの。これから一生、前科者だから効き目があるっておっしゃってたよ」

 

 前科者という肩書きがつくと、雇ってくれない会社が多い。

 仮に刑期中に変な真似をしたら、刑期がその分伸びる。

 刑を終えて外に出てから、また罪を犯すと刑が重くなる。

 前科者はそれだけ厳しい立場なのだ。

 

「キロンさんたちも、あの年と性格だと、今からバロン兵がいるところで暮らすのは難しいし……」

『もしかして、兵が監視されるのですか?』

「うん。こっそり目を常に光らせておくんだって」

 

 お金も返さなくていいし、監獄送りではない。

 だからキロンたちは軽い処分。そう思われがちだが違う。

 新しい生活の場は、ミストから遠く離れたバロン辺境の地。

 そこに常駐するバロン兵が、3人の行動を監視することになっている。

 

 キロンたちは、50年近くに渡ってミストの中『だけ』で生きてきた。

 これからミストの外で新生活を始めても、相当苦痛を生じるのが目に見えている。

 ミストで暮らしていた方がマシだった。いつかそんな後悔をする日が来るかもしれない。

 

§

 

 引き続き、エッジ——『ツクヨミ』は、りんごをつまみながら。

 リディアと一緒に、集会や3日の出来事を振り返っていたら。

 人が広場に近付いてくる気配を感じた。

 

『ちっ』

 

 ……またあの男が、ここにやってくる。

 リディアに聞こえぬよう小さく舌打ちした。

 

「おーい」

「あぁ、おじちゃん」

 

 広場に現れたのはミゼル。軽い足取りで、エッジたちのそばに近付いてきた。

 

「もうすぐ寒くなるのに、まだ夜のピクニックやってるの?」

『こんばんは、ミゼルさん』

「あぁ、どうも。集会の時以来だね」

 

(うっぜえ奴だな。また茶化しにきたのかよ……!)

 ご丁寧に挨拶しながら、ミゼルをぎろりとにらんでやった。

 当の本人は、『ツクヨミ』から牽制されているとは気付いていないだろう。

 

「またからかいにきたんだ……」

「違いますぅー。ツクヨミさんに用事があってきたんですぅー」

 

 エッジと同じことを考えていたのだろう。リディアも警戒している。

 そんな彼女に、ミゼルが大げさに口をとがらせて反論してから。

 エッジの目の前に立った。

 

 —— —— ——

 先月、リディアと初の『夜のピクニック』デートをしていたら。

 ミゼルが広場にやってきて、『ツクヨミ』へこう耳打ちしてきた。

 

『ちんけなプライドなんか捨てて、はっきり告白したらどうなんだよ』

 

 まどろっこしいことをやるな。そう言いたかったのだろう。

 —— —— ——

 

 あの時みたいに、挑発してくるのだろうか?

 そう考えて、身構えていたら。ミゼルが頭を深々と下げてからこう言った。

 

「ミストの大掃除に多大なご協力をしていただき、本当に助かりました」

『え』

「どうもありがとうございました」

 

 予想と反して、ミゼルから丁寧な口調でお礼を述べられてしまった。

 

『……い、いえ。とんでもございません』

「あと、これなんだけどさ」

 

 肩透かしを食らった気分に陥っていると、白い封筒を差し出された。

 

「エドワードくんに、また渡してもらえるかな?」

『……はい。お預かりいたします』

 

(『お館様』へのお礼か)

 ミゼルから、封筒を受け取ってみれば。

 前回——リンとメイがここに来た日——と同じ、上質のものだった。

 裏を返してみると、今回も緑の封蝋が施されている。

 隣に座るリディアも首を出して、封筒をのぞき込んできた。

 

「返事ちょうだいって、一言つけといてくれると助かるよ」

「……え? 封筒にもう書いてあるよ?」

 

 リディアの指摘通り。封筒の右上に『要返事』と赤く書かれている。

 

「念には念を押した方がいいと思ってさ。文面にも書いたんだ」

「……そこまでしなきゃだめなの?」

「そこまでしてもだめかも」

「ええ?」

「エブラーナの人たちが来た時にも、返事くれって書いたんだけどさ。無視されちゃったんだよ」

 

 ミゼルが不満そうな顔で愚痴をこぼした。

 それを聞いたエッジは、心の中で冷や汗をかく。

(そんなこと書いてあったか!?)

