翌日、勇者一行は昼近くになってネルセンの宿屋を後にした。ほとんど休憩も取らずにグロッタを目指したものの、街に着く前に夜になってしまうと予想できたため、ユグノア地方に入る前に宿泊地を確保しようとバンデルフォン地方北にある風車塔を訪ねた。そこには風車守のサムという老人が一人で住んでいて、わけを話すと快く一行を迎えてくれた。
風車塔の一階は暖炉やテーブル、炊事場もある生活空間で、円い外壁に沿って農具や木箱、袋などが置かれていた。二階はサムの寝室、三階と四階は多少の物は置いてあるものの空いているので自由に使っていいと言われ、シルビアは三、四階の部屋の掃除、双子は夕食の準備、相棒組は水汲みに取り掛かった。
イレブンとカミュがバケツを持って外に出ると、見渡す限りの小麦畑が暖かい夕陽の色に染まっていた。幸い、目の届く範囲に魔物の姿は見えなかった。
「綺麗だね。」
夕刻の穏やかな風が吹き渡る中、ゆっくりと歩きながらイレブンが呟く。カミュはイレブンの隣りを歩きながら小さく『ああ。』と答えた。今朝遅くまで寝ていた二人は、ベロニカが『ちょっとアンタたち!いつまで寝てるのよ!』と喚きながら部屋のドアをドンドンと激しくノックする音で目を覚ました。慌てて起きたものの、朝食や支度を済ませるまで皆を待たせてしまったのだった。
「・・・カミュ、昨日は、その・・・」
歩きながら、イレブンが躊躇いがちに話しかける。
「試してみて・・・・どう、だった?」
「・・・・・・。」
――どう、って・・・。途中からワケわかんなくなっちまったんだけど・・・
カミュがちらりとイレブンの方を見ると不安そうな眼差しでこちらを見ていた。
「あ・・・えー・・」
カミュが後ろ頭を掻く。困ったときの彼の癖だった。
――比べるヤツがいねえからわかんねえよ。けど、まあともかく『できた』んだから・・・
「・・・よかったぜ。」
「ホント!?」
イレブンの顔がぱあっと明るくなる。
「それを聞いて安心したよ!」
「ははっ・・・」
安堵で笑顔になったイレブンにカミュもつられて笑ってしまう。笑みが消えるとイレブンがじっとカミュを見つめ、彼は急に二人きりであることを意識した。
「は・・・早く水を汲んで帰ろうぜ?」
カミュは何となく居心地が悪く感じて足を速めようとしたが、腕を掴まれ振り向かされる。バケツが地面に落ちる音がして、イレブンの空いた手がすぐにカミュの頬を掬う。
「イレ・・・ふ・・・っ・・」
言いかけた言葉はイレブンの口に消えた。反射的に彼の肩を押しかけたが、シルビアの言う通り『真摯』で『誠実』に応えるべきだと思い直す。どのみち、昨夜のことでカミュは色々とフっ切れていた。
――本当にコイツ、キス好きだな。いーけどよ・・・
キスの最中、腕を掴んでいた方の手が離れて腰へと伸び、上衣のスリットの下に入り込むとローライズボトムに覆われていない素肌に触れるのを感じて、カミュはさり気なく不埒な彼の手を掴み引き離した。
やがてイレブンが顔を離したのでカミュも掴んでいた手を放す。
「ひゃ!」
途端、腰の辺りの素肌をつ、と指先でなぞられてカミュは小さく声を上げた。
「ふふ、ここ弱いの?」
「んなわけ・・・っ・・・」
イレブンが微笑み、ムキになって否定しようとしたカミュの頸の後ろを引き寄せて再び口を塞ぐ。
「ん・・・ん・・・ぷはっ!おい、早く戻らねえとベロニカがカンカンに怒っちまうぜ?」
カミュは水汲みの途中だったことを思い出してイレブンを押し戻した。
「道に迷ったとでも言っておくよ。」
イレブンが笑ってバケツを拾い上げ、歩き出す。小川へはほどなくして着き、二人はバケツを水で満たすと麦穂が海のように靡く中、帰路に就いた。
薄い紺色に染まり始めた遥か上空には星が瞬いていた。
◇
――なぜもっと早く気づかなかったのでしょう。・・・イレブン様がカミュ様を見る眼差しに。
旅を始めてから色々なことがあり過ぎてそれも無理のないこと、と自身に言い聞かせても気づいてしまえば、どうして気づかなかったのかと不思議に思うくらい、それは明白だった。
――イレブン様はカミュ様を愛している。・・・・そして恐らくカミュ様も・・・
ネルセンの宿屋で相部屋になった二人は遅くまで起きてこなかった。それがどういうことかわからないほど、セーニャは子供ではなかった。
――私から言い出したこととは言え、こんなに早くカミュ様と終わってしまうなんて・・・
「・・・ーニャ、セーニャ!」
「あ・・・」
