明け方前にキスをする
『きれい』な子と、『かわいい』子。
アンタはどっちが好きなんだい?
ん? そう言う俺はどっちなんだって?
俺かあ。俺はな、そりゃあ断然、『かわいい』派だね。
なぜって?
かわいいは最強だからだよ。
この話をするためにはまず『かわいい』とは何か? を説明しなきゃいけないな。
そもそも『かわいい』とはなんだ?
・愛らしく感じるさま。
・いとしく思うさま。
……というのが辞書的な回答ってやつだが、ここで肝になるのは受け手側――つまり俺が、もしくはアンタが、早い話が相手の女の子を見ている側が、“何を見て好印象をもったか”が重要なんだ。
相手を見て、かわいいと感じた。
それは単なる外見を見ての話じゃない。
笑顔であったり、一つ一つの所作であったり。つまりその子の感情や動作を見て「いいな」って感じるのが『かわいい』なんだ。
相手の笑顔を見て愛らしく感じる。
相手の動きを見ていとしく思う。
女の子の幸せそうな様子が、楽しそうな表情が、ウキウキしている瞳の輝きが、見ているこっちの感情を引き上げてくれるんだ。
分かりやすく言うと「いっぱい食べる君が好き」とか「女は愛嬌」みたいな感じだ。
分かるか? 分かったならオーケーと言ってくれ。
うん。よし。
分かってくれたな。
つまりな、俺はそういう『かわいい子』が好みなんだよ。
…………うん?
そんなこと言ってても美女からアプローチされたら好きになるんだろって?
ん~~。
そりゃあ、まあ、仮にだよ? 好き好き~って感じに迫られたら悪い気はしねえと思うよ?
けどなあ……どうも苦手意識があるっていうか、壁を作っちまうっていうか……そんなところが俺にはあるんだよ。
まあ、あれだよ。
俺の妹がそういうキレイ系な感じだったのよ。
それも街を歩いてると10人中9人ぐらいは振り返るレベルのすげえやつ。ホントに俺と血ぃ繋がってんのって思ってたね。
でもな、美人なんて身内にいたっていいもんじゃないんだよ。
何故って?
そりゃあ勿論、いわゆる他人より優れた顔面をもつ人間がどんなふうに育ってどんな性格になっていくのかをリアルタイムで見せつけられちまうからだ。
やっぱ人間、育ち方って大事だよ。小さい頃から頑張ってないのに褒められてたらおかしくなっちまうってよく分かる。
俺の妹はもてなされるのは当然で、自分の言うことは絶対って感じ。
家ン中じゃ俺のこと下等生物みたいな目で見るし、呼ぶときなんか「おい」とか「お前」だし、小遣いも誕プレも俺より上じゃないと怒るし、先に風呂入んなとか洗濯物一緒に洗うなとか言うし、そのくせ出掛けるときは足にしようとするし。礼なんて当然言わねえし。
ちっちゃい頃は可愛かったんだよ。「にいちゃ、にいちゃ」って何かにつけて俺のあとついてきてさ。
それがどうしてああなったんだか。俺は誠に遺憾でならない。
ってわけでな、俺は美人が苦手だっていう話。
……いや、いや、アンタの言いたいことも分かるよ?
俺の妹がたまたまアレなタイプだっただけでそうじゃない美人もいるだろう、って言いたいんだろ?
俺だって頭じゃ分かってるよ。
でもファーストインプレッションがそれなもんで、刻み込まれた偏見ってやつはカビのようにこびりついちまったんだ。
そりゃあ美人を見たら女としての魅力は感じるしお近づきになりてえ~って思うこともあるけれど、その裏側にああいう本性が隠れてんじゃないかって思うとゲンナリしちまうんだ。だったら眺めてるだけでいいやって。
そんなわけで、俺が働いている佐世保鎮守府にはそりゃあ美人な艦娘たちがたくさん居るけど、あんまり積極的に関わりたいとは思わない。
んなことより仕事の方が大事だよ。
ん?
俺の仕事?
