XXY(ダブルエックス・ワイ)~ フロルは悪質ないたずらと手違いのため大量の男性ホルモンを投与され、身体が変化して行く 作:浦辺 玲
2022年の秋ごろ、職場に当事者がいた事からLGBTQについて知りたいと思い、本を20冊以上読み、動画やウェブサイトも見ました。ですが私は戸籍も心も女性で何も疑問も持たずに男性と結婚した性的マジョリティのノンケです。今ひとつ迫れないと感じていました。
そのときふと思ったのが、このギャップをイマジネーションで近づけないか、超えられないかという事です。それではどんなイマジネーションで迫ろうか。そう思った時に私の心に飛び込んで来たのがフロルでした。元々SF好きでフロルの未分化の両性種という設定も面白いと思っていました。そんな訳でこのXXYは作者がLGBTQを理解するための実験小説として書き始めたものです。
まだ第1回分ではLGBTQ要素は出てきませんが、どうぞ読み進めていただきたいと思います。
また挿絵は画像生成AIソフト(主にBing Microsoft Image CreatorとLeonardo AI)を使ってできた画像を必要に応じてさらに画像ソフトで編集してアップしています。
第1章
秋の日差しが木立に囲まれた大きな図書館の建物に降り注いでいた。中に入ると天井の高い広い部屋に床から天井までびっしりと本が並びあたりはしんと静まりかえっていた。
1人の学生が机に向かって、今ではいささか珍しい存在となった古い大きな紙の本を読んでいた。大学の図書館では古い紙の本は全て保護処理を施して紙が破れたり黄変したり、また本自体が破損しないように処理して貸し出している。そのため学生達は古い貴重な本であっても気軽に手に取って読むことができた。その大判の本のタイトルは「両性種大全」と見て取れた。
1.両性種の定義
両性種の成り立ちは4.で説明するように大きくわけて3つの種類があるとされる。しかしその全てに共通するのは性染色体で、以下の3つの種類の両性種はその性染色体としてXXYを有する。よって性染色体としてXXYを有する個体が両性種であると定義して構わないだろう。
2. 両性種の発生
これに関しては、その惑星で発生した生物が両性種であるケースもあるが、新しく惑星開発が行われた際に、放射能その他の原因で生殖が著しく困難な状況にあった場合、種の保存のために人工的に遺伝子操作によって作られたケースもあり、後者がかなりの割合を占めると言われている。
テラ系発祥の地である地球テラ、サバ系発祥の惑星サバ・モテラ、セグル系の元となった惑星セグルド、さらにロタ系の起源と言われているロタ・イル・アムドなど、これら原始4惑星と呼ばれる4つの惑星に共通するのは、濃厚な大気と強力な磁場である。これらがそれぞれの太陽からの宇宙線や放射線を遮る事により、4惑星では生命の発生を見る事ができたのである。
しかしそれぞれの惑星で文明を持ち、人々が他の惑星に移住を始めた時、原始4惑星のような濃厚な大気や強力な磁場に恵まれた惑星はごく限られていた。むしろ放射線や宇宙線にさらされる惑星の方が多かったのである。
そのような惑星ではすぐに放射線の影響で出生率は低迷し、人々は存続の危機にさらされた。放射線によって一番ダメージを受けたのは卵子である。精子と異なり胎児の時期に作られる卵母細胞は、このような惑星では、女性が妊娠する時期までには大量の放射線にさらされて殆どが卵子になれず、その機能を失ってしまった。
そのため一部の惑星では、女の子を生まれた時からずっと地下の洞窟で過ごさせる事もあった。しかしこの方法はあまりに人権剥奪であり健康被害も引き起こしたため広がらなかった。
その代わりにいくつかの惑星で開発されたのが、遺伝子操作により、女性が卵子ができあがる前の胎児の状態を体内に保ったまま成長する方法であった。具体的には人類には胎児の時のみ見られるミュラー管、ウォルフ管を変化させずに体内に保ち、結婚妊娠を目前に控えた年齢になって人為的あるいは自然に女性(または男性)に変化し、その時点で卵巣(または精巣)を獲得し、卵子(または精子)を作り出す方法である。これは放射線による卵子のダメージを劇的に減らし、種の保存を成功に導いた。
