※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

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エッジ視点
長文注意


働く男

 

 

——10の月1日 午後

 

 

 この日もバロン城内は、行き交う人が多く活気にあふれていた。

 

(案内いらねえ……)

 エッジはそう思いながら、案内者代わりのバロン兵の一歩後をついて目的地に向かう。

 

 エッジのバロン城訪問は3年ぶりとなる。

 実は1ヶ月前にお邪魔したが、あの日は姿を隠した状態、いわゆる不法侵入なのでノーカンである。

 

「国王陛下がお待ちでございます。どうぞ中へ」

「どーも」

 

 目的地——執務室に到着。扉を開けてくれたバロン兵に、軽く礼を述べながら中に入る。

 

「よう、セシル」

 

 バロン国王陛下セシルさまとの会談。それが本日の訪問目的である。

 セシルもエッジと同じように、気心知れた者がやってくると。

 謁見の間の隣にある執務室に通してくれる。

 

「久しぶりだね。わざわざ遠くからご苦労様」

 

 ソファから立ち上がったセシルのそばに、ずかずかと近付く。

 

「今日もひとりなんだ」

「いっつもそれ聞いてくるけど、オレに護衛いると思うか?」

「……うん、いらないね」

 

 互いに言葉を交わして、対面のソファにどっかり腰を下ろす。

 セシルも苦笑いしながらソファに再び腰を下ろした。

 

 エッジは護衛をつけて外遊をしたことがほとんどないし、仰々しい礼儀作法も好まない。

 バロン城に限った話ではないが、ここを訪れる度に我が物顔の振る舞いを見せる。

 

(シドが好き放題しているから、こいつは気にならねえよな)

 不敬罪すれすれの所作でも、バロン国王さまから一度も注意されたことはない。

 一方、王妃さまはと言えば、いつも『もう少し遠慮できないものかしら?』と渋い顔を見せる。

 

(今日は静かだな……あれ??)

 ここでエッジは、ようやっと気が付いた。

 バロン城公式訪問の度に、セシルと一緒にいる女性がいないことに。

 

「おい、ローザは」

「夕方まで白魔導士団。若い子に指導してる」

「珍しいな」

「セオドアに手がかからなくなったし、ポロムにばかり任せられないって、毎日昼間だけ仕事するようになったんだよ」

「へえ……」

 

(あいつはいねえ方がいいな)

 エッジが本日ここに来る。

 ローザはそう聞いたから、仕事を入れた訳ではないようだ。

 

 —— —— ——

 約2ヶ月前。

 ローザはポロムと一緒に、不意打ちでエブラーナ城にやってきた。

 彼女は訪問目的——白魔法導入の打ち合わせが終わった途端。

 エッジにリディアとの関係を追及してきた。

 

 しかし、エッジはリディアが好きだとは決して認めなかった。

 

 それどころかリンとの婚約を表明すると、ローザに頬をぶたれた。

 それからも、ごみを見るような視線を向けられながら、いろいろ言われた。

 ほとんど記憶に残っていないが、最後だけははっきり覚えている。

 

『どうぞ、あの方と末長くお幸せに』

 

 気持ちが全くこもっていない、そんな祝福の言葉を残して。

 ローザはエブラーナ城を去っていった。

 —— —— ——

 

 ローザはリディアの最大理解者、かつ最強の味方を自負している。

 逆にエッジは仲間だろうが誰にも、リディアのことについて真意を明かすつもりはない。

 決裂するのは当然とも言えよう。

 

「あっ、エッジに言わなきゃいけないことがあったんだ」

「……なんだよ」

「おめでとう。とうとう婚約したんだね」

 

 セシルが微笑みながら、祝福の言葉を贈ってくれた。

 心の底から祝福してくれているのが、表情や気配ですぐにわかる。

 

(こいつ、なんも聞いてねえのかよ……)

 ローザがエブラーナで何を言ったのか何をしたのか。

 この男は、妻から何も聞いていないと見える。

 

「こっちもおまえに言いてえことがあってな」

「え、何を?」

「ローザから聞いたぞ? おまえ、オレのこと○モ扱いしてたんだってな!」

 

 —— —— ——

 ローザがエブラーナ城にやってきた日。

 大衆紙Gのリンの独白記事を読んだ、夫の反応をこう話していた。

 

『あの人も驚いていたわ。あなたが女の人に興味があるようには全然見えなかったって……』

 

 リンが出現するまで、独身なのに女性の噂がひとつもなかった。

 セシルは、そんなエッジのことを同性愛者と思っていたようだ。

 —— —— —— 

 

「あぁ……ごめんごめん。ほんの冗談で言っただけだったんだ」

「下っ手くそな冗談しか言えねえなら、最初っから言うな!」

「はは、気をつけるよ……」

 

 セシルにへらりと笑いながら謝られてしまった。

 

 この男は、国や世界平和を守ること以外については、どこかズレている。

 これで反省してくれるなら越したことはないのだが、あまり期待出来ない。

 

「式の準備は進んでるの?」

「今から準備してどうすんだよ。1ヶ月前で十分だ」

「……それは相手がかわいそうすぎるよ」

 

 セシルが眉をひそめた。

 ろくに準備してもらえない婚約者に同情したのだろう。

 

 婚約解消前提だから、式の準備なんかする訳がない。……とは、言えない。

 

 —— —— ——

 リンたちは、相変わらず数日おきにアポなしで城にやってくる。

 しかし、多忙を理由に8割方お引き取り願い、残りはザンゲツに相手をさせている。

 

 一度『邪淫』を食らったからだろう。ザンゲツからは、再発症の兆候は見られない。

 向こうも効かないと思って、術を食らわすのを諦めたかもしれない。

 また発症したら、2日ほど登城させなければよい。

 愛妻といくらでもセックス出来るのだから、ザンゲツも嬉しくてたまらないだろうし。

 —— —— ——

 

「おまえらも、すぐに結婚したじゃねえか」

「あの時と今じゃ情勢が違うよ」

「それでもバロンなら、もっと時間や金かけても許されたはずだぜ?」

「……ぼくもローザも、苦手なんだよ……そういうの」

 

 ばつが悪そうにぽつりとつぶやいたセシルを。

 エッジはそれ見たことかとばかりに、軽く笑った。

 

 —— —— ——

 バロンぐらいの大国なら、1年ぐらい準備に費やしても許される。

 けれど、セシルとローザは王族出身ではない。

 ふたりとも王族あるある——時間や金を掛けた豪華絢爛さが苦手。

 

 世界各地が復興で慌ただしい時期と重なっていたのを利用して。

 セシルはぱぱーっと即位して、同じ日にローザと結婚式も挙げてしまった。

 —— —— ——

 

「オレのペースに付き合えねえようじゃ、王妃は務まらねえよ」

「それ、ローザが聞いたら怒るよ?」

「へっ、いねえから言ってんだ」

「ははっ……」

 

 ソファの背もたれにふんぞり返ると、セシルが苦笑いした。

 

 世の女性が聞いたら怒りかねない。

 そんな不穏なことを平気で口にしている自覚は大いにある。

 もちろん、リディアだけは別。いくらでもペースに合わせる。

 

「それよか、今は『青ばら』の方が大事だぞ?」

「そうだね……」

「さっさと本題に入ろうぜ」

 

 セシルが表向きの婚約事情しか知らなくても。その話題はもうお腹いっぱい。

 話題を切り替えたことで、ようやく本題——『青ばら』対策——に入ったのであった。

 

§

 

「……予告なしに宝飾店や収集家の家に現れて、逃げ足が早い。これと言った証拠もなくて、バロンも困ってるんだ」

「この城は」

「兵を増やして厳戒態勢敷いてるから、まだ被害に遭っていないけど三度入られたよ」

「ずっとそれが続くと保たねえだろ」

「そうなんだ。他に事件が起こったらそっちにも回さないといけないし……」

 

 エッジがこの城にやってきた目的は、『青ばら』に関することである。

 バロン国内での被害状況に続き、セシルがこんな話をしてくれた。

 

「実はギルバートも夏にリュートを盗まれてね」

「リュート……ああ、楽器か」

「王家代々伝わるものでね。ギルバートはいつもそれを使って楽曲を作ったり、巡業で演奏してるんだ」

「じゃあ、そいつがねえと……」

「本人のモチベが下がるから、演奏や曲の出来も悪くなる。リュートが盗まれる前に、今年の巡業はバロン以外終わっていたから成功って評価されてるけど、来年からはそうはいかない」

「玄人の耳はごまかせねえからな」

「新曲が作れないって今、困ってるんだよ」

「……来年どころか現役引退のピンチじゃねえか」

「このままならね」

 

 リュート盗難の件は、既に諜報からの報告で知っていた。

 けれど、セシルには知らないふりをした。

 

