※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

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エッジ視点


宝石

 

 

——9の月10日 夕方

 

 

 エッジは『隠れみの術』を使い、ミストの公民館にやってきた。

 

 秋の季節に入り、夜は多少涼しくなったからだろう。

 会議室の窓は全て閉められており、外から中をのぞくことが出来ない。

 仕方なく室内に入り、後ろの壁にもたれて寄合の様子を見物することにした。

 

(リディアが『薪要らずの魔法』作るって宣言した時以来か……)

 本日の寄合でミゼルが総括を終えたら、ミストの大掃除は完全に幕引きとなる。

 そんなもの、後日ツキノワから届く報告書を読めば済む話だが。

 それでは場の雰囲気はつかみ切れないので、約1年ぶりに寄合に潜入した。

 

§

 

 寄合が始まってから、1時間ほどが経過した。

 ようやく1日の夜に行われた、処罰を決める話し合いの報告が終わったばかり。

 

「それでは次に、アドニスくんたちの処罰につきまして——」

 

 引き続きミゼルが、バロン城で行われた処罰言い渡しの報告を始めた。

 彼はここまで台本に頼らず、軽妙かつ簡潔な言い回しで話し続けている。

 

 —— —— ——

 本日の寄合では、真っ先にミスト初の法整備が議題に上がった。

 

 法は至ってシンプル。

 社会通念上の常識をわきまえて普通に暮らしていれば、破ることはない。

 先月届いたツキノワからの報告書からは、そんな印象を受けた。

 

 反対するであろう西区画の保守系先住民は、本日寄合を欠席。

 結果、全会一致で可決。10の月から法が施行されることになった。

 —— —— ——

 

「……以上ですね」

 

 数分かけて、ミゼルが3日の出来事を報告し終えた。

 エブラーナが協力したことだけは明かさなかったが。

 もともと、エッジがそんな希望を出していたので問題ない。

 

「ちょっと聞いていいか」

 

 ある住民男性が、ミゼルに声をかけた。

 

「何でしょう?」

「村長決めどうすんだ。今日やる予定だったろ」

 

 男性の指摘通り。ミゼルは寄合が始まってから、村長決めについて一言も触れていない。

 

「そうだ。そんなことあったね」

「アドニスいなくなったし、やる必要ないんじゃない」

 

 村長決めはやらなくていい。出席者が口々にそう発言する。

 エッジも彼らと同じことを考えていたのだが……。

 

「本日行う予定でしたけど、20日に延期します」

「え??」

「なんで、やる必要ねえだろ」

「今月をもちまして、ぼくは村長を辞めさせていただきます。だから、やらないといけないんです」

 

 ミゼルがきりっとした声で宣言した。

 すると、その場が水を打ったように静かになった。

 

 —— —— ——

 

『おじちゃんには、わたしが死ぬまで村長やってて欲しいの』

 

 ミストでいざこざが起こる度、リディアがそうこぼしていた。

 しかし、ミゼルはそんな気が全くなかったようだ。

 —— —— ——

 

 キロンたちをとっちめることが出来た。だから身を引くことにしたのかもしれない。

 それでも任期は3年も残っている。任期切れまで続けてもいいだろうに。

 

「おじちゃん!! ヤリ逃げなんてずるいよっ!」

「そこの人、公共の場で卑猥なこと言わないでくださーい」

「ヤリ逃げはヤリ逃げじゃない! ミゼル卑怯だよ!」

 

 真っ先に静寂をぶち破ったのはリディアだ。ミネルバも続く。

 

(なんで『ヤリ逃げ』なんだよ……!)

 若い娘ふたりの口から露骨な表現が飛び出して、思わず吹き出しそうになった。

 ドロップアウト、とんずら、ギブアップ……。他にも言いようがあるのに。

 

「どうしてヤリ逃げするの!?」

「ヤリ逃げされる、あたしたちの身にもなってよ!」

「こ、こらっ! 嫁入り前のお嬢さんがそんなこと言っちゃだめでしょ!?」

 

 リディアとミネルバが『ヤリ逃げ』を連呼して、あたふたするミゼルをよそに。

 その場は更にヒートアップする。

 

「ヤリ逃げするなら、あんな勝負けしかけなきゃよかっただろ!?」

「ヤリ逃げ辞任はんたーい!」

「ヤリ逃げする奴は無責任だ!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! ヤリ逃げじゃないですってー!」

 

 他の出席者もリディアたちに追随する中。ミゼルまで『ヤリ逃げ』と口にしている。

 

(ガキがいなくてよかったな)

