フェイクラバーズ 作:かえで
——それから2週間後 9の月下旬
「——パンにー、うずらのたまごー、野菜にきのこ……あら? 魚介類がないじゃなーい?」
調理台に置かれたいろんな具材を品定めしてから、アリサが不審げな声を上げた。
えびやほたてを入れろ。リディアにそう勧めていたにもかかわらず。
本日の具材に入っていなかったことがご不満のようだ。
—— —— ——
本日は休日。リディアはお昼からここ公民館の調理室にほぼ缶詰め状態。
食材を持ち込み、晩ごはん——チーズフォンデュの準備をしている。
つい先ほど、アリサが両親(移住2年目)の自宅。ライザがジャンヌのお家に娘を預けてから。
リディアの様子をのぞきに調理室にきてくれた。
ツクヨミもあと30分ほどで、ここにやってくるだろう。
—— —— ——
チーズフォンデュは、ダムシアンのお鍋料理。
それをいただくには、アリサの存在は欠かせない。
夫ラルフの実家から肝心要のチーズを取り寄せてくれたし。
自宅で使っている専用の調理器具も貸してくれた。
「今日は辞めておいたの」
「えー? どーしてー?」
「魚介類は行商に売ってないものね」
「そう! 朝寝坊しちゃ」
「——何言ってんのー?」
「えっ」
「獲物がアレじゃないから、もともと買いに行く気ゼロだったくせにぃー」
「ぐ……!」
アリサから嫌みったらしく指摘されて、ぐうの音のぐを口にするのが精いっぱい。
魚介類は、アレ——甘いものではない。
そのために早起きして、ミストの外に出て買いに行くのが面倒だったのだ。
「もう、余計なこと言わないの」
「見なさいよー。図星突かれて答えに詰まってんじゃなーい」
「そうだけど……」
ライザがかばってくれたが、アリサの口には勝てない。
言い返されてしまい、困ったような表情で言葉を詰まらせている。
「——甘いっ!」
「はー??」
「これ作ったもんっ!」
リディアは勝ち誇ったような笑みを浮かべながら。隠していた容器を机の上に置いた。
そのふたを開けて中身をアリサに見せてあげる。
(たまにはアリサをぎゃふんと言わせたい!)
そこには、昼間作ったばかりのローストビーフが入っている。
材料の塩漬け牛肉は、本日入手したものである。
顔なじみの行商に頼み、入手日と大きさを事前に伝えてあった。
「あらまー、やるじゃなーい……!」
「昔のわたしとは一味違うんだよっ」
「しもべも一応男だしー。お肉ぐらい食べさせてあげないとねー」
「美味しいって言ってもらえると、やる気が上がるわよね」
「うん。食べてくれる人がいると変わるよ」
さすがに『ぎゃふん』は言わなかったけど、舌を巻いている。
そんなアリサを見て、心の中でガッツポーズをした。
ものぐさリディアも、ほんのちょっとずつ成長しているのだ。
「ほらほらー。まだやることあるわよぉー」
「あっ、わざわざありがとう」
残っている作業は、チーズソース作りだけである。
アリサが用具入れの棚から、おろし器を持ってきてくれた。
「意外と楽だね……」
「ほどほどに柔らかいもの」
幅広ボウルの中央に置いたチーズの塊を、おろし器でざりざり削れば。
細く刻まれたチーズが、ボウルに次々溜まっていく。
「ねー、リディア」
「なにー?」
「いい加減、しもべと正式に付き合ってあげなさいよー」
「う……」
不意打ちのように、アリサが『ツクヨミ』の話題を持ち出してきて。
チーズを削っていたリディアの手がぴたっと止まる。
(また『エッジ』のこと、悪く言うのかな……)
今日のアリサは、世話焼きで頭がいっぱい。何も言ってこないだろう。
そう思っていたら……甘かった。
—— —— ——
