フェイクラバーズ 作:かえで
『幻獣界の時間では、約1週間前になります。その日、あなたは幻獣の町で、一部の住民に身柄を拘束されました』
「銀の砂時計、投げつけられたところまでは覚えてる……」
『その後、あなたは幻獣王によって「海牢」に封印されておりました』
「……『海牢』??」
『海牢』は、見た目手のひらサイズの水の球。リヴァイアサンにしか使えない術である。
『「海牢」の中は、どこなのかは存じ上げませんが、地上の海の底だと聞いております。そのため、暴走した住民を戒める牢屋としても用いられているそうです』
「それじゃ、わたしは地上にいた……っ!?」
『どうされましたか』
突然言葉を切ったリディアに、エッジはそれとなく声をかけた。
どうやらリヴァイアサンの思惑に気付いたらしい。
「幻獣王さま……! わざとそこに入れたんだ!!」
リディアの怒り交じりのつぶやき通り。リヴァイアサンは確信犯である。
—— —— ——
地上に帰りたい、帰らなければならない。
リディアはそんな意志を持って、定期的に幻獣界へ帰ってくる。
その状態で幽閉しても、幻獣界と地上の時間の流れは、ほぼ同じ。
ズレたとしても、誤差程度にしかならない。
—— —— ——
地上の時間を思い切り早く進ませよう。リヴァイアサンはそう考えて。
幻獣界にありながら、地上の空間——『海牢』に、リディアを封印したのだ。
『アスラ様が、以前あなたから時間のズレの話を聞かされたことがあるとおっしゃられておりました』
「ええ。大分前に里帰りした時に……」
『幻獣王はそれを逆手に取ったのですよ』
「っ、もうっ……! 朗報だと思って話したのに……!」
リディアが頭を抱えて、悔しそうにつぶやいた。
これからは時間のズレを気にせず、里帰り出来る!
当時大喜びで、幻獣王夫妻に時間がズレないコツを話したのだろう。
それを利用されて、とんでもない目に遭った。そうわかれば、悔しくもなるだろう。
けれど、リディアに教えてあげなければならないことはまだまだある。
『僕は今年で26になりました』
「あ、2年経っ」
『——あなたに追いついてしまいました』
「え!?……わたし……歳取ってないの!?」
『はい。「海牢」に封じ込められるとストップ状態になり、解放されるまで意識も身体の成長も止まったままです』
「……おばちゃんが怒っちゃう」
アスラやミトラから聞いた『海牢』の説明を伝えてあげると、リディアがそうぼやいた。
ジャンヌは年齢を異様に気にする。反応が怖いようだ。
『大丈夫でしょう。半年で10年成長した時の方がよっぽどショックだったと思われます』
「……そうかなあ?」
『僕は喜んでおりますよ』
(『オレ』はちっとも嬉しかねえけどな!)
もともとリディアと『エッジ』は、10歳も年の差があった。
それが今回の出来事で、更に差が広がってしまった。
リディアの老化が、2年先延ばしになったのはいいことだが。
エッジが先に死ぬ確率がまたまた上がってしまった。
「ツクヨミさんのこと……年下って思ったことないけど、そんなに嬉しいの?」
『ええ。——もっとも、それ以外ははらわたが煮えくり返って仕方がございませんがね……!!』
エッジは凄みを声ににじませながら、リヴァイアサンたちへの恨みごとを吐き出した。
「っ、そう……だよね……」
声からして、リディアが尻込みしているのが感じ取れた。
よほど『ツクヨミ』が怖かったと見える。
§
その後、ミトラから教えてもらった。そう前置きした上で。
リヴァイアサンが暴挙に出るまでの経緯を、リディアに話してあげた。
—— —— ——
幻獣王リヴァイアサンは、リディアの父親代わりの存在である。
彼は自ら嵐を発生——自作自演してまで、リディアを幻獣界に引き取った。
それぐらいには、リディアを娘以上に溺愛している。
ところが近年、幻獣界の王はとてもつまらない日々を送っていた。
なぜならリディアは、地上——ミストに帰ってしまい、たまにしか幻獣界に帰ってこないから。
§
