※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

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エッジ視点


蓼(たで)食う虫も好き好き

 

 

——それから3日後 9月9日

 

 

 エッジは現在、ミストの森林を散策……森林浴の真っ只中である。

 本日午後から休暇を取っていた。そうなれば、ミスト訪問は、もはやお約束。

 

 集落を囲む森林へ入ってから、20分くらい経つだろうか。

 森林浴は心身に『いやし』の効果がある。そう言われている。

 森の清浄な空気に触れながら、樹々の香りが鼻をかすめる度に。少しずつ心が落ち着いていくのを感じる。

 

『……』

『……』

 

 黙々と森の中を歩いていると、複数人の住民の声が聞こえてきた。

 立ち止まってから、聴覚を研ぎ澄ませて会話をしばらく盗み聞き。

 

『……大丈夫だな』

 

 単なる世間話とわかり、胸をなでおろして先に進む。

 

 —— —— ——

 『人の敵は人』とは、よく言うものだ。

 

『リディアはもう戻ってこない』

『リディアはミストと地上を見捨てた』

 

 今月に入り、世界各地の新聞が一斉に、リディアに配慮が欠けた内容の記事を出している。

 

 3日前、Cも他の新聞に追随するような社説を出した。

 もともとCは、バロン王政に好意的な記事を書いていたのに、飛んだ手のひら返しだ。

 

 追随しなかったのは、エブラーナの地元紙Xと大衆紙GとRだけ。

 Xは、エッジ自ら『会社ぶっ潰すぞ』と圧力と言う名の脅しを掛けたため、絶対にない。

 GとRは、政治や事件にはノータッチ。

 現在、某国の有名オペラ歌手と著名作曲家(妻子あり)が愛の逃避行真っ只中。

 両紙ともに、そのふたりの消息を必死で追っている。

 

 このままでは、リディアに悪評がつきかねない。

 エッジはそんな流れを止めるために対策を投じた。

 果たして、セシルやヤンが動いてくれるといいのだが……。

 

§

 

 更に数日前。じいがこんな忠告をしてきた。

 

『X以外が足並みそろえてあの論調です。ミストにも影響があると思われますぞ』

 

 ミストの住民が新聞に影響されて、リディアの帰還を諦めてしまうかもしれない。

 

 もしそんな状況に陥ったら、幻獣界と地上の時間のズレが広がる可能性が高くなる。

 今後リディアが地上に戻ってきても、年寄りになっているかもしれない。

 —— —— ——

 

 そういった経緯から、本日は森林浴ついでにミストの住民意識調査(盗聴)を行っている。

 

 本日ミストは休日で、世間話率が高い。

 それでも、ここまで新聞の話題はひとつも出ていないし。

 『リディアはもう諦めましょう』などと言う者も現れていなかった。

 

§

 

 しばらくの間、森の中を反時計周りで歩いていたら。また何か聞こえてきた。

 

「……!!」

「……」

「……!?」

 

 耳をすませば、複数の女性が何か言い争っている。

 

(女の口喧嘩か……スルーでいいや)

 エッジは女同士の諍いが大嫌いである。

 よく知る女の声も混ざっていたから、関わらないが吉。

 そう思って、足早に去ろうとした時。

 

「不老不死になったら、仲のいい人がみんな死んじゃっても生き続けなきゃならないじゃなーい」

「でも、幻獣界はみんな不老不死だろ?」

「たったひとりになるって訳でもなし、気にしすぎだよ」

 

(あいつのことで喧嘩してんのか)

 不老不死、幻獣界と言えば、リディアの話題だ。

 エッジは森林浴を一旦辞めて、声が聞こえる方に向かうことにした。

 

§

 

 言い争いの現場付近に到着。木陰に隠れて、現場をのぞいてみる。

 すると、アリサが娘のステラの手をつないで。北に住む年配の主婦ふたりと向かい合っている。

 この主婦たちと『ツクヨミ』は、ほとんど接点がない。挨拶を数回交わしたぐらいか。

 

「不老不死にはデメリットがあるのよー?」

「なんだいそれ」

「五感が狂って、味がわからなくなっちゃうかもしれないもの。げろ甘党のあの子が受け入れる訳ないわー」

「五感がおかしくなるは、ただの予想じゃないか」

「それも、あんたの旦那さんの」

「……っ、そーだけど」

「仮に本当だとしても、最後は食欲より永遠の若さを取るものだよ」

 

 珍しくアリサが劣勢だが、仕方がない。

 不老不死のデメリットは、アリサの夫ラルフが考えた予想。確証には至っていない。

 

 —— —— ——

 リディアが幽閉された直後。ラルフは今後起こりうる可能性をいくつか考えた。

 

 中でも、最悪だと思われる未来が、『リディアが幻獣界の住民にされるかもしれない』というもの。

 それは、有限の命から無限の命。いわゆる、不老不死に変わると言うことである。

 ラルフは、更にそこからこんな予想も立てた。

 仮に、人間が不老不死となった場合。心身に様々な変化が起こりうる、と。

 五感の狂いは、その代表格と言えるものだ。

 

 これらの内容は、ミストの秘匿事項とされている。ミスト外でも、国王レベルでしか知られていない。

 エッジも、リディアが消えた直後。エブラーナ城を訪れたラルフから、秘密厳守を条件に教えてもらった。

 —— —— ——

 

(こいつら若くねえし、不老不死に憧れててもおかしくねえな)

 限りある命を持つ人間にとって、不老不死は魅力的な体質だ。

 ラルフの打ち立てたデメリット説を無視してでも。永遠の命を欲しがる人間は多いと思われる。

 だから主婦たちは、アリサにこうも強気に出られると見える。

 

