オレンジ色の夕焼けが絵の具でもぶちまけたみたいに空いっぱいに広がっている。
水平線に夕陽が沈んでいく。
海面が宝石みたいにキラキラと輝いて、眩しさに少しだけ目を細めた。
ざざぁん、ざざぁんと波が打ち寄せる音を聞きながら、防潮堤の上をほろ酔い気分で歩いた。
早霜と並んで、打ちっぱなしのコンクリートに足音を鳴らしながら一歩ずつ。
ふらつく足取りを言い訳に指の先だけを繋いだ。
「何考えてるか、当てよっか?」
隣を歩く少女がゆっくりとこちらを振り向いた。
片側の頬だけをオレンジ色に染めている姿はどこかで見た絵画のようだ。
「俺の異動についてどう切り出そうかって考えてる。こう言ったら変かな~、踏みこみすぎかな~って」
「どうして……そう思うんです?」
「逆の立場ならそう思うから。俺なら早霜ちゃんが異動するかもってなったらさ、超気になる。でも何を言うべきか分かんない。栄転なのかな? そうしたいのかな? 邪魔するようなこと言わない方がいいかな? ……どう? 当たってる?」
「……正解、です」
「良かった」
次の言葉に迷ってしまう気持ちはよく分かる。俺も肝心なところでそうなるタチだから。
そのまま言っちまっていい、誰も大して気にしてない――そう分かっていても言い出せないのが俺たちだ。
潮を含んだ風にくすぐられながら、俺だいぶ酔ってるな、と思った。
気の利いたセリフなんて浮かばない。
だったら独り言をだだ漏らそう。聞かれちゃうのは偶然で、だから何もかも仕方ない。
夕焼け空を仰いで呟いた。
「俺もさあ、なんて言ったらいいか分かんなくて」
「はい」
「考えてること、そのまま言っちゃうとみっともないなーって。恰好悪いわけ。ほら、沈黙は金って言うじゃん? だからいつもそうしちゃうんだけど」
「はい」
「もういいかな~とも思うわけ。……いや、確認してんのな、俺。これもカッコ悪いわ」
「はい」
「うわ。今のグサッときた。でも、あんがとね。「そんなことない」とか言うほうが楽なのに、言ってくれてさ。助かる」
「はい」
「……俺さ、佐世保に未練ないの。オヤっさんたちにゃ世話になってるし、艦娘の子たちもいい人ばっかだし、恵まれてんな~って思うけど、なんかこう、言っちゃ悪いんだけど、それだけなんだ」
「……異動、してみたいんですか?」
「分かんない」
俺は俺を必要としてくれる人のために生きたい。
けどそれをここで言うのは卑怯だろう。
立ち止まる。
海岸線を視線でなぞる。
ずっとずっと向こうの奥にあったさびれた港町に想いを馳せた。
俺んちはあっちにあった。
今はもう無い。
空襲で焼け野原になっちまった。
あの日、みんないなくなった。
家族も、友達も。顔だけ知ってた隣人も、自慢話ばかりで嫌いだった先輩も、ウマが合った親友も。
じゃあどうする? なんて考える余裕もなくて生きるために働いた。生きることは問答無用。格好いい言葉だろ? そうしろって大昔にやったゲームで言ってたから、俺もそうした。
増え続ける貯金額だけが俺の正しさを証明している気がした。
ゼロから10万になったらようやく人間になれたって心地がしたし、20万になったら倍だから達成感もすごかった。
でも50が60に、70が80にとなってくると感動は薄れる。
仕事の技術も身について、余裕ができてくるとそれまで目を逸らしていた現実が見えてきた。
俺の時間は一年前のあの大空襲の日で止まってしまっている。
周りの皆が、社会が一歩ずつ進んでいるというのに、俺だけが足踏みしている。前なんて向いていない。ただ通帳の数字を増やしていただけ。取り残されていく不安感がふとした瞬間に胸の内でぐるぐる回って気持ち悪い。誰の目も届かないどこかへ隠れてしまいたい。砂浜に手足を投げだして無心で砂を噛んでいたい。
そんなことばかり考えてしまうから休日は嫌いだった。
何か夢中になれるものがほしい。
『現在』に魅了されたくてオヤっさんたちと夜の街に出てみたり、あの居酒屋の常連が推しているヴァーチャル配信者や華のある艦娘の話題に触れてみたりした。これは、と思うこともあるけど、すぐにありきたりの日常になってしまう。
でも違うものを見つけた。
早霜。
君だ。
どういうわけか色褪せない。時を経るたびに輝きが増してくる。新しい顔を見るたびに、それをまた見られるだろうかと切ないような気持ちになって彼女の小さな肩を抱きしめたくなる。
そういうことを、俺はどう伝えたらいいか分からない。
「ねえ! 早霜ちゃんはどういうデートが好き?」
「デート、ですか?」
「ドラマとか漫画とか見てさ、いいなって思うシチュエーションあるよね。自分だったらな~ってやつ。水族館とか人気って聞くよ。薄暗い水槽の間を手ぇ繋いでさ、色んな生き物見るの。東京の方だとライトアップしてカラフルなクラゲを見て楽しむらしいよ」
「素敵だと……思います。お兄さんは?」
「俺? 俺はね、実はカップル限定メニューとか興味ある。パフェとか? ああいうの一回やってみたい。多分ものすごく恥ずかしいんだろうけどさ、一回だけね」
早霜は控えめに微笑んだ。
そんな横顔を見ていると、少し気持ちが咎める。
この娘をちゃんと楽しませてやりたい。
一緒に酒を飲んでその場限りの談笑を繰り返すくらいしかできていない自分を悲しく思う。自分ばかりが彼女からもらっている気がする。
金はある。どうせ使い道のない金だ、散財しても惜しくはないが、彼女はそういうのは好まないだろう。
「私、このままでも十分。でも、そうね」
「うん?」
「明日は休みになったから、今夜は予定を入れてて……。たまに行くんです。漫画喫茶。ナイトパックで気になる漫画をたくさん読むの。どう、ですか?」
「えっと、一緒にってこと?」
「デートっぽくはないですけど」
「いいんじゃない? そういうデートあるって聞くよ。映画も観れるし場所によってはダーツとかカラオケとかできるし」
それに自然にくっつけるし。
と、さっきの黒潮のセリフが浮かんできた。
一番好きな胸をとっとと揉んであげること。
慌てて打ち消した。
「っていうか、デートってことでいいの?」
「お嫌ですか」
「そんなこと!」
少女が真っすぐ見つめてくる。
純度の高い瞳。透き通っていて動物の目のようだ。見透かされているようで少し怖い。
「フフ、フフフ……。では行きましょうか」
「お、オッケー」
足取りの怪しい早霜を支えようと近付くと俺の右腕に抱きついてきた。
小さな両手でぎゅうと捕まって、こちらを見上げ、頬を俺の肩に擦り寄せる。艶美に微笑む。夕焼けのせいか、酔いのせいか、紅潮しているように見えた。
恋人みたいな距離感、仄かな体温に、ささやかながらも確かな弾力を感じる。
手の平にじっとりと汗が浮かぶ。
夕暮れの防潮堤の上で、一つになった影をのたのたと踏み歩きながら、ふと思う。
ナイトパックって、一緒に泊まるってことだよな?