※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

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これが私の生きる道・2

 

 

(ああ、やっぱり怒ってるよ)

 予想通り、話しているうちに。両隣から不穏な気配が漂ってきた。

 

「……ということがあったの」

「なんなんだよ! くそったれ……!」

 

(幻獣王さま、女性の敵にしか聞こえないもんね……)

 リディアがシルフの誕生エピソードを話し終えた途端。ジャンヌが吐き捨てるような声を上げた。

 

「そんな勝手な奴が、王やっちゃだめだろ。誰だ任命した奴!?」

「バハムート……」

「全く! 幻獣神も見る目ないね!」

「幻獣界や幻獣を造ったから、神って呼ばれてるだけでしょ? 完璧な存在じゃないんだよ」

 

 ミゼルがいつものゆるい言葉遣いで、ジャンヌにフォローを入れている。

 しかし、リディアにはその声が、冷ややかなように聞こえた。

 

 幻獣界で暮らす全ての住民は、特殊な能力。そして、不老不死の身体を持っている。

 中でも、強大な力を持ち、地上に住まう召喚士と契約する者は幻獣と呼ばれている。

 

 —— —— ——

 はるか遠い昔。

 月の異次元の世界に、幻獣神バハムートがひとり暮らしていた。

 彼は青き星に、リヴァイアサンをはじめとした数体の生命体。

 そして、彼らが過ごしやすい異次元の世界を創造した。

 それが幻獣と幻獣界のはじまり。

 —— —— ——

 

 ミストでは長きに渡り、そんな話が語り継がれてきた。

 ただし、リディアが幻獣界からミストに帰郷するまで、それは作り話とされていた。

 同様に、バハムートも架空の存在と思われていた。

 

「あちらさんの辞書には、合意非合意って言葉は載ってないのかな?」

「……いい人もいるもん」

「そりゃ、いるでしょ。でも、肝心要の幻獣王様が問題だから、こうなったんじゃないの?」

「うっ……」

「幻獣界は自分の部屋。リディアさんやシルフたちはお人形……幻獣王様は、人形コレクターと変わんないな」

「!?」

 

 ミゼルが容赦のない比喩で、リヴァイアサンのことをけなした。

 両親代わりの存在を悪く言われて、思わずかっとなる。

 

「っ、何よその言い方! 幻獣王さま侮辱」

「——侮辱されるようなことやったのは、どこのどいつだ」

「!?」

 

 言い返そうとしたらミゼルに遮られて、思わず身をすくめてしまった。

 なぜなら彼の口調が、以前に寄合で見せたキロンたちへのそれと同じだったから。

 

「実際シルフたちも、きみも非合意だったじゃないか。——違うか」

「ち、違わない……」

 

(おじちゃん、すごくこわい……!)

 ミゼルは大抵のことでは怒らない。もともと怒りの沸点がものすごく高いから。

 しかし、相手の意志を無視して幻獣に変えたり。幻獣界に幽閉したり……。

 リヴァイアサンのそんな所業を知り、沸点を超えてしまったようだ。

 

「これぐらい言ったって、あちらさんはどうせ気にも留めないさ。ごみつぶみたいな人間が何かわめいてる感覚でしかないんだから」

 

 村長を辞めて、遠慮がなくなったのもあるのだろう。

 ずけずけと物言うミゼルに、リディアはおののいてしまう。

 

(でも……)

 ミゼルと相反して、ジャンヌがとても大人しい。

 はじめに口を出しただけで、リディアとミゼルのやりとりを黙って聞いている。

 

「それにさぁ、なんでそんなにのほほんとしてられるの? きみ、被害者でしょ?」

「……話聞いた時は……怒ったもん」

「へえ。今は?」

「今はもう……」

 

 またミゼルがキレてしまいそう。

 そう思って、最後——怒っていません——まで言えなかった。

 

 それでも、リディアのばつの悪そうな表情で察したのだろう。

 ミゼルがドン引きしたような表情でこちらを見てくる。

 

「打ち上げ花火だな……」

 

 いたたまれない思いで、じっと身を縮こませていると。

 ジャンヌがぼそっとそうつぶやいたのが、耳に入ってきた。

 

「きみは冷めるのが早すぎる。シルフたちの方がよっぽど怒ってるじゃん」

 

 シルフたちはアスラに抗議した結果。専用の洞窟を造ってもらった。

 今もそこで、リヴァイアサンとほぼ縁がない生活をしている。

 

 確かにミゼルの言う通り。非合意という点では、シルフと自身は同じだ。

 けれど、それ以外は少し違う。リディアはそう思っていた。

 

「だって……シルフたちは……急に幻獣にされちゃったけど……わたし……そういう空気、前から漂ってたの気付いてたし……」

 

 リディアが、ごにょごにょ言い訳を口にするも。

 全く納得しがたいと言わんばかりに、ミゼルは口をへの字にしている。

 

 不老不死にはなりたくありません。不老不死いやです。

 今まで幻獣界のみんなに、そうはっきり意思表示しなかった自分も悪い。

 そう思ってしまうのだから、仕方がないではないか。

 

「自分にも非があるから許したのか」

「許したっていうより……怒る資格ない」

「なんだなんだ、一体……!! その調子じゃ、不老不死にされても『しょうがないよねっ。てへっ』で済ませて終わりだな」

「!?」

 

 ミゼルのとげのある物言いに、リディアは耳を疑った。

 

「ばっ……ばかにしないで! その時はもっと怒るもん!」

 

 親しい者が次々とあの世へ行ってしまう中。ひとり置いてけぼりにされたり。

 味覚がなくなってしまったりするのだ。

 そんな重要な問題を『てへぺろ』のように、軽く済ませる訳がない。

 

「『てへぺろ』はしないだろうけど、恨んだりするようにも思えない」

「っ、それは……」

「いやね、わかってるんだよ。きみのその懐の深さが、幻獣界のみなさまに好かれるゆえんだってのは……わかってるんだけど……これじゃ、怒ってるぼくたちがばかみたいじゃん……」

 

 ミゼルがそう言ってから、両手で顔を覆ってしまった。

 

(『打ち上げ花火』って……もしかして、あたしのこと!?)