アリサは、ツクヨミの正体を知らない。
以前からツクヨミと恋人になれと、リディアに勧めてくる。
しかも、ライザと違ってツクヨミの中の人への理解がない。
正体を打ち明けるかどうか悩んでいたら、幻獣界に幽閉されてしまった。
リディアが幻獣界に幽閉されて、不在にもかかわらず。『ツクヨミ』は、ミストに顔を出し続けていた。
アリサは、健気な彼の様子を2年近く見ているうちに、こう考えたようだ。
『しもべが偽装恋人なんてかわいそー! リディアが帰ってきたら本物の恋人になるよう言ってやらなきゃ!!』
そして、ミストに再び帰ってきたリディアに『ツクヨミ』とくっつけ。そう言ってきかない。
たまに、しもべと結婚しろ、と言い出す時もある。
—— —— ——
アリサに、ツクヨミの正体を明かせば、まず怒る。そして、何をするかわからない。
よって、リディアは未だにアリサへ打ち明けられずじまい。
「……そんな予定ない」
「本気でそれ言ってるのー?」
「うん……」
「もういいじゃない。何言ってもこの子は変わらないわ」
「納得行く答えが返ってくるまで、あたしは諦めないわよー」
「まあ、しつこい……!」
呆れたような声を上げたライザをよそに、アリサが机に寄りかかる。
そして、リディアの前にずいっと身を寄せてきた。
「あんたさー」
「っ……」
「しもべのどこが不満なのー?」
(出来ることならそうしたいよ。でも、無理だもん)
アリサにこぼせない本音を、心の中でつぶやきながら。
再びチーズを削り出したが、それまでのような勢いは見る影もない。
正体を知ってしまえば、欲も出てくる。自らキスしようとした(失敗)ぐらいだし。
本当は本物の恋人として、ツクヨミとお付き合いしたい。
それでも、ツクヨミの真の姿を知る以上。現状維持を続けるしかない。
「不満はないよ……ただ……」
「ただ何? あいつのこと、まだ忘れられないのー?」
「……」
リディアはチーズを削る手を止めて、うつむいてしまった。
主語ははっきりしない。それでも、アリサが誰のことを指しているのか、すぐわかったから。
—— —— ——
空白の2年の間に、ミストの住民の『ツクヨミ』への評価はとても上がっていた。
それと反比例するかのように。ツクヨミの中の人——『エッジ』の好感度は更に下がっていた。
2年間、たった一度もミストに顔を出さなかったから。それが好感度降下の原因らしい。
—— —— ——
そんな住民代表でもあるアリサは、リディアにツクヨミを勧めると同時に。
『エッジ』への罵言も浴びせるので困っていた。
「どーして願い下げしてやらないのよ!? あんたを孕ませ疑惑に追い込んで、ヤリ逃げ最低だって前から言ってるでしょーが!」
「はらませって……!」
「恥ずかしいこと言わないで……」
アリサが血相を変えてまくし立てる。
はしたない言葉を混ざっていたせいで、ライザが両手で顔を覆ってしまった。
「昔の話、蒸し返すのやめようよ」
「何言ってんのー。あんた的には、ほんのちょっと前の出来事でしょー?」
「っ、そうだけど……」
エッジがミストに来なくなってから、2年以上経った。
けれど、幻獣界にストップ状態で幽閉されていたため。リディアにとっては3、4ヶ月前の感覚でしかない。
「そうじゃなくても、まだ2年前よー? バロン王妃さままで巻き込んで、結局何もなしってどーなのそれー?」
「……アリサも知ってるでしょ? エッジに言わないって決めたこと……」
「まーね、初めて聞いた時は発狂しそうだったわー」
「この子は、まだあの人のことが好きなのよ。好きな相手に言える訳がな」
「——そんなもの関係ないわよっ!」
ばんっ!!