また周期型の惑星では、住民は通常は両方の生殖器を内住しながらも無性状態であり、生殖期間に入ると片方が機能を始めて卵子または精子を作り始める。
このような人工的な種の保存を実行した惑星はかなりの割合を占めると言われている。
しかしそのような惑星では生き延びるのが非常に困難な状況が多かったため、多くの惑星で──特に歴史の古い惑星では──その成り立ちの記録は残っていない。はっきりと人工的な遺伝子操作が原因と残っている星はわずかしかないが、残りの星も住民が生き延びる事が最優先で記録の保持は後回しにされたため、記録がないだけで似たような経緯をたどった物と推測されている。
……
3. 両性種の人口
両性種の人口の規模は全銀河の総人口の0.0001%以下と言われる。また主に辺境の星々で見られ主要3星系の中心部では殆ど見られない。そのため正確な総人口を得るのが難しい。
……
4.両性種の種類
両性種はその形態から次の3つに分類される。
なお個々の惑星については後述するので該当ページを参照のこと。
(1) 分化型
このタイプの両性種は未分化の状態で生まれ、星系によって差はあるが主に思春期に男性か女性に分化する。分化後は単性種と思考機能などほぼ同じとみられる。両性種全体の中で最も多い。
該当惑星:アイメア、ヴィヌドー、ヴェネ、エイレプトール、ノルサイラ、プレスネリス、ロミノリエ
(2) 周期変化型
通常は無性状態で周期的あるいは不定期にある一定の時期のみ男性または女性に分化する。性別はその時にランダムに現れる種族と決まっている種族とがある。
該当惑星:ヴューレン、エルドリン、ゲセン、ドルトリス、
(3) 完全型 一生涯を通じて男性女性両方の機能を有する種族。非常に少ない。
該当惑星:ヴィリオン
……
5. 両性種の生殖
両性種の性染色体XXYは減数分裂でXとXYとに分かれる。そのため両性種同志の交配では必ずXXYとなり両性種の子供が生まれる。(両性種同志の交配では常に染色体が47本になるよう受精するため、XXやXXYYは着床しない)
また男性(XY)との交配では子供は男性(XY),女性(XX),両性種(XXY)が可能。(XYYは着床しないため発生しない)
それに対し女性(XX)との交配では子供は女性(XX),両性種(XXY)のみである。
学生はパタンとページを飛ばして別のところを開けて読んだ。
3)ヴェネ
星域はE-704領域。星域から考えてサバ系の古い入植者が種族保持のため遺伝子操作で両性種を産み出し、その後記録が失われたとする説があるが(イスタハドなど)根拠に乏しい。
種類としては分化型の両性種の星であるが、変化する時期は主に地球標準年に換算して18歳~21歳と最も遅い部類に属する。平均変化時期は19.6歳である。
分化型であり、単性人類には胎児の時のみ見られるウォルフ管、ミュラー管を変化の時期まで両方体内に保つ。ヴェネ星人は変化の時期、両方の器官が同時に成長変化し、完全に変化する前の一定期間、未分化の精巣と卵巣およびその他の男性器官と女性器官とを体内に併せ持つ。
またヴェネで特筆すべきはその男女比と体制であろう。性ホルモンが安定して生産できるようになったおよそ150年前、時の為政者が男性は長子のみで、次子以下は女性と定め、その規則が今でも続いている。そのためヴェネでの男女比はおよそ1:4,5で今でも大きな変化は見られない。このような人口体系は分化型でも他の星では見られない。
陽が傾いてきた。タダは本を閉じ、机の隅にあるスキャナを取って本にかざした。ピッという音がして「貸し出し手続き終了」という表示が出た。
タダはその大きな「両性種大全」を両手に持つとふっとため息をついた。先日ヌーと交わした会話が思い出されたからだ。
「タダ、フロルの事で少しお話ししたい事があるんですが」ヌーはいつもの静かな口調で話しかけた。
「ああ、何?」
ヌーはためらった。彼にしては珍しい事だった。
「あなたがフロルを真剣に愛しているのはよくわかるんですが」
「うん?」
「あなたは両性種じゃないから仕方ないのかもしれませんが」
