※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

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エッジ視点
長文注意


11年後
それから


 

 

11 years later

 

 

——4の月29日 早朝

 

 

「っ……」

 

 目を開けば、私室のベッドの上に横たわっていた。

 これまで寝ていたから、当たり前なのだが。

 

 半ば寝ぼけまなこで、おもむろに首を動かせば。

 窓を覆うカーテンの隙間から、光はまだ漏れていない。

 

 サイドテーブルへのろのろ手を伸ばす。そこに置かれた時計を取ってみたら。

 時間の針は、午前4時23分を指している。

 普段は『短眠の術』を使わない。自然に睡眠時間を確保するようにしている。

 それでも、いつもこの時間になると目が覚める。

 

「起きるか……」

 

 時計を元の位置に戻してから。上体を起こすと、額に手を当てて息をついた。

 

(……ゆうべは酒飲んでねえぞ?)

 身体が重くて、全く寝た気がしない。しかも、どんよりとした気分が胸を埋め尽くしている。

 

 実は2年ほど前から、こういうことが度々ある。

 よほど悪い夢を見たにしても、夢の内容を全く覚えていない。

 寝つきが悪くなるような生活をしている訳でもない。

 そのため、未だはっきりとした原因はわかっていない。

 

「……身体動かしゃ、楽になるだろ」

 

 修行で身体にむち打てば、だるさもなくなるはず。考えるだけ時間の無駄。

 エッジは無理くり結論を出して、服を着替え始めたのであった。

 

 エドワード・ジェラルダイン、38歳。

 心に迷いがなくなる『不惑』と呼ばれる歳まで、あと2年足らず。

 

§

 

 日課の早朝修行を終えて、朝食までにはまだ時間がある。

 エッジは『ツクヨミ』に扮して、城の外……城壁の外周を散歩していた。

 すると、裏手で庭師がうずくまっているのを見つけた。

 

(確か、じいより年上だったな)

 突然体調を崩したのだろうか。エッジは気になり、庭師のそばに駆け寄った。

 

『おはようございます』

「ああ、狐の人か。おはよう……」

『どうされました? どこか具合でもわるいのですか?』

「いやなあ、この城は殺風景じゃろ?」 

『……そうですね』

「せめて花の苗を植えようとしたんじゃが、通りかかったお城勤に、派手で目立つから植えるなと叱られてしもうてなあ……」

 

 庭師が肩を落として、大きなため息をついた。

 彼の足元をよく見れば。スコップと花の苗がいくつか置かれている。

(花ぐらい、別にいいじゃねえか! そんな器の小っせえお城勤、オレがシメてやる!)

 

『そのお城勤の方……っ』

 

 庭師に、叱ってきたお城勤の名前を聞こうとしたものの。

 ふとあることを思い出して、途中で言葉を切った。

 

「どうしたんじゃ??」

『い、いえ……何でもございません』

 

(助かったぜ……)

 高齢で耳が遠かったのだろう。庭師には、エッジの言葉が聞こえていなかったようだ。

 

 お城勤をシメるのは辞めておくことにした。

 なぜなら、そもそもの元凶はエッジだからだ。

 

 —— —— ——

 普段エッジは、こう城内に周知している。

 

『ここは忍者の城だ、飾りは不要。質素倹約を心がけろ』

 

 花は飾り、花なんかいらない。そう受け取ってしまう者も出てくるだろう。

 庭師はおろか、そのお城勤も悪くない。

 —— —— ——

 

『それでしたら、決裁願を出してみてはいかがでしょう?』

「……なんじゃそれは」

『目安箱です。お館様から許可をもらえば、そのお城勤の方も文句は言えません』

 

 庭師が決裁願に『城の周りに花を植えたい。苗代の予算も下さい』と、書いて提出すれば。

 お館様が、可否欄に〇印をつけて返却する。後日、予算も回す(予定)。

 以後、花植えに文句を言ってくる使用人がいたら、その決裁願を見せてやればいい。

 

「はぁぁ、そんな方法があったかぁ……!」

 

 まるで希望の光が見えたかのように、庭師の表情が一気に明るくなった。

 

『じいや様に頼めば、書類がもらえます。ぜひご活用ください』

「あぁ、朝っぱらから年寄りの愚痴を聞いてもらって、ありがとうなぁ……」

『とんでもございません。それでは健闘をお祈りします』

 

 元気になった庭師と別れて、エッジは城内に入った。

 

(今日も一日一善、達成!)

 喜んでもらえた。そう思うと、こちらも気分がすこぶる良くなる。

 

 —— —— ——

 過去に女中のいじめ現場に遭遇したのをきっかけに。

 時折こうして『ツクヨミ』に扮して、城の中を徘徊するようになった。

 

 『ツクヨミ』が相手なら、使用人は素を見せる。本音もぽろっとこぼす。

 彼らの働きぶりも確認出来るわ。城内の労働改善に役立つわ。賞与査定の参考にもなるわ。メリットが多い。

 

 先ほどのように、お悩み相談を承ることもよくある。

 『仕事辞めたい』。そうこぼした者を元気づけて慰留させたり。

 後日、適した部署に異動させたりしてあげたこともある。

 —— —— ——

 

 それから、城の中を歩き回ったが、使用人の姿はあまり見かけない。

 今の時間は、お城勤や料理番が朝修行や朝食の準備で、動き回っているぐらい。仕方がない。

 

(そろそろ戻るか)

 徘徊を切り上げて、私室に向かっていたところ。

 

「ツクヨミさーん! おはようございます!」

 

 朝らしく元気で快活な声が背後から聞こえてきて、足を止めた。

 振り返ってみれば、ツキノワが人懐っこい笑みを受かべながら。こちらに向かって走ってくる。

 

『おはようございます。お久しぶりですね』

「ご無沙汰しています! 年明けすぐに会って以来ですね」

『そうですね』

 

(『オレ』とは昨日会ったばっかだけどな)

 ツキノワの言葉は正しくもあり、間違ってもいる。

 彼はお館様イコールツクヨミだと知らないから、仕方がないのだけれど。

 

『朝の修行を終えられたばかりですか?』

「はいっ。これから汗を流してから、アガルトに向かいます」

『そうですか』

「途切れもなくお仕事をいただけるなんて、ありがたいことです」

 

 初仕事——ミストでの諜報任務は、昨年の夏で終了。

 ツキノワはエブラーナ城へ戻ってきてからは、お城勤の一員として働いている。

 

 実戦デビューから半年が過ぎたが、未だひとつもミスを起こさない。

 いくら子どもでもノーミスなら、誰もけちは付けないだろう。

 近いうちに『御伽衆』に昇進させよう。エッジはそう考えていた。

 

『おや……』

 

 ツキノワの両耳が朝陽に照らされて、淡い光を放っている。

 

「どうされました?」

『今日もつけておられるのですね』

「はい。これも大事な宝物ですから」

 

 指をさされると、ツキノワが右の耳を触りながら、はにかんだような笑顔で答えた。

 両親の形見——細い額飾りと並び、耳についているピアスも宝物になっているようだ。

 

 —— —— ——

 昨年の夏。1年の任務を終えて、ツキノワがミストからエブラーナ城に帰ってきた。

 ……両耳に、くるみ大ほどの丸いヒスイのピアスをつけて。

 

 後日『ツクヨミ』が、ツキノワから聞いたところによると。

 ミストを離れる前。期間限定の同居人ミゼルとジャンヌが、このピアスを贈ってくれたという。

 —— —— ——

 

 ミストで暮らした1年もの間。『子ども』として、よほど大事にされていたのだろう。

 その恩を忘れず、ツキノワは今でもこうしてピアスを身につけている。

 

 これを知れば、ミゼルやジャンヌはさぞや喜ぶに違いない。

 ……もっとも、ふたりが知る日は来ないけれど。

 

「ツクヨミさんは、今もミストに顔を出しているんですよね?」

『ええ』

「リディア先生のこと、諦めてませんよね」

『っ……』

 

 ツキノワがたずねてきた質問に、エッジは一瞬息を詰まらせたが。

 動揺を悟られないよう。すぐさましっかりとした口調でこう答えた。

 

『諦めておりませんよ。いつか戻ってくると信じています』

 

 いつかリディアは戻ってくる。そう思いながら、日々過ごしているけれど。

 もう戻ってこないかもしれない。そんな不安に駆られることも、しばしば。

 それでも、人前では弱音を口にしたことはなかった。

 

「やっぱり、そうですよね。ボクもオリバやジャンヌさんとも約束しましたし、その分もっと仕事に精を出しますっ」

 

 ツキノワの言葉通り。オリバをはじめ、ミストの子どもたちも。

 リディアが帰ってくるのをずっと待ち続けている。

 