(演奏会で使ってただけじゃなかったのか)

 ただし、作曲活動にまで響くぐらいには。

 ギルバートがリュートを重宝していたことまでは知らなかった。

 このままリュートが手元に戻らなければ。彼は吟遊詩人を辞めてしまうかもしれない。

 

「1点もんなら『青ばら』も捨てねえだろ。捕まえたら取り返せると思うがな」

「うん……そういえば、エブラーナは被害ゼロなんだってね」

「うちにゃ貴重なお宝がねえからな」

 

 世界中で暴れている『青ばら』だが。唯一エブラーナには手を出していない。

 エブラーナは宝飾店や美術館など、価値の高いものが置いてある店や施設が少ない。

 エブラーナ城も財宝を少々所有していたが、今はほとんどない。

 なぜなら、ルビカンテの襲撃後。エッジが復興資金に充てるためにほとんど売っぱらったから。

 

「それがあるじゃないか」

 

 セシルがエッジの腰元を指でさしてきた。

 

「ああ、こいつな」

「国王の証なんだってね。てっきり月製だと思ってたよ」

 

 エッジが腰に提げている『村雨』も、超貴重な1点もの。

 過去の国王が商人に売ったはずなのに、巡り巡った結果。

 なぜか、月に埋もれていたけれど。

 

「いくらでも受けて立つのに、ちっともオレを襲ってこねえんだよ」

「さすがに『青ばら』も、きみからひったくる自信がないようだね」

「まあ、そこまでばかじゃないってこったな」

 

 現在残っているエブラーナ城所有の財宝と言えば。

 『エブラーナ秘伝忍術書』か『村雨』ぐらいしかない。

 『エブラーナ秘伝忍術書』は貴重な書物だ。しかし、宝物と呼ぶほどのものでもない。

 『村雨』は、そもそも『青ばら』が奪おうとする気配を見せない。

 

「そんな調子だからさ。エブラーナで『青ばら』を捕まえたくても捕まえようがねえんだ」

「おびき寄せるには、餌が必要だからね」

「ってことで。オレの案に乗ってくれるか?」

「もちろんだよ。ぼくもいいアイデア考えたんだ」

「だったら、そのアイデアって奴。聞かせてもらおうじゃねえか」

「うん。実はもう手を回してあるんだよ」

 

 手を回す——頼る相手の姿が、頭の中にぱっと浮かんだ。

 にやりと笑い返すと、セシルも笑みを浮かべてから。自身案を話し始めたのであった。

 

§

 

 セシルとの会談を終えて、エッジはバロン城の執務室を後にした。

 

(……ほとんど話題にされなくてよかったぜ)

 セシルは婚約の話題には、最初に触れただけ。

 安堵しながら、きらびやかな廊下を歩いているうちに、殺風景な内装に変わっていた。

 

 程なくして、9割方金属で出来た重厚な扉にぶち当たった。

 バロンの飛空艇工場につながる扉だ。

 

 扉を開ければ、だだっ広い空間が目の前に広がる。

 溶接や衝突に研磨……いろんな音や作業員の大声を耳にしながら。

 エッジはずかずか先を進み、ここの主を探し始めた。

 

 工場内には飛空艇が三隻置かれている。

 その一番奥。周りに足場が組まれた飛空艇に近付いてみると。

 

 足場の中段で、ここの主——シドが若い衆に囲まれながら。

 がちんがちんと飛空艇の外装に向かってとんかちをぶつけている。

 

「おい、じじい!!」

「おぉ! やっと来おったかぁ!」

 

 大声で呼べば、シドが振り向きざまに足場からぴょんと飛び降りた。

 

 何とも若々しい動きに目を見張る。

 シドは還暦を過ぎており、じいとあまり歳が変わらない。

 

「元気してたか」

「当たり前じゃ。——飛空艇なら返さんぞ」

「返さんじゃなくて、返せん、だろ?」

「そうじゃ! こないだ、ばらっばらにしてやったからな!」

 

 がはは、と豪快に笑ってからシドが歩き出した。

 工場の最奥にある私室に向かうとわかり、エッジも後をついていく。

 

 夏に返した自家用艇は、既に解体されているようだ。

 シドはものを大事にする男。使えると判断した部品は何かしらに利用しているだろう。

 

「セシルから話聞いてるだろ?」

「ああ。一昨日ここに来たぞ」

「下旬までに間に合うか?」

「そんなもん、10日ありゃ余裕じゃ」

「さっすが、ものづくりの達人」

 

 自身に満ちあふれたような表情で返事したシドに向かって。

 エッジはひゅうと口笛を吹いて、賞賛を送ってあげた。

 

 セシルが持ち掛けたアイデアには、シドの協力が欠かせない。

 エッジが了承すれば、明日からシドは作業に着手する。

 先ほど、セシルがそう話していた。

 

 エッジは挨拶も兼ねて、セシルの代わりにシドへ作業開始の伝言を届けにきたのだ。

 

「おまえさんも無茶なこと考えるもんじゃ」

「けど、上手く行きゃ犯人も手柄もバロンのもんになるぞ」

「……いいのかそれで?」

 

 シドが、何とも言えないような表情をエッジに見せた。

 エブラーナに何の利もない内容だからだろう。

 

「セシルには借りがあってさ。返さねえと死んでも死にきれねえからな」

「相変わらず律儀な奴じゃのう」

 

(ギルバートとヤンには、今度入場券渡しとこ)

 カルミネが各国の死刑囚の身柄を取引しているかどうか。

 3年前にセシルやヤン、ギルバートに調査協力を求めたことがあった。

 今回の計画は、セシルにその時の借りを返す絶好の機会でもある。

 ヤンとギルバートには、今度会ったら、薬草園無料入場券をそれぞれ100枚渡す予定でいる。

 

§

 

(……あいつ、今バロンにいないのか)

 シドの私室へ向かいながら、エッジはきょろきょろ周囲を見回す。

 工場内を飛び交う声は男ばかり。女の声がちっとも聞こえない。

 

「誰を探しとんじゃ」

 

 隣を歩くシドが声をかけてきた。

 落ち着きのないエッジの様子に気付いたようだ。

 

「ルカだよ。ドワーフ帰ってんのか」

 

 ルカは、地底唯一の国ドワーフの王女である。

 飛空艇技師としての才能を買われて、シドに弟子入りした。

 バロンとドワーフの往復生活を始めてから、早数年経つが。7割方は、ここで過ごしている。

 

「先週からここに来とるぞ。今は飛空艇の運転練習で外におる」

「運転??」

「ああ。来月からひとりで運転させようと思ってな」

 

 シドがルカの運転解禁をほのめかして、思わず眉をひそめた。

 

(たった2ヶ月で!?)

 毎年リディアは、3の月の半ばと11の月の末に幻獣界へ里帰りしている。

 これからルカが送迎を担当することになりそうだ。

 

 ルカが乗りこなせるとしても、来年あたりだろう。

 それなら、来月だけは『ツクヨミ』が送迎してあげよう。

 そう思っていたつもりが、出鼻をくじかれてしまった。

 

「まだ14になるかならないかだろ。早すぎじゃね?」

「機械いじりを極めるには、まずは自分で運転せんといかんじゃろ」

「まあ、確かに……」

「おまえさんの代わりにリディアの足になりたい。どこもかしこも巡回艇で移動じゃリディアがかわいそうってよく言うとる。それだけ必死なんじゃよ」

「へえ……」

「年明けまで様子見しよう思っとったが、予想以上に覚えがいいもんで繰り上げじゃ」

 

 弟子のやる気と実力に、シドが感慨深げな表情を浮かべる。

 一方エッジは、自身の胸がちりちり焼きつくのを感じていた。

 

 —— —— ——

 リディアとの関係を絶ってから、数日後。

 エッジは、愛用していた自家用艇をシドに返すためにここにやってきた。

 

『これ手放すってことは、リディアの足。もう辞めちゃうんだね!!』

 

 幻獣界に里帰りするリディアの送迎を、エッジがしている。

 それは仲間内で有名な話だったから。返却を知り、ルカがとても喜んでいた。

 

 ルカは、幼少の頃からリディアを慕っている。

 彼女の移動手段役を買って出ようとしているのが、見て明らか。

 

『師匠ー! 早く運転の練習させてよ!』

 

 シドにせがむルカへ、エッジは『まあ、がんばれよ』と言葉をかけるしかなかった。

 —— —— ——

 

 それから、約2か月。ルカはもう飛空艇を乗り回せるようになったらしい。

 さすが、シド自ら見初めた弟子である。

 

 本来は年輩者として、若い世代の成長を褒めてあげなければならないのに。

 リディアへの独占欲から、なかなか言葉が出てこない。

 それどころか、シドにこう告げた。

 