 

 —— —— ——

 リンとメイがミストに来襲した直後。

 ミゼルから『ツクヨミ』として、『エッジ』宛ての手紙を預かった。

 

 エブラーナに帰る途中、文面にひと通り目を通した。

 ところが、そこに綴られていたのは、ほぼ的確な近未来予測。

 そして、『エッジ』への助言という名のおせっかい……。

 腹が立って仕方がなく、すぐに火遁の応用で燃やしてしまった。

 —— —— ——

 

 そういった経緯から、当時の手紙は今は影も形も残っておらず。

 今更文面を確かめることすら出来ない……。

 

「そうなんだ……エッジ、忙しいのかな?」

「違うよ。ぼくは嫌われてるんだ」

「嫌われるようなこと何かしたの?」

「さあ? 全然心当たりないんだけどねぇ」

 

 ミゼルがそう言いながら、リディアから『ツクヨミ』に視線を移してきた。

 自身に落ち度はないと主張しているように見える。

 

(なんでこっち見んだよ! 『ツクヨミ』関係ねえだろ!!)

 嫌みったらしいミゼルの視線に、エッジはいらっとした。

 文句を言う相手が違うだろう。そう言ってやりたい気分だ。

 

「別にいいんだけどね。ぼくのこと好きな人、ジャンヌさんぐらいしかいないし」

「ばかなこと言わないの」

「ええ??」

「みんな好きに決まってるでしょ」

「……それが本当なら嬉しいなぁ」

「そうだよ。滅多に怒らないし反応が面白いから、ばかにしてるだけだよ」

「っ、ははっ……」

 

 リディアが続けて口にした言葉で、喜びを台無しにされた。

 ミゼルが口元を引きつらせて乾いた笑いを見せている。

 

(これもう死ぬまで治んねえな)

 リディアは、うっかり余計な一言を口にしてしまう癖がある。

 本日も、それは健在であった。

 

「あっ、ツクヨミさん。それ、渡してちょうだいね」

『はい。かしこまりました』

「じゃあね。ゆっくりしていってよー」

 

 ミゼルがそう言い残すと、凧のような足取りで広場から去っていく。

 

(毎回これぐらいの距離感なら言うことねえのに)

 今日は運のいいことに、『ツクヨミ』にあまり絡んでこなかった。

 

「よかった。元気になって……」

 

 ミゼルを見送りながら、リディアが安堵したような表情で、そう口にした。

 

『元気ではなかったのですか』

「うん。ずっと空元気だったの」

『そういう風には見えませんでしたが』

「……口元にあざがあったの知ってる?」

『はい』

「あれ、集会の前の日にね。ライザの旦那さんに——」

 

 8の月の末日。ライザはアドニスにトードをかけられて、カエルにされた。

 『ツクヨミ』が、少しでも現場に駆けつけるのが遅かったら。

 ライザは本当に足を切られていたかもしれない。

 

 —— —— ——

 その夜。ミゼルが事情説明と謝罪のために、ライザの自宅に現れた。

 ところが、ライザの夫は怒りに任せて、ミゼルの謝罪を受け入れなかった。

 

『どうしてあいつらを野放しにしてた!? ライザが本当に怪我したら、あんたどう責任取るつもりだったんだ!!』

 

 夫はそう言ってから、ミゼルを殴り続けたという。

 ミゼルも気が済むまで好きにさせていた。だから、あんなアザが出来てしまったという。

 —— —— ——

 

(アドニスが撒菱の中だったから、怒りの矛先がミゼルに集中したのか……)

 それ以来、ミゼルは公衆の面前以外、とても浮かない顔をしていた。

 しかし、先ほどは久しぶりに頭お花畑。テンションが高くて安心した。

 リディアがそう話してくれた。

 

『ライザさんからそのお話をお聞きになったのですか』

「うん。その夜にベスたち寝かしつけてから、おうちに来てくれて……教えてくれたの」

『仕方がございません。人の上に立つ者はそれ相応に責任を持たないといけません。ミゼルさんも覚悟はされていたでしょう』

「バロンでの求刑の時。おじちゃん……あの人たちに唾吐かれなくてよかった」

『あれは驚きましたね』

「ツクヨミさんだけじゃないよ? わたしもみんなもいっしょのこと思ってるんだから」

『むしろ吐きたいのは、ミゼルさんの方でしょう。今までのことを思えば、一度ぐらいなら許されますよ』

 

 エッジもリディアに同調して、キロンたちの振る舞いをけなした。

 

 ほぼ奴隷として見ていた男に、してやられたのだ。

 キロンたちも、悔しくて悔しくてたまらなかっただろう。

 しかし、ミゼルに多少でも歩み寄っていれば、こうはならなかったはず。

 そもそも、悪いことをしていたのだ。キロンたちに全く同情出来ない。

 