 —— —— ——

 リディアが消えてから、初めて行われた黒魔法講座の授業中に。

 オリバが、ノア——ツキノワをはじめとした生徒たちへ、こう宣言したという。

 

『俺は今のうちに黒魔法覚えるぜ! せんせーが帰ってきたらぎゃふんと言わせてやるんだ!』

 

 それからオリバは、中級黒魔法のサンダラとブリザラをマスターした。

 講師エライアの習得レベルに迫りつつある。

 —— —— ——

 

 休暇と諜報任務と並行しながら。たった1年、そこで暮らしていただけなのに。

 ミストやオリバが、ツキノワに与えた影響は大きかったようだ。

 

『ええ。気を付けて行ってきてくださいね』

「はいっ、それでは失礼します」

 

 元気にあいさつと共に、一礼を済ませてから。ツキノワが目の前を通り過ぎていく。

 エッジは複雑な面持ちで、お城勤の子どもを肩越しに見送った。

 

「逆に励まされちまったな……」

 

 誰もいなくなった廊下に、ひとり残されてから。

 お面の下で自嘲めいた笑いを見せながら。素の声で独り言をつぶやいた。

 

 ぱあっと表情を輝かせたツキノワの笑顔が。

 エッジが密かに抱えていた、小さな不安をかき消してくれた。

 

 子どもは大人に比べて、感情も身体も未発達。経験も乏しく、無茶無謀も起こす。

 けれど、子ども特有の純真無垢さが心を救ってくれることもある。

 

 

——午後2時すぎ

 

 

 昼いちばんから、エッジは城下町の西外れへ向かった。

 目的は視察。現在、そこに忍者の養成施設を建設しているのだ。

 

 —— —— ——

 近年、エブラーナの親世代からこんな訴えが急増している。

 

『昔と今では、時代が違います。子どもの修行を見る暇がありません』

 

 慣習が廃れる前に、国が子どもたちに忍者の修行をつける流れに変えよう。

 昨年エッジはそう決断して、忍者の養成施設の設立を決めた。

 —— —— ——

 

 建設現場は、順調に工事が進んでいた。

 予定通り、およそ半年後に完成する。現場監督からそんな報告ももらった。

 

 視察を終えて、エッジがエブラーナ城の玄関を開ければ。

 既に大広間を背景にしながら、じいが待ち構えていた。

 

「おかえりなさいませ、若様」

「ああ」

「むらむらされて」

「——何のためにこれ掛けてると思ってんだよ」

 

 女の目を見てしまい、『呪淫』が発動されたのでは? 

 じいのふざけた質問を、黒眼鏡を指でちょんちょんつつきながら遮った。

 

 —— —— ——

 1年半前。エッジは『青ばら』捕獲時に、メイとリンから『呪淫』を食らった。

 『呪淫』をかけられてから、はじめて女性と視線を交わした瞬間に術が発動。

 性的欲求が増進されてしまい、ヤリたくてたまらなくなる。

 それを止めるには、発動要因——視線を交わした女とセックスせねばならない。

 

 男にとって恥とも言えるそんな術だが、3年で解除される。

 3年の間、全世界の女と視線を交わさない。全世界の女の顔を見ない。

 そう決意してから、外出時は『目の調子がかんばしくない』と嘘をつき、黒眼鏡をかけている。

 これなら目を閉じていても、視線がよそになっていても。相手には気付かれない。

 —— —— ——

 

 玄関先でうだうだしていても仕方がない。

 執務室へ帰るために、エッジが歩き始めたらじいも後をついてくる。

 

「怒る余裕があると言うことは、何事もなかったようですな」

「まーた『強盗する気か』って、言われちまったぜ……」

 

 黒眼鏡着用にあたっての難点は見た目。これに尽きる。

 

 もともと口布で顔の下半分を隠しているのに、上半分も黒眼鏡。

 もはや不審者を通り越して犯罪者にしか見えない。

 

 先ほどの視察でもそうだったが、民と顔を合わせる度に、『あやしい人』『犯罪者』などと茶化される。

 それでもリディア以外の女とヤることを考えたら、何を言われても平気で耐えられる。

 

「口布を外されてはいかがでしょう」

「……落ち着かねえんだよ」

 

 肩をすくめながら、じいからの勧めをお断りした。

 口布は、もはや自身の一部と化している。よほどでないと外せない。

 

「抑制剤もあんだ。何とかなるだろ」

「効き目は定かではありませんがな」

 

 半年ほど前から、エッジは性欲抑制剤も常時携帯するようになった。

 

 —— —— ——

 性欲抑制剤は、エッジに加えて、過去に『邪淫』を食らったザンゲツや若いお城勤。

 3人の血液を分析して医療部が開発してくれた。

 即効性を重視した結果、注射タイプとなっている。

 —— —— ——

 

 しかし、『呪淫』被害者はエッジだけ。実験しようがないので、抑制剤の効果は未知数。

 エッジ自身もほとんどアテにしていない。お守り感覚で携帯しているだけだ。

 

「何にせよ、目ェ見なきゃいいんだよ」

「驕りは禁物ですぞ。若様」

「わーってるって」

 

 注意喚起してきたじいへ、手を振りながら軽くあしらった。

 

 『呪淫』の期限切れまで、あと1年半。

 これまで『見た目』以外は、何の問題も発生していない。

 このまま余裕で乗り切れる。エッジはそう思っていた。

 

§

 

「ところで、視察はいかがでしたか?」

「いい感じだな。ついでに、北と西にも同じもん作るぜ」

「な、何ですとぉ!?」

 

 ここに帰ってくる時、突如思いついたことを口にすれば。

 じいが不意打ちを食らったかのごとく驚いている。

 

「ここと北と西で競わせんだよ。もっとレベルアップできるぜ」

「ま、まあ……対抗意識を持たせるのはいいことですが。予算が……」

「北はシビエン家の施設使えば、半分で済む」

「何と……! 経営権を奪うのですか」

 

 以前から大陸北部では、シビエン家が忍者養成施設を運営している。

 シビエン家の子どもや、大陸北部で暮らす子どもが、忍者となるべくそこに通っている。

 

 ちなみに、現在城下町に建設中の養成施設。

 建物の内部構造や、今後子どもたちに施す教育プランなどは。

 シビエン家の施設のそれを、ほぼパクっ……参考にさせてもらった。

 

「人材も内容も今のまんまなら、別に構わねえだろ」

「まあ、それなら出費が抑えられますな。ただ、シビエン家が怒らなければよいのですが」

「タツミはオレの犬だぞ? 権利ぐらいすぐ渡してくれるさ」

 

 大陸北部はシビエン家が一丸となり、エブラーナを全力で支える体制となっている。

 

 シビエン家現当主タツミは、犬と変わらないお館様愛の持ち主。

 彼のおかげで、エッジが国王である限り。シビエン家は無茶な要請をしてもほいほい承ってくれる。

 エッジが『運営の権利くれよ』とタツミに言えば。二つ返事で譲ってくれる。

 

§

 

 引き続き、じいと仕事の話をしながら廊下を歩いていたら。

 

「っ!?」

 

 突然どすんと、エッジの身体に何かがぶつかってきた。

 

「わぁっ……」

 

 若い男と思われる小さな驚きの声とほぼ同時に。

 ばさばさばさっと、何かが床に落ちる音が聞こえてきた。

 使用人がエッジにぶつかり、運んでいた書物を床に落としたらしい。

 

「も、申し訳……ありませんっ……」

「悪かったな」

「とんでも……悪いのは………です」

 

 その使用人と一緒に、エッジも散らばった書物を集めようとしたが……。

 使用人の姿を見るなり、眉をひそめてしまった。

 

(ツクヨミより、うさんくせえ格好しやがって)

 黒くて長いローブで身を包み、フードを頭からかぶっている。

 ローブは、城に出入りしている白魔法の指導者も着ており、珍しくない。

 

 何が問題かと言えば、白兎のお面だ。

 耳が長く、しかも、片方だけぺたんと折れ曲がっている。

 それが媚び媚び感を醸し出しており、見るだけでいらっとくる。

 

「じ、自分で……拾い……大丈夫……す」

 

 使用人から謝られた。しかし、エッジの聡い耳でやっと聞き取れるぐらいの小さな声。

 書を拾おうとしているが、手をがたがた震わせている。

 

(びびるぐらいならぶつかってくんなよ!!)

