カミュがイレブンと再会してから数日が経った。
カミュは溜息を吐いてイレブンが用意してくれた『ユグノアの歴史』という本に栞を挟み、立ち上がった。
「っ・・・」
読書の合間の息抜きにバルコニーに出たカミュは胸が服に擦れて先端からじん、とした痛みが広がり、思わず息を詰める。身体のあちこちに残る、イレブンに愛された痕。疼痛。
――まさかあいつがあんなにお盛んな奴だとは思わなかったぜ。ったく、毎晩毎晩・・・
カミュは外壁の手すりに凭れてもう一度溜息を吐いた。
――こんな身体じゃ兵士の調練なんてどのみち無理か・・・。せいぜい自主トレが関の山・・・。
そんなことを考えていた矢先、後ろでドアの開く音がしてカミュは振り返った。イレブンが部屋へと入ってくるところだった。
「イレブン・・・」
「カミュ。気晴らしに散歩に行かない?」
イレブンはにっこり笑って、言った。
快晴の空の下、ユグノア城内の庭園は美しい花が咲き乱れていた。それがイレブンにとっても気分転換になっているのか、晴れた日はちょくちょく公務の合間にカミュを連れ出し、他愛ない話をしながら一緒に庭園を散策する。
「・・・なあ、イレブン。」
「何?」
「確かシルビアの公演も終わっている頃だ。近いうちにマヤと一緒に訪ねて来るかも。俺がここにいることは知らせたんだろ?」
「うん。」
――二人が訪ねて来たら、イレブンのことを相談しよう。
カミュが物思いに耽りながら歩いていたら、庭園の中ほどまで来たとき、イレブンがふいに彼の腰を引き寄せた。
「イレ・・・」
反射的に見上げた頬を大きな掌で包まれ、口づけられる。宮殿の庭園の鮮やかな緑と花々の中で、恰もお伽話の中の王子と海賊が秘密の逢瀬をしているような背徳感を、もし傍観者がいたなら感じたに違いなかった。
――何でこんなトコでスイッチ入ってんだ?
いつも部屋の外では触れるだけのキスしかしないのに、深く口づけてきたイレブンを不思議に思ったが、カミュは彼の気が済むまで大人しく応じる。抵抗しても抑え込まれるだけ。この数日間でカミュは既に学んでいた。
「・・・はっ・・・ん・・・」
漸く解放され、カミュは肩で大きく息を吐いた。そして。イレブンが渡り廊下の方へと目を向けたので、カミュもつられてそちらを見て――喉から心臓が飛び出そうなほど驚いた。
「マヤ・・・、シルビア・・・」
二人はポカンとした赤い顔で佇んでいたが、我に返るとイレブンとカミュの方へと歩いて来た。
「な、何でここに・・・」
「何でって・・・。今日訪ねるって使いの人に言付けただろ?城に来たらここに案内されたんだ。まさか兄貴の濃厚なラブシーンを見せられるとは思わなかったけどな。」
「んもう、びっくりしたわよぉ~!カミュちゃん、いつの間にイレブンちゃんとそんな熱~~い関係になったのかしらぁ~??」
カミュは信じられない思いでイレブンを振り返った。イレブンは悪びれる様子もなく、
「やあ、二人とも久しぶりだね。僕たち、結婚を前提に付き合うことになったんだ。」
と涼しい顔をして言った。
「お、おい!」
カミュが慌てて否定しようとするが。
「んまあっ!?ロマンチックねえー。五年越しの恋!」
「兄貴でも恋するんだな。てっきりオレ、そーいうのキョーミないかと思ってた。」
シルビアはテンション高く盛り上がり、マヤは頻りに感心していた。カミュが口を挟む間もなく二人とイレブンの会話は和やかに続き・・・ふとシルビアがカミュの方を見て、
「あ、そうだわ。カミュちゃんの荷物はお城の人に渡しておいたわよ?」
と思い出したように言った。
「荷物?」
「服とか身の回りの物を持ってきたの。こういう事情だとは思わなかったけど、カミュちゃんが『ユグノアに留まることになった』って使いの人に伝えられたから。」
「・・・・・・。」
――そうだった。二人にイレブンのことを相談しねえと。このままだと勝手に話が進んじまう。
カミュはイレブンに向き直った。
「イレブン、シルビアとマヤと三人で今後のことを話したいんだが・・・」
「そう?なら僕は公務に戻るよ。そこの四阿で話したら?お茶菓子を用意させるね。」
「へへ、ありがとな。」
嬉しそうに笑うマヤに微笑むとイレブンは三人に別れを告げて庭園を去った。
「・・・で、遊びだったって思われんのはマズいから、まあ・・・時々会うようにはしようと思うんだが、イレブンは結婚前提だなんて言い出してよ・・・どうしたらいいと思う?」
庭園の片隅にある四阿でカミュはイレブンと再会してからの経緯をシルビアとマヤに話し、二人の意見を求めたのだが。
「「・・・・・・。」」
二人とも顔を引き攣らせながら少しの間、無言だった。
