早霜との馴れ初め、と言われて思い浮かぶのは、そう、秋霜だ。
整備員の詰め所によく遊びに来るあの子の方が印象深かった。
快活で好奇心旺盛、年上の男連中である整備員たちにも気さくに話しかけてくる、行動力のある子。その彼女といっしょにいる友達のうちの一人、というのが早霜の初めの印象だった。
早霜を初めて見たときは――
おっ、すげえキレイな子がいるじゃん、って目を引かれたのを覚えてる。
でも挨拶を一度交わしたきり。その後は何度か顔を合わせても特に会話もしていなかった気がするよ。
中心軸にいたのは秋霜で、早霜はオマケ。
そんな感じだった。
しかし実際に会う回数が多かったのは早霜だ。
基本的に夜勤の俺と、夜間哨戒任務に従事することが多い早霜。
夜の仕事ってやつは終わっても相手をしてくれる同僚・仲間はほとんどいない。眠っているからだ。かといって自分も帰って寝るだけなのはいかにも勿体ない。仕事終わりの解放感のまま誰かとメシでも食いながらくっちゃべりたいって思うのが人情だろう?
そこで互いに勤務帯の都合がよくて、しかも酒飲み同士だったのが俺たちだ。
自然、深夜から明け方ぐらいの時間帯にひっそり会って、ちびちび酒を飲みながら雑談する間柄になったってわけ。
俺は整備の仕事場の鍵を開けておき、
早霜は気が向いたときにやって来る。
そんな宅飲み仲間ならぬ、職場飲み仲間になったんだ。
ま、職場でやるのはマズいさ。それは分かってる。
んだけど他に行き場所もないから仕方ない。
まさか男の俺が駆逐艦の寮に押しかけるわけにはいかないし、逆に未成年の女の子を俺のボロアパートに連れこむわけにもいかない。飲み屋もやってないような時間帯だしな。
で、大体半年ぐらい前からかな? 一緒に酒を飲んだり、メシ作って食べたりしてたよ。
自前でキャンプ道具を持ってるんでね、それ使って。
コンパクトガスバーナーとかクッカーセットを並べてさ、ベーコンエッグとか焼くんだ。カリカリの白身にとろとろの黄身をハフハフってやってさ、これが旨いってなんの。そういや一回、早霜がサザエを持ってきたこともあったな。壺焼きにして楊枝で肝だして食うの。ほろ苦さと磯臭さが酒に合うんだよ。で、シメは大体うどんね。
そんな早すぎる朝食をつつきながら、いつも取り留めのない話をしていたよ。
酒が入ってるからどっちも口が軽くなってるし、何を言ったかなんてほとんど覚えちゃいない。けど楽しかったのだけは分かるんだ。
夜勤明けにぷらぷら家路につきながら、昇る朝陽を眺めていつも思う。
また一日頑張るかって。
早霜との出逢いは、俺にとってはつまらない現実・現在から引き離してくれる清涼剤のようなものだった。
乾ききった日々の生活に潤いを与え、ともすれば「明日もこんな時間があってほしい」と期待するような感情さえ抱かせてくれる。
もしも彼女が隣に居てくれたなら俺はまったく新しい人生を歩けるのかもしれない。
@
ズガガガガガギュィイイイイイイイ!
ギュイッギュイッ!
ガンガンガンガン!!
「…………クソうるせえ」
昼の整備棟は今日もやかましい。
ドアを2つと廊下を挟んだ仮眠室まで届いてくる振動のせいで眠気はどこかへ飛んでいってしまった。仕方なく、のそのそと煎餅布団から起きだした。
「おおう、チンコがすごいことになってんじゃん……」
それはもうバキバキになっていた。
怒張という単語が似合いそうな猛りっぷり。痛いぐらいの朝勃ちで、俺とは別の意思をもった生き物のように思えてくる。もしもコイツが喋ることができたら、きっと主人たる俺に向けてこんなふうに抗議するんだろうなって思う。
クルルアッ、てめー! よくも昨夜は使わずにいやがったなァ!
