比企谷八幡は城廻めぐりに癒される。 作:悪夢
「よいしょ、っと。じゃあ行ってくるね♪」
玄関先で小さく手を振るめぐり先輩。
コートの下は薄緑のカクテルドレスを纏っており、普段より少し濃いめのメイクも施してある。
とはいえ、ママ曰く元々美人なので同業者の中ではかなり化粧が薄い方とのことだ。
「いってらっしゃい、お気を付けて。俺も後で遊びに行きますね」
「あ、本当に!?えへへ...ありがと♡」
ふんにゃりと愛らしい笑顔を向けてくれるめぐり先輩。
「はい。ピークが過ぎた頃に行きますね」
21時を過ぎると客足が疎らになるらしい。スナックなのに不思議なモノだ。
「そんなの気にしなくて良いのに。あ、でも...ふふふっ♡」
めぐり先輩はほんのりと頬を染めながら続けた。
「めぐり先輩?」
「あ、ううん。お客さんが少ない時間の方が...その、比企谷くんとおしゃべり出来るな~って思って...♡」
嬉しい限りだが、勤務態度としては少し不真面目かもしれない。
「お仕事中なんですからおしゃべりばかりしていると怒られますよ」
「おしゃべりもお仕事のうちですから」
ふふんと腰に手を当てるめぐり先輩。
「...それもそうですね」
そういえばめぐり先輩の職場は定食屋さんではなくスナックだった。
「ふふふっ...冗談だよ。いくら大好きな比企谷くんとはいえ、ずっとおしゃべりしちゃだめだよね」
さらりと"大好き"という言葉を織り込ませてくるあたり...めぐり先輩はずるい。
「そう、ですね」
そのせいでぎこちない返事になってしまった。
「比企谷くん?」
小首をかしげているめぐり先輩。
「いえ、なんでもない、です...」
赤らんでしまった頬を隠すように顔を逸らせた。
「...♡」
それに気づかれたのかどうか分からないが、めぐり先輩は静かに近寄って来た。
「...?」
手を伸ばさずとも触れ合える距離。そこにめぐり先輩の気配を感じたので、俺は顔を上げた。
「比企谷くん...♡」
潤んだ瞳のめぐり先輩。
「めぐり先輩...んっ...」
「んっ...えへへ♡今はこれで我慢するね...♡」
触れ合うだけの軽いキス。
少し頬が赤いめぐり先輩は、軽やかな足取りで玄関へと駆けてゆく。
「それじゃあ...今度こそ。行ってきます、比企谷くん...♡」
「はい。いってらっしゃい、めぐり先輩」
こうして、笑顔で手を振るめぐり先輩を見送ったのだった。
「...」
パタンと玄関ドアが閉まるまで手を振っていた。
「さて...」
まだ夕方だ。この後はどうしようか。
やらなければならない事といえば...激しいセックスの後片付けだ。身体の方はシャワーを浴びたので済んでいるのだが、ベッドは乱れたままだ。
「あー...」
シーツは乱れ、枕カバーも含めてそこかしこに体液が飛び散った痕が付着している。
枕カバーの唾液は...めぐり先輩がバックで突かれながら零した唾液だ。シーツに飛び散る飛沫は...正常位でめぐり先輩と交わった際と、めぐり先輩が興奮して俺に跨って腰を振っていた際に飛び散ったモノだろうか。
「...」
その一つ一つを思い出す度に、散々搾り取られたはずの愚息に血が集まってしまう。
「...洗うか」
煩悩を振り払い、次の行動に移る。
まずは...シーツを交換しよう。今夜もめぐり先輩は泊まる予定だ。
「ふぅ...」
それにしても...案外めぐり先輩は体力が有ると思う。
先ほどのセックスにて、俺はフラフラになるほど搾り取られたのだというのに、めぐり先輩の足取りは軽く、消耗している様子は無かった。
正直に言うと、彼女に運動が得意なイメージがあまり無かったのだが...立ち仕事を続けているお陰で体力が付いたのだろうか?
そのような事を考えながら、俺は洗濯機にシーツや他の衣類を放り込んでいたのだが―――
「あ...」
...洗剤が切れてしまった。
今回の分は足りたのだが、このままでは次回が足りない。
こんな時の為に...と、普段はストックを用意しているのだが、運が悪いことにストックも切らしている。
「買いに行くか...」
寝室に戻り、一応は外に出れる服装に着替えた。
そして、スマートフォンと一緒に放置されていた車のキーを手に取り、エコバッグを持って部屋を後にした。
「寒っ...」
玄関ドアを開けた途端、まだまだ冷たい冬の名残が頬を撫でる。
めぐり先輩は大丈夫だろうか?