「どーもこーも・・・」
マヤが菓子に手を伸ばすのも忘れて呟く。
「過去に二度告白されていながら、勝手に時間が解決したと思っていた兄貴もタイガイだぜ?」
「・・・・・・。」
「『わけわかんねえうちにヤッちまってた』っていうのがどういう状況なのかイマイチよくわからないのだけれど、」
とシルビアは前置きして、
「真面目な話、イレブンちゃんがカミュちゃんのことを“結婚を前提とした交際相手”と思っているなら、時々会うだけでいいなんて言い出したらきっと傷つくわよ?」
「え・・・そうか?」
「そうよ!そりゃあ・・・一度寝たら結婚、っていうのにはアタシもびっくりよ?でもカミュちゃんも五年も待たせたんだし、」
――待たせてねえ。
「結婚してからでないと寝ない、ってコもいるんだからそれは言っても仕方ないわ。」
シルビアは頷きながら胸の前で腕を組んだ。
――女じゃねえんだから。
とカミュはところどころツッコミたかったが助言を求める手前、黙っていた。シルビアが真っすぐにカミュを見る。
「いっそのこと結婚を前向きに考えてみたらどうかしら?」
「・・・んなこと言ってもよ。」
カミュが不貞腐れたように頬杖をついて頬を膨らませる。
「兄貴、ゆーしゃ様とキスしてるとき、満更でもなさそうだったじゃねえか。」
マヤが口を挟んだ。
「あ・・・あれは単に慣れただけだ!」
「慣れることができるなら大丈夫じゃねーの?」
マヤがいしし、と笑った。
「とにかく!」
とシルビアがビシ、とカミュに指を突きつける。
「経緯がどうあれ、イレブンちゃんと“そう”なった以上、ちゃんと向き合わなきゃ。逃げるとか、間違ってもアタシたちに迷惑がかかるようなことはしないでちょうだい?再び追われる身になるのはもうゴメンよ!」
「わ、わかったよ・・・」
カミュは渋々頷いた。
シルビアとマヤは話を終えるとグロッタでまだすることがあるから、と手を振りながら早々に帰って行った。
*
共に旅をしていた頃。太陽のような笑顔も、揺るぎない意志を宿す澄んだ碧の瞳も、彼の存在全てが眩しかった。イレブン――俺の親友。
「カミュ、どうしたの?何か考え事?」
夜、いつものようにソファで寝酒を飲んでいたカミュは隣に座るイレブンに貌を覗き込まれて慌てて微笑んで見せた。
「何でもねえよ。」
「そう?」
「さ、そろそろ寝ようぜ。」
カミュが立ち上がりベッドに向かおうとしたが、イレブンは動かなかった。
「? 寝ないのか?」
「僕はこれから少しやることがあるから、カミュ先に寝てて?」
「こんな時間に?」
「うん。」
はにかむように微笑んでイレブンが頷く。
「ふーん・・・ま、いいけど。」
カミュは小首を傾げ後ろ頭を掻いた。
イレブンはなかなか戻って来なかった。カミュは広いベッドの中で寝返りを打ちながら彼が戻ってくるまで起きていようと思ったが、いつの間にか眠ってしまって目が覚めたときは既に明るかった。隣を見るとイレブンが熟睡していた。
「・・・・・・。」
カミュは起き上がり、無意識にイレブンの顔に落ちかかる髪をそっと除けた。
次の日の夜も、イレブンは寝る時間になると姿を消した。朝には隣に寝ていて、何事もなかったかのように『おはよう。』と言ってくる。
その次の日の夜は何処へも行かなかったが、疲れているのか、ベッドの中でカミュと他愛のない話をしているうちに眠ってしまった。
それ以降も、イレブンは夜になると姿を消し、何処へも行かない日は早々に寝てしまう日々が半月ほど続いた。カミュはイレブンが何をしているのか跡をつけようと考えたこともあったが、彼が誰かと密会していたとしてどうしようというのか、と思い直して行動に移すことはなかった。
――早々に飽きられたんかな、俺。・・・ま、願ったり叶ったりじゃねえか。イレブンも俺に飽きたなら飽きたとはっきり言ってくれりゃあいいのに。
カミュは物憂げに溜息を吐いた。
「カミュ。」
突然、後ろから声を掛けられてカミュはここがイレブンの私室のバルコニーであることを思い出した。
――部屋に入って来るのも気づかねえなんて、俺も焼きが回ったな。
空は薄暮色に染まっていた。カミュは手すりに寄りかかったまま後ろを一瞥すると再び前を向いた。
「・・・公務は終わったのか?」
「うん、終わったよ。」
イレブンは後ろからカミュの身体に腕を廻してお腹の前で指と指を組み合わせた。カミュの空色の髪に頬を埋める。
「今から君と――行きたい処があるんだけど・・・」
「別に・・・何処にでも付き合うぜ?」
「ありがとう。」
イレブンが腕を解き、天空のフルートを取り出し奏でると、金色の光が二人を包み、一瞬で勇者の峰にいるケトスの背へと降り立った。
