「そろそろ私たちはお互いの事を愛称で呼んでもいいと思わないかしら?」
唐突にそんなことを僕のベッドの縁に座ってほざく女が居た。
残念なことにそいつは僕の恋人だった。
脈絡なく何を言い出してんだ、こいつは……。相手に理解できる会話の流れを覚えろ。
冷めた横目で
「ふぃい……」
「コロコローっと。どうかな? 気持ちいい?」
両眼を
猫や犬にも効果があるというので先日購入してみたが、喜んでいる様子を見にお値段に見合う価値はあったようだ。
「まさおぉ……すごく気持ちいいよぉ……」
耳の内側から生えている触腕もだらりと垂れて、そのまま抜け落ちてしまうのではないかと思うほど脱力した様子でそう言った。
放っておけば液状化してしまいそうだ。
……そういえば旧べえ、もといインキュベーターは死んだ後はとろけたバターのようになっていた気がする。
あれは機密保持のために死骸が自動的に分解され、別の個体で回収しやすくするためだったのだろうか。
「次は
更に顎の下にローラー鍼を転がそうとすると、ほむらはベッドの縁から降りてきて、ぺちりと僕の手の甲を叩いた。
「いたっ、何するの?」
「小動物と
むっとした不機嫌そうな目付きで文句を垂れる。
今の話のどこに真面目に聞く要素があったのだろうか。
どう聞いても寝言の亜種だろう。
しかし、放置していて訳の分からない暴発をされても困る。
「でお互いの愛称、だっけ? 何て呼び合いたいの?」
仕方なく尋ねると待ってましたとばかりに答えた。
「そうね……。私の事は“ほむほむ”。貴方の事は“まさまさ”というのはどうかしら?」
「……僕に死ねっていうの?」
「死ぬほど嫌なの!?」
「死ぬほど嫌だよ!!」
なんでそんな苦行を自らに課さなければならないんだ。
僕はブッタか。悟りでも開かせる気なのか。
だが、ほむらは僕の心情が分からないようで、不満そうに眉根を寄せて聞いてくる。
「どうして?」
「滑稽な呼び名で呼び合うことで羞恥心によって僕の心がどんどん破壊されていくから」
何が“ほむほむ”だ。アホみたいな呼び方考え腐って。呼ぶ方が辛いわ。
そして、“まさまさ”もキツい。たとえ、脳みそが薬物で溶かされたとしてもそんな呼び方は許容できない。
「もうちょっとマシなのないの? 僕の精神が
「どこまでも失礼な物言いね。分かったわ。そこまで言うなら、政夫が決めなさい」
僕も僕でネーミングセンスが高い方ではないのだが、少なくともこいつに任せるよりはずっとマシだ。
少し黙考した後、思いついた愛称を口にする。
「うーん…………あけみん?」
「何で苗字になっているのよ。おかしいでしょう。名前呼びより距離感が遠ざかっているわ!」
「じゃあ、とっとこホムたろう」
「ホムたろうっ!?」
「長いので縮めて“ホムたろ”にしよう。よろしくね、ホムたろさん」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔でこちらを見つめていたほむら改め、ホムたろさんだったが、ようやく思考が追い付いてきたようで目くじらを立てる。
「貴方、その呼び名……充分滑稽でしょう!」
「君だけが滑稽な分は別にいいよ。あ、僕のことは今まで通り普通の呼び方でお願いね」
「勝手すぎるわ!」
ホムたろさんは、ぷんすかしてしまった。
もしも漫画だったら怒気が湯気のように表現されそうなくらいの怒りっぷり。
昔からクールぶっている割に沸点の低い女である。
膨れている彼女を手でそっと制して、沈静化を促す。
「まあまあ、ホムたろさん。落ち着いて」
「……貴方は私を落ち着かせたいの? それとも更に怒らせたいの?」
「もちろん、前者だよ。それよりもさ、ここは公平にゲームか何かで勝敗を決めて、勝った方の意見に従うっていうのはどう? 話し合いだと平行線になりそうだし」
むっとしてはいるが、目に見えて怒りを抑えたほむらにそう提案する。
「…………」
「反対じゃないならゲームを選ぼうか。できるだけ早めに決着が付く奴がいいよね。だとするなら、ボードゲームやトランプよりテレビゲームかな。レースゲームか格闘ゲーム……いや、それだと僕が有利過ぎるから落ちもの系パズルゲームにしようか。あれならそこまでテクニック関係ないし」
「……読めたわ」
鋭い視線を僕に投げかける彼女に、僕は素知らぬ顔で尋ねる。
「何が?」
「私を怒らせ、思考を鈍らせてから自分の得意の土俵に引きずり込む気ね。一見、公平性を重視するように見せかけて、結局は政夫の得意なゲームで勝敗を決めるように仕向ける……とんだ食わせ者だわ」
……昔に比べて賢くなったなぁ。
中学生の時だったら簡単に乗せられてくれたのだが、伊達に四年も僕の恋人やってはいないようだ。
「じゃあ、指相撲とかにする?」
「それも却下よ。私が負けるに決まっているもの。筋力が必要とされる勝負はお断りよ。私は自分が以下にひ弱な存在か熟知しているわ」
胸を張って情けないことを
それ、そんな得意げにいうことか?