 かぶっているお面の動物と同じく、ストレスに弱いのか。

 お館様を前に畏怖しているのか。何なのか知らないが。

 使用人が見せる挙動にもいらいらしてしまう。

 

「そこまで言うなら、自分でカタつけろ」

「は、はい……すみ……でした……」

「これから気を付けろよ」

 

(オレがいねえ方が、気楽に拾えるだろ)

 エッジは立ち上がり、使用人に厳しい口調で注意を促すと。

 行くぞとばかりに、じいに首をくいっと振って再び歩き始めた。

 

「す……ません……」

 

 エッジに謝罪する、使用人の小さな声が何度も耳に届く。

 やがてそれが聞こえなくなってから、吐き捨てるようにこうつぶやいた。

 

「……なんだ、あの弱弱しいのは」

「若様は歩く威圧感ですからなあ」

 

 お館様を目の前にすれば、誰もがびびって当たり前。

 じいがそう言いたげで、思わずちっと舌打ちする。

 

「あんなびびりじゃやってけねえ、クビにした方がいいぞ」

「ザンゲツが猛反対しますな」

「な……あれがあいつのパシリか……!?」

「さよう。タタラと申しましてな」

 

 ザンゲツは『御伽衆』のひとり。

 しかし、1年半前から週の半分以上を西の塔の一室で過ごしていた。

 エッジの命により、歴史書の編纂に取り掛かっているのだ。

 

 —— —— ——

 しばらくは、ザンゲツひとりだけで編纂作業をしていた。

 ところが、ちょうど1年前。彼はこんな決裁願をエッジに提出してきた。

 

『ひとりだけで構いませんから、拙者の補助をしてくれる者を雇っていただけないでしょうか……』

 

 補助、いわゆるパシリが欲しい。

 ザンゲツからの訴えに、エッジは○印を付けて書類を返却してやった。

 その使用人の給与は、すずめの涙。そんな条件付きで。

 —— —— ——

 

 それから、ひとりの男性が雇われたと聞いていた。

 無茶な求人に食いついてきた物好きもいたものだ。

 当時そう思っていたが、あんな弱弱しい男とは。しかも……。

 

「あいつエブラーナの奴じゃねえだろ」

「いいえ、ここの生まれです」

「着物着てなかったぞ?」

「10年前の襲撃で、身体中に火傷を負ったのです」

「あぁ、だからか……」

「特に顔はひどいものでしてなぁ。外に出られず、長年家に引きこもっておったようです」

「……っ、言い過ぎたな」

 

 タタラの経歴を知り、エッジは自身の軽率な発言を反省した。

 

 ルビカンテによる襲撃により、多くの民が傷ついた。

 当のルビカンテだけでなく、当時王子だったこの自分にも責任があるのに。

 クビにしろなどと、ひどいことを言ってしまった。

 

「数年前から面が普及したおかげで、外に出られるようになったようでしてな。手伝いならと応募してきたのですよ」

 

(どっかで聞いたことあるぞ??)

 じいの話に既知感を覚えて、首をひねるも。……思い出せない。

 

「ザンゲツとずいぶん相性がよいですから、何も問題はございません」

「はっ、似たもん同士でちょうどいいかもな」

 

 タタラの経歴に同情しながらも、最後は鼻で笑って話題を締めた。

 すると、じいが「しかしながら、若様……」と声をかけてきた。

 

「何だよ」

「先ほどもそうでしたが、じいたち以外の……使用人への言葉遣いや態度をもう少し改めませぬか?」

 

 じいの指摘通り。エッジは使用人に普段から厳しめの態度で接している。

 ただし、じいとザンゲツだけには素で接してあげていた。

 

 —— —— ——

 エミールの毒により、ある身体機能を奪われた。

 エッジはそれを知って以来。じいやザンゲツに対して距離をとっていた。

 

 ところが、シビエン家や『青ばら』の出来事のおかげで、こんな気付きを得た。

 40歳目前の男が、今更反抗期まがいの振る舞いとは……。

 自分はただ年配者に甘えているだけではないか、と。

 

 それから、ふたりへの態度は少しずつ元に戻っていった。

 ザンゲツだけでなく、じいにかけていた『禁・人よけ』も、去年解除した。

 一昨年の夏に、エッジがじいからふんだくった信書権限も。現在、じいとの共同権限に変わっている。

 —— —— ——

 

(年寄りは大事にしねえとな)

 じいとザンゲツは、エッジの幼少の頃からの付き合いである。

 素の態度を見せないとふたりは寂しがるのだ。

 

「たまには冗談言うし笑うぞ?」

「しかしながら、先ほどは威圧を与えるような口調でしたから、あの者は更に萎縮したのですぞ?」

「あれはさすがにびびりすぎだって」

 

 線引きをつけないと舐められてしまう。

 だから、じいとザンゲツ以外の使用人には、以前から壁を作っている。

 それでも緩急つけているからか、誰も文句は言わない。

 

 じいとザンゲツ、そして城の外では素——近所のお兄さんのノリで接している。

 それでいいではないか。エッジはそう思うのだが。

 

「じいはそんなこと気にする必要ねえと思うぞ」

「はて、なにゆえに?」

「そのうち、あの世に行くじゃねえか」

「……何と不謹慎なことを!? じいはあと20年ほど生きる予定ですぞ!」

 

 人の悪い笑みを浮かべながら、冗談を口にすれば。

 じいが血相を変えて食ってかかってきた。

 

(こりゃ当分死なねえな)

 どうやら、100歳手前まで生きるつもりでいるらしい。

 異様に元気な老齢の側近に苦笑する。

 

 —— —— ——

 『麻の中のよもぎ』……国王という立場が人を変える。

 以前、ザンゲツにそう言われたことがあった。

 —— —— ——

 

 実際、即位するまでの自分は青臭いし、なっていなかった。

 国王に即位してから、自分という人間は大きく変わった。日々エッジはそう感じることが増えた。

 

 ……昔から変わらないのは、祖国愛とリディアへの思いぐらいだ。

 

§

 

 執務室に戻れば、机の上に事務方からの書類がどどーんと山積みされていた。

 

(じいが気ィ利かせて、わざと上に乗せたな?)

 一番上の書類を手にして開いてみれば。ミストの村長ラルフからの書状であった。

 

「『月終わりの雨期が始まった理由が明らかになりました』……マジか」

 

 ミスト特有の謎現象が、ついに解明されたようだ。

 エッジも以前から気になっていたことだったため。興味深く書状の続きを読み進めた。

 

「ひっでえ話だぜ……」

 

(キロンたちの犠牲者、他にもいたのかよ)

 書状には、その内容と理由が判明した経緯が記されていたが、もの悲しい結末で締められていた。

 

 —— —— ——

 1年半前。ラルフがエブラーナ城にやってきた。

 引き続きミストの花火大会への協力要請と同時に、こんな申し出をされた。

 

『リディアや幻獣界のことで何かわかり次第、いえ、それ以外のことでもエッジ様にも逐一書状を送らせていただきますよ』

 

 そのおかげで、エッジはこうしてラルフから書状を送ってもらうことで。

 事細かく、かつ行政視点でミストの情勢を追うことが出来ていた。

 —— —— ——

 

 感慨にふけってばかりもいられない。

 再び続きを読んでいたら、最後にこう綴られていた。

 

「『8の月15日、よろしくお願いします。今年は7発とツクヨミさんにお伝え下さい』……っ、気ィ早すぎだろ」

 

 思わず吹き出し、笑いながら書状を足元の床にそっと置いた。

 この時間から、机周辺の床は処理済の書類置き場と化す。

 

 —— —— ——

 昨年リディアが不在にもかかわらず、エッジはラルフの要請に答える形で。

 前年に続き『ツクヨミ』として、ミストの夜空に花火を打ち上げた。

 今年もリディアが戻ってこなくとも、花火大会に参加するつもりでいる。

 —— —— ——

 

(鬼が笑うぞ??)

 まだ5の月にもなっていないのに。8の月の花火大会への参加確認をしてくるとは。

 ラルフはずいぶんせっかちな男のようだ。

 

§

 

 書類の山が3分の1ほどまで減った頃。新たな書類を手に取ると。

 すぐ山をめくって同じものを探したが、1枚も見当たらなかった。

 

「……今日はこんだけか」

 

 1枚だけしかないとは、また珍しい。

 そう思いながら、本日唯一の決済願に目を通す。

 

 —— —— ——

 決裁願とは、城の使用人が思いついた起案や企画を記した書類。

 お館様がそれを確認して、承認するか否かを○×で示す。

 本日の早朝。『ツクヨミ』が庭師に勧めたのも、この書類。

 —— —— ——

 

 起案者の欄には、武具開発部所属の男性の名前。

 その下の欄——件名には『新作武具の開発について』と書いてある。

 

 —— —— ——

 気配を完全に消せる湿布を作ろうと考えています。

 身体にぺたんと貼っておけば、手ぶらで楽々監視出来ます!

 『隠れみの術』の補助にもってこいです!

 どうか我が部署に開発予算を少々回してください!!

