フェイクラバーズ 作:かえで
——数分後
地底世界は昼夜関係なく、赤い海——マグマがぐつぐつ煮えたぎっている。
そんな世界の西端に浮かぶ小島には、大きな穴が開いている。
大人がふたり通れるぐらいのそれは、異世界につながる洞窟の出入り口であった。
「——ミトラさん!! 入れてっ!!」
リディアが血眼になりながら、その穴に向かって何度も拳を叩きつけている。
しかし、どれだけ訴えても。異世界の番人を名指ししても。
洞窟の周辺に張られた結界は解除されることはない。
『リディアさま、落ち着いてください!』
「ねえミトラさん! どうして入っちゃだめなの!?」
『アスラ様はあなたを拒絶した訳ではありません! すぐの帰郷を望んでおられないだけです!』
エッジは、リディアを強引に洞窟の入口から引きはがした。
(あいつらから何も聞いてねえのか!)
リディアは、洞窟の外にエッジと共に飛ばされてから。幻獣界に帰ると言ってきかない。
パニック状態に陥っているのを見る限り。ろくに事情を聞かされないまま。
リヴァイアサンの元から連れてこられたようだ。
「だからって、放っておけないっ!」
『お気持ちはよくわかります。まず、話を』
「——邪魔しないでっ!!」
どん!
『っ!!』
リディアに思い切り突き飛ばされてしまったが、なんとか後ろに踏みとどまった。
「ミトラさん!! そこにいるんでしょ?? 開けてよっ、開けてったら!!」
リディアはエッジに謝るどころか。まるで、いない人扱い。
再び洞窟の入口に寄りかかり、見えない壁をどんどん叩き始めた。
ミストや地上を捨てた。傍目からそう思われても、おかしくない。
それぐらいには、今のリディアは幻獣界のことしか頭にない。
そんな彼女を視界に入れながら。ほんの少しの間、エッジは思考を巡らせた。
リディアをなんとか落ち着かせなければならない。例え、それが荒療治だとしても。
「ねえ! ミト」
『——いい加減になさってください』
ぱちん
「っ……!」
エッジは腹をくくり、リディアの身体を強引にこちらに向かせた。
そして、目を決して見ないように彼女の右頬を叩いた。
『落ち着きましたか?』
「はい……」
リディアが頬を手で押さえて、顔をうつむかせながら返事をしてくれた。
ばつな悪そうな声を聞く限り、我に返ってくれたようだ。
『無礼を働き、大変申し訳ございませんでした』
「いえ……」
『では、改めてお伺いします。——これから、どうなさいますか』
「これから……?」
ここまでの経緯説明ではなく、今後どうしたいのか。リディアに確認してみた。
『どうしても喧嘩を収めたいのでしたら、今すぐバハムートを召喚して、幻獣界にお帰りになったらいかがでしょう』
「そうだね。バハムートなら入れるかもしれない……!」
『ならば。いっそのこと、そのまま幻獣界でお暮らしになった方がよいかもしれませんね』
「っ……!?」
永住前提での幻獣界への帰還を勧められて。リディアがひゅっと息を呑んだ。
(そんなもん、オレが本気で勧める訳がねえだろ)
リディアの心の底から、本音を引き出す。そのために、カマをかけているだけだ。
『幻獣王や住民のみなさんは大喜びされます。アスラ様も折れて下さるでしょう。二度と夫婦喧嘩も起こらないでしょうね』
「……わたしに、ミスト捨てろって言うの!?」
『ミストは、何とでもなりますよ。元々あなたがいない前提で復興を始めたと聞いております』
「……」
『今、地上では「リディアさまは、地上を見捨てて幻獣界に永住された」と言う説も流れておりますしね』
リディアは、心ない風評に晒されている。エッジはそんな現状を正直に伝えた。
「そ、そんなこと一言も言ってない! 考えたことない!!」
『実は、あなたが幻獣界にお帰りになってから、地上は1年と10カ月過ぎました』
「……うそ」
約2年前に、リディアが幽閉されてから。幻獣界は大幅に時間速度を落としていた。
『この2年近く、誰もあなたや幻獣界の意志を一切確かめることが出来ませんでした。そういった憶測を立てる者は嫌でも出てきます』
「それでも」
「——残念ながら、ミストでも似たようなことを言い出す住民の方が現れております』
「そ、んな……!」
ミストでも風評が立ち始めている。それを知り、ショックを受けたのだろう。
リディアがますますうなだれてしまった。
この先、困難に立ち向かう精神力がなければ。地上やミストで暮らすのは厳しい。