 そんなミゼルの様を目にした瞬間。先にジャンヌがつぶやいた意味を悟った。

 一瞬で怒りが収まる自分を、ああ称したのだ。

 

「もういいだろ、ミゼル」

「え、ジャンヌさん……?」

「おばちゃん……?」

 

 ジャンヌが、これ以上文句を言わぬようミゼルを諭した。

 リディアが驚きを隠せないでいると、ジャンヌはなおもこう続ける。

 

「幻獣界はこいつの家で、あっちに住んでる奴らは家族だ。そんな奴らに何されても、こいつは絶対愛想尽かさない。いくら外野がわめいたって無駄だよ」

 

 ミゼルがぽかんとしたような表情で、妻を見ている。

 

(おばちゃんが、こんなこと言うなんて……)

 ジャンヌはこういった場合、以前なら怒り狂っていたはず。

 それが、冷静に夫を諭す側に回るとは……。

 リディアどころか、ミゼルも妻の変節に驚いているようだ。

 

「おまえ、王妃様と話出来たのか」

「あ……え、と。こっちに帰ってくる前に、声かけられただけ」

「そうか」

「幻獣王様に『鬼』の顔向けて、すごく怒ってたよ」

「よかったじゃん。昔も今も、きみがミストに戻ってこれたのはアスラ様のおかげだよ」

 

 ミゼルがアスラを批判しなかったことに、ほっと胸をなでおろした。

 

 幻獣界はあの世界きっての良識者、アスラの存在あってのもの。

 前々からミゼルは、そう言って止まなかった。

 そんな彼が、アスラまでけなすのではないかと少し心配だった。

 

「そ、それより聞いてっ! 新しいことがわかったの!」

「何だよ……」

「幻獣界のひとたちはね。この星と一蓮托生なの」

 

 リディアは、ジャンヌの方をわざと向き直して話題を変えた。

 

(こわいおじちゃんは、もうこりごり!)

 ミゼルはうっすらでも、ラルフから話を聞いている。だから、彼を無視することにした。

 

「どういう意味だい」

「もともとこの星に属しているから、本当の意味で不老不死じゃないんだよ」

「あー、この星が散り散りになったら、やっと死ねるんだな」

「そういうことっ!」

「……それのどこがすごいの??」

 

 ジャンヌが感心しかけたところで。つまらなそうな声が聞こえてきた。

 リディアはぎぎぎと、声の方向へ首をひねる。

 

「ちょっと、邪魔しないでちょうだい」

「完全不老不死でいいじゃん、そんなの……」

「何よ! ラルフさんは喜んでくれたのに……!」

 

 とてもすごい情報だと思って話していたのに。

 それがどうしたとばかりに、水を差してきたミゼルへ。ぷうと頬を膨らませる。

 

(ツクヨミさんと一緒じゃない!)

 昨日ツクヨミ(の中の人)も、淡々とした表情でそのことを話していた。

 なぜ、ツクヨミとミゼルは、こうも冷めきった反応なのか。

 

「ラルフくんは、今からぼくが話すことを知らなかったから喜んだんだよ」

「なに、話って?」

「きみがいない間に、コリオ天文台のお偉いさんが実に興味深い論文を発表しました」

「ああ、アガルトの……」

「そうです」

 

 アガルトに在す、コリオ天文台。

 そこに通えば、世界最高峰の天文宇宙学を学べると言われている。

 

 そんな天文台がある所在地名を、リディアが真っ先に口にして説明不要と判断したのだろう。

 ミゼルが更に話を続ける。

 

「その人は、この青き星が消滅するまでの経緯と年数を予測しました」

「へえ……? 空見ただけでそんなことわかるんだ」

「はいっ。——何年先になくなると思いますかぁ?」

 

 ミゼルがさっと手を伸ばしてきて、質問してきた。

 まるでクイズのようなノリだが、星の寿命なんて今まで考えたことがない。

 

「……100万年ぐらい先かなあ」

 

 適当の適当に年数を答えたら。ミゼルが口を歪めて悪人さながらに笑ってきた。

 これは大はずれの予感がする。

 

「太陽はこうしてる間にも、少しずつ膨張して温度が上がっている。最後に大爆発して、この星も巻き込まれて木っ端みじん。——それが50億年先に起こると発表した」

「ご、ごじゅうおく?!」

「ね? もう完全不老不死でいいと思わない?」

「はい……」

 

(ツクヨミさんも年数を知っていたから、どうでもよさげだったんだ)

 気の遠くなるような数字を聞いて、がっくり肩を落とした。

 ミゼルの指摘通り。完全なる不老不死と言っていいだろう。

 

「そんなにがっかりするなよ」

「おばちゃん」

「あたしたちはその頃、あの世にいるんだ。考えたってしょうがないだろ」

「そうだね」

 

 落胆ぶりを見るに見かねたのだろう。落ちに落ちた肩を、ジャンヌが軽く叩いてくれた。

 そのおかげで気を取り直して、話を再開することにした。

 

「たまごの正体もわかったよ」

「アスラ様に確認出来たの?」

「聞けずじまいだったけど……ミストドラゴンのもので間違いないよ」

「証拠は?」

「幻獣界の人たちは、子どもを作ったら『不死』じゃなくなるんだって」

 

 —— —— ——

 ミストドラゴンは不老不死のはず。なぜ、あの日死んでしまったのか? 

 火災後。そんな謎について生き残った先住民は話し合ったが結局こう結論づけていた。

 

『セシルとカインがとても強くて、ドラゴンの不老不死をぶち破ってしまった』

 

 —— —— ——

 

 それから10年近くが過ぎて。

 先日アスラが、幻獣界の住民の『不死』が外れる条件をツクヨミに教えた。

 それにより、ミストドラゴンが命を落とした真の理由が判明した。

 

「ミストドラゴンはあの日までに、たまごを産んでたの。だから、攻撃を受けて死んじゃったんだよ……」

 

 ドラゴンは火災の前に、たまごを産み落として『不死』の環が外れていた。

 そして、あの日。ミストに向かおうとするセシルとカインの行く手を阻むため。ふたりと戦い絶命してしまった。

 

「……」

「おばちゃん」

「エスタは……おまえやあたしたちに、ずっとそれを隠してたのか……」

 

 ジャンヌが神妙な表情で言った内容は、リディアも引っかかりを覚えたことだ。

 

 ドラゴンがたまごを産んだことも。それに伴い、『不死』の環が外れたことも。

 エスタはそれらを全て知った上で。黙って契約者の役目をつとめていたのかもしれない。

 

