XXY(ダブルエックス・ワイ)~ フロルは悪質ないたずらと手違いのため大量の男性ホルモンを投与され、身体が変化して行く 作:浦辺 玲
フロルはアリスンを見かけるが、そのとたんに今まででは考えられないような強い衝動を感じて、抵抗することができなくなってしまった。そして…。
第19章
フロルはどこへ行くべきかまるで思いつかず、かといってタダが来て鉢合わせするかもしれない自分の部屋にも戻りたくなく、ジムの横の更衣室へ入っていった。
シャワールームの1つに入り服を脱いで鏡を見る。まだ目に見える変化はなかった。しかし…外部が変化するのは一番後だ。ふと下腹部に手をやり、その部分が熱を持っているのに気づく。
――え?
故郷の星から女性ホルモンを貰ってきた時から、タダに言われて時々は体温を測るようにしていた。変化する前には体温はだいたい4度ぐらいあがる。しかしフロルの体温は3ヶ月ほど前から2度ほど上がって、そろそろかと思ったが、体温の上昇はそこで止まってしまった。妙だな。まだなんだな、とフロルは勝手に思っていた。フロルはヴェネと宇宙大学とでは温度、重力、気圧などがすべて異なっていることを考えていなかった。
――この内部で変化がもう起こっているんだ。だとしたらどっちに?
あのアルバイトに行った晩、自分は男性ホルモンを100g注射された。タダが病院に連れて行って投与された薬は両性種にはあまり効かないとわかった。だからタダと病院に行って女性ホルモンを注射された。なのにオレの身体で男性ホルモンが増えていっている。
自分で自分の身体がわからない。オレ、どうなっていくんだろう。
フロルは息を深く吸い込むと自分の右手をそっと自分のプライベートゾーンに伸ばした。と、指が今まではなかった小さな突起に触れた。
「え?」恐怖と嫌悪感がフロルを襲った。
——そんな!
「嫌だ、嫌だ、嫌だ!」フロルは自分の胸を自分で抱きしめてうめいた。幸いシャワールームには他に誰もおらず、フロルのうめき声を聞いて不審に思う人物はいなかった。
もう手遅れなんだろうか。フロルは自分で自分の身体を抱きしめた。タダが…一度一緒に寝た事があった。フロルが女性になっていないから、ちゃんとしたセックスにはほど遠かったのだけれど、タダはフロルの肩や胸にキスをして幸せそうだった。フロルはタダのそんな表情が好きだったし、タダをそんな表情にできる自分の存在が、自分の身体が嬉しかった。
ふとその時に、自分の心の中に入り込んで来たタダの夢のイメージを思い出した。タダは美しい女性になったフロルの夢を見ていた。自分はまだ未分化で何も感じないけど、普通の男性や女性が愛し合う姿は好きだったし、いつか自分もそうなると思うと嬉しかった。
…なのに。
タダは自分が男性になっても愛すると言った。でも本当に愛せるのだろうか。ふとゲイのリドリーの話を聞いた時の事を思い出す。タダは自分は男性とセックスなんて無理だよ、嫌悪感しかないと笑っていたっけ。
自分が男性になったらタダはどう思うだろう。本当にタダは自分を愛せるんだろうか。
一緒にシャワーを浴びた事の事を思い出した。その時タダはフロルの裸体が綺麗だ、素敵だと何度も繰り返して言って、フロルはつい自分の想いを言いそびれてしまったが、その時フロルもタダの裸体を綺麗だと思ったのだ。男性の裸を見て綺麗だと思ったのは初めてだった。
タダはマッチョという訳ではなかったが、筋肉がしまっていて綺麗だった。そしてタダは何も隠したりせず、恥ずかしがったりもしなかった。そしてフロルはタダの全てが——男性器も含めて——調和していると思った。これが男性ってものなんだな、タダは堂々としていて素敵だなと思った。
それに比べてどうだ、自分の真ん中に生えて来たこの代物は!どう考えてもタダの物と同じ器官とは思えない。中途半端で茶番で何かの悪い冗談のようで、何よりどうしても自分の一部と認めたくない違和感があった。
タダの言葉が脳裏によみがえる。「僕が一番恐れるのは君を失う事だ。どんな事があっても死ぬことは考えないでくれ」
――タダ、おまえ、ずるいよ。頭がいいからオレの考えの先を読んで行動するんだ。死ぬなって言われたら、オレ、自殺もできないじゃないか!