姉に呼ばれてセーニャは物思いから我に返った。仮面武闘会の主催者が用意してくれた宿の一室。いつものようにセーニャは姉と相部屋だった。
「そろそろ時間でしょ?・・・というか、デートなんてすっぽかしちゃいなさいよ!」
ベロニカが腰に両拳を当て、口を尖らせる。グロッタに到着し、抽選会を終えた後。今日はセーニャがカミュとデートする番だった。
「・・・お姉様。いえ、行きますわ。」
――ともに旅をする仲間である以上、『ちゃんと』しなくては。
セーニャは姉にぎこちなく微笑み、立ち上がった。
「イレブンに聞いたんだが、ベロニカが往来で闘士の一人と喧嘩してたんだって?」
「ええ・・・」
「まったく、ひやひやさせてくれるぜ。ハンフリーが居合わせたからいいようなものの・・・来なきゃどうなっていたか。」
グロッタの上層をセーニャと連れだって歩きながら、カミュがぼやく。
「本当ですわね。」
「・・・・?どうしたんだ?何か気になることでもあるのか?」
心ここにあらずな様子のセーニャにカミュが尋ねると彼女ははっとして彼の方を見た。
「い、いえ、何でもありませんわ。」
「そうか・・・?」
そう答えたものの、カミュは訝し気にセーニャを見た。
「あ・・・ええと、・・・最初にイレブン様とペアになる予定だった女性・・・お仲間らしきご老人が主催者に掛け合ってまで彼女をパートナーにしたのが少し気になって・・・」
カミュに振られることを考えていたとは言えず、適当に別の話題を振る。
「ああ・・・彼ら何者なんだろうな?」
「ええ・・・」
二人は色々な物が置いてある露店を覗きつつ他愛のない話をし、酒場で夕食を摂り、ステージで行われている踊りや演奏をともに観た。
――カミュ様はまるで、このデートを心から楽しんでいるように見えますわ。
自身に向けられるカミュの気遣いも笑顔も優しい眼差しも、好意さえあるように感じられて、今この瞬間にも彼と終わろうとしていることを忘れそうになる。
デートを終えて帰路につき、下層へと続く幅広の石段を下り始めたときになってもカミュはセーニャに『イレブンを選ぶ。』とは言い出さなかった。
「・・・明日はイレブン様と過ごす番ですわね。」
「ああ、そうだな。」
なかなか切り出されない別れ話にたまりかねてセーニャはイレブンの話題を振ったが、それにもカミュはあっさりした返事を返しただけだった。
――なぜ?イレブン様と相思相愛なら、私と付き合い続けることはないはず・・・
だがセーニャの思いを余所に、カミュは石段の途中で憧憬の眼差しを彼女に向けて言った。
「あんたと恋人になれたら、俺は最高に幸せだろうな。こんな俺があんたのような人と付き合ってるなんて今も信じられねえよ。」
「・・・・・・。」
――???
思わずポカンとするセーニャにカミュは照れたように微笑んだ。
◇
グロッタ二日目。
「カミュちゃん、今日はイレブンちゃんと過ごす日ね!帰ってくるのが待ち遠しいわね~~♪」
相部屋のシルビアがベッドの上で胡坐をかきながら、荷物整理をしていたカミュに言った。予選試合が終わった後、闘士の一人であるマルティナに『ハンフリーに気をつけなさい』と警告されたイレブンは彼のいる孤児院を訪れていた。
「ああ、まあ・・・」
「けれどカミュちゃん、明日の決勝トーナメントに差し支えるほど激しく愛し合ってはダメよ?」
「な・・・」
シルビアの言葉にカミュが呆気に取られる。
「おっさん、何言って・・・」
「あら。ネルセンの宿屋では二人とも朝起きられないほどだったじゃない?」
「あれは――」
イレブンが一方的に、と説明しようとしてカミュが口を噤む。到底言えるようなことではなかった。
「あれは?」
「その・・・慣れてなくて、疲れて遅くまで寝ちまっただけだ。」
――つーか、コイツがイレブンに男とのヤり方を教えたんだよな?
カミュが苦々しく考える。
「・・・あら。そうだったの?」
シルビアが意外そうな顔をして、次にとんでもないことを言い出した。
「一昨日の水汲みでイレブンちゃんとカミュちゃん、熱~~いキスしていたじゃない?」
「げっ・・・あんた見てたのか?」
「風車塔のお部屋をお掃除しているとき偶然見えただけよ。」
「・・・マジか。あれは――」
「また『あれは』?」
「あ・・・なんつーか、”誠実に”デーティング?しようと思っただけで、あんたが思っているのとは・・・」
「そうなの?イレブンちゃんに決めたわけじゃないのね?」
シルビアが顎に指の甲を当て、思案顔でカミュを見る。
「ああ。」
――決めるも何も、最終的にはセーニャを選ぶつもりだぜ?