「っ!?」
アリサがライザを遮ると同時に、両手で力強く机を叩いた。
あまりの勢いに、リディアもライザも後ろにのけぞってしまう。
「惚れてるからってかばう必要ない。無計画に手を出して、不安がらせた奴が全部悪いのよ」
「アリサ……」
「——このままじゃ、女がすたるわ。中出しくそ野郎に幸せ見せつけて、ざまぁしてやんなさいよ」
アリサが命名した『エッジ』の蔑称を聞いて、ライザが頭を抱えてしまった。
(ひどいあだ名……)
無慈悲かつ、恥ずかしくて口に出来ない蔑称で、リディアも閉口してしまう。
女性を無視して欲を満たすような身勝手な男は、世間にごまんといるだろう。
けれど、『エッジ』は違う。そんな下劣な男たちと一緒にしないで欲しい。
セックスで中出ししたのは、最後の最後だけ。しかも、毎回後処理をきちんとしてくれていたのに。
「それにさー。あんたが消えてから、バロンやファブールは動いてくれたのに。エブラーナはスルーよ? スルー。悲しくならないのー?」
「っ、エッジは幻獣界と縁がないもん」
「しもべも縁がないわよー?」
「お、お仕事で忙しかったんだよ」
「忙しいのは、バロンやファブールも一緒ー」
「……」
アリサの反論に必死に食いついていたが、結局白旗を上げてしまった。
(セシルやヤンの顔を立てたんだよ……)
エブラーナの国王さま『エッジ』は、リディアやミストを放置していた訳ではない。
彼の性格上、幻獣界と縁があるバロンとファブールが動くなら。
エブラーナはその2カ国を差し置いて、出しゃばらないと思う。
その後もアリサは、親友を見捨てた男への熱い批判と持論を展開した。
しかし、リディアたちがだんまりを続けるからか。渋い表情でこう口にした。
「わかった。これからは何も言ーわないっ」
「ほんと!?」
突然の批判終了宣言に、リディアは顔をほころばせた。
もうアリサから、『エッジ』の悪口を聞くことはない……!
そう喜んだのも、つかの間。
「でもね」
「え」
「最後に忠告しておくわよ」
きょとんとするリディアへ。アリサがびしっと指をさしながら、厳しい声でこう言った。
「今のあんたは、しもべに不誠実。いつ三行半つきつけられてもおかしくない」
「……」
「仮にそうなって泣きついてきても、絶っ対なぐさめてあげない」
「わ、わかりました……」
「——さーてさてっ。しもべも現れる頃でしょーし、お鍋出さなきゃー」
アリサが明るい表情に変わり、隣の隣の調理台に置いてある箱を取りに向かう。
異常な切り替えの早さは、彼女のいいところでもある。
(ごめんね、アリサ……)
ああも、はっきり宣言したぐらいだ。
アリサは本日どころか、今後二度と『エッジ』の話題を出さないだろう。
以前よりアリサとは、『エッジ』に関する意見の不一致が続いていた。
けれど、この件はライザが一貫してリディアの味方についている。
数の力に勝てない。そう思って、ついに諦めたのかもしれない。
「リディア」
「……なに?」
「あの子は別のベクトルで、あなたのこと心配してるの。気にしちゃだめよ」
「わかってるよ。ありがとうね」
ひそひそ声で耳打ちしてきたライザに、笑いながらお礼を伝えた。
アリサとリディア、どちらも立てる。それが、いかにもライザらしい。
ライザは、リディア以外でツクヨミの正体を唯一知る人物。
『エッジ』問題に関しては、リディアの肩を持つ。
しかし、少数派に回らざるを得ないアリサのこともほうっておけないのだ。
そんなやさしいライザのことがだいすきだ。
「よいしょ……っ、とー」
アリサが、リディアたちの前に置いた箱の中から、何かを取り出した。
「それ、お鍋だよね?」
「そーよー。加熱スタンドとワンセットー」
箱の中身は、アリサが普段使っているフォンデュ用のお鍋セット。
リディアは今夜一晩、それをお借りする。
続けて、アリサが鍋を上に置いて保温するスタンドに、フォンデュ用のフォーク2本。
小さな円形状のカップを1個、調理台の上に置いてくれた。
「鍋もスタンドも同じ柄なのね」
「フォークすごく長ーい!」
「普通のじゃ、鍋まで届かないでしょー」
「……ねえ。これって、ろうそく?」