フロルは服を着ると更衣室を出て行った、乱れた心で当てもなく歩き回る。そしてふと気づくと大学の寮のある部屋の前にいた。
「ヌー!」ノックして呼ぶが、答えはない。ドアのところにお知らせがぶら下がっているのに気づいた。
「この部屋の住人、ヴィドメニール・ヌームは現在、瞑想体験実習のために3週間留守にしています。戻るのは来月5日です。連絡は一切取れません。緊急の場合には大学の哲学部哲学科の方に連絡をお願いいたします」
そういえばヌーから実習に出るというメールを以前受け取ったな。忘れていた。
ヌーは両性種としての同族として、他の人にはわかってもらえない悩みも聞いてくれると思ったのに。
以前ヌーの部屋でタダとお茶を飲んだ時の事を思い出した。ヌーの部屋は厚いカーテンがひかれ、壁には独特な模様の布が貼られてまるで大学の中とは思えないようなエキゾチックな雰囲気になっていた。変わっているけどなんだか落ち着くその部屋をフロルは好きだった。
自分の胸に手を当てて考える。
――オレって、男なの?女なの?
タダに会う前までは男になろうとしていた。あの星から領主から逃げる目的もあったけど、本当に男がかっこいいと思っていた。なのに今は本気で女性になりたいと心が痛いほどに思っている。それってタダがいるから?タダにプロポーズされて婚約者として愛されたから?
…それは否定できない。けれどそれ以上に自分の中から今は女性でいる方が自然に感じる。それは単に心が変化しただけだろうか。まだ自分は未分化なのに。でも今は男性の自分は考えられない。嫌悪感を感じる。どうしてここまで変わってしまったのだろう。でもこれは言える。きっとこの感覚はもう一生変わらない。タダが変えてしまったのは事実。でもそれを受け入れて変わったのは自分で、それが今では素直な自分自身だと言える。やっぱりもう自分は女性しか考えられない。
そしてこの感覚は一生変わらないと自覚できるから、今男性になったら一生苦しむのだと実感するのだ。
「ああ」どうしようかと思わず声が出た。そして改めてまたその声の低さにぞっとする。たまらない嫌悪感。自分の中の男性。
――自分の肉体を切り裂きたい!魂だけで飛び出したい!
第20章
フロルは次に何となくサロンに向かった。タダに会うかも、と一瞬思ったが、タダはこんな時にわざわざサロンに来ないだろうという気もしていた。
サロンでは何人かの学生がそれぞれ思い思いに過ごしていた。大半はダブレットやノートパソコンを使ってレポートを書いたり、予習をしたりしている。何やら議論しているグループもいたが、フロルがそっと入っていっても皆気づきもしなかった。フロルはある人物がいないかと部屋を見渡した。そしてタブレットと本を並べて勉強している学生のそばに近寄って行き、そっと声をかけた。
「リドリー」
リドリーは顔を上げフロルに気づいてにっこりして「やあ」と言った。
「リドリー、その、相談したい事があるんだけど」
リドリーはフロルの表情と低い声に気づいて、すぐに本を閉じタブレットも終了させた。
「場所を変えよう」彼も低い声でささやくように答えた。
そして彼はフロルを部屋の片隅に誘った。サロンの奥の壁は大きなでこぼこの窪みがいくつも作られていて、全くの密室ではないものの、一人で静かに勉強したり、プライベートな話をしたりできるようになっていた。
二人はそんな窪みの奥に座り、フロルは話し始めた。最初はつまったり、言葉が出なかったりしたが、何とか話しおおせた。
リドリーは一度もフロルの話しをさえぎる事もなくじっと聞き、フロルが話し終えると、ふうっとため息をついて黙り込んだ。
「コーヒーをもらってくるよ」リドリーはそういうと席を立って出ていった。やがて彼はコーヒーカップを2つ持って戻ってきた。
黙ってコーヒーをすすると、リドリーは目を閉じてじっとしていたが、やがて目を開けてフロルの顔を優しく覗き込むと話し始めた。
「こんなに大切な相談を僕にしてくれてありがとう……ただ僕は両性種についてはよく知らない。僕の知っている両性種の人は君だけだ」リドリーはコーヒーカップを両手で包むように持って話し始めた。