「昔はあれが当たり前だったと思ったら、悲しくなっちゃった」

『奥様もずいぶんひどいことを言われておりましたし、長年おふたりは、よく耐えてらっしゃいましたね』

「ツクヨミさんも嫌でしょ? おばちゃんみたいに、みんなの前でばらされちゃうの」

『ええ。耐えがたき屈辱です』

 

 『ツクヨミ』の事情——半分作り話で、リディアに打ち明けることが出来た。

 それぐらいには、エッジやジャンヌが抱える問題は後ろめたく。

 個人相手でも、自ら打ち明けるには勇気が必要である。

 アドニスは、それを誰の許可なく公衆の場で堂々と晒した。

 

「あの人、人の心持ってない。非常識だよ……」

 

 苦々しくつぶやいたリディアに、心の中で同意する。

 

 リディアに危害を加えた。しかも、常識外れで、自己中心的な行動や言動を見せた。

 あの男——アドニスに怒りを覚えてならない。

 

 —— —— ——

『あいつは昔からリディアの父親が好きだったんだよ。エスタの後釜を虎視眈々と狙ってたんだ』

『ジャンヌはニクスに選ばれたエスタをねたんでた。子どもも産めなくなって、エスタに全部幸せ取られたようなもんだ』

『火事でエスタが死んでジャンヌも大喜びだ。初恋の男の娘を自分の子どもとして引き取れ……』

 —— —— ——

 

 その時のアドニスの発言は、ジャンヌへの私怨からくる誹謗中傷。

 今回の件にそれ関係ある? と言いたくなる。

 もちろん、すぐにリディアは『全部あんたの作り話だっ!!』と言い返していたけれど。

 

『リディアさまは、既に知っておられたように見えましたが』

「最近おばちゃんたちから聞いたばっかりだよ」

『いつから?』

「七夕の次の日」

 

 確かジャンヌが、不妊体質を打ち明けた時と同じ日だ。

 その日に、リディアに内緒にしていたことを全て暴露したようだ。

 

『……聞いた直後は、いい気はしなかったでしょう』

「え? 全然思わなかったけど」

『どうしてですか??』

「おじちゃんやおばちゃんたちとは、小さい頃から一緒に晩ごはん食べたり、よく遊んでもらってたの。火事の前の日もおうちに遊びに来てくれたしね。お母さんがふたりのことを本当に嫌いだったら、そんなことしなかったよ」

『……そうだったのですか』

「おじちゃんが火事で助かったのは、お母さんが『お父さんとふたりきりになりたいし、ジャンヌをもっと幸せにしてあげてから、こっちに来てちょうだい』って、追い返したのもあると思うんだ」

 

 はきはきと答えたリディアからは、虚勢や強がりは一切感じられない。

 彼女は、どんな辛い過去も否定せず受容出来る、強くて広い心を持つ。

 だから、誰よりも早く火事の実行犯だったセシルを許した訳で。

 

 しかも、『過去の積み重ねがあったから、今がある』を教訓にしている。

 だから、縁を切ったエッジに怒らなかった。それどころか、感謝の意を表してくれた訳で。

 

『奥様は、リディアさまのお父様よりもお母様の方が好きだったような印象を受けましたが』

「おばちゃんは、小さい頃からお母さんと大の親友だったの」

『そうですか……』

「『正反対だからウマが合ったんだよ』って、ふたりともよく言ってたしね」

 

 —— —— ——

 ジャンヌは身体を動かしたり、自然と戯れたりするのが大好き。

 魔法教室をさぼり、入らずの森に入り浸ったり。

 祖父から棒術や体術を教えてもらっていたりしていた。

 

 魔法に対する適性が高かったのに、ブリザドしか覚えなかったため。

 一部の住民から『魔力の持ち腐れ』と揶揄されていた。

 本人も家族も『好きにして何が悪い』と意に介さなかった。

 

 一方エスタは、ジャンヌと反対に穏やかな気質。

 わずか10歳足らずで、召喚士の道を歩み始めたことから。

 権力者視点ではミストの理想的な子どもであった。

 —— —— ——

 

「でも、おばちゃんは、お父さんやおじちゃんとそんなに仲良くなくて……」

『なぜでしょう』

「もともと、男の人には負けないってポリシーを持ってたから、男ってだけで敵意めらめら燃やしてたみたいだよ」

 

(なるほどな)

 ジャンヌがミゼル以外の男と仲良くしている。そんな場面を見たことがない。

 そんな中『ツクヨミ』にやけに優しいのは、アドニスの暴力から助けてくれた恩人だからか。

 