円形状のカップをよくみれば、上面の中心に芯が入っている。
リディアはそれをつまみながら、アリサに正体をたずねてみた。
「ええ。ティーライトキャンドルって言うの。4時間も保つのよー?」
「長いね。こんなに小さいのに……」
「『薪要らず』だと火の勢いが強すぎるのよー」
「焦げちゃうもんね」
「ほら、こうやって——」
保温スタンドの中に、キャンドルを出し入れしながら。アリサが使い方を実演で説明してくれた。
保温スタンドは、フォンデュ鍋と同じ柄。10センチほどの高さより幅広い円柱型をしている。
キャンドルを入れるために、側面の一部に穴が開いている。
リディアは生活で要する火を、全て魔法でまかなっている。
そのため自宅には、マッチやろうそくがひとつもない。
アリサはそれを見越して、キャンドルまで準備してくれたのだ。
(口は悪いし、『エッジ』のことぼろっかすに言うけど……)
こうして、あれこれ世話を焼いてくれる。
そんなアリサのことを、リディアは嫌いになんかなれない。
「あんたも鍋セット買ったらどー?」
「……いるかな?」
「あると結構便利よー?」
「ティーポットの保温に使えそうね」
「あぁ、専用のお鍋以外も置けるね」
熱を通すためにスタンドの上底面にも、3センチほどの穴が開いている。
その上にお鍋やティーポットを置けば、食べ物やお茶や温められる。
(でも、こんなのしょっちゅう食べてたら太っちゃうよ)
アリサが売り子ばりの軽妙な語り口で、フォンデュ鍋セットの魅力を語ってくれる。
けれど、リディアはなかなか購入意欲が湧かない。
ノリが悪いように見えたのだろう。アリサがとっておきの情報を教えてくれた。
「チーズだけがフォンデュじゃないわよー?」
「えっ」
「チョコレートフォンデュってのもあるんですぅー」
「ほんとそれっ!?」
アリサが得意げな表情で、甘味の代表格——チョコ——を口にするなり。
リディアは目を大きく見開き、驚きの声を上げた。
「具は果物なのね」
「いちごやバナナにチョコをかけて……やだ、美味しそう……!」
「かぼちゃや栗もいけるわよ。クラッカーやポテトチップス……塩っ気のあるものとも相性抜群なのー」
(ツクヨミさんといっしょにチョコフォンデュ……!)
思わずよだれが出そうになるのを、ぐっと我慢しながら。
来年のバレンタインに思いを馳せていると、おすすめの具材も教えてくれた。
「——買う! 今度買うっ!」
結果、リディアはアリサの商い口にまんまと引っかかった。
「ライザもいかがー?」
「そうね……リディアと一緒に買っちゃおうかしら」
リディアだけでなく、ライザも購入を決めてしまったようだ。
(あたしほどじゃないけど、ベスとユノも甘いもの好きだもんね)
おやつとして食べられる。そう考えたら、チーズよりチョコの方が需要は高いだろう。
「今度バロンに、商品見に行きましょーよ」
「ステラやベスたちも連れていこうよ」
「ええ」
『世界にひとりしかいない召喚士』から、『幻獣界に2年閉じ込められていた召喚士』へ。
この2年近くの間に、リディアの肩書きが変わった。しかも、それまで以上に有名になっていた。
そういった事情から、町など人が多い場所へ出向く時は、ローブを羽織るようになった。
この間の休日。アリサたちとバロン城下町へお出かけした。
それに先立ち、ふたりに事情を話して、服装をどうするかたずねてみたら。
アリサもライザも、リディアとお揃い——ローブ着用を希望。
そして当日。3人は魔導士トリオを装い、コスプレ気分を味わいながら。
ウィンドーショッピングを楽しんで、ミストに帰ってきた。
「だったら、お嬢様たちも魔女コスよねー」
「子ども用のローブ準備しなきゃ」
「そーね。色は」
「——わたしがみんなの分作るわ」
「ええっ!?」
「服を一から作ることを思えば、ローブは簡単よ」
「ふ、服って自分で作れるの!?」
「簡単なものならね」
「すごーい……!」
娘たち用のローブ作りに名乗りを上げたライザに、感嘆の声を上げた。
ししゅうが得意なのは知っていた。それが、まさか服まで作れるとは……。