*
「ケトスに乗るのも五年ぶりだな。」
撥ねた髪を風に乱れさせながら、カミュが呟く。ケトスは薄紫色の空を北北東へと翔け、程なくして忘れられた地の端にある円形の踊り場に降り立った。
「ここも懐かしいな・・・。」
カミュがケトスの背から降りると感慨深げに辺りを見渡す。イレブンも続けて降り、ケトスは一声啼いて飛び去って行った。
「・・・で、ここに何の用があるんだ?」
「・・・・風車塔で、君に話さなかったことがある。」
少しの間の後、イレブンが静かに話し出した。
「僕は時を渡る前の世界で、君と恋人同士だった。」
「え?」
「時を渡る前にここで、君にプロポーズした。」
「・・・・・・。」
「君が生涯僕と居てくれるなら、時を渡らずにあの世界で生きていくつもりだった。けれど君は・・・」
「・・・・イレブン。お前は本当にそれでいいのか?時の番人が言ったように、過去に戻ったらもうこの世界に戻って来られない。お前だってどうなるかわからないんだぜ。それでも・・・・それでもお前は過去に戻るっていうのかよ?」
カミュがイレブンに必死に訴える。
――僕の大切な、人。
「・・・みんな。少し考える時間が欲しい。」
――時を遡ることは僕にしかできない。でも、愛する人を残してはいけない。
イレブンは皆と忘れられた塔の外へと出た。花々が咲き乱れる静かな場所で、仲間たちは休んだり散策したりと思い思いに過ごす。イレブンはカミュに二人で話したい旨を伝え、彼をケトスが降り立った円形の踊り場まで導いた。踊り場に着くとイレブンはカミュに向き直った。
「僕は君を愛している。君を置いて過去へは行けない。君が傍に居れば僕は、君だけを見ていられるけれど・・・君との確かな約束が欲しい。」
イレブンがカミュに手を差し伸べた。
「僕と・・・結婚してくれる?」
「え・・・?」
カミュは驚き動揺し、イレブンを見つめ返した。暫く押し黙った後、苦し気に口を開く。
「ダメだ、・・・できない。」
「え・・・」
「俺もお前のことは好きだ。イシの村での生活も楽しみにしていた。・・・だが時の番人の話を聞いちまったら・・・。俺はお前を見る度に、お前が救えたかもしれない命のことをきっと考えちまう。幸せな生活が、それらの命の下に成り立つと思うと、恐ろしくなるんだ。」
「そんな考え方・・・」
「頭ではこんな考え馬鹿げてるとわかってる!お前を過去へ行かせたくないのも本当だ。・・・けど、もうお前と一緒にはいられねえよ・・・。」
辛そうに俯くカミュを見て、イレブンの顔に苦い笑みが浮かぶ。
「・・・そっか。君が引き留めてくれたから、僕と生きてくれるんじゃないかと勝手に期待してしまっただけ。君が隣にいない人生なんて僕にとって何の価値もない。・・・・過去へ行くよ。」
「イレブン・・・!」
カミュの悲痛な声を振り切り、イレブンが塔へと来た道を踏み出す。視界が滲んだが、涙は零れなかった。
「イ、イレブン・・・」
――そんなことが?
イレブンが時を渡る前の世界のカミュの気持ちも今のカミュには痛いほどわかった。自身が勇者を留めることで多くの命が救われる可能性を失くしてしまうとしたら――それはひどく恐ろしいことだった。そしてまた、愛を断ち切って時を渡る決心をしたイレブンも胸が引き裂かれるように痛ましかった。思わずカミュはイレブンを抱き締めた。
「それは・・・辛かったよな。」
――こいつは世界のために誰よりも頑張ってきた。誰よりも幸せになるべきなのに・・・
「カミュ。」
イレブンがカミュを優しく引き離し、地に片膝をつく。
「イレブン?」
そして懐から掌に載るほどの小さな箱を取り出し、蓋を開けると、中には繊細に煌めく金の指輪が納まっていた。小箱の載った掌を差し上げ、空いた手でカミュの手を取る。
「僕と・・・結婚してくれる?」
「イ・・・レブン。」
その瞬間、カミュの胸が言葉にできない感動と高揚で満たされ、自然、頬を涙が伝った。
――俺はどうしたっていうんだ?涙が溢れて・・・
自身の深奥からとめどなく湧き出る感情に戸惑いつつもカミュはふいに、目の間で跪く青年を愛していると自覚した。カミュが頬を濡らしながら微笑む。
「・・・いいぜ。」
「カミュ・・・!」
イレブンが立ち上がってカミュを掻き抱いた。
「やっと、やっと・・・!辛く哀しい記憶を塗り替えられた・・・!」
イレブンの頬に、時を渡る前は流せなかった涙が伝う。
藍色の空に瞬き始めた星々の下、抱き合う二人の青年の影が、暖かく甘美な夕闇に溶けていった。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。