「それならカミュちゃん、セーニャちゃんにもそう言った方がいいわ。」
「セーニャに?」
「ネルセンの宿屋での寝坊できっとあの子、アナタとイレブンちゃんが相思相愛だと思っているわよ。」
「・・・・・・は?」
「アタシもベロニカちゃんもそう思っていたもの。」
「えっ!?そう思われてる・・・のか?」
――だから昨日セーニャの様子がおかしかったのか?
焦った様子のカミュをシルビアは静かな双眸で見つめた。
「・・・カミュちゃん。セーニャちゃんの誤解は解くべきだけれど・・・イレブンちゃんはアナタのこと、すごーく好きだと思うわ。」
『・・・カミュ、カミュ、好きだよ・・・』
ふいにあの夜、遠のく意識の中で聞いた声がフラッシュバックする。いずれイレブンをフらねばならないことにカミュの胸がつきり、と痛んだ。
「・・・・ああ。わかってる。誠意を持って向き合うさ。」
その夜、イレブンは帰ってこなかった。
◇
次の日の決勝トーナメント当日。予選敗退したカミュが観客席でベロニカ、セーニャとともに闘技場を見守る中、何ごともなかったかのような顔でイレブンはパートナーのハンフリーとともに現れた。
「イレブン・・・」
――連絡も寄越さねえで、心配かけやがって。
苛立ちを募らせるカミュを余所に、ハンフリー・イレブンチームとビビアン・サイデリアチームの試合が開始された。イレブンは武闘会の”相棒”であるハンフリーと協力して女闘士たちを推していく。
彼女たちを倒し、司会がハンフリー・イレブンチームの勝利を宣言した時、二人は微笑んで頷き合った。
「・・・・・・。」
それを見てカミュの胸が騒めく。
――まさかハンフリーの野郎と?
カミュと過ごすはずの日に外泊して翌朝、ともに現れる。考えるまでもなくその事実だけで明白だった。
――俺、何ショック受けてんだ?
カミュが自身の感情に戸惑う。まだイレブンとはデーティングの段階で恋人になったわけではなく、デーティングが複数の人と試しに付き合う期間だとも理解している。それでも。
――俺のこと、好きだと言ったのに。
ネルセンの宿屋でのこと、風車塔での水汲みのときのことを思い出してカミュは闘技場のイレブンを割り切れない思いで見つめた。
――・・・なのに。他の奴ともあんなことを?
カミュはぐっと拳を握り締めた。
ハンフリー・イレブンチームはその後も順調に勝ち進み、準決勝第1試合レディ・マッシブ&マスク・ザ・ハンサムチーム戦に勝利し、決勝戦でロウ・マルティナチームをも破った。優勝してハンフリーとともに観客に笑顔で手を振るイレブンをカミュが冷めた目で見つめる。そして。
新たなチャンピオンに会場が沸き立つ中、異変は起こった。ハンフリーが突然倒れて担架で運ばれ、予定されていた表彰式は延期されることとなった。
*
――優勝した!
イレブンは足早に闘技場を出て階下へと向かった。早く仲間に、特にカミュに会いたかった。彼が『やったな、イレブン』と言って笑顔でキスしてくれる光景を想像して頬を染める。
受付を出た処で双子とシルビアが待っていた。
「やるじゃない!」
「すごいですわ!」
「やったわね、イレブンちゃん!」
三人が口々に褒め称えるが、カミュの姿が見えなかった。
「みんな、ありがとう。・・・えと、カミュは?」
「アイツなら上層で別れたわ。」
「そっか、行ってみるよ!」
イレブンは笑顔で答え、駆け出した。
イレブンは街の上層に着くと、尖った青い髪を探してキョロキョロしながら露店が並ぶ通りを歩いていった。ふと通りの先に見知った青色を見つけ、駆け出す。
「カミュ!」
駆け寄りながら呼び掛けるとカミュが振り向いた。
「イレブン・・・」
「僕やったよ!優勝した!」
「・・・よかったな。」
カミュはおざなりに笑って見せた。そのまま背を向けて行ってしまおうとするのをイレブンが肩に手を掛け、引き留める。
「カミュ?どうしたの?」
心配そうなイレブンの声も今は苛立ちを覚えるだけだったが、感情のままに振舞わない程度には、カミュは大人だった。
「ああー、昨日あの女武闘家に蹴られたところが痛くてよ。いい薬がないか探してたんだ。」
「え。大丈夫?セーニャに癒してもらう?僕も回復魔法・・・」
「いや、いい。放っといてくれ。」
カミュは肩に掛けられたイレブンの手をぞんざいに掃った。
「・・・暫く一人にしてくれよ。」
「え・・・カミュ・・・?」
目を逸らして言うとカミュは足早に去り、イレブンは当惑して彼の去った方向を見ながら、ただ立ち尽くしていた。
次はソルティコ。