清水幸利にとって、異世界召喚とは、まさに憧れであり夢であった。
ありえないと分かっていながら、その手の本、Web小説を読んでは夢想する毎日。
夢の中で、何度世界を救い、ヒロインの女の子達とハッピーエンドを迎えたかわからない。
清水の部屋は、壁が見えなくなるほどに美少女のポスターで埋め尽くされており、壁の一面にあるガラス製のラックには、お気に入りの美少女フュギュアがあられもない姿で所狭しと並べられている。
本棚は、漫画やライトノベル、薄い本やエロゲーの類で埋め尽くされていて、入りきらない分が部屋のあちこちにタワーを築いていた。
そう、清水幸利は真性のオタクである。
それが故に、イジメを受けた。
隠していた、表には出していなかったが、その所作や態度からバレ、そして陰湿なイジメを受けるようになってしまった。
もし仮に、クラス内に他にヘイトを集めるような存在がいれば、こうはならなかったかもしれないが、現実は非情であった。
中学でイジメられ、学校に行けなくなり、家族にも目の敵にされ……高校でも、同じようにイジメられた。
しかも高校になると、狡猾に、誰にもバレないような陰湿なイジメへと変わり、清水はストレスを貯めていった。
そんな彼なのだ、異世界召喚の事実を理解したときの脳内は、まさに「キターー!!」という状態だった。
愛子がイシュタルに猛然と抗議している時も、光輝が人間族の勝利と元の世界への帰還を決意し息巻いている時も、清水の頭の中は、何度も妄想した異世界で華々しく活躍する自分の姿一色だ。
ありえないと思っていた妄想が現実化したことに舞い上がって、異世界召喚の後に主人公を理不尽が襲うパターンは頭から追いやられている。
そして実際、清水が期待したものと、現実の異世界ライフには齟齬が生じていた。
まず、清水は確かにチート的なスペックを秘めていたが、それは他のクラスメイトも同じであり、さらには“勇者”は自分ではなく光輝であること、そのためか、女が寄って行くのは光輝ばかりで、自分は“その他大勢の一人”に過ぎなかった。
これでは、日本にいた時と何も変わらない。
念願が叶ったにもかかわらず、望んだ通りではない現実に陰湿さを増す清水は、内心で不満を募らせていった。
なぜ、自分が勇者ではないのか。
なぜ、光輝ばかりが女に囲まれていい思いをするのか。
なぜ、自分ではなく光輝ばかり特別扱いするのか。
自分が勇者ならもっと上手くやるのに。
自分に言い寄るなら全員受け入れてやるのに……そんな、都合の悪いことは全て他者のせい、自分だけは特別という自己中心的な考えが清水の心を蝕んでいった。
だって、自分は特別なんだから。
周りを見ても、イジメられている人なんて自分以外にいない。
家族に目の敵にされているのなんて自分しかいない。
特別であるということは、異質であるということ、だからイジメを受けた、虐げられた。
そう信じたかった、信じないと、やってられなかった。
そんな折だ、あのオルクス大迷宮への実戦訓練が催されたのは。
清水は、チャンスだと思った。
誰も気にしない、居ても居なくても同じ、そんな背景のような扱いをしてきたクラスメイト達も、遂には自分の有能さに気がつくだろうと。
そんな何処までもご都合主義な清水は……しかし、ようやく気がつくことになる。
自分が決して特別な存在などではなく、ましてご都合主義な展開などもなく、ふと気を抜けば次の瞬間には確かに死ぬ存在なのだと。
トラウムソルジャーに殺されかけて、遠くでより凶悪な怪物と戦う勇者を見て、抱いていた異世界への幻想がガラガラと音を立てて崩れた。
そして、奈落へと落ちて死んだクラスメイトを目の当たりにし、心が折れた。
自分に都合のいい解釈ばかりして、他者を内心で下に見ることで保ってきた心の耐久度は当然の如く強くはなかったのだ。
清水は、王宮に戻ると再び自室に引き篭ることになった。
だが、日本の部屋のように清水の心を慰めてくれる創作物は、ここにはない。
当然の流れとして、清水は自分の天職“闇術師”に関する技能・魔法に関する本を読んで過ごすことになった。
闇系統の魔法は、相手の精神や意識に作用する系統の魔法で、実戦などでは基本的に対象にバッドステータスを与える魔法と認識されている。