「リディアはそんなことこれっぽっちも言ったことないわよ! いっしょに老後余生プランも立ててたしねー!!」

 

 アリサが主婦たちの前に、ずいっと一歩踏み出てそう叫んだ。

 

 この女は口達者で、リディア以上に負けん気が強い。

 主婦からの一ツッコミで引く訳がない。ところが……。

 

「でも、全然戻ってくる気配すらないじゃない」

「帰ってこない限り、老後もへったくれもないでしょ」

「くっ……!」

 

 主婦たちからカウンターを食らい、アリサが返答に詰まっている。

 

 いくらリディアが過去に、今後の予定や将来の目標などを語っていたとしても。

 現状それらは、リディアの『現在の意志』ではない。

 だから、何の意味をもたない。主婦たちはそう言いたいようだ。

 

「ねーねー」

「あっ」

「おやつまだー?」

 

 ステラが母親の服を引っ張り、おやつをせがんでいる。

 

「これが終わったらねー。もうちょっと待っててちょーだい」

「うんっ!」

 

(まだおやつの時間にゃ早えもんな)

 アリサがやんわりと待つように促すと、娘が素直に応じている。

 どうやら、この女。主婦たちを言い負かさないと、ここから立ち去るつもりはないようだ。

 

 母娘の微笑ましいやりとりを眺めていたら。人の気配がこちらに近付いてくるのを感じた。

 このまま通りすぎるだろう。そう思ったら、エッジから少し離れた木陰の裏手で気配が止まった。

 

(奴も高みの見物か……)

 気配を探ってみたら、非常によく知る人物であった。

 これから、その人物もエッジと同じように見えぬ観衆に徹するらしい。

 

「あんたがどれだけ言っても、あたしたちには効かないよ」

「どういう意味よそれー」

「前から、あの子好きじゃないし」

「ちょっと、はっきり嫌いって言ってやりなさいよ」

「ふーん、そうなのー」

 

 突然主婦たちが、リディアをけなし始めた。しかも、『嫌い』とまで言ってのけた。

 アリサはちっとも動じていないようだが、エッジは衝撃でならない。

 

(ここにあいつのことが嫌いな奴、いたのか……)

 ミストでリディアをけなす住民はいない。全ての者から愛されなくても、嫌う住民はいない。

 エッジはずっとそう思っていたから、ショック倍増だ。

 

「しかも、あの格好……あんたたちも、よく許したね」

「教育上良くないと思わないの?」

「器ちっさいわねー。泣いてお願いされたら許すってのが情じゃないのー?」

「だからって」

「——あんな痴女もどきの服でも、見慣れたら気にならなくなるもんよー。まず、うちの男どもは興味ないしー」

「そんなの、あんたたちだけでしょ。普通は男に媚びてるようにしか見えな」

「——あれでよろめいたのって、どこかのばか国王か、ツクヨミさんぐらいしかいないけどねー」

 

 本気になったのか。アリサが主婦たちを圧倒するようになってきた。

 何気に『ばか』と言われたが、当のエッジは傍聴に必死。(今回は)気にならなかった。

 

「あらー? もしかして、あなたたちの旦那様やお子様。あの服見て勃っちゃったのかしらー??」

「ばっ……! 何言ってんだ!」

「子どもの前でよくそんなこと言えたもんだ!」

 

(リディアの服よか、こいつの口の方が教育的に問題大アリだな……)

 アリサが口にした卑猥なワードを聞いて。主婦どもが顔を真っ赤にしている。

 さすがのエッジも、これだけは主婦どもに賛同してしまいたくなる。

 

「っ、服もだけど。えこひいきばっかりじゃないかっ! ミゼルさんが辞めたと思ったら、あんたの旦那が村長って……」

「その言い方だと、2年前に村長決めがあったら、アドニスに票入れるつもりだったよーに聞こえるわよー?」

「入れるわけないよ! えこひいき以外はミゼルさんで言うことない!」

「それはあんたの旦那も一緒だよ」

 

 口論をのぞき見しているうちに、主婦どもへの不快感が増していく。

 

 —— —— ——

 ミゼルやラルフは、キロンたちとは違う。極力リディアを一住民として扱っていた。

 そもそも、リディアが特別扱いを望んでいなかったし。

 

 ミゼルたちが必要に迫られて、致し方なくえこひいきしたことはあったかもしれない。

 それでも、たったひとりの召喚士だから。

 ふたりともそんな理由でえこひいきをしていたようには見えなかった。

 —— —— ——

 

 そもそも、この主婦たちはえこひいき以前の問題。

 リディアが嫌いだから、むりくりいちゃもんをつけているようにしか聞こえない。

 

「いい加減にしなさいよっ! あんたたち、リディアに嫉妬してるだけじゃないのー!」

 

 親友をけなすような相手に、アリサが黙っていられる訳がない。

 ところが真っ当な指摘をされたにもかかわらず。主婦たちは悪びれもなくこう言った。

 

「あんたもいい加減、目を覚ましたらどうなんだい」

「はぁ??」

「あたしたちに言い返してリディアにごますり? ばかみたい」

「ギルバート様とお近付きになりたいから、今のうちにポイント稼いでるの?」

「いない子に媚び売って、むなしくならないの?」

「……何ですってー!?」

 

 主婦たちが、小馬鹿にするようにアリサへ言い返している。

 ところがギルバートの名前を出された途端。アリサの声と気配が険しさを増した。

 

(あーあ、ガチ勢のプライドずたずたにしちまって……)

 この女は、ギルバートのファン。しかも、年数も入れ込み具合も半端ない。

 それなのに、彼の友人——リディアに口利きを頼んだことはない。

 しょっちゅう『ずるーい』と文句を言っていたぐらいだ。

 

§

 

 このままでは、つかみ合いの喧嘩に発展しそう。

 もうひとりの見えぬ観客が、全く動きそうになくて腹が立つが。

 そろそろ止めに入った方がいいかもしれない。エッジはそう考えた。

 

(目ェ見ねえようにしねえとな)

 未だ『呪淫』の影響は残ったまま。うっかり女の目を見ぬよう気をつけよう。

 自分自身にそう言い聞かせながら、現場に突撃した。

 

「媚びてないわよっ!! 勝手に決めつ」

『——おやめください』

 

 エッジはアリサの前に立ちはだかり、口論を止めた。

 

「あら、しもべじゃない」

「しもべだぁー!」

 

(その呼び方辞めろ!)