厚手のコートを着ているとはいえ、あの下はドレスしか着ていない。普通はお店で着替えるとのことだが、今回はたまたまドレスを全てクリーニングに出してしまったらしい。なので、今日は家に置いていたドレスを着て出勤だそうだ。
車で送ろうかと提案はしたのだが、近いから大丈夫だと断られてしまった。...まあ、実際のところ本当に近いのでその通りだ。道が狭く、一方通行の道路も多いので、自動車では逆に時間がかかってしまうのかもしれない。
「さて...」
駐車場に続く扉を開き、奥の方へと歩む。
このマンションには、課長クラスの社員や単身赴任の部長クラスの社員も住んでおり、駐車場に停まる車はそこそこの高級車も並んでいる。
俺の車も一応輸入車だが、それほど高級車というわけではない。何となく、デザインと内装が気に入って中古で購入したフォルクスワーゲンのパサートヴァリアント。グレードは2000ccディーゼルターボのTDIハイラインだ。
「...行くか」
エンジンをかけ、駐車場を出る。
そのまま、俺は郊外のディスカウントストアへと向かったのだった。
――――――――――――――――――――――――
買い物も済ませ、なんだかんだと家事を済ませていたらあっという間に日が暮れていた。
「そろそろ行くか...」
外は寒い。歩いた方が近い距離にあるめぐり先輩の職場だけれど、何時間も立ち仕事をしていた恋人を労わりたいので車で迎えに行くことにしよう。
普段着より少し上等な服を身に纏い、車の鍵を手に取った。
「...」
靴箱を開き、その場で考え込む。
癖で普段履きのスニーカーを手に取っていたのだが、折角ならば少し良い靴にしようか。
スニーカーを定位置に仕舞い込み、上段に並べてある革靴に手に取った。
少し無理して購入したアメリカ製の革靴だ。
「...よし」
玄関の姿見で身だしなみを確認して扉を開く。すると、気圧差により冷たい夜風が吹き込んできた。
...車で正解だな、これは。
昼間の暖かい気候がまるで嘘のように、夜の帳が下りてしまえばまだまだ冬の匂いが残っている。つい先程まで聞こえてた春の足音が遠ざかってしまうようだ。
俺は小走りで車まで駆けて行き、直ぐにエンジンをかけた。そして、エンジンの回転数が落ち着いたことを確認し、ゆっくりと発進する。
「さて...」
一方通行の路地を回避し、めぐり先輩のお店を目指す。
一度、表の県道に出た後にぐるりと周回した後にようやく近づく事が出来る。...比較的古い住宅街の中に位置しているおかげで随分と回り道になってしまった。
「コインパーキングは...あったあった」
お店のすぐ近くにコインパーキングに入り、左側が壁に面している位置に駐車した。...これなら助手席から乗りやすいだろう。
ここ数日で何度か足を運んでいるので常連さんともすっかり顔なじみになっている。ちなみに、俺の予想通り年配のお客さんが多い印象だ。
「こんばんは」
「お?比企谷くん、いらっしゃい」
顔なじみのキャストさんが迎え入れてくれた。
時間はこの店のピークを過ぎた21時。常連の爺様方は帰り始める頃だ。
この時間帯は仕事帰りのサラリーマンが多い。ちなみに、このお店はなんとウチの事業所の所長や部長も常連だった。
めぐり先輩は...接客中のようだ。
「...!...♪」
しかし、俺には気が付いたらしく、満面の笑みで小さく手を振ってくれた。...可愛い。
「お?比企谷じゃないか」
めぐり先輩に気を取られていると、カウンターに座っていた男性から声をかけられた。
「お疲れ様です、部長」
その人物は会社の上司...先述した事業所の営業部長だ。
土曜日だというのにスーツ姿ということは―――
「休日出勤ですか?」
「ああ。市内の工事部会の会合でな。今回は二次会が無かったから一人で飲んでたんだ」
部長の隣に腰掛けた。...偉くなっても大変なんだな。
「工事部会...市内の協力会ですか。それにしても土曜日に会合ですか...」
「まあ、建設業ではよくあることさ」
俺もそのうち行くことになるのだろうか...イヤだな。
「おや?比企谷くんじゃない。いらっしゃい」
奥で料理を作っていたママが出迎えてくれた。
「こんばんは」
「何か飲むかい?それとも何か食べる?」
今日は酒が飲めないから...