「あいつ、里帰りの時しか頼んでこねえと思うぞ」

「何だとぉ!?」

「巡回艇で行けるとこはそっち使ってんだよ。地底にゃ巡回艇がねえからルカに頼むだろうがな」

「……はあ、使い分けしとるんか。ルカが聞いたら残念がるなあ」

「いいじゃねえか。全部拒否されるこた考えたらよ」

 

 リディアは、巡回艇で移動するのが当たり前だと思っている。

 

 —— —— ——

 飛空能力がある幻獣を、移動手段に利用することもない。

 エッジを足で頼ったのも、幻獣界の送迎ぐらいしかなかった。

 よほど利が合うか、困った時。そうでないとチャーターを受け入れない。

 

『お城勤ツクヨミの顔パスで、特別展望台からライザとふたりだけでラベンダー畑が拝める』

 

 2ヶ月前に薬草園へ行った時も、そんな特典があったから。

 薬草園とエブラーナ城の行き来のみ、チャーターを受け入れただけだった。

 特典がなければ、誘いを断っていただろう。

 —— —— ——

 

 リディアの人となりから、この先の展望を話してあげたら。不審な視線を感じた。

 シドが怪訝そうな顔で、こちらをじろじろ見ながら歩いている。

 

「……なんだよ」

「いやなぁ。おまえさん、前からリディアのことになると、えらい知った風な口利くと思ってな」

「気のせいじゃね」

「実はあいつが好きなんじゃろ?」

「ないない」

 

 ずばりその通り。しかし、軽く手を振りながらシドをあしらった。

 

 仲間から女性関係——リディアを含めて——について聞かれても。

 エッジはこうして適当にやり過ごしている。

 もっとも、今後ローザとポロムには通用しないだろうけれど。

 

「だわなあ。そうじゃなきゃ他の女と婚約せんわ」

「そうだぞー」

 

 シドは一見無神経に見えるが、やはり大人の男性。

 自身の娘息子同然のローザとセシル以外、他人にはあまり干渉しない。

 リディアのことも。女性関係のことも。シドはそれ以上、聞いてくることはなかった。

 

(あいつはリディアが好きすぎるから無理か)

 ローザもシドみたいならよかったのに。そう思いながら。

 シドと言葉を交わしているうちに、彼の私室に到着したのであった。

 

§

 

 シドの私室でしばらくの間、仕事の話をしていた。

 シドは男手ひとつで育てたひとり娘が、国外に嫁いでから。

 ほとんど自宅に帰らず、この私室で一夜明かすことが多いという。

 

 

(ここでも、なんか作業してんだな)

 話題が収まり、ふとシドの机を見れば。各種工具や大小の箱が雑多に散らばっている。

 その中のひとつに思わず目が留まった。よく見れば、それはタイプライター。

 

 シドは、飛空艇という夢の乗り物を発明した。けれど、ものを書く時は手書き一辺倒。

 どこからどう見ても、彼に似つかわしくない。

 

「……なんだこれ」

「こらぁっ! 勝手に触るなぁっ!!」

 

 エッジがタイプライターを触ろうとしたら。

 シドが大声で咎めながら、それを持って部屋の隅へ向かうと。

 そこにある物入れの中にタイプライターを隠してしまった。

 

「また変なもん発明してんのか」

「内緒じゃ」

 

 シドがこうして隠すのだから、おそらく発明品だと思われる。

 

 —— —— ——

 シドはセシル経由で各国の企業から、発明を頼まれることが多い。

 未完成の間は、絶対に他人には内容を明かさない。もちろん、仲間にも。

 —— —— ——

 

(そういえば……!)

 エッジはそれを知っているため、それ以上は追求しなかったが。

 代わりに、今年の夏の出来事が頭をよぎった。

 

「おい!」

「なんじゃ、やかましい奴じゃな」

 

 ローザたちがエブラーナ城に来た日。

 ポロムには近付かせないとばかりに。ローザが弓矢を出して、エッジを狙ってきた。

 その弓矢を作ったのは、シドではないだろうか?

 

「こないだローザに弓作ったろ!?」

「ああ。外回りの仕事をしたいが、護衛は要らん言うてな。だったら、護身用の弓矢忍ばせるしかないじゃろ?」

 

 誇らしげな笑みを浮かべながら。物入れから戻ってきたシドが再び席についた。

 

 ローザが忍ばせていた弓矢は、マントで隠せるほど小さく。まるでおもちゃのようだった。

 予想通り、あれはシドが製作したものだった。

 

「……ったく、相変わらずローザにはゲロ甘だな」

「レディーファーストと言え。若造」

「ガラにもねえこと口にすんな。——エロじじい」

「なにぃっ!?」

 

 エッジが笑いながら、冗談交じりに悪態をつけば。

 今席に着いたばかりだと言うのに、シドが顔を真っ赤にしてまた立ち上がった。

 すると、あまりの勢いのよさに椅子が倒れてしまった。

 

 シドも冗談を真に受けやすい。彼をからかうのは正直楽しい。

 ここに来る度に最低1回は、からかわないと気が済まない。

 しかも、歳をとるごとに反応は大げさ。ますますいじりがいがある。

 

「わしゃ、エロでもじじいでもないわいっ!!」

「ぎゃあぎゃあうっせえなあ。飛空艇の予約キャンセルすんぞ?」

 

 もちろん、ただの冗談である。

 

 飛空艇は、バロンとドワーフの専売特許である。

 バロンの国益に繋がる売り上げがなくなるとなれば。

 セシルに迷惑が掛かるようなものなので、シドは怒るだろう。

 

「何だとぉ!? セシルをぬか喜びさせる気かぁ!」

「よ、っ……と」

 

 予想通り、シドがまた冗談を真に受けた。しかも、つかみかかろうとしてきたが。

 エッジは横にずれるように席を立ち、襲撃をひらりとかわす。

 

「うおっ!?」

「そろそろ帰るな」

 

 シドも(身体は)若い。空いた椅子に倒れ込まぬよう、右足で踏みとどまった。

 それを見届けてから、シドの肩を軽く叩く。

 

「そんじゃ、明日から頑張ってセシル喜ばせてやれよなっ」

「ばかもんっ!! キャンセルしたら、末代まで祟って……」

 

 シドにひらひら手を振りながら、私室の出口に向かう。

 

(末代も何も、オレの代でジェラルダインは終わりなんだけどな……)

 そんなエブラーナ事情を知る由もなく。わめき続けるシドの声を背に浴びながら。

 私室を後にするエッジの表情が、みるみるうちに固くなる。

 

 長年、幻獣界の送迎を買って出ていた。けれど、これからはルカがその担当になる。

 ミストでの暮らしは、ラルフたちが全面的にフォローをしてくれるだろう。

 

(『ツクヨミ』が拒絶されたら、本当に終わりだな……)

 リディアは『エッジ』を、もうアテにすることはない。

 それがわかっていながら、関係を絶ち切ったはずなのに。

 エッジは心に穴が開いたような、空虚感に襲われたのだ。

 

 

——それから10日後 10の月11日 午後4時半すぎ

 

 

 10の月に入ると、日が落ちるのが早くなる。

 あと半刻もすれば、ミストは闇で覆い隠されてしまうだろう。

 

 エッジは約1週間ぶりに、ミストにやってきた。

 本日は、いつもより早めに到着。まずはツキノワを探すために、集落の東南にある木陰に向かう。

 

「……」

 

 目的地に近付くにつれて、聡い耳が男児の声を拾い始める。

 やはり、いつもの場所で過ごしているようだ。

 

「……たちが帰ってから、数日が過ぎた夜……プシケはとうとう我慢が出来ず……寝所をのぞいてみました……」

 

(また女物の本、読まされてんな)

 内容からして、ツキノワがライザの娘ベスとユノに朗読をしている。

 

 —— —— ——

 ツキノワは、普段からベスとユノと仲がいい。

 3人は休みの日になると、今いる木陰で過ごすことが多い。

 やることと言えば、読書や読み聞かせ。携帯用のチェスなど、大人しい遊びばかり。

 ……お人形さん遊びを目撃した時は、さすがにぎょっとした。

 —— —— ——

 

(森の中を探検とか、男らしい遊びはしねえのか……)

 ツキノワ自身が好き好んでやっている。それはわかってはいるけれど。

 あまりにも大人しすぎる休日の過ごし方を見る度に、少し呆れてしまう。

 

 先を進む度に、ツキノワの声が大きくなっていく。

 程なくして、ツキノワたちの姿が視界に入ってきた。

 木陰でもたれながら朗読するツキノワの対面に、ベスとユノが座って話を聞いている。

 

「……夫は目が覚めましたが、悲しそうな顔でこう言いました。『僕は愛の神エロス。きみは僕の愛を疑った。だから、もうお別れだ』」

「ええ? なんでおわかれしちゃうのぉ?」

「こら、ユノ……邪魔しちゃだめ」

 