もっとも、ミストで風評に染まった住民はたかが知れているが、今はあえて伝えなかった。
『地上に比べて、幻獣界はどうでしょう』
「……」
『あなたに住民になって欲しいと望む方ばかりです。あなたに厳しいことをおっしゃる方もいらっしゃらないようです。地上よりも、幸せに暮らせるのではないでしょうか』
(よくもまあ、心にもねえことぺらぺらしゃべれるぜ……)
エッジがそう自嘲しながら、幻獣界への永住を促すと。
リディアがうつむいたまま「……ツクヨミさん」と小さな声で名を呼んできた。
『はい?』
「ツクヨミさんは、わたしが幻獣界に帰っても……怒らないの?」
『あなたが幸せになりたいと思って望んだことなら、止めませんよ』
「そう、なんだ……」
リディアへの返事は、半分本当で半分は嘘だ。
好きな女のためなら、エッジはいくらでも手助けする。
ただし、幻獣界でずっと住む。そう言い出したら断固反対する。
何にせよ、リディアは何があろうと『幻獣界で生きていく』なんて言う訳がない。
エッジはそう思っていた。
「……ます」
『リディアさま?』
「幻獣界に帰って、あっちで暮らします」
『!』
リディアが何か吹っ切れたかのように。はきはきとした声で答えた。
それを聞いて、頭をぶん殴られたような衝撃を受ける。
(嘘だろ!?)
カマをかけようとして、わざと厳しいことを言っただけなのに。
帰るなんて絶対に言わない。そう思っていたのに。
『お、お待ちくだ』
「——今までありがとう。楽しかったってみんなにも伝えてね。【……」
リディアが別れの挨拶をしながら、こちらに頭を下げる。
それから、くるりと背を向けて、何かぶつぶつつぶやきだした。
(やめてくれ……!)
バハムートの詠唱呪文を口にしている。そう気付いた瞬間。
エッジはリディアの背中めがけて、力強く足を踏み出していた。
『——行かないでくれっ!!』
「っ!?」
エッジが『ツクヨミ』らしからぬ言葉遣いで叫びながら。
リディアを背後から強く抱きしめると、詠唱がぴたりと止まった。
『っ、幻獣界で暮らすなんて……絶対に許しませんっ!!』
「でも、さっき帰れって」
『——あなたから本音を引き出すための嘘だっ!!』
大声で叫ぶことで、今の状況を招いた自身を戒めながら。リディアにカマをかけたことをバラした。
それぐらいには、エッジはこの時必死だった。
『この2年、僕はあなたがいつか帰ってくると信じて待ち続けました。一方で、あなたが何をしているのか……生きているのか……死んでいるか、何もわからず……ずっと不安でなりませんでした』
「っ、ツクヨミ……さん」
『あなたがいない世界に……もう……耐えられない……っ!』
エッジは、あごをリディアの頭のてっぺんに当てながら。
くぐもった声で、2年間抱えていた思いを吐き出した。
それから、手探りで探し当てたリディアの右手に、自身の右手を重ねて強く握りしめる。
抵抗する素振りも見せず、されるがまま。そんなリディアに甘えて。
行くな、喚ぶな、逃げるな。
どこでもいい、地上で生きてくれ。
エッジはしばしの間、そのままの姿勢で。そう強く請い願っていたら……。
「ごめんなさい」
『……はい?』
リディアが謝罪の言葉に続き、やんわりとエッジの身体を引きはがすと。
こちらを向き直して、なおもこう続ける。
「幻獣界には帰らないよ」
『え……』
「あのね。わたしも嘘ついたの」
『う、そ……?』
「だって……ビンタで目が覚めてたのに。ツクヨミさん、帰れ帰れって突き放してくるから……」
決まりが悪そうに、リディアが小さな声で言い訳を口にして。
エッジは一体何をされたのか、すぐ察した。
『もしや、リディアさま……』
「はい?」
『僕を……カマにかけたのですか??』
「うん。仕返ししたの」
恐る恐るたずねてみれば。リディアが悠々とした声で反撃を認めた。
「でも、身体張ってわたしを止めてくれて、すごくうれしかった……嘘ついてよかった!」
『ツクヨミ』に引き留められた上に、抱擁された。
声からして、リディアがそう大喜びしているのがよくわかる。
『……よ、かった……です……』
(昔みてえに……カマかけられっぱなしじゃなかったか)
リディアの成長を見せつけられながらも。兎にも角にも引き留めることが出来た。
エッジがそう胸をなでおろした瞬間。頭がくらりと揺れた。
みるみるうちに身体の力も抜けていき、膝をついてうずくまってしまった。