 アリサは、相変わらず『しもべ』呼び。ステラも、母親を真似て、はしゃいでいる。

 せっかく助けたのに、止めに入ったことを少し後悔してしまった。

 

「ツクヨミさんじゃないか」

「なんだ、また来たのか……」

 

 『ツクヨミ』が登場して、ふたりの主婦が呆れたような声をもらしている。

 

(オレが来ちゃだめなのかよ!!)

 主婦どもの反応にいらっとするが、それを必死に我慢して。

 女性陣へ向かって紳士的にこうたずねた。

 

『小さなお子さまの前で、言い争いとは大人げありませんね。何をもめていらっしゃったのですか』

「いえ……なんでも……」

「行きましょ」

 

 主婦どもはばつが悪そうに、この場を去った。

 『ツクヨミ』が来たことで、気を削がれたのだろう。

 

『大丈夫ですか』

「ええ。ずいぶん好き勝手言ってくれちゃってー。ね、ステラ。困ったばばあどもよねー?」

 

 やや劣勢に立たされていたが、元々口論に慣れているようだ。

 何のこれしきとばかりに、アリサが返事をしてから、ステラに声をかけた。

 

「ばばー、やーねー」

 

(ガキも母親に似てきたな)

 ステラは2歳になったばかり。それなのに、もう『ばばあ』を覚えたらしい。

 母親の影響は恐ろしいものだ。

 

『ところで、何をもめていらっしゃったのですか』

「……聞きたい? 気分悪くなるわよー」

『はい。ぜひお聞かせ下さい』

「さすが恋人ねー。じゃあ、覚悟して聞きなさーい」

 

 まるで何かのレクチャーのように。アリサがここまでの経緯を話し始めた。

 

 ***

 

——10分前

 

 アリサが、おやつ前の運動にステラを連れて集落内を散歩していたら。

 先ほどの主婦ふたりが、何やら話をしていた。

 このふたりと全然仲良くないので、すぐに立ち去ろうとしたら……。

 

「ねえねえ、新聞見た?」

「やっぱり、みんな同じこと思ってたんじゃない」

 

 新聞と聞いて、リディアのことかもしれない。アリサはそう思い、聞き耳を立てていたら。

 予想通り、ふたりがリディアの悪口を言い始めた。

 

 —— —— ——

『ツクヨミさんも気の毒だね』

『どうせ戻ってきやしないのに、とんだ無駄足』

『あの子、幻獣王から不老不死になるよう度々誘われていたらしいじゃない』

『永遠の若さでしょ? 仕事しなくてもいいでしょ? ここよりも楽な幻獣界で悠々自適に暮らしたいよね』

『あたしならあっちを選ぶよ』

『普段は不老不死は嫌、普通がいいってしゃべってたようだけど、あれはただのポーズだよ』

『それにさ。「選ばれた人間」とか、「神に愛されし子」とか「生きる世界が違う」って、よく言うじゃない? あれはまさしくリディアのためにある言葉だね』

『中途半端に戻ってくるからこうなるんだよ。あっちで過ごしていればよかったのに』

『あの子がいなかったら、キロンさんたちも大人しくしてたんじゃない?』

 —— —— ——

 

 親友のことをぼろかす言われて、このまま黙って立ち去る訳にはいかない。

 アリサはふたりの前に飛び出して、それから口論が始まったという。

 

 ***

 

『……!』

「しもべ、こわーい」

「いーのよ、ステラ。ぷんぷんさせてあげなさい」

 

(新聞どもといっしょのこと言いやがって!!)

 エッジは怒気を露わにした。それも、ステラに感付かれるほど。

 

「どう、しもべー? あたしが言い返したくなる気持ちわかったでしょー?」

『はい。よそならともかく、ミストであんなことをおっしゃられる方々がいるとは……信じられません』

「元々陰湿な奴らなんだけどさー。リディアをやっかんでるよーね」

『……不老不死になれるからでしょうか』

「他にもいろいろあるでしょー? あの子のお友だちとか、純血の召喚士とか、黒魔法使い放題とかー」

 

 よくよく考えてみたら、アリサの言う通りだ。

 リディアの性格や価値観はさておき。経歴や背景は、庶民のそれとは程遠い。

 ひがまれたり、妬まれてもしてもおかしくない。

 

「あいつら、寄合も旦那任せだし、花火はアイスだけもらってすぐ帰るし、ファイアも子どもと旦那に覚えてもらって習いにも行かないしー……」

『リディアさまとの接点がないのですね』

「そう、それなの。あとは、無愛想で陰湿でー、同世代でも『マダム』と大違いねー」

『あの、「マダム」とは……?』

「よく広場で井戸端会議やってるの見たことない? あたしたちが勝手に名前つけたのー」

『……ああ、あの方々ですか』

 

 『マダム』の正体——噂だいすき熟女4人組——に見当がついた。

 

