男女比1対9の幻想郷に転生した魔理沙くん(♂)のお話 作:チノちゃん
白い世界。純白に染まった空間にぽつんと一つ小さな一軒家が建っている。
生活感を感じさせない簡素な室内は静謐に満ちていて、かちゃかちゃと食器を動かす音だけが響いていた。
小さな二人がけのテーブルには色鮮やかな料理が押し並べられ、ほかほかと湯気を立ち上らせている。
「はい、あーん」
そのうちの一つをナイフとフォークで綺麗に切り分けると、直ぐ隣に座る俺へと彼女は差し出してくる。
俺は小さく口を開けると、それを口に含んで機械的に咀嚼した。
その間、赤の双眸が俺のことをじっと見つめたまま動かない。
「貴方の為に作ったのよ? もっと食べて」
俺が飲み込んだのを確認してから今度は別の一切れを差し出す。
そうして一皿完食すればふわりと微笑んで上手に食べれたと頭を撫でてくる。
俺はただそれを受け入れるだけだった。
「…………あ」
スープを飲まされた後、上手く含めなかった液体が口端を伝い、膝下へと零れ落ちる。
赤の双眸はすっと細まり、無言でそれを眺めていた。一瞬の沈黙の後、熱っぽい吐息と共に“女”が顔を近付けてくる。
「駄目でしょ零しちゃ……。あぁ──お母さんが今、綺麗にしてあげる……」
恍惚とした表情で垂れたスープを舐め取り、女の手が俺の頬を撫でる。
彼女は頬を赤らめ陶酔したまま、何度も何度も俺に触れた。
俺という存在を確かめるように、繰り返し幾度も幾度も。
「………………」
俺は無言でそれを甘受しながら、ただ漠然と窓の向こうにある白い空を眺めていた。まるで景色が代わり映えしないこんな空間では今が昼か夜かも分からない。
思わず腕に力が込もり、ぎちりと俺の両手を結ぶ須臾の組紐が音を立てた。
気が狂いそうになる空間の中で、俺は目を瞑って空想にふける。
今でも克明に思い起こせる、懐かしきあの日々をただひたすらに。
──俺は今、地獄に居た。
✽ ✽ ✽
「ご飯が終わったらお風呂にしましょうね」
ぱんと両手を打ち鳴らせながら、優しげな女の声が狭い室内に反響する。
そうして純狐が片手を翳すと殺風景だった室内が丸ごと豪奢な浴室に変貌した。
「こんな行為……不浄を持たない私たちにはもう必要ないのだけれど、無為に過ごすというのも風情がないからねぇ」
笑いながら帯に手を掛け、するするという衣擦れの音と共に纏っていた衣を脱ぎ去れば、均整の取れた肢体とシミ一つない白い肌が惜しみ無く外気に晒される。
全裸になった純狐はくすりと一度こちらへ微笑むと、大理石の床を裸足でゆっくりと踏み締める。
そうして立ち尽くす俺の隣まで歩み寄れば、今度はその白い指を俺の衣の襟へと伸ばしてきた。
「今、お母さんが脱ぐのを手伝うわ。じっとして……動いちゃ駄目よ」
幼子に言い聞かせるような声音でそう言いつつ、一つ一つ焦らすように上から丁寧に衣を脱がしていく。
細くしなやかで柔らかな指先が俺の身体の輪郭をなぞるように何度も這い回れば、思わずびくりと身体が反応を示す。
「ふふ……」
じっとりと粘つくような視線が頭上から注がれる。彼女は俺の様子を見てはくつくつと楽しそうに笑い、ことさら丁寧に俺の衣を脱がせていった。
ふわりとした甘い女の匂いが鼻孔を擽る。
顔にはたわわに実った二つの果実が押し付けられ、それは純狐が身動ぎをする度にぐにぐにと形を変えて男の本能を刺激した。
密着する熱い身体からはどうしようもなく情欲をそそる匂いが漂い、俺の思考を容易に溶かしていく。
理性という名の蜘蛛の糸がぷつりぷつりと切られていき、獣欲が頭をもたげて思考を支配した。
目の前の極上の肉体を弄び、思いの限りに犯せと本能が絶叫する。
それらの思考を見透かすように純狐は
俺を見下しながら蠱惑的に微笑み、ぱさりと音を立てて上着が脱がされれば、指先は胸板から腹筋を伝い徐々に下降し、緩やかに下穿きの中へ腕を差し込まれた。
そうして既に下着を押し上げる程に興奮した俺の陰茎をやんわりと握り締め、ゆっくりと上下に扱き始める。
にちゅにちゅと微かに聴こえる粘着質な音が静かな浴室に木霊すれば、その淫靡な音にも昂ぶっていく俺の精神は着実に純狐の手によって追い詰められていった。
身体は快楽に打ち震え、下穿きの中では熱いモノがびくびくと震えている。
理性で必死にそれを抑えつけようと唇を嚙んで腰を引いても、逃がすまいと純狐が身体を密着させてきてそれを許さない。
「あ、あぁ……こんなに腫らしてしまって。す、直ぐお母さんが静めてあげますからね……?」
「はあはあ」と熱い吐息が俺の横顔を濡らした。
ゆっくりと焦らすように、だが確実に追いつめられるような手付きで扱き上げられれば否応にも興奮は高まっていく。
既に怒張した陰茎の先からは先走りが溢れ出し、下穿きに新たな染みを作っていた。
そんな俺を愉しげに眺めた純狐は片手で竿を握りつつ、もう片方の掌で亀頭と尿道を弄り始める。ぐちゅぐちゅと白濁の液が泡立ち糸を引きながら亀頭から吐き出され、愛撫を受ける度に先走りの量は増していった。