 何とも緊張感のない光景に思わず笑ってしまった。

 大きな集合体——エブラーナではこんなこと出来ないだけで。

 エッジはこの雰囲気が嫌いではない。むしろ大好きである。

 

「じゃあ、ヤリ逃げじゃなかったら何なんだ」

「人間は、権力を握り続けると欲が出てしまう生き物なんです。ぼくはキロンさんたちのようになりたくありません。新しい人に村長をやっていただいて、ミストに新しい風をもっと入れてもらいたいんですよ」

 

 キロンたちをなんとかするまでの間。

 最初からミゼルは村長をつとめる期限を、そう決めていたように聞こえた。

 

(リディア、残念だったなあ……)

 ミゼルに見事裏切られてしまった、リディアへ視線を向ければ。

 頭を抱えて背を丸めるライザを慰めている。

 

「どうしよう……」

「気にしちゃだめ」

「いいえ……アレ……アレで決めちゃったのよ……」

「旦那さんのせいじゃないよ。勝手に決めたおじちゃんがわるいの」

 

 アレ——主人が殴ってまで責めた——が原因で、ミゼルは村長を辞める。

 ライザはそう思い込んでいるようだ。

 

「あんたなら自制出来るだろ」

「そうですよ。任期いっぱいまで続けてください」

「去年あんたを選んだばかりだ。最後までやり遂げろ」

「おっしゃりたいことはよーくわかります。では、ここでひとつ質問です。——ぼくが明日急に死んだらみなさんどうしますか?」

 

 ミゼルの問いに、室内がまたもや静寂に包まれた。

 

 なぜなら、誰もその答えを持っていないから。

 ミストには後継者。それどころか、緊急で村長の代理をつとめられる者がいないのだ。

 

「ジャンヌさんがいるじ」

「——あー、だめだめー。あの人じゃ代わりは絶対無理です」

 

 ミゼルが首を横に振りながら、ある住民からの指摘を遮った。

 

(あの女は体力勝負以外、人に使われて輝くタイプだからな)

 妻のジャンヌは、人の上に立つ人間ではない。ミゼルの代わりが務まるとは思えない。

 

「ほら、みなさん答えられないじゃないですかー。ここは国みたいに、決まった方がトップをやるところじゃありませんから、こういうことも出てきますよ。——はいっ! 予行演習だと思いましょう!」

 

 ミストは、王位継承権のように明確な後継への道筋がない。

 

 10年近く村長を続けた結果、リディアだけではない。みんなミゼルに頼り切っている。

 第三者の立場から見ていても、それがとてもよくわかる。

 

「昔はどうしてたの?」

「村長決めも、こうしてみなさんが集まる場もありませんでした。村長は、数年おきにその時の偉い人たち……キロンさんたちが自分たちにとって都合のいい人を選んでいましたね」

「はぁー、やりたい放題だったんだな」

「交代するには、今が絶好の機会です。次に村長をやる方はすごく楽ちんですしね」

「どうして?」

「なんと! 2年間無償で、ぼくのサポートがつきますっ!」

 

 どうだ参ったかとばかりに。

 ミゼルが満面の笑みを浮かべて、びしっと自身を指さした。

 

「引き継ぎやサポートは当たり前じゃないか!!」

「村長は浴槽じゃねえぞ!」

「ええ……? こんな破格特典ないと思うんだけど……」

 

 出席者から罵声を浴びせられて、ミゼルががっくり肩を落としている。

 それでも、エッジは思う。この男の言うことは正しい。

 

 —— —— ——

 村長について早々から、キロンたちにろくに協力してもらえなかった中で。

 支援を名乗り出てくれた他国との折衝。移民へのフォロー……。

 ミゼルはほぼ手探りで、村長職をつとめていた。

 —— —— ——

 

 そんなミゼルに比べれば、次の村長のハードルは相当低い。

 何かあれば、前任に意見を聞くことが出来る。

 そもそもミゼルは、キロンたちと人間の出来が違う。

 ああしろこうしろと、首を突っ込んでくることはないだろう。

 

§

 

 その後、ミゼルは次期村長の立候補者を問うたが。

 元々村長になりたがる者は、キロンぐらいしかいなかった。

 彼らが消えてしまえば、誰もそんな者は現れない。

 

 出席者も、任期を全うするよう何度も再考を求めたが。

 ミゼルの意志は岩のように固く、変わらない。

 反発していた住民も、次第に諦めの境地に入っていく。

 それを見計らったかのように、ミゼルは高らかにこう宣言した。

 