ある日、不満たらたらな日常を送るリヴァイアサンの元に、数人の住民がやってきた。
『ごくたまにしか、リディアが帰ってこない!』
『リディアいないとつまんない! もう我慢出来ない!』
『幻獣王さま、リディアを幻獣界に引き留めてください』
『住民にしてあげてもいいんじゃないですか?』
住民の抗議を聞いて、リヴァイアサンが喜ばない訳がない。
抗議してきた住民たちは、リヴァイアサンの同志。言い方を変えれば、共犯者である。
今が好機とばかりに、リディアを幻獣界の住民にしようと目論んだ。
問題は、それを阻む唯一の存在——妻のアスラをどうするかだ。
リディアの将来に関して、リヴァイアサンは幻獣界の住民になるべき派。
一方、アスラはどう生きるかは本人の意志に任せるべき派。
夫婦で主張が真っ向から対立していたのだ。
アスラは滅多に怒らないが、怒った時は恐ろしい『鬼』と化す。
夫はその状態の妻に逆らえない。
前回の『鬼』化は、リディアがミストに帰郷する前だった。
『リディアは人として一生を終えたいと訴えて、ミストに帰りたがっています。あなたはリディアの父親代わりでしょう? あの子の望みを無視するおつもり!?』
『鬼』の圧力に負けて、帰郷を容認してしまったのがいけなかった。
リディアはたまに幻獣界に顔を出すだけ。しかも、年を取り、人として死んでいく。
それを指をくわえて見ているだけなんてつらい。つらすぎる。
§
リヴァイアサンは熟考の末、アスラの知らぬ間にリディアを住民にしようと考えた。
『アスラ様、みんなで怒られたら怖くない!』
それをスローガンに、一部の住民と幻獣界の門番ミトラへ。
自身が思いついた、とっても素晴らしい計画を打ち明けて。
次にリディアが幻獣界に戻ってきた日に実行することに決めた。
そして月日が流れて、リディアが幻獣界に帰ってきた。
リヴァイアサンたちは、アスラと接触する前にリディアを『海牢』に封じ込めた。
—— —— ——
『幻獣王たちは、アスラ様に内緒で地上の時間が100年経過するまで、あなたを封印し、地上を遮断し続けるつもりでいたようです』
「ひゃくねん!?」
『僕たちはその頃には全員、確実にあの世ですからね』
「……」
地上が100年過ぎれば、仲間や友人は誰もいない。地上への未練もなかろう。
その頃には、リディアも諦めて住民になってくれるに違いない。
リヴァイアサンはそう考えて、長期間封印することに決めた。
……これもミトラが教えてくれたことである。
『あなたが「海牢」に封じられたのと同時に、幻獣の洞窟の転送盤が撤去されてしまいました』
「撤去??」
『はい。跡形もございません』
「……それって、誰も入れなかったってことじゃない!?」
リディアが驚きの声を上げた。
幻獣界が地上との往来を遮断したのは、今回史上初めてだったことを知っていたようだ。
『シルフたちも入れてもらえませんでした』
「どうして? ヤンと仲いいから?」
『それもあるかもしれませんが、シルフたちがアスラ様に密告すると幻獣王は考えたのでしょう。あの者たちは幻獣王を嫌い、アスラ様を慕っているようですから』
「そういえば、幻獣王さまと一緒にいるところ見たことない……」
『あなたと似たような目に遭って、幻獣王を恨んでいるのです』
「……何があったの?」
ミトラがラムウたちを呼びに行っている間。
エッジは、アスラから様々な幻獣界事情を聞かせてもらっていた。
そよ風といやしを担う幻獣、シルフ誕生にまつわるエピソードもそのひとつ。
—— —— ——
それはもう、むかしむかしのお話。
ある日、リヴァイアサンが地上を訪れた際、ひとりの女性を見初めた。
見た目だけでなく、魂も美しく見えたらしい。
彼女を手元に置いて、永遠の時間を過ごそう。
リヴァイアサンはそう思いついて、すぐにその女性を幻獣シルフに生まれ変わらせた。
ところが、残念なことにシルフは幻獣としての力が弱かった。
それが、地上に更なる不運を招いた。
『同じ種族で一斉行動すれば、幻獣一体分になるぞ!』
