カツ、カツ、カツと足音を鳴らし、廊下を歩く。
人理継続保障機関カルデア。
その廊下を歩くのは、第一特異点修復後に召喚されたサーヴァント。百年戦争で最も有名なフランスの英雄。オルレアンの聖処女――ジャンヌ・ダルクだ。
彼女が向かう場所は1つ。トレーニングルームだ。
「む――やっぱりいました」
トレーニングルームの明かりがついていることを確認すると、ジャンヌは歩く速度を上げて扉を開いた。
トレーニングルームにいたのは人類最後のマスター藤丸立香だ。彼はランニングマシンの上で汗を流していた。
「はっはっはっ――」
訓練を終えた後なのだろう。激しく息を乱している。
職員の話からして食後からずっとここにいるのは確実だ。最近、食事も軽くしか済ましていないと言うのにあんなに激しく動いて——と呆れた感情をジャンヌは抱く。
「それ以上のトレーニングは体に毒ですよ。マスター」
走り終えた所に声を掛けると藤丸は驚いたように振り向く。
「ジャンヌ――いつからそこに?」
「つい先ほどですよ。よほど疲れていたのでしょう。私が入ってくるのにも気づいていませんでしたね。何度も言うようですが、トレーニングのやり過ぎはいけません」
「はははっごめん」
めっと腰に手を当てて叱るジャンヌに藤丸は軽く笑って謝罪を口にする。
「それで、ジャンヌは何でここに?」
「マスターがここにいると聞いたので。また、無理をし過ぎていないかなと見に来たのです。案の定、無理をしようとしていたようですが」
「う~ん。もうちょっといけそうなんだけどなぁ」
「ダメです。いけません。許しません」
「はーい。分かりました」
気の抜けたような返事だが、それで問題はない。
出来ないことを無理をしてする人物ではないからだ。
自分が出来る範囲は藤丸も理解している。あとちょっと、もうちょっととその範囲を広げようとはするが、決して無謀なことを彼はしない。
藤丸が汗を流し終えるのを待ち、出て来た所をジャンヌは笑顔で迎える。
「待っていなくても良かったのに」
「それは出来ません。職員の方から聞いているんですよ。マスターは夜遅くまでここで訓練しているかシミュレーションルームにいると」
「あ、ははは――バレてたんだ」
苦笑いをして頭を掻く藤丸に対し、ジャンヌは頬を膨らませる。
「全く、夜更かし何てダメですよ。体調を崩してしまいます」
「うん、ごめん。でも、最後に今日だけ良いかな?」
「む――」
「訓練はしないよ。信じて」
注意した矢先にシミュレーションルームに赴こうとする藤丸にジャンヌは咎める視線を向ける。が、申し訳なさそうな顔でお願いをしてくる藤丸に折れてしまう。
「分かりました。ですが、私もシミュレーションルームに一緒に行くことが条件です。夜更かししそうだったら、マイルームに引っ張ってでも連れて行きますからね」
「はーい」
そうして2人はシュミレーションルームへと向かう。
予め予約をしていたのか、迷うことなくシュミレーションルームに入って行く自分のマスターの後ろ姿を見て、ふとジャンヌは疑問を抱く。
一体、この場所で何をするつもりなのか――と。
高度なヴァーチャルリアリティシステムを用い、本物と見分けのつかないレベルで街や人間、魔物を再現出来るこの部屋で仮想戦闘訓練以外にすることをジャンヌは思いつかない。
「マスター。ここで一体何をするつもりですか?」
「もう少しで分かるよ」
藤丸が設定した光景がシュミレーションルームに反映される。
途端に静かだったシュミレーションルームが騒音に包まれた。
「これは……マスターの」
「そう、俺の時代の街のデータ。実はさ、ここって実家に近いんだよね」
そう口にして歩き出す藤丸にジャンヌは着いていく。
ゆっくりと街並みを見て回る藤丸は懐かしそうに、そして悲しそうな表情をしていた。
「――――」
その表情にジャンヌは心を締め付けられた。
神の声を聞き戦場に自ら赴いたジャンヌとは違い、逃げ場を塞がれ、戦いに赴くしかなくなった少年。
その少年の心は今どうなっているのか。
家族のことを想わないはずがない。友人の想わないはずがない。そして、育って来た街を想わないはずがない。
外の世界は、カルデア以外の人類は全て滅ぼされた。