 —— —— ——

 ミストドラゴンと契約出来たのは、たったひとり。なおかつ女性召喚士だけであった。

 ミストでは、その召喚士のことを契約者と呼んでいた。

 

 加齢や病気などで、交代を要するとみなされた場合。

 女性召喚士全員で、ミストの洞窟に赴く。

 その中から、ドラゴン直々に新しい契約者を選んでもらう。

 それが長年ミストでの伝統となっていた。

 

 そしてリディアが生まれて間もなく、交代の時期が訪れて。

 エスタが新しい契約者に選ばれた。

 

 エスタが人前で、ミストドラゴンを召喚することはまれにあった。

 けれどドラゴンにまつわる話を、リディアたち他人にはほとんど話さなかった。

 

『ドラゴンと契約者は、一心同体のような関係なの。ドラゴンが傷を受けるとお母さんも傷ついちゃうのよね』

 

 小さい頃、リディアがエスタから聞いたのはそれぐらい。

 ジャンヌやミゼルを含めて、ミストの住民もそれ以外のことは知らなかった。

 —— —— ——

 

「そこまではわからないよ。お母さんも知らなかったかもしれないし、もしかしたらミストドラゴンとお母さんとの間での秘密だったかもしれないもん」

「関係者は全員、あの世だ。真相は闇の中だよ」

「……」

「仮にドラゴンとの秘密じゃなくても、エスタが娘に話せる訳ないじゃないか」

「……そうだな」

 

 ミゼルに説き伏せられて、ジャンヌが納得したような返事をした。

 

 ミストドラゴンは、たまごを産み落としました。もう不死ではありません。

 仮にドラゴンが死んでしまった場合、契約者も死にます。

 ……そんなこと聞かされていたら。

 どうして死ななければならない。契約解消してくれ。

 リディアは泣いてでも、エスタにそうせがんでいたと思う。

 

「あの時は、きみもぼくもジャンヌさんもみんな、ミストドラゴンは不老不死だって思い込んでたでしょ」

「うん」

「エスタも、まさか人の攻撃でミストドラゴンが死ぬとは思ってなかったんだよ」

「……ミストドラゴンもだよね」

「そうだね。勝てると踏んでたと思うよ」

 

 古来よりミストドラゴンは、傷ひとつ負ったことがなかったという。

 そのため、契約者が命の危機に晒されるかもしれない。

 そう考えていた者は、契約者のエスタも、当のミストドラゴンも……誰もいなかったはず。

 

「ごめんね。嫌な話、聞かせちゃって」

「いや、いい……」

 

 ジャンヌが首を軽く振ると、リディアに向かって苦笑交じりに口を開いた。

 

「情けないね。娘のおまえはしっかりしてるってのに……」

「そんなことな」

「——それよりさー、ツクヨミさんって一体何者なの?」

「!?」

 

 ミゼルから不審げな声でたずねられて、ぎょっとする。

 

(どうしてそんなにツクヨミさんの正体にこだわるの……?)

 ミストの住民は、ツクヨミの正体や素顔に全く興味ない。

 リディアですら、彼の正体に気付くまでそのことに無関心だった。

 

 そんな中、ミゼルだけは彼の素顔を知りたがり、お面を外すよう本人にせがんでいた。

 未だに正体を怪しんでいるようだが。今ここで『   です』なんて言える訳がない。

 

「……エブラーナのお城勤」

「それ、ほんとなの?」

「本当だってば。『白狐のツクヨミ』って呼ばれてたの、おじちゃんも聞いてたでしょ?」

 

 『ツクヨミ』は、エブラーナ国内で有名なお城勤らしい。

 薬草園の女主人ウルキが、姿を見ただけで通り名で呼んでいたし。

 エブラーナのケバケバしい奥さま——『青ばら』のボスも、通り名で呼んでいた。

 ミゼルもその場面に立ち会っていたはずなのに。

 

「そうだけどさぁ。きみにも黙ってたような話、アスラ様から聞き出せる人間なんていないよ。——しかも初対面で」

「……ツクヨミさんは聞き出してない。アスラ様が夫婦のお悩みを話してくれたって言ってたもん」

「お悩みぃ?」

「兄さんは相談したくなるような雰囲気醸し出してるからな。打ち明けたくなったんだろ」

 

 異世界の女王様が一介の人間に、お悩み相談したという事実に。

 ミゼルは驚いているが、ジャンヌは納得しているようだ。

 

(おばちゃんは、ツクヨミさんにすごく甘いもんね)

 ジャンヌは、一度ツクヨミに助けてもらったことがある。

 それがきっかけで、彼が言うことやることを盲目的に信じる節が見られる。

 

「アスラさまは、子どもが欲しかったけど。幻獣王さまから拒否されたの」

「単にその気がないだけで、作ろうと思ったら作れるのに?」

「うん」

「幻獣王様もみみっちいなぁ。奥さんの言うこと聞いてあげたらいいのに」

「子どもが出来たら『不死』じゃなくなっちゃうのが嫌みたい。最後まで『王』でいたいって……」

「星の最後を確実に見届けたくて、不老不死のままでいたいんだ」

「歳は取らないけど、いつどこで何が原因で死ぬかわからないから怖いんだと思う……」

 

 リヴァイアサンは『不死』でなくなっても、とても強い。

 誰かに倒されて絶命する可能性は低い。それでも、ゼロではない。

 

 リヴァイアサンは、死のリスクを持ちたくない。

 だから、子どもが欲しい。アスラのそんな申し出を断ったという。

 

「幻獣王様が、女性に目がないのはそのせいもあるんだろうね」

「うん……アスラさまもそうおっしゃってたんだって」

 

 アスラは、自身とリヴァイアサンの間に子どもがいないことを。

 シルフたちの誕生や今回の件が起こった一因に挙げていたという。

 

「……か」

「ジャンヌさん、どうしたの?」

「嫁には我慢強いて、自分だけリスクなしの子作りごっこ……! 王妃様が可哀想じゃないか!」

 

 ジャンヌの指摘通り。リヴァイアサンは代替行為として住民を増やせる。

 しかし、アスラはそれすらも叶わない。

 