ああ、まだ言ってなかったか。
俺は佐世保の整備員をやってる。
整備課唯一の若手で、下っ端みたいな扱いだけど、一応有望ではあるんだぜ?
仕事に関しちゃマジメだからな。やたら昭和気質な整備のオヤっさんたちに教えを乞いながら、暇さえあれば分厚い辞書みたいな専門書を読みふけって知識をつけた。おかげで今では駆逐艦の装備点検・修理を任せてもらえるようになっている。
駆逐は数が多いから大変だけど、やりがいもある。
装備を預かるのは命を預かるようなもんだからな。
あと、駆逐艦のいいところは、相手をしていて気が楽なところだ。
ヘンに気を張らずに済む。
これが戦艦や空母ぐらいになると、自尊心とプロ意識が混ざったようなオーラが滲みでていて正面から会話していると俺はみぞおちのあたりがウーってなっちまう。いや完全に被害妄想なんだが。
駆逐はいいよ。駆逐がいい。かわいいし。
あ、俺はロリコンじゃないから。
そこんとこ大事なんでね、よろしく。
@
真夜中の誰もが寝静まった鎮守府で、たった一つだけ明かりのついた場所がある。
静まり返った整備棟、そこにいるのは俺一人。
手にした小口径主砲をひっくり返して覗きこみ、鼻歌を歌いながらチェックする。
「探し物はなんですか~。見つけにくい物ですか~。カバンの中も、机の中も、探したけれど見つからないのに。まだまだ探す気ですか~……っと」
外装の接合、よし。
主砲の稼働、よし。
異常個所は見当たらない。これでこの12.7cm連装砲D型改二は明日からまた実戦で使うことができるはずだ。
大きく伸びをして、パイプ椅子の背もたれに寄りかかる。今日の夜勤業務のノルマを終えた安堵感に包まれながら首をこきりと鳴らした。
「ふう~。佐世保の整備員になってからもう一年かあ。人生なんとかなるもんだなあ……」
薄汚れた整備室の天井をぼんやりと眺めながらこれまでの生活を思い出した。
世界が平和だったのも昔の話。
突如現れた深海棲艦とかいう海の化け物のせいで日本は大混乱に陥った。
海運のほとんどがストップしてしまい、経済は悪化の一途を辿り、会社という会社がばたばた倒産した。前代未聞の就職難が発生した。
かくいう自分もその被害をもろに受けた。新卒なのに働き口が見つからないまま卒業間際までいってしまい、頼る先もない俺は若い身空でホームレスになるしかないのかと絶望するしかなかった。
しかし世の中なにがあるか分からない。
ダメ元で応募してみた佐世保鎮守府に就職できてしまった。
面接の場で「俺にはこれしかないんです!」と土下座せんばかりの勢いでアピールする俺の姿のどこが琴線に触れたのかは知らないが、同席していた佐世保の提督さんが「彼にチャンスを与えてやれはしませんか」と整備課のお偉方に声をかけてくれたのだ。感謝感激雨あられ。あの人には一生足を向けて寝られない。
「……というわけで今日もお仕事はおしまいっと。さ~て後は交代がくるまで暇だけど……今日はもう飲み始めちまおうかなあ?」
ちらりと掛け時計に目を向ける。
午前3時。
大所帯を抱える佐世保といえど誰もが寝静まっている時間帯。
全人類が滅んでしまったのではないかと思えるような、静かな夜だった。
夜勤は嫌いではない。
むしろ好きなほうだ。
独りが好きなのかもしれない。
男には一人の時間が必要っていうし、俺自身たまにはオヤっさんたちから解放されたいし。
あと一人きりならちょっとぐらいはっちゃけてもバレないし。
ごそごそと懐からスキットルをとりだした。
「夢の中へ、夢の中へ、行ってみたいと思いませんか~……ってね」
一口飲む。
ウイスキーのガツンとした香りが鼻を抜け、喉が焼けるように熱くなる。
仕事終わりのほどよい疲れと解放感。それをこうしてひっそりと味わうのが好きだった。
少し埃っぽい整備室の空気を吸いながら、さあて朝まで何をして過ごそうかと考えていると――
「……フッ……フフフ」
「うお!?」
見つかった!?
