──1・ボクを何だと思ってんの
「もしも歴史の教科書がぜんぶウソだったらどうする?」
白絹のような長髪に白磁の肌、赤いフレームにオレンジレンズのサングラスをかけた秀麗眉目が、相変わらず悪戯っぽい笑顔で心底楽しそうにしている。
──コイツまた何か言い出したぞ……⁉︎
故に、瞬時に気を張った
──なにしろコイツは、いつだって思いつく事は突飛すぎて碌でも無い──
当の翡翠は椅子に腰掛け、自身の左手の指先を眺めてニコニコしていた。
青く透けそうな白磁の肌に、ネイルチップの装飾が映えている。
それを嬉しそうに見つめる顔も、しどけなくも悩ましい、どこか蠱惑的な微笑みだ。
なお右手の分は、隣の机に預けて作業中。
時は放課後。場所は教室。
暇を持て余したクラスメイトが、男女を問わず自然と翡翠を中心に集まって歓談していた。
そんな中の出来事である。
「そんなん、科目がいっこ無駄になるじゃんか。どいつをブン殴りゃいいんだ」
悠久郎はつっけんどんに回答した。
「ぜんぶ誰かの創作なの! ウケる」
「壮大なイタズラだなおい」
少女にしてはハスキーボイスで、翡翠がケラケラと笑う。
悠久郎としては、まず仮定について行けずそう言うしかない。
「口伝、文献、学術的考察と研究から歴史学の教科書は作られているけど、ボクら実際にその出来事を見たワケじゃないじゃん?」
「うちの曾祖父ちゃん戦争経験者だよー」
翡翠の講釈の途中で、隣から少女の声が割り込んだ。
何処か空気を読まない、茫洋とした声だ。
その隣席の少女は、目線を手元に落としたまま、翡翠の右手の指先をせっせと弄っていた。
机に載せた翡翠の指先に、ネイルチップを丁寧に貼り付けているのである。
ふわふわな栗毛で垂れ目ぎみの、まるで仔犬のような少女だが、作業に真剣に集中する手付きは熟練のそれだ。
「えー? マジ? 百歳?」
「んんーそんくらい。あー動いちゃダメー」
喫驚する翡翠の僅かな身動きに、慌てて少女──
ピンセットを片手に、ネイルチップの微調整に黙々と腐心し続ける。
「まあつまり、ボクらの現実で認識可能な歴史の範囲は、第二次世界大戦くらいまでだよね」
「確かに素人の俺らじゃ、それ以前の出来事のリアルな証言を取るのはハードだな」
「でしょー」
言って、翡翠はこてりと小首を傾げた。
動作につれ、サラサラロングストレートの白髪がさらりと流れる。
いちいち綺麗で美しくて、蠱惑的な所作だ。
露吹翡翠は、
「先天性色素欠乏症」とも呼ばれ、生来メラニンが欠乏し、それ故に肌が健常者よりも白くなり、様々な皮膚耐性を持たない遺伝子疾病である。
まず髪が白い。
そして、肌が青く透けそうなほど白い。
ただし瞳は赤い。虹彩のメラニン不足のためである。
故に紫外線に弱い眼球保護のため、サングラスを着用している。
ついでに制服も白い(これは、学校指定の中でわざわざ白を選んで着ているもの)。
その上小柄で、妖精のような美しい容姿に恵まれ、それを自覚しているのでタチが悪い。
つまり性格が最悪だ。
──最後のは悠久郎の感想だが。
「それ以前の出来事がぜーんぶ創作だったらすごいよね! 超大作の思いつき」
「すげえよなわざわざ俺ら学生のストレス溜めて」
「そーじゃなくてさ」
犬歯を剥いて呻いた悠久郎に、翡翠が頓着せずに指先を──亞里亞につけてもらったネイルチップを突きつけて。
「例えば聖なる書物とか教えの典とかカミの噺だって周辺の人たちの創作物じゃん?」
「おいバカやめろ」
「うーごーかーなーいーでー」
さすがにセンシティブを煽りそうな単語が並び出したから黙らせようと迫る悠久郎に対して、翡翠が片足を上げて迎撃用意をし、その身動きを亞里亞が咎め。
教室の中心が一時騒然となった。
「ヒスイくんてさ、ネイルはUV使わないの?」
「できないからチップつけて貰ってるんだけどね」
斜め前のグループの女子の質問に、左手のネイルチップを見せて言う。
その女子は、そちらのグループ同士で爪にジェルネイルを施して、その指先にLEDUVライト照射装置を被せて硬化待ちをしているようだった。
「ボクの肌は特に紫外線に弱いからね。間違ってもそのUVライトをこっちに向けないでよ? ボク灰になっちゃう」
「えー? こんなちっちゃいLEDだよー?」
ほら、と言って女子生徒が、その手のひらサイズの機材をひょいと持ち上げた。
それを、男子生徒の背中が遮った。
「やんなっつってんだろ」
ジェルネイル硬化用LEDUVライトの前に立ち塞がったのは、悠久郎だった。
「シャレじゃ済まねえんだよ分かれ」
「……なんだよマジんなって……」
肩越しに悠久郎に睨まれた女子生徒は、それでも毒吐いて身を退いた。
「ちょっとやめなって」
その女子生徒に、同じグループの女子が肩を掴んで嗜めた。
──あんたマジ消されるから⁉︎
──知らないの⁉︎ ヒスイくんチって……
コソコソと、その女子周辺で噂話が始まった。
なお、この距離で聞こえないわけが無いのだが、女子生徒達は必死の形相だ。
翻って、当の翡翠は特に気にした様子が無い。
「……消すのか? 翡翠」
「なに言ってるのか分からないよ人聞きの悪い」
一応、顔を寄せて小声で伺う悠久郎だが、翡翠は朗らかな笑顔でそう応えた。