「う……あ……!」
ぞくぞくとした快楽が背筋を走り、口からは意思に反して酷く情けない声が零れ出る。脳髄を蕩かすような快楽に睾丸がずんと重くなり、陰嚢から精子が込み上げてくるのが分かった。
我慢しなければ、そう思っていても容赦なく与えられる刺激に身体は容易く限界を迎える。だが射精する直前で純狐は手を止めてしまった。
根本をぎゅっと掴まれて吐き出される筈の精液が無理矢理止められ、行き場を無くした快楽だけが股間の奥で暴れ狂う。滑稽な程がくがくと腰を前後させて、鈴口から先走りを垂らす様は滑稽を通り越して惨めですらあった。
「イきたい? イきそうなの? まだ駄目よ……」
愉悦に染まった声で純狐が囁く。
その声は麻薬のように耳から入り込んで脳を麻痺させ、蕩けさせるような甘美な響きを持っていた。
彼女は俺へと身体を寄せて舌なめずりをすると、熱の篭った吐息を吐き出しながらすっと細めた瞳で誘うような視線を送ってくる。それは男にとっては抗い難い誘惑だった。
ぞくりと背筋が震え、屹立した陰茎がびくびくと期待するように震える。
「続きはお口で、ね?」
えぁ〜とだらしなく舌を露出すれば、扇情的な舌が妖艶に蠢いた。
そうして焦らすようにゆっくりと俺の前で膝を折ってしゃがみ込む。
既に何の衣服も身に着けていない彼女の肢体は風呂の湯気と淫らな熱気で火照り、しっとりと濡れていた。程よく熟れた二つの果実が俺の目の前でたぷんと重そうに揺れている。
下穿きの上から俺の股間に顔を近付ければ、そのまま大きく深呼吸をして鼻腔いっぱいに濃厚な淫臭を取り込んだ。
蠱惑的な上目遣いで俺を流し見すれば、遂に下着へと指を掛け、見せつけるように殊更ゆっくりと焦らすように脱がしていく。
先走りに濡れてべとべとになった下着から解放された肉棒がぶるんと大きく揺れながら純狐の頬へぴしゃりと当たった。
むわっとした雄の臭いが辺りに充満し、先走りが端正な顔を汚す。
「あはっ……♡ 相変わらず大きくて凄い……♡」
恍惚とした表情で純狐は俺の顔を眺めながら、ずしりと重くぶら下がる陰嚢に鼻を押し当てて大きく息を吸い込んだ。むせ返るような濃厚な性臭が鼻腔を蕩かし、陶酔したような甘い吐息が俺の鼓膜を震わせる。
そして裏筋へとれろぉと舌を這わせると、そのまま丹念に亀頭からカリ首までを何度も何度も舐め上げた。ざらついた舌がぬちゅぬちゅと鈴口を擦れば、先走りと唾液が混じり合って淫猥な音を立てる。
それからおもむろに口を大きく開けてぱくりと亀頭を咥え込んだ。口内に溜まっていた熱気が一気に解き放たれて肉棒全体が包まれる。そのまま唇で丹念に何度もストロークされれば、その刺激だけでも俺はあっさりと果ててしまいそうだった。
だがそれを知ってか知らずか純狐は絶妙のタイミングで口を離し、陰嚢へとしゃぶりつく。じゅぼじゅぼと卑猥な音を立てて唾液と先走りのカクテルを喉を鳴らして飲み下せば、それに呼応するかのように陰嚢がひくりと蠢く。
それを舌で愛撫しつつ、射精を促すように窄めた唇が肉棒全体を扱き上げる。
頭の中で火花が散ったような感覚と共に、ぞわっとした快楽が背筋を駆け上る。思わず情けない声を上げながら俺は全身をぶるりと震わせた。
だが精を吐き出さんと陰茎は膨張しても純狐は口を離さず、寧ろ今までよりも激しくちゅうちゅうと吸い上げる。
生温かい口内の粘膜に包まれ、柔らかな舌腹で舐め回され、亀頭を頬肉に押し付けられる度に喉奥がきゅっと締まって吸い付かれれば、快楽はあっという間に限界を突破した。
「…………んふ♡」
白濁した欲望を純狐の口腔内へと吐き出される。
びゅくびゅくと勢い良く放出される大量の精子を飲み下すため、純狐は肉棒を咥え込んだまま微動だにしない。脈動するそれを一滴も逃すまいとごくごくと喉を鳴らして嚥下すれば、まるでポンプのように勢いよく溢れ出るそれを全て受け止めきり、口の端から一筋垂れたそれも余さず舌で掬い取ってこくりと嚥下する。そうして名残惜しげに肉棒から口を離して恍惚とした表情で俺を見上げた。
半開きの口からは妖しく蠢めく赤い舌がちろちろと覗き、今だ萎えぬ俺のそれを獲物を食い殺す蛇のような目で捉えている。
「あぁ……伯封。貴方の愛を感じるわ……はぁ、ふぅ……。なんて、愛おしい……」
うわ言のように呟いてから、純狐は緩慢な動きで此方に見せ付けるように身体をくねらつつ立ち上がる。
つんと張りのある胸が存在を主張するようにたゆんと揺れ、ぴっちり閉じた太腿の付け根では幼子のような無毛の恥丘がとろとろとした愛液で濡れていた。
「は、伯封……こっち……こちらへ……」
焦点を下半身に定めたまま、荒い呼吸を繰り返して俺の腕を掴み手繰り寄せる。
欲情した雌の表情を隠そうともせず、両手を広げて有無を言わさない抱擁をすると全身を押し付け、こりこりとした固く尖った乳首が何度も胸板に擦られた。