リヴァイアサンはそんな理由をこじつけて。自身好みの若い人間の娘を次々とシルフに変えていった。
その結果、大半の女性が恋人や家族と引き裂かれてしまった。
中には、数週間後に結婚式を控えていた女性もいたという。
—— —— ——
「ひどい……!」
『幻獣王には性欲はありませんが、独占欲が異様に強い好色家だとお聞きしました』
「そっ、そんなの関係ないよ!! 生きてるうちに勝手に幻獣に変えちゃだめだよ!」
アスラから許可をもらっていたため。包み隠すことなく、さわりを話し終えたところで。
リディアは呆れと怒りが混ざったような声で、幻獣王の過去の所業を非難した。
『おっしゃる通りです。幻獣王は神ではないのですから、人の生を捻じ曲げるのはいけません』
「……いやな記憶が残っちゃったんだね」
『記憶を完全に失った者も多かったようですが……全員でアスラ様に抗議したそうです』
—— —— ——
リヴァイアサンによって、多くの人間の女性が幻獣に変えられた。
しかし、その時の記憶や、人間でいた頃の記憶が残っていた者が多かった。
シルフたちからの訴えを聞いて、アスラはもちろん激怒した。
過去にも、リヴァイアサンは人間(大半が女性)を度々幻獣界の住民に変えていた。
しかし、人としての命を終えた者や死ぬ間際の者ばかりだったため、問題にされなかった。
まだ人として、地上で生きている若い女性たちを住民にしたのはシルフたちが初めて。
……それも、大半の者が非合意だった。
『今度同じことをやれば、離縁して地上で暮らします!!』
アスラはリヴァイアサンに、そんな宣告を下してから。
リヴァイアサンと縁のない生活を送れるように。シルフたちに専用の洞窟を作ってあげたという。
—— —— ——
「……幻獣王さまは離縁されたくないから、100年待つことにしたんだね」
『アスラ様もそうおっしゃられていました』
「もっと早く教えてくれたらよかったのに」
『あなたが幻獣界を嫌って、離れていくかもしれないと恐れていたのですよ』
「離れないよ。でも、怖くてひとりじゃ幻獣王さまに会えないや……」
(おい! そういうとこだぞ!?)
リヴァイアサンたちをもう許しました。
そんな気配を漂わせているリディアを、とっても不満に思う。
幻獣界は地上の人間が持ちえない特殊な力を持っている。
その力をもって、リディアの意志をねじ伏せて2年の月日を無駄にした。
エッジはリヴァイアサンを許せない。二度とリディアには幻獣界に行ってほしくない。
縁を切ってしまえと言いたくなる。
しかし、当の本人がそんなことを全く考えていないこともよく知っている。
リディアは、それはもう海のように心が広い女だ。
恩人など、情が沸いた相手——幻獣界の者たち——なら、瞬間的に怒るだけ。
そんな寛容さは、良くも悪くもリディアの際立った個性となっている。
『もっと怒ってもよろしいのではありませんか?』
「これでも怒ってるよ……」
『この際、はっきり申し上げます。あなたがされたことは誘拐拉致監禁です』
「はい……れっきとした犯罪です」
『本当ですか? 僕には幻獣王たちを責める気がないように見えますが』
「っ……わたしも『住民にはならない』ってはっきり言わなかったし、不老不死にされなかったし……シルフたちは、今幸せそうだし……」
リディアが背を丸めて、しどろもどろに答えた。
エッジは呆れ交じりの半目で、リディアを見つめる。
(だめだこりゃ)
父親代わりの存在と仲のいい住民が加害者。だから被害者は、これ以上怒れない。
『……』
エッジはさじを投げる前に、わざとらしくため息をついて両手で頭を抱えた。
「どうしたの? 眠くなっちゃった?」
『いえ。そういう訳ではございません……』
「じゃあ、何?」
アスラが夫に厳しい妻でよかった。つくづくそう思う。
オーディンやラムウも、アスラ側についたことだ。
リヴァイアサンは裁きの雷で、びりびりの刑に処せられたり。斬鉄剣でぼっこぼこにされるかもしれない。
(奴にお灸をがっつり据えてくれ! 絶対に、絶対だぞ!!)