若干、呆れ混じりでほむらを見つめていると、丸まって話を聞いていたニュゥべえが口を挟んだ。
「ほむら。君は結局のところ、政夫とどうやって勝敗を決めるつもりなんだい?」
「ふっ、決まっているわ。私と政夫、どちらにとっても公平な勝負。それは――」
ごそごそと小さなポーチから何やら取り出して、床に叩き付けた。
「“これ”よ」
「こ、これは……」
僕らの目の前に置かれたその物体は薄めの四角い箱。
極薄と銘打たれたその箱は……
「なんだ。結局、僕の勝ちか」
「これはボクもホムたろうと呼ぶべきだろうね」
「待ちなさい。どうして、既に勝利を確信しているのかしら? どう考えてもおかしいでしょう」
ほむらが異議を唱えてくるが、僕とニュゥべえは無言で顔を見合わせた。
「だって」
「そうだねえ」
「「君がマグロだからだろう」」
僕とニュゥべえの返答が重なる。
こと性交渉において僕がほむらに負けたことはない。
というか、この女、毎回自分から誘っておいて途中で体力が付き、まったく自分から動かなくなるのだ。
これをマグロと呼ばず、なんと呼べばいいのか。
「くっ……百歩譲って政夫はいいわ。でも、何でニュゥべえにまで見たかのように言われなければならないの!?」
「あのね、ほむら。この街、いや、この世界で感情エネルギーを獲得したボクが観測できない空間はないよ? それは政夫の部屋や休憩用宿泊施設でも例外じゃない」
「……この出歯亀マスコット」
「別に好き好んで毎回観察している訳じゃないよ。あくまで何度か観測したことがあるってだけさ」
淡々と説明を続けるニュゥべえの頭部をほむらは右手でむんずと掴み上げた。
ニュゥべえはほとんど重さがないので、筋力や握力も同年代を下回るほむらでもすんなりと持ち上がる。
人間に例えると胸倉を掴まれるようなものだが、ニュゥべえは別に気にした様子もなくされるがままで話し続けた。
「だからこそ、ボクは最近君が杏子に頼んで性的奉仕について教えを乞うているのも知って……むぎゅっ」
本気でほむらの行動が嫌ならいくらでも抜けられるので、これも踏まえてニュゥべえ的には許容範囲なのだろうい。
それよりも共通の友人にそんなもの教えてもらうなよ。確実に杏子さんと次に会った時、気まずい思いをすることになるだろうが。
「へえ……じゃあ、その何でも知っているあなたに教えてもらってもいいかしら」
「何だい?」
目の
だが、ちらりと僕の方に視線を送り、言った。
「政夫は少し出ていてもらえるかしら?」
「いや、ここ僕の部屋」
「いいから」
何がいいんだよ、と思わずにはいられなかったが、渋々スマートフォンだけ持って部屋から出る。
室内で声を潜めて話している気配を感じながら、適当なゲームアプリでもして時間を潰すことにした。
しかし、予想以上に長い……。すぐに終わるだろうと高を括っていたのだが、初診の病院の受付並みに待たされる。
既にアプリで周回してキャラの強化用素材を集めるのも飽きてしまった。いっそ漫画か、携帯用ゲームを持って出ればよかったと今更ながらに後悔が湧いてくる。
時間にして四十分ほどした後、ようやく入室許可の声が扉越しに聞こえた。
「遅いっ! 何をいつまで…………」
開口一番に文句を言ってやろうと部屋に踏み込んだ僕は、言葉を失った。
なぜならそこには白いスクール水着を着た眼鏡の美少女が居た。
必然的にその子は僕の恋人だった。
「……どう、かしら?」
肌にジャストフィットした滑らかな質感の純白の生地。露出した肌は
肌にぴっちりと生地が張り付いているため、控えめな胸元の膨らみもいつもより存在感を放っている。
すらりと伸びた太もも、形まではっきりと確認できる
何よりフレームの厚い眼鏡から覗く上目遣いは男心をくすぐるには充分過ぎる破壊力を秘めていた。
「…………良いね、すごく」
普段なら女の子が喜びそうなワード交えた誉め言葉が自然と口から出るのだが、今の僕はこの初々しくも官能的な映像を記憶として保存していくことに脳のリソースを割り振られている。
「……そう? 嬉しいわ。どんな着飾った言葉よりも」
はにかんだ笑みまで、僕の好みを反映したかのようで見惚れてしまう。
「だから言っただろう、ほむら。ボクが政夫の性的嗜好を可能な限り構成して作り上げた衣装だよ。ボクほど政夫の好きなものを知り尽くしてはいないのさ」
なるほど。やはりニュゥべえからの入れ知恵か……。
ここまで性の趣向を理解されているのは複雑だが、もはやここまでツボを突かれると賞賛の言葉しか出ない。
感動的エロス!
「ニュゥべえ……君は天才だ」
「そう言われると照れるね。じゃあ、そろそろボクは席を外すよ」
「分かっているとは思うけど、出歯亀禁止よ」
ほむらの言葉に答えるように左右に短い尻尾を振って、半開きになっていた扉の隙間から出て行く。
残された僕たちには何とも言い難いような気恥ずかしいが流れる。
いや、飲まれるな、僕。
ここで勝利できなければ、僕は馬鹿みたいな愛称で呼び合う地獄が待っている。
床に置かれているコンドームの箱の封を切る。
「それじゃあ、――ベッドに行こうか」
「……ええ」
いざ尋常に……勝負!
こうして世にも馬鹿げた、しかし、お互いにはこれ以上に真剣な勝負の火蓋が切って落とされた。
何故、エッチシーンに行けずに一話消費してしまうのか。