夜。
誰もが寝静まり、車の数すらも疎らになった夜の街。
街灯の光すらも届かない闇の中に、ソレの姿はあった。
人の形を保っていながら、その頭部や手足は獰猛な獣のように鋭く揺らめいている。血糊が飛び散った地面には、惨殺されたであろう中年男性の肉塊が転がっていた。
異形が瞳をギラつかせ、より多くの人々がいる方へと意識を移す。もっとこの快感を味わいたい。肉を裂き、骨を断ちながら悲鳴を聞きたい。
下卑た、悪辣なる欲望に支配された意識には自制心など存在しない。
壁を鉤爪でなぞり、抉りながら吐息で湯気をたたせる。上には、見られないようにと言われていたが関係なかった。
思えば、この力を手に入れてから、僅かばかり残っていた自制心も効かなくなった気がする。仕事への熱量や倫理観は消え去っていた。
強く残った殺害欲に全てが切り替わり、今夜にでも町の人間を皆殺しにしたかった。
いや、それだけでは物足りない。肉を引き裂き、血を飲み干す前に軽く弄ぶのも一興かもしれない。乳房を喰らい、股座に爪をつき立てれば、どんな啼き声をあげるのか。
妄想をするだけで全身が沸き立ち、爪と牙はさらに血を求めてうねりを上げた。一歩、また一歩と光の中へ近づいていく異形だったが、その歩みは道を塞ぐ人影によって止められた。
「火を見るより明らか……ってえのはこういうことだな」
暗い色合いのコートに、フードで顔を隠した人影がつぶやく。低い声は男性のもので、青年と少年の挾間にいるものだった。
しかし、その中でも最も目を引いたのは、腰に下げられた黒鞘の打刀だった。
長さにして二尺四寸と言った具合のそれは、現代社会では許されない代物。斬り捨て屠る、命狩りの凶器だ。
だと言うのに、青年の佇まいはしゃんとしており、それがあることによって調和しているような、そんな全てが噛み合っていた。
『キサマ……マカイキシか……?』
それは人の言葉ではなかった。
ノイズがかかり、低く獣のような唸りが混ざっている。本来ならば解読はおろか、聞き取ることも難しい獣の言語。
だとしても青年には異形が何を言っているのか理解出来た。
それは彼がそういうものだからだ。
そう言った輩を相手にし、討滅することを生業とすることが、魔戒騎士という存在だからだ。
「ご明察。アンタは、
侮ったような口調。しかし油断は無い不敵な笑み。
それを受けた異形の存在、ホラーは獰猛な歯を食いしばり、その爪をギラつかせた。眼前に現れた敵を狩らなければいけない。その本能によってのみ生きているのだ。
魔戒騎士はそれをせせら笑う。喉の奥で鳴るような独特な笑い声が溢れれば、フードの奥で紫紺の瞳が揺らめいた。
「唸ってねえでかかってこい、クソッタレ」
ホラーが駆ける。
辛うじて保っていた人の皮が消え去れば、内より獣の様相が闇の中に晒された。醜く、怯えと恐怖を齎す異形の存在は、全身から死肉の異臭を纏っていた。一体どれだけの人間を殺し、貪ってきたのだろうか。
爪を突き立て、命を狩り取ろうとする襲撃を紙一重で避け、弾きながら掌底を叩き込む。体躯以上の威力を受けたホラーが後退れば、そこへ一息の間に五連続の正拳突きが放たれる。
人体の急所を的確にとらえ、岩をも粉砕する撃鉄の拳が鈍い音を鳴らしながらホラーを追い詰める。
「ッ、硬えな流石に……」
しかし仕留めるには至らない。
拳に鈍い痛みが響き、不用意ながら悪辣な笑みを浮かべるホラーの間合いに入り込んでしまった事に舌打ちをする。
爪がうねり、触手のように気味悪く蠢きは命を奪おうと襲ってきた。命を狩るための凶刃。ホラーもそれで終わると思ったのだろう。
「甘いって、本当に……!」
ソレを避け、いなし、コートを翻して絡めとった青年が、腰に佩いていた打刀を抜き放つ。
襲い来る爪牙を受け止めれば、角度をつけて地面へと流す。
そのまま伸びた触手を断ち切り、空いた拳をホラーの腹部へと叩き込んでよろけさせた。
まだ浅い、と言わんばかりに踏み込めば、数珠繋ぎのような連撃が反抗する暇も潰していった。
『ギッ、ギャギィィッ!』
鋭い剣閃に触手が断たれ、爪が斬り捨てられる。
どす黒い血しぶきが上がり、ホラーが絶叫する。魔戒騎士が血糊を払えば、口元に獰猛な笑みを浮かべながら打刀を構えた。
そして踏み込む。身を低くして刃を放てば、ホラーが苦し紛れに振るってきた爪を弾き、触手を斬り捨て一気に間合いを詰めた。
「遅いぞ、ホラー!」
魔戒騎士が吠える。
下段の斬り上げから繋がる三連撃がホラーを斬り裂き、消滅へと追い込んでいく。その剣戟は洗練されており、並大抵の剣士では、そもそも並のホラー程度では防げるわけもなかった。
爪で防ごうとしても、魔戒剣で絡め取られあらぬ方向へと弾かれた。近づこうにも剣先が身を削り、距離を取ろうと下がれば踏み込まれて触手を刻まれる。
間合いを支配され、思うままに動く事は出来ず、反撃すれば返しの刃に斬りこまれる。
『クソッ、クソッ、クソォッッ!』
ホラーが叫ぶ。