そうして俺の脚を股で挟みながらぐりぐりと自分の秘部を刺激しつつ、荒く息を吐き出しては艶かしい嬌声を上げる。
「お゛っ♡ お゛ぉっ……♡」
みるみるうちに愛液の粘り気が増していき、室内にはびちゃびちゃと水音が木霊する。蜜壺から溢れ出した体液は俺の太腿を伝わり、幾重もの水滴が床へと垂れ落ちた。
噎せ返る程の生々しい雌の臭いが辺りに立ち込め、濃密なフェロモンが鼻腔を擽る。
不意に純狐が身体を硬直させ、ぴんと爪先立ちになると大きく背を仰け反らせた。
「お゙ぉ〜っ♡ お゙っ♡ ほぉ゛っ♡」
口からは言葉にならない叫び声を洩らし、秘裂からぷしゃと透明な潮を吹き出して盛大に絶頂する。暫くの間びくびくと陸に打ち上げられた魚のように身体を跳ねさせると、最後にくったりと脱力して俺にしなだれ掛かった。
そうして快楽の余韻に浸るように惚けた表情を浮かべつつも、未だ熱の引かぬ視線が此方に向けられる。
「そ、そろそろ湯船に入りましょうか……。勿論、一緒に……ね?」
✽ ✽ ✽
ぱちゅん、ぱちゅんと水面が波打つ音が木霊する。
仄かに照らされた浴室内には湯気が立ち込め、白い靄となって視界を曖昧にしていた。そんな中で淫らな水音とくぐもった呻き声が反響しては、淫靡な空気がより一層高まっていく。
浴槽の縁に腰掛けた俺の股座には、その美しい顔を蕩けさせて一心不乱に剛直へ奉仕する純狐の姿があった。
「はっ、あぁ……伯封は私の乳房が好きなんでしょ……? 母だから分かります。いけませんよ……私以外の女をそんな目で見ちゃ……あ♡」
たぷんと重量感のある乳房は両側から手で圧迫されるとひしゃげ、そうして俺の剛直を挟み込む。圧倒的な母性の塊からの抱擁を受けた剛直はその豊満な乳肉の感触にひくひくと震えて悦びを示し、谷間から顔を覗かす亀頭はだらだらも涎を垂らして純狐の口許へその身を突き出していた。
「でっかぁ……♡ 本当に何なのこれ……胸に収まり切らないじゃない……♡」
すんすんと鼻を鳴らして、肉棒から溢れる性臭を堪能しながら純狐が呟く。
ちゅ、ちゅっとリップ音を立てながら愛おしげに亀頭へと何度も口付けし、最後にちゅるりと吸い付くと竿全体に行き渡る程の唾液を絡ませた。
円滑油を得てすっかり濡れた竿に弾力のある肌がぴったりと貼り付き、柔らかい乳房が更に肉棒を押し潰す。
そしてゆっくりと竿を呑み込むように左右から圧迫しつつ上下に揺らされれば、心地良い刺激と共に途方もない快感が押し寄せる。ぐちゅぐちゅと泡立つような音を立てながら柔肉に扱かれ、際限無く膨張する射精欲が俺から理性を削っていった。
「どう、かしらっ! ♡ 私のおっぱいは?! こんなことするの、貴方だけよ!」
暴力的なまでの快楽に思わず顔を俯けば、絶世の美女が嗜虐的な表情を浮かべながら俺の肉棒を乳房で扱いているという事実が視覚の暴力となって襲い掛かってくる。
刺激は徐々に激しさを増し、たぱんたぱんと音を大きくしながら柔らかな感触で肉茎全体を満遍なく圧迫した。
「良いのよ? 我慢せずに射精して……♡」
「…………っ」
ばちり、と脳内で火花が散るような感覚に思わず呻く。
爆ぜる寸前の膨張を続ける雄を、純狐は乳房の圧力を強めて更に締め付けながら顔を近付け、口を大きく開いて“待ち”の姿勢を取っていた。
「ぴゅっぴゅ〜って……ママの身体にコキ捨てて? ♡」
妖艶に囁くその声に導かれるように、俺は容易く限界を迎える。
──ぶぴゅっ!! びゅるるるるるっ!! 勢い良く射出された白濁の噴水が純狐の顔をべっとり汚す。むわりとした熱気と鼻を突く雄の臭いに彼女は蕩けた笑みを浮かべたまま顔を上気させ、瞑目して愛おしそうにその身に浴びせられる欲望を受け止めた。
最後に肉槍を包んだままの乳房を丁寧に上下に動かし、ぴゅっと感涙を零す亀頭から一滴の残滓すら余さず搾り取り、ゆっくりと谷間が開かれる。
どろりとした粘り気のある白濁液が乳房と肉棒の間で橋を掛け、お湯に落ちて表面を白く濁らせた。
全身に付着した夥しい量の精液に、純狐は淫蕩な笑みを浮かべると頬から滴るゼリーの一部を指で掬い、口内へと運んでから美味しそうに喉を鳴らして嚥下する。
「次はぁ……♡」
そうして湯船の縁に腰掛けたままの俺の上に跨がり、亀頭と秘裂を触れさせた。
くちゅりと湿った音が静寂に響くと共に、ぬるぬるとした粘液が上から滴り、俺の陰茎を濡らして粘度の高い蜜が肉棒に纏わり付く。
「ふ、ふふ……私の膣内で沢山気持ち良くなりましょうね……」
うわ言のように呟くと、俺の背に手を回してゆっくりと腰を落としていった。
そして膣口を押し広げながら剛直が膣内にゆっくりと侵入し始める。
後ほんの少しで結合される、という距離感の中で囁くような俺の言葉に純狐の動きが停止した。
「……これを、外して欲しい」
「………………」
ぎちりと両手を結ぶ紐を見せれば、純狐は一気に感情の読めない無表情に変貌させた。そのまま探るような瞳で俺を眺めると三日月型に口端を吊り上げる。