 —— —— ——

 リヴァイアサンは、幻獣界で唯一眷属——住民を創造する能力を持つ。

 シルフやオーディンのように、己の意志で人間を住民に変えるか。無から住民を創造。

 そのどちらかで、生殖活動をしなくても住民を増やすことが出来る。

 —— —— ——

 

「女を何だと思ってんだ……!」

 

 ジャンヌがリヴァイアサンへの憤りの声をもらしながら。手にしていた紙コップをぐしゃりと潰した。

 既に中身が空になっていたから、ジュースがこぼれることはなかった。

 

「こらジャンヌさん。紙コップに八つ当たりしてもしょうがないでしょ」

「うるさいっ。それぐらいわかってるよ」

 

(怒っちゃうよね)

 ジャンヌは、女を軽く扱う男を非常に嫌う。

 例えそれが、異世界の王様だとしても関係ない。

 

「アスラ様が上手く収めるよ。今度はラムウもオーディンもいるから、なんとかなるさ」

「……」

 

 自身の口癖を使われてまで、ミゼルになだめられたジャンヌ。

 しばしうつむいて黙っていたが、さっと顔を上げてリディアにこう言った。

 

「それ、もう飲んだろ。——貸しな」

「あ、あぁ……はいっ」

 

 リディアが空っぽの紙コップをさっと手渡すと。

 ジャンヌがそれを受け取ってから、ふっと息をもらしてこう言った。

 

「王妃様が、おまえを本当の娘として大事にする訳だ」

「!」

「今度帰ったら、しっかり親孝行してやるんだよ」

「……うん、そうする」

「捨ててくる」

 

 ジャンヌが笑みを浮かべながら、リディアの頭をくしゃっと撫でてから。

 ミゼルが手にしていた橙の紙コップも強引に奪い取り、ベンチを離れた。

 

(前はアスラ様に、やきもち焼いたりしてたのに……)

 ジャンヌは話を聞いて、アスラがリディアを可愛がる理由を察したようだ。

 先ほどの笑みからは、嫉妬や強がりが微塵も感じられなかった。

 幻獣界、特にアスラのことに関して。ジャンヌがあんな表情を見せたのは……初めてだった。

 

「よかったね、リディアさん」

 

 遠くにそびえる、ごみくず箱に向かって毅然とした態度で歩く。

 そんなジャンヌの後ろ姿をぼんやり見ていると、ミゼルにつんつん肩をつっつかれた。

 

「なにが……?」

「肩の荷が下りて軽くなったじゃん」

「……」

「いやぁー、リディアさんすきすき病が死ぬまで続くかと思って心配してたんだよねー」

 

 ジャンヌはエスタ亡き後。娘にしたがっていたぐらい、リディアを溺愛していた。

 けれど、リディアがいないうちに独り立ちを果たした。ミゼルが遠回しにそう教えてくれた。

 

「ノアのおかげ?」

「きっかけはね。今は子ども……オリバたちとチャンバラごっこしてるよ」

「うん……ツクヨミさんから聞いてる……」

 

 リディアは小さく答えて、そのまま黙ってしまった。

 

 —— —— ——

 現在ジャンヌは体育教師として、子どもたちの体力づくりに勤しんでいる。

 休日も、オリバたちに棒術の特訓をつけているとも聞いている。

 リディアも不在。ノアもミストから去ってしまった。

 その代わり、ミストの子どもたちと触れ合っているうちに、完全に吹っ切れたようだ。

 —— —— ——

 

(あたし、身勝手だ……)

 ノアの出現で、リディアの姉でいい。いつかジャンヌがそう割り切る日が来るだろう。

 前からそう予想していたけれど。いざその日を迎えたら、ちょっぴり寂しく思ってしまった自分がいた。

 

「あとは、たまごのおかげかな」

「……たまご?」

「ラルフくん家に、しょっちゅうたまごをのぞきにいってるんだよ」

「お母さんの気配がするからだね」

「全く、相変わらずエスタすきすき病でさ。あれは死んでも治らないなー」

「……お母さんの最期に会えなかったもん……しょうがないよ」

 

 ミストが火災に遭った日。

 エスタは外でミゼルと立ち話をしていた。命を落とす直前まで。

 ふたりが何を話していたかは覚えていないけれど。

 リディアはエスタにくっついたまま。おとなふたりの話を聞いていた。

 

 その頃、ジャンヌは入らずの森に花を摘みに行っていた。

 火災には巻き込まれず、ほぼ無傷。しかし、エスタの死に目に会えなかった。

 

「……あの人、たまご割れたらどうするんだろう。洞窟に住むのかな?」

「ばか。そんな訳ないでしょ」

「ははっ、まあないと思うけどね」

 

 高い空を見上げて、ぼそっとつぶやいたミゼルをリディアは軽くいなした。

 

 あのたまごは、亡き親友を思い起こさせる気配を漂わせている。

 もしたまごが割れたら。ドラゴンと共に洞窟に暮らすのではないか。

 ミゼルはそんな心配をしているが、杞憂に終わる。リディアはそう信じている。

 

「たまご、まだまだ割れそうにないって聞いたけど……」

「ぼくらが死んでからかもしれないね」

「幻獣のたまごだから、いつになるかわかんないよね」

 

 幻獣界には地上の常識が通用しない。

 これはミゼルやラルフが、かねがね口にしていることでもある。

 エスタが契約者になるもっと前から。ドラゴンは、たまごを産み落としていた可能性もなきにしもあらず。

 

「ジャンヌさんが聞いたら、また怒りそうだけど……」

「え?」

「もしかしたらミストドラゴンは、あの世に行きたいって思って……」

「!?」

「たまごを産ん」

「——ちょ、ちょっと!? 何言ってるの?」

 

 ミストドラゴンは緩やかな自殺を目論んで、たまごを宿した。

 そんな不穏なことを言いたげなミゼルを、リディアは慌てて止めた。

 

「あれ? ラルフくんたちから聞いてない?」

「何を?」

「ミストの雨は、偶然じゃなかったんだよ」

「えっ……それ本当!?」

 

 ミストでは、なぜか月終わりの3日間にしか雨が降らない。

 それが、今年の春にようやく理由が判明したという。

 その理由につながるとされる昔話を、ミゼルが話してくれた。

 

 —— —— ——

 召喚術や召喚士が存在していない、はるか遠い昔々のお話。

 