「なんだい?」
「あなたはフロルをまるで女性のように扱っていますね」
「え? そう? いや、僕自身はいまだにフロルには驚かされる事ばかりなんだけど」
「非難してる訳じゃないんです。私もあなた達2人がうまくいってほしい。そのためには何でも協力したいです。でも私の目から見るとあなたは未分化のフロルと女性のように付き合っていますね」
「うーん、僕もフロルをなるべくあいつのあるがままで受け入れたいと思っているんだけど」
「余計なことを言ったのかも知れません。でも嫌な予感がするんです。フロルを見ていると無意識のうちに女性になろうとしているような気がするんです。まだ未分化なのに。私にもどうすれば良いのかよくわからないんですが」
それでタダは両性種について自分できちんと学んでみようと思ったのだ。しかし分厚いその本もフロル個人をどう扱えば良いのかについては教えてくれなかった。タダはその大きな本をバックパックに入れると立ち上がって図書館を後にした。
第2章
その日も、大学ではいつも通りに忙しい日々が続いていた。授業があり、学生たちはその合間に友人たちとおしゃべりや議論を楽しんだりしていた。宇宙大学は、教授たちが学生達を食事に招いたり、お茶をしたりしながら授業について話したり、自由な討論の場を提供してくれることが多い。また、授業のレポートも頻繁に要求されるため、学生たちは工夫をしながらスケジュールを調整し、刺激的で充実した日々を過ごしていた。
ある日2人は一緒に大学構内のカフェで昼食を取っていた。
翌日のスケジュールをチェックして、今度ショッピングモールのケーキ屋の新作ケーキを食べたい、とかどこかに紅葉を見に行こうとかたわいもない会話が続いた。
「早いもんだね。もう少しすると次の新入生が入って来るんだから」
「ああ、早いね」
フロルはジュースを飲みながらふとぽつんと言った。
「なあ、オレって本当にレンアイしてるのかなあ」
タダは吹き出しかけたが、フロルの真面目な表情を見てなんとか抑えて真面目な顔で答えた。
「うーん、君はまだ未分化だから恋愛はしてないと思うよ」そしてタダはフロルを見つめて言った。
「手を出して」
そして素直に出されたフロルの左手にそっと自分の手を重ねた。
「君の意識に触れるよ、いい?」
「ん」フロルはジュースのストローをくわえたまま素直にうなずいた。
他人の意識を読み取る時は必ず相手の了承を得なければならない。同意を得ずに意識に触れる事は犯罪だと超能力セクションで繰り返し教えられていた。
意識を集中してフロルの意識に触れフロルの感情を読み取ってタダははっとした。そこでタダが見た物は未分化のため性愛を全く伴わない純粋な愛情だった。強いて言えば子供が母親に対して抱くような混じりけなしの絶対的な信頼。そして逆に母親が子供に抱くようなまるで算段なしの無私の愛情だった。
──はたして僕はこんな純粋な愛情を受けるに値する存在だろうか。
タダが黙って想いにふけっているとフロルがストローから口を離して聞いた。
「タダ、どしたの?」
「あ、いや」タダは我に返り微笑んでフロルを見た。
「君が恋愛してるかどうか、よくわからないけど……」そして手を握った。「僕は君と一緒にいると楽しいよ。それで十分じゃない?」
フロルはそれを聞いてにっこりした。「うん、オレもおまえといると楽しい」
タダは思わずフロルの頬に手をあてるとテーブル越しに身を乗り出してキスをした。
周りの学生達はこのような風景には慣れっこで、別に何の反応も示さなかったが、その時タダは何か視線を感じた。振り向くとちょった離れたところに見知らぬ学生が1人タダとフロルを見つめて立っていた。
タダは立ち上がると「タダ、どうしたの?」と首を傾げて言うフロルを尻目にその学生に近づいて行った。
「やあ、僕かフロルに何か用?」つとめて明るく聞く。
「あ、ああ、あの……」その学生は顔を赤らめて口ごもった。
「とりあえずこちらに来て座らないかい?」
タダとフロルと同じテーブルにつくと学生は話し始めた。
「あ、あの、僕はロンド・キルヤ・ユルダリン。芸術学部で油絵を専攻しています。……ミドルネームでキリーと呼んでください」
