「……深海棲艦、か」
気味が悪いほどに頭が冷えていく。
肺がよじれ、気道から鬱屈を吐き出した。長い長い溜め息を。そうでもしないと胸が張り裂けそうだった。
「はあ~~~~~~~。こりゃアレか、昼に陽炎ちゃんたちと話してたヤツか」
確か、深海棲艦を誘いだして迎撃するって作戦だったはずだ。
つまりたった今から戦争が始まるというわけか。緊急事態が発生した。俺たちは定められたマニュアルに沿って仕事を開始するしかない。
早霜は速やかに鎮守府に戻らなければならず、俺も戦いにメドがつくまでは点検・修理等々の業務に駆りだされる。
ごっこ遊びの時間は終わっちまったというわけだ。
最悪の気分だった。
壁伝いにのろのろと手を伸ばし、部屋の電気をつけた。
早霜はもう私服のスカートを直し終わっているところだった。
「はあ。まいったなぁ。いやマジで。またかよ……」
「お兄さん?」
「悪い、ちょっとね。警報には嫌な思い出があってさ」
言ってしまうと思い出す、胃の底が重くなる記憶。
あれは一年前。
大空襲の夜。
俺は内地の学校の寮にいた。だから避難する必要すらなくて、呑気に部屋でラジオの続報を聞いていた。
その時まさに自分の実家が街ごと燃やされているとも知らずに。
「……ご家族の件ですか」
ドキリとさせられる。
「なんで知ってんの」
「整備の方に……」
「オヤっさんだな。チッ、あのおっさん……」
「すいません。私が聞きだしたようなものです」
「あー、いいよ。別に珍しい話でもないし」
肩をすくめて見せると、早霜は何か言おうとして、口をつぐんだ。
まあプライベートのダルめな話、遠慮してもらえると助かる。俺も説明したくない。あの時の感情を思い出しちまう。
「あーあ! 早霜ちゃんとイイことしたかったな~!」
少女は困ったように苦笑する。
気を遣われているようでやりづらい。でも黙っているよかマシだろう。
最後に一度軽くキスをした。
立ち上がる。身なりを整えながら別れを惜しむ。
次に会えるのがいつになるか分からない。
けれど早霜は心配ないと首を振った。
「司令官が言うには一日で決着がつくと……。明日か明後日には平時の運営に戻ると思います。間に合います」
「間に合うって? 何のこと?」
「お兄さんの異動に……」
「俺の異動に? 間に合う? 何が?」
「……え、ええと。今夜は、こっ、恋人…………ごっこ、は、中止です。中止、というのは、続きがあります。そうですよね?」
「え。続きあんの? ホント?」
「だって、その。ほらっ、お礼、できていませんから……」
「ん、そだね。楽しみにしとくよ」
お礼でエッチなことするのってどうなんだ。そう思わないでもない。
けどさっきまでぐちゃぐちゃのギンギンでいた俺が言えたもんじゃない。
それに。いい加減アホな俺でも分かっていた。
お礼なんてのは口実だ。
本当の目的は俺に異動を思い留まらせるところにあるんだろう。
そんなことのために、って思う。
この子は危うい。自身の価値を低く見積もりすぎている。自分にできるのは身を差しだすことしかないと思っている。若さと体、そして好意のようなものを武器にすることでしかアピールできない。
たった一言、言えばいいだけなのに。
「では続きはその時に。……待ってますから」
「――」
俺はなんて答えただろう。
どうせまた適当にへらへらと聞こえのいい返事をしたんだと思う。
彼女を先に退室させて、5分ほど待ってから部屋を出た。
無地の壁。無機質な廊下。
誰も居ない空間で呟いた。
「俺だって言えねえよ……」
このまま真っすぐ鎮守府に向かうのもかったるい。
深夜の防潮堤、鼻歌を歌いながらだらだら歩く。
右手を見ると、ひたすらに広大な海がある。