「……駄目よぉ。前みたいに暴れられたら困るもの」
くつくつと喉を鳴らし、指先で俺の胸板をなぞりながら覆い被るように身体を寄せられた。再び関心が反らされ、終わりの見えない快楽地獄が再び幕を開けようとする。
「外して、お母様」
「────」
「貴女を、抱き締めたい」
そこまで言って初めて純狐の表情に動揺が浮かび上がった。
目を見開き、信じられないといった様子で俺の顔を食い入るように見つめると、悲壮とも歓喜ともつかない複雑な感情を湛えて大粒の涙を零し始める。
「やっと──やっと分かってくれたのね! 今すぐその不粋な縄を外すわ! ええ、勿論!」
「………………」
手首に巻き付いたフェムトファイバーが外され、両手が完全に解放された。
久方ぶりの感覚に何度か宙を握り締め、諸手を挙げる純狐へと向き直る。
「さぁ、来て! 伯封! 一緒に愛し──」
「死ね」
音もなく上半身が消し飛んで純狐は浴槽の中に身を沈ませた。
一拍遅れて血の洪水が俺の全身に降り掛かり、湯を真紅の池に染め上げる。
「…………。……」
それを一瞥した後、俺はのろのろと緩慢な動きで立ち上がった。
喉の奥から迫り上がる吐き気を堪えながら、血に染まった裸体のまま壁伝いに外へと脱出する。
扉を開けた先に広がるのは広大な“虚無”だった。
其処には太陽も月も、青々とした空さえ存在しない。白いキャンパスが地平の先まで、どこまでも広がっている。
一歩踏み出せば、硬質な鉄塊のような冷たい感触が足裏から伝う。地上でも月でも無い、この奇妙な空間の正体を俺は自身の経験から知っていた。
──仙界。何時かの異変にて豊聡耳神子が創り出した神霊廟のような……仙人が産み出す心象風景の具現化。
それも純狐の神霊としての“格”を考えればあれよりも更に高度な技術によって成り立っていることは想像に難くない。
故に俺がこの場から脱出する方法は極わずか。
一、恐らくこの世界の何処に存在するであろう外界との出入口を見つけ出す──目星、無し。
二、この場で純狐に仙界の維持が不可能になる程の致命的なダメージを与える──絶対不可。
三、大人しく何時か来るかも知れない誰かの助けを待つ──無理。
脱出、無理、不可能、詰み──。
「クソっ……!」
頭の芯から熱が急速に引いていく感覚に俺は頭を振って悪態を吐く。
もう時間がない。制限時間は刻一刻と迫っていて、今は一秒すらも惜しいというのに全身が気怠く、鉛のように重い。
この場所に来てからずっとこの調子だ。体調が優れない。
最初はストレスによる精神異常だと思ったが何かが違う。奇妙な違和感がある。まるで自分が自分で無くなるような──。
「はぁっ……! はぁっ……!」
だから、早く戻らなければならない。
理屈ではなく、本能でそう直感する。
こんな場所にこれ以上居続けたら頭がおかしくなりそうだ。いや、もうおかしくなっていて……だから早く戻って──お母様に愛して貰わなければ。
「…………は?」
踏鞴を踏んで、その場に蹲る。
今まで感じたこともない怖気に全身の汗腺から嫌な汗が噴き出した。
今自分が何を考えていたのか自覚して顔から血の気が引き、気持ち悪い感触だけが腹の中でぐるぐると巡っている。
最も恐ろしかったのはそんな自分に一瞬でも気が付かなかったことだ。これは、極めて強力な精神の、
「──おかえりなさい」
はっと我に返れば景色が様変わりしていた。
木製の床。小さなテーブルに椅子が二つだけの簡素な室内。窓の奥には白い景色──背後に人の気配を感じる。
とんと肩に手を置かれ、視覚を覆い隠すように掌が被せられる。
耳許で囁き声。
「素晴らしい一撃だった……貴方からの純粋な
そのまま背後から抱きすくめられれば、蛇に睨みつけられた蛙のように身動ぎ一つ出来なくなった。
首筋に掛かる熱い吐息に全身の血液が凍り付き、振りほどこうとする意志すら丹念にすり潰される。
腰に巻き付く細くしなやかな腕が強張る俺の動きを完全に封じていた。
「やっぱり“交わった”のが良かったのねぇ。……私たちが日に日に近付いていくのが、この身で実感できる」
何か、とてつもなく悍ましいものに俺の“芯”を侵食されている。
心臓に氷柱を差し込まれたような寒気がした。自分が自分でなくなる感覚に吐き気が止まらない。
「もうすぐよ……。時が来たら──産み直してあげるからね……」
混濁する意識の中で、くすくすと笑う声だけが厭に鮮明に脳裏を残響していた。
✽ ✽ ✽
「おっまた〜」
軽快な声と共に扉が開かれる。
静寂が支配していた室内に突然現れた影に、寝台の上で寝そべりながら俺を抱き締めていた純狐が身体を起こした。
一糸纏わぬ姿で胡乱げに立ち上がり、声の主を見留めると喜色の混じった表情で向かっていく。
「ヘカーティア? 今日は随分と遅かったわねぇ」
「ま、ちょっと野暮用があってね。……それより前に話した地上のお菓子を買って来たのよ! 一緒に食べましょう?」