 リディアと『ツクヨミ』が(偽装)恋人。

 4人は、ミスト中にそう言いふらしてくれた大功労者でもある。

 愛想がよく、愛嬌もある。『ツクヨミ』にも好意的なので、エッジは嫌いではなかった。

 

「『マダム』が噂なら、さっきの奴らは陰口ってところかしらー。前はキロンたちをターゲットにしてたんだけどねー」

 

(なるほどな)

 主婦どもは、長年キロンたちの陰口を叩くことで鬱憤を晴らしていたのだろう。

 そのキロンたちが、ミストの大掃除でミストから消えたので。

 標的を前々から気に入らなかったリディアに移したようだ。

 

『……アリサさんや他のみなさまは、リディアさまをやっかんでおられるのでしょうか』

「しもべもわかってると思うけどー。リディアは魔法は得意だけど、げろ甘党で、どこか抜けててー。家事も料理も隙あらば据え膳の甘えん坊でー。どこにでもいる三十路前の寂しい独身女性なのよねー」

 

 けなしているのか、褒めているのか。さっぱりわからない。

 

『何をおっしゃ』

「——あの子の本性知ってたら、やっかむ気なんか起こらないわ。さっきの奴らは少数派。しょせん雑魚よ」

『……』

 

 何とも言えないリディア評に言い返そうとしたら。アリサがすかさず胸を張ってそう言った。

 

 —— —— ——

 幻獣界特製の露出高めな服装はさておき。きらびやかで厳かな、お城の空気は苦手。

 華々しい経歴や背景と相反して。リディア自身は庶民的で人間臭い。

 人となりを知っていたら、嫉妬する感情など起こらない。

 —— —— ——

 

(こいつも、なんだかんだ付き合い長げえもんな……)

 アリサはそれを強調したくて、先のリディア評に毒を混ぜただけだったようだ。

 

「陰口もアレだけど。あいつら、よそ様に言いふらすのがまたむかつくったら……!」

『他にもいらっしゃるのですか!?』

「ええ。北でちらほら見かけるわよー?」

『リディアさまとご近所ではないから……でしょうか』

「そーね。あいつらの悪口や新聞を真に受けちゃったのかもー」

 

(人の悪口や噂に流されねえのは、あの医者夫婦ぐらいか……)

 北区画は、リディアの自宅から一番離れている。

 先ほどの主婦のように、リディアと接点がない者が多い。

 

 身勝手な新聞報道が、ミストにも少なからず影響を及ぼしている。

 じいの忠告が、的中してしまった。

 

「それでもあいつら入れて5、6人ぐらいだし、大したことないわよー」

『……ずいぶん楽観的ですね』

「そりゃー、あんたが諦めるまでミストの空気変わんないもの」

『僕がですか!?』

「そうよー? 自信持ちなさい」

 

 なんと『ツクヨミ』が、ミストでキーマンにされているとは。

 思いもよらないアリサの言葉に戸惑いの声を上げた。

 いつの間に、そんな位置に持ち上げられていたのか。

 

『大げさではありませんか??』

「あんたはここに来たり、幻獣界行ったりしてさ。口だけじゃなくて行動でも『諦めない』を実践してるじゃない。個人でそんなことしてるの、あんたしかいないわよ?」

『それは』

「——あんたがブレないから。あたしやここの人たちは、いつかリディアは戻ってくるって信じ続けられてるのよ」

『……』

「あんたは最後の砦なの」

 

(そこまで……)

 アリサが感情を抑えて口にした言葉は、胸にぐっとくるものがあった。

 この女が、この口調で話す時は冗談ではない。本気で自分に言ってくれている。

 

「とりでー?」

「えっ」

「とりで、なーにー?」

 

 ステラが、アリサの服をくいくい引っ張りながら。聞き慣れない言葉の意味をたずねている。

 

 親は、我が子を世話する他にもたくさん仕事がある。

 そのひとつに言葉の意味を教えるのもあるが、これがなかなか難しい。

 何せ2歳の子どもが理解出来るように。噛みに噛み砕いて答えてやらなければならない。

 

「んー、そーね……」

 

 どう説明したらいいのか考えていたのだろう。

 アリサが唸るような声を上げてから、ステラにこう答えた。

 

「砦は、最後の希望のことよー」

「きぼー?」

「ぅ、っ……き、希望はぁー……未来のー……」

 

(これ、砦の意味もわかってねえだろ)

 更に質問が増えて、アリサが返答に困っている。

 

「そ、その前に……おやつ食べましょーかー?」

「やた! おやつー!」

「じゃあ、帰りましょーねー」

 

 さすがの口達者も、ステラの質問攻撃には弱いらしい。

 自宅に帰る頃には、3時を過ぎているはず。おやつを餌に場を凌いだようだ。

 

「あっ、そーだ」

 

 アリサがステラを抱っこして、立ち去ろうとしたが。

 何か思い出したかのように足を止めると。振り向きながらエッジに声をかけてきた。

 

『……例のものをご所望ですか』

 

 例のものとは、エブラーナ産かりんとう5種詰め合わせセットのことである。

 アリサの家族は全員、かりんとうが大のお気に入りらしい。

 

 ミストに来る時に、詰め合わせセットを買ってきて欲しい。

 『ツクヨミ』は半年前から、夫婦どちらかから度々そんな頼みごとをされていた。

 

「あっ、それは次でいいわよー、今お金持ってないしー」

『でしたら、何でしょうか?』

 

 かりんとうでなければ、一体何なのだろう。

 首をかしげながらアリサに続きを促すと、さっとこちらを指さしてきた。

 

「諦めんじゃないわよ」

「わよー」

『……!』

 

 アリサの凛とした声。それに続いて、ステラも楽しそうな声で語尾だけ真似して。

 エッジに励ましの言葉を送ってくれた。

 

『……心強いお言葉、ありがとうございます』

「それじゃー、まったねー」

「しもべー、ばいばーい」

『お気をつけて』

 

 アリサとステラから手を振られて、『ツクヨミ』らしく一礼する。

 それから、家路に戻る母娘の後ろ姿を見送った。

 

(明日大嵐じゃねえか……!?)