……ってな感じに。
そう、そうなんだ。昨夜は本当に何もしていない。
キスだけであの子を帰しちまった。
別にヤリたくなかったわけじゃあないんだが……そんなふうに階段を駆け上がっていくようなやり方はしたくなかった。
俺がしたいのは、女をかき乱して追わせるような駆け引きじゃあなくて、もっとこう、二人が同じ気持ちで同じ方向を見て進んでいく感じのやつだ。
それって具体的にどーゆーことなのさ? ってのはサッパリ分からないけども。
「まあ考えてたって仕方ねえ。もう昼だ、昼。仕事だー。切り替えてくぞ~!」
「こんちゃーっす」
整備の部屋に入っていくと、今日も作業着姿のおっさん連中が詰めていた。プラス、艦娘が一人。秋霜だ。目を輝かせながら稼働中の機械群を眺めている姿は微笑ましいが、連日よく飽きないもんだと思う。
あくびを漏らしながら壁に掲げられた大型ホワイトボードを確認した。
さあて今日のスケジュールはっと。
整備員たちの本日の予定。搬入予定の物品・資材……。
まだ覚醒しきっていない頭で読み流していると、秋霜から声をかけられた。
「おっはよー! おにーさん、また泊まったのー?」
「おー」
「夜勤多すぎでしょー。体壊すよ?」
「平気だって。まだ若いから」
「いーやオメーは働きすぎだ」
「げっ、オヤっさん」
振り向けば作業着の巨体がこちらを見下ろしていた。
「オメーよお、今日は夜勤明けだよなあ? なのにまた昼から入るつもりか?」
「もうちゃんと寝ましたよ」
「今夜だって夜勤あるだろうが。どんだけ連勤してんだよ」
「なんスか今さら。労基でも来るんスか?」
「ちげーよ。オメーがどーしても金がねーっつーからやらせてたけどよ、もういい加減貯金も貯まってきただろ? そろそろ普通のシフトに戻せ」
「えー、マジっすか」
「そんなに働くのが好きか? それともアレか、夜の女に貢いでるとか」
「そういうアレじゃないスけど」
「怒られてる怒られてるー」
「うっせ」
ここで一つ説明しておこう。
なぜ整備業に夜勤があるのか?
理由はもちろん、土日祝日・夜間の関係なしに攻めてくる深海棲艦に対抗するためだ。
日中に使った主機や装備を次の朝までそのままにしてしまったら、夜襲があったときに艦娘たちが戦えなくなってしまう。いや、予備はあるにはある。だが数は少ない。あまり頼りにしていいものではない。
よって、帰投してきた艦娘たちの装備類はすぐに点検・修理するのが常識となる。夕方に帰ってきたら夕方のうちに、深夜に帰ってきたら深夜のうちに。
だから海軍の整備員はまとまった休みはほとんどとれない。
戦線が激化すれば連勤上等だし、東南アジア諸国あたりの強敵が跋扈するヤバい泊地なんかは二徹・三徹が当たり前らしい。
その点、佐世保鎮守府の整備課はヨソと比べると天国だ。
なんでも佐世保の提督さんがとんでもなく優秀なおかげらしい。
連戦連勝、それも完全勝利といっていいぐらいに勝つものだから、艦娘たちはほとんど被弾しない。主機や装備も壊れないし、佐世保の整備員たちも定時で帰れる。オールハッピー。
いや、俺だけはハッピーでもないか。
俺は休みがあんまり好きじゃない。
暇を持て余してつまんないことばかり考えちまうからだ。だったら無心で仕事に集中して「俺は今日も頑張った!」って満足してた方がずっといい。
そんなふうに小難しい顔してオヤっさんへの返答を濁していると、話のついでみたいな感じでこんなことを言われた。
「呉に異動してみないか……って?」
「おうよ。向こうは人手不足なんだと。使える奴を送ってくれって打診されてんだ」
「えええー! おにーさん、佐世保辞めちゃうの!?」
「いや辞めないけど……。え、なんで俺?」
「若ぇし。体力あるし。覚えんのも早えしな。あと独身なのもある」
「いきなり言われても困るんスけど」
「なんだ、もしかしてこっちにイイお相手でもいんのかよ?」
「む。いやぁ別に……」
頭に浮かんできたのはもちろん昨夜めちゃくちゃにキスしまくっちまったあの子の顔だ。
あの澄んだ渓流のように自然体の美しさを持つ少女。
ふとした拍子に見せる年相応のあどけなさに惹かれていた。
もっと見てみたい。多分、世界中の誰にも見せたこともないような表情を彼女はいくつも隠し持っている。自分だけが覗きたいと思うし、他の誰にも見られないように独り占めしたいとも思う。
だから、彼女に会えなくなってしまうのは困るんだ。
でも向こうとしてはどうなんかな?