けらけらと軽快な調子で笑いながらヘカーティアは手提げ袋を高く掲げた。
純狐は指をぱちんと鳴らすと何時もの服装へと見た目を転じる。そうして後ろ手を組むヘカーティアに笑い掛けると何も無い空間から食器を取り出し、いそいそと並べ始めた。
柔和な眼差しで純狐を見詰めるヘカーティアが不意に此方へ顔を向ける。
「…………。伯封くんの分もあるからね」
先ほどとは別種の声色を含ませたその表情には何処か困ったような自嘲が浮かんでいた。
手招きされるがままに食卓を囲めば、大皿に盛られたお菓子がテーブルの上に広げられる。
ぽんぽんと膝を叩く純狐。意図を察して近寄れば、するりと抱き抱えた状態で膝の上へと乗せられた。
「……少し変わった?」
向かい側で座るヘカーティアがまじまじと俺を見詰めるとそれまでの微笑を消し、真剣味を帯びた表情で質問を投げ掛ける。
それに純狐は満面の笑みを浮かべて肯定すると、俺に頬擦りして柔らかく微笑んだ。
「やっぱり、分かる? もうすっかり馴染んだのよ。……貴女の目にはどう映っているかしら」
「……一瞬、誰だか分からなかったわ。こうして見ると本物の──」
「………………」
そこでしまったというような顔を浮かべて一度言葉を区切ると、ヘカーティアはテーブルに置かれたお茶に口を付けて息を吐いた。
「いや……それより月の都への侵攻はどうするの? もう長い間やってないけれど」
「あぁ、それね」
お茶の入った杯を物憂げに眺めながらヘカーティアが問えば、焼菓子を摘んで純狐はけろりと言い放つ。
「辞めにすることにしたの。私が月の都へ向かうことは、もう二度とない」
「…………それは」
「だってそうでしょう? 私には──この子が居るんですもの!」
そう言って純狐は俺の方に顔を向けた。これ以上ないほどの穏やかな、それでいて屈託の無い満面の笑みを浮かべて。
──それは、何処にでも居る母親のような。
そんな笑顔を浮かべたまま純狐は両手を広げるとゆっくりとした動作で俺を強く、強く抱き締める。
「月の民に構ってる暇なんて無いわ……。これからの時間は伯封の為だけに費やすの。嗚呼──ずっと……ずっと一緒に、ね……」
「そう……」
感情を伺わせないヘカーティアの声。
僅かに口を濁らせて、それでも最後に小さく、良かったわねと呟かれた言葉に純狐は蕩けそうな微笑で応えるのだった。
「……それじゃ私は行くわね」
「あら、もう?」
お菓子もお茶も尽きた頃、ヘカーティアがそう言うと純狐は残念そうな声と共に唇を尖らせる。そんな反応にけらりと戯けるような笑いで返すと、ヘカーティアは手をひらひらと振りながら立ち上がり、
「────あ?」
がたりと音を立てて椅子から崩れ落ちた。
ヘカーティアが片膝を突いて床に伏したまま、驚愕に目を見開き信じられないといった様子で自身の片手を眺めている。
「ヘカーティア……?!」
純狐が慌てたように俺を膝から降ろして駆け寄る。其処には確かに腕を真っ赤に腫らして蒼白な顔をしているヘカーティアの姿があった。
「け、怪我をしたの……? 誰が、こんな……」
「────。……大袈裟ねぇ、今まで気付かなかったくらいだし、大したことないわ」
「ほ、本当に……?」
「こんなの、犬に噛まれたみたいなもんよ」
ぐるぐると見せ付けるように片腕を回し、ヘカーティアは苦笑いと共に立ち上がる。
そんな友人の姿に純狐は安堵と心配を織り交ぜたような複雑な表情で眺めながら寄り添って──ふと何かに思い至ったように顔色を喪失させた。
「──まさか、あの巫女?」
「…………!」
ヘカーティアの表情が一瞬だけ強張る。
「あの巫女なのね……? 心底どうでもいい存在だと思ってたけど、私の友人に手を出すというのなら許し難い……どうしてくれようか」
「純狐……」
「いっそのこと、私が、この手で」
「やめて」
限界まで張り詰めた剥き出しの感情をヘカーティアは片手で制する。
ぴたり、と荒々しい力の奔流が止まるのを待ってから諭すようにゆっくりと首を振った。
「本当に、問題ないから。純狐は手を出さなくていいわ……本当にね……」
念押しされるように言い切られ、純狐は何度か瞬きをしながら不思議そうな表情でヘカーティアを見詰める。
「貴女が言うなら、それで構わないんだけど……」
「ありがとう。純狐」
小さく微笑み、短く抱擁を交わしてヘカーティアは背を向ける。
そして扉の前で一度だけ振り返って、俺を見ると申し訳なさそうに眉尻を下げた。
何か口を開こうとしたようだったが──結局何も言葉を発することなく、そのままヘカーティアは部屋を後にする。
ぼんやりとその光景を眺めていた俺を純狐が優しく抱き締めた。
「まったく、狂った女ほど恐ろしいものはないわねぇ。私から、子供を奪おうだなんて……」
嘲笑う声色に純狐を見やれば優しげな表情で、ぐずる子供をあやす手付きで俺の頭を撫で、時折何かを思い出したように抱き締める両手に力を篭める。
「大丈夫、貴方は私が守るわ……」