 —— —— ——

 

 説明欄には、お館様への切なるお願い(金をくれ)が綴られていた。

 

「了承っ……と」

 

 その決裁願を読み終えると、可否欄にぐるっと〇印を入れた。

 

 通常隠密と言えば、『隠れみの術』のこと。ただ、それでは気配を消せない。

 隠密使いのために、大いに開発してもらおう。

 ただの四角形だが、完成予想図まで描いた熱意も認めてやらねば。

 

(こういう当たりがあるから、真剣に見てやらねえとな)

 決裁願は、目安箱の役割も果たしている。

 

『週休2日は少なすぎます! せめて週休3日に』

『お館様は、いつご結婚されるんですか?』

 

 ……しょうもない訴えや質問が書かれたものも、たまに混じっている。

 もっとも、そんなものは即座に×印——却下するけれど。

 

§

 

 それからも、書類に目を通して床に投げ捨てるを繰り返し。

 ふと机の上を見ると、本日未決済の書類がまだ半分も積まれている。

 肩越しから窓を見れば。空はぼんやりした橙色が広がっている。

 

「メシまでにゃ終わんねえな……」

 

 本日は朝から昼まで会議。昼から近場に視察。

 つい1時間ほど前から、やっと書類作業に手をつけたばかり。

 

 —— —— ——

 リディアが幻獣界から戻ってこなくなってすぐ。

 エッジは公務の内容を刷新した。

 

 午前の部は、諜報から届くの報告や信書の確認、新聞各紙の流し読み。

 それを終えたら各地の視察へ向かうか、城内で会議。

 午後の部は、午前の続き。もしくは近場の視察。

 それが終わってから、やっと執務室で書類をさばく。そんな日々の繰り返し。

 

 ……リディアが戻ってこないかもしれない。そんな不安に襲われたくなくて。

 自ら公務をぎゅうぎゅう詰め込んだ結果がこれだ。

 —— —— ——

 

 おそらく食事を挟んで、風呂に入る前までかかるだろう。

 エッジは息をついてから、再び机に向かって新たな書類と対峙し始めた。

 

§

 

「次は……っ!?」

 

 二つ折りの書類を手にして開いた瞬間。ぐしゃりとそれを握り潰してやった。

 ……見合いの釣書だ。

 

「募集かけてねえのに送ってくんな! ばか野郎っ!!」

 

 エッジはそう吐き捨ててから、書類の山の上をめくって釣書を集めた。

 それらをまとめて、机の中央に置くと1枚ずつ中身を開く。

 ろくに内容を見ず、書面のど真ん中に大きな×印を付ける。

 最後に、足元……処理済の書類置き場に投げ捨てる。

 

(文句言わねえと気が済まねえ!)

 目にも留まらぬ速さで、全ての釣書に×印をつけ終わった直後。

 執務室の扉を叩く音が聞こえてきた。

 この時間に、ここに現れる人物はじいしかいない。

 

「失礼いたしま」

「——おい!」

「はて、何ですかな?」

「釣書混ぜんなって、いつも言ってるだろ! 今日10件もあったぞ!?」

 

 執務室に現れたじいに、怒鳴りながら苦情を申し立てるも。

 じいは萎縮するどころか、白々しい笑みを浮かべてこう言った。

 

「今の時期、釣書が多いのは当然です」

「なんで」

「みな、来年のジューンブライドに、式を挙げてもらおうと考えておるからです」

「……ばかばかし」

 

 じいの答えを聞いて、ふてくされながら頬杖をついた。

 

 6月に結婚した花嫁は幸せになれる。それがジューンブライド。

 エブラーナ以外の地域には、そんなジンクスがあるのは知っている。

 けれど、うっかりこの自分と6月に結婚出来たとしてもだ。間違いなく、花嫁は幸せにはなれない。

 

 —— —— ——

 エッジは、王家の血を引く未婚の国王である。

 国外では『稀代の玉の輿案件』『最後の独身貴族』などと呼ばれているらしい。

 なお、エッジと同じ立場のギルバートは、若い女性秘書を雇ってから、とんとそう呼ばれなくなった。

 

 そんなエッジが、昨年リンたちを泳がせるという目的でリンと婚約。そして解消した。

 そこまではよかったが、思わぬ弊害が起こった。

 

『我が娘は、リンのような悪女ではないからなぁ! あわよくば、エブラーナ王妃として娶っていただけるかもしれないぞ!』

 

 ……国外の貴族やお金持ちが、そう勘違いしてしまった。

 そして、自身の娘や妹など年頃の女性親族を売り込もうと。

 こうして意気盛んに、エブラーナ城へ釣書を送ってくるようになった。

 

 リディアを推していたエブラーナ国内も、諦観の流れに変わってきている。

 いくつかの良家から、釣書が届くようになった。

 しかも、国内の視察に赴くと。エッジに物言いたげな視線を向けてくる民が多い。

 

『お館様、リディア様はもういいでしょう……別の女性と結婚しましょう……』

 

 視線と共に、そういったオーラを醸し出してくるから困ったものである。

 本日エッジが訪れた視察場所でも、そんな民が多かった。

 —— —— ——

 

 リディアと関係を絶ったが、他の女と結婚するつもりはこれっぽっちもない。

 エッジは死ぬまで独身を貫く。どれだけ釣書を送ってきても無駄だ。

 

「そっちで全部×付けて送り返してくれたら済む話だろ」

「意思表示も兼ねて、若様自ら記入された方がより安全確実ですぞ」

「な……? その言い方じゃ、○付けて返す奴がいるみてえじゃねえか!?」

「いたずらする者もおるかもしれませぬのう」

「ぐっ……」

「面倒でしたら、さっさと公言」

「——いい。自分でやる」

「ええ、ええ。ぜひそうして下され」

 

 現状維持を選ぶと、じいがエッジの足元に散らばる処理済書類を集め始めた。

 

(公言出来るもんなら、もっと前からやってるっての……)

 禅譲制に移行、並びに終身独身を公言すれば。釣書攻撃がぴたりと止まる。

 それは重々承知している。しかし、同時に理由も公にせねばならない。

 

 エッジは未だに、男特有のくそ高いプライドを捨てきれない。

 ふんだんに脚色した『ツクヨミ』の秘密として、やっとリディアに打ち明けたぐらいだ。

 エブラーナの民をはじめ。全世界に『自分は「  」なので、禅譲制にします』と発表する勇気がない……。

 

「最後に若様。こちらをどうぞ」

「もう5の月か……早えな」

「いつものように、明日までにお返し下され」

 

 じいから受け取ったのは、5の月前半の予定表だ。

 

 ただし、仮なので予定は何も入っていない。

 見た目は、1日分の欄が午前と午後に分かれた2週間用のカレンダーとそっくり。

 

 —— —— ——

 予定表は、お館様の休暇をじい並びに城へ事前報告する書面。

 

 リディアがこの世界から消えた。それを知ってすぐにエッジが城を脱走したからだろう。

 それ以来、じいが予定表を作り、月に2回こうして渡してくれるようになった。

 おかげで、エッジ最大の悪癖——城からの脱走はほぼ収まっている。

 —— —— ——

 

「明日の予定は」

「午前より西部の治水灌漑工事と発着場の視察です」

 

 現在大陸の西部では、洪水による氾濫を防ぐための河川整備。

 更には、その河川を水源にして、耕地に水を供給する用水路を建設中である。

 

「また視察かよ」

「城下町周辺だけが、エブラーナだけではありませぬからなあ」

「……いつまでもここらへんにかまってばっかもいられねえか」

「さようです。明日も、黒眼鏡の着用と抑制剤の携帯をお忘れなく」

 

 エッジが即位した直後は、ルビカンテの襲撃被害からの復興のため。

 城下町の近隣、東南部を中心に公共工事を進めていたが。

 数年前から、他の地域にやっと手をつけるようになっていた。

 

「では、本日はこれにて上がらせていただきます」

「はいよ、お疲れさん」

 

 書類をかき集めたじいが、執務室を後にするやいなや。机の上に予定表を置く。

 そして、5の月5日の午前と午後の欄に×印を入れた。

 

 —— —— ——

 その日は、ミストで春のピクニックが開催される。

 行き先は、エブラーナの薬草園。

 エッジも『ツクヨミ』としてお手伝いを名乗り出ている。だから、この日は終日休暇に充てる。

 ついでに薬草園の視察も出来るから、ちょうどいい。

 —— —— ——

 

 エッジの休暇は、基本週に1日ペース。あと1日だけ、休暇希望の×印を入れた。

 

「……あとはこの日と、この日を半休……っと……」

 

 今度は2日と13日の午後欄に×印を記入。こうすることで、事前に脱走を予告しておく。

 

 脱走先は、ほぼミスト。現在そこには、ツキノワの後任となる諜報はいない。

 本日のように、ラルフが何があったかを書状で送ってくれるし。

 あとは『ツクヨミ』が、たまにミストに顔を出せば、それで事足りる。

 