 1匹のドラゴンが、小さな洞窟の中で引きこもり暮らしをしていた。

 ある日。ドラゴンは洞窟の中で、ひとりの若い女性が倒れているのを見つけた。

 

 迷い込んで力尽きたのだろうか。ドラゴンはその女性を介抱してあげた。

 すると、女性は意識を取り戻してから、こう話してくれた。

 

『助けていただいてくださりありがとうございます。私は、この洞窟の近くにある村の長の娘です』

『若い娘がひとりで辺鄙な洞窟に来るとは……何用か』

『一昨年から村では、2日に1回、雨が降るようになりました。農作物が育たず、このままでは村は滅びてしまいます』

『大変だな』

『父は住民から毎日責められています。父を助けたくて、この洞窟に住むあなたに雨乞いの逆……晴れ乞いを拝みにきたのですが……洞窟の中で迷ってしまったのです』

 

 ドラゴンは、女性の願いを受け入れた。

 そして、月終わりの3日間以外。その村に雨を降らせないようにしてあげた。

 おかげで、農作物は難なく育ち、村の存亡は回避された。

 それ以来、村では洞窟に住むドラゴンを『ミストドラゴン』と呼び、崇めるようになった。

 —— —— ——

 

「……それから女性は、ドラゴンと洞窟で死ぬまで幸せに過ごしましたとさ」

 

 以上は、ミストの月終わりの雨期現象に加えて。

 召喚士の村ミストのはじまりとされる伝承だという。

 

「そんな話、はじめて聞いた……!」

「そりゃあ、ジリアンさん以外誰も知らなかったもん」

「おじいちゃんが……?」

「まあ、ドラゴンもさすがに契約者相手に恋バナしなかったってことだね」

「代々契約者が女の人限定なのって、最初の女の人を引きずってるからなのかな……?」

「かもしれないね。ドラゴンは長い間、その人の影を追ってたけど疲れちゃったのかな。——今、ああだこうだ言っても、全部憶測でしかないけどさ」

「『死人に口なし』だもんね……あっ、おかえり。おばちゃん」

 

 リディアがミゼルとミストドラゴンの話で盛り上がっていたら。ジャンヌが戻ってきた。

 荒っぽく席に座り、その衝撃でベンチが大きく揺れた。

 

「……」

「あれぇー? なにぶすっとしてんのー?」

「別に」

「嫉妬ですかぁー? ニクスにも、ドラゴンにも、エスタ取られちゃったからー」

「……誰がするか」

 

(やっぱりお父さんより、お母さんの方がだいすきなんだ)

 ミゼルに茶化されて、ジャンヌがぶうたれた顔で、そっけなく答えた。

 そこから、彼女の亡き親友への独占欲を垣間見た気がした。

 

「きみがいない間にたまごが割れないか、ぼくはひやひやしてたよ」

「どうして?」

「幻獣のプロがいないのに、誰がどう対応するの? オリバに任せる?」

「え……オリバは、さすがにまだ……」

「でしょ? そのままミストから逃げてしまったら、今までなんだったんだってなるじゃん」

「じゃあ、これからたまごが割れたらどうするの」

「きみが契約するんじゃないの?」

「わたし……」

「おめでとう。子どもミストドラゴンの初代契約者さん」

 

 ミゼルに肩を叩かれてから。しばし黙り込み、幼少時の記憶を辿った。

 

「どしたの、黙っちゃって」

「……契約者がひとりだけっていうの、もうやめにしない?」

「へえ? どうしてか教えてちょうだいよ」

「お母さん、特別扱いされて困ってたから」

 

 —— —— ——

 当時のミストで、最もミストで尊ばれていた存在。それが、契約者であった。

 おまけに、たったひとりしかいないため。契約者の女性は過剰にちやほやされていた。

 

§

 

 後年ジャンヌたちが、リディアにこんな話を教えてくれた。

 

 リディアの母エスタが契約者についてから。自宅に利害目的の来客が押し寄せるようになった。

 頼んでもいないのに、取れたて野菜を届けてくれたり。

 まるでミストドラゴンの分身のごとく。エスタの顔を拝みにきたり……。

 

『リディアが大きくなったら、うちの息子と結婚してあげてちょうだい!』

 

 契約者とは関係ないが、そんな確約をエスタに迫る住民もいたことを。

 リディアもうっすら覚えている。

 

§

 

 エスタは、無駄にもてはやされる環境にうんざりしたのだろう。

 ちょうどその頃。リディアの育児と家事で大変だったため。

 それを理由に『もう、そっとしておいて下さい』と来客をお断り。

 外部との接触を極力控えるようになった。

 —— —— ——

 

「もともとミストには、王さまも女王さまもいなかったじゃない……」

「そうだね。昔は名ばかり村長と権力持ってる人たちが仕切ってたね」

「ポリシー貫きたいなら、出来る限り特別扱いされる要素は減らさなきゃ。——おじちゃんも一緒のこと考えてるんじゃないの?」

 

 契約者というだけで、周囲から蝶よ花よの扱いされる。

 しかも、病気や年老いて代替わりするまでミストに縛られる。脱走なんてもってのほか。

 

 別に王族でもないのに。召喚士、純血、契約者……。

 それだけで普通の暮らしや生き方が出来ないのは、おかしい。

 

 魔法実力主義の筆頭格であったキロンたちは、ミストを追放されている。

 残された西区画の保守系先住民も、すっかり大人しくなった。

 この先、ミストのポリシー——住民は出来る限り平等であれ——を貫くには。

 破格待遇になり得る要素がなければ越したことはない。

 

「そうだよ。きみならそう言ってくれると思ってた」

「たぶん、お母さんやお父さんも……」

「うん。ぼくたちは昔から複数人派。ただ、エスタは契約者に選ばれてから一言も触れなかったけどね」

 

 リディアの訴えに、ミゼルも同調してくれた。

 彼は一部の人間が権力を独占する空気をとても嫌う。賛成してくれると思っていた。

 

「それとね。子どもドラゴンも、他の幻獣たちと同じ契約じゃないとだめだと思うの」

「それも大いに賛成。契約者は人柱のようなものだと昔から思ってた」

 

 大なり小なりジレンマを抱えながら。エスタは契約者をつとめていた。

 ミゼルがそうほのめかしているように聞こえた。

 

「エスタが死んでから、ますますそうとしか思えなくてさ……」

 