「次の寄合で、ぼくが次の村長にふさわしい人を何人か指名します。その人たちの中から、村長になって欲しい方をみなさんが選んであげて下さいねっ」

 

(賢いな……)

 ミゼルのやり口に、エッジは感心してしまう。

 

 単独指名だと、その者の裏でミゼルが院政を敷くと誤解される恐れもある。

 あえて複数指名にしたことで、ミゼルの本命をぼやかしている。

 

「もちろん、それまでに村長になりたい方がおられましたら。いつでもぼくに声をかけてください。——ではぁ、この件に関してはこれでおしまい。次はぁ……」

 

 リディアをはじめとした出席者が、みんな納得していないような表情を見せる中。

 ミゼルは晴れ晴れとした笑顔で、さっさと次の議題に移った。……まさにヤリ逃げ。

 

 そんな光景を目にしながら。エッジは羨望のまなざしをもって、狡猾な男を眺めていた。

 

(いいよな、簡単に辞められて……)

 辛い境遇。火事で負った大怪我の後遺症にミストの大掃除……。

 心身ともに、くたくたに疲れていてもおかしくない。

 エッジはそれを重々わかっていながらも。

 庶民生まれで、村長の職を自由に辞することが出来る。

 そんなミゼルがうらやましい、ずるいとしか思えなかった。

 

 

——9の月27日 夜

 

 

 今の季節。まだ残暑が厳しいが、それも昼間だけ。

 日が沈めば、夏に比べて吹く風も空気もひんやりしている。

 

『ごちそうさまでした』

「あー、もうお腹いっぱーい」

 

 エッジは、約1週間ぶりにミストにやってきた。

 広場のベンチで、リディアと晩ごはんをとり終わったばかり。

 本日は久しぶりに、2種類——たまごにハムと野菜——のサンドイッチをいただいた。

 

 さすがにこの時期になると、日が沈むのが早い。

 エッジがここにやってきてすぐ。リディアが灯球を浮かばせてくれた。

 灯球は太陽ほどではないけれど、月より明るい光を照らしてくれる。

 

『リディアさまが、お元気になられてよかったです』

「……村長のこと?」

『はい』

「おじちゃんに文句いっぱい言ったけど、もうすぐ10月だしね。いい加減、ばかばかしくなってきちゃった」

 

 1週間前に訪れた時、リディアは表情が冴えず食欲もあまりなかった。

 しかし、本日はそうでもなく、エッジは安堵した。

 さすがに時間が経てば、リディアもこの先を見据えようと決めたらしい。

 

『それで……村長決めは、どうなったのでしょうか?』

 

 10日に行われるはずだった村長決めは、20日に延期されていた。

 しかし、エッジはその日の寄合を見にこなかった。

 自国でも問題を抱えていて、ミストにばかりに構っていられないからだ。

 

 ただ、ノア——ツキノワのおかげで、誰が新しい村長になったかは知っている。

 今は『ツクヨミ』なので、知らないふりをしているだけ。

 

「結局ね。誰も立候補しなかったの」

『でしょうね……』

「おじちゃん無茶言いすぎ。辞めるって急に言われても、みんな困っちゃうよ」

『誰に決まったのですか?』

 

 立候補者がいなかった場合。ミゼルが数名の住民を指名する。

 その中から、寄合の出席者が村長にふさわしい者を投票すると聞いている。

 

「ラルフさんだよ」

『ああ、あの方ですか……』

 

 20日の寄合で、ミゼルは3人の若者を選んだ。

 すぐ後に行われた村長決めで、ラルフが最多票を獲得。

 次の村長に選ばれたと、リディアが教えてくれた。

 

「おじちゃんが後でこっそり教えてくれたんだけど、ラルフさんがここに住み始めてからずっと目を付けてたんだって」

『あの方はやる気もありますし、真面目な方です。選ばれて当然だと思いますよ』

 

(妥当だな)

 ラルフは、大食漢ゆえにふくよかな体型をしている。それを除けば、ほぼ申し分ない人間。

 本業は建築家で、その合間に『学習』の指導ボランティアをつとめるわ。

 積極的に各種行事の係員や、ミストの大掃除ではミゼルの補助として動き回るわ。

 それぐらいには、ミストに対する熱意がとても高い。

 ラルフをよく見て知る者は、みな彼に票を投じるだろう。

 

『リディアさまは、誰に票を入れたのですか』

「ラルフさんだよ」

『なぜでしょう』

「あの人、伊達に幻獣界専門家やってないもん。今度里帰りしたら本借りてきてって頼まれてるの」

『何事にも意欲的なのですね』

 