 リディアがこの世界から消えてから、1年半が過ぎた。

 エブラーナは、今もミストと友好的な関係を築いている。

 しかし、相変わらず『ツクヨミ』だけが、ミストに顔を出し続けている現状。

 『エッジ』は、ラルフを除くミストの住民にとって、もはや過去の人……。

 

 

——それから数日後 5の月5日

 

 

 ここは、エブラーナの薬草園内にある小さな公園。去年、完成したばかりだ。

 もっとも円形状のだだっ広い草原の周りを、カミツレ畑で囲んでいるだけだが……。

 

 お昼ごはん休憩が始まってから、30分ほど経過しただろうか。

 

「小さくてかわいい……!」

「なんかいいにおいするよ?」

「りんごみたいだねえ」

 

 敷物の上に座る女の子たちが、おやつを食べたり、はしゃいだ声を上げたりしながら。

 カミツレ独特の匂いと、風に揺れる可憐な白い花をたしなんでいる。

 

 —— —— ——

 カミツレの花は、黄色い花芯と白い花弁をつけている。

 別名カモミールと呼ばれており、薬草としても有名である。

 

 薬草園では、既にカミツレを取り扱っていたが、春にもお客さんが来て欲しい。

 一昨年。そんな理由で、管理人のイナミが、カミツレ畑の公園を提案。

 園内の西端に専用の公園を作り、カミツレを育て始めた。

 

 そして、昨年の春。公園と併設したカミツレ畑がオープン。

 4の月の下旬から6の月まで、白い景観を楽しめる。

 おかげで、薬草園は春もそこそこ客を集めるようになった。

 

 薬草好きの男ひとりで、広大ないやしの場が出来上がるとは。

 10年前には考えられなかったことである。

 —— —— ——

 

(楽しそうだな)

 エッジはカミツレ畑と草原を仕切る石垣の上に座りながら。

 微笑ましい子どもたちの様子を遠巻きから眺めていた。

 子どもたちが喜ぶ様は、見ていて気分がいい。

 

 —— —— ——

 本日『ツクヨミ』は、ピクニック参加者を、ミストの発着場から薬草園まで国有艇で送迎。

 加えて、薬草園内の案内役もつとめていた。

 

 ピクニックの参加者は、ミストの子ども。そして、指導者含めた大人、合わせて50名近くもいる。

 —— —— ——

 

 今度は、女の子たちが座る反対側に視線を向けてみた。

 そこには、老齢の医者をはじめ、いつもの親父どもがいる。

 花なんかそっちのけで、持参した酒とつまみを口にしながら、みんなげらげら笑っている。

 

『あっちは花見酒か……』

 

(帰りの国有艇でゲロ吐くんじゃねえぞ……!)

 酔っ払い親父どもは、去年の秋ピクニックから参加している。

 宴会が目的となっているため、それはもう楽しそうだ。

 

 —— —— ——

 一昨年からミストでは、秋に子どもたちが近隣へピクニックに行くようになった。

 イベントだいすきな大人も便乗して参加するぐらい。

 ラルフは評判上々なことで、今年から春もピクニックの開催を決めた。

 

 それを聞いたエッジは、後日『ツクヨミ』として、ラルフにこう耳打ちした。

 

『エブラーナの薬草園はいかがでしょうか。行きも帰りも、僕が国有艇でみなさまを送り迎えさせていただきます』

 

 交通費は無料。最後にそう告げれば。ラルフは二つ返事で了承してくれた。

 多数の新規客をゲットしたが、そこからどれだけリピーター客になるか楽しみである。

 —— —— ——

 

(愛する女の故郷ってだけで、ここまで世話焼く奴もそうそういねえよな……)

 復興間もないミストを単身訪れてから、早10年以上が過ぎた。

 リディアの故郷だから。それだけで、ミストはエッジの世話焼きの対象に入っている。

 リディアやミストに関わる行動は国王ではなく、エッジ個人としての面がとても強い。

 よって、リディアが不在でも、ミストの住民と交流を続けていた。

 

§

 

(後で入れてもらうか)

 お弁当もおやつも食べ終えて、一段落したのだろう。

 ミストの一部の子どもと大人が、公園のど真ん中で遊び始めた。

 みんなで輪になって、手でボールを打ち上げる遊びのようだ。

 

「——ツクヨミくん」

「!」

 

 ボール遊びを眺めていたら、突然声をかけられた。

 声の方向を見上げると。ふくよかな体型の青年——ラルフが立っていた。

 

「お疲れ様」

 

 ラルフが両手に持つ、ストロー付きの紙コップの片方を差し出してきた。

 

『お疲れです。……あの』

「好みかどうかわからないけど。どうぞ」

 

(ここで断っても、こいつなら余裕で2杯飲めるだろ)

 公園のすぐそばには、各種飲み物を売る屋台がある。そこで買ってきたと思われるが……。

 

『いいえ、結構』

「——きみ、お団子しか食べてないよね?」

『……はい』

 

(よく見てんな……)

 ラルフの言う通り、エッジの昼食は兵糧丸だけ。

 水筒を持ってきたが量は知れており、昼食の前に既に空っぽになっていた。

 

「水分補給も必要だよ。それに、こういったものは冷たいうちに飲んだ方が美味しい」

 

 エッジの断りを遮ってまで、ラルフが飲料を更に突き出してきたが。

 やんわりとした口調からして、無理くり押しつける気はないと見える。

 

 これが前任の村長なら。酔っ払いのごとく『まあまあ、そう言わずにさぁー!』などと。

 ブツそのものを、無理矢理押し付けられていただろう。

 

 その男と比べて、ラルフの押しつけがましくない言い回しは、好感が持てる。

 

『……では、ありがたくちょうだいいたします』

「隣、座っていいかい?」

『ええ、どうぞ』

 

 エッジが紙のコップを受け取ると、ラルフが背中のリュックを降ろしながら。

 エッジの隣に、どすーんと腰を下ろした。

 

 前任の村長と比べて、ラルフは律儀で真面目で温厚である。

 大食漢ゆえのふくよかな体型と嫁以外ほぼ欠点がない。

 エッジは、この男性と話すのが全く苦ではなかった。

 

「それ、シロップ入ってないからね」

『無糖で十分です……いただきます』

 

 エッジは紙のコップにささったストローに口をつける。

 すすってみれば、氷が入って冷えている無糖の紅茶。

 味はさておき、カミツレと似たような香りが漂ってきた。

 

『これは……「りんご紅茶」ですね』

「りんご好きだよね?」

『ええ。大好きです』

「よかった。突っ返されたらどうしようかと心配だったんだ」

『他にもたくさん種類があったと思いますが』

 

 去年から薬草園ではいくつか屋台を出している。

 このカミツレ畑のそばでは、果物や花で香りづけした紅茶を売っている。

 

「りんごはどこにでもあるから、一番無難だと思ったんだよ」

『ラルフさんは、センスがよろしいですね』

 

 ラルフは、どこの生まれの者でもとっつきやすい、りんごをチョイスしてくれたようだ。

 

「それはどうかわからないけど、ばら紅茶をもらっても困るだろう?」

『はい、ばらは大嫌いです』

「……即答か。僕もさすがにあれは苦手だな」

 

 ラルフはエッジに返事をしながら、リュックの中をごそごそ漁っていたが。

 そこから取り出した袋の両端を、満足げに両手で引っ張って袋を開けた。

 

「——よかったら、ポテトチップス食べる?」

『っ……』

 

 ラルフからおやつのおすそ分けとばかりに、お菓子の袋をさっと差し出された。

 開いた口から中身が見えて、エッジは思わず息を詰まらせる。

 

(メシ食ったばっかだろ!?)