職場で飲酒! ゲンコツじゃ済まねえ!
……と焦ったが、よくよく見ると入り口のドアからこちらを覗きこんでいたのは鬼より怖いオヤっさん連中ではなく、妖しく目を光らせている小柄で華奢な少女だった。
「ああ、びっくりした。早霜ちゃんか……。普通に声かけてよ」
「見ています」
「あ? なにが?」
「見ています……いつでも……」
夜を流しこんだような黒髪に、日本人形よりも精緻な造形の顔立ち。
艦娘には綺麗な子が多いが、彼女はまた別種の美しさを持っていると思う。
静脈が透けて見えそうな白い皮膚に、絵筆で描いたような長いまつ毛、若々しい照りを持った頬に、しっとりと潤い光る唇――すべて、一つになり得そうもないものが、不思議にも一つにまとまっている。
「あー、今夜も夜間哨戒任務か?」
「はい。さっき戻ってきたところです」
「君も大変だね。お疲れさん」
「お兄さんは、夜のお楽しみですか?」
「まあそんなとこ。こっちも一段落ついたとこだから。どう、一杯やる?」
「いただきます」
早霜は楚々とした足取りでこちらに近づくと、俺から突き出されたスキットルを手に取った。躊躇いもなく唇をつける。
切れ長の目尻がほんの僅かだけ細まって、薄い喉が嚥下のたびにこくこくと蠢く。
ぼんやり眺めていると、早霜はすぐにスキットルを作業台に置いた。カン、と小気味よい音が響く。もう飲み干してしまったらしい。
こっちはまだ一口しか飲んでいないのに。
文句を言ってやろうとすると、早霜はどこからともなく丸いビンを取り出した。
「達磨です」
「お、おお」
「やりますか?」
「やるやる。ありがたいね」
手荷物からアウトドア用のマグカップを2つ取りだして、琥珀色の液体を注ぐ。
無言でカップを合わせて、無言で口をつける。
割りもしなければ氷も足さない。それが俺たちのいつものやり方だった。
「んむ」
フルーティーな味わいが舌に広がった。
鼻の奥を豊潤な香りが抜けていく。脳がくらくらする。
熱くゆらめく視界の中で、相席の美少女がしっとりと微笑んだ気がした。
もう一口、と飲んでみる。
すると向かいの少女も同じように一口含む。
甘く、どっしりしたオーク感、濃厚な渋み。舌と喉を焼いているこの味わいを目の前で同時に息をついた少女も共有している。
そう感じているのは多分向こうも同じ。
だから鏡合わせのようにタイミングを合わせて飲んでいる。その時間が続くようにと間を空けない。互いにストレートの強烈な酩酊感をジェットコースターのように流しこんだ。
「ふうっ」
さすがに一気に飲みすぎた。
息を吐き、くらくらと頭を傾けながらぼんやりと早霜の顔立ちを眺めた。
この子は……将来、絶対に美人になると思う。
今はその直前であり、成り始め。
白砂の上を薄く流れる清水のような乱しがたい透明感を漂わせている。
あまり感情を表に出すタイプではないけれど、だからこそ不意に訪れる表情の変化に目を奪われる。ほんの一瞬の微笑みが見たくって俺はこの秘密の飲み会を続けているのかもしれない。
それに、と早霜の緩んだ口元に視線を向ける。
今夜は特に上機嫌に見える。
まるで誕生日の主役になった女の子が「ハッピーバースデーおめでとう!」のコールを待ってるって感じだ。その理由を、いつも仕事終わりに顔を突き合わせている俺は簡単に察することができた。
制服がいつもと微妙にデザインが違うのだ。
「早霜ちゃんさぁ、ちょっと聞いていい?」
「はい」
「さっきから気になってるんだけど……その夕雲型の制服ね、な~んか可愛くなってない?」
「フフ……お気付きですか!」
待ちきれない、とばかりに颯爽と立ち上がる。
ちょっとらしくない浮かれぶり。その理由は、彼女の装いにあった。
