どこの鎮守府の提督も何かしらの強みを持っている。
ある者は艦娘たちから信頼を得て一丸となって深海棲艦に立ち向かい、またある者は檄を飛ばして全体のパフォーマンスを向上させるのを得意とする。
そしてこの佐世保鎮守府の提督である私の強みは、机上演習。これ一本だった。
作戦立案、そして指示。自分でいうのもなんだが、深海棲艦との直接戦闘においては目ざましい戦果を挙げている。特に私が着任してからは一人の大破者もだしていないのは密かな自慢だった。
しかしこれらはけして私一人の成果ではないと知っている。
私の作戦などしょせん机上の空論。艦娘たちが日々訓練に励み確かな実力を身につけて、私の作戦指示に命を預けてくれていなければ実現できない。艦隊運営においても同じことがいえる。彼女たちが協調性とモラルをもった一個の集団としてまとまってくれていなければ佐世保は四大鎮守府と呼ばれるほど大きくなることはなかっただろう。
本来ならそのように彼女たち艦娘をまとめあげ一つの目標に向けて邁進させるのは提督の役割だ。
しかし私がそれを成し遂げるのは難しい。
気の利いた言葉は浮かばず、伝えるべきタイミングも計れない。私にできるのはやはり敵を叩き潰す作戦を考えることだけ。
そんな私の不出来な部分を補ってくれたのが初期艦である夕雲だった。
彼女は戦闘での活躍のみならず、日頃から秘書艦としてリーダーシップをとり、現場を優れた統率力でまとめあげ、生活面でも成熟した人間性で皆の規範になっている。艦隊指揮、施設運営、外部折衝……初めての業務もすぐにコツを掴んでそつなくこなしてしまう彼女の力をつい借りてしまう場面も少なくなかった。
こんな優秀な娘もいるのかと当初は驚かされたものだが、だからといって何でも頼りきりにしてよいわけではない。
だからこう考えた。
鎮守府の体制も整った今、彼女が背負うべき荷物は軽くしてやるべきだと。
そう思い、ある日、執務室で書類仕事に勤しむ彼女に声をかけた。
それがすべての始まりだった。
「あら……お休みを頂けるんですか?」
夕雲が振り返ると長いおさげがふわりと揺れた。
今なら休暇も取れる、いい機会だから羽を伸ばしてくるといい――そう伝えると、執務室に差しこむ夕陽のなかで夕雲は小首を傾げた。
「ありがたいお話ですが、お休みしてしまったら後が大変になりますよ?」
「その心配は要らない。キミが休んだ分の業務は巻雲たちにやってもらうつもりだ」
「不慣れな分、時間もかかると思いますけどよろしいでしょうか」
「特定の者しかできない業務がある、そんな状態は組織として不健全だ。これを機に他の艦娘たちにも経験を積んでもらおうと考えている」
「ん~……」
「なに、今なら深海棲艦の動きもほとんどない。なんなら私だって休みをとれるぐらいだ」
「そうですねえ。どうしましょう」
顎先に人差し指をつけながら思考を巡らせている。きっと近々のタスクを確認しているのだろう。秋霜あたりならとっくに諸手を挙げて喜んでいるだろうに、つくづく真面目な娘だと思う。
「……でしたら、分かりました」
夕雲はこほんと改めてからこちらに向き直る。
「せっかくですし、明日から休ませていただきます」
「ああ、そうするといい。休暇は三日間だ。とはいえあまり遠出はしないように。っと、これは言うまでもなかったか」
「提督は?」
「ん?」
夕雲は胸元に書類を抱え、こちらを見つめて立ちつくしていた。
「提督は、その、お休みされないんですか?」
「休むって? 私が?」
「ええ。さっきお休みできるって、仰っていたじゃないですか」
「それはそうなんだが、現実問題として私と秘書艦が同時に居なくなってしまうのはどうなんだ?」