(悲恋ものか)

 バットエンドの流れを感じ取ったのか。悲しそうな声を上げるユノを姉のベスがたしなめている。

 

 キリがいいところまで、読み聞かせをさせてやろう。

 エッジは足を止めて、子どもたちの様子を遠巻きから眺めることにした。

 

「プシケは泣いて謝りましたが、夫は最後にこう言い残して姿を消してしまいました。『愛と疑いは一緒にいられないんだよ』そして、二度とプシケの元に戻ってくることはありませんでした——おしまい」

 

(どっかで聞いたことある台詞だな……)

 既知感のある台詞の出所を思い出せないまま。バットエンドで朗読は終了。

 

「ノアは本当に朗読が上手ね……世界に入っちゃったわ」

「ありがとう」

「ぅ……!」

 

 ベスが、ツキノワの読み聞かせぶりをほめる。その一方で、ユノは今にも泣きそうだ。

 

「プシケかわいそうだよぉ……!」

「言いつけを守らなかったから、怒っちゃったんだろうね」

「でも、1回だけだよ?」

「このお話にはね。1回でも裏切ったら、相手から嫌われることもあるよって教えが入っているんだ」

「神さまなのに、いじわる……」

 

 ツキノワがなだめたおかげで、ユノは泣くまでには至らなかった。

 ベスは、しばらくの間、ツキノワから渡された本をぱらぱらめくっていたが。

 本を閉じて「ユノ」と、妹に声をかけながら肩を叩いた。

 

「なあに、おねえちゃん?」

「……この話、まだ終わってないよ」

「そうだよ。この本は前編だからね」

「ほんと? つづきよみたーい」

「帰ったら……お母さんに聞いてみようよ」

「うん!——またつづきよんでくれる?」

「本が手に入ったら、読んであげるよ」

 

(もういいか)

 何とも微笑ましく和みのある光景である。それでも、眺め続けている訳にもいかない。

 キリがいいと判断して、エッジはツキノワたちの前に近付いた。

 

『こんにちは』

「あっ、しろぎつねさん。こんにちはぁ」

「こんにちは。ツクヨミさん」

「……今日も……夕食食べに来たんだね」

『はい。そうですよ』

「しろぎつねさん。せんせいのことだいすきだもんね!」

『ええ。だいすきですよ』

 

(とっても!!)

 ベスとユノも、リディアと『ツクヨミ』が本物の恋人同士だと信じてやまない。

 特にユノは、だいすきなリディアを慕う『ツクヨミ』にとても好意的。

 誰にも言えないけれど。実はそれがちょっと嬉しかったりする。

 

『……スー、ユノー。どこにいるのー?』

 

 娘たちの名を呼ぶ母親の小さな声が、耳に入ってきた。

 

 ツキノワもぴくりと眉を動かす。しかし、ベスとユノは気付いていない。

 忍者の聡い耳でやっと聞き取れるぐらいの大きさだから、仕方がない。

 

(またリディアとしゃべってたか)

 方向からして、ライザの自宅がある南方面ではなく。

 北からこちらに向かってきている。

 ……何の用かは知らないけれど、公民館からの帰りだろう。

 

『お嬢さま方』

「なあに?」

『お母さまがお探しですよ』

 

 エッジは指でライザがやってくる方向を示した。

 ところが、ベスとユノの身体が一瞬固まり、表情に影が差した。

 

(珍しいな)

 ふたりは、いつも母親に懐いているのに。家に帰りたくないのだろうか? 

 

「……帰らなきゃ」

 

 我に返ったのか。ベスがはっとしたような顔を見せてから。

 地面に散らばったおもちゃや本をささっと拾い集める。

 

「はい……ユノは、これ持つの」

「お、おねえちゃん……」

「……どうせ帰ってくるの……遅いよ」

「なんだ。それなら、だいじょうぶだね」

 

 ベスからおもちゃを手渡されて、ユノが怯えたように姉を見上げたが。

 すぐに、再び和らいだ表情に戻っていく。

 

「ノア、またあそぼうね」

「もちろんだよ」

「今日は……ありがとう……また明日ね」

「うん、それじゃあね」

 

 ベスとユノが、エッジが指で示した方向へ駆け出した。

 すぐに、どこにでもいる母娘の会話が耳に入ってきたが。

 程なくして、聞こえなくなった。

 

「ツクヨミさん、お疲れ様です」

『お疲れ様です……きみは、いつもあの子たちとばかり遊んでいますね』

「だめでしょうか?」

『だめと言う訳ではありませんが、楽しいですか?』

「楽しいですよ? あの子たちと一緒にいると、すごく落ち着きます。でも……」

 

 ツキノワがけろっとした表情で、エッジの率直な質問に答えていたが。

 突然言葉を切り、表情を暗くさせてしまった。

 

『どうしました?』

「い、いえ。別になんでもありませんっ」

 

(仕事と関係ねえことで、何かあったな)

 首を横に振るツキノワに、それ以上のことは追求しなかった。

 

 —— —— ——

 公——ミストで起こった出来事のみ。

 ツキノワは報告書にしたためて、エブラーナ城に送ってくれる。

 

 反して、私——『ノア』の部分は、ミストの情勢と関係がない。

 だから、報告書にはその話題は一切出さない。

 

『休みの日は、ベスやユノと遊んでいます』

 

 そんな一文が入った報告書を、エッジは一度も見たことがない。

 

 『ノア』として、おいしいごはんやおやつを食べた。

 誰かに褒められた、叱られた。なんて、もってのほかである。

 せいぜい、『ツクヨミ』が話題を振ったら軽く答える程度。

 

 それだけツキノワは、公私をきっちり分けることが出来る優秀な忍者と言えよう。

 —— —— ——

 

 それより、この子どもを仮の自宅に帰さねばならない。

 さっさと本題に入ることにした。

 

『ところで、新しく来た護衛の方はどうですか?』

 

 エッジが本日、早めにミストにやって来たのは。

 もうひとりの護衛の様子を、ツキノワに直接聞くためであった。

 

「すごく優秀な方です。普段は犬や鳥に変化されているので、誰も気付いていません」

『そうですか』

 

 この村の空気と化して、仕事をこなしている。そうわかり、心の中で安堵した。

 

 —— —— ——

 リンやメイが、ミストに来てリディアを嫌がらせしないように。

 『青ばら』が、リディアの1点ものの服を狙わないように。

 エッジは9の月の下旬から、リディアの護衛を2人体制に変えた。

 もうひとりの護衛は、隠密が使えない。

 そのため、人以外に変化して、護衛をするよう命じてある。

 

 ツキノワは諜報も兼ねているため、護衛時間は少なめ。

 ミストの休日は、護衛が仮眠する時間以外はほぼ休暇である。

 今頃、もうひとりの護衛が動物に姿を変えて、屋外でリディアを見張っているだろう。

 —— —— ——

 

『では、引き続きその方と協力しながら、リディアさまの護衛を続けてくださいね』

「はいっ」

『実に子どもらしい、いい返事ではありませんか』

「……時間が限られていますから」

 

 今のうちに、ミストで『子ども』の時間を味わっておこう。

 ツキノワは、はじめそれをためらっていたが、頭を切り替えたようだ。

 

『そうですよ。ここでの経験は決して無駄にはなりません』

 

(オレが偉そうに言えたクチかよ……)

 ツキノワを励ましながらも、心の中で自身を嘲笑う。

 リディアに会いたいから。その一心で、あの手この手と手段を変えて。

 ここに通い続けている自分がよく言えたものだと。

 

「ひとつ聞いていいですか?」

『ええ。答えられる範囲でなら』

「お館様。もうミストには来ないんですか?」

『……』

「リディア先生が嫌いになったから……ここに来なくなったんですか?」

 

 ツキノワが不安そうにこちらを見上げながら、そう言った。

 

(ここの奴らの話聞いて、ついに我慢できなくなったか)

 これまでツキノワとは、何度も直接会って話している。

 けれど、こんなことを口にしたのは初めてであった。

 

『僕はお館様から、きみの様子をのぞきにくるよう頼まれただけです。お館様の考えまでは察しかねますので答えられません』

「……っ、すみません。変なこと聞いちゃって」

『ここの方たちがおっしゃることを聞いて、辛くなったのですね』

「はい。お館様の悪口を言われてるみたいで……もうひとりの方もショックを受けていました」

 

 —— —— ——

 ミストの住民は、エッジの婚約を知ってから。

 手のひらを返して、エッジを悪い男と口にするようになった。

 

『ミストとリディアは、エッジ様にヤリ逃げされたんだよ』

 

 そんな辛辣な指摘をする住民もいる。

 ツキノワやもうひとりの護衛はミストにいる限り。それらを嫌でも耳にしなければならない。

 —— —— ——

 