清水の適性もそういったところにあり、相手の認識をズラしたり、幻覚を見せたり、魔法へのイメージ補完に干渉して行使しにくくしたり、更に極めれば、思い込みだけで身体に障害を発生させたりということができる。
そして、浮かれた気分などすっかり吹き飛んだ陰鬱な心で読んだ本から、清水は、ふとあることを思いついた。
闇系統魔法は、極めれば対象を洗脳支配できるのではないか? というものだ。
清水は興奮した、自分の考えが正しければ、誰でも好きなように出来るのだ。
そう、好きなように。
清水の心に暗く澱んだものがはびこる。
その日から一心不乱に修練に励んだ。
しかし、そう簡単に行く訳もなかった。
まず、人のように強い自我のある者には、十数時間という長時間に渡って術を施し続けなければ到底洗脳支配など出来ない。
当然、無抵抗の場合の話だ。
流石に、術をかけられて反応しないものなど普通はいない。
それこそ強制的手段で眠らせるか何かする必要がある。
人間相手に、隠れて洗脳支配するのは環境的にも時間的にも厳しく、バレた時のことを考えると非常にリスクが高いと、清水は断念せざるを得なかった。
肩を落とす清水だったが、ふと召喚の原因である魔人族による魔物の使役を思い出す。
人とは比べるべくもなく本能的で自我の薄い魔物ならば洗脳支配できるのではないか。
清水は、それを確かめるために夜な夜な王都外に出て雑魚魔物相手に実験を繰り返した。
その結果、人に比べて遥かに容易に洗脳支配できることが実証できた。
もっとも、それは既に闇系統魔法に極めて高い才能を持っていたチートの一人である清水だから出来た事だ。
以前、イシュタルの言ったように、この世界の者では長い時間をかけてせいぜい一、二匹程度を操るのが限度である。
王都近郊での実験を終えた清水は、どうせ支配下に置くなら強い魔物がいいと考えた。
ただ、光輝達について迷宮の最前線に行くのは気が引けた。
そして、どうすべきかと悩んでいたとき、愛子の護衛隊の話を耳にしたのだ。
それに付いて行き遠出をすれば、ちょうどいい魔物とも遭遇出来るだろうと考えて。
本来なら、僅か二週間と少しという短い期間では、いくら清水が闇系統に特化した天才でも、そして群れのリーダーだけを洗脳するという効率的な方法をとったとしても、精々千に届くか否かという群れを従えるので限界だっただろう。
それも、おそらく二つ目の山脈にいるブルタールレベルを従えるのが精々だ。
だが、ここでとある存在の助力と、偶然支配できたティオの存在が、効率的に四つ目の山脈の魔物まで従える力を清水に与えた。
それと同時に、そのとある存在との契約と日々増強していく魔物の軍勢に、清水の心のタガは完全に外れてしまった。
そしてついに、やはり自分は特別だったと悦に浸りながら、満を持して大群を町に差し向けたのだった。
そして、その結果は……
強大な力を持つ龍に魔物の軍は蹂躙され、捕縛されるというものだった。
龍が魔物を全て殺し終えると、シアと気絶した清水を背負って愛子達の元へと戻ったのであった。
ユエ、ティオに、愛子や彼女と同行するクラスメイト達、それと彼女らの護衛であるデビッドをはじめとした神殿騎士。
あとはハジメの救出したウィル、周囲にはそれくらいしかいない。
『さてと……まずは拘束して、その後に起こすか』
龍形態のまま、ハジメはシアに指示を出す。
気絶した清水の手足を縄で拘束し、動けないようにしてから、軽く小突いて強制的に起こした。
「ひっ、ひゃぁあああぁぁあ!?!? なっ、なにをっ、何をするつもりなんだ!?!?」
目覚めた清水。
その目の前には巨大な龍がいて、自分を見下ろしていた。
『……あ、やば。元に戻るの忘れてた』
自分の方を見てビビリ散らす清水を見て、龍は自分の姿のことを思い出した。
そういえば、まだ竜化を戻してなかったと。
龍、いやハジメは、竜化を解いて、元の人間の姿へ戻っていく。
衣服等については、竜化しても一切傷付いておらず、完全な無傷である。
「は? え……おまえは……南雲……? な、んで生きて……それに、龍になるなんて……」
「こっちも驚いたよ。まさかクラスメイトが、こんなことするなんて」
そう言いながら、ハジメは清水に近付き。
懐に隠してあった魔物の毒針を没収する。
毒針がバレたことにも彼は驚いたが、そんなことより、この所業がバレたこと、目の前にさっきまで龍になっていたハジメがいることもあり、警戒心と卑屈さ、苛立ちがない交ぜになった表情で、目をギョロギョロと動かしている。