 ラルフは『異世界への誘い』の出版をきっかけに。

 先住民レベルで、幻獣界の知識を得ただけでなく。

 幻獣界の文字——古代語の勉強まで始めたと聞いている。

 

「一度でいいから、幻獣界に行ってみたいってよくこぼしてるしね」

 

 幻獣界への関心の高さ。

 他国出身者にしては珍しい、そんな一面を持つラルフを。

 リディアもミゼルも推したのだろう。

 

(一度サシで話して、腹ん中探った方がいいかもしれねえな)

 ラルフはミゼルのように、エブラーナ一辺倒とは限らないだろう。

 この先、ミストはエブラーナとどんな付き合いをするつもりでいるか。

 エブラーナの国王としては、それが気になるところである。

 

「おじちゃんもお手伝いするから、なんとかなるよ」

『ミゼルさんは、これからお金の管理をされるのですか?』

「それは別の人。でも、1年持ち回り制なの」

『不正防止ですか』

「そうなの。キロンさんたちで懲りちゃって、同じ人が係や役を続けるのはよくないって思ってるみたい」

『10年近くも村長……長かったですね』

「なんか心配だなあ……」

『何がですか?』

「おじちゃん、これからボケちゃいそうで……」

 

 リディアが大きなため息をついた。

 今後、ミゼルが第二の人生をどう過ごすか気になっているようだ。

 

(もうじじい扱いかよ)

 ミゼルはエッジと同い年。

 それなのに、もう余生を送る老人のような扱いをされている。

 

『以前は、どんなお仕事をされていたのですか』

「畑仕事と裏稼業だよ」

『裏? 暗殺者みたいですね』

「違うよ。ミストが嫌になって逃げる人のお手伝いしてたの」

『手引きですか』

「でも、裏稼業はもう必要ないし、畑仕事も今出来るのかな……?」

 

 裏稼業とは、ミストの若者が夜逃げをするための手引きのこと。

 ミストから出ていきたいなら、今は正規の手続きを取ればいい。だから手引きの需要はない。

 

(そもそも、あいつは死ぬまで働く必要ねえんだがな)

 ミゼルは火災で大怪我をして、重大な障害が残った。

 そのため、バロンから補償として無期限の金銭援助を受けている。

 どうもリディアはそのことを知らないように見える。

 

『白魔法を習っていらっしゃるのでしょう?』

「そうだけど、ここの白魔法や黒魔法は働いたり勉強しながら覚えなきゃならないから……」

『ミストは召喚士の村ですからね』

 

 ミストの魔法教育は召喚術を除いて、初心者向けの面が強い。

 本気で白黒魔道士を目指したいなら、バロンやミシディアへ行った方がよい。

 

「燃え尽き症候群にならなきゃいいけどなあ……」

 

 リディアがまたため息をついてしまい、ミゼルにむかっ腹が立つ。

 

(こいつに心配してもらえるなんて……ずるすぎるだろ!)

 アドニスはもうミストにいない。

 エッジにとって、今ミストで最もうざい人間はミゼルだ。

 そんな男の今後なんかどうでもいい。

 

『ミゼルさんの人生はミゼルさんのものです。好きにさせてあげたらよろしいと思います』

「そうだね……」

 

 丁寧な口調だが、ぶっちゃけて言えば『放置しておけ』。

 ミゼルの話題をそうむりくり終わらせた。

 

 —— —— ——

 あの男は、リディアに近しいだけでなく。

 『エッジ』『ツクヨミ』どちらにも無駄に絡んでくるから気に入らない。

 

 今月明け、ミゼルから『エッジ』宛ての書状をもらった。

 封筒、文面、『ツクヨミ』への伝言……。

 三重攻撃で返事を催促されたが、返事は送らなかった。

 

 どうせ、用件なんてリディアの護衛に関することだ。

 それに関しては、ツキノワに護衛を再度命じてある。

 先日から、お城勤もミストにひとり寄越している。

 どちらも、ツキノワから教えてもらっているだろうから問題ない。

 

 10月からミゼルは、エッジにとってツキノワの期間限定保護者にしか過ぎない。

 ツキノワのミストでの任務は、来年半ばを目処に終了させる予定でいる。

 ツキノワがエブラーナに帰還すれば、縁が完全に切れる。せいせいする。

 —— —— ——

 

『ところで、ラルフさんはこれからも本業をお続けになるのですか』

「村長だけじゃ生活がもたないから、ミストの建物と、どうしてもってお仕事以外はお断りするって言ってたよ」

『セーブされるのですね』

「そうなの」

 