 9割9分のエブラーナの民は、お館様を慕っている。

 リンの婚約はさておき。ここの住民のように、お館様へきついことは言わない。

 もちろん、ツキノワももうひとりの護衛もお館様を慕う立場にいる。

 お館様のことをぼろくそに言う住民を目の当たりにして、心を痛めているのだろう。

 

『耐えなければならないと最初に言ったはずですよ』

 

 その場にしゃがみ、両肩に軽く手を乗せてから。ツキノワに強く言い聞かせた。

 

「はい……」

『ミゼルさんに、お話ししましたか?』

 

 お館様が悪く言われて耐えられないようなら、ミゼルに相談するように。

 任務が始まる前に、ツキノワへそう伝えてあった。

 

「……『ここがエブラーナじゃなくてよかったね。ものの見方や感じ方は、人によって違うから諦めなさい』……そう言ってくださいました」

『その通りです。きみは仕事でここで暮らしているにすぎません。周りの意見に流されないようにしなければなりません』

 

(やっぱり、あの男に振っておいて正解だったな)

 ジャンヌに話したら、ツキノワと一緒に愚痴るだろう。しかし、ミゼルはそうではない。

 あの男は、ツキノワが仕事でここにいることを重々理解している。

 

 『ミストに来てくれるいい人』から『ヤリ逃げした男』へ。

 エッジは自身の評価が悪評に転じる。そう予想した上で、リンとの婚約を決めた。

 だから、ツキノワたちには耐えてもらうしかない。

 

 もっとも、リディアだけはエッジの狙いと相反して。

 以前と変わらず、エッジを慕い続ける——それも死ぬまで——と言い切ったけれど。

 

「わかりました。護衛の方にもそう伝えておきます」

『ええ。そうしてあげてくださいね』

 

 ツキノワが表情を引き締めてから、返事をしてくれた。

 なんとか諦めてくれたようだ。

 

「あっ……」

 

 ツキノワがすぐさま目を見開き、小さな声をあげた。

 この場に近付いてくる人の気配を察知したらしい。

 もちろん、エッジもその気配と人物の正体に気付いている。

 話も終わったから、ちょうどいい頃合いである。

 

「やっぱりここだったか」

「ジャンヌさんっ」

 

 背後から、ジャンヌの声が聞こえてきた。

 彼女はノア——ツキノワを本当の息子のように可愛がっている。

 ライザと同じように、ツキノワを迎えにきたのだろう。

 

 ジャンヌがエッジの隣にやってきて、ツキノワが子どもらしい明るい表情に変わった。

 

「ベスたちは。一緒に遊んでたろ」

「ライザおばさんが迎えにきたので、先に帰りました」

「そうか……」

 

 ジャンヌが、どこか複雑そうな表情を見せた。

 ベスとユノのことになると、ツキノワだけでなくジャンヌまで変な様子を見せる。

 

(あいつらに何かあったのかね……ま、どうでもいいけどさ)

 エッジはそう不思議に思いながらも、挨拶することにした。

 

『こんにちは、奥様』

「久しぶりだね。元気してたかい?」

『はい、相変わらずです』

「今頃あいつ、せっせこ調理室で晩飯作ってるよ。早く行ってやんな」

 

 ジャンヌが親指を、明後日——北にある公民館——の方に向けた。

 

 仕草も口調も荒っぽい。それでも、ツキノワにはべったべた。

 この女は、人は見た目では判断してはいけない典型的な人間である。

 

『はい。今からお邪魔しようと思っていたところです』

 

 返事をすると、ジャンヌが腕を組んで何とも言えない表情を見せた。

 

『……あの、奥様?』

 

(何か変なこと言ったか?)

 エッジは怪訝な声で、ジャンヌの顔色をうかがう。

 

「いや……あんたもなかなか不憫だと思ってね」

『はい?』

「傍から見りゃ恋人同士にしか見えないのに、あいつは『お友達でいましょうね』だからね」

 

 ジャンヌが肩をすくめながら、そう答えた。

 

 リディアに恋する『ツクヨミ』のことを、ジャンヌは応援してくれているようだ。

 リディアが全く『ツクヨミ』によろめかないことに、不満を持っているようにも感じ取れる。

 

『十分ですよ。毛嫌いされなければよいのです』

「まぁ、あいつもノリノリで偽恋人やってるからね。互いに満足出来りゃそれでいいんじゃないか?」

『そうですね』

「ただし……」

 

(怖っ!!)

 エッジが返事をした途端。それまで、からから笑っていたのに。

 ジャンヌが急に鬼のような形相に変わった。

 

「リディアに手ェ出しやがったら、どうなるかわかってんだろうね」

『っ、はい……』

「鼻っ面ぶん殴ってやるからな。覚えておきな……!」

 

(怖ええ女だな)

 ジャンヌがこちらをにらみながら、左拳をエッジの顔に突きつけてきた。

 どこからどう見ても脅しにしか見えない。

 

「ふふっ」

『わ、わかりました。手は出しません……』

 

 ツキノワのくすくす笑いが聞こえてくる中。

 うろたえながら誓いを立てると、緑色の何かが視界に入った。

 

(こいつ……指輪はめてたっけ??)

 ジャンヌが脅しとばかりに、こちらに突き付けている拳に。

 リディアに贈ったものより、色濃く丸い石がくっついていたのだ。

 

 

——午後7時すぎ

 

 

「——ごちそうさま」

『本日も美味しかったです』

「ほんと? ここは出来立てごちそうできるからちょうどいいよね」

『本当によろしかったのでしょうか?』

「何が?」

『公の施設の一室を、一個人の事情でお借りしても……』

 

 対面に座るリディアを通過点に、辺りを見回しながら。本音を口にした。

 

 —— —— ——

 今回から晩ごはんをとる場所が、公民館の調理室に変わった。

 

 普段この部屋は、料理教室として使われているらしい。

 かまどや水洗い場、調理台が複数設置されている。食器や調理器具も全て揃っている。

 リディアは晩ごはんの食材。そして、カルミネの事件以来愛用している子ども包丁を持参すればいいだけ。

 

『これから寒い冬の季節に入るからね』

 

 先日、リディアがそんな理由を話していたけれど。

 広場では献立が毎回偏るからというのも、一因にあるかもしれない。

 実際、本日の晩ごはんは『エッジ』によく作ってくれたものだった。

 —— —— ——

 

 エッジが調理室に入るのは、本日初めてだったこともあって。

 妙に落ち着かないまま、晩ごはんを食べ終えてしまった。

 

「気にしなくていいよ。ラルフさんからお許しもらってあるから」

『そうですか……』

「このお部屋で、お友だち同士でおかずやお菓子作ったりする人たちも多いしね」

 

 得意満面の笑みを浮かべるリディアへ。エッジは心の中で、こう突っ込んだ。

(それは昼間の話だろ……ぶっちゃけ、おまえん家とここは大差ねえぞ?)

 

 —— —— ——

 リディアとこうして夕食をとるのは、ミストが休みの日が多い。

 その日は黒魔法講座や学習は休み。

 昼間は図書室に来る住民や、ラルフが事務室にいるかもしれないからまあいい。

 しかし夜になると話は別である。

 

 今の時間帯、どこのお宅も夕食の真っ只中。誰もここに来ない。

 『ツクヨミ』が内から鍵を閉めて、電気を消して(略)……襲ってくるかもしれない。

 リディアは、そんなよろしくない展開を想定しなかったのだろうか??

 —— —— ——

 

(ま、いいや。どうせ襲わねえし)

 恋愛対象から完全に外れている以上。『ツクヨミ』はリディアに手を出せない。

 手を出したら、リディアに嫌われる。

 しかも保護者(女の方)から、グーパンチを見舞われてしまう。

 あざも出来るだろうし、口の中は切れて流血確実だ。

 

『そういえば、ライザさんがこちらに来ていませんでしたか』

「フロランタンを作ったから届けに来てくれたの」

『お菓子ですか?』

「そうだよ。トロイアの甘ーいお菓子。ツクヨミさんの分もあるから帰りに渡すね」

『……なぜ、僕に?』

「お礼だよ。ライザもツクヨミさんにお礼したいって前に言ったじゃない」

 

 今日の今日まで、すっかり忘れていた。

 以前、そんなことをリディアが話していた気がする。

 

『でしたら、リディアさま。僕の分もお持ち帰り』

「——だめ。受け取らないとライザ悲しむよ?」

『いえ、それでもリディア様が』

 

 甘いお菓子はリディアに回したらいい。そっちの方がお菓子も喜ぶ。

 エッジはそう思って、リディアに自身の分を渡そうとしたが。

 リディアが勝ち誇ったような顔をして、こう言った。

 