──時折、考えることがある。
まるで打開策の見えない沼底のような状況だが、仮に俺が砂漠の中で一粒の砂金を掴むような幸運を手にしてこの場から脱出出来たとしても、それは根本的解決になるのかと。
純狐が俺に対して異常なまでの執着心を抱いていることは明らかだ。
ならば、俺が消えた後その矛先が真っ先に何処へ向かうかは想像に難くなく、幻想郷が脅かされるのは俺の望む所ではない。
そう考えれば俺一人、個人の犠牲で完結するこの状況こそが最善なのではないのか。少なくとも俺の既知に彼女に匹敵する存在は居らず、この空間に辿り着ける者すら限られる。
死は許されず、このまま一生、この虚構の空間で純狐に飼われ続けるしかないという予感。
同時に身体の芯から凍り付くような悪寒に襲われる。
有り得ない、まさかとは思う。可能性は限り無く低い。そもそも彼女が俺の為にそこまでする理由がない。自意識過剰も良い所だと自分でも笑ってしまう。
だけど、それなのに──やりかねないという直感がある。
もしも──もしも博麗霊夢がこの仙界に辿り着くようなことがあったとしたら。
それはきっと──俺にとって生涯残る後悔を産むことになる。
逃げることは許されない。死ぬことも許されない。生きることすら──。
──それじゃあもう、やることは一つしかないじゃないか。
そこまで思考が至ると、一気に頭の底にあった蓋が開くような感覚に襲われた。
そして、全身の毛を総毛立たせるような悪寒と共に得も言われぬ解放感に精神が染まっていく。
まるで生まれ変わるような心地好さに一瞬浮き出た嫌悪感は即座に塗り潰された。
今までどうしてこの方法を思い付かなかったのか自分で不思議に思うほどに、意識が明瞭と“純化”して俺という存在を上に押し上げる。
「あぁ──“成った”のね……! 遂に……!」
俺の変化を察した純狐が感極まったような声を上げた。
あれだけ恐ろしかった純狐の姿が今となってはやけに愛おしく感じられる。
まるで、本当に彼女こそが自分の母親であるような──。
俺の変化を祝福するように彼女は抱き留めていた両手を背中から頭に移動させ、ゆっくりと撫で回していく。
その感覚に強烈な多幸感を覚えながら俺は手を持ち上げて純狐の身体を抱き締め返した。
今はただ──この純粋な
✽ ✽ ✽
「わ、若旦那ぁ〜!!」
どたどたと廊下を揺らすほど喧しい足音を立てながら、女が今にも泣き出しそうな顔で部屋の奥へと転がり込む。
静謐に包まれていた空間を破られた不快に眉を寄せながら読みかけの本を閉じると、男は乱入者の方へ向き直った。
「その、“若旦那”というのは止めてくれと何度も言ったろう? 僕は、そんな歳じゃない」
「あっ……す、すみません」
窘められた女は申し訳なさそうな顔で頭を下げたが、直ぐに「そうじゃなくて!」と声を荒げるとあわあわと動揺からかイマイチ要領を得ない説明を展開し始める。
──愛想が良くて客からの評判は良いのだが、どうにもこういう所がなぁ。
眼前の女中を眺めながら小さく嘆息を吐いて、男──森近霖之助は重い腰をゆっくりと持ち上げた。
「それで、何の用だい?」
──店内に妙な客が居る。要約するとそんな話を受けて霖之助は長い廊下を渡って、門戸まで足を運んでいた。
女中には「後は僕に任せなさい」と告げはしたが、内心はやや億劫な心地である。人里の中でも数ある道具屋の中でも一番の老舗であるこの店には、毎日次から次へと絶えることなく客が訪れるので、時折こうして店主である霖之助の時間を無闇矢鱈に浪費させるような客も中には居る。世間ではこういうのを嬉しい悲鳴と呼ぶのだろう。しかし霖之助にとってはどうにも性に合わないという感覚が何時まで経っても拭えなかった。
そういう時は決まって昔は良かったなあと魔法の森の入口で簡素な店を構えていた頃をしみじみ思い出すのだ。訪れる客層は今とは比較に出来ない程酷いもので、まともに金すら払わないような奴ばかりだったが──それでも屈託のない日々だった。
目を瞑れば今でも鮮明に思い出せる。白黒の魔法使いに紅白の巫女……それに──あぁ、あれから……一〇〇〇年以上も経ったのか。
昔のように一人気儘に小さな道具屋を営む日々を夢想しない訳ではないが、しかし曲がりなりにも先代から受け継いだ“霧雨店”の店主としての立場がそれを許すことはなかった。
深い深い嘆息を以て懐かしき思い出に蓋をしてから、霖之助は店内へと足を踏み入れ──そして、硬直した。
(おいおい……!)
扉を開くなり圧倒的質量を以て視界を蹂躙したのは、如何なる美辞麗句をもってしても表すことの敵わないこの世のものとは思えぬまでの絶世の美貌だった。
外界と断絶するかのような冷気が漂う薄暗い店内において、その存在自体が光を放っているかのように周囲の空間が歪曲しているような錯覚すら覚える。──これは、神気……! それもとてつもなく上位の、相対するだけで凡百を蹴散らすような超越者の気迫!