 そこには、薄切りのじゃがいも——ポテトチップス——が数十枚入っていた。

 しかし、油で揚げてあるので、ぎとぎとてかっている。

 

「ドーナツもあるけど、どっちがいいかな?」

『……』

 

 ラルフがにこにこ顔で、別のおやつを勧めてくる。

 他にもまだまだリュックの中に入っているようだ。

 

 ドーナツとポテトチップス。どちらも胃もたれしそうな揚げ菓子……。

 そもそも、ごはん代わりの兵糧丸を口にしたばかり。

 実物を見ただけで、名を聞いただけで。お腹いっぱいだ。

 

『申し訳ございませんが、どちらも遠慮させていただきます』

「そう……」

 

 ラルフの二大欠点の片割れを目の当たりにしながら。エッジは首を横に振り、丁重にお断りした。

 

 これだから、口の悪い妻や息子たちから『デ(略)』と、揶揄されてしまうのだ。

 

「忍者はあまりお菓子を食べないのかな」

『人によりけりですね。僕は普段から間食しないよう心がけております』

「偉いなぁ……僕にはとても真似出来ないよ」

 

 不節制の塊が『ツクヨミ』を称えてから。ポテトチップスを次々と口の中に放り込んでいる。

 

 一方、節制の塊は、りんごの香り漂うアイスティーをすすりながら。

 忍者でよかった。そうつくづく思うのであった。

 

「リディアがいないのに毎回参加してくれて、君には感謝のしようがないよ」

『とんでもございません。お手伝い出来ているかどうか……』

「何言ってるんだ。こんないい場所紹介してくれて、運転手や案内人までつとめてくれてるじゃないか」

『しかしながら、ここは男の子には受けがよくないようで……』

 

(男のガキはこういうとこ、あんま興味ねえよな)

 薬草園に来てから、ミストの大人は非日常に興奮。

 女性や女の子は、うっとりとしながら花や薬草を愛でている。

 そんな彼らと対照的に、男の子の受けはやや悪いように感じる。

 

「オリバたちは売店へ行ったし、子どもは楽しみぐらい自力で見つけてくるさ」

『ああ、そういえば……』

 

(『花より団子』、地で行ってるな)

 オリバたち悪ガキたちは、今ここにいない。

 どのアイスを食べようか。彼らはここに来てから、そんな話ばかりしていた。

 

「心配しなくても、来年もここにするよ」

『本当ですか……??』

「春はやっぱり花を愛でなきゃ。酒狙いの客も大喜びだしね」

 

 村を挙げての薬草園リピーター宣言に、胸の内で諸手を挙げて喜んだ。

 こうもあっさり、常連客(それも団体)をゲット出来るとは……!

 

『そういえば、お嬢さまはお元気ですか』

「元気も何も、ステラはアリサが連れ回してるよ」

『……演奏会にですか?』

「それしかないだろう?」

 

 渋い表情で話したラルフと同様。エッジもアリサに呆れてならない。

 

 —— —— ——

 リュートを『青ばら』に盗まれたが、無事に戻ってきた。

 ギルバートは、そんな出来事があったにもかかわらず。

 何事もなかったかのように、現在も音楽活動を続けている。

 —— —— ——

 

 ラルフの妻アリサは、ギルバートの狂信者。

 出産で一時期自粛していた彼の追っかけを、今年から復活させた。

 

『お嬢さま、まだ2歳になっておりませんよね』

「ああ」

『演奏会に連れていってもよいのですか?』

 

 リディアもライザも、ミストからいなくなってしまった。

 そこにギルバート要素もない生活なんて、あの女には耐えられないだろう。

 追っかけするのは勝手だ。しかし、小さい娘を連れていくのは、非常識でなかろうか。

 

「ギルバート様は、特別でね。『泣く子も黙る歌声』と言われてるから、子ども同伴でも何も言われない」

『ああ……』

 

(確かに……)

 ステラが眠れば、周囲の観客もアリサ本人も何の問題はない。

 ラルフの説明に、エッジは納得させられてしまった。

 

 —— —— ——

 ギルバートの演奏会では、迷惑行為を働く客はいない。

 なぜなら、彼の歌声には魔力が備わっているから。

 それを王族代々伝わるリュートが底上げするのだ。

 —— —— ——

 

 ギルバートの声は、精神が低い者や無意識の塊と呼ばれる子どもに睡眠効果をもたらす。

 エッジも精神が低い。いつも演奏開始直後に、こてんと眠ってしまう。

 

『……奥様も相変わらずですね』

「個人の自由だ。アリサがひとりであの方を追っかけるだけならいいんだよ」

『奥様のご両親、今ミストで暮らしておりますよね』

 

 実はラルフの村長就任直後。アリサの両親も、ミストの住民の仲間入りした。

 娘の出産で一時的に滞在しているうちに、ミストを気に入った。それが移住の理由だ。

 

(親にステラ預けて、てめえひとりで行けよ!)

 そんなに演奏会に行きたいなら、ステラを実の両親に預けたらいいのに。

 

「お義父さんやお義母さんも、ステラの面倒見るって言ってくれてるけど、アリサが聞く耳持たずでね」

『……そんな調子では、将来お嬢さまもファンになると思います』

 

 あの女は、ステラをギルバートのファンにさせるつもりでいる。

 胎教に続き、睡眠学習……ぬるいながらも、一種の洗脳によって。

 将来、ステラはギルバートの信者になるだろう。

 

「そうなんだ……そのうち、僕はステラにもばかにされるんだ……!」

 

 ラルフが悔しそうな表情でそう口にするやいなや。

 袋からポテトチップスを何枚か取り出して、一気に口に入れ始めた。

 

 恐ろしく早いペースで繰り返されるそれは。もはややけ食い。

 娘が懐いてくれない未来が待っているラルフは、大変気の毒だ。

 

 しかし、エッジはそれ以上、何も口出しすることなく。

 きゃあきゃあ騒ぐボール遊び軍団の様子を眺めていた。

 

『……下のお子さまたちも、元気に遊んでおりますね』

「あいつらはオリバと相性悪いからなぁ」

 

 ボール遊びの輪の中には、ラルフの2番目と3番目の息子もいる。

 

 ところが悪ガキ長男は、次男と末弟をいない子扱いしている。

 弟たちも知らぬとばかりに、他の友だちと遊んでばかりいる。

 エッジもミストで、その光景を何度も見かけたことがある。

 

『血を分けた兄弟と言っても、性格やタイプは違うものです。本人たちが楽しければそれでよろしいと思います』

「ああ、きみの言う通りだ。だから、ああやって子どもが楽しそうにしてると嬉しくなるね」

『そうですね』

「——1年半、あっという間だ」

『……』

「子どもの成長以上に早いなあ」

 

 ぼやかした表現でも、ラルフが何を言いたいのかわかった。……リディアのことだ。

 

 —— —— ——

 リディアは現在ミストにはいない。ミストどころか、この世界のどこにもいない。

 この1年半の間。幻獣界側からは何の反応もない。

 転送盤が消えてから、シルフたちもずっと締め出しを食らったまま。

 

 地上側から、リディアや幻獣界の意志を確認する術はない。

 なぜこうなったのか予測出来ても、はっきりした原因は誰にもわからない。

 —— —— ——

 

『大変でしたでしょう』

「ミゼルさんがいなかったら、どうなってたかな……」

 

 リディアが消えた直後。ミストで一番駆けずり回っていたのは、このラルフであった。

 前任の助けを借りながら、ひとりでやりくりしていたのを、エッジもよく知っている。

 

『……奥様は?』

「あいつは、リディアのフォローをしてくれたら十分だ。ただ、今リディアはいないからね」

『そうですか』

「リディアが消えた後は、うるさかったなあ。エッジ様に会いに行け、一緒にエブラーナに連れてけって、どれだけせがまれたか……」

『あ、あの方がエブラーナに!?』

 

 知られざる事実を聞かされ、エッジは驚きを隠せない。

 高慢ちきで、口の悪いあの女が、城に来ていたかもしれなかったとは……。

 

「一昨年の夏、いろいろあっただろう?」

『ええ、まあ……』

「住民代表として、エッジ様に文句を言いにいく気でいたらしい。それどころじゃないってのに、困った奴だよ」

 

(来なくてよかったぜ)

 ラルフの言う通り、あの女のことだ。

 リディアをないがしろにしたなどと、エッジに恨みつらみを吐くつもりでいたのだ。

 

『向こう見ずな方ですね』

「まあ、ミストには、エッジ様におそれおののく人はほとんどいないんだけどね」

『特に奥様は……』

「ここだけの話だけど、近所のおじさん扱いしてる」

『……そうですか』

「あの時は、みんなに内緒でエブラーナに行って正解だったなあ……」

 

 当時の状況を思い出したのだろう。ラルフがしみじみとしたような表情で思い出を語った。

 

 あの時、何の前触れもなくラルフがエブラーナ城に現れて、不思議に思っていたが。

 妻の暴走を回避するためだったとわかり、エッジの中でラルフの株がまた上昇した。

 

 あらゆるものを貢いで、やっとアリサに結婚してもらった。

 ラルフはそれぐらい、妻にべた惚れだと言われている。

 それでも、肝心要になると言いなりにはならないようだ。

 

「アリサは、今でも幻獣界に怒ってるけれど……君も悔しいだろう?」

『当たり前ですよ。チーズフォンデュを食べさせてもらう予定でしたから』

「そうだ。食べ物の恨みは恐ろしいからね」

 

(それはおまえだけだぞ??)