 —— —— ——

 ジャンヌはエスタがいない時に、ニクスと顔を合わせると。

 ほぼ毎回、1対1で決闘という名の力比べをしていた。

 

 魔法にどっぷり依存していた当時のミストにおいて。

 ニクスはジャンヌと同じく、とても珍しい子どもだった。

 

 純血は武芸を磨く必要ない。召喚士になれるようにもっと黒魔法を覚えなさい。

 周囲からそう助言されても、ニクスは聞く耳持たず。

 鞭やロッド、杖を使った物理攻撃の訓練に日々励んでいたという。

 —— —— ——

 

『しかしながら、ミゼルさんは幼少の頃からミストで立場がよくなかったと伺っております。奥様はそんな人にも辛く当たっていたのですか?』

「さすがに、おじちゃんは……」

 

 —— —— ——

 ミゼルは幼少の頃から、大人だけならず、子どもからもいじめられていた。

 

 親の影響か、黒魔法を習得できた優越感からか。

 当時はゼロをばかにする子どもも少なからずいたようだ。

 

 ジャンヌはエスタからの通報や、その場に鉢合わせする度に。

 弱い者いじめ大嫌いの血が騒いで、いじめっ子を追っ払っていたという。

 —— —— ——

 

『お話を聞いていると、奥様がリディアさまのお父様を好きになる理由がよくわからないのですが……』

「あっ、おばちゃんの好きなタイプ知らないもんね」

『どういった男性が好みだったのでしょう?』

「女性の心と身体、どっちも大切にしてくれる強い男の人だよ」

『騎士のような方、ですか??』

「そう! お父さんはミストでは珍しいタイプだったんだって」

 

 エッジは、リディアの父ニクスと一度も会ったことはない。

 

(ひょろいまではいかねえが、鍛えてねえ奴ばっかだしな……)

 しかし、ミストの先住民男性の姿を頭に思い浮かばせたら。

 なんとなくニクスの風貌はイメージ出来る。

 

 —— —— ——

 ジャンヌは17歳の頃。ニクスたちが始めた白魔法導入運動をきっかけに。

 エスタの後について、ニクスやミゼルと行動を共にするようになった。

 

 4人で時間を過ごしているうちに、ジャンヌはニクスに淡い恋情を抱くようになった。

 ニクスの女性——主にエスタ——に対する振る舞いは、本で見た騎士さながら……。

 ジャンヌの理想の男性にどんぴしゃだったのだ。

 

 ところが、ニクスとエスタのふたりは、どこからどう見ても。

 思いが通じ合っているようにしか見えない。

 

『このふたりはいずれ結婚する』

 

 お得意の勘も降りたこともあって、諦めの方が強かった。

 それから1年後。ジャンヌはだめもとで、ニクスに告白した。

 

『悪りぃなぁ。成人したら、エスタにプロポーズするって決めてんだよ。これからもあいつ支えてやってくれよなっ』

 

 あっさりフラれてしまい、ジャンヌは3日の間。エスタに慰めてもらったという……。

 —— —— ——

 

(それのどこが泥沼なんだよ……!!)

 リディアから聞かされた話は、とても健全な三角関係。

 当時ねたみやそねみが、多少あったかもしれない。

 けれど、失恋が尾を引いて怨恨が残るものとは思えない。

 

「話聞いたら、おばちゃんがもっとかっこよく見えたよ」

『なぜでしょうか』

「フラれるのわかっててお父さんに告白して、玉砕出来たから」

『……』

「わたしは……そんな勇気なかったな……」

 

 視線を落として、リディアが寂しげに笑った。

 

(結局告白しなかったもんな)

 リディアは、セシルに思いを寄せながら半ば諦めたような形で。

 セシルとローザを遠巻きから眺めていた。

 エッジはそんなリディアの姿を見ていたからよく覚えている。

 

『……奥様は、よくミゼルさんと結婚されましたね』

「どうして?」

『好みのタイプからかけ離れているではありませんか』

「おじちゃんはひょろひょろだけど、女の人の心は大切にしてくれるよ?」

『まあ、そうかもしれませんが……』

 

 どうも納得が行かない。

 すると、突然リディアが表情を暗くさせてからこう口にした。

 

「本当はね……おじちゃんがおばちゃんにべた惚れだったの」

『逆だったのですか??』

 

 昔からジャンヌは、度々のろけていた。

 てっきりミゼルにベタ惚れしていると思っていたのに。

 

「そうなの。若い頃からずっとアプローチされていて、折れて結婚したんだって」

『仕方なくですか。もったいないですね』

 

