早足で廊下を進み、作戦司令室のドアを開けると、出撃予定の艦娘たちが揃って居並んでいた。
「提督! 敵襲です、本当に来ました!」
「うん、そうだな」
「今回は本隊です! 敵前衛に総旗艦の姿を確認! 接敵まで30分とみられます!」
「うん。決戦というわけだ。連中もいよいよ本気で佐世保を潰しに来たらしい」
「この数は防ぎきれません……。ここは防衛に徹して呉か佐伯湾の増援を待った方が……」
「不要だ」
緊張を抱く顔たちをゆっくりと見渡した。
「
これはこちら側から誘いこんだ戦いだ。当然、準備は整えている。
どの艦隊、どの艦娘が出撃するか。作戦行動の詳細も同様に、あまさず記載した資料を通達している。ブリーフィングも済ませていた。
ならば彼女たちが司令室に居る必要はない。出撃の準備をするべきだ。
「そ、それが、敵勢力の数が……」
「想定より多いんだろう?」
「は、はい!」
「そういった状況への対応策も記載しているし、説明した。その通りに動けばいい」
「でも敵の全容がまだ不明で……」
「問題ない」
慌てふためく艦娘たちの傍を通りすぎ、司令専用の椅子に座った。
「私には分かっている」
まず前提として、今回の敵群体は資源が不足していた。事前に何度も敵の輸送部隊を沈め続けたからだ。つまり、敵群体はどこかから資源を補充しなければ攻勢に出られない状況にあった。
なのに来た。来ることができた。
ということは、どこからか資源を調達した。そういうことになる。
では連中は一体どこから調達したのだろう?
一つ目の候補は、人類から。
日本の港、もしくは艦娘たちの輸送部隊から強奪する。
だがそのような報告は上がっていない。よってこれは違う。
二つ目、別の深海棲艦の群体から奪う。
……深海棲艦は世界中の海に生息しているが一つの意思で統一されているわけではない。大小様々な規模の群体がひしめいている状態で、時には縄張りを巡って深海棲艦同士で争うこともある。
ゆえに今回の敵も、補給のために隣接海域に居る小さな群体を襲うと想定していた。
他に資源を手にれる先はないのだから、必然そのように動いたことになる。
さて、深海の連中が同種同士で争ったとする。当然無傷とはいかない。反撃を受け少なからず損害を受けることになる。つまり回復と艦隊編成の立て直しが必要になるわけだ。よって奇襲してくるまでは幾ばくかの猶予があると踏んでいた。
ゆえに夕雲に休暇を与えても大丈夫だと思っていたわけだが――実際はその予想よりも早く来た。
これは何を意味するか?
戦闘は起こらなかった。無条件降伏。あるいは和解、もしくは同盟。
どれでも結果は変わらない。2つの群体が無傷のまま1つの大艦隊となった。よって増えた敵の数はその隣接海域の群体と同数ということになる。A+B。簡単な足し算だ。
(補足を入れるなら、敵がそれ以上増えることはない。別の群体を更に取りこもうとすればもっと時間がかかっている)
これが今回の敵勢力の全容。
自明の理であり、改めて偵察をかける必要はない。
――といった内容を艦娘たちに長々と説明した。今回の敵を過剰に恐れる必要はないと。
「でも、敵勢力の配置とか……」
「分かる。もう一年間も連中と付き合ってきたんだ、総旗艦と主力艦隊の姫級たちがこの状況でどう攻めたがるかぐらい手に取るように分かる」
「了解、しました。えっと……そうなんですか? でしたら作戦行動に、入ります……?」
少女たちはそろって困惑した様子で退出していく。話を理解できなかった、といった様子でもない。
なにか……そう、言ってみれば求めていた回答を得られなかったような顔つきだった。