薄手の白のジャケットに、大きなスリットが加わった
「私……強く、強くなりました。夕雲型駆逐艦、早霜改二……!」
「お~~。すごく似合ってる!」
「フフ、フフフ……!」
「やったじゃん。ずっとなりたがってたからなあ」
「少し大人っぽくて、素敵です……」
軽くポーズをとってみたりする、その照れが半分混じったようなドヤ顔に俺は思わず感嘆の息をついてしまう。
「いやあ感動だなあ、これは……」
「フフ、そうですか?」
「ああ、だってそんな顔、初めて見た」
「浮かれすぎ、でしょうか」
「それがいいんだよ。すげえかわいいから」
「かわいいっ……て……そんな、私……困ります」
早霜は頬を赤くして俯いてしまう。
それもまた初めて見る表情だ。
「自信持っていいよ。俺が保証する。なんかこう、派手すぎず地味にもならない、品のいいオトナの装いって感じでさ」
「そ、そうでしょうか?」
「記念に写真撮っていい?」
「だめ、だめです」
「いーや撮っちゃうね」
「あ、あ、あーっ。……勝手に撮りましたね。今、変な顔してました。やりなおしを要求します」
「それってもっかい撮っていいってこと?」
「いけません……消してください。困ります」
「ははは」
むくれてみせる早霜に俺はホールドアップしてみせる。けれど写真は消さない。
少女はほんの少しだけ唇を尖らせたが、やがて諦めたように息を吐いた。
思い返せばしみじみとするものがある。
こうまで色々な表情を見せてくれるようになるまでにどれぐらい時間がかかっただろう。
早霜は会うたびに一歩ずつ接近を許してくれる猫のように日を追うごとに新しい感情を見せてくれた。
声のトーンが上がったり。ほんの一瞬ほほえんでくれたり。
今なら手を伸ばせば撫でさせてくれるだろうか、なんて酔った頭で考える。
引き寄せてみたらどんな顔をするだろう?
あどけなく喜んでくれたらいいなあと妄想し、自分はそれを望んでいるのかと改めて気付かされた。
「……ん」
じっと見つめていると早霜は誤魔化すように視線を落としてちびちびとウイスキーを口にした。
俺も約束事のように琥珀色の液体を一口すする。
どろりとした酩酊感が頭の中身をどこかへ吹っ飛ばしてしまう。世界がゆっくりと傾いてどこまでも落ちていきそうな感覚が無性におかしくて俺は笑った。
見れば、正面の早霜もとろりと目尻を緩ませている様子だった。
「ねえ~、早霜ちゃんさあ」
「はい……」
「そろそろ出来上がってきたぁ?」
「出来上がり、ました……」
「いいねえ」
「いいですね……」
「俺ねえ、こーゆーの好きなの。分かる?」
「フフ、フフフ」
「それそれ。そーゆーの。好き」
「何がですかぁ」
「俺たち、こーやって一緒に飲むの何回目? やあっと見せてくれるようになったよね」
「何がなんですかぁ」
「だからさー」
次の言葉なんてぜんぜん考えていない。
気ままに口を滑らせているだけの俺は「あー」とか「えー」とか呻くことで続きを捻りだそうとしている。そんな俺を見て、早霜は、ゆったりと頬杖をつきながら、目を糸のように細めて「がんばれぇ」と呟いた。
こほん、と一つ咳払い。
「だからね、早霜ちゃんは、あんまり喋らないタイプじゃん。なんか言えば乗っかるけど、自分から言ったり、分かってもらいたがるタイプじゃないじゃん。いいんだけど、俺は、落ち着いてていいなあって思うんだけどぉ、なんていうかなあ、人間、もっと動物的になっていいと思うんですよ」
「フフフ……意味が、分かりません」
「ほらさ、初めの頃は、酔ってても、ちゃんとしてたじゃん。こう警戒してるっていうかさ? そりゃあ俺は男だし、サシ飲みだし? 深夜だし? しゃあないけどさ、せっかくのアレなんだから、ちゃんとしてないところも見たいわけですよ」