 ラルフは建築家として、そこそこ名を馳せている。

 お城など、特殊な建物以外は何でも設計出来る。

 ミストのお宅や公民館は、すべて彼が設計したものである。

 

「アリサのご両親もここに引っ越してくるから、今急いでおうちの設計してるよ」

 

 ラルフは運がいい。

 何かあれば、妻の両親を頼れる。前任のサポートもある。

 恵まれた環境で、村長ライフをスタート出来るからだ。

 

「ラルフさんが村長で大喜びしてるの、アリサだけなんだよね」

『なぜでしょう』

「ギルバートに会えるチャンスが増えるから」

 

(ジャンヌみてえに外回り出来るって思ってんのか……)

 村長の代理として、ダムシアンに免状を届けに行けるかもしれない。

 表向きは仕事でも、ギルバートを拝みに行くのが真の目的。

 ……アリサを知る者なら、すぐに見当がつく。

 

『そんなに甘くはないと思いますが』

「うん。ラルフさんが全部外回りやっちゃうよ」

 

 高慢ちきで毒吐き。しかも、ギルバートの狂信者。

 アリサは、そんなどうしようもない女だ。

 

(まあ、こいつのことはしっかりフォローしてくれるだろ)

 けれど、あの女が村長の妻ということは、リディアにとって好都合だと思う。

 なぜならアリサは、リディアの特殊な立ち位置をミスト視点ではなく。

 世界視点で俯瞰的に見ており、その上で理解者の立場にいるからだ。

 

§

 

(よし、渡すぞ!!)

 それからしばらくリディアと雑談をしていたが。

 話題が途切れたところで、エッジは大勝負に出ることにした。

 

『リディアさま』

「はい?」

『こちら、どうぞ』

 

 懐から取り出した小さな小箱を、リディアへ差し出した。

 

「なにこれ」

 

 黒いビロードが貼られた小箱。それを見ながら、リディアがきょとんしている。

 

(これ見ただけじゃ、おまえはわかんねえよな)

 普通若い女性なら、小箱を一目見ただけでぴんとくるが。

 リディアは、宝飾や服飾にとんと興味がない。

 だから、こんな反応を見せるのも予想範囲内である。

 

『指輪です』

「え?」

『ダミーリングですよ。——恋人の証にはもってこいですね』

「!?」

 

 リディアが身体をかちんこちんに固まらせてしまった。

 

 ぴしりと音が立ったのではないか?

 実は見た目そのままで、石化状態になったのではないか?

 そう錯覚しそうになるぐらいだ。

 

『どうされました?』

「……」

『リディアさま? お気を確かに』

 

 固まったままのリディアの肩を何度も軽く揺さぶる。

 

「っ!?」

 

 リディアがはっと我に返ったような表情を見せた。

 すると、まるで化けものを見るかのように。こちらを見ながら恐る恐る口を開いた。

 

「お……男の人が……ひ、ひとりで指輪買いに行ったの!?」

 

 宝飾店は、女同士や恋人や夫婦が足を運ぶところ。

 リディアはそんな先入観を持っていたのだろう。

 

 いちゃいちゃの恋人同士がうじゃうじゃいる店内に、よく男ひとりで入れた。

 なんと向こう見ず。そう思っているように見える。

 

『僕が誘ったら、あなたはお付き合いしていただけましたか?』

「……っ、お断りしてた」

 

 リディアがばつが悪そうに、小さな声で答えた。

 

 偽装恋人関係の継続が確定すると同時に。エッジはこう思い立った。

 本物のダミーリングも準備した方がいいのではないか?

 しかし、リディアと一緒に外に出かけて指輪を買ってあげるつもりはなかった。

 

 —— —— ——

 リディアにとって、『ツクヨミ』は、しょせん偽の恋人。

 ミストの野外でしか、ふたりきりになるつもりはない。

 指輪はおろかケーキを食べ買いに、ミストの外へ出かけましょう。

 『ツクヨミ』がそう誘っても、首を縦には振らないだろう。

 —— —— ——

 

 だから、3日前にひとりでトロイアに出かけて買ってきた。

 その際『変化の術』を使ったので、人目も気にならなかった。

 

『でしたら、僕がひとりで買いに行くしかございませんよね?』

「はい……」

『偽装恋人の継続記念に、どうぞお受け取り下さい』

 

 肝心の受け取り相手は、困惑したような表情を崩さない。

 

(頼む! 受け取ってくれ!)