「それなら...カレーセットでお願いします。飲み物はジンジャーエールで」
「はいよ。ちょっと待ってね」
オーダーされた料理を運び、再び厨房へ戻るママ。今日はめぐり先輩以外にも何人か出勤しており、土曜日の夜ということもあるので少し忙しそうだ。
「なんだ比企谷、飲まないのか?」
不思議そうな顔で尋ねられた。
「今日は車なんですよ」
「お前...ここは定食屋じゃないんだぞ?」
まあ...その通りではあるけれど。
「その通りなんですけど、今日は飲みに来たというより―――」
「比企谷くん♪」
カウンターの前に現れたのは、ライトグリーンのドレスを纏った天使だった。
「こんばんは、めぐ―――メグさん」
一応仕事中なので呼び方を改めた。
「こんばんは、石田さん、比企谷くん」
石田さんというのは部長のことだ。
「こんばんは、メグちゃん。比企谷も知ってるんだな」
「ええ」
さて...どうするべきか。事細かに説明するのはまずい。
「えへへ~実は比企谷くんは高校と大学の後輩なんですよ~」
緩みきった笑顔でめぐり先輩が説明してくれた。
...俺もその説明で通すか。昔馴染みといえば親しくしていても違和感が無いだろう。
「お?そうなのか。ということは、メグちゃんも千葉なんだ?」
「そうですよ~」
愛らしい笑顔で応対するめぐり先輩。
「なるほどな~。それにしても凄い偶然だね。東京ならまだしも、こんなに離れた町で再会するなんて」
「えへへ...運命ですよね...♡」
蕩け切った笑顔のめぐり先輩だった。...感情が全然隠せていませんよ。
「お、俺も驚きましたよ。すごい偶然ですよね」
「いやいや~これは運命かもしれないぞ~?」
何を乙女チックな事を言ってるんだこのオッサン...確かにその通りだけど。
「そ、そうかもしれませんね」
「えへへ...♡」
ほんのりと頬を赤く染め、甘く蕩けた笑顔を浮かべているめぐり先輩だった。
...感情が駄々洩れですよ、めぐり先輩。
「ひょっとして...この後はメグちゃんとアフターか?」
にやにやと笑みを浮かべた部長に肘で小突かれてしまった。
「まあ、そんなところです」
軽い冗談のつもりで部長はからかっていたのだろうが、本当にその通りなので仕方ない。
「おお...本当に行くのか」
「もう...比企谷くんってば...♡」
ほんのりと頬を染めているめぐり先輩。
「まあ、冗談はさておき...」
...という事にしておこう。大声で堂々とナンパする男とは思われたくない。
「なんだ冗談か...」
なんで残念そうなんですか部長。
「むぅ...」
なんで不機嫌そうなんですかめぐり先輩。
「メグちゃん、ちょっとお願いできる?」
他のお姉様に呼ばれためぐり先輩。どうやら今夜は忙しそうだ。
「あ、はーい。じゃあ、比企谷くん、石田さん、ゆっくりしていって下さいね♪」
フリフリと手を振りながらバックヤードへと姿を消した。
...今日はどうにも忙しそうだ。
「今日は珍しいな。ここはこの時間だと静かなんだけどな」
「確かにそうですね」
恐らく、先ほど入店してきた若者の集団だろう。
随分若いな...私服なので大学生だろうか?
「まあ、繁盛してくれるのは嬉しいんだけどねぇ。はい、カレーセットお待ち」
気が付けばママが裏から戻っていた。
「ありがとうごさいます」
ジンジャーエールとサラダとカレーライス。
欧風カレーの豊潤な香りが食欲を刺激している。
「それもそうだね。ママにはまだまだ頑張ってほしいから」
「石田さんも頑張って働いてもっと高い酒を頼んでおくれよ」
軽口を言い合う部長とママ。聞けばそれなりに長い付き合いらしい。
「部長はいつ頃からこのお店に通っているんですか?」
尋ねながらカレーを口に運ぶ。...うん、美味い。コクのあるポークソースにピリリとスパイスが効いている。
「そうだなぁ...最初に今の事業所に配属された頃だから...もう20年以上前だな」
そういえば、部長はこの事業所から本社に転属の後に、再び昇進して今の事業所に戻ってきたという経歴なのだ。
「昔のママはめちゃくちゃ美人でなぁ。当時の所長だった常務に連れられて何度も通ったもんだよ」
本社の山本常務という人物だ。今でもたまに事業所の視察に来たついでにこのお店に寄っているのだろう。
「...昔だけ?」
悪戯っぽく笑うママ。
...確かに。今でも綺麗な人なので昔は本当に美人だったのだろう。
「はははっ。ママは今でも綺麗だよ」
「ふふっ。分かればいいのよ。じゃあ、二人ともゆっくりしてね」
ママも裏に戻ってしまった。
「ふぅ...」
一息吐いてグラスを傾ける部長。グラスの中身では琥珀色のウイスキーに透明なロックアイスが浮かんでいる。
「部長はお酒強いですよね」
「まあな。俺もそれなりに飲める方だが...実は所長の方が強いんだぞ?」
「あー...確かに」
事業所内の飲み会でも、所長が日本酒の一升瓶を空ける姿を目にしたことがある。
「まあ、最近は健康に気を使って量を控えているが、本当は―――」
―――と言いかけたところで、部長の声は大学生グループの大きな声にかき消されてしまった。
「...元気が良いですね」
俺とは無縁な世界だ。邪見にするほどのことではないが、あの勢いには圧倒されてしまう。
「まあ、若者はあれくらい威勢が良くても良いんじゃないか?」
威勢が良いのは結構な事なのだが、気になるのはめぐり先輩だ。
めぐり先輩はどちらかというと陽キャよりだと思っていたのだが、大学時代に本人が騒がしいのは苦手だと話していた。
「あははっ」
大丈夫だろうか...とは思っていたのだが、さすがはプロ。めぐり先輩は若者たちと上手く調子を合わせていた。
「それにしても...メグちゃんはやっぱり若かったな...」
部長がぼそりと呟いた。
「もっと年上だと思っていたんですか?」
「まあな。この店は客の年齢層が高めだからキャストさんも...な?」
それ以上は言えないのだろう。...確かに、他のお姉さま方はめぐり先輩より年上だとは聞いた。
「比企谷の先輩ってことは、1つか2つくらいの年の差だろ?」
「はい。1つ年上ですね」
だよなぁ...と部長は返事をした。
「年齢は聞かなかったんだけど、可愛らしい容姿なのにえらく影のある表情を浮かべている事が多いから気になっていたんだ」
それは...