 思ったことを、ラルフに正直に言える訳もなく、うなずくだけに留めた。

 食べ物の恨みよりも、リディアと会えなかった恨みの方が強いのだが……。

 

 —— —— ——

 当時リディアはある理由で、里帰りする予定を前倒しした。そう聞いている。

 その3日後。『ツクヨミ』と、1ヶ月ぶりに再会する予定だったのに。

 ビーフシチューに続いて、チーズフォンデュも食べ損ねてしまった。

 

 再会する予定だった日に、エッジは『ツクヨミ』として、ミストを訪れた。

 『ツクヨミ』の姿を見るなり。住民はみな口々にこう励ましてくれた。

 

『リディアちゃん、あんたからもらった指輪見ながら、いっつもにやにやしてたんだよ?』

『それも気付かれないようにしてたつもりなんだけど、みんなにバレッバレでさぁ』

『よっぽどあんたに会うの楽しみにしてたろうに、あんなことになっちゃって……』

『あの子もだけど、あんたも気の毒だね』

 

 『ツクヨミ』は幻獣界によって(偽装)恋人と、引き離された可哀そうな男。

 ミストの住民には、そう見えたのだろう。

 

 話を聞いて、リディアも『ツクヨミ』と会うのを楽しみにしていたことがわかった。

 リディアが幻獣界に逃げて引きこもる訳がない。

 彼女が戻ってこないと報告をもらってから。ずっとそう思っていたが、ますます信じられなくなった。

 —— —— ——

 

「もしかしたら……向こう100年、このままだったりしてね」

『それはさすがにないでしょう。せいぜい20年ほどではないでしょうか』

「ははっ、君もだいぶ浸かっているね。専門家になれるよ」

 

 ラルフが笑いながら、袋からポテトチップスを何枚か取り出して、口の中に放り込んだ。

 

 ラルフはミストの村長でありながら、幻獣界専門家でもある。

 幻獣界のことについては、先住民並みか彼ら以上の知識を持っている。

 

『やはり、あちらの方々はリディアさまを住民にしたいのでしょうか』

「たぶんそうだろうな。君や僕たち……知っている人が死んだら、あの子もこっちへの未練がなくなるし、受け入れると思っているんじゃないかな」

『身勝手です……』

「僕たちが死んだあとならまだしも、既にそうされていないか祈るだけだよ」

 

 ラルフがそう言い終えると、既に空っぽだった袋を折りたたみ始めた。

 

(食うの早えな……まとめ食いするからか)

 ポテトチップスを、一度に1枚ずつ食べるならまだしも。

 この男は2、3枚一緒に食べるので、なくなるのも早い。

 

 1年半前。エブラーナ城を訪れたラルフは、こんな持論をエッジにぶっちゃけていた。

 

 —— —— ——

『幻獣界に閉じ込められただけなら、リディアも地上への帰還を諦めないでしょうが……ひとつ心配なことがあります』

『言ってみろ』

『あちらには地上の常識は通用しません。既に幻獣界の住民にされているかもしれません』

『不老不死か』

『ええ。もしそうなっていたら、さすがのリディアも地上に帰ることを諦めて、幻獣界でずっと暮らし続けると思います』

 —— —— ——

 

 人のまま一生を終えたい。幻獣界で暮らし続けていたとしても、そのつもりだった。

 エッジは、リディアから何度もそう聞いている。

 

(例え、リヴァイアサンと刺し違えてでも……!)

 もし、リディアが不老不死にされたら。

 エッジは何が何でもあの世界に潜入して、抗議するつもりでいた。

 

『……向こうで何をされているか、わからないのが辛いですね』

「それでも、あちらさんは地上と完全に縁切りする気はないと思うんだ」

『なぜでしょう』

「たまごを取り返しに来ないからだよ」

 

 —— —— ——

 1年半前。オリバたち悪ガキ軍団が、ミストの洞窟で大きなたまごを発見した。

 ミストドラゴンのものかもしれない。しかし、確証がない。

 

 それをリヴァイアサンかアスラに見せて、確認してもらうために。

 リディアが里帰りする時に、たまごを持っていくかどうか。ミストの先住民で話し合った。

 その結果、持ち込みは見送られた。

 

 リディアですら、持ち込みには後ろ向きだったと聞いている。

 母親の名残りでもあるそれを、幻獣界に取られるかもしれない。そう思ったのだろう。

 —— —— ——

 

「たまごもあちらに属するものだ。もし、本気で断絶する気なら、関わりがあるものは全て回収しにくるだろう。けど、そんな動きはないからね」

 

 幻獣界に持ち込まなくて正解だ。

 たまごは、今のミストで幻獣界と唯一つながりがあるものになっている。

 

『……そういえば、たまごはまだ割れそうにないのですか』

「すこし触っただけでも、胎動がわかるようになってきたよ」

『そうですか』

「ジャンヌさんがよくうちに来て、たまごに話しかけてる」

『……ジャンヌさん?』

「あの人は予想外だったな。リディアもノアもいなくなって、何も手につかないと思ってたんだけど……」

『お仕事が見つかったからではありませんか?』

 

 ジャンヌとはよく雑談しているが、まあ元気なものだ。

 幻獣界に対して、文句を言い放題。

 それでも、ミストの子どもたちと同じく。リディアはいずれ帰ってくると言い続けている。

 

 —— —— ——

 ノアがミストを去って以降。ジャンヌは公民館で、体育の教師をつとめるようになった。

 棒術の指導を中心に、子どもたちの体力づくりに勤しんでいる。

 

 互いに座学が嫌いと言う理由で、悪ガキたちとも相性がいい。

 休日の度に、彼らに棒術の特訓をつけている。

 —— —— ——

 

「たぶん、たまごもあるだろう」

『……何か関係あるのですか』

「リディアのお母さんの気配を感じるらしい。その人は、ミストドラゴンの契約者で、ジャンヌさんの無二の親友だった方らしいから……懐かしいのかもしれないな」

『そういうことですか』

 

(だから、あんま落ち込んでねえのか)

 ノア——ツキノワとお揃いのヒスイのアクセサリー。

 棒術の先生に、親友の名残りでもあるたまご……。

 心の支えが多いから、ジャンヌはああも元気なのかもしれない。

 

§

 

「そろそろ、売店に行かなきゃな……」

『ご苦労様です』

「今日は、アリサやジャンヌさんがいないからね」

 

 ラルフが苦笑を浮かべながら立ち上がり、リュックを背負った。

 売店で何か粗相をしていないか。これから、長男率いる悪ガキたちの様子を見に行くようだ。

 

 普段オリバたちが何かやらかしたら、アリサやジャンヌがシメている。

 けれど、本日はふたりともミストにお留守番。

 他の教師は既にさじを投げており、父親が動くしかない。

 

「これが終わったら、いつもの場所に行くのかい?」

『はい』

「ご苦労様。ミストを代表してお礼を言わせてもらうよ」

『お礼など……修行も兼ねて続けているだけです』

 

 エッジは角が立たぬよう、やんわりとラルフに断りを入れた。

 

 —— —— ——

 リディアが消えて以降。『ツクヨミ』は、ある習慣を始めた。

 それを、ミストの住民はみんな知っている。

 特にラルフは、顔を合わせる度にそのお礼を言ってくれる。

 —— —— ——

 

 しかし、その習慣を続けているのは、自己満足の面が強い。

 ミストのためとは一概に言えない。お礼を言われる筋合いはないと思っている。

 

「……ミゼルさんもよく言ってるけど、君がうらやましいよ」

『うらやむようなことをしているつもりはございませんが』

「ミストには君みたいに、そこまで足を運べる者は誰もいないんだよ。僕たちは、自分の家族がさらわれても、悪党やモンスターの巣窟に助けに行けないぐらい弱いから……」

 

 力のない笑いを見せたラルフに、言い返したくなった。けれど、今は『ツクヨミ』なので我慢した。

 

(オレだって、おまえらのことが……)

 実は、エッジも時々、ラルフやミゼルたちがうらやましく思う時がある。

 

 自分たちは、互いにないものねだり。だから、卑屈にならなくてもいい。

 もやもやするエッジをよそに。ラルフは冴えないような表情で、なおも続ける。

 

「たまに情けなくなる。君やエッジ様、バロン王やファブール王を頼るだけで、ミストで帰りを待つしか」

『——そんなこと、おっしゃらないで下さい』

「え?」

『この世界は、そんな方々が大多数を占めています。実力のある者が存在しているのは、そんな方々の命や生活を守るためなのです』

 

 エッジはその場でさっと立ち上がり、『ツクヨミ』らしからぬ強い口調でラルフを諭した。

 

「ツクヨミくん……」

『ですから、ラルフさんたちが気にする必要は一切ございません』

 

 力を持たぬ人々を守ることが、強い人間の使命。いわば、存在理由。

 これは、ルビカンテ襲撃以降からのエッジの持論でもある。

 

 リディアも、今は平和だから普通を追求していただけで。

 緊急時においては、エッジと同じことを口にするはず。

 

『ミストのみなさまのリディアさまに対する「思い」は、国王さまたちにも、引けを取らないと思います。違いますか?』

 