「まー、あんたは縁がないからしょーがないけど、女の子は簡単なお裁縫ぐらいは出来ないとねー」
「うっ」
「ボタン付け、出来るー?」
「っ、それだけは何とか……」
一瞬言葉を詰まらせる。それから、アリサにばつが悪い表情を浮かべながら答えた。
—— —— ——
この世界に住む女性は、料理や洗濯、掃除に裁縫など……。
みんな家事作業が出来て当たり前。そんな風潮がとても強い。
ところが、幻獣界は不思議な力を使えば、家事いらず。
そんな世界で長年暮らしていたリディアは、家事をろくにやったことがなかった。
—— —— ——
家事(魔法使用あり)をこなせるようになったのは、ミストに帰ってきてから。
それでも裁縫だけは、地上製唯一の服——夜着のボタンが外れた時に、それを付け直すぐらいしかない。
「ライザ、いいの? 忙しいのに大変じゃない?」
「大丈夫。わたしたちの分、タダで準備してくれたじゃない。お返しよ」
「じゃあ、お願いしちゃおっかなー」
「ステラはどんな色がいいか、また教えてちょうだいね」
「あたしとおそろの紫がいーわー!」
「あとは白がふたつ……楽しみね……!」
魔女軍団で町を練り歩く。そんな自分たちを頭に思い浮かべているのだろう。
うっとりしたような表情を、浮かべているライザを見てから。
リディアはアリサと、お互いに笑みを交わした。
ライザは相変わらず、物静かで控えめ。
けれど、受け身から攻めの人生に変わり、2年の間に更にたくましい女性に成長した。
それもこれも、マザコン気質持ちの(元)夫。そして、鬼ばばあのおかげだろう。
§
その後も、リディアがチーズを削る手を疎かにしながら。
アリサとライザとおしゃべりしていたら。突然、扉が開く音が聞こえた。
(ツクヨミさんだ!)
リディアたちは一斉に出入り口の方に首を向ける。すると、真っ黒黒の忍者が中に入ってきた。
『夜分遅く失礼いたします』
「こんばんは。こっちこっち」
「いらっしゃーい!」
「こんばんは、ツクヨミさん」
リディアが手招きすると、ツクヨミが調理台にやってきた。
アリサとライザと挨拶を交わしている。
「邪魔しちゃ悪いし、もう帰りましょーよ」
「そうね」
ツクヨミが来たとなれば、自分たちは邪魔ものでしかない。
真っ先に空気を読んだアリサが、ライザに退場を促すと、ふたり同時に席を立った。
「それじ」
「——待って、アリサ」
「なーにー?」
「これ、お礼に持って帰って」
アリサを呼び止めると、机の端に置かれていた緑色のびんをさっと差し出した。
びんの正体は、開封済みの白ワイン。ライザにバロンで買ってきてもらった。
チーズソースの風味付けに使っただけで。残りは、アリサにお礼として渡そう。
そう考えて、あらかじめ別の容器に必要な分を取り分けておいたのだ。
「えー? あんたが飲めばいいじゃない」
「お酒はクリスマスだけで十分だもん。ラルフさんの晩酌にちょうどいいと思うよ」
「そう? では、ありがたくちょうだいいたしまーす」
アリサが笑みをこぼして、白ワインを受け取ってくれた。
アリサ一家も、リディアのついでとばかりに、チーズを大量お取り寄せ。
明日の夜、フォンデュをいただく予定になっている。
その時、ラルフがぐびぐびっとワインを飲み干すであろう。
「明日中にそれ返してくれたらいーからね。じゃ、どーぞごゆっくりー」
「楽しんでいってくださいね」
『お礼の言葉ありがとうございます。お気をつけて』
「ふたりともありがとう」
アリサが白ワインを抱えながら、一足早く調理室から出ていった。
続けてライザも……と、思っていたら。
「リディア」
「……どしたの?」
ライザが、扉からひょこっと顔を出してきた。
申し訳なさそうな表情から、これから何を言うのか。すぐに察した。
「明日から、またお願いね」
「……うん! 任せて!」
リディアが満面の笑みで返事をすると、ライザが表情を緩ませた。
顔を廊下に引っ込めてから、静かに扉が閉められる。
「ばっかねー、あんたー。いちいちそんなこと言わなくていいのー」
「だって……」
「リディアもあたしも楽しんでやってんだから、どんと胸張ってりゃいーのよー」
(そうだよ、気にしなくていいんだよ)