 ミゼルが話しながら、ジャンヌを指さした。

 エスタが契約者だったことを。彼女が今は不服に思っているということである。

 

 もっとも、当のジャンヌは明後日の方向を向いているため。

 夫から指をさされているとは気付いていないけれど。

 

「無理矢理、一心同体として縛るような関係じゃ対等とは言えない、か……。リディアさんらしい意見だ」

「親と同じようにしか契約しないって言われたら、こっちも契約お断りでいいと思うの」

「そうだね。帰ったらラルフくんにお願いして、みんなで話し合いした方がいいな」

 

 リディアはミゼルと顔を見合わせ、互いにうなずき合った。

 

 ミストドラゴンのたまご。そう確定したなら、いつ割れるかわからない。

 割れた後に備えてどうするか、早めに対策を考えて決めた方がいい。

 そもそも、子どもミストドラゴン(仮)がミストを守ってくれるとは限らないし……。

 

「でも、どうしておじいちゃんは、そんなお話知ってたの?」

「あの人が、村の役職についてたってのは前に話したよね」

「うん」

「あの人はね——」

 

(『良い家柄』『名門』って感じのお家だったんだ)

 ジリアンの家は、数代ごとに召喚士を輩出していた、いわゆる『名門』。

 代々の家長は、ミストで役職——権力者の立場にあった。

 ジリアンの父親も、もれなく権力者。父親が亡くなり、ジリアンが立場を引き継いだ。

 しかし、彼は書類や文献整理など……自ら窓際業務に回ることで。

 他の権力者と、あえて距離を置いていたという。

 

「文献整理していた時に、それを記した古い文献を読んだことがあったんだって」

「それじゃ、他のことも……」

 

 ミゼルが黙って首を横に振り、リディアの問いを否定してからこう言った。

 

「ジリアンさん、半年前に亡くなった」

「えっ……?」

「ミストの歴史を記した書物は、火事で全部燃えちゃったから、それ以外は永遠に謎だよ」

 

(体調が良くなかったのは知っていたけれど……)

 ジリアンが亡くなっていた。そう聞かされて、複雑な思いに駆られる。

 すると、ミゼルが更に暗い表情でこう続けた。

 

「キロンさんたちがジリアンさんたちを村八分にしたって話、覚えてる?」

「うん。そのせいでおじいちゃんの奥さんが亡くなったって……」

「ミストの未来がどうのこうの、監督不行き届き……それが当時の村八分の理由だった。それが、きみがいなかった間に本当の理由がわかったんだ」

「どんな……理由だったの?」

「駆け落ち事件の前に、キロンさんは誰かから『自分も役職につかせてくれ』って頼まれて、お金ももらっていたんだ」

「……わいろじゃない!?」

「その頃、わいろや裏金は当たり前だった。結果、キロンさんのお仲間が増えていった」

「おじいちゃんが邪魔になったんだ……!」

「そうだよ。どうやって役職から追い出そっかなあーって時に、ジリアンさんの息子さんたちが駆け落ちしたから、ちょうどいいと思ったんだろうね。——残された家族は、権力闘争の犠牲者だ」

「女の人の家族も役職から追い出されちゃったの?」

「そちらは立場が高かったけど役職にはついていなかったよ」

「巻き添えにされちゃったんだ……!」

 

(ひどい!)

 キロンたちのやり口に、腹立たしい思いでしかない。

 駆け落ち事件を利用して、権力闘争をけしかけるとは……。

 しかも、直接ではないが亡くなった人もいる。

 

「……おじいちゃん、わいろのこと知らなかったの?」

「ジリアンさんが亡くなってからわかったんだ。まあ、うすうす察してたかもしれないけどね」

「どうやってわかったの? おじちゃんが調べたの?」

「西に住む誰かが、ラルフくんに密告したんだよ」

「そうなんだね。お金を渡した人や密告した人も誰かなのかわかってるの?」

「わかってるけど、秘密。ラルフくんしか知らない」

 

(おじちゃん、その人たちが一体誰なのか気付いてるかも……)

 密告者やキロンに金銭を渡した者の名前を、ラルフは明かさなかった。

 その理由は、密告者の安全を守るためだという。

 

「息子さんたちやキロンさんたちが聞いたら、怒って相手に仕返しするから……」

「うん。その人は、ラルフくんは信頼出来ると思ってチクったんだと思うよ」

 

 現在も、ミゼルと西区画の先住民との関係は冷えたまま。

 一方、ラルフは彼らに古代語の指導役という役目という名の居場所に与えた

 そのおかげで、西区画の先住民から多大な信頼を寄せられているという。

 

 続けてミゼルは、ジリアンとの関係を改めて詳しく話してくれた。

 

 駆け落ち事件後。女性の家族とジリアンたちは村八分状態に追い込まれた。

 ミゼル(当初はニクスも)は、様子が気になり、それぞれの自宅に顔を出し続けていた。

 しかし、どちらからも門前払いされ続けていたという。

 

「……おじちゃんがゼロだから?」

「後になってジリアンさんが、今まで散々見下していたゼロから同情されるのが嫌だったって教えてくれた」

「女の人の家族も、同じ理由だったのかな?」

「たぶんね」

 

 平行線を辿る日々も、ミストの火災で終止符が打たれた。

 女性の家族は全員亡くなり、生き残ったのはジリアンだけ。

 その直後に行われた、村長決め——キロンとミゼルの一騎打ち——で。

 ジリアンはミゼルに票を投じた。それを機に心を開いてくれるようになったという。

 

「雨降りのはじまりの話は、ジリアンさんが亡くなる前に教えてくれたんだ」

「おじちゃんに?」

「息子さん夫婦を見つけてくれたお礼かな?」

 

 ある日、ジリアンが思い出話に涙を見せた。

 それをきっかけにミゼルはツテを頼り、息子夫婦の行方を捜し始めた。

 それから数年経った、今年の年明け。やっと居場所が判明。

 ミゼルはすぐ移住先のミスリルに赴いた。

 

 ところが、自宅を訪問して事情を説明したものの。ジリアンとの対面を拒否した。

 ふたりとも『あんな村知らない』『勝手に死ねばいい』と冷たいことばかり言う。

 

 もっともミゼルがそれで諦める訳もなく、毎週ミスリルに赴いて説得し続けた。

 結果、今年の4の月明けに、息子夫婦とその子どもがミストを訪れて。

 約20年ぶりに、ジリアンと対面を果たしたという。

 