「僕はタダ。こちらは僕の婚約者のフロル。僕たちはパイロットコース専攻だ」
キリーは婚約者という言葉にはまるで反応はしなかった。
「え、芸術学部なんてこの大学にあったっけ?」とフロル。
「併設の芸術大学があるんだよ」とタダ。「で、僕たちに何か用?」
「あ、はい、実は一カ月後に芸大の学生作品展があるので何を描こうかと考えていたんですが、先ほどこちらのフロルさんを見ていて……」
「フロルでいいよ」とフロル。
「あの、絵のモデルになってくれませんか?」
「え? モデル? オレを描くの?」フロルは驚いて言った。
「フロルのどんなところを描きたいと思ったのかい? それから今までに君が描いた絵も見たいな」とタダも言った。
「あ、はい、お二人を見ていて、最初はフロルが女性だと思ったんですが、そのうちにわからなくなって……。うまく言えないんですが女性の中に男性もあるような……なんだかすごく不思議な人だと思って、ぜひ描いて見たい思ったんです」
「すごいな」タダはつぶやいた。「フロルは両性種なんだ。まだ未分化だから正確には男性女性どちらでもない」
「ああ、そうなんですか!」キリーも驚いていた。「そんな人がここの学生にいるとは!」
「あ、それから」と言ってキリーは折りたたみ式のタブレットを広げた。「これが僕が描いた絵です」
彼はスクリーンに次々と油絵の画像を表示した。
「風景画と静物画ばかりだね」タダが言った。
「はい、そうなんです。でも最近人物画にも挑戦したくなって今度の作品展に人物画を描きたいと思って色々考えていたところなんです」
「面白そう」フロルが言った。
「あの、こんなタブレットじゃ何ですから、よかったら芸大の僕のアトリエに絵を見に来ませんか? それを見てモデルになってくれるかどうか決めてもらえばいいですから」
「なるほど。ちょうど僕らは午後は空いているんだ。お邪魔しようか」
そのアトリエは天窓から程よい光が差し込む古びた静かなかなり大きな部屋だった。四方の壁にはキリーが今までに描いたらしい絵がところ狭しと立てかけてあった。タブレットで見せてもらったのと同じで風景画と静物画ばかりだ。
「ちょっと待っててください」キリーは言うと部屋を出て行った。しばらくして彼は白い大きな布を抱えて戻ってきた。
「これを羽織ってみてください」キリーはその布をフロルに差し出した。
「芸術学部はこういう共有の小物をいくつも持っているんです。それから……」キリーは手早く部屋の隅からソファーを運んで中央に置き、その横に高さが調節できる小さなテーブルを配置した。
「こちらに座って……このテーブルに身体をもたせかけてください」
フロルはソファに座り、上体を左側のテーブルにもたせかけて左腕をテーブルの上に伸ばしその上に頭を置いた。
「あの、髪に触れていいですか?」フロルはうなずいた。キリーはフロルの髪をかきあげテーブルと腕の上に広げた。白い布はきれいなドレープを作りフロルの華奢な身体の線がかすかに透けて見えた。
「わ、すばらしい!」キリーは興奮したようにしゃべり始めた。
「僕のイメージにぴったりだ。フロル! ぜひモデルになってください。きっといい絵が描ける気がします!」
そこまで言われるとフロルも悪い気はしなかった。問いかけるようにタダを見上げる。
「いいんじゃない?」タダも微笑んで言った。「絵のモデルになるなんてあまり経験できない事だよ」
キリーがフロルの正体を半ば見抜いた事で、タダの中に彼の審美眼への信頼ができていたし、先ほど読み取ったフロルの混じりけのない愛情に答えたくて、フロルが興味を持つなら何でも挑戦させてあげたかった。
「いいよ。……ただし、オレ、ヌードは絶対イヤだからね」
「もちろんです!」キリーは慌てて言った。「この白い布を着てモデルになってもらいます」
それでフロルは毎日授業後にキリーのアトリエで2時間ほどモデルをやることに決まった。
「それでは明日から来てください。服装はできれば半袖か袖無しでなるべく身体にぴったりした服装でお願いします。後はすべてこちらで用意します」