 もっとも、ダミーリングは表向きの理由でしかない。

 どうしても、リディアに指輪を贈りたかった……これに尽きる。

 

『えっ』

「こんなの受け取れないよ」

 

 ところが、心の中で叫びまくったのとは裏腹に。

 リディアが両手で、小箱を持つ右手をぐいっと跳ね返してきた。

 

『なぜでしょうか……?』

「わたしたち本当の恋人じゃないし、もらう理由ないもん」

『こ、これは……ダミーリングですよ??』

「そこまでしなくていいって、前に言ったでしょ?」

 

 小箱をもう一度差し出すも、またもや突っ返された。

 挙句の果てに、リディアからぷいとそっぽを向かれてしまった。

 

 少なくとも、ふたを開けて箱の中身を確認するだろう。

 そう思っていたのに、ふたを開けもしない。

 リディアに予想斜め下の反応を見せられて、心の中で焦る。

(いや、まだチャンスはある……!)

 

『小指用の指輪を買って参りました』

「え?」

『それなら問題はございませんよね?』

 

 —— —— ——

 指輪は、はめる指によって意味が変わると言われている。

 左の薬指は『愛情や絆を深める』。

 求婚や恋人には、その指に合う指輪を買って贈ることが多いという。

 —— —— ——

 

(どうせバレンタインみてえに、どっかの店が販促兼ねて意味付けしたのが広まったんだろ)

 エッジは、そんな醒めた見識を持ちながらも。

 好きな女には、やはり左手薬指の指輪を贈りたいと思っていた。

 

 ただ、現時点で『ツクヨミ』は、リディアの恋人ではない。

 仕方なく小指用の指輪を購入することにした。

 それでも、『(偽の)恋人からもらった』と、ミストの住民に周知出来るはず。

 

「……男の人が恋人に贈る指輪って、ここじゃないの?」

 

 リディアがゆるゆるとこちらを向いてから。

 ためらいがちに、自身の右人差し指で左の薬指をさした。

 

『僕はあなたの「偽物」の恋人です。結婚指輪も婚約指輪も贈る予定はございません。小指でもダミーリングの役割は十分果たせると思います』

 

 ダミーリングも婚約や結婚指輪と同じ。左の薬指にはめるもの。

 そう言われているから、リディアは受け取りたくなかったようだ。

 どうせ嫌がると思って、小指用の指輪を買って正解だった。

 

「……でも、すごく高かったんじゃないの?」

『「王様」の会員証より低価格でしたよ』

「その半額でも、十分高いと思うんだけど」

 

 リディアが渋い表情を見せながら、ぼやくようにそう答えた。

 

(今度は値段!?)

 『王様』の会員証は、100000ギル。

 意中の女を射止めるためなら、それぐらいの出費を惜しまない。

 そんな男は、この世にはいくらでもいると言うのに。

 

 普段は気にならない。それどころか、むしろ尊敬しているのに。

 はじめてリディアの庶民的な金銭感覚を恨めしく思う。

 

『よほど質の悪いものでなければ、それぐらいはかかりますよ』

「もったいないよ。いらないから、お店に返してきてちょうだい」

 

 なんと、いらないとはっきり言われてしまった……。

 

(誰が返しに行くか!!)

 どう言えば、これを受け取ってもらえるのだろう?

 エッジは小箱を見つめながら、ほんの数十秒ほど思案を巡らせてから。

 上体を前に倒して、小箱を胸で抱え込んだ。

 

『……』

「ど、どうしたの? お腹痛くなった??」

 

 お手製の晩ごはんで、腹を壊したと思い込んでいるのか。

 リディアが慌てたような声で、背中を軽く叩いてきた。

 

『……いいえ、大丈夫です』

 

 むくりと起き上がってみれば、リディアが不安そうな顔でこちらを見ている。

 エッジはわざとらしく大きな息をついてから、左手を額に当てた。

 

「なんだ、びっくりしたぁ」

『リディアさまが実利主義を地で行くお方だと、改めて痛感させられて……頭が痛くなっただけです』

「じつりしゅぎ??」

『「花より団子」のことですよ』

「ええっ!?」

『「色気より食い気」と言った方がわかりやすいですね』

 

 腹を満たすことを優先して、美しさ、風流と言った視覚的な喜びを理解しないこと。

 名や外観より、実利を尊んで重んじるということ。

 それが、『花より団子』『色気より食い気』だ。

 

 これらほど、リディアの個性のひとつ——甘党を評するのに。うってつけなことわざはない。

 

「……わたし、そんなに量は食べないよ?」

『量の問題ではございません。あなたはこれが指輪でなくケーキなら、喜んで受け取ってくれたのではありませんか?』

「うっ……」

 

(なんでケーキはよくて、指輪はだめなんだよ!)