よく分からないけれども。
実戦経験が少ない子たちは不確定要素を必要以上に恐れてしまうものだろう。理屈だけ並べられてもざわつく心を抑えられない。これが夕雲や長波のようなベテランともなれば態度も違ってくるのだが……。
と、目の前の戦況モニターに視線を移そうとして、気がついた。そのベテランのはずの娘が一人作戦司令室に居残って不安そうに大きな瞳をじぃっとこちらに向けていた。
「司令官さまぁ。あのぉ、そのぉ~」
「巻雲か。どうした」
「このぉ、作戦資料なんですけどぉ……」
「ああ」
「私の部隊がですねぇ、その、敵の総旗艦を倒すって書いてあるんですけど~……」
「そうだが?」
なんの問題が? と目を向ける。巻雲はずずいと詰め寄ってきて、
「相手は日本海を牛耳っている大物なんですよぉ!? 巻雲たちが決戦部隊になるなんてぇ……そもそも佐世保だけで対処しなきゃいけないっておかしくありません~!?」
「そりゃあキミ、うちだけで勝てると判断されたからだよ」
「ど、どうしてそんな決定が」
「佐世保に任せろと私が言ったから」
「なんでぇ~!?」
「だから、勝てるからだよ。私の作戦とキミたちの力があれば勝てる。呉も舞鶴も必要ない。……ああ、いや、呉からは研修名目で何人か借りているけども」
「うう~、でも巻雲が決戦部隊の旗艦だなんてぇ~……」
「巻雲。キミなら倒せると確信している」
不安に揺れる幼げな眼差しにゆっくりと言い聞かせた。
「キミはもういくつもの大規模作戦を経験している。先月は呉で神通くんの指導も受けてきた。キミならやれる」
「でもでも! その神通さんの評価は“可もなく不可もなく”だったんですぅ!」
「それは彼女にとって最大限の評価だよ。神通くんはそういう表現をする。知らないのかい?」
「ええっ、そうなんですかっ? 知らなかったです~……」
「まあ、いい。とにかくキミには充分な力がある。作戦内容もちゃんと理解しているな?」
敢えて順番に説明していく。
巻雲の部隊は三つの敵艦隊を突破して敵の総旗艦の艦隊に肉薄。
そのタイミングで2つの水雷戦隊が横腹に奇襲をかける手筈になっている。
陣容は、事前に隣街に伏せておいた長波と高波が率いる部隊。敵は必ずこちらに意識をとられる。何故なら、先月と先々月に敵群体の主力を務めていた姫級を討ち取ったのがその長波と高波だからだ。警戒と恨みの念が敵の判断を鈍らせる。
敵の総旗艦は必ずこう考える。
これまでの戦場で見たこともなく連戦で疲弊した巻雲の部隊よりも、ここ一番のタイミングで現れた仇敵たちの部隊こそが本命だ、と。
だが巻雲に率いられた水雷戦隊こそが本命なのだ。
彼女たちは呉の神通に叩きあげられた精鋭中の精鋭。注意力半分の深海棲艦など案山子に等しい。魚雷の一撃で必ず仕留める。
歴然とした事実と推察を一つずつ並べていくたびに巻雲は大げさに頷いた。丸い瞳は輝きを増していき、話が終わる頃にはさきほどまでの憂慮はどこへやら、ふんすと一発、気合を入れた。
「……分かりました! 巻雲、一生懸命がんばります! ぜったいっ!」
ぱたぱたと勢いよく走っていく後ろ姿はなんとも微笑ましいものではあったけど。
「……なんだかな。事前に説明していたことを繰り返しただけなのに」
よく分からない。
彼女たちはどうしていつも開戦前になると私の声を聴きに来るのだろう?
作戦について必要なことは全て事前に伝えきっているというのに。
そのあたりの少女の機微というやつは不思議だ。
……それともやはり私に至らぬところがあるのだろうか?