初日はタダも同行した。キリーはあれこれフロルに色々なポーズを取らせたが、結局最初のソファーにもたれるポーズに落ち着いた。フロルは半袖のぴったりした服の上にキリーが白い布でキトンのように作った服をふんわりと身につけていた。
「やっぱりこれで行きます」そしてさらに続けて言った。
「フロル、何か好きな人とか楽しかった事を思い浮かべてください。自然な笑顔が欲しいんです。目線は僕でなくずっと遠くを見てください」
そういうと彼は後は何も言わずに熱心にデッサンを始めた。完全に集中してタダの存在など全く忘れているようだった。フロルは何を考えているのだろうか、微かな穏やかな笑顔が浮かんだ。
──これなら大丈夫だな。
タダはそう思った。
2日後、フロルは部屋に来た時タダに言った。
「明日からアトリエじゃなくて大学の温室で絵を描くんだって」
「へえ、温室?」
「うん、今バラが満開でそこを背景にしたいんだって」
「ふうん」
絵は無事に進んでいるようだった。
ある日タダがサロンで1人タブレットを広げて授業の準備をしているとガンガが話しかけて来た。
「あれ、今日は1人かい? フロルはどうしたんだ?」
タダは経緯を話した。
「へえ、絵のモデルか」
「ああ、芸術学部の学生なんだが、初めて会った時にフロルを見て『女性の中に男性もある』と感じて不思議に思ったから描きたいんだって」
「確かにフロルはそんなもんだろうな。君もそう感じるかい?」
「そうだね。フロルと付き合っていて自分の常識が通用しない事はよくあるよ」
「ふうん」
「それにあいつはある点ではまるで子供だったりするけど、別の面では僕よりもずっと大人びていたりする。今でもびっくりする事はよくあるよ」
「認知にでこぼこがあるような物かい?」
「まあね。でもフロルからしたらそれが普通で、でこぼこしてるのは僕たちの方かもしれないよ」
「はは、なるほどね」
数日後、トトがメールを送ってきた。
「ご存じだと思いますが、フロルが大学の温室で絵のモデルになっています。すごくきれいですよ! 一度見に来ませんか?」
ここまで書かれると行かない訳にはいかない。タダは連絡を取り、次の日温室に向かった。
「やあ、トト」
声をかけると白衣を着たトトが振り返った。
「ああ、タダ、来てくれたんですね。フロルは6号温室にいます。一緒に行きましょう」そう言って先に立って歩き出した。
「6号温室は一部がバラ園になってるんです。今ちょうど満開ですよ」
温室は明るく暖かく静かだった。時々スプリンクラーが水を撒く音が遠くから聞こえる。バラの香りがだんだん強くなった。
バラ園の真ん中にちょっとしたスペースがありベンチが置いてあった。キリーはフロルをそこに座らせ、アトリエから持ってきたテーブルをベンチの高さに合わせて横に置き、フロルはテーブルの上に腕を広げてその上に頭をもたげて乗せていた。バラの花と緑の葉の中、白い布をまとったフロルは美しかった。温室のガラス越しの柔らかい光で金髪が輝いていた。タダとトトはキリーの邪魔にならないように遠回りしてキリーの後ろ側からそっと2人に近づいた。
「きれいですね!」トトがうっとりとした様子で言った。
「ああ」タダも文句なく同意した。
絵はさらに完成に近づいていた。キリーは背景のバラを描き込みながら時々はフロルに戻ってあちこち描き加えていた。フロルが2人に気づいてにっこりした。
第3章
さらに1週間ほどしたころ、フロルはモデルの役目が終わったと告げた。
「明日からはもう来なくていいって」
「絵は完成したのかい?」
「まだだけど、後は自分で仕上げをするって。で、モデル料の話になって、オレ、そんなの要らないって言ったら、すっごく申し訳なさそうにして、代わりにこの絵をあげるって言われた」フロルは大きな包みを見せた。それは作品展に出す絵よりは二回りほど小さかった。
「へえ」
「あの絵と同時進行で自分で描いてたんだって」
「どんな絵?」
「オレもまだ見てない」
「開けていい?」
「いいよ」
タダは包みを開け……その表情がたちまち険しくなった。
「フロル、なんだ、この絵は?」タダは怒りのこもった声で聞いた。
「え? 何?」フロルはのんびりとした声で近寄ってきた。
テーブルの上に置かれたその絵はキリーが作品展用に描いていたのと全く同じ構図で、ただフロルは裸体で描かれていた。