「ライザは、ツクヨミさんがそう言うだろうと思って、ツクヨミさんより多めにわたしの分も作ってくれたんだよ」

『……かしこまりました、後でありがたく頂戴いたしします』

 

 あえなく失敗に終わってしまった。

 ライザには『ツクヨミ』の行動心理をすっかり読まれている。

 

「今日までかかっちゃってごめんなさいって言ってたよ」

『全く気にしておりません。しかしながら、あの方はそんなに忙しかったのですか?』

 

 エッジがそうたずねた途端。リディアが沈んだ表情に変わった。

 

「……忙しいって言うか、作るどころじゃなかったって言うか……」

 

 現在ライザ夫婦の間に、亀裂が入っているという。

 

『そんな風には見えませんでしたが』

「わたしたちに話さなくても、おうちで喧嘩すると声が外にもれちゃうでしょ?」

『あぁ……』

 

 —— —— ——

 先月の下旬の話だ。

 夜、アリサの息子たちが寝ようとする時間に、ステラが突然泣き出した。

 なかなか泣き止まないので、アリサは娘を連れて外へ散歩に出た。

 

 そしてご近所さん——ライザの自宅の前を通り過ぎようとしたら。

 普段は静かなそこから大声が聞こえてきた。

 立ち止まり、しばらく会話を聞いていたら。ユノの泣き声まで聞こえてくるではないか……。

 

 すぐさま、アリサはリディアの自宅に直行。

 

『やっぱり、あの旦那さん。ライザには家にいて欲しいみたいねー』

 

 渋い表情でリディアにそう教えてくれた。

 その翌日。リディアとアリサは、当のライザから夫婦事情を教えてもらったという。

 —— —— ——

 

「もともと旦那さんは、ライザには白魔法の責任者なんか無理だって反対してたの。けど、おじちゃんに直接説得されたから許してくれたって……」

『だから、あの男から襲われた後……』

「そうなの。おじちゃんの言うこと聞かなきゃよかったって、殴っちゃったの」

『しかしながら、あの男はもういなくなりました。ミゼルさんも村長をお辞めになったではありませんか』

「旦那さんは、署名集めさせたおじちゃんや、わたしやアリサのせいで、ライザが変わっちゃったって思い込んでるみたい」

『あぁ……奥様には、家の中にいて欲しいのですね』

「ライザ、おうちのことしっかりやってるんだよ? それでも、責任者も白魔法も辞めろって言い出しちゃって……」

 

 —— —— ——

 どうやら、ライザの夫は妻を束縛したがるタイプらしい。

 頑として白魔法から離れないライザに、業を煮やしたのか。

 夫はトロイアへの帰郷を考えるようになり、本日の朝ライザたちにこう言った。

 

『実家に帰って、みんなで話し合いするぞ』

 

 ライザたちをトロイアに連れていこうとしたが、3人から拒否された。

 主人はそれに怒って、ひとりで実家に帰ってしまったという。

 —— —— ——

 

(ユノは父親が帰ってきてねえか、怯えてたんだな)

 夕方、ベスやユノがわずかな違和感を見せた理由は判明した。

 けれど『ツクヨミ』は、リディアとは違う。一家庭の問題に、口を挟むつもりはない。

 

 暗い表情で、親友の行く末を案じるリディアと対照的に。

 エッジは『元のさやに落ち着けばよいですね』と答えるだけに留めた。

 

§

 

『そろそろ、デザートのお時間では?』

「あ、まだ切ってないや。洗い物終わってからでいい?」

『はい。本日はりんごか、ぶどうかオレンジ……どれでしょう?』

「今日はね。りん……!?」

『どうなさいましたか』

 

 リディアが席を立ち上がろうとしたら。はっとしたような表情を見せて言葉を切った。

 それから、にやけたような顔つきでこちらを見てきた。

 

「ねえ、ツクヨミさーん」

『何でしょうか?』

「りんごのくるくる皮むき、出来る??」

 

 リディアが甘えたような声で、エッジにそうたずねてきた。

 

(りんごに詳しいから、皮むき出来ると思ったのか……?)

 ここで『出来ます』と答えたら、大喜び間違いなし。

 それぐらい、今のリディアの顔は期待に満ちあふれているように見える。

 

『出来ないことはありませんが……』

「ほんと!?」

『いつものくし切りでよろしいですか?』

「いいよ? 洗い物はわたしがするから、ツクヨミさんはりんご切って」

『皮むきはすぐ終わります。僕も洗い物をお手伝いいたします』

 

 はじめリディアは「洗わなくていいよ」と遠慮を見せていた。

 しかし、エッジが時短や効率性を強調すれば。

 即座に「じゃあ、お願いします」と甘えモードに変わったのであった。

 

§

 

 リディアとふたりで手早く洗い物をすませてから。

 ついに、りんごくるくる皮むきのお披露目と相成った。

 

 リディア持参の子ども包丁を右手に持つ。その刃元を左手で持ったりんごに当てる。

 左手を回しながら、うすーくほそーく皮をむいていく。

 

「うわぁ、すごぉい……!」

 

 リディアが驚きの声を上げて、目を見張っている。

 ツクヨミがりんごをすいすいむいていくだけでなく。途中で皮が切れないのも、余計かもしれない。

 

 皮むきを続ける中、脳内に約20年近く前の出来事が過ぎった。

 

 —— —— ——

 確かあの時、脱走先はダムシアンだったと思う。

 職場経験したくて、ある食堂の主人にこう頭を下げた。

 

『1週間だけでいいから、なんか手伝いさせてくれねえか?』

『別に構わんが、下ごしらえまでしかさせないからな』

 

 主人の答え通り。エッジは1週間、ひたすら果物や野菜の水洗いや皮むきをさせられた。

 

 包丁を持つ右手ではなく、りんごを持つ左手を動かすのがポイント。

 りんごの皮むきに慣れるまで、主人に何度もそう注意されたものである。

 —— —— ——

 

(若い頃の経験って便利だな)

 そう思っているうちに、皮をむき終えていた。

 続けて、りんごを八等分に切っていく。

 

「ツクヨミさん、器用なんだねえ……!」

 

 りんごの長い長い皮をつまみながら。またもやリディアが感嘆の声を上げた。

 

『そうでもございませんよ』

「謙遜しないでいいの。わたし、10センチも続いたことないもん」

 

 エッジは『ツクヨミ』らしく淡々と答えた。それでも、心の中で歓喜していた。

 褒められて嬉しくない訳がない。相手がリディアなら尚更だ。

 

(今度うさぎりんご作ってやっか)

 賞賛してもらったおかげで調子に乗り、りんごの飾り切りを披露しようと思いついた。

 

『それで結構です。りんごの皮付近には栄養が詰まっておりますので、皮をむかず食べるとよろしいです』

「へえ、そうなんだね」

『ですから、こんな茶番も今日が最初で最後ですよ』

「えー??」

 

(嘘だぞ)

 不満げな声を上げるリディアへ、心の中でぺろりと舌を出してから。

 りんご八等分のひとつを手に取って、種がある部分に包丁を入れて芯を取り除いた。

 それを変色防止用のはちみつと水が入ったボウルへ投げ入れると。

 ぼちゃんと音を立てながら、ボウルの水が飛び散った。

 これを繰り返せば、おまちかねのデザートの時間である。

 

「なんか、もったいないなあ」

『え?』

「ツクヨミさんが、いつかエブラーナの料理作ってくれるの楽しみにしてるんだけど」

『い、いや……それは……』

「ここなら、いくらでもお料理作れるよ??」

 

 リディアが、堂々と自身の希望——据え膳——を口にした。

 

 前から既にぼろは出ていたが、ついに本性を露わにしてきた。

 エッジが一度作ってしまうと、毎回作れ作れとせがんでくるのが目に見える。

 

『……僕は料理が出来ません』

 

 りんごの芯を切り取りながら、そう口にした。

 

「今りんご切ってるじゃない」

『1から料理は無理です。出来ません』

「それは単にやったことがないだけでしょ??」

『……っ、段取りも複雑ですし、調味のさじ加減がわからないのです』

 

 芯を切り落とした最後のりんごをボウルの中に入れながら。

 困惑の声で消極的な返事を繰り返す。

 

 —— —— ——

 材料の洗浄。選別と成型、調味に加熱。そして盛り付け……。

 様々な工程を経て、ひとつの料理が出来上がる。

 

 エッジは、料理をする必要がない環境に生まれ育った。

 出来ることと言えば、脱走の際に経験した成型——材料切り——まで。

 それ以降の工程はやったことがない。

 —— —— ——

 

(おまえが料理作ればいいんだよ! おまえが作ったもんならいくらでも食べるぞ!?)