私は提督で、夕雲は当鎮守府の最古参だ。
緊急性を要する事態が発生したときに他の者たちだけで対処できるだろうか。
「大丈夫ですよ。そのあたりはあの娘たちにもちゃんと教えてきましたから」
巻雲、風雲、長波……他にも数多く所属している夕雲型の娘たち。彼女たちももう新人ではない。改二改装を受けた中堅どころ、いやベテランの域に足を踏み入れているといっていいだろう。仮に有事が起こったとしても私か夕雲に連絡を入れるように伝えておけば対処はできる。
「任せてやらねば人は育たず、か。これもやらせてみてもいいかもしれないな」
「はい。提督も働きづめですから」
「うん……。しかし、急に休みといわれてもな」
いざ自分に振られても困るだけだった。
ここ最近の休日といえば、生活家事のルーティンをこなして積んでいる本を読むぐらいしかした覚えがない。ありがたいはずの休日もすべきことを思いつけねば無為な時間にしてしまいかねない。ならば別に休暇などとらなくても……と思ってしまうのはワーカーホリックの悪い癖だろうか。もしかすると夕雲もさきほどはこんな気持ちだったのかもしれない。
それはさておき、休みか。どうしたものか。いっそ何もしないで惰眠をむさぼってしまうのもいいかもしれない。
「あ、でしたら」
と夕雲は思いついたような声を出す。
「一つだけお願いがあります。よろしいですか?」
一瞬、言葉に詰まった。
“お願い”という響きがあまりにも懐かしかったからだ。
着任したての頃は、大人の私をほどほどに困らせるような可愛い悪戯レベルのお願いをよくされたものだった。だが最近ではまるで記憶にない。これは果たしていつぶりの“お願い”だろうと思い返してみて、驚いた。少なくとも彼女が改二改装を受けてからは何かをせがまれたような覚えがなかった。
つまり、彼女とはもう数年間もけじめのある大人として一線を引いた態度で接していたことになる。
傍にいるからこそ気付けないこともあるのかもしれない。改めて初期艦の姿を眺めてみて、私ははっきりと自覚した。
夕雲はかつての背伸びしつつも茶目っ気をみせていた幼い少女ではない。背はすらりと伸びて、春に咲く薄い花弁にみるような清冽さをまとう乙女に成長していた。子供ではないが大人でもなく、そんな一瞬の移ろいの只中に在るような佇まいに、私はよろめくような戸惑いを覚えてしまう。
「あの提督? 聞いてますか?」
「す、すまん。なんだ?」
どうにも調子の狂ってしまった私に向けて、どういうわけか夕雲はかつてのような悪戯っぽい微笑を浮かべてみせた。
「昔みたいに一緒にお出かけしませんか?」
次の日。
私は夕雲と並んでショッピングモールの入り口に立っていた。活気溢れる家族連れに若者たち、寄せては返す人波のなかにこれから入っていかねばならないと思うとどうしても気後れしてしまう。
「どうして私はここにいるんだろう……」
「買い物ですよ、提督。お伝えしたじゃないですか。久しぶりに2人でお出かけしましょうって」
「それはそうなんだが……」
ちらりと傍らに立つ少女の服装を改めて観察してみる。
夕雲はずいぶんと少女らしい装いだった。レースのかかった白のワンピースに
「こほん。思い返せば、キミと外出するのは久しぶりだな」
「そうですね。ここ数年は本当に慌ただしくて。今ではもう鎮守府もすっかり落ち着いて、提督も凛々しくなられたように思います」
「昔は頼りなかったということか?」
「もう、そういう意味ではありませんよ」
「キミは……成長した。綺麗になった」
夕雲は少しだけ目を丸くして、
「ほんとですか?」