 『ツクヨミ』らしく、実利主義を証する事例を突き付けてやれば。

 リディアが、ぐっと唇を噛んだ。……図星を突かれたようだ。

 

『違いますか?』

「っ、そうですよぉ? アクセサリーより、甘いものもらった方が嬉しいもんっ!!」

 

(うわ、開き直りやがった)

 リディアがまくしたてるように、自らを実利主義と認めてから。

 また明後日の方を向いてしまった。

 

『ケーキはお腹に入ったら消えてしまいますが、指輪は手元に残り続けますよ?』

「うっ……!」

 

 ここで追撃すると、リディアはキレてしまう。

 背後から優しく声をかけてあげると、身体を一瞬びくりと震わせた。

 

『普段の装いに、ワンポイントとしてアクセサリーをつけるのも、ちょっとした遊び心。人生のスパイスになります』

「スパイス……」

『はい。人生がもっと豊かなものになります』

 

 リディアは、ファッションというものにとんと興味がない。

 アクセサリーは幼少時からのお気に入り、赤い髪飾りと星型のピアス。

 そのふたつだけで、すっかり満足している。

 

 たまには、服やアクセサリーを違うものにしろ。そこまでリディアに求めていない。

 いつもの装いに加えて、小指に指輪をはめてくれたらそれでいい。

 これを機に、アクセサリーに多少興味を持つようになれば。

 それこそ人生の楽しみも増えると思うのだが……。

 

『僕も久しぶりに、リディアさまの幸せになるお手伝いがしたいのです。——騙されたと思って、一度つけてみてください』

「は、はい……」

 

(最初っからこれで攻めりゃよかったんだ……)

 アクセサリーは人生のスパイス論で、やっとリディアが軟化してくれた。

 エッジは安堵しながら、小箱の中から白銀色に光る指輪を取り出す。

 

(ここが謁見の間で、薬指の指輪なら言うことなかったのにな)

 プラチナ製の指輪の中央に、丸い緑の宝石が4粒乗っかっている。

 半ば挙式気分で、戸惑いの表情を見せるリディアの右手を手にとると。

 その指輪を右小指の根元まですっと滑らせた。

 

『ゆるいようでしたら、ご自身でかしめてくださいね』

「あ……これフリーなんだ」

『そうです。フォークリングとも呼ばれております』

 

 リディアが自身の左手で、右手の小指に光る指輪をかしめている。

 

 フォークリングは、フリーサイズリングの一種である。

 指輪の輪っかが一部切れて、C型になっている。

 そのCの両端に、宝石など飾りがついているものが多い。

 リディアに贈ったものは、3粒石のかたまりと1粒石の間に切れ目が入っている。

 

「あっ、四つ葉のクローバーみたい……!」

『いい感じですね』

 

 かしめた結果。輪っかの切れ目がなくなり、幸運の草花のように見える。

 

『切れ目に飾りつけすることで、指が細く、綺麗に見える効果があります。若干サイズ調整が利くので小指以外にもはめることが可能ですよ』

「サイズ……!?」

 

 エッジが、フォークリングの説明をさらっと済ませた。

 すると、リディアの目がみるみるうちに大きく開いていく。

 

「もしかして、この間の占い……!?」

『お気付きになりましたか?』

 

 —— —— ——

 左手薬指の第2関節に、糸をややきつめに巻きつけてから。

 糸の交差部分にペンで印をつければ、指輪の大体のサイズを知ることが出来る。

 意中の相手に、サプライズで婚約指輪を送りたい場合。

 そんな測り方がよく用いられるという。

 

§

 

 そして、先日エッジはここにやってきた際。

 

『明日の運勢を占ってさしあげましょう』

 

 そううそぶきながら、リディアの右小指に糸を巻いた。

 

『ど、どう?』

『明日はよい出来事が起こると出ていますね』

『そうなんだ……! 楽しみだなあ』

 

 占いの結果を適当に答えながら、リディアの右小指のサイズを大まかに測っていた。

 —— —— ——

 

「何よ、もうっ!! いい加減だと思ってたら、やっぱりうそだったんじゃないっ!」

 

(適当占いの結果聞いて、めちゃくちゃ喜んでたじゃねえか!)