「え、ツクヨミさん!?」
『ぅ、っ……』
「大丈夫?」
『はい……何とか……』
地底の熱気にやられたのもあるが、ここに来てからずっと気を張り続けていた。
リディアの引き留めに成功したことで、気が抜けたらしい。
「地上行こう。このままじゃゆでだこになっちゃう」
『そ、そうですね……』
「——はい、どうぞ」
下を向いていたら、白く小さな手のひらが視界に入ってきた。
か細い小指の付け根には、白銀色の筋。2年前に贈った指輪がはまっていた。
『ありがとうございます……』
「どういたしまして」
こちらに差し出してくれたリディアの右手を取り、おもむろに立ち上がる。
(今、どんな顔でオレのこと見てんだろうな……)
見たくても見られない。リディアの顔を見れないのがつらい。
『呪淫』をかけられた日以来。エッジは、この身を心底恨めしく思ったのであった。
§
エッジはリディアを連れて、小島の端に停めていた国有艇に戻った。
『どうぞそちらにお座りになってください』
「うん……」
運転スペースに入り、リディアに座席への着席を促してから。床下収納庫の重い扉を開けた。
収納庫には、緊急用のびん詰め飲料水10数本。そして、運転手用の毛布が入っている。
一番上には、本日洞窟に持っていかなかった正宗が布にくるまれた状態で寝かせてある。
「何してるの?」
『しばらく刀は必要ありませんから』
「うん、確かに邪魔だね」
(よし、バレてねえな!)
適当に取り繕った言い訳にも。『ツクヨミ』が背負っていた刀の正体にも。
リディアが気付いていないことに、ほっとしながら。
背負っていた村雨を外して、正宗の隣に寝かせるように置いた。
—— —— ——
エッジは『ツクヨミ』で行動する際。身元隠しのために、別の小物を持参している。
しかし、身を護る刀と、秘伝忍術の忍具だけはごまかしがきかない。
特に前者は隠しようがない。
—— —— ——
素人には、どの刀も一緒にしか見えない。それでも、村雨だと気付かれたら一巻の終わり。
『ツクヨミ』は、リディアの前からおさらばしなければならない。
『お飲みになりますか?』
「お水??」
『はい。ぬるくて美味しくありませんが……』
リディアに見えないように、懐に入れていたあるものを収納庫に納めてから。
飲料水のびんを2本取り出して、彼女に見せてあげた。
「じゃあ、わたしが冷やしてあげる」
『あ、魔法を……』
「お水は冷たい方がいいでしょ?」
『そうですね。ありがとうございます』
冷たければ冷たい方が、より美味しく水が飲める。
リディアのそんな申し出に甘えて、収納庫の扉を閉めてからびんを2本渡した。
リディアが氷魔法で、びんを冷え冷えにしてくれている間に。
エッジは自動操縦の目的地を、ひとまずミストに設定して、国有艇を発進させた。
これでようやく、熱い熱い地底世界から脱出出来る。
§
「今……何時かわかる?」
お互いに冷たい飲料水で水分補給を終えてから。リディアが現在時刻をたずねてきた。
地底は岩に覆われている。そのため、昼夜の判断は出来ない。
エッジは、いぶし銀の懐中時計を取り出して、ふたを開けた。
『現在、午後11時半です』
「地底から出たら真っ暗だね」
『ミストは……』
「みんなもう寝ちゃってるよ。ウリエル先生たちも酔っ払ってるだろうから、アテにならないし……」
『そうですね』
「幻獣界に荷物置いてきちゃったし……どうしよう」
リディアが困ったような声でそうつぶやいたことで。
これからリディアをどこに連れていけばいいか。エッジは思案を巡らせる。
—— —— ——
ミストは魔法と召喚術要素を除けば、ごく普通の農村。
一部の住民を除いて、みんな早寝早起き。今頃すやすや眠っているだろう。
エッジなら、泥棒まがいに鍵を開けて、リディアの自宅を開けてやれる。
けれど、深夜のミストにリディアをひとり置いて帰れないから、やらない。
かと言って、このままエブラーナ城に連れていくとなると……。
『ツクヨミ』の姿では面倒ごとになるのが目に見える。
—— —— ——
(やっぱ、あそこしかねえな)
例のふたりなら、夜中でも飛び起きてくれそうだ。
『では、バロン城にお』
「——ツクヨミさん、明日もお仕事?」
(もしかして、こいつ……)
バロン城を勧めようとしたら、リディアに遮られて逆質問された。
『……いいえ、休みです』