「んふっ。ぼやぼやすぎて……分かりません……フフフ」
「それそれ」
俺はふらつく頭のまま立ち上がり、早霜の隣にパイプ椅子を並べて肩をつけて座った。
少女は曖昧に瞳を揺らめかせているだけだった。
俺の肩のすぐ隣に絹のような黒髪がある。小さな頭を見下ろすと透き通った瞳が俺を真っすぐとらえた。視線が絡み合う。少女の整った鼻筋と湿った唇がよく見えた。
「そういう顔が見たいのよ」
早霜はひっそりと笑みを浮かべる。
「お兄さんだって」
「ん?」
「おんなじです」
「へえっ? 俺があ?」
全然分からずにいると、早霜は上目遣いで覗きこんできた。色艶のある黒髪がさらさらと流れ落ちていく。
「仕事のこと以外、喋りたくないって、感じ、でした。話は聞いてくれるけど、踏み込んでこない、みたいな。違います?」
「違うよぉ」
「違くないです」
「そっかあ。じゃあそうかも」
「でね、たくさん喋るように、なりました。酔ったら喋る、そんな人……」
「んーーー。そうかな?」
「そうです」
「じゃあそうなんだ」
言ったきり、俺は黙った。
特に理由はない。なんとなく肩と頭を寄せ合っている少女の顔を見ていたくなった。
何をするでもなく数センチほどの肩の接点から伝わる体温を感じていると、途端に夜の静けさが広がって、二人きりの空間にいることを意識させられた。
「あの、」
ただ眺めていた。
耳が赤いな、とか。まつ毛長いな、とかぼんやり思いながら。
「あ、あの。もしかして、そういうこと……考えて、ます?」
「考えてる」
嘘。眺めているだけ。
ただ、いいな、って見ていたいだけ。
何か言われたから応じてみた。それだけ。
なのに、言ってしまってから、別にいいんじゃないかと思った。そういうことをするのに一つの障害も見つからないんだから。
「あ……」
昼白色の電灯に照らしだされた舞台の上で、早霜の細い肩に腕を回してみた。
細身のわりに柔らかいんだな、と思いながら、すっぽりと腕の中に収まってしまう身体を捕まえて、ちゃんとしてない頭のままで喋ってみた。
「あのね」
華奢な肩がぴくりと震える。
少女の唇が慄くように開いたが、声は出ない。
「改二になった頑張り屋さんの、早霜ちゃんに、プレゼントを用意してるんだ。今あげていい?」
キスをした。
ほんの少し触れるだけ。
それ以上彼女の形を変えてはいけないと思った。
なのにどんな味だったかさっぱり分からないのが口惜しくて、二度三度と繰り返してしまう。
なんだろう、この味。
なんだろう……。
とろけるように柔らかく、吸いこむと甘いように感じた次の瞬間にはもう苦い。
ミステリアスな唇を舐め回し、擦りあげ、抑えつけようとした。けれどどうにもすわりが悪い。華奢な身体を抱き直してじっくりと確かめる。
やっと分かった。どこまでも知りたくなるようなこの味は、さっきまで飲んでいたウイスキーの味だ。でもそれだけじゃない。その奥にうっすらと原材料の味がする。上機嫌で、浮かれていて、恥ずかしがっている女の子の生の味。息継ぎする間も惜しくてとろとろと接合し続けた。
「ぷ、は……、はっ、はぁ、はぁ……」
息継ぎをする声が艶めかしい。
何かすればするほど新しい魅力を見せてくれる、今夜はそんなフィーバータイムだと思った。
「は……ん、ふ……」
「君はとってもきれいで、しかもかわいいんだから、俺はもう無理だよ」
「……あ、あの……これは、どういう」
「ごめんね。びっくりした?」
「はい、あの」
「逃がさないよ」
潤んだ瞳が無防備にこちらを見つめている。
「早霜ちゃん、ウブだから。今帰しちゃったら次どんな顔したらいいか分からないって何日か会いに来なくなりそう。だからさ、キスぐらいなんてことないって今慣れさせちゃう。分かった?」