ライザをたしなめるアリサの大声が、廊下から聞こえてきて。
リディアは思わず苦笑を浮かべた。
『……まだ途中のようですね』
「これを削ったら、あとはお鍋で溶かすだけなの。座って待ってて」
『はい。かしこまりました』
リディアは、ツクヨミに着席を勧めると。
調理台に視線を戻して、再びチーズをじゃりじゃり削り始めた。
『ライザさん、どうされたのですか』
「あっ、そうだ。ここに来たの、あの日以来だもんね」
『?』
「ライザね。——外で働き始めたの」
2年かけて、夫と離縁。それから、ライザはベスとユノを連れて、ミストに戻ってきた。
女手一つで娘たちを養うために、バロンで働きはじめるようになった。
『お嬢さま方はよろしいのですか……?』
「週に3日休みがあるから一緒に過ごせる日、多いよ?」
『そうですか……働き詰めなのかと心配しました』
「代わりに、仕事が終わるのが夜6時すぎだから、ライザがいない間はアリサとわたしでおばちゃんで手分けして、ベスたちの面倒見てる」
『ライザさんはお帰りが遅いと、夕食の時間も遅くなりますね……』
「晩ごはんは、わたしたちが作ってるの」
『そうなのですか』
「でね、わたしは講座が終わったらベスたちと一緒にライザのおうちに帰って、そこで晩ごはん作ってるの」
ちょっぴり自慢風に答えたら、ツクヨミが口を半開きにして沈黙してしまった。
「どうしたの?」
『……それでは、リディアさまのお帰りが遅くなるではありませんか。大丈夫なのですか』
「全然。ライザが帰ってきたら、4人で一緒にごはん食べてからおうちに帰るもん」
ベスたちの面倒を見るのは、週に最大4日なこと。
夕食のレシピや材料は、あらかじめライザが準備してくれていること。
しかも、ライザが自身とベスたちのお弁当に加えて、リディアのそれも一緒に作ってくれること……。
持ちつ持たれつの関係を強調すれば。ひとり晩飯の機会が更に減ったからだろうか。
ツクヨミはようやく納得してくれた。
「わたしとお母さんも、おばちゃんたちにすごく助けてもらったから……もし、ライザが旦那さんと離婚してからも、ベスとユノとミストで暮らすならサポートしてあげようって、前からアリサと話してたの」
『そこまでお考えになられていたのですか』
「うん。念願叶ってよかった」
『ライザさんやお嬢様方は幸せですね』
「へへ……」
『そういえば、先日リディアさまの手記を拝見いたしました』
「……あれ? 知ってたの?」
(Xには載っていないよ? どうして知って……ああ)
リディアは一瞬そう思ったが、すぐに考えを改めた。
普段から『エッジ』が、どの新聞も読んでいたことを思い出したから。
『同僚がAを見せてくれたのです』
「あ、そういうことね」
(同僚じゃなくて、仕事中に読んだんだよね)
既に言い訳を考えていたのだろう。ツクヨミから素早く答えが返ってきた。
***
——9の月13日
ミストに帰還した翌々日。
リディアはラルフに、こんな相談を持ち掛けた。
「新聞社に、よくあんな適当な記事書いたって言ってやりたいんです……!」
新聞社への抗議。
これは、今後もミストで平穏な生活を送り続けるために。リディアが考えた対策のひとつであった。
「君は怒ると思ってたよ。実は僕たちも……」
あちこちの新聞から憶測報道が流れるようになり、ラルフはセシルやヤンと話し合った。
バロンやファブール、ミストとして、記事の取り消しと謝罪文を掲載するよう、各新聞社に要求したという。
「残念ながら、全く要求に応じてくれなくてね」
「わたしの気持ちは無視するんだ……」
「そうだな。言論と思想の自由を優先して、好き勝手書かれた人の気持ちがわからないんだよ」
「この際、普通の人でいたいって宣言出来たらいいなあと思ってるんです。何かいい方法ありますか?」
「本人の言葉ほど影響あるものはないからね。XとGとR以外の新聞社を一軒ずつ回って、きみの手記かインタビュー記事を書いてもらおうか」
エブラーナのXと大衆紙GとRは、今回憶測記事や身勝手主張を報じなかった。
そのため、その三紙には立ち寄らないつもりだという。