 ミストは一貫して、『リディアの帰りを待つ』方針である。

 いつ戻ってきてもいいように。リディアの居場所を残してある。

 召喚士育成は止まっているが、それ以外はリディアが消える以前と変わらない。

 

「……それは君にも言えるよね」

『はい』

「ははっ、そこまで断言できるとは……! さすが恋人だ!」

 

 ラルフが大笑いしながら、ばしばしエッジの肩を叩く。

 

「はぁ……」

 

 程なくして、ラルフが笑いを止めると大きく息をついた。

 

「やっぱり、弱気はだめだな」

『弱気になりましたら、僕に声をかけてください。いくらでも叱咤させていただきます』

「ぜひそうさせてもらうよ……ありがとう」

『いいえ、とんでもございません』

「邪魔して悪かったね。まだ時間はあるから、ゆっくり休んで」

『はい。どうぞお気を付けて』

 

 ラルフが軽く手を振って、エッジの前から去っていった。

 

 巨体を揺らしながら、緩慢に歩くラルフを見送ってから。その場にごろんと寝転がった。

 ラルフと長く話をしたのは、実に久しぶりのことであった。

 

§

 

 少し休憩してから、ボール遊びに入れてもらおう。

 エッジはそう思い立ち、お面の小さな穴から、青い空に漂う雲をじいと眺めていた。

 

 ふと、右手を天高くあげてみた。

 ふわふわ浮かぶ白い雲をつかもうとしたが。もれなく空振り。

 まるで風船から空気が抜けていくかのように、ゆるゆる右手を降ろした。

 

『次元が違うって……反則だろ……』

 

 『ツクヨミ』の声で、ぽつりとそうつぶやいた。

 

 雲をつかめなかったことで、リディアが本当に手の届かない場所にいる。

 それを、改めて痛感させられてしまったのだ。

 

 幻獣界も青き星に属するが、異次元と言う名の別世界。人間の力ではなかなか辿り着けない。

 もし幻獣界が、この空の雲の中にあるなら。なんとしてでも迎えに行くのに。

 

『……もういいや』

 

(じっとしてると、やっぱだめだな)

 ついつい余計なことを考えてしまう。

 ボール遊びの輪に入れてもらい、身体を動かすに尽きる。

 

 エッジがため息をついてから、立ち上がろうとしたところ。

 そばに咲いていた1輪の小さな白花が、視界に入ってきた。

 

 畑のカミツレからこぼれた種が、風に飛ばされてここに辿り着いたようだ。

 辺りを見回すと、野生のカミツレがところどころで咲いている。

 

(そうだ、カミツレは……!)

 風にゆらゆら揺れる、野生のカミツレを目にしているうちに。

 エッジはあることを思い出し、花に向かって薄い笑いを見せたのであった。

 

 

——それから数時間後

 

 

 ここは、地底世界にある幻獣の洞窟の地下2階。

 

 ひとりの男——『ツクヨミ』の姿をしたエッジが、左手に村雨。右手に正宗を手にしながら。

 目の前に現れたモンスターに、二刀流で立ち向かっているところだ。

 

「っ、失せろっ!!」

 

 ざしゅっと、肉を切り裂いたような生々しい音。同時に、モンスターから青い血が噴き出した。

 

 モンスターが事切れたかどうかも確認せず。刀にこびりついた血を払うと。

 エッジは地面を蹴って、ぴょんと跳躍して先へ進む。

 

 —— —— ——

 ピクニックは大好評のうちに終了。

 ミストご一行様を、ミストの発着場まで送り届けてから。

 エッジはひとり国有艇で、この洞窟にやってきた。

 —— —— ——

 

 幻獣の洞窟、地下3階にある最奥エリアには、転送盤があった。

 幻獣の町に一瞬で移動できるそれは、1年半前に撤去されたまま。

 

 どうせ、今日も復活していないだろう。それでも、もしかしたら……。

 エッジは一縷の望みをかけて、週に一度の割合でここに足を運んでいた。

 

 —— —— ——

 リディアが帰ってこない。

 1年半前。当時ミストで諜報をつとめていたツキノワから、そんな報せが届くやいなや。

 エッジは城を飛び出して、単身この洞窟を訪れた。

 

 報せ通り、転送盤が消えていたのを目にして。しばらくの間、絶望に震えていたが。

 収まりがついてから、己にこんな誓いを立てた。

 

 毎日でなくても、全ての人間がリディアの帰還を諦めても。

 リディアが戻ってくるまで、ここに足を運び続けてやる。

 

 帰還の報を祖国でひたすら待つだけなんて、とても出来ない。

 —— —— ——

 

 ようやく、洞窟の半分を過ぎたところまできた。

 前に進み、現れたモンスターをぶった切るか。

 とんずらや煙玉で、戦闘を回避すればいいだけなのだが……。

 

「はぁっ……っ、レビデトねえときっつ……」

 

 思うように身体が動かなくなってきた。息も少し上がってきた。

 

(帰りもこれだもんな……)

 この洞窟内の床一面には、特殊な仕掛けが施されている。

 歩けば歩くほど、嫌でも体力が減少していく。

 もし幻獣の町に移動できなければ。またこの道を戻らなければならない。

 

 こんな洞窟。浮遊魔法レビデトがあれば楽勝だ。しかし、エッジは白魔法を使えない。

 レビデトの代用となるアイテムも存在しない。

 そのため、この洞窟を通る時は、出来るだけ床に着地しないようにジャンプ移動していた。

 

 それでも地面に着地する度に、ごりごり体力を削られる。そのため、体力回復アイテムは必需品。

 がんやくとエクスポーション。エリクサーが、それぞれ2個ずつあれば、なんとかなる。

 

§

 

 それから数分かけて、ようやく地下3階に到着。

 エッジは何度もこの洞窟を訪れており、道のりを頭の中に叩き込んである。

 

 ここから先は、道なりに進んで最初の丁字路を左に曲がる。

 さすれば、目的地である幻獣の洞窟の最奥エリアに辿り着く。

 

 運が良いことに、本日はモンスターがあまり現れない。

 ぴょいぴょいっと跳躍を繰り返しているうちに、目的地に到着した。

 

「はあっ……」

 

 息を切らしながら、中央に近付く。

 本日もやはり、幻獣の町への転送盤は復活していなかった。

 

「っ、今日もだめか……」

 

 エッジは両膝をつき、上体をかがめて両手で地面に触れた。もちろん、何も起こらない。

 

 悔しくてたまらない。この瞬間を迎える度に、自身の力が全く及ばないと痛感させられる。

 

「なあ、リディア。今日、ミストの奴らがな——」

 

 自身の気を奮い立たせてから、リディアに見立てた地面に語りかけるように。

 本日の出来事——ミストの春ピクニック——を話し始めた。

 

 地面への近況報告は、ここに訪れた時の恒例と化している。

 ミストやリディアに近しい者の現状を伝えてあげたくて。

 エッジはこの洞窟に寄る前に、出来る限りミストに顔を出すようにしていた。

 

§

 

 報告を終えて、しばしその場にたたずんでいたが。ここを立ち去る時間が訪れた。

 

「……よれよれで悪りぃな」

 

 エッジは、懐から取り出した小さな花1輪——カミツレを。転送盤の跡なき地面にそっと置いた。

 

 カミツレ畑から立ち去る前に、この花をぶちっと引き抜いてきた。

 収納場所は、服の中。おまけに、ここまでの道のりで身体を思いきり動かしていたから。

 花がよれよれになってしまった。

 

 何度もここに足を運んでも、幻獣界からは何の反応も返ってこない。

 今度ここに来たら、今置いたばかりのカミツレの花も、枯れ果てているかもしれない。

 

「『逆境に耐える』——それがこいつの花言葉だ」

 

 今のリディアは地上に帰るに帰れず、幻獣界で逆境真っ只中なはず。

 どうかあちらの世界にいても、心が折れないでいて欲しい。

 カミツレの花言葉と同じように、逆境に負けないで欲しい。

 

「……オレはおまえが帰ってくるって信じてっから、おまえもそっちで諦めんじゃねえぞ」

 

(オレだけじゃねえ。みんな、おまえが帰ってくるって信じてんだ)

 エッジだけでなく、セシルをはじめとした仲間。ミストの住民……。

 みんな、リディアの帰りを待ち続けることしか出来ないけれど。

 

「……また来るからな」

 

 再び元来た道を通って、いつもの日常へと戻るために。

 エッジは背を翻すと、前を向いたまま最奥のエリアを後にした。

 

 —— —— ——

 エッジは全く気付かなかった。

 背を翻した瞬間。力なく横たわっていた白い花が、みるみるうちに元気を取り戻して。

 ふわりと舞いあがり、そこからぱっと消えたことなど。

 —— —— ——

 

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