「あっ」
夕陽が執務室をオレンジ色に染め上げる頃合いに、とんでもないことを思い出した。
自室のDVDプレイヤーにアダルトDVDを入れっぱなしにしてしまっていた。
あだるとDVD……あだるとでぃーぶいでぃー?
ええと? それって一体、何だったかな……?
確か、あれだ。男優と女優がセックスする映像が収められていて、男がオナニーをする用途でしか使われない記録媒体だ。絶対に異性の目にふれさせてはならない超危険物品。
そんな代物を、夕雲が一人居残る私の部屋にそのままに残してきてしまった。
「あ、あああ……っ!?」
血の気が引いた顔で時計を確認しても遅すぎた。朝に自室を出てからもう10時間以上は経っている。
な、なんてことだ……。
夕雲は……気付いてしまっただろうか?
もちろん他人の部屋を物色するような女ではないと分かっている。しかし他ならぬ私自身が許可を出してしまっていた。
――しばらく時間を潰してから部屋を出るんだろう? 部屋の物は好きに使っていい。
――ありがとうございます。それにしてもすごい量の本ですね。DVDもたくさん……。
――なんでも見て構わないよ。
「うぐぅ!」
朝の私は、どうして、あんなことを!
もしもあの後夕雲がなんらかのDVDを観ようと手に取ってプレイヤーの取り出しボタンを押してしまっていたら一巻の終わりだ。下着丸出しの衣装で大股開きをした女優が描かれたアダルトDVD『ナマハメOKデリヘル~どすけべコスプレメイドのおまんこに貴方の中出しザーメンマーキング~2022年総集編』が晒されることになる。
「まずいまずいまずい!」
最悪だ!
情状酌量の余地もない!
好意がどうとか以前に、全てが終わる!
頭を抱えて、この世の運命を定めた神と、人類を礼賛する美辞麗句のすべてを呪う。
どうして私がこんな目に!?
本当はエロDVDなんて一本も所持していないのに!
「あれは居酒屋の常連に押しつけられたものなんだ……女所帯に囲まれて大変だろうって、いつの間にかカバンに入れられて……」
だがそんな言い訳が通用するわけがない。
そもそもDVDプレイヤーに入っている時点で鑑賞した事実は動かない。
コン……コンコン……コン
「う゛ーーっ!?」
ゆ、夕雲だ……。
夕雲が来た。
間違いない。示し合わせた合図を送ってきている。
心臓が痛いくらいに高鳴って、慣れ親しんだはずの執務室のドアが人生の裁定者に見えた。
もしも夕雲がDVDを見ていたら地獄へと、見ていなかったら天国へと繋がる。
筆舌にしがたいシュレディンガー的状況ではあったがいつまでもドアを開けないわけにもいかなかった。
夕雲が他の艦娘に見つかってしまう。
大きく息を吸いこんで、ええいままよとドアを開けた。
現れたのは、やはり夕雲だった。
「や、やあ」
「お待たせしました」
室内へするりと身を滑らせた少女は普段と変わらないように見えた。穏やかに佇んでいるようにも見えるし、冷ややかに距離をとるようにも見える。少女の聡明な瞳が私の罪状を読み進めている気がした。
「用事を済ませていたらちょっと遅れてしまいました。ええと、何かあったりしましたか?」
「いや……何も……? 今日は、平常通りで……」
「よかった。お休みが二日も続くと皆のことが気になってしまいます」
「そうだな……うん、そうだな」
ふと思いつく。
もしも彼女があのDVDを見ていたら、そもそもこの場に来ないのではないか?
「あの、夕雲……さん?」
「さん?」
「今日は、何を、したのかな?」
「ええと、お買い物を。ちょっと鎮守府を脱け出してディナーの食材を買ってきました。なんだと思います?」
「なんだろなあ、気になるなあ」
「うふふ、楽しみにしてくださいね。あと夕雲特製戦闘糧食ドリンクもありますよ。ほら、昔よく作ってあげたの覚えてます?」
「勿論だ……。アレは忘れられない。
「ヒミツです。とても元気になれたでしょう?」
「むしろ目が冴えすぎて明け方まで眠れなくなったんだ。アレを飲んだりしたらまた今夜も、」
今夜?
自分で口にして気が付いた。
夕雲の休暇は三日間。外泊中ということになっている。だったら今夜はどこに泊まるんだ……?
「ふふふ」
少女は悪戯っぽく微笑んで、
「今夜も……眠れなくなっちゃいますね?」
ガチャリ
後ろ手で執務室の鍵を閉めた。
大きな瞳を上目遣いでじぃっと向けてくる。
「キミは、今夜も……うちに泊まるんだよな?」
透き通った瞳が私自身を映していた。
沈黙だけでものを言う。女という生き物は恐ろしい。
一瞬で空気を変えてくる。
「今日はお裁縫もしてたんですよ」
「あ、ああ? そんなことも言ってたな」
「作ってみたんです」
「何を……」
「男の人が好きそうな衣装」
「ほ、ほう」
「セーラー服。私が着れば本物の女学生になりますから。若い娘と青春をやり直す……そういうの男性はお好きでしょう? せ・ん・せ・い、って呼ばれたくありません?」
「それは」
教え子に慕われる、それは大多数の男の夢だろう。しかも成人の商売女がやるのではなく、本物の未成年が好意をもって妄想に付き合ってくれる。想像しただけでたまらない。
「でも、止めにしました」
「え」
夕雲は笑みを深める。手に持っていた紙の袋を胸に抱えてみせた。
「提督がもっと好きそうな衣装を知りましたから」
中身をゆっくりと取り出すと、現れたのは黒を基調とした制服だった。白いフリルがふんだんにあしらわれているのはエプロンか。衣擦れの音とともに広げられる。
一目で分かった。これはメイド服だ。
メイド服――!
どくんと心臓が高鳴って、自室に残してきてしまったアダルトDVDのタイトルが脳裏をよぎった。
「ち、違うんだ」
思わず一歩後ずさる。
少女はゆったりとした動きで衣装を広げ、試着するように自身のシルエットに合わせてみせた。
「何が、違うんです?」
正直、釘付けになっている。
元々スタイルのよい夕雲があれを着たらどうなるか。開いた胸元、引き絞られるウエスト、短すぎるスカート丈。可愛らしいフリルやリボンは性を引き立てるために存在し、そんな衣装を女学生の年齢の娘に着せて奉仕させる。
そんな行為が許されていいのなら、私は――
「ねえ、提督ぅ? 何が、違うんです……?」
何も違わなかった。
ここが執務室だということも忘れて思わず伸ばしてしまった手を少女はふわりとかわした。
「ふふ、まだだぁめ、ですよ」
メイド服で口元を隠して目で訴える。
まだ着替えてませんから。
流し目は仮眠室へのドアへ向けられた。そこは執務室からしか入れない密室だ。既に閉じられているこの空間の、更に奥へと引きこもってしまおうと彼女は誘っていた。
頭の奥で警鐘が鳴っていた。
ここがモラルの分水嶺。都合の良い夢にずぶずぶと浸ってしまえば恐ろしいしっぺ返しが待っている。自身だけでなく彼女も不幸になるかもしれない。
知ったことではなかった。
早く彼女を抱き寄せたい。