「よかったね……おじいちゃん」

「それから、ぼくにミストドラゴンの話を教えてくれたんだ……ただ」

「ただ、何?」

「それを話し終えてから、キロンさんたちへの恨み節が始まってね。終わった途端、意識がなくなって……」

 

 うつむきながら話すミゼルから。寂寥とした空虚感が痛いほど伝わってきて。

 リディアは、どう言葉をかけていいかわからなかった。

 

 息子や孫と会えたにもかかわらず。

 最後の言葉、いわゆる遺言めいたものが恨みごとなんて……悲しすぎる。

 

§

 

 これまでの事情を大方話し終えた頃。巡回艇は既にカイポを通過していた。

 程なくして、『間もなくミストに到着いたします』と案内放送が流れてきた。

 

 リディアはベンチを離れてベランダに寄りかかる。ミストの発着場を見下ろしてみれば。

 発着場の中央で住民がたくさん集まり、リディアの帰りを待ってくれていた。

 

 ウリエルや鳩おじさん……。通称呑んだくれおじさんたちが、広げた敷物の上に座っている。

 リディアが帰還する。それを口実に、真っ昼間から酒宴を開いたのがバレバレ。

 

『なんだなんだぁー、もう帰ってきたのか!?』

『もっと遅く帰ってこんかーい!』

『空気読めー!』

 

 リディアが巡回艇のタラップを降りるのを見るなり。

 酒びんを手にしたおじさんたちが、何とも失礼な出迎えの言葉を口々に叫んでくれた。

 リディアのミスト到着をもって、酒宴が終わってしまうのが嫌なのだ。

 

 『マダム』たちも、いつものおしゃべり場を発着場に変えて。リディアを出迎えてくれた。

 ……もちろん、だいすきな親友ふたりも。

 

『リディアおかえりぃー』

 

(最後に見た時は小っちゃかったのに……おしゃべりしてる!)

 口の悪い親友が連れてきた娘が挨拶してくれた。

 呼び捨てなのは、母親の指導の賜物だと思われる。

 

 もうひとりの親友も娘たちと一緒に、リディアに飛びついてきてくれて、涙涙の再会を果たした。

 ふたりの娘たちは身体が一回り大きくなっていた。

 

 ひとしきり再会を喜んだ後。翌日、女3人で集まることを約束してひとまずお別れ。

 ジャンヌたちと墓地と自宅に立ち寄ってから。夕食も兼ねて、彼女の自宅にお邪魔した。

 

§

 

「さて、晩飯作るかね」

「わたしも手伝うよ」

「おまえは今日は休みでいいよ」

「本当!?」

「適当でいいから、ミゼルの相手して待ってな」

「ちょ、適当ってなんだよ!?」

「じゃあ、お願いしますっ」

 

 不満たらたらに文句を言うミゼルをよそに、ジャンヌの勧めに素直に従った。

 

(やったあ!)

 リディアの人格は、2年前から全く変わっていない。

 庶民感覚や上げ膳据え膳精神も絶賛継続中。楽をしていいと言われて喜ばない訳がない。

 

 しばらく、居間机でミゼルと向かい合い。ミストの現状を教えてもらっていたところ。

 

「ローレルのお母さんも、去年亡くなってるんだ」

「……ローレル、それ知ってるの?」

 

 息子たちに逃げられて、よほど精神的にこたえたのだろう。

 ローレルの母親も、ここ数年寝たきりだったことは知っていた。

 

「知ってるどころか、2週間ミスト通い詰め。最期も看取ったよ」

「和解したんだ……!」

「うん。お母さん、いい死に顔だったよ」

 

 ローレルは、母親を放っておけなかったのだ。

 母親も母親で、医者の道半ばの息子に看取ってもらえて幸せだったに違いない。

 

§

 

「わたしが知らないうちに……いろいろあったんだね」

「まあ、いつまでも同じって訳にもいかないでしょ」

「……ステラも小っちゃかったのに、大きくなっ……??」

 

 とんとんと叩く音が聞こえた。リディアは言葉を切ってから、玄関の方を向く。

 

「ジャンヌいるー? 帰ってきたよぉー」

 

(ミネルバ!)

 同僚の女教師だと気付き、さっと台所に視線を移す。

 すると、ジャンヌもこちらを見て、首をくいっと玄関の方に傾けた。

 

 無言で『あたしのふりして開けてやんな。驚くぞ?』と伝えてくれたジャンヌに。

 リディアはうなずきながら、席を立ち上がると。

 ジャンヌさながらに玄関に駆け足で向かい、扉を荒っぽく開けた。

 

「あ……!」

「ただいまっ! ミネルバっ!」

「お、おかえりぃ! リディアっ……!」

 

 まさかリディアがここにいる、とは思わなかったのだろう。

 ミネルバが一瞬驚きの表情を見せた。

 しかし、すぐにくしゃっと顔を歪ませながら。リディアに抱きついてきた。

 

「髪すごく伸びたね……!」

「今だけ伸ばしてるのよ」

 

 ミネルバとしばしの抱擁を終えて、お互いの身体を離してから。

 リディアは、彼女の茶色い髪を指先で触りながら。感慨深げに声をもらした。

 ミネルバは短髪だったのに、今は長い三つ編みを肩に流している。

 

「リディアは全然変わってなーい」

「え……う、うん」

「毎日おなじ服だし、前からあんまり変わんなかったけどね」

 

 にこにこ顔のミネルバに、肩を叩かれたリディア。

 2年前から一昨日まで、時間が止まっていたから変わりようがない。

 

 それをミネルバが知れば、『また、あたしの方が年上になってる!』と怒るかもしれない……。

 今からややこしい説明をすべきかどうか。

 リディアが考えあぐねていると、背後にジャンヌが近付いてきた。

 

「おまえ、バロン行ってたんじゃなかったのか」

 

 ジャンヌが、リディアの年齢据え置き問題をスルーしてくれた。

 今日は面倒な説明をしなくて済む。リディアはそう安堵する。

 

「そうだよ」

「帰ってくるの、えらい早いじゃないか」

「……お買い物に行ってたの?」

「うん。デートついでにこれをねー」

 

 ミネルバが含み笑いを浮かべてから、左手の甲を示してきた。

 その薬指には、一粒ダイヤモンドのプラチナの指輪がはまっている。

 

「これ……婚約指輪!?」

「そだよー」

「やっと先生に買ってもらえたな」

「うん。リディア帰ってくるってわかって、式の目途も立ったしね」

 

 アルベルトに買っていただいたばかりの婚約指輪を、ジャンヌに見せるために。

 ミネルバはここにやってきたようだ。

 

「何言ってんだ。もう同棲してるじゃないか」

「ふぇっ!?」

「あははっ、驚くよね。あとは籍入れるだけなんだよ」

 

 こぼれるような笑顔を見せるミネルバに対して。リディアは口をぽかんと半開き。

 

 白魔法講師のアルベルトに、恋慕を寄せていたミネルバ。

 いい感じになったところまでは、リディアも知っている。

 それが、リディアがいない間に、同棲。しかも、結婚寸前の関係にまで発展していた……!