 当時の様子を思い出したのだろう。リディアが顔を真っ赤にして怒ってきた。

 

『申し訳ございません。ああしなれば、リディアさまにこうして指輪を贈ることが出来なかったものですから……』

「っ……」

 

 エッジはわざと頭を大きくうつむかせながら。

 沈痛な声で『申し訳なさ、悲しさ』をリディアに伝えた。

 お面をかぶっていると感情表現が難しい。そう思いながら。

 

「……ごめんなさい。せっかく買ってきてくれたのに、きついこと言っちゃった」

 

 情に訴える作戦に、リディアがまんまとはまってくれた。

 これで9割9分、受け取ってくれるだろう。

 

『いいえ。僕としては謝罪よりも、指輪の付け具合をお確かめになっていただく方が嬉しいです』

「そ、そうですね」

 

 エッジは心の中で気をよくする一方で、自身を嘲笑う。

 目的のためなら、砂を吐くような演技もこなすし、手段も選ばない。

 昔からリディアに特別な干渉をする時は、こんな手ばかり使っていたと。

 

『どうぞゆっくりご覧になって下さい』

「はい……」

 

 リディアが右手を顔に近付けて、指輪を眺めはじめた。

 右手の甲を裏返したり、反対の手で触ったりして付け具合を確認している。

 その度に、クローバーを模した緑の石が灯球に照らされて光を反射する。

 

 次第にリディアの表情も、うっとりしたものに変わっていく。

 『花より団子』と称したが、リディアも女性。きらきらしたものには弱いのだ。

 

「……これ、エメラルドだよね」

『いいえ。こちらはペリドットです」

「初めて聞いた……」

『「夜会のエメラルド」という二つ名がございます』

「夜会??」

『他の石と違い、夜でも昼と同じ輝きを放つので、そう呼ばれるようになったそうです』

「へえ、だから今もきらきらしてるんだね……!」

 

 ペリドット最大の特徴は、わずかな光でもきれいに輝くこと。

 夜の間だけだが、ダイヤモンド以上の存在になれるから、洒落た通り名が付けられている。

 指輪を買いに行った宝飾店の店員が、鼻息荒くしながらそう話していた。

 

『リディアさまの色とお揃いになるよう、この石を選びました』

「うん……うん、ヒスイやエメラルドより好きになれそう……!」

 

 リディアが顔の前に右手を近付けて、灯球の光で反射するペリドットに見入っている。

 話を聞いて、一気に親近感が沸いたのだろう。

 

 —— —— ——

 ペリドットは、鮮やかで明るいオリーブグリーンの輝きを放つ。

 髪や服……リディアの持つ緑に一番近い。

 エッジは店頭でその石を見た瞬間。エメラルドとヒスイを候補からすぐ外したぐらいだ。

 エメラルドも同じ緑だが、少し色が濃い。

 ヒスイも悪くないが、半透明であまりきらきらしていない。

 —— —— ——

 

『受け取っていただけますでしょうか?』

「ありがとうございます……ツクヨミさん、宝石のことも詳しいんだね」

『とんでもございません。全て店員の受け売りですよ』

 

(やっと受け取ってくれた……!)

 念願が叶い、感極まる思いが抑えきれない。

 リディアの右手を取って自身のそばに引き寄せると、じっと見つめる。

 

「……あの」

『よくお似合いです』

「まあ、色は確かにぴったりだけど」

『——口付けしたくなります』

 

 うっとりしたような声で、キザな言葉を口にしてから。

 リディアの右手に顔を近付けようとした。

 

「え゛えっ!?」

 

 ところが、口付けというワードに過敏反応したのか。

 リディアが色気のない声を上げてから、エッジの手をぱっと離した。

 

「だめだめだめっ! 不純異性交遊だめっ!!」

『手の甲ですよ?』

「それでもだめ。じょ、冗談でも辞めてちょうだいっ!」

 

 リディアがベンチから勢いよく立ち上がった。

 続けて両手をぶんぶん振りながら、身体を使って拒否すると。

 エッジにくるりと背を向けてしまった。

 

(手の甲ぐらい許せよ……)

 あわよくば口付け出来ると思ったのに、失敗に終わってしまった。

 放置しておくか。声をかけてあげるか。それとも、近付いて肩をそっと触るか……。

 いじけたリディアをどうなだめたらよいか。思案にふける。

 

 —— —— ——

 ふわふわ髪に隠れた耳を真っ赤にさせながら。

 エッジの鋭い聴覚をもってしても聞こえないぐらい。

 小さく消え入るような声で、「……ジ……ありがと……」とつぶやいた。

 —— —— ——

 

 想い人がこっそり見せたそんな仕草に、エッジは気付かないまま。

 楽しい夜のピクニックの時間は、あっという間に過ぎていったのであった。

 

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