 ふたりの姿が消えてからも、その場にたたずんだまま感傷に浸っていた。

 娘にまで『しもべ』と呼ばせて、しかも上から目線の高慢ちきな物言い。

 そんなアリサに、まさか励まされるとは……。

 

§

 

 しばし余韻に浸っていたが。我に返ると周囲に気配を巡らせる。

 見えぬ観客の気配が、その場に留まっている。しかも、その人物からの視線も感じる。

 

(野次馬ヅラしやがって……!)

 この人物なら、さっきの修羅場を片付けることが出来たはず。

 にもかかわらず、終始のぞき見に徹して、エッジに丸投げとは……! 

 むかっ腹が立って仕方がない。

 

『……っ!』

 

 懐に忍ばせていた、手裏剣をいくつか取り出すと。

 後ろ手で、人物の気配——7時の方向へぶんっと放った。

 

かかかっ!!

 

「ひいぃっ!?」

 

 全ての手裏剣が音を立てながら、樹木に突き刺さると。

 樹木の向こう側から聞き慣れた男の叫び声が聞こえてきた。

 

『いつまで高みの見物を続けるおつもりですか』

「ちょ、ちょっとぉ! 丸腰に手裏剣ってどうなの!? ぼく殺す気!?」

 

 樹木の陰から男——ミゼルが現れて、こちらに近付いてきた。

 鼻息荒くしてかっかしているようだが、どうせ本気で怒ってはいない。

 

『殺すほどの価値もございません』

「あ……そうなんだ……」

『あなたのせいで、一生牢獄暮らしなんてまっぴらごめんですからね』

 

 『ツクヨミ』から、立て続けに冷たく言われて。

 ミゼルが悲しそうな表情に変わり、がっくり肩を落としている。

 

『なぜ、のぞき見していたのですか』

「診療所の帰りに偶然バトルに遭遇しちゃってさ。ツクヨミさんが出てきたから、まぁいいかって見物してたら……いいこと思いついて、バトル終わるのをずっと待ってたんだ!」

『さぞや、ろくでもないことを思いつきになったのでしょうね』

「違う違う。きみに会わせたい人がいるんだよ」

『……誰でしょうか』

「今日から引っ越してくる人。あと10分くらいで、ここに着くよ」

 

(新しい家作ってなかったぞ?)

 ここに移り住む者は、新居を構えることが多い。

 しかし、この半年近くの間。住宅を建てているところを見たことがない。

 と言うことは、四軒ある空き家のどこかに入居するのか??

 

『最近、引っ越しの噂を聞いたことありませんが』

「あ、ラルフくんとぼくたち夫婦しか知らないから」

『……』

「それでー。ひまなぼくが、今から発着場でお出迎えするんだっ」

 

(わざとこっちの神経、逆撫でしにきてるだろ!)

 そう思ってしまうぐらい。親指で自身をさしながら話したミゼルへ。

 エッジは少し間を空けてから、こう返事してやった。

 

『……申し訳ございませんが。お断りいたします』

「えぇ、なんでぇ-!?」

 

(てめえひとりで行けよ!)

 ミゼルは村長を辞めてから、ほとんどミストの表舞台に出てこない。

 忙しいラルフから、出迎えを頼まれたのかもしれないが。なぜ、それに付き合わねばならないのか??

 

 エッジはミゼルが苦手だ。『エッジ』だろうが『ツクヨミ』だろうが、調子を狂わされていらいらする。

 運のいいことに、ミゼルは村長を辞めてから昼間はあまりミストにいなかった。

 自然と顔を合わせることも減って、ほっとしていたのに。

 

『僕は部外者です。新しい住民の方を紹介してあげるなら、ミストのみなさまが先でし』

「——まあ、そう遠慮しないで!」

『っ!?』

 

 お断りの理由を述べている最中にもかかわらず。ミゼルが右腕を強くつかんできた。

 

『っ、離してください』

「まあまあ」

『お辞めください……!』

「いいじゃん、ちょっとぐらい」

 

 ミゼルの手を振り払い、拒絶しても。また腕をつかもうとしてくる……。

 

 —— —— ——

 それから発着場に行く行かないの攻防戦が続いた。

 決着がついたのは、3分ほど経った頃だった。

 

『あっ、小人にして運べばいいんだ! 【……』

『!?』

 

 魔法を人に使ってはならない。ミストにそんな法を作った張本人のくせに。

 ミゼルが脅しを掛けてから、本当に小人魔法ミニマムの詠唱を始めた。

 

『わ、わかりました! お付き合いいたしますから! 詠唱をおやめください!』

 

(小人にされてたまるか!!)

 覚えたばかりの魔法を試そうとしたのかもしれないが、そんなのごめんである。

 エッジは白旗を上げて、ミゼルに軍配が上がった。

 —— —— ——

 

(くそ、白アドニスめ……!)

 ミゼルは白魔法講座に欠かさず通っている。

 なぜかケアルより、先に状態異常魔法の習得に勤しんでいる。

 そのため住民から『白アドニス』と揶揄されていた。

 

§

 

 エッジはミゼルと共に、黙々と発着場への道を歩いていた。

 

(あー、うっとおしい……!!)