エッジは心の中で、アスラたちに主犯格への盛大なお仕置きを切に願った。
それから、両手を離して顔を上げた。
『……ミストのお話に移りましょうか』
「そうそう。おばちゃんやアリサたち元気……??」
ぐぅー
「ぅ、すみません……」
リディアが恥ずかしそうにうつむきながら、お腹を押さえた。
『最後の飲食は、いつだったか覚えていますか?』
「幻獣界帰ってから、お昼ごはん食べたっきり……」
それ以降は、時間を止められていたリディアにとって。
今はおやつも夕食も抜きの状態。お腹も空くだろう。
(ダムシアンにメシ連れてくか)
ダムシアンの城下町は、朝まで営業を続けているお店が多い。
しかし、リディアの外見が目立つのが厄介……。
「ツクヨミさん」
『……』
「ねえ、ツクヨミさん」
エッジが今後の行先を頭の中で再検討していると。
リディアが、名を呼びながら黒いコートをくいくいと引っ張ってきた。
『……ああ、申し訳ございません』
「ここは食べ物積んでないの?」
『倉庫に非常食が備蓄してありますが……』
「それって、スープやビスケットが缶やびんに入ってるんだよね」
『はい。糖分補給にあめもございます』
「あめ!?」
(うわ、やっちまった……)
思わず口にした食品名に、リディアの声が一気に弾んだ。
あまりの食いつきの良さに、余計なことを口走ってしまったと悔いてしまう。
「それ、どんなあめ??」
『さすがに僕もそこまでは……』
「じゃあ、見に行こうよ!」
『いや、あの』
「——ほら、早く行きましょ!」
『はい、かしこまりました……』
リディアに急かされながら、エッジは運転スペースを後にした。
非常食はどうでもいいのが、ありありと見て取れる。
ふたりが向かった先は、国有艇の船体内部にある倉庫。
スペアの飲料水に毛布や医療衛生用品、各種非常食……。
有事や災害時に対応出来るように様々なものが備蓄されている。
好きなものを選ぶよう、リディアに勧めたところ。
まるで宝探しをする子どものように、楽しそうに吟味した結果。
缶入り塩味クラッカー。そして、缶入り果物ドロップを選んだ。
§
運転スペースに戻り、腹ごしらえの時間が始まった。
エッジは既に兵糧丸を口にしているので、何も食べない。
隣に座り、クラッカーをぱぱぱっと食すリディアの様子をひたすら眺め続けた。
程なくして、ついにドロップ缶の封印解除と相成った。
ドロップ缶に入っている味は、りんご、ぶどう、はっか、みかん、ももの全5種類。
「っ、あまーい……!!」
(りんごか……)
缶箱の小さな穴から、ころんと出てきた赤い粒。
それを口の中に放り込んだ途端。リディアが歓喜の声を上げた。
『美味しいですか?』
「うん、とっても!」
『……』
「次は、どれにしようかなぁ……あ、はっかはやだな……」
(はっかも食べてやれよ!)
リディアが缶に描かれている果物の絵柄を見ながら、次に食べる味をチョイスし始めた。
エッジは現在、リディアの顔を見ることが出来ない。
それでも水を得た魚のように、いきいきとしているのはよくわかる。
『本当によかったです……』
エッジは安堵の声をもらした。
目の前で、リディアが甘党至上主義を披露してくれたから。
「不老不死にされてなかったから??」
『そうです。お腹は空かないでしょう?』
「何も食べなくても、生きていけるもんね」
食欲があり、なおかつ甘いものを欲する。
それは、リディアが不老不死にされなかった証左でもある。
不老不死にはされていない。ミトラからそう告げられていた。
抱きしめた時に、胸の鼓動も感じた。にもかかわらず、エッジはどこか不安でならなかった。
『……僕だけではございません。ミストのみなさまも、あなたと親しい仲間の方々も。既に不老不死にされていないかと、とても心配されておりました』
「そこまで……??」
『はい。あなたが帰ってこないと報せを受けて、ラルフさんがすぐにその可能性を推測されていました』
人が不老不死になった場合に生じる、様々なデメリット。
ラルフが予想していたそれを、リディアに教えてあげることにした。
不老不死になりたくない。ますますそう思うに違いない。
『食事も排泄も入浴も必要ないと話しておりました』
「トイレはいいけど、お風呂もごはんもないのはつまんない……」
『睡眠欲や性欲も大幅に減るかなくなるか、更に五感に狂いが生じて、おそらく嗅覚と味覚は消えるとも』
「……楽しみなくなっちゃうよ」
『その代わりに病気や怪我はしませんよ』
「それじゃあ、幽霊や精霊と変わんないじゃない」