「ああ。いや、最近はこういうのもセクハラになるのか? だったらすまない、ヘンな意味はない」
「む。ないんですか?」
今度はわざとらしく唇を尖らせる。
「私と提督の仲じゃないですか。遠慮なんてしなくていいんですよ?」
からかっているのか、浮かれているのか、ここ数年見なかった幼げな表情に少しだけ目を奪われる。
「親しき者にもなんとやらというだろう」
「こういうときは言わない方が失礼って思いません?」
「では……なんというか……大人になった」
「おとな」
「昔から大人びてはいたが、改二改装を受けてから、より洗練された。その、頼りにしている」
「ん~……嬉しいですけど、少し違うと思いますよ?」
夕雲は後ろ手のまま一歩軽やかに踏み寄って、猫のように瞳を細めてみせる。
「こういうときは似合ってる、とか言うものです」
素直に褒められたがっている、とは察していた。けれどどうしても周りの目が気になった。
「まあ、それは、な。あれだ」
「ふふ、なんですかぁ?」
「勘弁してくれ。こんなところで口にしづらいんだ。まるで悪いことをしているようで」
「それって」
夕雲は軽く吹き出した。
「もしかして、イケナイ関係をしているみたいってことですか? パパ活みたいな?」
「だから、言うな。……そもそもキミがそんな格好をしてるのが悪いんだ。まるで私たちが本当にそういうことをしているみたいじゃないか」
「そういうことって?」
「だから……そんなオシャレをしていたら、男女の関係みたいだろう。私は提督、キミは艦娘だ。公共の場に居るんだから……」
「ああ、なるほど。だから提督はそんな帽子とサングラスをしてるんですね。もう。私たちが誰かなんて分かる人はいませんよ」
「万が一があるかもしれない」
「昔は堂々とデートしてたじゃないですか」
「デートじゃない。買い出しだ。……とにかく、今は大らかさが許される時代じゃない。噂が大ごとになったりするだろう? 注意するにこしたことはない」
「……はぁ。提督は変わりませんねぇ」
夕雲はおもむろに細い指を私のそれに絡めてきた。潤いを含んだ滑らかな肌にどきりとしてしまう。
「お、おい」
「こそこそしていたらせっかくのお休みも楽しめませんよ? わざわざ鎮守府から離れたショッピングモールを選んだんですから。ほら」
あっという間に帽子とサングラスを奪われてしまった。
「それに提督は勘違いしています」
「なんだ」
「今日はお休み。上司と部下の関係ではありません。これはデートなんです」
「い、いや、だから」
「ふふっ、楽しみましょう。パ~パ?」
「パパはやめろと……」
夕雲は微笑を浮かべて私の腕を引っ張っていく。行き交う買い物客たちの目が気になったが、彼女の言う通り誰も私たちを気にしていていなかった。それでも私の心中は落ち着かなかったが。
「まずはカフェで作戦会議をしましょう」
「待て、待て、そんな広いモールでもないだろう。ぶらぶら歩いてもすぐに周りきれるじゃないか」
「却下でーす」
連れ込まれたカフェは洒落た装いで、どうやら注文してカウンターですぐに受け取るスタイルのようだった。ハンバーガーのジャンクフード店のような形式かと思っていると夕雲が先に注文したのだが、それがあまりにも長く呪文のようで戸惑ってしまった。なんだこの店は。慌ててカウンターの上に掲げられたメニューボードを確認してみたのだが、驚いたことにそれらがどんな飲み物なのかも分からない。ひょっとしたら食べ物かもしれず、これは下手に注文してパフェでも出てきたら恥をかくぞと一番上の無難な逃げ道を選ぶことにした。
「コーヒー。アイスで」
「サイズは?」
「……とーる?」
“高い”ってなんだ? ビッグサイズという意味か?