 リディアは料理のスキルが上がる。こちらはお手製料理をいただける。利害一致ではないか。

 

「大丈夫大丈夫。さじ加減なんてレシピ本に書いてある分量ぽいぽーいって入れたらいいんだよ」

『……』

「来年になったら一度作って……あ、何ならわたしとレシピ本といっしょに作ってもいいんだよねえ」

 

 リディアはどうしても、『ツクヨミ』を料理の道に引きずり込みたいようだ。

 

(一緒に作るなら、まあいいか)

 諦めの境地に達したエッジは、リディアに何も答えずに。

 ボウルの水を切って、りんごをお皿に盛りつけ始めた。

 

 リディアは、『エッジ』には、おくびにも出さなかったことを。

 『ツクヨミ』にはこうして、ぽんぽん提案してくる。

 『ツクヨミ』を『エッジ』の代わりにしているような気もするが。

 それでも中の人は、『エッジ』のまま。悪い気はしなかった。

 

『……どうぞ』

「ありがとう。いっただきまぁーす」

 

 皮なしりんごが盛られたお皿を机に置いてから。リディアと対面の席に座った。

 リディアがりんごをひとつつまんで、食べ始めたのを見届けてから。

 エッジもやっとりんごに手をつけ始めた。

 

§

 

(あーんして……くれる訳、ねえよな)

 リディアは、りんごを味わうのに必死。

 エッジの口に、りんごを差し出そうとする素振りは一切見せない。

 

 しばらくして、お皿に盛られたりんごが尽きかけた頃。

 リディアが、突然こんなことを聞いてきた。

 

「ツクヨミさんは『呪いのコロネット』って知ってる?」

『ええ。一度も見たことはありませんが。——リディアさまはご覧になったことありますか?』

 

 『呪いのコロネット』は、バロンが所有している財宝のひとつである。

 普段は城の宝物庫に保管されているが、3、4年に1回バロンの国立博物館で展示される。

 これを拝むためだけに、国外から足を運ぶ客が多い。

 

「ないよ。こないだ知ったばかりだもん」

 

 先日、4年ぶりに『呪いのコロネット』の展示が決まった。

 期間は、今月の29日から31日までの3日間。

 告知目的で、世界各地の新聞で大々的に報じられたから。

 リディアもはじめて『呪いのコロネット』の存在を知ったようだ。

 

「ダイヤって赤もあるんだね。無色透明しかないって思ってた」

『色付きダイヤの中でも、赤は最も希少価値が高いと言われております』

 

 『呪いのコロネット』の歴史は、約200年前までさかのぼる。

 バロンのとある侯爵が、5年がかりで自分用の小冠——コロネット——を作らせた。

 純金の土台に各種宝石をあしらい、中央に赤いダイヤモンドがはめ込まれている。

 大きさはなんと直径3センチ。100カラットはゆうに超える。

 

「同じ赤なら、ルビーと変わんないよね?」

『違いはあります。ダイヤはこの世で最も硬く、傷や摩擦に強い石ですから』

「そういえば……ダイヤはダイヤじゃないと磨けないって聞いたことあるなあ」

『ルビーも非常に硬い石ですが、ダイヤには劣りますからね』

「あぁ……! ルビーはダイヤで傷が付いちゃうから、それで判別できるってことだね!』

『その通りでございます』

 

 会話がスムーズに進む進む。

 リディアの成長を目の当たりにして、エッジは感慨にふける。

 

(昔は1から説明しなければならなかったのになあ)

 新聞や書物に目を通す習慣がついたことで。

 この世に散らばる知識——もっぱら雑学だが——をたくさん仕入れているのだろう。

 

『赤いダイヤそのもの価値に加えて、呪いのおかげで値段はつけられないそうです』

「持ち主になるとみんな死んじゃうんでしょ? 怖いね……」

 

 この小冠に値段がつけられないのには、ふたつ理由がある。

 ひとつは、宝飾としての価値が高すぎるから。

 そしてもうひとつが、いわくつきだからだ。

 

 —— —— ——

 5年がかりで完成した小冠は、その侯爵家が代々受け継ぐことになった。

 ところが、制作を命じた当の侯爵は完成後、間もなく病死。

 

 残された家族にも不幸が続き、侯爵の娘が宝石商の知人に小冠を売却した。

 すると、その知人は3年後に謎の自殺を遂げてしまった。

 その後も持ち主がころころ変わったが、全員小冠を手にしてから数年以内に死亡した。

 

 とうとう、最後の持ち主の遺族が当時のバロン王に小冠を寄贈した。

 王は『呪いのコロネット』と名付けて、城の奥深くに完全封印しようとしたが。

 価値があるものを、城の奥深くに眠らせておくのはもったいない。

 周囲からそんな意見が出て、仕方なく不定期に博物館で展示することだけ許したという。

 —— —— ——

 

『一個人でない限り、呪いは発動されないと言われておりますから大丈夫ですよ』

「あ、だから今は何も起こらないんだね」

 

 王や一個人が利用しないように徹底しているからか。

 現在まで、バロンや代々のバロン王に呪いが発動されたことはない。

 

「『呪いのコロネット』見たいなあ……」

『宝石に早速興味を持たれたのですね』

 

 リディアが天井を見上げて、ほうと息をついた。

 宝石にうっとりするような、女性らしい表情を見せるとは。

 これは指輪を贈った効果に違いない。エッジがそうほくそ笑んでいたら……。

 

「違うよ。赤いダイヤが、呪いでおどろおどろしい色してるのか気になるの」

 

(そっちかよ!)

 宝石への純粋な興味ではなく、呪いが気になるらしい。

 肩透かしを食らった気分になりながらも、リディアに何も答えなかった。

 

 先日、セシルが本物の『呪いのコロネット』を見せてくれた。

 呪われているから、血を連想させる濃赤のダイヤかもしれない。

 リディアはそう思っているらしい。

 残念ながら、『呪いのコロネット』の赤いダイヤモンドは、紫がかった赤。

 紅絹(もみ)色と呼ばれるものに近く、血を連想させる色ではなかった。

 

『しかしながら……リディアさまは「青ばら」が大人しくなるまで、ミストから出ないようにされているのでしょう?』

 

 リディアは『呪いのコロネット』に興味津々のようだが。

 残念ながら、今回の展示を見に行くことが出来ない。

 

 なぜなら、1点ものの服が狙われる可能性が高い。

 リディアは、ギルバートからそんな忠告をもらって以来。魔法をフル活用して警戒中。

 ツキノワから、既にそんな報告をされていたから。

 

「そうなんだよ。展示が始まる前に『青ばら』が捕まってくれたらいんだけどなあ」

『捕まるといいですね』

 

(悪りぃが、展示前には『青ばら』は捕まらねえぞ)

 リディアへ楽観的な返事をしたが、思い切り嘘をついた。

 

「ほんとそれだよ。盗んだお金や宝石をみんなにばら撒く訳でもないし、みんな困らせて何が楽し」

『——失礼』

「うわあっ!?」

 

 『青ばら』が義賊なら多少許せたのに。

 そう言わんばかりにぼやくリディアの小さな右手を、エッジがさっとつかむと。

 色気のかけらもないすっとんきょうな声が、調理室内に響いた。

 

「あ、あの……ツクヨミさん」

『……』

 

 あわあわするリディアをそのままに。彼女の右手をつかんだまま。

 小指で輝くペリドットで構成された、四つ葉のクローバーを見つめながらこう言った。

 

『「呪いのコロネット」よりも、こちらの方が美しいです。つけておられる方の魅力を引き立ててくれます』

「……ツクヨミさん。お医者さまに目を診てもらった方がいいんじゃない?」

『いいえ。その必要はございません』

「そうですか……」

『ミストのみなさまも、すっかり騙されておりますしね。贈りがいがありました』

「どうも……」

 

 本音をつぶやき終えたエッジは顔を上げて、口元に笑みを浮かばせた。

 

(何が『呪いのコロネット』だよ!!)

 リディアがはめているこの指輪の方が、綺麗に決まっているではないか。

 赤いダイヤなんか屁でもない。

 そんなエッジの思いとは裏腹に、リディアが真顔でこちらをじいと見つめている。

 

「……ちょっと」

『何でしょうか』

「手、離してちょうだい」

 

 悲しいかな。冷たい声でリディアから命じられてしまった。

 

『でしたら、その前に……』

 

 今のうちにと、エッジはおもむろに上体をかがめて。

 つかんだままのリディアの右手に、自身の顔を近付けていく。

 

「——だめっ!」

 

 目的箇所——手の甲まで、あと数センチというところで。

 リディアがエッジの手を、ぶんっと振り払った。

 

(ばか野郎! これぐらい許してくれよ!!)