 

「同棲して、怒られないの?」

「全然。あの人、貴族の次男坊だもん」

 

 貴族は代々長男が跡を継ぐことになっている。次男以降は、長男が何かあった時のスペア。

 親やご先祖様の遺産を一切もらえない。しかも、早く家出てけという空気が漂うという。

 

「……かわいそうだね」

「アルベルトのお家はいい方よ? ご両親が自立しなさいって、あの人に白魔導士の修行を始めるように勧めて下さったの」

「それでミストに派遣されたんだ」

 

(呑んだくれおじさんたちが大喜びだなあ)

 引き続き、ミネルバが今後の予定を軽く話してくれた。

 結婚式は、2ヶ所。バロンとミストで行う予定だという。

 

「……普通は旦那さんの実家だけだよね」

「アルベルトのご両親が、いくらでも式の費用を出すって申し出てくれたの」

「次男坊への最初で最後の計らいだとさ」

「それでね。アルベルトと相談して、ここでも式を行うことにしたの」

「だから髪の毛伸ばしてるんだ」

「一世一代の晴れ舞台ぐらいはね。でも、式が終わったらばっさりいくよ?」

「……いつ挙げるの?」

「今からだと、1年後かな。リディア、どっちも参列してね?」

「うん! するする!」

「そういうことで。お礼のタルトは2ホールね」

「え……?」

 

 ちょうど2年前。リディアは、ツクヨミとの偽装恋人を再契約した。

 アルバートが、リディアに惹かれているっぽい。

 そう悩めるミネルバを応援するためということも。再契約の理由のひとつに含まれていた。

 

 その後、リディアはミネルバから度々恋愛相談されるようになった。

 アルバートとの両思いになれた暁には、相談料として。

 バロンの超有名フルーツタルトをまるごと1ホールごほうびする。

 ミネルバから、そう事前予告されていたけれど……。

 

「2ホール……?」

「婚約出来たから、その分もだよ」

「……!」

「無理だと思ってた、あの頃が懐かしいよ。2回に分けて贈るから楽しみにしててね」

「っ、や、ったぁ……!」

 

 増えた、増えた。フルートタルトが2倍に増えた……!

 ツクヨミとは再契約後。2ヶ月足らずしか偽装恋人でいられなかったのに。

 しかも、幻獣界にずっと幽閉されており、大して協力出来なかったのに。

 棚ぼたにも程があるのではないか? そう思いながらも。

 たった今、ご本人から確約をいただいたばかり。今、喜ばずしてどうする。

 

「おい……」

「何?」

「喜んでる場合じゃないぞ」

 

 ミネルバの婚約。それに伴うお礼のタルト倍増。

 リディアは喜色満面の笑みを浮かべて、歓喜に浸っていたら。

 ジャンヌが呆れたような表情で水を差してきた。

 

「喜んじゃだめなの?」

「ライザは別としてな。今残ってんのは、おまえだけ」

「……」

 

 ミストの若い女性は、みな結婚前提の相手がいるか。この2年の間に、婚姻を済ませたようだ。

 

 リディアは現在、ミストで唯一の売れ残り。遠回しに、そう伝えてきたジャンヌに。

 リディアはぷいっとそっぽを向いて口を尖らせる。

 

「別にぃ? 売れ残りでいいですよぉー」

「兄さんはどうすんだ」

「え、今のまま……かな?」

 

 ツクヨミとの結婚はない。そうほのめかしたリディアに。

 ジャンヌやミネルバの表情が一変し、非常に険しいものに変わった。

 

「おまえ、本気でそれ言ってんのか!?」

「そうだけど……?」

「ツクヨミさん飼い殺しにする気!?」

 

 リディアとツクヨミは本物の恋人同士。ミネルバはそう信じているから、まだわかる。

 しかし、偽装だと知っているジャンヌまでも、ツクヨミと結婚しろ。早くくっつけと思っているようだ。

 

 ツクヨミの中の人が結婚しようが。しなかろうが。

 リディアは『あるお方に身も心も捧げた、ミスト在住独身女性』として、終生生きていくつもりだ。

 ツクヨミとは偽装恋人として、健全なお付き合いを出来る限り長く続けるだけ。

 

「やだなぁ。ペットじゃなくて、ひとりの男性としてお付き合いし」

「——当たり前だ!」

「っ!?」

「ペット扱いじゃ、兄さんが気の毒だろ!」

 

(だって、恋人も結婚も無理だもん……)

 ツクヨミさんかわいそう。鬼畜の所業。

 ジャンヌやミネルバがそう言いながら、ツクヨミの肩を持つ。

 リディアは、ふたりの勢いに押されて、しどろもどろに言い訳するのが精一杯……。

 

 —— —— ——

 玄関先で女性たちが、恋のお話で騒いでいる最中。

 

『「ふたり」とも、何やってんだか。もっと欲張っても、誰も文句言わないのに……』

 

 すっかり放置されていたミゼルが、頬杖をつきながら。

 こちらを呆れた表情で見て、何やらぶつくさつぶやいていたなんて。

 もちろん、リディアたちは知る由もない。

 —— —— ——

 

 自ら引いた人生のレールを歩いている途中で。2年止まって休んでいただけ。

 レールそのものを撤去されずに済んでよかった。

 五体満足で、地上——ミストに帰還出来たことに感謝しながら。

 リディアは2年ぶりに、人生のレールを再び歩き始めたのであった。

 

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