俺としては十分時間をかけて距離を縮めたつもりだし、イケると思ってレリゴーしたわけだけど……「あんなことされると困ります」ってダメになっちまう可能性も当然あるんだよな……。
「……ちなみに、その異動って選択権あるんですよね?」
「おう。行きてえなら今週中に言え。あ、一応言っとくが、これ左遷じゃねえからな?」
「今週て。今日入れてもあと三日しかないじゃないスか」
「お、おにーさん、行ったらダメだよー! 寂しいよー!」
「いやまだ分かんないから。聞いてみただけ」
騒ぐ秋霜をなだめながら今後についてぼんやり考えていた。
これから一体どうなっちまうのか。悲しいがさっぱり分からない。けど傍にいてほしい人ほど離れていくのもよくある話。
もしもそうなっちまったら……佐世保でくすぶっててもしゃあねえか。呉でもなんでも異動しちまうのもありかもしれない。
ま、上手くいけばそれが一番いいんだけどさ。
「呉はいいとこだぞ。オメーも噂ぐらい聞いてんだろ? 決めたら教えろ。いいな」
「へーい」
正直に言うと、新天地という言葉の響きに惹かれていた。
新しい環境。新しい人間関係。
この一歩も進まないような日々の繰り返しから脱け出すためのピカピカの扉が目の前に現れた気分だ。
でも……。
やけに俺を引き留めようとする秋霜をあしらいながら、ふと思う。
あの子は俺を惜しんでくれるだろうか。
暇つぶしの相手としてではなく、俺という個人を必要としてくれるのか。
そうなら俺は残りたいって思うんだが――
@
結局、午後は休みにされてしまった。
更に今夜の夜勤も休みにされたし、ついでに有休消化しろって明日も休みをとらされた。
つまりこれから24時間以上も自由時間になってしまったというわけだ。
「暇だーー。暇すぎるぅぅーー」
ろくな趣味もないし自宅のボロアパートでごろごろしていても鬱屈しか溜まらない。
市場でも行くか?
いやあ、ろくなもん手に入らねえしなあ。
電車に乗ってショッピングモールとか?
独りで行っても淋しいだけだし。
マラソンとかして鍛えてみる?
だりい。
じゃあ溜めたお金で、エッチなお姉さんたちと自由恋愛してみたり……。
だったら家でシコるわ。
小人閑居してなんとやら。
こうやって人間ダメになっていくんだと思う。
「はあ……。メシでも食いに行くか」
しょうがないので商店街に向かった。
アーケードのアーチをくぐる。
のんびりした足取りでいつもの隙間道に入っていき、狭い路地を右へ左へとしばらく歩く。住宅街の角を曲がると、時を遡ってきたような西部劇調の趣きの木造建築物が現れた。
目当ての店だ。
ドアを開けると、チリリンと鈴の音が鳴った。
室内は、外観とそう変わりない。
塗装されていない板張りで、入ってすぐにカウンターバーがある。これも木製。黒光りする木材がいい味をだしている。その奥には多種多様な酒瓶がずらりと並べられた棚があり、上には『Cowboys Saloon』と描かれた看板が打ちつけられている。
馴染みの店員に会釈する。
座る場所を探していると意外な人物を見つけた。
「あれ、早霜ちゃんだ」
目が合うと、丸テーブルの一席に腰をかけたまま小さくお辞儀した。
その顔が普段よりもほんの少しヨソ行きな感じになっているのは……うーん、気のせいじゃあないよなぁ。
こほん、と咳ばらいを一つ。
ひとまず彼女を囲むようにして同じテーブルに座っている陽炎型の三人娘に目を向ける。
「えーと、君らは確か、呉から研修で来てるっていう……」
「陽炎よ」
「不知火です」
「黒潮や。……おにーさんは佐世保の人やろか?」
「あ、悪い悪い。俺は佐世保鎮守府の整備員ね。よろしく」
「よろしく!」
女子会かな?
