※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

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薫衣草

 

 

 夕方まで降り注いだ雨が、大気中のちりを洗い流してくれた。

 そのおかげで、今夜のエブラーナは絶好の夜景日和である。

 漂う空気や吹く風もまっさらとして清々しく感じる。

 

「うーん、気持ちい……あぁっ!?」

 

 あまりの爽快さに、リディアが両手を上げて身体を伸ばした瞬間。

 ぴゅうと強い風が吹いて、身体を覆っていたストールが宙に舞い上がる。

 慌てて、布の端をがしりとつかんで捕獲に成功した。

 

「はあ、危なかったあ」

 

 飛ばされないようにストールを羽織り直すと、胸元を両手でぎゅっと握りしめた。

 

 ミストの外で得る体験は、新鮮なものばかり。

 特に今日は、探求心も食欲も爽快感も得られて、申し分ない1日だった。

 ところが、唯一好奇心が満たされず、睡魔が襲ってこない。

 そのため気分転換として夜風にあたりに内庭へやってきた。

 

§

 

「……あれ?」

 

 視線を夜空から城内に戻すと、ぼんやりとした人影が視界に入ってきた。

 

「よう」

「まだ起きてたの?」

「ああ。そっちは眠れねえのか」

「うん。あっ、それで……」

 

 ちょうどいいところに、好奇心を満たしてくれそうな人物が現れた。

 リディアが諸手を上げてそう喜んだのは、ほんの数秒だけであった。

 

「今日は悪かったな」

「え?」

 

 さすがに、頭までは下げなかったけれど。

 エッジが相手を遮って詫びるのは、とても珍しい。

 普段の威勢のよさが鳴りを潜めていて、リディアは戸惑ってしまう。

 

「どうして謝るの?」

「いや……なんか無理強いさせたかもしれねえって、思ってさ」

「とんでもない! 晩ごはんはとっても美味しかったし、久しぶりにあったかいお湯で身体が綺麗さっぱり出来たもん」

「……なんだ」

 

 どこか拍子抜けしたような表情で、エッジがぼそりとつぶやいた。

 リディアを強引にエブラーナ城へ1泊させたことを気に病んでいたようだ。

 先ほど部屋にやってきた時、横柄かつ無愛想に対応したからだろうか?

 

(あれだけはエッジが悪いよ)

 あの時間から若い女性の部屋に、男性がやってきたら誰だって警戒する。

 それが前科者なら尚更だ。

 その件については、こちらからは謝る気は一切ない。しかし、それ以外のことは……。

 

「そうだ、エッジにお礼言わなきゃ」

「え」

「今日はたのしかったよ。——ありがとう」

 

 —— —— ——

 入浴とは、お湯が張られた大きな浴槽に入って身体をすすぎ、清潔に保つこと。

 ただし、浴槽は町の浴場や宿屋か、お城やお金持ちの屋敷ぐらいしか設置されてしない。

 

 一般的な民、いわゆる庶民の自宅には浴槽や浴室がない。

 入浴という習慣がない庶民は、水かお湯に布を浸して身体を綺麗に拭く。

 もしくは、数日おきに近くの川などの水源で沐浴。このどちらかだ。

 リディアも、毎夜清拭で身体を清潔に保つようにしていた。

 —— —— ——

 

 そう。リディアはあれから夕食と入浴という二大行事を堪能した結果。

 散々エッジに抵抗していたことなど、すっかりどうでもよくなっていた。

 

「じゃあ、これから風呂入りたきゃ、ここに来いよ」

「っ、何それ……エブラーナ城はお風呂さんじゃないよ」

「いつでも入りたい放題プラスメシ付きだぜ?」

「ふふっ……それじゃ、宿屋と同じじゃない」

「んなもんタダに決まってるだろ」

「あははっ!」

「いい考えだと思わねえ?」

「それなら毎日通いたくなっちゃうよ!」

 

(やっぱりエッジはこうでなきゃ!)

 冗談なのか本気なのかわからない。

 エッジのそんな提案に、リディアは大きな声を上げて笑っていた。

 いつものノリがいいエッジに戻ってくれて、ほっとしたのだ。

 

§

 

「エミールの行方が気になって、眠れなかったあ……!?」

「あの日記には続きが書いてなかったもん。そのあとどうなったか、エッジなら知ってると思ったの」

「……エミールはカルミネの初代指導者だ。さすがにもう死んでんだろ」

「カルミネ? お菓子みたいな名前だね」

「お菓子って……いいや。ちょっとついてこいよ」

 

 エッジの後について、外通路の西階段を降りる。

 それから、左の塔の入口に繋がるトンネル状の通路に向かった。

 

 エッジが通路の前で立ち止まると、両手をいろいろな形に組んだ。

 その直後、落とし格子ががらがら音を立てて上がっていく。

 どうやら忍術で格子の開閉出来る仕組みになっているようだ。

 通路の中に入ると、エッジはその場にあぐらをかいて、懐から白く細長いものを取り出した。

 