「フロル、君、ヌードになったのか?」
しかしフロルは一目見て言った。「あ、これ、オレじゃないよ……顔はオレだけど」
「君だろ!」
「だからオレ、ヌードなんかになってないって」
「じゃ、なんであいつはこんな絵を描いたんだよ!」
「知らないよ!」
「フロル、本当にヌードにはならなかったのか?」
「なってないよ」フロルは不意に泣き声になった。「どうして信じてくれないんだよ!」
そしてフロルは低い声で「わかったよ」と言うといきなりタダの目の前で服を脱ぎ始めた。
「フロル?」
フロルは手早く服を全部脱ぐと自分の胸を指さして言った。
「おまえ、自分の目で見比べてみろよ! オレ、まだ女性じゃないから胸なんかないよ!」
言われてタダははっとしてキリーの絵を見直した。確かにその絵のフロルは完全な女性として描かれていた。ふくよかな胸。くびれた腰。身体の柔らかな曲線。
「オレの裸を見ていい男はおまえだけだよ!」フロルは泣き声で言った。
確かに考えてみればキリーはずっと温室で絵を描いていたのだからフロルがヌードになる訳がなかった。
「……ごめん、フロル」
「わかったなら、いいよ」フロルは床に散らばった服を拾い集めた。
タダはフロルがまた服を着ようとして服を持ったその手に自分の手を添えて止めるとフロルの肩に手を置き裸体を見つめた。フロルは身の潔白を証明するために服を脱いだ訳だが、タダはフロルの裸体から目を離す事ができなくなっていた。
「君……きれいだ」タダはつぶやくように言った。そしてそばのソファーに掛けてあったカバーの布を取るとフロルの身体をそっと覆った。
「フロル、本当にごめん。君を疑って」
「もういいよ」
タダは布の上からフロルを抱きしめてキスをし、その後いきなりフロルを抱き上げた。
フロルは驚いた表情をしたが、何も言わずにおとなしく抱かれていた。タダはそのままフロルをベッドに連れて行った。
──僕は何をやってるんだろう。
一瞬たりともフロルを疑った事を謝りたかった。いや、そうじゃない。タダは思った。本当の事を言えばフロルの裸体が眩しいほど美しくてずっと見ていたかったからだ。
フロルをベッドにそっと寝かせると低い声で「いい?」とささやく。
フロルは一瞬目を見開いたが、そのまま小さくうなづいた。
自分もフロルの横に潜り込むとフロルが腕を回してきた。抱きしめて長めのキスをする。
もとよりフロルの身体はまだ未分化だ。できることは限られている。でも……。
フロルの肌はなめらかで柔らかかった。タダはまた唇を重ね、その唇は首筋から肩へ、そしてまだ平らな胸に移って行った。
ただ肌を触れあわせて抱きしめるしかできなかったが。
しばらくしてふうっと大きな息をついてフロルの横に身体を横たえると、フロルはタダの手を両手で包み込みながらのんびりとした口調で言った。
「タダ、オレさあ、おまえが好きだから、おまえがどこ触ってもどこにキスしても全然いやじゃない。本当だよ」
そしてフロルはタダの方を見て続けた。
「でもそれだけなんだ。女性になったらこういう時どんな感じがするんだろうって今ずっと考えてた」
タダはハッとしてフロルを見つめた。
──そうか。未分化というのはこういうことか。
──わかっていたのに。
「ねえ、タダ、おまえ、オレにすぐに女性になってほしい?」
「いや」タダはきっぱりと答えた。「最初に待つって約束したのは僕のほうだ」
そしてフロルの目をのぞき込んで続けた。
「でも……君はきれいでかわいくて僕は最高に幸せだった……」
フロルはそれを聞いて無邪気な笑顔を見せた。
「オレ……おまえが気持ちいいなら、それでいいや」
タダも苦笑した。
「さあ、今日はこのまま一緒に寝よう」
「裸で?」
「……うん。……だってこの方が暖かい……」
しばらくするとタダの腕の中で規則正しい寝息が聞こえてきた。
金髪をそっとなでると、タダも顔をよせて目を閉じた。
夜中にフロルはふと目を覚ました。タダの腕がまだフロルの背中にまわされ、フロルはタダに抱かれて眠っていた。夢を見たのかと思ったが何か違う。ぼんやりとしたイメージがまだ続いている。
──これ、タダの夢だ!