遠慮してカウンターに移動しようかと迷う。
すると呉の三人娘はささっと一人分の場所を空け、隣のテーブルから椅子を持ってきた。
見事な連携に感心しつつ、勧められるまま席につく。
「みんな揃って休みなんだ?」
「なんか佐世保の司令が今のうちに休んどけって言うのよね」
「へえー。作戦行動でも近いんかね」
「ほら、そろそろその可能性があるっていう通達……あったじゃない?」
「ん? ……ああ、アレかあ」
言われて思い出した。
確か、敵の大規模群体が佐世保鎮守府に攻めてくるっていうやつだ。
一応ここは公共の場であるわけで、声を潜めた陽炎に合わせてこちらも声量を下げて同意した。
あの作戦は……提督曰く、深海棲艦がそう動くように仕向けたんで罠にはめて迎撃する、という内容だったはずだけど……あの化け物たちの行動をコントロールするなんてできるもんなんだろうか?
そう聞くと、不知火は静かに肯定した。
なんでも佐世保の提督はそういう難しい作戦をこれまで何度も成功させてきたらしい。
早霜も素直に同意する。
「司令官が来ると言うのなら……来るでしょう」
「ふうん……。あ、もしかしてそれで早霜ちゃんも今のうちにって休みをもらったの?」
「はい。明日も一日休みをいただきました」
「俺と一緒じゃん」
「そうなのですか?」
「俺の方は出勤が続いてるからって休みとらされただけなんだけどね」
店員に注文する。
飲み物は……ちょっと迷って、正面に座っている早霜の手元にあるグラスに目を向けてみた。
オレンジジュースだった。
だが俺は敢えての酒にした。
「俺のウイスキー。ロックで。あ、ボトルなんだけどみんなも飲む?」
「ええっ? まだ日も高いでしょ」
「休みなんだからいいじゃん」
「そういうわけにはいかないわよ。だってこれ、早霜を祝う席だし」
聞けば早霜の改二祝いをやっていたらしい。
違う鎮守府所属でもわざわざ祝ってくれるとは随分仲がいいようだ。
そういうことなら酒はまずいかな、と思ったが、一応早霜に目で問いかけてみる。
すると意外というか、思った通りというか、ためらうことなくグラスに手を伸ばしてきた。
「皆さんも好きなものを頂いてください。楽しい方がいいですから」
「そう? ならビールいっちゃおうかしら」
「不知火さんもどうぞ。ビールでいいですか?」
「まあ早霜がいいなら……いただきます」
「うちもビールで~」
少しホッとしたのは内緒だ。
駆けつけ一杯、といった感じにそれぞれのグラスが集まって、陽炎が音頭をとって乾杯。
そうこうしていると店員が俺の料理を持ってきた。
遅い昼飯兼、早い夕食の皿うどん。
パリパリの硬麺ではなくちゃんぽんの太い麺を使っていることに黒潮が驚いて、「ウチも同じの」と注文した。どっちも長崎の名物なんだと説明し、そういえば佐世保バーガーは食べたかと聞くと全員が頷いた。さすがにそれは食ってるか。
各々が好きな物を追加注文していくとテーブルはあっという間に料理でいっぱいになった。
軽い自己紹介を経て、話は俺と早霜の関係へと移る。
少し迷ったが、「俺ら夜働くことが多くてよく顔を合わせるんだ」と無難に答えておいた。
しかし陽炎はなにかを嗅ぎ取ったような顔。「ふ~~~ん?」と興味津々に俺たちを交互に見比べる。
「お兄さんも早霜にお祝いしてあげた?」
「まあ……」
「へえ~、もうしたの? どんな?」
「そりゃあ、」
べろんべろんにキスしたぜ!