(いじめっ子から助けてくれたからか)

 実際はミゼルがジャンヌに惚れていた。そうとわかれば。

 妻が夫に容赦なく手を出して、ぞんざいな態度を取るのも合点がいく。

 

「でも、お父さんの次にまともな男の人だったし、『ミゼルが好き』『惚れた』って、口にし続けてたら本当にそうなっちゃったから問題ないって言ってたよ?」

『そうですか……』

 

(ヤることヤッてたもんな……子どもは出来なかったが)

 ミストは狭い村社会。出会いも少ない。

 気心が知れていた親友の幼なじみで妥協したのだろう。

 言霊を使用して、長年『ミゼルが好き』と自身に思い込ませていたようだ。

 

「——そろそろ食べようかっ!」

 

 リディアが威勢のいい声を上げてから、バスケットから何かを取り出した。

 

「はいっ」

 

 紙皿を受け取る。すると、そこに乗せられていたのは食パン1斤を半分に切ったもの。

 形からしてサンドイッチではないようだ。

 

『これは……?』

 

 食パンの上には、チーズがまんべんなく乗せられている。

 飾り代わりに、緑の粒——おそらくパセリ——も少量掛けられている。

 

「パングラタンだよ」

『なるほど……食パンの中身をくり抜いて器にしたのですね』

「もう冷めてるから、あまり美味しくないかもしれないけど……」

『真冬ならまだしも、今は夏が終わったばかりです。お気になさらないでください』

 

 グラタンと称したぐらいだ。

 中には、ホワイトソースがたっぷり詰め込まれているはず。

 

(なんだ、この豪勢なメシ!?)

 はっきり言おう。

 リディアが気合いを入れて、手の込んだものを作ったのは。

 ビーフシチューとサンドイッチしかない。

 そのビーフシチューですら口に出来ぬまま、関係を絶って食べる機会を失った。

 

『ずいぶん時間がかかったのではありませんか?』

「作ったの昼すぎからだよ。今日お休みだったから」

『あぁ……さっきそうおっしゃられてましたね』

「この間のお礼も兼ねてるの。どうぞ食べて」

『それでは、遠慮なくいただきます』

 

 紙皿に乗せられていたスプーンで中身をすくい、口に運ぶ。

 リディアは、焼きたてあつあつではないことを気にしていたが。熱はまだ残っていた。

 濃厚なチーズと、まろいホワイトソースが口の中でとろける。

 これをリディアが作ったのだから、頭もとろけそうだ。

 

『美味しいです……!』

「ほんと?」

『ええ、野菜もしっかり入っておりますし。器にも味がしみ込んでおりますから、最後まで美味しくいただけそうです』

 

 ライザが貸してくれた料理本に、このレシピが載っていた。

 お肉や食パンは、本日バロンに買い物に行ったジャンヌに買ってきてもらった……。

 などなど、リディアが得意満面にパングラタン制作秘話を教えてくれた。

 

(くそ、もっと前からやる気出させりゃよかった!)

 『エッジ』と一緒にいた頃。リディアは料理に対して、熱意がほとんどなかった。

 

 それが今はどうだ?? 『ツクヨミ』相手に、熱意もスキルも上昇しているではないか。

 ……自ら演じているにもかかわらず。

 『ツクヨミ』に嫉妬していることに気付き、心の中で苦笑した。

 

§

 

『ごちそうさまでした』

 

 20分も経たないうちに、エッジはパングラタンを食べ終えた。

 もちろん、ホワイトソースが染み込んだ食パンの器も全て。

 

「食べるのはやいね……」

 

 リディアが、手にしていた自身の紙皿を脇に置いた。

 その上には、食パンの器がまるごと残っている。

 

(甘いもの以外あんま食べねえし、りんご食ったからな)

 レシピ通りに作ってみたが、全て食べきれなかったようだ。

 

『これだけ美味しければ、食欲も進むと言うものです』

「それ、もらうね」

『はい』

 

 リディアが受け取った紙皿をバスケットの中に戻しながら、こう口にした。

 

「頑張って作った甲斐あったよ。もう思い残すことないかも」

『え……?』

「アドニス、いなくなったけど。——これからどうする?」

 

 両手を太腿の上に置き、姿勢を正してからリディアがそう言った。

 

(ついに来た……!)