もしも夕雲がこの場に居たならどう対処しただろう。彼女ならきっと上手くやる。
呉や横須賀の提督ならどうか。鮮やかに艦娘たちの士気を上げ実力を引き出してみせるだろう。
私には自信がない。苦手だ。
私にできるのは、敵を追いつめて攻め潰す作戦を立てることだけ。
ならばその本業に専念するしかないだろう。
椅子に浅く座り直して腕を組み、壁面に碁盤目状に張りつけられたいくつもの戦況モニターをざっと眺めた。
マイクを手に取って、開戦の合図を告げる。
「全艦隊に告ぐ。今夜、敵総旗艦の首を獲る。作戦開始」
一度始まってしまえば、私にできることは殆どない。
作戦と現実を見比べて、その差異が埋まるように指示を飛ばすことぐらい。
それが私に残されたいつもの数少ない仕事であるのだけれども。どうやら今回は違った。
簡単すぎたようだ。
何もかもが想定通りに過ぎていく。
『敵艦発見。古鷹、突撃します!』
『敵はまだこちらに気づいてないよ。青葉も追撃しちゃうぞ!』
主砲が火を噴く音、鉄と血肉が抉られる音。艦娘たちの艤装に取りつけた収音機から現場を聞く。
展開されていく艦娘たちの陣形、秩序を乱されていく深海棲艦の集団。無理をいって飛ばさせた偵察機から戦場を視る。
全てが脳裏で描いた通りに過ぎていく。
『全艦、長波に続け! 突撃する!』
『敵艦、見つけました! 今なら有利に戦えるかも……続いてください!』
『貴様ラッ! 上等ダァッ! ミ・ナ・ゴ・ロ・シ……ニ、シテヤルゼェーー!!』
『へやぁー! 巻雲、突撃します!』
『……ギャッ! アアッ、アアアッ!? バ、莫迦ナ……、コノ、私ガァ……ヤラレル、ナンテェ……ッ!』
どうやら今回の私にできるのは、見守ることだけ。
『わあ、あああ……! 司令官様、夕雲姉さん! 私、やりました!』
ただ眺めるだけ。
それでもやはり、楽しかった。
敵を攻め潰すのは楽しい。面白い。自分の策が絶大な効力を発揮して勝利を確定させていく光景は思わず喉が震えてしまうほどに痛快だった。
「……く、くっくく」
どうだ、見たか!
これが私だ! 私の力だ!
暗い静寂が作戦司令室を支配していた。
終わってしまった――
渇望した勝利はすでに過ぎ、事実と化した。残されているのは事後作業。
艦娘たちの帰投。状態確認。入渠。装備の修理、発注。各種報告書の作成……。
それらをこなせば今回の敵群体に対する作戦は完了するだろう。
この一年間、あの深海棲艦たちのことばかり考えていた。まるで恋人でも想うかのように。けれど沈めてしまったからにはもう二度と交われない。
「また次の女を探さなければな……」
トゥルルルル
視線がポケットに向かう。
着信音。携帯電話だった。液晶画面に表示されたのは、予備戦力として待機組に回っていた夕雲の名前。
『提督?』
懐かしい声がした。
電話口から不思議な言葉がかけられる。
『答えを、伝えようと思いまして』
「なんだって?」
『今、どんな顔をしてらっしゃいます?』
顔……?
また顔か。今日はそんなことばかり言われている気がする。
ふと仰ぎ見れば、電源を落としたモニターの黒い画面に私自身の顔が映しだされていた。
よく知っている顔、ではなかった。
初めて見る顔だった。
「これ、は……」
開いた瞳孔。犬歯まで見えるほど吊り上がった口元。
こんな……野蛮な表情を……してしまっていたのか……。
まるで狂った犬畜生の如き面相だ。
勝負事に熱くなると口元を歪めてしまうのは知っていた。幼稚な初等部の男子のように痛快さを抑えきれずに笑みを浮かべてしまう。だからいつも左手を添えていた。そうすれば未熟さを隠してしまえると信じていたから。
しかし、これでは。
この有様では――
試しに左手を添えてみる。
その程度ではとても隠しきれない。まさに意思疎通のできない獰猛な獣の瞳――深海棲艦の目つきそのものだった。
『素敵でしょう?』
夕雲は、私の何処に触れようとしているのだろう。
やはり。恐らくは、彼女はとっくに私の本性に――