……とは流石に言えない。
仕方なく、手荷物から小綺麗に包装された小箱を取り出した。
「これなんだけど」
中身はちょっとハイブランドなリップクリーム、あとハンドクリームのプチセット。
昨夜渡せなかったものだ。
本当は二人でいるときに渡したかったんだけど。
受け取った早霜は軽く驚きながらも促されるまま包装を解いていく。
中身を見ると、分かりやすく固まった。覗きこんだ陽炎も驚いて、遅れて不知火と黒潮も目を見開く。
「えっ、えっ、これお兄さんチョイス? すごくない?」
「艦娘の子って海に出るから色々大変でしょ? こういうのいいかなって思って」
「わ、しかも色も使いやすい薄い系。よく手に入ったわねー。お兄さん、やってんでしょ!」
「何をだよ」
まあネタバレすると、妹がプレゼントされまくる系女子だったから、ダメな例とアリの例を散々聞かされてきた、その経験が活きただけ。
そう説明するも、陽炎はやたらと羨ましがっていた。
早霜は少し恥ずかしそうに目をそらしながらそっと小箱を両手で抱えこむ。
「ありがとうございます。お礼を……」
きっと昨夜のアレで終わりだと思っていたんだろう。
嬉しいサプライズになったようで何よりだ。
「にしてもな~んか怪しいわね。こんな凝った物を用意するなんて」
「だから秘密にしてね。艦娘みんなを祝うたびにこんなことしてたら大変すぎる」
「ふんふん、早霜は特別ってワケね」
「まあ、仲良いし。……だよね?」
「そう……です。仲は良い、です」
「へえ~~?」
陽炎はにへらと笑みを浮かべる。
ビールをがっと飲み干しておかわりを注文し、「ああっ、そういえばっ?」とわざとらしく話を切り換えた。
「お兄さんさ、異動の話きてるわよね?」
「あ、昼に言われた。なんでもう知ってんの?」
「ふっふっふ。駆逐の情報ネットワークを舐めてもらっちゃ困るわ。鎮守府のことなら酒保の入荷予定から司令の晩御飯のオカズまで筒抜けよっ」
「こわ~。確かに駆逐の子たちって連帯感強そう」
「そーよ! 誰か一人に知られたら一時間後には駆逐艦全員に共有されてると思ったほうがいいわ!」
マジかよ。
そういや昼に異動の話をされた時は秋霜が聞いてたな……。
ん?
ってことは……?
早霜ももう知ってんのか?