真っ黒い水平線は空と混ざり合って境い目は分からない。しかしはるか遠くで時折ぱっぱっと光るものがあり、そこが海だということだけは分かる。あれは戦闘の光だ。艦娘と深海棲艦が戦っているんだろう。
このご時世、海岸沿いはデスゾーンに等しい。
俺が今歩いている防潮堤の周りなんて危険の最前線みたいなもんだろう。
おかげで人っ子一人いなくって、静かで、潮を含んだ風は冷たくて、まるでこの世から人類が絶滅しちまったような気がしてくる。そんな時間が止まったような感覚を俺はちょっと気に入っている。
「探し物はなんですか~。見つけにくい物ですか~。まだまだ探す気ですか~。それより僕と踊りませんか~」
海岸線から数キロ圏内には誰も居ない。もうずっと前からだ。会社もなければ倉庫もない。ホームレスも犯罪者も住みつかない。居つくのはよっぽどのバカだけだ。
つまり俺ぐらいってことだな。
俺のボロアパートは、ほれ、すぐそこにある。
木造40年だか50年だかの二階建て。屋根にはでっかい穴が開いていて電気もガスも通ってない。住人は俺一人。部屋ん中にテントを張って住んでいる。
もはや住所取得のためだけに契約しているようなもんだ。
じゃあなんでわざわざ危険な海岸沿いのアパートで寝泊まりしてるかって?
そりゃあ砲弾が自分の部屋に直撃する確率なんてありえねえぐらい低いって思ってるからさ。したところで構わねえし。あと家賃もめちゃくちゃ安かったしな。なんと驚きの月千円だぜ? ボロアパートでも誰か一人でも住めば宣伝になるんだ。「ウチは海岸が近くてもちゃんと住人のいる優良アパートなんですよ」ってな。安全っぽく聞こえるだろ? てなわけで一年前の俺は喜んで契約した。安いから、それだけじゃない。周りに人目がなくて気楽そうだったから。あと海が近いから。
海。
海と言えばもちろん――
深海棲艦。
「夢の中へ、夢の中へ、行ってみたいと思いませんか~」
俺の家族を皆殺しにした謎生物。
けど恨んでいるわけじゃない。感情が死んじまったのか、それとも「鬼畜米英!」みたいにスケープゴートに仕立てて憎んでたってしょうがないと諦めてんのか、自分でも定かじゃないけど、俺はあのモノクロの女たちを嫌いになれないんだ。
むしろ、正直にいうと、惹かれているところが大いにある。
深海棲艦はどんな人間よりも美しい。
きっといかなる俗世の懊悩からも解き放たれているからだと思う。
優しさもなければ気遣いもない。冷たい歯車だけがルールの人生。彼女らは例え家族のために何もしてやれなかった男相手でも軽蔑もしなければ同情もしないだろう。小石を見るように無関心でいてくれる。
俺はそんな暗い海の底に辿り着きたいって思っているのかもしれない。
白と黒だけあればいい。赤も青も緑も要らない。そんなふうに。
「るるっるーぱっぱやーぱっぱー、るるっるーぱっぱやーぱっぱー、るるっるーぱ~や~」
俺は整備員だ。
艦娘はみんないい子たちばかりだし生き残ってほしいと思う。
けど深海棲艦に死んでほしいとも思えない。
だってあんなに綺麗な子たちなんだから、性格が悪いくらい目ぇつぶってやれって思うんだ。
「休むことも許されず~、笑うことは止められて~。這いつくばって、這いつくばって、いったい何を探しているのか」
それでもチンコは勃起する。
俺ぁ何がしてえのか。
前向きに生きてえのか。正しいっぽくなりたいのか。恋人が欲しいのか。超綺麗でかわいい子とセックスがしたいのか。
どれも真っ当でいい感じだと思うんだが、どうにも気分が乗り切れない。
ふとした瞬間、俺の居場所じゃねえって思っちまう。
「探すのをやめた時~、見つかることもよくある話で」
何か。
きっかけさえあればって思ってる。
