「おっと」
軍の小型船は波を乗り越えるたびにゆらゆら揺れる。
机の上からボールペンが転げ落ちそうになり、慌てて拾った。
小さな窓からは瀬戸内海に点在する小さな島々が見える。反対側の窓からは大小様々な山が連なった本土側の地形が広がっていた。
そろそろ目的地である広島の呉鎮守府に到着する頃合いだろう。
「さあて、いい加減に決めねばならないが……」
改めて机上に広げた紙媒体の資料を眺めてみる。
呉に所属する艦娘たちのリスト、敷地図、スケジュール。それらはこれから訪れる呉鎮守府で必要になるデータだった。
つい先日、日本海に根を張っていた深海棲艦群を撃退したことで、長らく保留となっていた呉鎮守府への出張が決定した。
主な目的は、同行する艦娘たちの研修、及び呉鎮守府の提督と顔を合わせての会議、兼周辺関係者への挨拶周り。リモートで済ませればいいだろうと思うが抗議はしない。この古びた慣習がなくなってしまえば提督という人種はほとんど勤務地から出られなくなる。
閑話休題。
出張といえば堅苦しいイメージが付きまとうものだが、行き先が呉鎮守府となると話は変わる。
あそこの提督とは軍大学の同期の間柄。ほとんど慣れあいのような出張期間になるだろう。
「とはいえ、慣れあいだからこそ面倒な部分もあるんだが……」
資料を睨みながら唸っていると、唐突にドアが開く。
現れたのは夕雲だった。
「お疲れ様です、提督」
「ああ、いや、お疲れ様なのはキミのほうだろう。私はこうして座って守られているだけだ」
小型船を使った鎮守府間移動。本州山陽地方と四国に挟まれた瀬戸内海とはいえ海は海。警備をかいくぐった深海棲艦が現れる可能性もゼロではない。そのため私はこうして同行する艦娘たちに護衛されていた。
「今さらですけど、こんな小さな船に提督を乗せて移動するなんて危険ではないですか」
「まあな。でも飛行機なんて大げさだろう」
「鉄道や車もあるじゃないですか」
「陸送ほど不毛なものはない。何度も言っているが、10万トンのタンカーのCO2排出量はダンプカー50トン分だ」
「コスト面ではそうかもしれませんけど……」
だからこそ海路を取り戻す意義も大きい。
最近では艦娘の運用を輸出入の船団護衛に使えないかという話も挙がっているらしい。防衛戦力を減らしてまでやることではない……と言いたいところだが、実際的に手を講じなければジリ貧になっていくのもまた事実……。せめて日本海側をこじ開ける算段は……。
「また難しい顔をされてますね」
ぼす、とソファーの隣に夕雲が座る。
業務時間中に珍しい。
「他の子たちは?」
「船の周りを護衛中です」
「ああ、一人ずつ交代で休憩をとっているんだったか」
聞いてみると、もう10分間ほどは戻らなくても大丈夫らしい。
それはいいことを聞いた、と肩に手を伸ばしてみると、手の甲をつねられる。
むう。最近ちょっと優しくない。
夕雲はつれない顔で机の上を見渡している。
「提督? またスケジュールを確認しているんですか? せっかくの船旅なんですから景色でもご覧になったらいかがでしょう。引きこもってばかりだと身体によくありませんよ」
「夕雲……もっと世話焼きの委員長っぽい口調で罵ってくれ……」
「はあ~~……どうしてこうなったんでしょう」
夕雲はわざとらしく唇を尖らせてみせる。
「最近の提督はちょっと自分に正直すぎます」
「そうしろと言ったのはキミだろう」
「思い切りがよすぎるんです」
「しかしな、自分だけに媚びる女というものに男は、ぐあっ、こ、こらっ、脇を突くなっ」
夕雲はジト目でこちらを睨みつけている。
むう……。こういう表情も中々イイな……。
「自重して頂かないと困ります。本当に」
「何か言いたいことがあるみたいだな?」
少女はそっと自身の首筋に指をさす。
大きめの絆創膏が貼られていた。
「これ、どうしたんだって長波さんに聞かれました。ヒヤヒヤしました」
「ああ、それでか……」
身に覚えがあった。
つい先日、調子に乗ってキスマークをつけてしまったのだ。
「ちなみになんて答えた?」
「悪い虫にやられたって」
「違いない」
笑っているとまた突かれた。
両手をあげて降参する。
「悪かった悪かった。謝罪というわけではないが、一つ吉報がある」
「なんです?」
「出張期間中の自由時間な、24時間は確保できそうだ。呉鎮守府の周辺なら遊びに行けるぞ」
「さすが提督。素敵です」
「もっと褒めろ。……と言いたいところだが、」
机の上に広げた資料に目を落とす。そのうちの一つ、呉の水雷戦隊のメンバー表を眺めて、溜め息をつく。
「演習戦で勝たないと怪しくなった」
「どういうことです?」
呉と佐世保、恒例の水雷戦隊対決。