「お兄さん、呉に行ってしまうんですか?」
「い、行かない行かない。打診があっただけ」
「えー、来てほしいなぁ。呉はいいとこよ。お兄さんみたいな人が来てくれたら~、私たち、助かっちゃうな~」
「俺みたいなペーペーが行っても大して変わらないって」
「あのね、呉って訓練が超厳しくて、装備の修理がおっつかないときは壊れたまま演習とかやらされるの。それが実戦形式だからって。ひどくない?」
「あー、佐世保の子たちも研修から帰ってくると大変だったって言ってるわ」
「そ。だからね、将来有望な整備の人が来てくれるとものすごく嬉しいなって。それに呉に来るとステキな出会いがあるかもよ?」
「へ? なにそれ」
陽炎は声を潜め、希少なエロ本を手に入れた男子中学生のような顔をする。
「ここだけの話、
「マジで?」
実は聞いたことがある。
艦娘はいつ死ぬか分からない職業だ。うら若き乙女が恋もラヴも知らないままでいるのはあまりに忍びないと嘆いた呉の提督は、艦娘たちに恋愛ごっことそれに付随する不純異性交遊に目をつぶると宣言したらしい。
ちなみについ先日に呉の研修から戻ってきた巻雲は「エッチなのはいけないと思います!」とぷりぷりしていた。あれは本当の話だったのか……。
しかしそんなことを許可したら風紀がヤバくならない? と聞いてみると、不知火は真面目な顔でこう返した。
「大丈夫です。神通さんがシメてますから」
「いやいや、不倫オッケーでトラブル禁止って言ってるようなもんでしょ。無理だって」
「大丈夫や。神通さんがシメてるからなあ」
「その人はなんなの? 神様なの? 悪魔なの?」
「神通さんは、神通さんです」
「わかんねえ……」
「ま、そんなわけでね、呉はイイところなの。お兄さんは若いし気が利くみたいだからモテるんじゃないかしら」
「いや、いやいや」
「陽炎型にはいい子が揃ってるんですよ~」
ぴらりと取りだした写真には四人組の少女たちが写っている。
秋祭りのようで浴衣姿で屋台をバックに楽しげに談笑している。気になるのはカメラに気付いていない様子で写真の焦点も少しボヤけているところだが……。
「これ盗撮じゃない?」
「ほらっ、この娘なんてどう? 豊満な胸! 男なら誰でも求める癒されたい願望を叶えてくれること間違いないわ!」
「むっ。……じゃなくて」
「こっちの黒髪サラサラロングヘアーはどうや? 鍛えあげたボディは引き締まってるくせに出るとこは出てて男はたまらんやろ?」
「むむっ。……ではなく」
「この娘はどうでしょう? 浴衣を押しあげるたわわに実った●カップが人気ですよお客さん。メカクレの奥にある瞳をアナタだけを見つめる情熱に染めあげたいと思いませんか」
「でっっっ」
なんだこの巨乳!?
と大げさに驚いてしまった。
やば……。
ちらりと早霜を横目で確認する。
うっ。
完璧な無表情……。
背筋を綺麗に伸ばしたままグラスを傾け、飲み干してはまた注いでいる。
あ、あのぅ、早霜さん?
さすがにハイペースすぎやしませんか……?
「これぞ呉の誇る精鋭十七駆! どうかしら、呉に異動する気になった!?」
「な、なりません」
「あなたは嘘をついている!」
バァアアアン! と陽炎が俺の眉間に指をさす。
「な、なにを」
「おっぱいに惹かれない男はいないっ。事実お兄さんはこの娘に釘付けになっていた!」
「なってません……」
「裁判長! 被告の言い分には説得力がありません!」
「せやなあ。男はみ~んなデカパイ好きやもんなあ。腹立つけど」
「不知火弁護人、反論はあるかしら!?」
「擁護のしようがありません」
「ちょっと待ってくれ……。インチキ裁判じゃねーか」
「なぁに、文句でもあるの? 私はちゃんと見てたわよ? 被告人、あなたが浜風のパイオツをねっとり舐るような目つきで視姦していたのをね!」
「オーケー、分かった……。そういうことならちゃんと異議を申し立てようじゃないか」
店員を呼ぶ。
新しいグラスを用意してもらい、タリスカーの10年を注いでもらう。もちろんストレートだ。
柑橘系の力強いピート香が漂う。口に含み、ブラックペッパーの刺激を味わいながら飲み干した。
