雑居ビルの狭いエレベータに肩をくっつけながら乗りこんだ。
ネットカフェの受付のある階で降りる。
店内は薄暗い。
店員はいなかった。
どうするんだっけと正面に設置されている液晶パネルを眺め見た。
「ここのパネルで手続きできますよ。会員証、持ってます?」
「あ、うん。でも久しぶりでやり方忘れた」
「私が代わりにやっておきますね。ブースはペアシートでいいですか」
「いいよ。……にしてもココ、すごく洒落てるね」
えらく静かな店だった。
まず受付カウンターがない。当然、店員の姿もなく、呼び出しのワンタッチコールがあるのみ。
壁は無地で、宣伝のためのチラシや店のイベントを知らせる広告が一つもない。
お菓子の販売コーナーもない。
店員の趣味のフィギュアとか飾ってない。
ただシンプルに認証パネルが備え付けられたガラスのドアがあって、奥にはシックな本棚に雑誌類が表紙を見せる形で陳列されている。
ここ、ネットカフェだよな?
俺の知ってるネットカフェとは同じ系列なのにえらく違うぞ。
民宿とホテルぐらい違う。
というかそのままホテルみたいな印象を受けた。
それも人目を避けてラヴな行為をするためのホテルに――
「どうしました?」
「あ~っと、今夜はここで夜を明かす、んだよね?」
「はい」
「一緒に泊まるんだ」
「お嫌ですか」
「そうじゃなくて。早霜ちゃんは平気なのかな~って」
「お兄さん、意識しすぎです。別にそういうホテルでもないのに。……もしかして、私に何かする気、あったりします?」
「いやいや!」
「なら問題、ありませんよね。もう席もとってしまいました」
「あ、手続きありがと。そのカードでドアを通れるんだよね? いやあ驚いた、俺の知ってるネカフェとは全然違くて……」
「ちなみにですけど」
「うん?」
「ペアシートって、カップルシートって呼ぶこともあるみたいです。私とお兄さん、カップルっぽく見えますか?」
「ええと」
「それとも、援交、とかに見えてしまうのでしょうか?」
「な、」
「フフ……私、からかってしまいました……。気にしないで下さい。行きましょう」
「あ、ああ」
狭い通路を並んで歩く。
セルフのドリンクコーナーを通り過ぎ、漫画が詰め込まれた本棚の一画をちらりと覗く。
誰もいない。
静まり返った空間。
あっという間にブースに辿り着く。
無機質なドアに指定のナンバーが書かれていた。
ここだ。間違いない。
しかし部屋だった。
完全に密室で、つまり外部から隔離されている。
え、これってアリなの?
初めに思ったのはそれだった。
俺の知ってるネットカフェのブースは安物の板で仕切られている。背伸びしても覗きこめない程度までしか高さがない。上部は筒抜け。変なことをしたらすぐにバレる。
でもここは違う。
個室だ。
ちょっとぐらいの音なら漏れない。ジャンプしたって覗けない。
何かしちゃってもバレることはない。
風営法違反という単語が頭をよぎった。
ここはグレーゾーンなんじゃないか?
これが都会のネットカフェの不問律ってやつなんだろうか? だから客は漫画を探しに出てきていない? 誰もがもっと楽しいことをやるために来ていて、それができるように誰にもバレない構造になっている――
本当にそうか?
俺の常識がザルなだけなんじゃないか?
廊下を見渡すと画一的なドアが無数に並んでいる。
その一つ一つで何が行われているかは中の当事者以外には分からない。
ピピッとロックが外れる音がした。
気がつけば、カードをかざしていた早霜が振り返ってこちらを見つめていた。
熱の籠った瞳が俺を映して離さない。
だがあっさりと視線は外されてしまう。
するりと中へ入ってしまった未成年の少女を追いかけて俺も部屋へと続く。
清掃の行き届いた空間だと思った。
靴を脱ぐ。
そこそこの広さ。フラットシートタイプで一面にぴんと張られた黒色のマットが敷かれている。
正面にはお決まりのパソコンとモニター、そしてキーボード。
二人で並んで足を伸ばしてもそこそこ寛げそう、と思っていると、背後で自動ロックのかかる音がした。
とりあえず、上着を脱いでハンガーにかけてみる。
早霜の表情は少し固いように見えた。
「やっと落ち着けたね」
「……」
「どうする? 飲み物でも取りに行こっか?」
「その前に、今更、ですけど。今日はありがとうございました」
「何が?」
「プレゼント……」
「ああ、気に入ってもらえたらいいんだけど」
「それはもう。私はこうして……いつももらうだけ。美味しいものを用意していただいたり、お話を聞いてもらったり……。諸々を含めて、何かお礼を……お礼、したいって、思ってて」
白魚のような指がそっと俺の胸元に添えられる。
思わず後ずさる。しかし後ろはすぐに壁。見知ったはずの綺麗な顔が数センチの距離にまで寄ってくる。長い睫毛。濡れた唇。
どくんと心臓が高鳴った。
「お兄さん……? 遠慮しなくていいんですよ? 私にできること、何でもしますから」
「何でも、って」
「例えば、ですけど。ここカップルシートなので、今夜だけお兄さんの、恋人になる、とか。……お兄さん、彼女さんとかいます?」
「い、いない」
「…………フフ、フフフッ! そうですか。なら」
ふわりと鼻先が摺り寄せられた。
「何も不都合はありませんよね……?」
猫が匂いをつけるように、あるいは嗅ぐように。
目の前で艶やかな黒髪が揺れている。いい匂いが立ち昇ってくる。吸いこんでしまえばこの危うい関係が壊れてしまう気がして、息を止めるべきか、思うだけで判断がつかない。
甘い――女の子の匂いがする。
俺は酔って、酔いすぎて……都合のいい夢でも見てんのか?