 ぼやかした表現でもすぐわかる。偽装恋人をこのまま続けるかどうかだ。

 どうするもこうするも。エッジの答えはひとつだけしかないのだけれど。

 

『僕は続けたいと思っています』

 

 エッジは継続希望を申し出た。

 偽装ではなく、本物で。そう言いたいが、ぐっと我慢する。

 

「ほんと? じゃあ、このまま続けてもいい??」

『!?』

 

 リディアが笑みを浮かべながら、継続希望を表明した。

 清々しい顔で『もう今日で終わりだね!』と言われるだろう。

 そんな悲観的な予想をしていたエッジにとって、意外な流れである。

 

『……よろしいのですか?』

「いいの。ツクヨミさんがよかったら続けようと思ってた——」

 

 再度リディアに確認を求めたところ。

 偽装恋人を継続したい理由をこう説明された。

 

 先月の末から、ミストで白魔法講座が始まった。

 講師は、アルベルトという名の若い男性白魔導士である。

 

「アルベルト先生がね、ミストで大人気なの」

『ダムシアン国王に負けず劣らずの美丈夫。女性のみなさんがお話になられておりますしね』

「その先生に、ミネルバが一目惚れしちゃったの」

 

 白魔法講座初日。アルベルトはミストの女性の心をかっさらった。

 他の住民からそう聞いたことがある。

 リディアの同僚教師、ミネルバもその中のひとりだったようだ。

 

『そうなのですか。ライバルは既婚の方が多いですし、上手くいくとよいですね』

「それが……」

 

 リディアが困惑したような表情で、こう話してくれた。

 当のアルベルトは、リディアに気があるような素振りを見せる。

 ミネルバがその場面を見る度に、ぶすーっとしたような顔でこちらを見てくるという。

 

『嫉妬ですね』

「たぶん……わたし、アルベルト先生に興味ないんだけど」

『ミネルバさんと仲が悪くなったのですか?』

『わたしたちが付き合ってると思ってるから、それはないの。わたしからは先生の話題、出さないようにしてるしね』

『なるほど。このままでいる限り、ミネルバさんとの友情が保たれる訳ですね』

「都合のいい話だけど、その間にふたりがくっついたらいいなあって……」

『リディアさまは、友人思いですね』

「へへ。みんな幸せだと嬉しくなっちゃうんだよ」

 

(おまえ、他人の恋応援してる場合かよ……)

 リディアがはにかんだように笑った。

 自分の幸せそっちのけで、他人の幸せを喜べる。

 リディア元来の気質とも言える、それを複雑に思う。

 

『しかしながら、リディアさま。まずは、ご自身の恋についてお考えになった方がよろしいのではないでしょうか?』

「……どういうこと?」

『例えばですね。好きな方をお忘れになった後』

「——忘れないよ」

『え』

「わたし、エッジのことずっと好きで居続けるの。絶対に忘れない」

 

 リディアが『ツクヨミ』を遮ってまで、きっぱり断言した。

 その言葉に耳を疑った。

 

『……ずっとですか!?』

 

 時間は特効薬——セシルと同じように時間をかけて。

 『エッジ』を忘れるつもりもないと言うのか? 

 

「うん。死ぬまでずーっとだよ」

『お館様は、ご婚約されたのに……死ぬまでお館様のことを思い続けるというのですか??」

「そうだけど?」

 

 リディアがけろっとした表情で、終生独身を宣言した。

 しかも、『エッジ』を諦めさせる爆弾——リンとの偽装婚約——も不発に終わってしまった。

 

『信じられません。気でも違ったのですか……!?』

「違ってないよ。いつか誰かと婚約すると思って、ずっと前から決めてたの」

 

(何言ってんだよ!?)

 リディアの身体をつかみ、揺さぶりながら説得しても、心は動きそうもない。

 リディアから『エッジ』への思いを手放させるには。

 これ以上、何をしたらいいのだろう。

 

「ただ、あの子はエブラーナの王妃としてはちょっと……」

『エブラーナの民も、リディアさまとほぼ同意見です』

「やっぱりそうなんだね」

『集会の時に、お館様に厳しいことをおっしゃられる方が多くおられました。ミストのみなさまも、この件に関してよい印象を持たれていないようですが』

「ほぼ全員だよ」

『え??』

「エッジのこと悪く言わないのって、おじちゃんとライザ……ラルフさんぐらいしかいないよ」

 

(そいつらだけ!?)