「隠し針は抜いて……で、何で町を襲おうとしたんだ?」
ハジメはその場に座り、清水に問いかける。
「清水君、落ち着いて下さい。誰もあなたに危害を加えるつもりはありません……先生は、清水君とお話がしたいのです。どうして、こんなことをしたのか……どんな事でも構いません。先生に、清水君の気持ちを聞かせてくれませんか?」
膝立ちで清水に視線を合わせる愛子に、清水のギョロ目が動きを止める。
そして、視線を逸らして顔を俯かせるとボソボソと聞き取りにくい声で話……というより悪態をつき始めた。
「なぜ? そんな事もわかんないのかよ。だから、どいつもこいつも無能だっつうんだよ。馬鹿にしやがって……勇者、勇者うるさいんだよ。俺の方がずっと上手く出来るのに……気付きもしないで、モブ扱いしやがって……ホント、馬鹿ばっかりだ……だから俺の価値を示してやろうと思っただけだろうが……」
「てめぇ……自分の立場わかってんのかよ! 危うく、町がめちゃくちゃになるところだったんだぞ!」
「そうよ! 馬鹿なのはアンタの方でしょ!」
「愛ちゃん先生がどんだけ心配してたと思ってるのよ!」
反省どころか、周囲への罵倒と不満を口にする清水に、生徒達が憤りをあらわにして次々と反論する。
その勢いに押されたのか、ますます顔を俯かせ、だんまりを決め込む清水。
「落ち着いて。ここからは僕が話を聞く」
そんなクラスメイト達を制するハジメ。
ハジメの影響力は、あの戦闘でとんでもなく大きなものになっていたからか、一瞬にして静かになった。
「話を聞くに、モブ扱いが嫌で、反旗を翻したとか、そんな感じでいいか?」
「……ああ」
「モブ……そうか。何となく分かった気がする。つまり清水君は、天之河君みたいにチヤホヤされたかったわけか」
「ああ……そうだよ悪いか!? なんでアイツが勇者なんだよ! 俺はアイツよりも上手くやれるってのに、誰も俺を見ねぇ! 俺の方がもっと効率的に戦えるんだよ!! なのになんで!! アイツばっかりなんだよ!?」
激昂する清水。
ハジメに負けた、完膚無きまで。
そして、チヤホヤされたいという、心の内に隠していた本心を暴かれた反動、怒り、その他諸々の感情により、清水は叫ぶ。
「いやだって……」
そんな彼とは対照的に、ハジメは。
「天之河君が、クラスの中で一番頑張ってたし」
あっさりと、そう答えた。
「……は?」
清水は、絞り出すような声を上げる。
「正直、僕も天之河君と話すことはあまりないけどさ。でもこの世界に来てからの生活を見れば明らかに分かるよ。天之河君は誰よりも訓練を真剣に頑張ってたし、誰にでも親切だったし、誠実だったし。それに勇気も一番ある。召喚されて、その理由を説明された時、みんなパニックになったけど、天之河君だけが、自ら啖呵を切った」
幼馴染である雫からは、天之河光輝は思い込みの激しい人と聞いていたが、あまり関わりの無いハジメからしてみれば、普通に良い人という印象しかなかった。
この世界に来てからは、誰よりも訓練に力を入れ、座学を頑張って知識を身に着けようと努力していたし、社交的でもあった。
流石に異世界に来てすぐ後、考え無しに戦争参加を決めたことについては、ハジメも最初こそどうかと思ったが……結局あれのおかげで、自分も含めたクラスメイト達は、それなりの待遇が保証されたわけだ。
それらのことを考えると、ハジメから見た光輝は、普通に良い人、勇気ある人という印象になる。
「それに、オルクス大迷宮でベヒモスと戦った時のこともある。あの時、みんながパニックになる中、天之河君達だけが、ベヒモスと対峙していた。勇者ってのは、そういうもんじゃない?」
「そ、そんなこと……でも! 負けたら意味無いだろ!? パニックになる? 逃げ回る? いくら勇気を出そうが、生き残らなきゃ意味無ぇだろうがよォ!!」
「……それで、生き残ってやったことが、町を襲う? 悔しさをバネに訓練を重ねて、賢く作戦を練って、大迷宮に再挑戦して、正しい方法で実力を示すんじゃなくて?」
天之河光輝と、清水幸利。
この二人は、精神面からして、大きな差が生じてしまっている。
そしてその精神性が、覆すことのできない差を生んでいた。