 隣を歩く男が、ちらっちら、ちらっちら何度もこちらを見てくる。

 視線が気になって仕方がなく、いらいらしていた。

 

「ねえ、どうしたの?」

『……』

「無口に拍車がかかってるよ?」

 

 無言に耐えられなくなったのか。『ツクヨミ』へのご機嫌伺いか、何なのか知らないが。

 口を歪ませて不満を露わにしているのに。ミゼルが話しかけてくる。

 

「あっ、これから自己紹介だから緊張してるんだ!」

『……』

 

 エッジは無視を決め込み、先を進む。

 

(うるっせえんだよ!)

 1000歩譲って付き合ってやるのだ。黙って歩いてろ。

 そう言いたくても、『ツクヨミ』では言えない。

 そもそも、この男に何を言い返しても効かない。

 

「……ツクヨミさん。もしかして、ぼくのこときら」

『——はい』

「っ……やっぱり嫌いなんだぁ」

 

 嫌いとも言わせてもらえず。ミゼルは心底がっかりしたような表情を見せたが。

 すぐに神妙な表情に変わり、エッジにこう言ってきた。

 

「……さっき、ショックだったでしょ」

『え?』

「ここに、リディアさんのことを嫌ってる人がいるってわかってさ」

『はい……非常に残念です』

「まあ、相性があるからね。そんな人もいるよ」

『それはわかっておりますが……』

 

 全人類から愛される人間なんか、この世にいない。

 ミストの一部の住民が、リディアを嫌うのは仕方がない。

 ミゼルが言いたいことはわかる。

 わかるが、好きな女をああまで言われて腹が立たない者はいない。

 

(リディアがまるで疫病神みてえなこと言いやがって……!)

 『リディアがいたから』、キロンたちが悪事を働いた。

 あの主婦どもが、そんな認識を持っていたことが許せない。

 

「あの人たちに、仕返ししちゃだめだよ?」

『……どういうことでしょう』

「本当に性格悪い人たちだけど、キロンさんたちとは違うからね」

 

(悪口だけでやる訳ねえだろ。ばかにすんなよ!?)

 心の中でミゼルへ、そう言い返した。

 

 リディアの悪口を言った相手に、その都度報復するかもしれない。

 この男はそう思い込んでいるようだ。

 

『……そんなこといたしません』

「そう? ならいいんだけどさ」

『リディアさまに、いいご友人がいてよかったです』

 

 ミゼルに腹を立てたものの。正直なところ、あの場にアリサ母娘がいなかったら。

 殺気を飛ばして、あのふたりを気絶させていたかもしれない。

 

 あの女が主婦どもに反論していたし、『ツクヨミ』を珍しく励ましてくれた。

 それで、ほんの少しだけ溜飲は下がったし、報復する気は怒らなかった。

 

「そうだね。ミネルバやエライアじゃ、あそこまで仲良くなれないから」

『それは、おふたりがミストご出身だからですか?』

「うん。ぼくもだけど、どうしても召喚士の影がちらついてしまうんだ。でも、移民の人たちはそうじゃないでしょ」

 

 ミゼルの言葉に、エッジは反論する術を持たなかった。

 

 —— —— ——

 移民は先住民より、先入観を持っていない。

 なぜなら現在ミストの人口は、移民が大多数を占めている。

 彼らはゼロムスの戦いが終わった後。

 はじめてミストという村、召喚術や召喚士の存在を知った者が多いから。

 

 先住民よりも移民の方が、ひとりの人間としてリディアを見て、付き合うことが出来る。

 ミゼルは、そう言いたいようだ。

 —— —— ——

 

(くそっ、普段腹が立つことしか言わねえのに……)

 今日のように、ミゼルはたまに要所要所で的確なことを言う。

 それがまた、おもしろくない……。

 

「その人たちがリディアさんに持つ印象は、ただの若い娘にしか見えなかったり、魔法に憧れたり、まあ、てんでばらばらだ」

『それが、アリサさんや……ライザさんですか』

「そのふたりは特に顕著だね」

 

(あの女は魔法を、料理や掃除とか技能のひとつにしか見てねえからな)

 アリサは、リディアをただの若い娘として接する者。

 ちゃっかりしていると言えばいいのか。長男と同じように、魔法面でパシリに使うこともある。

 

 ライザは、リディアのファンを自称していた。

 それぐらいには、リディアは憧れの存在であり、目標だった。

 

 黒魔法と召喚術を使いこなせる、リディアに近付きたい。助けになりたい。

 そう思って、白魔法を覚えようとしていたのだろう。

 その点においては、ミストの子どもたちと似ている。

 

「ただ、リディアさんをよく知ろうとしない人たちにとっては、崇拝や嫉妬対象になっちゃうんだよなぁ……」

 

 崇拝は、キロンをはじめとした西区画の住民たち。

 嫉妬の代表格が、先ほどの北住まいの主婦ふたり。

 どちらも、リディアの背景しか見ていない輩である。

 

(さすが、村長をつとめただけあるな……)

 普段からミゼルは、リディアとその周囲を冷静に観察している。

 彼の話を聞いているうちに、それがよく伝わってきた。

 

「さっき、アリサくんも言ってたけどさ。きみがブレない限り、ここの空気は変わらないから、心配しなくていいよ」

『そうだとよいのですが』

「たまには信じてあげなってー。口は悪いけど、ここで誰よりも素のリディアさんを知る子だよ?」

『はい……』

 

 ミゼルから肩を叩かれながら諭されてしまった。

 普段人をけなさない男でも、アリサのややよろしくない評価——毒舌——は外せなかったようだ。

 

『話は変わりますが。ここ数日の新聞をお読みになりましたか?』

「……X以外、みんなひどいもんだ」

『さすがですね』

 

 新聞と聞いた途端。ミゼルの表情が暗くなったように見えた。

 

(やっぱ全部チェックしてたか)