疑問は尽きなかったが今は目立たずにいることのほうが重要だった。くすくすと含み笑いを零している夕雲の細い肩を押しやってできるだけ隅の席に座った。
「今日はですね、酒保では手に入らない衣服や嗜好品を買おうと思うんです」
「ああ、皆に頼まれているのか」
艦娘はいつでも休めるわけではない。遠征や任務に従事する者などは週単位で働くこともある。だから購入の機会を得た者が代わりに希望の品を買ってくるというのは艦娘の間ではよくある話だった。
「私自身も欲しいものはありますし。提督は無いんですか?」
「そうだな……。特に思いつかないが」
強いて挙げれば椅子用のクッションだろうか。長時間座っていると腰が痛くなる。だが歳を感じさせるようなことは言いたくなかった。
「始めはウインドウショッピングですね」
購入の予定がない様々な店に立ち寄りながら他愛のない会話を交わしていった。家電屋に本屋、互いに知らなかった好みを教えあっていく。
CDショップで足を止める。店内は知らないアーティストの宣伝ポスターで埋め尽くされていた。
「夕雲はどんな曲が好きなんだ?」
「私は――」
意外なことに、懐かしいバンドの名前が出た。思わず嬉しくなってしまう。
「随分と古いのを知ってるな。キミは世代じゃないだろう」
「昔はJ-POPってとても勢いがあったんですよね。いい曲も多いので触れるひとも多いんですよ」
「ふうん、そうかそうか。ちなみにキミのイチオシは? 私が学生時代によく聞いていたのは――」
「それって、……あ、このアルバムですか?」
「うわ、懐かしいなこのジャケット」
「私はこの曲が好きですね」
忘れかかっていたアーティストたちの名前が想い出とともに掘り起こされていく。当時つるんでいた悪友たちにしか理解されないはずの話題を世代の離れた少女と交わせるのは奇妙な体験であり、不思議と心地よいものだった。次々と話題を変えながら話す夕雲はとても楽しげで思わず目を奪われる。
夕雲は私がオススメしたアルバムを買った。後で是非とも感想を聞いてみたい。
「次は服ですね」
しかしこれがまた長かった。
夕雲は試着しては感想を求め、また試着しては感想を求めた。そのどれもが非凡で輝いているようにさえ見えたが、そう上手い褒め言葉など出てくるものじゃない。たどたどしく並べてみたが、夕雲はできの悪い教え子に腰を据えて向き合う教師のように柔和な笑みを浮かべながら根気強く正解の一言を引き出そうとした。男という生き物にとってこんなに落ち着かない時間があるだろうか。もう半日は問いただされている気がしてきたが、腕時計の針を確認しても30分間しか進んでいなかった。
「あ、そろそろ時間ですね」
映画の時間に救われた。会計を済ませて紙袋を受け取って移動する。
大荷物になってしまったが映画館は空いていたため狭い思いをすることはなかった。照明が消えた暗闇の中でぼんやり宣伝を眺めていると、ふと奇妙な感覚に陥った。まるで意識だけ幽体離脱して残された肉体を頭上から俯瞰しているようなふわふわした感覚だ。
空席だらけの広々とした空間で、私と夕雲は隣り合って座っていた。
大人の私。子どもの娘。仕事でなければおおよそ関わりようのない年齢差の2人。
それがどうして一緒にプライベートでスクリーンを眺めているんだろう……?
隣に座っている未成年の少女のシルエットを横目でちらりと覗いてみる。
2人きりでカフェに入り、買い物をして、これから映画を観ようとしている。それは夕雲自身が言っていたようにデートと呼ぶべき行為なのではないか?
……デート? 私が、夕雲と?
浮つく心を叱咤した。いい大人がなにを真に受けているんだ。
「提督」
「なんだ?」
「楽しいですか?」
「……楽しいんじゃないか」
まるで着任したての頃の買い出しのようで。
そう言い繕おうとしていたが、口を開く前に、手すりに乗せていた私の指に夕雲の柔らかな指が絡んできた。
「私もとっても楽しいですよ」
映画館を出ると辺りはすっかり暗くなっていた。
義務のように携帯を取り出して、鎮守府から非常連絡の類が入っていないかを確認する。ポケットにしまった。適当に歩いて、洋食店で夕食をとった。その間、夕雲はほとんど喋らず、どこか心あらずといった様子だった。
話題は出てこない。
電車に乗って鎮守府のある港町に戻る。窓から流れゆく建物と木々を眺めながら、帰ったら何をしようかと考えていた。巻雲たちに買った土産を配るのは明日でいいだろう。その前に夕雲を宿舎までどうやって送るかを考えなければならない。長波あたりに見つかったらからかわれるのが目に見えているからだ。さて、この時間帯にどうにか出くわさないで済むルートといえば……。
「提督」
声は少し固かった。
隣の夕雲は俯いたまま膝の上で拳を小さく握りしめていた。
「この後、お時間はありますか……?」
「ん、特に予定はないが」
「でしたら、提督のお部屋、連れて行ってもらえますか」