──1・決戦のボクら[前編]
肉と骨を潰して砕く、厭な音が聞こえた。
亞里亞の脇腹が、左前腕ごと噛みちぎられた。
亞里亞の右脚が、付け根から食いちぎられた。
一瞬の、だが凄まじい激痛に、亞里亞の脳は叫ぶより嘔吐して気絶する方に働いた。
散らばる小柄な、欠損した肢体と肉片と凄惨な血飛沫。
翡翠と悠久郎が振り返るよりも早く、セーラー服を引き裂き腹部の肉が弾け飛んだ。
──よくも! よくもやってくれたなクソ兄貴!
民間ゴーストハンターは、単独で行動している者もいれば、数人でチームを組んでいる者もいる。
あるいは、一定のネットワークから、事件や依頼内容から適性のあるメンバーを呼び集めて仕事に取り掛かる場合もある。
練馬区
「いらっしゃいボウヤたち。何飲む? 甘ぁ〜いカクテルのオススメがあるのよう」
「未成年に酒ススメんなシバくぞ」
「朝九時だよ?マスター。シバくぞー」
カウンターの向こうに立つ細長い中性的な中年に対して、悠久郎と亞里亞が素気無く言い放った。
その中年──赤のベストに赤のギャルソンエプロンを纏った細長い男は、右半分だけ白く脱色したロングヘアを一振りすると、シャドーの濃い厚化粧の顔面をニヤァと歪めた。
「──合格。未成年禁酒禁止法。忘れないでネ」
「未成年"飲酒"禁止法な。イイ加減シバくぞ」
「しれっと禁酒禁止するなーシバくぞー」
悠久郎と亞里亞は、あくまでも冷淡に言い返す。
その奇人マスター・
「覚えておきなさいボウヤたち。与太話もしないでいきなり仕事のハナシだけ早々に片付けるだなんて粋じゃないわ。アタシのトーク術、しっかり覚えて帰ることね」
「通報するかもう」
「いましてる。1の」
「与太話って言いましたー!」
「あーわたしのスマホー⁉︎ 」
マスター蓮が、その長ーい腕をカウンターの上から伸ばして亞里亞のスマホを取り上げてしまった。
「おい翡翠! そんな所で寝てないで、どうすればあの赤いレンコンをやっつけられるのか教えろ」
「……いやボクも蓮さん苦手なんだよー」
身構えて叫ぶ悠久郎にも応えず、翡翠はそこのテーブルに突っ伏して頭を抱えていた。
「ほーほほほ! このスマホを取り返したければ身長をあと1メートルは伸ばすことね!」
「悠久郎! 合体するよ! わたしが上ね!」
「待て、脇腹あたりにこの鞄を埋め込めば半分くらいに折れるはずだ」
「なんだあ? この騒ぎは」
亞里亞が鞄を構えた悠久郎の背中によじ登りかけた所で、上品で軽いドアベルの音と共に、伊達光太郎が入店してきた。
「だから、伊達さん呼んだんだよ」
「依頼者は、警視庁妖魔特捜課と、芹沢エンタープライズの連名。内容は、こないだの倉庫襲撃事件の再調査よ。あんた達ヒヨッコにはちょうどイイ依頼でしょ?」
「……警察が調べた後を調べる意味あんのか?」
一同が店内の各テーブルに着いたところで。
九条蓮が披露した依頼内容に、悠久郎が疑問を挙げた。
悠久郎の反応に、九条蓮の顔面がニヤァ〜と変形した。
「あるわよ〜? なにしろプロ中のプロが調べた後だから、危険は限りなくゼロ! 安心して妖魔事件の跡地を見学できる寸法よ!」
「依頼とは……?」
悠久郎がフリーズしてしまう。
「いやあ、結構重要だぞ?」
伊達光太郎が注釈を入れる。
「何しろ新米ハンターに妖魔とタイマンさせようにも、レベル差によっては命懸けだからな。だが、現場の空気も吸わせてえ。その折衷案ってのが理由のひとつ。もうひとつは、そのプロ中のプロでも見つけらんなかった"何かの手掛かり"を、新米だけが持ってる"かもしれない"能力で、見つけてくれる"かもしれない"可能性に賭けての事だ」
伊達光太郎の講釈に、悠久郎も亞里亞も納得したように頷いた。
「かもしれない」の上塗りだが、霊能力の適性は個人差が大きく、意外な所で発揮される事もある。
「その上で、俺にも腑に落ちねえ事がある。──どうして俺を呼んだんだ?翡翠」
「え?」