肌が触れ合っているのと、タダはフロルの思考に触れる事が度々あったため、テレパシーが効きやすくなっていて、無意識のうちに接触テレパシーが働いてしまい、タダの夢のイメージがフロルの心に入り込んでいた。
タダはフロルの夢を見ていた。夢の中でタダは完全な女性になったフロルを抱いていた。ふっくらとした胸、くびれた腰。白い肌。タダの手がその身体を愛撫する。
フロルの知らない感情がタダの心を占めていた。甘く激しい感覚が身体を貫き動悸が激しくなる。半分まどろみながらタダの呼吸が速くなった。フロルにはまだわからない幸せがタダの心の底に感じられた。
よくわからないけど素敵だな、とフロルは思った。タダはフロルの知らない世界を知っていて、フロルがいつか同じ世界を経験できる日を待っていてくれている。そう思うだけで幸せだったし、いつか女性になる日が楽しみだった。
フロルはタダの胸に顔を寄せるとそのまままた寝入っていった。
第4章
そして作品展の初日。トトからみんなで見に行こうと連絡があり、会場に行ってみると知り合いがほぼ全員そろっていた。
「なに、こんなに大勢で見に行くの?」タダはなかばあきれて言った。
「ああ、トトがあちこち声をかけたんだよ」とガンガ。「とてもきれいだから、絶対に見に行くべきだと言われたよ」
「ふうん」タダは胸中にもやもやするものを感じた。
トトの回りにいる見知らぬ学生達は植物科の学生達らしかった。彼らは絵が描かれるのをリアルタイムで見ていて完成した所を見に来たらしい。彼らの話を聞いていると、フロルの絵は彼らの間では有名になっていて、彼らは授業の合間に入れ替わり立ち替わりこっそりと温室に見に来ていたようだった。
作品展は芸大生の様々な作品が数多く並んでいた。大御所の作品のような貫禄はないものの、独創的な発想やアイデアで描かれたり作られたりした作品はどれも見ていて楽しい物ばかりだった。半ばを過ぎたところにフロルの絵があった。「花の神話」というタイトルをつけられたその絵は文句なしに美しく神秘的な雰囲気が漂っていた。絵の中のフロルは中性的で、それでもどこか女性的で、見方によっては男性的ですらあった。
——僕の知っているフロルと僕の知らないフロルとが描かれている。
タダはそう思った。そしてフロルの美しさを引き出すという自分にはできない技をやってのけたキリーに若干の嫉妬を覚えた。
——それでもあいつはこの絵を描きながら頭の中でフロルの服を脱がせてフロルの完全に女性になった身体を想像していたんだ。
それを考えると彼を許す気にはなれなかった。フロルはもう二度とあいつのモデルにはならないと言い切っていたが。
一通り見たところで一行はカフェに入りあれこれ感想を述べあった。多くの者がフロルが描かれた絵の出来栄えを口ぐちにほめた。その中でタダは何も言わずに複雑な表情でコーヒーを飲んでいたが、やがてコーヒーを飲み終わると立ち上がり、「じゃ、僕はこれで失礼するよ……。レポートを書かないといけないんでね」と言って出て行った。他の者は唖然としてタダを見送った。
「……ウソだろ?タダがレポートの締め切りに追われるなんて」アマゾンが不審そうに言った。
「何かあったのか?」ガンガが心配そうにフロルに聞いた。
「んー、やっぱり絵の事だと思う」
「絵?きれいだったじゃないか。どうして?」とチャコが首をかしげて言った。
「でも俺はわかる気がするな」ガンガが言った。「だってこの絵が出来上がるまでフロルは毎日キリーのところでモデルをやったんだろ?毎日数時間他の男が自分の婚約者をじろじろ見るんだよ。やっぱりイヤなものだと思うな」