本当にそうなのか?そう思ったはずだ。何せカルデアの窓からはずっと何も変わらない雪景色が映っているのだから。
敵に翻弄されているだけでは?そう考えたって可笑しくはない。今の現状に嘆き、現実を受けいることが出来なくても可笑しくはない。
それでも藤丸立香は戦場に出てくる。泣き言ひとつ言わずに。
これまでの特異点での戦いを思い出す。
恐怖を押し殺して、対峙している相手から目を逸らさず、向き合う少年の姿を。
自分は死者だ。
この場には世界の危機として駆け付けた1人のサーヴァントでしかない。
それでもこの少年に寄り添おう。
そう――決意した。
「戻ろっか」
「はい」
街並みの光景が消え、無骨な床と壁へと戻っていく。
全てが元通りになるとシュミレーションルームから出る。
「ごめんね。付き合わせちゃって」
「いえ、そんなことはありませんよ。マスターが何をしているか分かりましたので」
「そっか。あ~……今回のことはさ。誰にも言わないでくれるかな? 寂しくなって地元を見てましたって恥ずかしくて」
「ふふっ。何も恥ずかしがることはないでしょう。誰にだってそういう時はありますよ」
頬を赤らめる藤丸にジャンヌは笑みを向ける。
それが余計に気恥ずかしくなり、藤丸は視線を逸らして頭を掻いた。
「いやぁ、でも最近はずっと使ってたし。余計な心配かけたくないから」
「要らぬ心配ですよマスター。それに貴方の精神ケアは必ずしていかねばならないことです。むしろ、黙っていたら怒られるかもしれません」
「うっ。それは嫌だなぁ」
「なら、ちゃんと言いましょう。大丈夫です。私も一緒に行きますから」
「でもオルタとマタ・ハリに知られたらまた脱がされ――」
「はい?」
「あ――」
むん、と拳を作り、励ますジャンヌだったが、藤丸が零した言葉に停止する。
顔を真っ赤に染めた藤丸が慌てて弁明をするが、ジャンヌの耳には先程の藤丸の言葉がずっと響いていた。
『脱がされた』
そう確かに言いかけた。それが何よりジャンヌに衝撃を与えた。
先程藤丸が名前を挙げたのはジャンヌ同じくサーヴァントとして召喚されたアルトリア・オルタとマタ・ハリのことだ。
彼女達はジャンヌよりも前――冬木の特異点を解決した後に召喚されたサーヴァントだ。
片や聖剣の騎士王、片や国を翻弄した伝説の女スパイ。
記憶が掘り返される。
そう、それは約1週間前の出来事だ。
妙に艶々した表情のアルトリア・オルタが藤丸の部屋から出て来た。
次の日、「新鮮だったわぁ♡」と小さく呟くマタ・ハリが同じく藤丸の部屋から出て来た。
誰に対しても平等に接し、面倒見の良い藤丸はサーヴァントの悩みを聞くこともある。だからこそ、それで何か解決したのだろう。その時はそう考えていた。
だが、点と点が1つの線となり、ジャンヌの脳内に電流が走った。具体的に言うと何があったのか予想がついてしまった。
「――藤丸立香」
「あ、はい」
低く、そして重い声がジャンヌの口から洩れる。
藤丸も思わず身を固くした。
「エッチなことしたのですか?」
「え、そ、それは……その」
「したんですね?」
「…………はぃ」
顔を赤く、恥ずかしそうに視線を逸らして答える藤丸。その姿を見てジャンヌの中にある
「いけません。えぇ、それはいけませんね」
「はい。今は人理修復中なのに」
「いえ、違います」
「え?」
「姉を差し置いて、他の者が弟の性処理をするなど、それはあってはならぬことっ」
「はい?」
「えぇ、えぇ――弟の性処理は姉の仕事なのです‼」
「一体何口走ってんのこの聖女⁉」
「という訳でやりますよ」
「え、何がという訳なの⁉ バーサーカーなの⁉」
「いえ、
「そんなクラスない――って力強い⁉」
ジャンヌが藤丸の腕を掴み、先程までの通路を引き返す。目的地は自身に貸し与えられた部屋だ。
藤丸の部屋はサーヴァントも出入りしてくる。まるで、人権などないかのように。だが、ジャンヌの部屋には誰も入ってこない。あそこならば、万が一はないだろう。そう考えてのことだ。
藤丸が声を上げるが、残念ながらスイッチの入ったジャンヌには届かない。
足に力を籠めるが、サーヴァントに力で拮抗しようなど一流の魔術師でも出来ないことだ。
抵抗虚しく藤丸はジャンヌの部屋に引き摺り込まれた。