「そんなに簡単にいきます?」
「各紙に知り合いの記者がいるから」
「ああ……!」
「ジャンルは違うけど、新聞に載ることには変わりない。同じ日に全社回れるように交渉してみるよ」
「っ、ありがとうございます!」
それから日程調整を終えて、先週リディアはラルフと各地の新聞社を巡った。
外で待つ。そんな条件付きで、アリサもステラと共についてきていた。
どこの新聞社もそうだったが、社屋に入るとラルフと懇意にしている記者が既に待っていて。
上司に見つからぬように、リディアたちをこっそり持ち場に迎え入れてくれた。
「ここに書かれている内容、そのまま記事にして下さい」
「わざわざありがとう。明日掲載させてもらうよ」
リディアがそう言いながら、自身でしたためた書を手渡せば。
記者たちは、翌日の紙面掲載を確約してくれた。
それからしばらくの時間。お茶とお茶菓子をいただきながら、彼らと雑談して新聞社からさようなら。
その繰り返しを経て、ミストに帰ってきたら、もう真っ暗だった。
そして翌日。
XとGとR以外の各紙の文化面に、こんな見出しがついた記事が掲載された。
『幻獣界から無事帰還した、召喚士リディア嬢の手記を公開』
—— —— ——
ミストに戻ってくることが出来ましたが、当時の出来事についての記憶がありません。
よって、なぜ幻獣界に幽閉されたかについては、お答えすることが出来ません。
わたし自身は、今も昔もミストやこちらの世界を捨てたいと考えたことは一切ありません。
先月、各新聞が報じた記事内容の一部は事実無根です。記事の取り消しを要求します。
最後に各新聞社の方々へ。
わたしはこれからもミストの一住民として、召喚士の育成に地道に励むつもりです。
どうか、わたしやミストのことはそっとしておいて下さるよう、お願い申し上げます。
—— —— ——
リディアは新聞の紙面を通して、記事に対する胸中を吐露した。
それだけではない。
自分は貴族でも何でもない、ただの一般人。そうほのめかして、遠回しに取材拒否を表明した。
***
(『海牢』にいる間のこと以外、全部覚えてるんだけどね……)
記憶にない。そんな嘘も混ぜただけでなく、ツクヨミの存在も隠したが。
ミストの住民には全て打ち明けてあるから。別に構わないの精神だ。
『正々堂々と、普通のひと宣言なさるとは……ご立派です』
「ラルフさんや仲良しの記者さんたちのおかげだよ。あれがきっかけで、どこも謝罪文載せる気になったんだって」
リディア本人の手記が掲載されて以来。
Xと大衆紙以外の全紙が報じた、リディアに関する記事の一部は間違い。ただの中傷だと公に晒された。
新聞社は、非を認めざるを得なくなり、昨日の紙面で各社一斉に謝罪文を掲載した。
『なぜ文化面に掲載されていたのでしょう。今回の件はどちらかと言えば社会面だと思いますが』
「ラルフさんの本が売れて記者さんが取材に来た時があってね。その人たち、みんな文化面の担当だったの」
『……そういうことですか』
—— —— ——
ラルフが出版した『異世界への誘い』の売れ行きが良く、各地で話題になった頃。
文化面を担当する各紙の新聞記者がラルフを取材するために、ミストにやってきた。
ラルフは建築家でもある。今後仕事を続けるために、人脈は重要だと考えていたらしい。
取材をきっかけに、彼らと友人のお付き合いを始めた。
—— —— ——
「文化芸術方面の記者さんは、みんな会社の中ですごく肩身が狭いんだって」
『なぜでしょう?』
「文化や芸術は大衆紙を買って読めばいいから、新聞の売り上げに貢献出来ないからって言ってたよ」
『その逆は、政治や事件ですね』
「そうなの。そっち方面の記者さんたちが、お偉いさんみたいにいばりちらしてくるって、みんな愚痴ってたよ」
『その方たちは一矢報いるために、ラルフさんの頼みを聞いてくれたのですね』
「利害一致してたから、ちょうどよかったよ。勝手に手記を載せたからって、会社で処罰もされた人もいなかったみたいだしね」
リディアは心の中で、ツクヨミ(の中の人)の演技力に改めて感心してしまう。
(そういう事情、全部知ってるんじゃないの?)