 ミスト事情をリディアから聞いて、ぎょっとする。

 

 —— —— ——

 先日ツキノワから届いた報告書には、こう書かれていた。

 

『お館様のご婚約を知り、お館様に失望したと多くのみなさんが話しております』

 

 それを読んだ結果。『エッジ』に批判的でない変わり者は、10人ぐらいいるだろう。

 そう予測をつけていたのに、たった3人とは……。

 —— —— ——

 

 ツキノワは、お館様に気を使ったのだろう。

 『多くのみなさん』と称することで、数をぼやかしたようだ。

 

「わたしは、エッジが悪い人には思えないから、嫌いになれない。婚約したのも何か事情があったのかもしれないし……みんながそうだからって、合わせる必要ないもん」

『リディアさまは、みなさまからお館様をかばっておられるのですか?』

「言わせたままにしてるよ」

『なぜですか』

「婚約はエッジが決めたことだから、どう思うかはみんなの勝手でしょ? ひどいこと言った時に怒ればいいんだもん」

 

 ミストの住民にとって『エッジ』の印象は、地に堕ちたも同然。

 にもかかわらず、リディアはミストの住民に染まろうとしない。

 王妃を娶ろうが、エッジへの思いは変わらない。

 エッジはそれをまざまざと見せつけられてしまった。

 

「え? 急にどうしたの……っ!?」

 

 エッジは立ち上がり、リディアの前で片膝をついた。

 

 『しもべポーズ』を取られてうろたえている。

 そんなリディアの右手を、両手でとってじっと見つめる。

 

『リディアさまが……おいたわしい限りです』

「あ、あの……」

『お館様は人であって、神ではありません。リディアさまも、神に純潔を捧げる巫女ではございません』

 

 エッジが穢したため、リディアの身体は純潔ではない。

 けれど、リディアがこの先やろうとしていることは、神に身を捧げる巫女と同じ。

 精神的にエッジへ処女を捧げるようなものだ。

 

 砂の吐くような表現に本音を混ぜ込み、切実な声で言葉を届けると。

 リディアが一瞬、ぽかんとしたような表情を見せてから頼をゆるませた。

 

「っ、やだなあ。巫女って大げさぁ……!」

 

 リディアがけらけら笑い出す。

 『ツクヨミ』が笑わせようとしている。そう思い込んでいるようだ。

 

(はっきり言わねえとわかんねえか……!)

 アドニスがいなくなったら、『ツクヨミ』として告白しよう。

 かねてから決めていたそんな予定を、今ここで実行することにした。

 

『大げさではありません。僕はあなたの「本物」の恋人になりたいと思っているのに……神にあなたを取られると思うと悔しくてなりません』

「っ!?」

 

 リディアが笑いを止めて、ひゅっと息を呑んだ。

 以前『ご想像にお任せします』と、含みを持たせていたからだろう。

 思いを告げられたにもかかわらず、とても驚いた様子は見られない。

 

「それ、わたしのことがやっぱり……?」

『はい。そういうことです』

「……」

 

 リディアが困惑したような表情で、何かもの言いたげにしている。

 エッジは黙って、彼女の顔をじいと見ながら言葉を待った。

 

(オレが何か言う度に、くるくる表情変えやがって……)

 それがまた可愛いではないか。

 告白した直後で切羽詰まった状況なのに、想い人の顔に見惚れていたら。

 リディアがすうと小さく息を吸った。

 

「……ひとつ聞いていい?」

『どうぞ』

「男の人って、えっと……特に好きな女の人の前だと、キスやいちゃいちゃが我慢できないんだよね?」

『な、何を突然おっしゃるのですか!?』

「ツクヨミさんは、そういうの我慢出来る人なの?」

『……』

「もしかして、そういうことしたいって思わない人なの?」

 

 リディアが首をこてんと傾けながら、質問をしてきた。

 ただ、その内容は可愛い仕草とは程遠く、エロかった。

 

(なんちゅう質問するんだよ!)

 『エッジ』には、こんなあけっぴろげなことを昼も夜も口にしなかったのに……!

 エッジは動揺を隠すために、口に手をやってからけほんと咳払いをした。

 

『……人並みに欲はあります』

「あ、やっぱり」

『しかしながら、忍者は元々陰で忍び耐える者でございます。人間が持つ5大欲求を、ある程度自己制御しております』

「5大?? 睡眠……食欲に性欲、物欲……あとなあに?」

『名誉欲です』

「あっ、認められたい、目立ちたいってことだね」

『そうです。それらを抑えることが出来ないと、お城勤は務まりません』

「すごいね……! わたし、甘いもの我慢しろって言われても、無理無理無理。絶っっ対無理だもん!」

 

 リディアが、きらきらしたような表情でこちらを見てくる。

 

(ばか野郎! 性欲と甘いもん同列に並べるな!)