「僕個人の考えだけどさ。もし天之河君が“勇者”じゃなくて、清水君が“勇者”だったとしても……しばらくすれば、天之河君が“勇者”って呼ばれるようになると思うよ」
その精神性が、勇者を勇者たらしめると、ハジメは言った。
もし仮に清水が“勇者”の天職を持っていたとしても、強大な敵に怯えて逃げ回っていては、勇者の名が廃るというものだ。
そんなことをしていると、最初は“勇者”と呼ばれていても、いつかは呼ばれなくなることだろう。
「だって性根がもう、ね。強い敵と出会ったら、心が折れて逃げる。清水君のそんな臆病な性格が、これまでの行動で証明されてるもん」
真正面からストレートに、自分の考えを全てぶつけるハジメ。
もはや清水は、何も言い返せない。
何も言わず、肩を震わせながら、涙をダラダラと垂らす。
自分は臆病者で、怖いから大迷宮から逃げて、ヒソヒソこんなことをやって……そんな卑屈な精神を、淡々と指摘されたのだから。
「……まぁでも多分、それが普通の反応だよなぁって、思ったよ」
「え……?」
「こうして口にして見て分かったけど……天之河君はある意味異常なんだよ。普通目の前で人死を見かけたら、怖くて逃げ出すって。逃げ出さない人達は相当強い……というかイカれた精神なんだろうなぁって」
勇者とは、ある意味では相当の異常者とも言える。
仲間が死んでも、ビビったとしても、それでも不屈の精神で前へ進む。
普通の人なら恐怖して尻込みするような状況でも、進んで前へ前へと飛び込んでいく。
そんなことができる人間は、滅多にいないだろう。
「なんだよ。つまり俺は……臆病者の俺は、勇者になれないってことかよ……」
清水は、それができなかった。
それどころか、自らの心の弱さの結果、狂った行動に出てしまった。
町を滅ぼすなんてこと、常人は思いつかないので、そういう意味では異常者とも言えなくはないが……これは、犯罪者に対して使う“異常者”だ。
「で、ずっと雑談みたいになってたけど……結局何で、町を襲おうとしたんだ?」
「……魔人族との、契約だった。畑山先生を殺して、その首を持って帰れば、俺は魔人族側の“勇者”として招かれる予て」
その時だった。
「ッ!!」
ハジメは一気に立ち上がり、清水に向けて飛んできた何かに向けて魔力を飛ばして攻撃を行い、弾いた。
単純な、魔力というエネルギーをそのまま発射するだけの、魔法とは言い難いものではあったが、攻撃の相殺程度なら容易だった。
ただ、あまりに唐突だったためか、尻の辺りからは尻尾が生え、右半身が龍に近い形態になっていた。
シルエットは人間だが、頭の右側に角が生え、右肩甲骨辺りからは大きな翼が生えていた。
右腕にはうっすらと鱗が現れ、手には鋭い爪があった。
「口封じか。でも今ので居場所は把握した」
そう言い、ハジメは変異した右腕を、何も無い山の方へ向ける。
「とりあえず死ね」
音は聞こえない、風は聞こえない、何も変化は無いように見える。
ただ、特殊な魔力探知が可能な目隠しを付けているハジメだけには、山奥に隠れ潜む人型の生命体が細切れにされていくのを、認識することができた。
おそらくは魔人族と思われる何かを殺し終えたところで、ハジメは変異させた部位を元に戻した。
「……よし、これで大丈夫。ってわけで神殿騎士の皆さん、後はお願いします」
「え? あ、ああ」
「それと先生」
「え? 私、ですか?」
「まだ子供の僕が言うのもアレですが……大切な生徒でも、清水君は重罪人です。本当に大切に思っているなら、ちゃんと罪を償わせるべきだと思ってます」
ハジメからしてみれば、もうやるべきことはやった。
なので清水の身柄は愛子の護衛を務める神殿騎士に任せてしまうことにした。
ハジメとしても、彼のことを抱えて面倒事が起きるのは避けたかったのだ。
「じゃ、フューレンに戻るぞ。ウィルさんを送り届けないといけない」
そうしてハジメ達は、新たにティオを連れて、ウルの町を去るのであった。
・南雲ハジメ:別に今作では光輝から被害を受けていないため、彼への評価は高い。なので清水へはド正論パンチを喰らわせることができた。
・清水幸利:勇者になりたい割に、逃げ出してばかりだったので、ハジメにボロクソ言われてしまった。
個人的に清水君って、異世界に行かなくてもなんかそのうち通り魔殺人とかしそうな危うさがある気がします。本当に個人的な感想ですが。