伊達光太郎の発言に、悠久郎が眉根を寄せて翡翠を振り返った。
「そう言や、翡翠が呼んだつってたな。なんでだ?」
「……亞里亞」
ふたりから注目された翡翠は、珍しく渋い顔つきで亞里亞に目配せした。
「はーい」
言われた亞里亞が立ち上がると、ブラウスの左の袖を捲り上げた。
「おい、亞里亞⁉︎ 」
喫驚して腰を上げる悠久郎にも構わず、亞里亞は続いてスカートからブラウスのすそを引き抜いて、健康的なお腹を露出させた。
その程度で動じる男はひとりもいないため、翡翠の渋面の理由が皆に一目瞭然となる。
そこには。
亞里亞の左腕と脇腹には、まるでサメに噛まれたかのような歯列型の浅い傷があったのだ。
それも、今まさに咥えられたかのように、歯形の傷から血が僅かに滲んでいた。
「それ……⁉︎ 」
「呪いだよー」
悠久郎に亞里亞があっけらかんと答えると、一同の視線は、今度は翡翠に集まった。
一線級の、呪詛術師に。
「ウチのクソバカ兄貴が、
頬杖をついた翡翠の渋面は、怒りと憎しみに満ちていた。
「ついでに言うと、十中八九この新米ゴーストハンター向けの調査依頼を通した人間の中に、クソバカ兄貴の
「ちょっとちょっと」
血相を変えて九条蓮が、カウンターから身を乗り出した。
「アタシも一杯食わされたってコト?」
「残念ながらそうなるね。警視庁からの依頼を蹴ると、仲介屋の評価が下がるよね。だから断って呪いの条件を回避する事もできない」
「どういう事だよ」
悠久郎が、青白い顔で問うた。
冷静に、怒りを堪えている顔だ。
「順を追って話すよ。 ああ亞里亞もう服戻していいよ」
店内の真ん中でお腹を出し続けていた亞里亞が、服装を整えて椅子に座る。
「今朝、亞里亞から傷の連絡があった。亞里亞は《霊力探知》を持ってる。それは、第六感的な報せも察知する霊能力なんだけど、亞里亞のそれは特に強力で、それの弊害で、もし本人が呪詛を受けた場合、分かりやすく予兆が顕れるんだよ──さっきみたいに」
翡翠の指先が、亞里亞のお腹辺りを示す。
「そして、亞里亞のメインの霊能力は《治癒》だ。亞里亞は今もずっと、自身の霊能力で、自分の呪いの
黙って立ち上がりかけた悠久郎の肩を、伊達光太郎が掴んで座らせた。その手には結構な力が加わっていた。
「このままノコノコ依頼に出かけると、きっとどこかで亞里亞が傷を負う。恐らく重傷か致命傷だ」
「なるほど。そこで俺の出番か」
伊達光太郎が、得心して鷹揚に頷いた。
だがまだ悠久郎には飲み込めない。
「だから、どういう事だ?」
「伊達さんに亞里亞の身代わりになってもらうんだよ。その上で《呪詛返し》をする為にね」
悠久郎の疑問に、翡翠が指先を振って答えた。
「妙だと思ってはいたけどな。──安くなかっただろ」
「親友の生命が掛かってるからね。"家"の金なんか惜しくもないよ」
伊達光太郎の心配げな声にも、翡翠は両掌を上に向けて肩をすくめるのみ。
「予定の仕事がガンガン無くなってくもんだからよ。何事かと思ったぜ」
「アタシもびっくりしたわよ。なんでこーちゃんがウチに来んのかって」
「なんでえ、俺がここに来ちゃ悪いのかよ蓮さん」
「ベテランが、新米の巣に用なんか無いでしょうが」
伊達光太郎と九条蓮が慣れた様子で言い合う。
「まあ、つまりは、これから行く場所──警察が調査しきった場所に、なぜか妖魔が現れる事が確定しているってわけ。伊達さん呼んだけど、悠久郎も危険な仕事だから気をつけてね」
「おう」
翡翠の注意に、悠久郎は相変わらず怒りを滾らせながらも、いつも通りぶっきらぼうに返事をした。
「そしたら、今から行こう。蓮さん、注文したプロテクター出して」
「はぁい! こーちゃん、ご注文のプロテクターよ!」
「俺かよ!」
九条蓮が、カウンターの下から取り出したカタマリを、伊達光太郎めがけて投げつけた。
伊達光太郎が難なく受け取ったそれは、スポーツ選手のそれとは違う、まるで甲冑を丸くまとめたような荷物だった。