「それ、ろう石?」

「ああ。石筆とも言うな」

 

 エッジがろう石でがりがりと、ねずみ色の石床に何かを描き始めた。

 リディアはその隣で、前かがみの姿勢になって様子を眺める。

 

(落書きしてた子どもたちを怒ったこともあったなあ)

 ろう石で描かれたものは、水で風でも消えない。そのため建築用途で使われることが多い。

 リディアもミストに帰郷したばかりの頃、建設途中の現場で何度も目にしたことがある。

 

「これ、エブラーナ?」

「ああ」

 

 エッジが床上に描き終えたのは、大まかなエブラーナ大陸の外形であった。

 それが近くの篝火によって、ぼんやり照らされる。

 

 さっきの場所——内庭と比べて、この場所は明るく石床も濡れていない。

 だから、エッジはここに移動してきたと思われる。

 

「エッジ、なんか先生みたい」

「おう、今日はエブラーナ情勢についての授業だ。——試験に出るぞ?」

 

 最後に冗談を交えて、エッジが中央に縦長の長方形を書きこんだ。

 これはバブイルの塔だろう。

 続いて、南東のエブラーナだと思われる位置に丸印を入れた。

 

「ここがカルミネ。未承認国家って奴だ」

 

 エッジがそう説明しながら、ある箇所にがりりとバツ印を刻んだ。

 それは、北の端っこ——竜の上口ばしの先端のような部分に付いている。

 

「国のお偉いさん以外にはほとんど知られてねえから、おまえが知らないのも無理ねえよ」

「未承認って、自称国ってこと?」

「そ。うちは国ですって主張するくせに、外部との交流をほとんど遮断してる」

「なんかうさんくさい……」

「空の上から、傭兵の養成施設があるのはわかったが、中で何やってんのかわかんねえの」

 

 前かがみの姿勢に疲れて、リディアもその場に座り込む。

 夏の終わりと言っても、夜の風は少し冷たい。ストールを持ち上げて改めて羽織り直した。

 

「傭兵って、今の時代必要ないよね」

「バロンやトロイア……どこもかしこも自衛路線にチェンジして、軍縮一辺倒だ。減りはしても増えはしねえな」

「その人たちやカルミネは、この先どうするんだろうね」

「……それがわかってたら苦労しねえよ」

「いつエミールがカルミネにいたって、わかったの?」

「あの日記が書かれた頃から1年ぐらい後だな。いきなりカルミネがこっちに牽制してきてな」

「やだ、戦争始まるみたい……」

「戦争はしなかったが、エミールの血ィ引いてるこっちが真の王族だって主張してきた」

 

 エッジが石床にゆるい円弧の矢印線を描いた。

 矢印はカルミネからエブラーナに向かっている。

 その中心にバツ印を入れたが、それが敵意を現しているのは一目瞭然。

 

「ただの逆恨みじゃない」

「ああ。すぐに親父……当時の国王はカルミネに和平交渉を持ち掛けた。もともと同じ民なんだから一緒にエブラーナでやっていきましょうってな」

「結果は?」

「速攻拒否。それからあっちは黙りっきりでどうなってんのかわかんねえ」

 

 先生の手によって、再び石床上に矢印線が緩やかに描かれる。

 矢印はエブラーナからカルミネへ。そして、その線の中心には、なぜかクエスチョンマーク。

 マークを刻んでから、立ち上がって両手をはたくエッジを、ばっと見上げた。

 

「エッジは、お父さんみたいに交渉しないの??」

「保留。和平に持ち込めるならそうしてえけどな」

「だったら……」

「何考えてんのかわかんねえのに、こっちから仲良くしましょうって言えるかよ」

「そう……」

「よし。授業はこれで終わりな」

「ありがとう、先生」

「おまえが興味津々って珍しいな」

「……ちょっとぐらい、世界情勢に詳しくなったっていいじゃない」

 

 リディアは、口を尖らせて石床のエブラーナをじいと眺める。

 

(エッジはああ言ってたけど)

 妖刀のせいで、何かろくでもないことが起こるのではないか。

 そんな仮説が頭に浮かんできた。

 しかし刀の持ち主が偶然だと言い張っている以上。部外者は黙っているしかない。

 

「気になってたこと、もう分かったろ?」

「……うん」

「体冷えちまう。部屋戻って休め」

 

 エッジにぽんと肩を叩かれて、頭を上げる。

 

「……エッジは?」

「戻ったら仕事の続き」

「まだ!? 昼間あんなことしてるから……」

「あれも仕事の一環だぞ?——それよか、両手ちょっと広げて前に出してみろ」

「……こう?」

「そうそう」

 

 エッジに促されて、両手をおずおず前に出して、水をすくうような形を取った。

 その数秒後。手のひらの上に小さい白い容器がぽとりと落ちてきた。

 

「……これ、何?」

「練り香。こないだ視察に行った時にもらってな」

 

 エッジが嬉しそうな表情で練り香の出処を話してくれた。

 