 ミストは以前、閉鎖的な村社会を築いていた。

 この男はその反省から、世界情勢を逐一知る努力を欠かさないでいた。

 村長を辞めてからも、新聞(ほぼ全紙)を読む習慣を続けているようだ。

 

「言論の自由があるから国王批判はいい。けど反論できない人物を利用するのは卑怯だ」

『僕も同意見です』

「……近いうちにバロンとファブールと共同で、抗議と謝罪文を載せろって要求するらしいよ」

 

 ラルフはその打ち合わせで、本日バロン城に行ったという。

 それを聞いて、エッジはほっとした。

 

(1週間も経ってねえのに、早ええな)

 バロンとファブール、ミストで、X以外の全ての新聞に抗議した方がいい。

 徹底的に追い詰めないと、新聞社どもは今後も何かにつけて調子に乗る。

 数日前。エッジは、セシルとヤンにそんな忠告めいた書状を送っていたのだ。

 

『先ほどの方たちは、新聞に乗じて吹聴を始めたのでしょうか』

「だろうね。『新聞もこう書いてる』って言って私怨をぼやかせる。まあ、さっきは嫌いってはっきり言ってたけどさ」

『リディアさまのどこが、そんなに気に入らないのでしょう……』

「いろいろあるんだろうけど、若さに飢える年頃だから、うらやましいんだろうね」

『不老不死など、何もいいことないと思いますが』

「きみに賛成。死が待ってるから、人間はいろんなことが出来るんだよ」

 

 人間、いつ死ぬかわからないから。それまでに出来ること、やりたいことをやれる。

 人間の原動力は死。——ミゼルは火事をきっかけに、そんな教訓を得たのかもしれない。

 

 実際にミゼルは村長を辞めるまで、時間をとても有効に使っていたような印象がある。

 今は、どこかにふらふら出かけているが、ミストのかたつむり状態だった頃に比べたら。

 彼は充実した日々を送っているようにも見える。

 

§

 

「……ここだけの話なんだけど、聞いてくれるかな」

『はい?』

「もし、リディアさんが戻ってきてから——」

 

 誰にも話していない、自身の予想。ミゼルがそう前置きしてから。

 リディアが帰還した後に起こりうる可能性を、『ツクヨミ』に話してくれた。

 

 神妙な表情で語られるそれは、悲観的な未来。

 エッジははじめ、反論しようとしたが、話を聞くうちに有り得ない話ではない。

 最終的にそう納得させられてしまった。

 

「新聞がこぞってあんな主張をしたから……」

 

 最後にミゼルは悔しそうな表情で、話を締めくくった。

 

「嫌な話で、申し訳なかったよ」

『いいえ、おっしゃってくださってよかったです。しかしながら、ミゼルさんは考えすぎだと思います』

「これぐらい予想しておかないと怖いんだよ。リディアさんは、背負ってるものがあまりにも大きすぎる」

 

 ミゼルがそう言ってから、肩を落としながら歩き続ける。

 その様が、エッジにはひどく悲しそうに見えた。

 

 ミストでただの一住民として、平穏無事に暮らしたい。

 幼なじみの忘れ形見。そして、妹分のそんな望みをかなえてあげられなくなりそうで不安なのだろう。

 

§

 

 それから、エッジたちはしばらく無言で歩いていたが。

 ようやく集落の南にある発着場に到着した。

 その途端、ミゼルの表情が一転して明るいものに変わった。

 

「あれだよ。ちょうどいい時に着いたな……!」

 

 ミゼルが指で示した方向へ視線をやれば。巡回艇が着陸しようとしている。

 じきに、そこから新しい住民が降りてくると思われる。

 

『どちらのご出身なのですか』

「トロイア。家族3人だよ」

『……そうですか』

 

(珍しくもなんともねえな)

 ミゼルの答えを聞いて、特に思うことはなかった。

 トロイアからミストへ移り住む者も、そこそこ多いのだ。

 

「今日引っ越してくる人は、リディアさんのつよーい味方になってくれるよ。まあ、きみには及ばないけどね」

『どういうことでしょう?』

「降りてきたらわか……あっ、来た来た!」

 

 ミゼルが途中で言葉を切って、浮き足立ったような声を上げた。

 続けて、遠くたたずむ巡回艇に向かって両手を上げて、ぶんぶん横に振り始めた。

 

「おーい! こっちだよぉー!!」

『え……っ!?』

 

 巡回艇の方向へ視線を移した瞬間。エッジは目を丸くした。

 

(あいつら!!)

 巡回艇から降りてきたのは、女性と女の子がふたり。

 3人ともリディアはおろか、『ツクヨミ』とも関わりがあった。

 

 すぐさま『ツクヨミ』がここに連れてこられた理由と。

 ミゼルが先ほど『リディアさんのつよーい味方になってくれる』と言った意味に気付いた。

 

「みんな、おかえりー!!」

『っ、ミゼルさん』

「うわっ!」

『どうして、あの方々が……!?』

 

(まさか、こうなるようにおまえが仕向けたのか?)

 3人に手を振るミゼルの肩をつかみ、彼を問いただした。

 

「今日から、またミストの住民なんだよ。——今度は『3人』だけどね」

 

 黒眼鏡で隠れていても、ミゼルが笑っているのがはっきりわかる。

 

「しろぎつねさんだぁー!!」

 

 女の子の片割れが『ツクヨミ』のあだ名を呼んでから。

 他のふたりを置き去りにして、駆け足でこちらに向かって走ってくる。

 

(『ツクヨミ』のこと、覚えていてくれてたのか……!)