ずっと。思ってるだけ。
「踊りましょう。夢の中へ。行ってみたいと思いませんか~、るるっるー……」
一つ、溜め息。
「さあて、と」
さくりと黒い砂浜に降り立った。
頼りない感触に足をとられそうになりながら進んでいく。
枯れ枝を靴裏で潰し、打ち捨てられたビニール袋を踏みこえて、吸い寄せられるように岩場の奥へと向かう。
岩の段差を乗り越える。
波しぶきを肌に浴びながら歩を進める。
足をついた一歩隣には深淵まで繋がっていそうな真っ黒い海がある。
恐ろしくはない。何度も往復した道のりだ。岩壁に手をかけて、曲がった。
狭い入り江にぽつんと一匹、深海棲艦の死体があった。
損傷した異形が月明かりに照らされている。
こいつは確かイ級って名付けられてるやつだ。
今回もハズレか、と思う。
ここは俺だけが知っている穴場だ。
どういう潮の流れかは知らないが深海棲艦の死体がよく流れ着いている。他の生き物やゴミが辿り着いたことはない。いつもこいつらだけがやってくる。
それを俺はたまに見にくる。
こいつら何考えてんだろうなって思って。
「よお。元気? 成仏してる? な~んて言っても通じねえんだろうけど。イ級じゃなぁ」
深海棲艦には人の形をしたヤツもいる。
姫級とか呼ばれてるのは喋るって聞いた。
だから俺はそういうヤツがいつか生きたままここに辿り着くんじゃないかって通い続けてるんだ。
話をしてみたい。目が合った瞬間に消し飛ばされるかもしれねえけど、俺ぁ一回でいいから話をしてみたいんだ。
何をって?
いんや別に聞いてみたいことがあるとかじゃあない。
ただ話をしてみたいだけ。
お前らはどんな女なんだい? って。
「なあ、聞いてくれよ。例えばの話だけどさ? 学校とか職場で仲がいい奴がいるとするじゃん? 会うたんびに冗談言ったりできる奴。友達? 仲間? 呼び方はなんでもいいんだけど、とにかく自分ではそこで一番仲がいいって思ってる奴。いるだろ? そんな奴がさあ、ある日、引っ越すとか退職するって決まるんだよ。お別れかよー、寂しいなー、けど仕方ないなーって感じ。で、とうとう最後の日になって、何か言ってやらないとって探してると、そいつが他の奴にプレゼントみたいなのを渡してるのを見ちゃうわけ。今までお世話になりましたってやつ。皆に配るやつじゃなくて、個人的なやつね。そっかーあいつとも仲良かったよな、そりゃ渡すよなって思うんだけど、自分にはもらえないんだよ、その感謝の品ってやつ。それって結構ショックじゃね? 自分の中では一番仲いいって奴だったのにさ」
うっすらと、海の底が明るくなってくる。
ウミホタルやサンゴが発光したときのように深夜でも周囲を見渡せるようになる。
それら自然界の生き物が見せる光景は夜空の星々に似ているらしいけど、この現象は違った。
青でもなければ白でもない。
地獄のような赤だ。
俺も、イ級の死体も、岩場も、全てがぼんやりとした赤に照らされていく。
これもいつものことだった。
俺が一人でくっちゃべってると、死体の代わりに聞いてやるよと言わんばかりに海が赤くなってくるんだ。ただの色の変化じゃない。そこに知性を現れたのを俺は確かに感じてるんだ。
「なあ、アンタはどう思う?」
俺は多分、誰かを探している。
俺自身もよく分かっていない抽象的な誰かを。
それでいて占い師が定番で言うような「あなたには探し人がいますね?」よりも具体的な誰かを。
それをこの赤い海はよく分かっている。
だからこうして毎回死体を届けてくる。
お前が探しているのはコイツか?
違うならコイツは?
って正解に寄せようとしているって俺は思うんだ。
まさかピンポイントで当ててくる日がくるなんてな、この時は思わなかったよ。