『そうですね。人から疎まれて妬まれる存在になるかもしれません』
「……」
『よって、不老不死になると地上では暮らせない。ラルフさんはそう心配されておりました』
それどころではなく、本日アスラに確認出来なかったけれど。
ラルフの予想は概ね的中している。エッジはそう思っている。
リディアも同じことを考えているのか。否定する様子は見られない。
「記憶もなくなるかもしれないね」
『シルフたちの話聞く限りでは、その可能性も高いと思います』
「そんなのやだ。それに……これが甘くなくなるなんて、考えられない……」
リディアが、ドロップ缶を目の前に掲げて上下に軽く振った。
中のドロップが転がり、からからっと音が立つ。
『甘党のリディアさまには、死活問題ですね』
「ほんとだよ。住民にされなくてよかった」
エッジは、アリサの言葉を思い出した。
昼間、あの女はくそ主婦どもに『げろ甘党のあの子が受け入れる訳ないわー』と豪語していた。
あの主婦どもも、一応ミストの住民だ。
ラルフの説——不老不死に伴う様々なデメリットを知っていたにもかかわらず。
リディア憎しのあまり、ちっとも信じていなかった。今にしてみれば愚かでならない。
§
その後、エッジはこの2年間に渡るミストの遷移。
リディアに近しいミストの住民の近況を簡潔に教えてあげた。
陰湿な主婦どもや、ここ近日の新聞どもの心ない報道……。
リディアにとって嫌な気分になる話にも触れた。
けれど、絶望や失望したような様子は見せなかった。
アリサやミゼルたちが帰りを待ってくれていたと聞いたからだろう。
「よかった……みんな、待っていてくれたんだ」
『ですから、ご安心してミストにお戻りください』
「はい」
『一時の感情で幻獣界に帰らなくてよかったですね』
「……っ、すみません」
地上に戻ってきた直後の様子をエッジに遠回しに言及されて。
リディアが気恥ずかしそうに頭をうつむかせた。
ミトラの名を連呼しながら。洞窟の入口を何度も叩いていたリディアはもういない。
§
(アレ、もう元に戻ってるだろ)
帰還祝いとして、アレを渡してあげよう。エッジはそう思い立ち、席を立つ。
そして、運転席のそばにある床下収納庫の扉を開けた。
—— —— ——
国有艇に戻ってきてすぐ。
床下収納庫から、びん詰め飲料水を取り出す時に。
リディアに隠れて薫衣草のリース(縮小状態)を収納庫に放り込んでいた。
収納庫の中をのぞいてみれば。飲料水のびん数本の隣に薫衣草のリースがあった。
既に術の効果が切れていて、元の大きさに戻っている。
—— —— ——
(元のまんまだったら、今頃ぐしゃぐしゃだったな……)
リースを懐の中に入れたまま。エッジはリディアを抱きしめていた。
それなのに、型崩れも起こしていなかった。
改めて心の中で、リースは術をかけてくれたミトラに感謝した。
「何してるの?」
『いや、その……』
「喉乾いちゃった??」
『いえ、そうではございません……っ』
リディアに返事しながら、収納庫の底にぐっと手を伸ばした。
リースを拾い上げると、収納庫の扉を閉める。
それからリディアの目の前に立つと、その場で片膝をついた。
「またそれ……?」
『どうぞお受け取り下さい』
「……?」
リディアにリースを差し出すと、遠慮がちに受け取ってくれた。
エッジは座席に再び座り、隣からリディアの様子をうかがうことにした。
驚くか、喜ぶか。それともそのどちらもか。これからどんな反応を見せるか楽しみだ。
「あっ、ラベンダー」
リディアがリースを顔に近付けて、すんすん鼻を鳴らしながら。香りを嗅いでいる。
薫衣草は、彼女が大好きな花。臭いとは絶対言わない。
「薬草園で買ってきてくれたんだ」
『いいえ』
「ツクヨミさんが作ったの?」
『違います』
「じゃあ、どうし」
『——作ったのはライザさんです』
「え……?」
『本日、お嬢さまたちを連れてミストにお戻りになりました』
「!?」
リディアが勢いよくその場で立ち上がった。
両腕を小刻みに震わせながら、薫衣草のリースを改めてのぞき込んでいる。
リディアに着席を促すと、ライザたちがミスト再移住に至った経緯を説明してあげた。
—— —— ——
リディアが幻獣界に幽閉される直前。ライザと娘のベス、ユノは、ミストから去っていた。
夫と夫の母親が、3人を強引に故郷のトロイアへ連れて帰ったのだ。
この時点で、ライザは夫と離婚する決意を固めていた。
先日やっと離婚が成立。ライザは娘ふたりを連れてミストに戻ってきた。