「それなら、朝まで一緒にいてもらえない? ラルフさんやアリサは、毎日5時に起きるって聞いてるし、それまで……」
嘘をついたら、リディアから朝までのお付き合いを頼まれた。
この2年もの間。真面目に公務をこなしてきた。
半日や1日さぼっても、ばちは当たらないはず。
『襲われても知りませんよ?』
「違うよっ、そういう意味じゃない!!」
朝まで一緒だと、あんなことやこんなことされてしまう。
リディアはそう警戒しているようだ。
『冗談でございます』
「もうっ……! びっくりさせないで! 変なことだめ! 絶対!」
『はい。かしこまりました』
(今日は襲わねえよ)
エッジは好きな女と2年ぶりに再会して、すっかり性欲が削がれている。
そもそも『呪淫』解除されていない今は、リディアに手を出すつもりはない。
『それでは……お望み通り、朝までお付き合いいたしましょう』
リディアの目を、絶対見てはならない。
エッジは自身にそう強く言い聞かせながら、空いた座席に腰を下ろすと。
隣の席から、リディアが「ありがとう」と朗らかな声でお礼を言ってくれた。
§
『ところで、リディアさま』
「なぁに?」
『アスラ様は、あなたに一体何をおっしゃられたのですか?』
「あ……それがね。幻獣界に来ちゃだめって……言われただけで……」
『それだけですか……!?』
リディアに言い残した、アスラの言葉を聞かされて。
エッジは驚きの声を上げると、リディアが頭をうなずかせた。
「アスラさま、すぐに幻獣王さまと口喧嘩始めちゃって、わたしはミトラさんにアスラさまのお部屋へ連れていかれたの」
『それで、そこにいた僕とあなたを、あの男性が洞窟の外に飛ばしたと』
「うん。だから、何があったのかわからなくて……」
(もうちょい説明してやれよ!!)
エッジは心の中で、アスラたちへ罵声を上げた。
説明不足にも程がある。これでは、リディアがパニックに陥る訳である。
『いつになるかわかりませんが、幻獣界には入れるようになりますよ』
「それ、ほんと?」
『はい。幻獣王たちが心から反省して、あなたの生き方を認めたら、結界を解くとアスラ様はおっしゃってくださいました』
「ああ、よかったぁ……!」
『ラムウとオーディンが、アスラ様の側についてくれましたから、そう時間はかからないでしょう』
「だから、ふたりがアスラさまと一緒にいたんだ」
『お二方とも、あなたは今のままでよいと口にしておられましたよ』
「うん、うんっ……!」
(最初っからこれ話しとけば、カマかけずに済んだのに……ばかなことしちまったぜ)
エッジは自身の行いを悔いるも、カマをかけ合いした結果。
リディアに抱きつくことが出来たから良し。そう考えることにした。
『不安になった時は幻獣を召喚し、現状を聞けばよろしいのです』
「そうだね……あぁ、そうそう」
『どうしました?』
「——ミトラさんは、男の人じゃないの」
『……はい?』
「男でも女でもない、無性の人だよ」
(どっからどう見ても野郎だったぞ……!?)
リディアの言葉を聞いて、内容の強烈さに顔から血の気がさぁーっと引いていく。
『また、ご冗談をおっしゃって……』
「ほんとだってば。ぱっと見は男の人でも、無性の人って結構多いんだよ」
『と、言うことは』
「——あの人もその気になったら、ひとりでたまご産めるの」
『……』
(あの見てくれで、たまご!?)
リディアがそう言って、からから笑い出した。その傍らで、絶句せずにいられない。
—— —— ——
幻獣界の住民は、性欲や生殖機能が低い。
それでも無性なら単体。有性は異性とつがい、子を成すことが可能。
『異世界への誘い』にもそう書かれており、地上でも有名な話だが……。
—— —— ——
「びっくりしちゃった?」
『そ、そうですね……』
竜など、外見が人型でない者が無性ならまあわかる。
しかしあの門番は人型、なおかつ男にしか見えなかった。
そんな者が、たまごを宿して出産するイメージが全く沸かない。
地上の常識とかけ離れた生殖事情に、エッジはついていけない。
『……ここまで何があったか、アスラ様や門番の方からお聞きしましたので、お話してもよろしいでしょうか』
「ええ。ミストのこともぜひ教えてください」
違う意味で頭がくらりとしそうになるのを、ぐっとこらえながら。
ようやく本題とも言える、事情説明に入ったのであった。
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