 手の甲への口付けを試みようとしたら、また拒否されてしまった。

 指輪を贈ってから、これで3回連続失敗である。

 

 手の甲への口付けは、何も恋愛表現に限ったものではない。

 相手に忠誠や尊敬を示す意味合いもある。

 騎士が女王にかしずき、女王の手の甲にキスする場面ぐらい。

 リディアも小説で何度も読んだことがあるだろうに。

 

 悔しさのあまり、エッジは両手で顔を覆いながらこうぼやいた。

 

『……ミゼルさんがうらやましいです』

「おじちゃん? どうして?」

『指輪に乗じて、奥様にいくらでも手の甲に口付け出来るからです』

 

 ミゼルが『この指輪と同じくらい、きみも素敵だよ』と砂を吐くような台詞を口にしながら。

 妻の手の甲に口付けしても許されるなんて、ずるいではないか。

 もっともあの男が妻にそれをやるとは思えないけれど。

 

「あのねえ、おじちゃんたちはああ見えて夫婦だか……あっ」

 

 リディアが顔を真っ赤にして勢いよく立ち上がった。

 しかし、何かを思い出したのか。はっと我に返った顔に変わり、再び席に着いた。

 

「……もしかして、おばちゃんが指輪してるの見た?」

『はい。あの方はリディアさま以上に、アクセサリーと縁のない方だと思っておりましたから』

「へへ、これに影響されてね。おじちゃんにおねだりして買ってもらったんだって」

 

 リディアが自身の右手の指輪を見せながら、ジャンヌの指輪の経緯を話してくれた。

 

 —— —— ——

 ミストには、結婚指輪や婚約指輪を贈る風習がなかった。

 よってジャンヌたちも、長年指輪をつけずに過ごしていた。

 ところが、リディアがダミーリングを贈られたことに触発されて。

 ジャンヌも夫にアクセサリーをねだった。その結果が、あの指輪。

 —— —— ——

 

「昨日、ふたりでダムシアンに行ったの。おばちゃんすごく喜んでたよ」

 

 リディアやツキノワが公民館にいる間に。夫婦ふたりでダムシアンに足を運んだらしい。

 

『奥様も緑の石をつけておられましたが……』

「おばちゃんも緑が好きなんだけど、わたしの真似になっちゃうからヒスイにしたんだって」

『そうですか……しかしながら、ミゼルさんは滅多に外に出ない方だと聞いておりましたが、珍しいですね』

 

 ジャンヌはさておき。ミゼルがミストの外に出るとは意外だ。

 しかも、何かしらの所用ではなく買い物で……。

 

「人目気にして外に出ないのは、もったいないって思い直したみたい。村長辞めてから外出増えたよ」

「そうなのですか。よいことですね」

「ほんと。ボケなくてよかった……」

 

(あいつはボケるような奴じゃねえだろ)

 安堵したような表情を浮かべるリディアへ。

 エッジが心の中でそんなツッコミを入れたのは、内緒。

 

§

 

「あと、エッジに伝えてほしいことがあるんだけど、いいかな?」

『はい、どうぞ』

「今まで幻獣界に帰る時に、エッジに送り迎えしてもらってたんだけど……」

 

 —— —— ——

 リディア、毎年春と秋に幻獣界に帰ってるでしょ? 

 これからは、わたしが送り迎えしてあげるからね!

 あっ、幻獣界に限らず、どこにでも飛空艇で連れてってあげるから。その時はまた連絡ちょうだい! 

 —— —— ——

 

 先日、ルカからそんな手紙が届いたという。

 

「……これからは、ルカにお願いすることにしたから。それだけ伝えておいてください」

『はい、かしこまりました』

 

 エッジも月明けに訪れたバロン城で、シドからその話を聞いている。

 リディアからの頼まれごとに、特に驚きはしなかった。

 

(そういや、シドにあんなことドヤ顔で言っちまったな……)

 果たして、あの時の自分の発言は正しかったのか。

 ここで改めてリディア本人に確認することにした。

 

『よかったですね』

「え? 何が?」

『この先、その方にお願いすればよいのですから、巡回艇に乗る必要がなくなりますね』

 

 これからどこかに移動する時は、ルカを頼るつもりなのか。

 エッジがそう遠回しに聞いてみると。

 リディアが、何言ってるのこの人と言わんばかりに、眉をひそめてこう言った。

 

「これからも乗るよ? 巡回艇好きだもん」

『……意外ですね』

「他のお客さんもいるし、お出かけ気分になれるよ」

『そうなのですか?』

「そうなの」

『僕はほとんど乗ったことがありませんので、よくわかりません』

「そりゃあ、誰かに乗せてもらうのはすごく楽だけど、毎回はちょっと……」

 

 リディアが困惑したような表情でそう話した。

 チャーター飛空艇に乗る度に、大なり小なり居心地の悪さを感じるのだろう。

 まるで、そんな状況に浸っているかのように見える。

 

(やっぱりオレの言った通りだったぜ!!)

 普段のお出かけは巡回艇。巡回艇が回らない場所——主に地底は、ルカにお願いする。

 これからも、リディアが2種類の飛空艇を乗り分けるつもりでいる。

 それがわかり、エッジは遠く離れたバロン城にいるシドとルカに向かってほくそ笑んだのであった。

 

§

 

『実は僕も、リディアさまにお伝えしたいことがありまして……』

「なあに?」

『次は11の月の半ば……15日まで、ここに来ることが出来ません』

「忙しいんだ」

『はい。向こう1ヶ月忙しくなりそうで……大変申し訳ございません』

 

(辛れえって思ってんのは、オレだけだろうな……)

 エッジはそう思いながら、リディアに頭を深々と下げた。

 

 —— —— ——

 実は『呪いのコロネット』の展示に、エブラーナも裏で一枚噛んでいる。

 今月の1日。バロン城を訪れたが、セシルとその打ち合わせをするためであった。

 

 『青ばら』は犯罪成功率100%と言われている。

 しかし、『呪いのコロネット』を狙って三度バロン城に侵入。全て逃走している。

 そういった経緯から、こんな作戦を考えた。

 

 今月29日から31日まで、バロンの国立博物館で『呪いのコロネット』を展示する。

 『青ばら』が出現したら、警備についているエッジとお城勤数名で捕獲する。

 

§

 

 更に、展示前と『青ばら』検挙後の計2回。エッジはある術を使う予定でいる。

 その術の弊害で寝込んでしまう日数を考慮した結果。

 向こう1ヶ月、ミストにやってくることが出来ない。

 —— —— ——

 

(1ヶ月、顔すら見れねえなんて……生まれて初めてだ)

 来月半ばまで、リディアの顔を見れないなんて辛すぎる。

 けれど、それを我慢してでもこの仕事は成功させなければならない。

 ただでさえ、王家——ジェラルダインの血が途絶えるのに。

 ここで『青ばら』を叩き潰さなければ、エブラーナには未来はない。

 

「……お城勤って大変だね」

 

 リディアが何とも言えないような表情で、ぽつりとそうこぼした。

 

(寂しそうにしてくれてる……!)

 他人にごはんを作る必要がない。だから、リディアは喜ぶかもしれない。

 エッジのそんな悲観的な予想を、いい意味で裏切ってくれた。

 

『仕方がございません。それで社会が成り立っているのですから』

「じゃあ。次はツクヨミさんの好きなものを作ってあげる」

『え?』

「何が食べたい? 何でもいいから言ってちょうだい」 

『……』

 

 リディアが両手で頬杖をついて、笑みを浮かべながらたずねてきた。

 エッジはしばしの間、思案を巡らせる。

 

 何が食べたい……リディアの作ったものならなんでもいい。

 けれど、一番は『エッジ』の頃に食べそこなったアレである。

 

(ビーフシチューは、もっと後にしとこ)

 しばらく『ツクヨミ』と、お友達で付き合ってくれるのなら。

 真っ先にとっておきの料理を所望するなんて早すぎる。

 それこそ、うさぎりんごをむいてあげるのも。一緒にごはんを作るのも。もっと後でいい。

 

「僕は」

「——あ、待って」

 

 アレ以外のメニューを答えようとした。すると、リディアが両手を前に出して制止した。

 

『どうされました?』

「えーと……お魚料理と……エブラーナのお料理以外でおねがいします……」

 

 リディアが申し訳なさそうに、顔を思い切り下にうつむかせて。

 しどろもどろに除外料理を口にした。

 

(そいつらは、おまえと縁が薄いからしゃあねえよな)

 リディアは魚料理を一度も作ったことがない。

 なぜなら、魚を入手するには朝早くからバロンへ足を運ばないといけないから。

 エブラーナ料理も、数回食べたことがあるだけだ。

 ミストにはエブラーナの移民がおらず、料理教室で習う機会がないから。

 

『かしこまりました。それでは——』

 

 何でもと大口を叩いたくせに、作れないものがある。

 すぐにそれを認めて、正直に話すリディアをいじらしく思いながら。

 エッジは、1年前に候補で挙げなかったメニューを答えてあげたのであった。

 

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