 エッジは顔を見ないよう、視線をずらしながら。女の子を迎え入れる態勢を整えたのであった。

 

 

——それから数時間後

 

 

 エッジはミストを発ってから、いつものように幻獣の洞窟に向かった。

 いつもは正宗も背負うところ。しかし、本日は村雨だけを斜めに背負って。『ツクヨミ』の姿のまま洞窟の中に入った。

 少々時間はかかったが、半刻ほどで洞窟の最奥エリアに辿り着くことが出来た。

 

§

 

 更地と化した、エリアの中央——転送盤があった箇所——に腰を下ろす。

 ここはモンスターが現れないので、警戒する必要はない。

 この春。ここを訪れた時に置いたカミツレの花は、既に跡形もなく消えている。

 

「……よう、リディア」

 

 墓に語り掛けているような気分になるが、まだリディアは死んでいない。

 

 コートの中から20センチほどの包みを取り出す。

 包んでいた布をめくれば、花の香りがうっすら漂ってきた。

 それと同時に、顔を出したのはくすんだ紫色の花輪。

 

 リースとも呼ばれるそれは、薫衣草を乾燥して作られたもの。

 コートの中に忍ばせていたのに、ぐしゃぐしゃになっておらず、ほっとする。

 

 洞窟の中でのモンスターとの戦闘。どうしても、エッジのスタイルでは、このリースが崩れてしまう。

 そのため、本日は護身用に村雨だけを背中に背負って。煙玉ととんずらを連発。

 モンスターとの戦闘を回避しながら、ここまでやってきた。

 

「これ、置いといてやるからな」

 

 リディアに見立てた跡地に声をかけながら、リースをそっと置いた。

 リースは、ミストの発着場で会った人物から託されたものである。

 

 —— —— ——

 ミストを去った以降。その人物はリディアが幻獣界から帰ってこないこと。

 『ツクヨミ』がこの洞窟に通っていることなど。

 ミゼルを通じて、逐一ミストの情勢を教えてもらっていた。

 

 ミストに引っ越しが決まってから。ツクヨミに届けてもらうために、リディアが大好きな花。

 そして、現状と花言葉がぴったりな薫衣草を選び、リースを作ったという。

 —— —— ——

 

「あいつらは気合い入れて帰ってきたが……おまえは……」

 

 その人物たちとの再会は、エッジに複雑な感情をもたらした。

 

 ミゼルの言葉——リディアの味方——は言い得て妙だと思う。

 特に『ツクヨミ』にリースを託した人物は、リディアの力になってくれるだろう。

 

 エッジ自身、彼女たちは嫌いではない。ミストに戻ってきて嬉しかった。

 その一方で……悔しくてならない。

 

(なんで、あいつは幻獣界なんだよ)

 仮に、現在リディアが地上のどこかにいるのなら。

 いろんな手段を使って、最低でも居場所と動静を知ることが出来たと思う。

 けれど、幻獣界は地上と違う。

 足を運べず、連絡交換も出来ず、リディアがどうしているのか何もわからない。

 

 エッジがリディアと出会ってから、10年以上が経過した。

 これまでどんな形でも、リディアと接触を図り続けてきた。

 それが生まれて初めて、2年近くも音信不通。死ぬまで、これが続くのかと思うと……。

 

「……えに、会いたい……」

 

 思わず、弱音を吐いてしまった。

 

 最近ここにやってくる度に、こうしてよく後ろ向きなことをついこぼしてしまう。

 ここは誰もおらず、リディアが一番身近に感じられる場所だから、尚更。

 

 リディアが地上に戻ってこなくなってから、2年近く経った。

 にもかかわらず、何の動きもないことから。エッジはこんな予想を持つようになった。

 リディアは、アスラのあずかり知らぬところで囚われている。

 幽閉されていると知れば、アスラが黙っていられる訳がない……。

 

「!?」

 

 感傷に浸りかけていたら。地面に置いたリースが、視界からぱっと消えてしまった。

 顔を上げれば、リースがふわふわ宙に浮いている。

 

「あぁ……これも強いな……」

 

 突然、目の前に赤いローブを羽織った者が現れた。

 そして、手にしたリースを見ながら何かつぶやいている。

 

 顔はフードで覆われていて見えないが、声からして、男。エッジはそうあたりをつけた。

 リースが浮いたように見えたのは、男が姿を隠した状態で手にしていたからだろう。

 

『——誰だっ!!』

 

 その場で立ち上がりながら、背負っていた村雨を引き抜くと。

 男に刃の切っ先を向けて『ツクヨミ』の声で叫んだ。

 

「私は殺せない」

『!?』

「君に危害を加える気はない。今すぐ、刀を納めなさい」

 

 男に『自分は人間ではない』と遠回しに言われた。それに続き、やんわり納刀を要求される。

 

『……』

 

 少しためらったが、渋々村雨を背中のさやに納める。

 すると、男がそれでいいとばかりに頭をうなずかせた。

 

「初めまして……かな?」

『普通、初対面の相手にはそう挨拶するものです。幻獣界の方々は挨拶の仕方も知らないのですか?』

「うーん、そういう訳では……」

 

(訳わかんねえこと言いやがって。つーか、こんな奴いたか?)

 どう挨拶していいか悩んでいるのか。首をかしげる男を訝しげににらむ。

 幻獣界には何度も足を運んだことがあるが、こんな人物を見た記憶がない。

 

『挨拶はどうでもよいです。僕に一体何の用ですか?』

 

 それよりも驚きなのが、幻獣界の者が目の前に現れたこと。

 バロンの赤い翼も月に2回、この洞窟を訪れているのに。

 幻獣界の者と会った。一度もそんな話を聞いたことがない。

 

 エッジは警戒を解かずに身構え続ける。この男は、敵か味方か、どちらなのか。

 しかし男の正体を知るようになるまで、そう時間はかからなかった。

 

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