リディアに、新聞読みを勧めてくれた張本人。
おまけに、リディアの服装についての記事を載せるよう、新聞社に頼んだ前歴もある。
そんな男が、新聞社の裏事情を知らぬ訳がなかろうに。
事情に明るくないのを装い、話を聞くふりが出来るとは……。
『……話は変わりますが。ミストのみなさまへの事情説明は済まされたのでしょうか?』
「それも、もう終わったよ」
リディアがミストに帰還してから、1週間後の夜。
公民館に住民が集まり、緊急説明会が開かれた。
そこでリディアが、幽閉された経緯。リヴァイアサンたちの思惑。シルフの誕生逸話に、たまごの正体……。
帰還直後、セシルやヤンに隠していた全ての事情を説明した。
『みなさまから大分しぼられたのではありませんか?』
「……『お人好し』でしょ? 『洗脳』に、『抜け作』……『幻獣界のイエスマン』とか、もう言いたい放題言われちゃった」
おろし器をボウルに置いて、指折り数えながら。
住民から名付けられた説明会限定リディアのあだ名を、自らツクヨミに教えてあげた。
『最後はアリサさんご命名ですね』
「っ、そうそう! よくわかってるね!」
リディアを幻獣界の住民にしよう。そう考えて、2年も幽閉し続けていた幻獣王たちをあっさり許した。
そんなリディアは、幻獣界のイエスマン。
事情説明会でそう揶揄した人物を、ツクヨミが即座に当てたことに。
リディアは笑っていたが、突然ふっと息をついた。
「でもね……」
『どうされました』
「幻獣界のことを悪く言われるのは悲しかったけど、遠慮なく言ってくれてよかったって思ってるんだ」
『みなさまから特別視されていない証拠ですからね』
「それでも、アスラ様の名前連発したら、みんな納得してくれたの。ミストと幻獣界の関係は前といっしょのままだよ」
—— —— ——
リディアは、事情説明会に説明者として参加したが。説明している最中、とても居心地が悪かった。
なぜなら、ツクヨミやミゼルたちのように『もっと怒れよ!』と猛反発を食らったから。
『幻獣界との縁切り案件だぞ』
『交流なんて無理でしょ』
呆れるように、リディアにそう言った住民も何人かいたが。
アスラの存在を前面に出して説得したら、みんな渋々ながら折れてくれた。
その結果、これからもミストは幻獣界との交流を図ることが決まった。
—— —— ——
「あとね、ラルフさんがセシルたちに書状送ったけど、ツクヨミさんの名前は伏せたって言ってたよ」
『そうですか……!』
(本当に嫌だったんだ)
世界中に、自身の名が広まって欲しくなかった。
ほっとしたような『ツクヨミ』の声から、それがよく伝わってきた。
説明会終了後。バロン、ファブール、そしてダムシアンに、エブラーナ……。
ラルフは懇意にする国王さま宛に、全ての事情を記した書状を送った。
ただし『ツクヨミ』の希望により、彼の存在だけ隠した内容で。
「今度会ったらお礼言ってあげてね」
『はい、かしこまりました』
「これで、後始末は全部終わったし、あとは幻獣界に入れるようになるまで待つだけだよ」
『ようやく落ち着いて過ごせますね。よかったです』
「うん。10の月から頭切り替えてがんばるよ」
リディアはそう言い終えると、チーズをまた削り出した。
会話しながらの作業はどうも疎かになるが、気にしないことにした。
ツクヨミも、『お腹すいた』『早く食べさせろ』なんて言わないし。
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