「……っ……ぁ、ふ……っ」
触れ合うだけの淡いキス。ちゅっと音を立てては離れ、また惹かれ合うように結びつく。上唇と下唇を交互に挟むように唇を交わし繋がりあう。また離れ、また睦みあう。繰り返すたびに抱き寄せて、密着の度合いを高めていく。
舌先を尖らせて隙間にねじこみ、開かせた。
ちいさな舌を絡め取り、ぬちぬちと執拗に舐め回す。もつれあわせながら互いの唾液をぬりこめて、くちゅくちゅと粘っこい水音を響かせる。その最中に耳の形に沿って指先を這わせ、あるいは髪をそっと梳いて、子どもをあやすように撫でていく。
幼げな呼気を鼻先に感じながら、されるがままに口内を蹂躙される少女に思いを馳せた。
きっと初めてのキスだろう。
それがこんな埃っぽい整備室でなんてちょっと可哀そうなことをしたかもしれない。
「……っ……ぷ、は」
ねっとりと唾液の糸を引き、二つの舌が離れていく。
少女は額にじっとりと汗を浮かせ、はぁ、はぁ、と犬のように舌を出したまま。色素の薄い肌は燃え上がるような薄桃色へと変化して、それでも少女は自身の状態と現状を理解しきれていないようだった。
「大丈夫?」
「…………ぁ、……」
「もう少し続けるよ」
「あ、待っ、……んんっ」
すぐさま唇を塞いでしまう。唇と舌だけでなく口腔粘膜を余すところなく舐め回す。
かんばせを傾けさせ口付けを深くしていく。首の後ろを抑えながら唾液を流しこむと少女は抗えないままこくこくと喉を鳴らした。
全身の力がくったりと抜け、身悶えする肢体が少しずつ大人しくなっていく。
見れば、少女はとろんと目を蕩けさせていた。
時折隙間ができる二つの唇の間から甘ったるい声が漏れていた。抑え方もよく分からないのか早霜は熱っぽい吐息を繰り返すばかり。べとべとに濡らした口元を拭おうともせずぴくりぴくりと肩を震わせている。
気がつけば痛いほど勃起していた。
身を寄せている彼女はとっくに気付いているだろう。もしかしたら怖がらせているかもしれない。そう思うと気が気じゃなかった。
再び唇を離して聞いてみる。
「あのさ、俺のコレ、こんなんなってるけど気にしなくていいから……って言っても無理だよな」
「……あふ……は……」
「今日は、キスだけだから。君が嫌がるようなことなんてしようと思ってないから。あ、もしかしてキスも嫌?」
早霜は肯定も否定もせず、息を荒げながらゆっくりと唇を動かした。
「分かり、ません……」
腕の中の熱源を感じながら、ただ耳を傾けた。
「わた、し……くらくらして、ドキドキして、なんにも分かりません……。お、お兄さんは、どうですか……?」
「俺……?」
「こういうの、好きって言いました……。出来上がってて、ちゃんとしてないところを見たいって。……見たい、ですか?」
「見たい。すげえ見たい」
早霜はぺろりと上唇を舐めあげる。
悪魔のような微笑みだった。
「どうぞ」
一発で魂を掴まれた。
持てる全てを捧げたくなってしまう。
「ああ、もう、俺もわけわかんなくなってるわ……!」
「フフ……言っちゃった。ちゃんとしてたら、絶対言えないこと……フフッ」
そうと決めて抱きしめる女の身体には抗いがたい誘惑が秘められていた。熱く、柔らかい。どこまでも密着したくなる。頭頂部に鼻先を押しつけて、すんすんと遠慮せずに鳴らして、すべりのいい頬を手のひらで包みこみ、キスをした。このまま成長過程の幼い身体を自分色に染めてしまいたくなる衝動に誘われて、しかし倫理観とせめぎ合わせるスリルもまた捨てがたく思う。
どちらからともなく手を伸ばす。あごを撫で、肩を掴み、さすり合い、口づけをし続ける。
今夜というこの時だけを愉しんだ。
井上陽水 『夢の中へ』