「でも、最近は凄く可愛い笑顔を見せてくれるから...ちょっと安心したんだ。親心みたいなモノだな」
そういえば...部長は高校生になる娘さんが居ると聞いた。
少し年は違うが娘に接するような気持ちになるのだろう。
「...良い事があったのかもしれませんね」
自然と頬が緩んでしまった。...多少なりともめぐり先輩の心の支えになれていることが嬉しいのだ。
「...比企谷」
「はい?」
部長が真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「...まあ、お前なら大丈夫か」
「...」
この人の瞳には...全てを見透かされている気がする。
「一度決めたのなら...覚悟を決めろよ、男なら」
「...はい」
真剣な表情だ。...多分、この人は俺とめぐり先輩の関係に気が付いたのだろう。
「よし。今日は俺の奢りだ。だから呑め...ないか。まあいい」
そして、部長はママを呼んでお会計をしようとした。
...その時だった。
「ねぇ、メグちゃん。シフト何時に終わるの?」
「奢るからさ。一緒に飲みにいこーよ!」
めぐり先輩がナンパされている。
「あー...」
困り顔のめぐり先輩。
「はぁ...全く」
ママもあきれ顔だ。
...ここは任せた方が良いのだろうか?
ママがカウンターから出ていこうとしたその時―――
「ねえ、メグちゃーん」
一人の男がめぐり先輩の手を引いた。
「きゃっ!?」
バランスを崩しそうになるめぐり先輩。
「っ...!」
気が付けば俺の身体が動いていた。
数メートルの距離を一瞬で駆け抜け、倒れそうになっていた細い身体を抱き寄せる。
「...おい」
腕の中にめぐり先輩を抱き、若い男を睨みつけた。
「な、なんだよ...」
怯む男。
「ひ、比企谷くん...」
さて...咄嗟にめぐり先輩を抱きとめてしまったのだが、何も考えていなかった。
「...お兄さんたち、いい加減にしないと出禁だよ」
ドスの効いたママの声。
その迫力に心が折れたのか、若者たちはそそくさと会計を済ませて店を後にしたのだった。
「ふぅ...全く。元気が良いのは結構なことなんだけどねぇ...」
やれやれとため息を吐くママ。
「それと...」
にやりと笑い、ママの視線が俺たちに向けられた。
「?」
その意図が分からず、ただただ首を傾げていた。
「比企谷くん、ウチはお触り禁止だよ♪」
「...あっ」
そういうことか。
「ひ、比企谷くん...」
腕の中に視線を向けると、頬を真っ赤に染めた恋人がこちらを見つめていた。
「ご、ごめんなさい」
慌てて手放すような事はせず、めぐり先輩の腰を支えながら立たせた。
「大丈夫ですか?怪我はしていませんか?」
少し潤んだ瞳を見つめながら尋ねる。
「だ、だ、大丈夫...だよっ...!」
...しどろもどろになっているのは寧ろ彼女の方であった。
赤面して慌てふためいている様は何とも愛らしいモノだ。
「それなら安心しました」
「う、うん...ありがと、比企谷くん...♡」
とびきり甘ったるい声で返事をするめぐり先輩。
「いえいえ」
「そ、それじゃあ...し、仕事に戻るねっ」
顔を赤くしたまま、めぐり先輩はバックヤードに戻るのであった。
...その後、部長やママから散々からかわれたのは言うまでもないだろう。