それとも酔いすぎたのは早霜か?
ほろ酔い気分で、陽炎たちのインチキ裁判に乗せられて、前のめりになっちまっている。お互いそうだ。直感と錯覚でわけが分からなくなっている。
いったい何が本当で嘘なのか。
抱きしめることも突き放すことも間違っている気がして選べない。
上目遣いに誘われて壁伝いにずりずりと座りこむ。目線の高さが同じになって、肩に手を置かれ、俺に跨りながらぺろりと上唇を舐めあげている女を呆然と見つめた。
芸術品のような顔が、
ゆっくりと近付いてくる。
視界を埋め尽くされて、口付けをされた。
「フフフ、フフッ」
心臓が痛いくらいに鳴っている。
どくんどくんと血が全身を巡っていく。
目と鼻の先で微笑んでいる女は誰だろう。
獣のごとく支配欲を剥き出しに、一挙手一投足でその意志を知らしめてくる。
――もう逃がさない。
喉が渇いてしかたない。
頭の中身はぐちゃぐちゃで、俺だけを見つめる二つの黄金瞳から目を離せない。
翳りのない宝石のような瞳はびっくりするほど深く澄み渡っていた。向こう側に別の世界が透けて見えそうなほどに。
「恋人、ですから、もっとくっついてしまいます」
両の指で頭を支えられ、有無を言わさずキスされる。
舌先ばかりを絡み合わせるディープキス。しゃぶりつくよう熱烈さでねろねろと小さな舌が侵入してくる。は、は、と時折呼気が漏れていく。
自分も、と前のめりになろうとした瞬間、離された。
「ぷは、あ、ふ」
唾液の橋が妖しく光る。
「……恋人、だっけ?」
「はい」
「早霜ちゃんは俺の恋人?」
「そう、です。あなたは私の恋人。私のもの。そうでしょう?」
「俺は君のもの……」
脳が痺れた。ゆっくりと、だが着実に熱を帯びてくる。
どろりとした欲望の奔流がぼやけた思考を更にかき乱す。
彼女が俺を欲しいというのなら望むところだった。惜しみなく全てを明け渡そう。
ただし代わりに全てをもらう。
酸素が足りなくなるほどキスをして、曖昧な意識に溶けこんでいく快楽を教えたい。敏感なところをいいように擦られる被虐心を植えつけたい。疲れ切った身体を抱きしめられる安心感を与えたい。きっと知らないであろう女の悦びをこの俺が経験させてあげるのだ。強烈に、夢中になるほどに!
「ダメですよ」
頬に手を添えられる。
「今はお礼ですから。私が先」
「俺もしたい。してあげたい」
「フフ……えっち、ですね。恋人って言ったのに、もうそういうことする気なんて。この部屋に入る前から期待してたんじゃないですか」
「そんな昔のことは覚えてない」
「いけませんね。私から行かなかったら襲われてました? あっ」
肩の上をさらさらと流れる黒髪に鼻先を突っこんで、細い首筋にキスをした。
「あっ、んん、もう、ダメって言った、のに。そんなに、舐めて、ワンちゃんみたい」
首の筋肉を鎖骨の付け根から耳元まで舐めあげる。柔らかさに噛みついてしまいたい。頸動脈はどこだろう。唇と歯で探り、鼻息を荒げると女が身をよじる。
ダメだ、逃がさない。
男の力強い腕に囚われて求められるまま抗えない悦びを教えなければならない。
傷にならないよう細心の注意を払いながら甘噛みしていると、股間に違和感を覚えた。
細く、柔らかいものが何本もパンツの中に這い寄ってくる。
指、と気付いたときには勃起を包みこまれていた。
いつの間にか男の弱いところをきゅうと掴まれている。
互いの弱点を握り合い、ようやく一呼吸分の余裕ができた。
「こんなに、がちがち……。熱くて、ちょっとぬるっとしていて……」
「それ、なんだか知ってる?」
「はい……」
「言ってみて」
「さ、先走り……?」
答えられたご褒美に吸いついた。
むずがるような吐息が漏れて、肉棒が反応する。
「可愛いなぁ。君は本当に可愛い」
「かわ、いいと……興奮しますか?」
「ものすごく」
「とても腫れて痛そう。こうなると男の人は辛いって、本当?」
「辛い。そのことしか考えられなくなる」
「どうしたら収まります?」
「知ってて聞いてるよね?」
「もちろん」
あえて間をおいた。
求め始めれば終わるまで止まらない。今のうちだけだろう。ちゃんと人語を交わすことができるのは。
「ここ、一応個室ですけど、防音なんてたかが知れてますから……」
「バレたらどうしよっか。店員が飛びこんできたら」
「この人に無理やりされたって言います」
「それマジでやばいから」
「冗談です」
「知ってる」
「ちゃんと恋人って言います」
「そういう問題じゃなくない?」
「そうなんですか?」
「何が?」
「知ってるくせに」
ゴオオ、と空調の重い音が頭上で鳴っている。
俺たちは果たし合いの剣士のように見つめ合っていた。
しかし隙は見つからなかったらしい。
手でします、と少女は言った。