 —— —— ——

 2年ほど前に、とあるエブラーナの民が趣味と実益を兼ねて薬草畑を開墾した。

 練り香は、その畑で採れた薬草を使って作られたもの。

 

『これから薬草を使った様々な商品を開発して、エブラーナの名産品にしたいのです』

 

 先日、エッジが薬草畑の視察に訪れた時。その民がそんな野望を打ち明けてくれたという。

 —— —— ——

 

「よかったね……エブラーナのこと、しっかり考えてくれる人、これからもっと出てくるといいね」

「畑もすげえ綺麗でな、これからもっとでかくするんだと。いつか連れてってやるよ」

「うん、楽しみにしてる。それじゃ、おやすみなさい」

「おやすみ、また明日な」

 

§

 

 エッジと別れて、リディアは客室に戻ってきた。

 ストールを椅子に掛けてから、机の上に小さな白い円柱状の容器を置く。

 先ほどエッジからもらった練り香は、紫色の細長い紙で十字に封をされている。

 丁寧に施された封を破るのがもったいなくて、まだ中身は見ていない。

 

 ベッドに腰掛けると、身体を勢いよく後ろに倒した。

 今こうしている間も、エッジは仕事に励んでいると思われる。

 『短眠の術』とかいう都合のよい術に甘えて、徹夜をするのだろう。

 

 ミストは近々復興を終える予定になっている。

 一方エブラーナは、未だ復興の見通しが立っていない。

 それでも、国王さまは日々復興や民のために力を注いでいる。

 エブラーナの人々も同様に復興に向けて努力している。

 

(痛々しいっていうか、危なっかしいっていうか……)

 リディアには、エッジがどこか身を砕いているように見えて仕方がない。

 国王さまが幸せにならなければ、いくら裕福になっても人々は喜ばないと思う。

 エッジもそろそろ自身の幸せを探し始めてもいいのでは?

 そう。例えば結婚を前提とした恋人……。

 

「あれ?」

 

(好きな人や付き合っている人、いるのかな?)

 今まで一度たりとも、エッジの恋愛事情について考えたこともなかった。

 

 仮に、そういう女性が今はいなかったとしてもだ。

 エッジはこの国の王で、王家の血を引いている。

 その血を繋ぐために王妃を娶り、世継ぎをもうけたいだろう。

 

「でも、それだと……今みたいに会ったり話したり……できなくなっちゃう……」

 

(しょうがないよね。エッジが幸せになるんだから)

 いい加減、寝よう。明かりを消すために、力なく起き上がる。

 その拍子に、机の上の白い容器が視界に入ってきた。

 自然と足が机の方に向かい、改めて容器を手に取って目の前に掲げた。

 

 リディアは香水を使ったことがなく、物珍しげに容器を眺めてみる。

 封には小さく『薫衣草』と書かれているが、その名に心当たりはない。

 

(開けてみよう)

 そう思って、ふたを回したらその勢いで封がぴりっと破れた。

 すると、爽やかな花の香りがほんのり漂ってきた。

 

「あっ、これラベンダーだ……!」

 

 エブラーナでは、ラベンダーのことを薫衣草と呼んでいるらしい。

 リディアはこの香りによく覚えがあった。

 ハーブティーとしていただくために、この茶葉を自宅に常備しているからだ。

 

 容器の中から練り香を、右人差し指でほんの少しすくい取る。

 粘り気のある白い液状のそれを、左手首の脈打つところに薄く伸ばした。

 香りを移すために容器を机の上に置いてから、左右の手首を合わせて軽くこする。

 練り香は、肌にすぐなじんだ。体温のおかげで穏やかな香りが再びふわりと漂う。

 

「……やっぱり、いい匂い。これならぐっすり眠れそう」

 

 ラベンダーの香りには、鎮静安眠効果がある。

 ちょうどいいとばかりに、明かりを消してベッドに横たわる。

 シーツにくるまって目を閉じると、またうっすら香りが漂ってきた。

 自身を強調する一般的な香水の類とは違って、控えめなところが実にいい。

 

(あのエッジから贈り物なんて、初めて)

 旅の合間に、おやつをちょろまかされた頃がとても懐かしい。

 

 戦いが終わってから、エッジはちょっと変わったと思う。

 下品なことを一切言わなくなったし、リディアの顔色を少し窺うようになった。

 モノをくれるようになった。そして、時々背を向けて話すようになった。

 

 人は変化のある生き物で、全く変わらない人などいない。

 それに伴い、相手との関係が変わってしまうし、途切れてしまうこともある。

 わかってはいるが、やっぱり寂しい。

 そう思ってしまうぐらい、リディアはエッジとの友情関係にとても満足していた。

 

「薬草畑に……連れて行ってもらえるまで……このままじゃ……だめかなあ……」

 

 ラベンダーの香りに包まれているうちに、うつらうつらとしてきて。

 リディアはささやかな願いをつぶやきながら、ようやく眠りについたのであった。

 

 *5年後につづく

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