これから3人で、空き家になっていた自宅で暮らすという。
—— —— ——
「本当に、帰ってきてくれた……!」
エッジが説明を終えると、リディアは感極まったのだろう。
上体を大きく前に倒して、リースを胸に抱え込んだ。
『なぜ薫衣草のリースなのか、おわかりですか?』
「ラベンダー好きなの……ライザ知ってる……」
『もうひとつ理由がございます』
「え??」
『花言葉です』
リディアが上体を起こしてから、うーんと唸っている。
花言葉を思い出しているようだ。
「……ツクヨミさん、教えて」
結局、思い出せなかったらしい。
頼りなさげな声で、そうせがんできたリディアに。
エッジは『かしこまりました』と、おなじみの返事をしてからこう答えてあげた。
『「清潔」に「沈黙」。そして「あなたを待っています」』
「っ……!」
リディアがみっつめの花言葉を耳にした途端。
リースを潰れそうなぐらい強く抱きしめながら、嗚咽をもらし始めた。
アスラやミトラのような特殊な能力を、リディアは持っていない。
それでも、リースを通じてライザの思いを受け取ることが出来たようだ。
仮にリースがぐっちゃぐちゃになっても、ライザなら許してくれるだろう。
リディアがこうして戻ってきたのだから。
「……」
『よかったですね』
「……ぅ、んっ」
優しく声をかけてあげると、リディアがぐずぐずしながら何度も首をうなずかせた。
(明日以降のお楽しみにしとくか)
リディアが完全に泣き止むまで。エッジは、その小さな背中をさすり続けながら。
あの女が『 』を宝物にしていることは、内緒にしておこう。
心の中でそう決めたのであった。
——それから2時間後
自動操縦を続けていた国有艇が、真っ暗闇のミストに到着。
このまま発着場に停めたまま、ラルフが起床するまで朝を待つことにした。
リディアと一緒に一夜を明かすのは、約2年ぶりとなる。
「はあ……この姿勢つらい」
椅子に座りっぱなし状態で疲れたらしい。リディアが席を立ち、地べたに腰を下ろした。
『隣、よろしいですか?』
「うん、いいよ。こっちきて」
リディアに手招きされながら、隣にエッジも座り直す。
それから、近況報告を交えた雑談を始めた。
§
雑談から30分ほど経った頃。
「……」
『リディアさま?』
「……」
声をかけてもリディアから返事がない。
隣に視線を移せば、リディアが気持ちよさそうに寝息を立てている。
(寝ちまったか)
会話中に度々目をこすっていたから、じき寝落ちするとは思っていた。
無垢な子どものような、何とも愛らしい姿を見せてくれる。
エッジはそんなリディアに向かって、ふっと笑みをこぼしてから立ち上がった。
(風邪引いちまう)
運転席に向かい、国有艇のエンジンを切ってから。床下収納庫から毛布を取り出す。
リディアの身体にそれを掛けてあげると、その場に膝をついた。
『二度と……おまえに会えねえかと思ってた……』
両手でリディアの両頬を触れながら、そうささやき終えると苦笑する。
(『エッジ』は、おまえと会う予定はねえからいいんだけどさ)
くだけた言葉遣いを使ったものの、やはりセシルの声しか出せなかった。
『おまえは人間だ。幻獣界に暮らしたいって、死ぬまで言うんじゃねえぞ……!!』
半ば脅しにもとれるような口調で、眠れるリディアに念を押した。
リディアは人で生まれたのだから、地上で生を終えるべき。例えそれが、ミストでなくとも。
もっとも、ここまでのリディアを見る限り。そんなに心配する必要はなさそうだが。
(オレも寝とこ)
リディアの右隣に移動してから、壁にもたれかかると。隣の毛布を左手でごそごそ漁り始めた。
リディアの右手を手探りで見つけて、包み込むように握りしめる。
少し温かく、ふにふにしている。
好きな女の手を触覚で味わっていた矢先、固く無機質な感触を感じた。
……その正体は、ペリドットの指輪。
『ツクヨミ』として贈ってそれを、リディアはずっとつけてくれていたのだ。
こちらの世界に、やっとリディアが戻ってきた。
エッジは改めてそれを実感しながら、空いた右手で『短眠の術』の印を結びはじめた。
(片手で結べるように、開発しておいてよかったぜ)
両手で結ぶよりも倍の時間がかかるが、こういう時はとても便利だ。
程なくして、印を結び終えると同時に『「短眠の術」』と唱えたことで。
エッジもしばしの休息に入ったのであった。
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