昼の稼ぎ時だというのにがらんとした室内には二人っきりの隔絶した空間が出来上がっていた。当たり前だ。こんな存在が居る場所に、ただの人間が同居できるはずもない。
「ああ──こんにちは、店主さん」
容姿に見合った玲瓏とした涼やかな声音が耳朶を打つ。精巧な人形を想起させる顔貌に、真っ赤な宝石のような双眼が霖之助を捉えてニコリと細められた。
そうして腰まで伸びた金糸のような髪を揺らしながら、古めかしい中華服を着こなした麗人が音も立てずに霖之助の元へと歩み寄る。
晴れやかな春の日に咲く桃の花にも似た瑞々しい甘やかな薫りが霖之助の鼻孔を擽った。
「興味深いお店でしたので思わず足を運んでしまいました。──少し見て回っても?」
「あぁ、構わない……が」
──参ったなぁ。態度の悪い客をあしらうくらいの軽い気持ちで来たのに……。捉え難い、何処か危うさを含んだ面持ちでふらふらと店の中を歩き回る麗人を遠目に眺めながら、霖之助は額に手を当てて頭痛を堪える。
「しかし、その──力を垂れ流すのはどうか止めてくれないか? さっきから心臓に悪くて仕方が無い」
「…………?」
霖之助の言葉に、それまで陳列棚を眺めていた美貌が首を傾げて振り向いた。何を言っているのか理解出来ていないという風な表情で、探るようにこちらに視線を送り続けている。
「それだよ、そのオーラ。ただの人間には刺激が強すぎるんだ。……頼むから引っ込めてくれ」
「……あぁ」
そこまで言って漸く合点が行ったらしく、麗人は納得したように微笑むと唐突に身に纏っていた神気を掻き消した。
途端、身も凍るような重圧から解放され、霖之助は大きく深呼吸する。
「ごめんなさい。
「い、いや、分かってくれればそれでいいんだ……」
どうやら雰囲気ほど話の通じなさそうな存在ではないようだと胸を撫で下ろしつつ、霖之助はこの短時間ですっかり凝り固まった肩を解した。
これまでの人生でそれなりの手合いを相手にしてきた霖之助をして、眼前の存在の持つ力はちょっと記憶にないほどだ。下手すれば店ごと吹き飛んでしまいそうな程の荒々しさに内心冷や汗は止めどなく溢れてきていたが、会話が通じるというだけで少しは気分が楽になる。
「変。……魔術書は何処にあるんです?」
「……ただの道具屋にそんな物があるわけないだろ」
「ふむ」
麗人はぐるりと周囲を一望し、やや落胆したかのように溜息をついた。
唇を尖らせ何処か物足りなそうな表情を浮かべながら霖之助へと向き直る。
「ちょっとお行儀が良すぎる。もう少し遊び心があっても良いんじゃない?」
ぐっ、と思わず喉が鳴りそうになる。
内心痛い所を突かれたと思ったが、これは先代との約束でもあるので譲れない。
「そういう危ない品はね、うちでは扱わないんだ。お客も従業員も多く居るし、もしもの事があったら僕は店主として責任を取らなくちゃいけない」
真顔で告げると、麗人は片眉を釣り上げた。余っ程意外だったのか暫くまじまじと霖之助の顔を眺めると、ふっと小馬鹿にしたように鼻を鳴らして笑みを浮かべた。
「まさかお前の口からそんな言葉を聞くとは思わなかった。まるで本物の商売人みたいだね」
「あのなぁ……僕だって色々考えてるんだよ。いつまでも寂れた古道具屋の店主で居るわけには──」
そう言いかけた所で、霖之助は思わず口許を抑えた。
まるで旧知の友と語り合っていたかのように気安くなっていた自分の言動に驚愕する。
改めて見遣るが、眼前ではやはり見覚えのない美人がにこにこと笑いながら立っていた。
「……冷やかしなら帰ってくれ」
何だか妙に調子が狂う。とっとと追い払いたい霖之助だったが、しかしその美貌を直視すると何故か言葉が出てこない。
そんな彼の心情を汲み取ったかのように、麗人は微笑みを崩すことなく頷いた。
「ではこれを」
そうしてカウンターに置かれたのは、四ツ葉のクローバーが刺繍された小さなブローチだった。
そういえばもっと女性層を取り入れようと従業員からの提案で最近こういうアクセサリーも仕入れるようになったなあと思い出す。
「ああ……それなら」
そうして金額を指し示すと、盲点だったという風に麗人が何度も瞬きをした。
「そういえばお金を持ってなかった」
「おいおい……」
「ちょっと待って。今代わりになるものを用意するから……」
「今時物々交換なんて止めてくれ……」
頭を抱える霖之助の目の前で、麗人は袂の中へと手を入れて弄ると、何処にそんなスペースがあったのかという巨大な球体を三つ取り出した。
「これ、もういらないからあげる」
「…………!?」
霖之助は驚きの余り息を詰まらせた。何せ麗人が取り出した球体の正体が自身の能力を使用してもさっぱり用途が分からない代物だったからだ。ただとてつもない力を秘めているということだけは理解出来る。
「……仕方ないな。今回だけ、特別だ」
赤、青、黄色。それぞれ宝石のように光り輝く球体に収集欲を大いに刺激され、釘付けになる霖之助に微笑しながら、立ち去る麗人の優しげな声。
「じゃあね……ありがとう」
✽ ✽ ✽
「ここは……」
魔法の森の一角。まともに整備もされていない雑木林を抜けて出た先の開けた場所には朽ちた西洋風の一軒家があった。
こぢんまりとした庭には名も知らぬ野草が生い茂っているものの、一部の草木は剪定され花壇も作られていて、そこからつい最近人の手が入ったのだと察することが出来る。
ふらふらと誘われるように戸口の前に立った人影は、躊躇することなく古びたドアノブを回した。
軋みを上げながら開いた扉の向こうには、綺麗に掃除された玄関が訪問者を出迎える。