 今が『ツクヨミ』でなく『エッジ』なら。怒鳴ってツッコんでいたかもしれない。

 

 甘いものを食べまくっても、困るのは当の本人だけ。

 しかし、性欲は甘いものとは違う。

 薄暗いそれが暴走したら、相手に迷惑がかかる。一歩間違えたら犯罪だ。

 

『引き続き、リディアさまが偽装をご希望だと言うことは、非常によくわかりました』

「すみません。わがまま言ってる自覚は……あります」

『僕は偽装で構いません。何よりあなたとこうして、一緒に過ごす時間が欲しいのです』

「ツクヨミさん……」

 

 『ツクヨミ』とかいう泡沫の存在だろうが。偽りの恋人関係だろうが。

 出来る限り、リディアと一緒にいたい。それがエッジの望みだ。

 

(二度と過ちは繰り返さねえ!)

 リディアが『エッジ』以外の男と、身体を繋ぐ気がない以上。押し倒す訳にいかない。

 この先、蛇の生殺し状態が続くだろう。それでも一緒に居続けるためなら我慢する。

 リディアのそばにいる間。湧いて止まらぬ自身のどす黒い欲に。

 影縫いをぶすぶす刺して、人畜無害を装い続けてやる。

 

『あなたと同様、僕も結婚するつもりはありません。お互い独り者同士でちょうどよいではありませんか』

 

 この先、エッジはどんな人物になりすましても、リディアと夫婦になることは出来ない。

 これは中の人が『エッジ』である限り、変えたくても変えようがない。

 

「本当にそれでいいの?」

『はい。ですから、契約続行と言うことでよろしいですね』

「そうだね。わたしも襲われないように努力するよ」

『リディアさまはその必要ございません。僕が努力すればよいだけです』

「……ツクヨミさんだけで大丈夫??」

『はい。天地神明に誓ってもよろしいです』

 

 不満そうな声を上げるリディアを諭した。

 エッジ自身、全く信じていない神の名を出してまで。

 

(おまえが努力しても、オレには意味ねえんだよ……!)

 自身の存在そのものが、魅惑の塊。リディアはそのことに気付いていない。

 

 仮にリディアが、頭の先から足の先まで布で覆っても。

 声は聞こえるし、布の隙間から色香がだだ漏れで意味がない。

 過ちを犯さないようにするには、エッジが努力(我慢)するしかない。

 

『ところで、期限はどうされますか』

「あぁ、そうだね……」

 

 リディアが首を傾けて、うーんとうなっている。

 

(ミネルバの問題が片付いたら、契約解除するかもしれねえな)

 その時は、どんな理由で契約続行させたらいいだろう。

 そんな不安を感じていたエッジに、リディアがこうたずねてきた。

 

「——ツクヨミさんとわたし、どっち『も』気が済むまででいいんじゃないかな?」

『……!』

 

 エッジは死んでも気が済まない。だから、実質無期限だ。

 こちらにとって都合がよすぎる提案に言葉が出ない。

 

(何だよ、何があったんだよ!)

 はじめに偽装恋人の契約を交わした時に、ごねたリディアは、見る影もない。

 心境が変化した理由は不明だけれど、なんとも願ったり叶ったりである。

 

「あれ? いやだった?」

『い、いえ。十分でございます……!』

「じゃあ、これからまたよろしくね」

『はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします』

 

 互いに軽く頭を下げて、無事に契約続行が成立した。

 

 『ツクヨミ』は、リディアの偽装恋人。

 そんな役で引き続き、リディアの人生の舞台に立つことが許された。

 約2ヶ月前にリディアとの関係を絶って以来。久しぶりに喜ばしい出来事だ。

 

「ほら、ここ座って」

『はい』

 

 リディアに促されて、エッジは元の場所に座り直す。

 

「よかったらこれ。契約続行お祝いに食べてね」

『ありがとうございます。いただきます』

 

 リディアから、器代わりの食パンが乗った紙皿を手渡された。

 食べ残した分を完食せよとのお達しである。

 

 中をのぞいてみれば、パンで作られた器の中身はほとんどからっぽ。

 ……これは記念ではなく、ただの在庫処分では?

 いつもなら、心の中でそうツッコんでいるところだ。

 しかし、今はそんな気が全く起こらない。

 

 これでしばらくは、リディアのそばにいられる。

 そう思っただけで、嬉しくて口元が自然とにやついてしまう。

 

 隣に座るリディアに、浮かれっぷりを見られぬように。

 エッジは器代わりの食パンを大きめにちぎると。

 それらをまとめて口の中に押し込み、もぐもぐ口を動かしたのであった。

 

(ここまで来たら、ダミーリングも買わねえとな)

 

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