いい……。
45度のアルコールが血管を駆け巡っていくのを感じる。
ぐらりとした衝撃に抗わず、その心地良さに脳を浸していく。
酒。酒だけが俺を癒してくれる……。
「あ~、男はな、大きなおっぱいが好きだ。それは事実さ、認めよう。だけど一番じゃあないんだよ」
「ほ~? 続けてどうぞ」
「いいか? 例えばな、そのへんを乳袋ならぬチン袋状態の男が歩いていたとしよう。タイトなブーメランパンツにチンコの形が丸見えだ。そしてそいつのチンコはとてもでかい。となれば女性は視線が吸いこまれてしまう。どんな女でも抗えない。異性のでかい性器。これはもう見ちゃう。仕方ないことだ。それと同じで、でかいおっぱい、もしくは上着の切れ込みが深くて谷間が見えるおっぱい、これを男は見てしまう。どうしようもない。抗えない動物のサガってやつなんだ」
「要するに大艦巨乳主義ってやつね」
「概ねそうだが、正確には違う。確かに男はでかいおっぱいが好きだ。でも大小の違いではけして越えられない壁があるんだよ」
「だったら教えてもらおうじゃない。被告人が主張する、男が最も好きなおっぱいとやらの正体を!」
「ふっ。そんなに知りたいなら教えてあげるよ陽炎ちゃん……。男が最も惹きつけられる頂点クラスのおっぱいってのはな――『好きな女のおっぱい』なんだよ!」
ビシィ! と魂をこめた俺の主張に、陽炎はへえ~と驚いたふうに片眉を上げてみせるだけだった。不敵な笑みは崩れない。その程度の反論など想定済みだと言わんばかりに顔を斜めに見下して、挑発的に口角をつり上げた。
「じゃあ聞くけど! その理屈で比べた場合……この写真の浜風とそこの早霜! どっちの胸があなた好みで上なのよ!?」
「な……なんだとぉ!?」
しまった!
ハメられた――
ここにきて陽炎がこのインチキ裁判を仕掛けてきた真意が分かった。
でっかい浜風。
控えめな早霜。
これに優劣をつけるということはそこにラヴが介在しているか否かを告白するに等しい。
陽炎たちは、俺が早霜をどう想っているかを言わせる気だ。この場で!
「さあ! どっち!?」
て、てめー陽炎このやろう。
俺だってタイミングってものぐらい分かっている。こんな茶番のノリだけで言わされてたまるか!
「お、俺はなぁ……」
そうだ、黙秘しちまおう。
適当に誤魔化すのもアリだ。早霜には後で言い訳すればいい……。
そんな逃げ道が浮かぶ。しかし酔いの回った馬鹿な頭が自分自身の弱腰を罵った。
――お前それでいいのかよ?
ここで宣言できなきゃその程度の男だと思われるぞ。
ハァァ? キレそうなんだけど?
いーかてめーら耳かっぽじってよぉく聞け。
誰にも、腰抜けなんて、言わせない!
「俺の一番はなァ……早霜なんだよ!」
バンッッ!
聞くや陽炎は力強くテーブルを叩いていきり立つ。
「えらいっ! よく言った! 裁判長、判決を!」
「せやなあ~。被告人は佐世保に居残り決定や。あとその一番好きな胸をとっとと揉んであげること。ほな、閉廷~」
「本日の審議は終わりっ! 以上っ! 解散!」
あはははーーッ! と陽炎は高笑いをあげながらやたらキレのいい動作で背を向けた。カウンターに万札を叩きつけ、威風堂々店から出ていってしまう。
後に続く二人も同様に、ただし「フッ」と生暖かい視線を俺たちに向けてから颯爽と踵を返す。
「早霜。後は分かってますね?」
「お兄さん。男見せなあかんで~」
残されたのはチリリンと鳴るドアベルの響きだけ。
早霜は……耳まで真っ赤にして小さくなっていた。
「う、嘘だろあいつら……。やるだけやって本当に帰りやがった」
どうすんだよこの空気。
どう切りだしたもんか分からない。
こんな時はもうアレしかないと思った。
「店員さん。カルヴァドスを二つ」
いつも通りのストレート。
無言で早霜にもグラスを勧め、計ったように同じタイミングで飲み干した。
味なんて分からない。お互い既にかなり酔っている。ぐるぐると回る思考を追加の酒で更にかき混ぜて、ぷはあと息をついてからええいままよと切り出した。
「ちょっと、さぁ、外でも歩かない?」
「私で、よければ……お相手します」