淡い日光が差し込む室内は何処か統一性のない奇妙な道具類が押し並べられ、ごちゃごちゃとした印象を与えるがそれも妙に整頓されていた。
「…………?」
首を傾けながらぐるりと室内を見回した人物は不思議そうな表情を浮かべて手近の安楽椅子に腰掛ける。
そうして何をする訳でもなく、ぼんやりと宙を眺め始めた。
無音の部屋に時計の針音だけが無機質に響き渡る。
永遠に続くかと思われた静寂はしかし、唐突に開いた扉から現れた来訪者の声で終わりを告げた。
「はぁっ……はぁっ……!」
息を切らせながら扉を蹴破り出てきたのは、緩くウェーブがかった金髪の少女だった。
平素なら人形のように整っているだろう顔を険しく歪ませ、身に纏う青のワンピースは大きく着崩れて肩のケープなど、殆どずり落ちかかっていた。
文字通り飛んできた、といった風体で玉のような汗を額から滲ませながら少女が指を走らせると、あっと言う間に狭い室内に夥しい数の人形が展開される。
「──誰? 人の家に、勝手に侵入するなんて良い度胸してるじゃない……!」
こめかみに青筋を立てながら少女──アリスマーガトロイドは部屋の奥に鎮座する何者かを睨み付けた。
禍々しいまでの殺気を矢のように送りながら、全身から魔力を迸らせて威圧する。
並の人間ならば、これだけで過剰に防衛本能を刺激されて発狂するか脇目も振らず逃げ出す程の気迫だったが──眼前の人物はまるで意に介した風も無く静かにアリスを見返していた。
青と赤の視線が交錯し、僅かな停滞を産む。喉元に人形の槍を突きつけられたまま、それでも涼しげな声色で侵入者は口端を緩ませると掌を此方に振る余裕さえ見せ付ける。
「ああ、ごめんなさい。この家に珍しい魔法が掛けられていたから……防腐? 保存? 貴女がやったの?」
「…………っ! アンタに、関係ない」
敵意を剥き出しに返答しながらアリスは内心で舌打ちをした。
──コイツ、強い。
金髪、中華服、空恐ろしい程に整った顔。まず間違いなくまともな存在ではないなと判断を下したアリスは、臨戦態勢を解かぬまま警戒を続けて相手の素性を見透かそうとするが、観察してもまるで理解出来ない事に気が付き更に眉間の皺を深く刻む。
力の流れを毛ほども感じない。十中八九実力を隠してるというのに巧妙な技術で隠しているのかそういう能力を有しているのか、アリスの魔法を以ってしても看破することが出来ない。
後者ならまだマシだが前者なら単純に魔法技術に於いて眼の前の麗人にアリスマーガトロイドの腕が劣っているという証左になる。
そしてそちらの可能性の方が高いだろうなと長年の経験から理解すると、アリスは益々苛立ちを募らせた。
──何で、こんな奴がよりにもよってこの場所に……!!
「何でそんなに怒っているの? 美人が台無し」
「誰の、せいだとっ……!!」
ぎりと奥歯が軋む音が鳴り、腸が煮えくり返りそうになるのを懸命に理性で抑え込むと、アリスはゆっくりと息を吐いてアプローチを変えることにした。
努めて真剣な表情で、眼前の麗人に対して冷たい言葉を投げる。
「ねぇ、本当に出てって欲しいのよ。ここは私にとって大切な場所で、穢されたくない。此処にはアナタの目を引くような物も存在しない。分かった?」
「──ふ、ふふふっ」
だが、そんなアリスの嘆願に対し麗人はまるで堪えた様子もなく、肩を小刻みに震わせて笑っていた。
一気に空気が氷点下まで沈みアリスの瞳がゆっくりと据えられる。
──もう、限界。
一触即発となった空気の中、麗人が柔らかな口調で呟いた。
「家主が家に帰っただけで、どうして責められなくちゃならないの?」
「あ゛?」
とうとう堪え切れなくなったアリスの殺気が遠慮無しに溢れ出る。それを一身に受けながら麗人はやれやれといった風に肩を竦めた。
直後、それまで浮かべられていた微笑が一気に消え去った。
頬杖を突きながら、それまでとは一変して真剣味を帯びた表情がアリスに向けられ僅かに戸惑う。
「おい──マジで分かんない?」
「…………は?」
砕けた口調、無遠慮な態度。先程までの冷徹さは鳴りを潜め、代わりに何処までもざっくばらんな口調へと変わった麗人に思わず間の抜けた声を返す。
完全に虚を突かれたアリスを尻目に、目の前の人物は髪を無造作に掻き上げながら面倒臭そうに溜息をついた。
「お前と初めて会ったのは魔界だったよな? 俺は師匠に連れられて……あの頃はお互いまだ小さかった」
「────は、あ……?」
「異変の解決だって一緒にしただろ? 魔法の研究を手伝ったのだって、一度や二度じゃない──」
「待っ」
「博麗神社で一緒に宴会もしたし、俺はお前のこと」
「まって」
「──友達だと思ってたよ」
喉が、乾く。
視界が点滅したような錯覚を覚え、アリスはくらりとバランスを崩すと思わず後ずさった。
脳髄を電気のような衝撃が駆け巡り、吐気にも似た衝動で息が詰まる。
耳鳴りと眩暈の向こうからは囁くように懐かしい声が響き、アリスの耳朶を優しく叩いた。
顔も、声も、己の五感を通して伝達される情報は、眼前の見知らぬ誰かを無慈悲に他人だと断言する。だというのに──。
震える足は勝手に、ふらふらと前に歩み出す。
視界にはもはやその姿しか映らず、それ以外には何も見えない。
想いが堰を切ったように溢れ出し、思考回路を無秩序に掻き乱していく。混乱と困惑で吐き気すら催した状態で、強張った唇がその名を呟いた。
「ま……りさ……?」
「──久しぶり。待たせたか?」
唐突ですが作者はレイマリと同じくらいマリアリも好きです
という訳でさすがに次回はがっつりエロにします