悲痛で情けない叫びだった。
ビルを伝い、建物の間を縫いながら逃げ惑う様からは、出現時の恐ろしさを一切見ることが出来ない。与える側が恐怖を抱き、消滅に怯える下賎な獣へと成り下がっていた。
「逃がすと思うか?」
だからこそ魔戒騎士は追撃をしかけた。コートを翻し跳躍し、壁を駆けながらホラーの頭上を取る。月明かりを背にしながら醜い顔面を蹴り飛ばし、跳躍した反動で降りかかる爪を弾く。
捻りながら魔戒剣を構える。
上段の袈裟斬りが胸板を裂き、落下とともに襟首を掴んで地面へと叩きつけた。
『グッ……ギッ、ガァァ……』
「さ、て、さて、さぁて……」
地面に転がり、無様に睨みつけてくるホラーへ背中越しに告げる。
魔戒騎士の青年は打刀を、騎士の証である魔戒剣で虚空に〆の字を描くように振るいながらホラーへと向き直った。
刃の軌跡が光を放ち、この世と魔界が繋がる。
罅割れた空間から現れたのは、夜闇によく似た、しかし全く異なる瑠璃色の鋼だった。
人の形を取ったソレが青年へと噛みつき、喰らうように纏われれば、光を切り裂いて顕現した。
『灰燼騎士ー冥牙ー』
兜の中で、低く唸るような名乗りが響いた。
青年は、狼によく似た瑠璃色の鎧を纏い、刀身が分厚くなった魔戒剣で車の構えをとる。
闘気がホラーの肌を指し、闘争ではなく逃走を選ばせようとしてくるが、その判断すらも遅すぎた。
瑠璃色の狼が駆ける。
打刀は大太刀へと姿を変え、振るわれた銀の軌跡がホラーの触手を斬り裂いていった。一呼吸のうちに放たれた刃が残った爪牙が斬り飛ばされ、最期の一太刀が放たれる。
『オ、オレハ、マダ、マダァ!』
ホラーが背を向け逃げ惑おうとする。もっと人を殺し、喰らい、力を手に入れて思うままに生きていきたかった。だのに、どしてこうも追い立てられてしまうのだろう。
その答えを冥牙が答えることはない。逃げようとする脚を断ち、首根っこを掴んで宙へと放り投げると、落ちてくるホラーへ刃を突き立てた。
『幕引きだ、アンコールはねえよ』
駆ける狼の大太刀が横薙ぎに一閃、袈裟懸けに二閃目が放たれホラーを両断する。どす黒い血の雨が降り注ぎ、地に落ちるよりも先に冥牙の鎧が纏う熱で蒸発していく。
冥牙の宣言通り、歪で醜い獣が魅せ、魅入られた演目は終りを告げ、底の見えない深い闇へと消えていった。
十秒にも満たない死闘が繰り広げられた後、鎧は役目を終えて何処かへ消え去る。フードが外れれば、青年が月明かりの元にその顔を表した。
精悍で、どこか不敵さを宿した端正な素顔。
もしかしたら、未だ成人すらしていないのかもしれない。そんな幼さを宿した彼は、魔戒剣に乗った血糊を払い、その身にやどる闘争の熱に息を吐く。
「さっ、てと……報告して……帰るか」
欲求不満げに表情を曇らせ、魔戒剣をクルリと回し鞘へと収めた。
人を脅かし、幾度となく現れる魔獣、ホラー。
それを狩る魔戒騎士の一人である青年。
その表情には、どうしようもない憂いが、隠しきれないほど纏わりついているのだった。
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「よくやってくれました。灰燼騎士冥牙……蒼崎
番犬所。魔戒騎士たちが指令を受け、報告をする場所でもある。冥牙と呼ばれた青年が所属するこの街を管轄するのは、声をかけてきた神官だ。顔を見ることも、声から性別を判断することも出来ないナニカ。
一部では超常の存在であると言う噂まである。
「いえ……任務ですんで……もういいですか?」
「貴様、神官様に向かってなんという態度だ!」
面倒くさそうに溜息をつく騎士、灯へと怒声が叩きつけられる。
姿を見せない神官を警護する騎士のものだ。普段から態度の悪い灯を気に入らないのだろう。今すぐにでも構えている魔戒槍で射抜かんばかりの気迫だ。
「しょうがないでしょう……面倒なもんは面倒なんですから……」
「たかが騎士風情が……思い上がるのも大概に」
言いかけた所で、シャンッ、と鈴の音が響いた。ヴェールに隠れた神官が打ち鳴らした音色だ。
騎士も灯も思わず身を正し、息を呑んでしまうような神聖さを纏ったソレは、神官が持つ特有の力故なのだろう。
「良いのです。灯には、無理を言いすぎていますから。今夜は、
「……御意」
黙らせられた騎士は何も言わず、灯も一言だけ零してから番犬所を後にする。神官の持つ不気味さと、役所特有の堅苦しさに辟易としながらも、その足取りは来るときに比べて一気に軽いものへとなっていた。
先の言葉が本当ならば、パートナーである魔戒法師が里帰りから戻ってくる。もう拠点にいるのだろうか。
まるで恋する乙女のように、彼女の帰りを待ちのぞみ、そして嬉しく思っている。
鼻歌混じりに歩みを進め、夜闇の支配する街を行く。
今夜ばかりは、これ以上ホラーの姿が見えないことを切に、本当に切に願っていたのだった。
ヒロインはアンケートからとなります。
どうぞよろしくお願いいたします。