親睦を深めるため、という名目はあるが、実際は互いの名誉をかけた決闘に近い。
毎回どちらの艦娘も本気になって勝ちにくる。特に呉の神通の入れ込みようは群を抜いていた。
「神通さん……。ああ、以前研修で伺った際にとても熱心にご指導いただいた記憶があります」
「うん。まあ、彼女はああいう性質でね。謹厳実直の鑑というか……ほら、あれだ、呉の提督を信奉しているだろう?」
「んー……そうですね」
「だからな、前回の演習戦でウチが勝ったからいっそうやる気を出しているんだ」
つまりこういうことだ。
大っぴらに言うことではないが、神通率いる呉の水雷戦隊は佐世保のそれよりも強い。
なのに佐世保が勝ったということは、作戦指揮者の質で負けたからに他ならない。
つまり呉の提督より佐世保の提督のほうが優れていた。そういう話になってしまう。
これを神通は絶対に認めない。
あくまで敗因は自分たち水雷戦隊にあったということにしてしまう。
そう、前回の演習戦の後は確かこうだった――
一直線に並んだ呉の駆逐艦娘たち。直立不動で謝意を叫ぶ。
「申し訳ありませんでしたーっ! 今回の敗因は、私たち駆逐艦の力量不足にありますっ!」
しかし神通、哀しげに首を振る。
「いいえ、違います。あなたたちは持てる力を100%出し切りました。悪いのはこの私、神通の指導力にあります」
「じ、神通さん……」
「ですので」
儚げな笑みで。
「今日からは皆さんが常に120%の力を出せるように訓練していきたいと思います」
「じ、神通さん……っ!?」
「大丈夫、皆さんなら必ずやり遂げられます。できない子は呉鎮守府にはいません。そうですよね?」
駆逐艦娘たちの背中に、ビシッと一本、筋が通る。
「せ、誠心誠意、努力しますっ! 呉ちーん、ファイトーッ! オーッ!」
「「「お、オーッ!」」」
あれは他人事とはいえ恐ろしい雰囲気だった……。
「だから今回の呉は更に強くなっているはずなんだ」
「ああ、確かに。陽炎さんたちも先日の実戦で活躍されていました。……それで、どうして勝たないとダメなんです?」
「うん、呉の提督と約束してしまってな……」
演習で佐世保が勝ったら、休暇アリ。
負けてしまったら、訓練漬けの日々。
そういう話になってしまったのだ。
「あと追加で、私は合コンに参加しなければならなくなる」
「え」
「あいつ勝手に段取りをつけていたんだ。提督は高給取りで殆ど家に帰らないから超優良物件というわけで」
「ご結婚を前提にされた合コンなんですね」
「もちろん断った! だが来なければキミらの休暇もナシと言われてな……。色々揉めた末に、」
「演習で決めることになってしまったと」
「そうなんだ。だから絶対に勝ってもらわないと困る」
もちろん合コンになんか出たくない。
が、それ以前と夕雲と2人で街を歩きたい気持ちが強かった。ぶらぶら買い物をするだけでもいい。せっかくの遠出、それぐらい楽しみがあってもよいだろう。
「休暇がとれたらこっそり街で落ち合おう。実はプランも立ててある」
昨夜に作成しておいた密会スケジュール表を手渡した。交通機関のダイヤ表も添付してある。
「変装グッズも持参した。万が一誰かに遭遇しても問題ない」
「……構いませんけど、一つ気になる点が……」
「なんだ」
夕雲はじっとりとした目つきで机の上を眺めている。
資料の一つ、呉鎮守府の敷地図のところで目を留めた。
「どうして鎮守府の地図も見ているのかなって」
「ああ、それか」
にこりと笑いかける。
そりゃあ綿密な計画を立てるのに必要だったから。
どのタイミングなら密会できるか、どれぐらいの時間なら使えるか……。部屋を汚さないための道具の準備、それを持ちこむための小細工……提督として培ってきた頭脳をフル回転させて最適解を探りだすのに必要な資料だったのだ。
「いいか、夕雲……私は見つけたぞ。この時間帯、この場所でなら……1時間はヤれる!」
「もうっ! どうして出張先の鎮守府で、し、しようとしているんですか!?」
「ヤりたいからに決まっているからだろう!」
「思い切りがよすぎるんです!」
小型船の狭い室内に、私たちの声が反響する。
夕雲は着任したての頃のように頬を膨らませ、私もまた当時のようにからかってみせる。
当時の気持ちが蘇ってくる。佐世保の提督としてこれまでやってこれたのは彼女がいつも隣に居てくれたおかげ。今もそうだった。これから先の道程に希望が湧いている。
彼女と一緒なら私はきっとまっとうに生きられる。
次の舞台は呉鎮守府。体育会系に染まった艦娘たちが闊歩する、日陰者にとっての敵地のような場所ではあるが何とかなるだろう。
まずは演習戦に勝つ!
そして夕雲ともっとセックスをするのだ!
「だから自重してくださいって!」
エロを書いてみたかった。