「あ、違うよ。あの絵はいいんだ。実は絵は2枚あったんだ」とフロルは言い、2枚目の絵について話した。
「それはひどいな」聞いていた皆が眉をひそめた。
「それは約束違反だよ。最初にヌードにはならないっていう約束をしたんだから。で、タダは怒った訳か」
「うん、タダはオレが勝手にヌードになったと思い込んだんた。オレ、ならなかったって言ったけど信じてくれなくて。で服全部脱いで、見比べてみろ、オレは未分化だから胸なんかないって言ったらやっと納得してくれた」
「あー、わかったが、フロル、そういうプライベートな事は俺たち相手でもあまり言わない方がいいからな」ガンガがやんわりと言った。
「なんだよ、聞いてきたのはそっちじゃんか!」
「まあまあ。で、タダとは仲直りできたのか?」
「うん、その後、服を着ようとしたら、あいつ、それを止めてオレをそのままベッドに連れて行って……」
「わ、わかった、フロル!頼むからその先はもう言うな」ガンガが顔を赤らめてあわてて言った。
「フロル」アマゾンが声をかけた。「こんなところで油売ってないで早くタダのところに行ってやれよ」
「そうそう、それがいい」とチャコ。
「まあ、タダのやつはおまえにメタメタに惚れてんだから、甘えればいいさ」とアマゾン。
「甘えるって、どうすんだよ?」とフロル。
「……おい、そこまで俺に言わせるか!……今からタダの部屋に行ってヤツに抱きついてキスすればいいの!で、そのあとはタダに任せればいい」アマゾンが答えた。
「わかった。じゃ、オレ、行ってくるよ」フロルはすぐに立ち上がった。
「あ、フロル、抱きつく時に『アマゾンに言われたから』とか絶対に言うなよ!」ガンガが言った。
「うん、わかった」と言ってフロルは出て行った。
「ガンガ、ナイスフォロー!確かにあいつ、なんでも喋りかねん」
ガンガも苦笑した。「すごく無邪気で素直なのはわかるんだが……。タダも色々大変だろうな」
「ああ……でもあいつらは絶対にうまくいってほしいな。なんて言うかさ、俺たちはみんな、あの最終試験で出会って、あの2人はあそこで婚約しただろ?なんかさ、あいつらって俺達の大学生活の象徴みたいな気がするんだよ」アマゾンがしみじみと言った。
「大丈夫だよ、タダなら」ガンガも微笑んで言った。
その頃タダは自分の部屋でテーブルの上に2枚目の絵を広げていた。手にナイフを持っている。振り上げて切り裂こうとしたが躊躇した。彼はふうっとため息をつくと絵をまた紙の包みに入れ、ロッカーの一番上に投げ込むとそれっきりその存在を忘れてしまった。
後書き
タイトルの「XXY」について
第1章の本の中で、両性種の性染色体がXXYであるという設定が出てきます。が実は性染色体がXXYというのは染色体異常で「クラインフェルター症候群」という実際に存在する病気で指定難病にもなっています。設定を作って書き出した後に色々調べていてわかって来ました。
なぜ両性種という架空の人種の性染色体をXXYなんかにしたかというと、減数分裂でX-XYと分裂すると考えると、男性(XY)との交配で男性(XY)、女性(XX)、両性種(XXY)が可能なんですね。つまり3種類産み分け可能なんです。単にそれだけの理由です。
本当に機械的にあれこれ考えて作り上げただけで他意はありません。もし当事者の方で傷ついたという方がいらっしゃったら申し訳なく思いますが、上に書いたように本当に他意はないのでご了解ください。