「だから僕は僕に分かる事だけを話すよ。で、結論から話すけど、フロル、君は絶対に女の子にならなきゃいけない。タダは君が男になっても愛すると言ったそうだけど、それは彼が本当に君を愛しているから言った事だ。でも彼は間違ってる」
リドリーはそこまで一気に話すと一口コーヒーを飲んだ。
「フロル、僕はまだ離婚した妻が好きだよ」
「え?」 フロルは怪訝そうにリドリーを見上げた。
「好きというより尊敬してる。彼女は聡明で快活で素敵な友人だった」リドリーは遠くを見つめるような表情で話した。
「でも、僕にとっては最高の友人だったけど、パートナーではなかった。僕はオルヴィ――ああ、僕の最初のゲイのパートナーだよ――に会った時にそれが始めてわかった。……僕の星では同性愛は禁止で、同性愛者はいないことになっていたから、僕自身、自分が同性愛者であることや、同性愛がどういった物なのかについて、知識がまるでなかったんだ」
フロルはじっとリドリーを見つめている。
「始めてパートナーを見つけた時に、そう、何というか、すごくリラックスして暖かくて平和で自分自身がそのままでいられると感じたんだ。そして始めて愛し合った時、それは妻と愛し合った時とは比べものにならないほど一体感と幸福感があった。これが僕にとっての本当にパートナーなんだとはっきりとわかったよ」
リドリーはふうっとため息をついた。
「これは自分の意志で変えられるものじゃない。タダは異性愛者だから本当に愛している女性に対してのみ、僕がパートナーに感じたような幸せや一体感を感じられるんだと思う。……僕は自分の無知もあったけど、妻を愛そうとして愛せずに、お互いを不幸にしてしまった」リドリーはまたフロルをじっと見つめた。
「だから君たちには同じような間違いを絶対にして欲しくない。君が男性になったら、それでもタダは君を愛そうとして、しかし愛しきれない自分を責めるだろう。彼は本当に誠実なヤツだから」
フロルはふっと顔を赤らめた。フロルは以前タダと寝てタダのテレパシーによって彼の夢をのぞき見してしまった時の事を思い出した。あの時タダは夢の中で女性になったフロルを抱きしめていた。そしてタダの信じられないような幸福と快楽がテレパシーでフロルに伝わってきたのだ。
「あ、ごめん、つい突っ込んだ話をして」リドリーはフロルが赤面したのが自分の話のせいだと勘違いして謝った。
「未分化の両性種なんて人には会ったことがないから、君が未分化だって事をすぐに忘れてしまう。それに君、かわいくて、見た目は本当に女の子にみえるからね」そう言ってかれは笑った。
「ううん、全然」フロルは微笑んで言った。「話を聞いてくれてありがとう」
「とにかく」リドリーは続けた。「最初に言ったように君は女の子になるべきだ。というか君は精神的にはもうかなり女性だと思うよ。そして身体の方は」彼は少しためらった。「今では医学も進んで、トランスジェンダーだってちゃんと手術で望む性別になれている。まずは大学の病院に行って相談したらどうかな」
「うん」フロルは口ごもった。「オレの身体って、なぜか男性ホルモンが排出され続けて、どんどん男性化してるんだ」
「諦めるなよ。まずは病院に行くんだな」リドリーは真剣に言った。
「うん、ありがとう」フロルは立ち上がった。「話してよかった。なんか、方向性が見えたよ」
「僕にできる事があったら、なんでもするから」リドリーも微笑んだ。
フロルはにっこりすると部屋を出て行った。
その後フロルは自分の部屋に戻ると、何をする気力もなくぼうっとしていた。ふと窓の外を見るともう薄暗くなりかけていて、ガラスには自分自身の姿が映っていた。
――表情が変わったね。穏やかになった。
大学に入学してから友人達によく言われた言葉だ。
「みんなも表情が変わったよ。だって最終試験の時はみんな必死だったもん」フロルは言われる度に反論した。しかし友人達は口をそろえてフロルが一番表情が変わったと言った。
それにタダは本当に毎日のようにフロルの顔を見ると、笑顔が素敵だとか、笑うとかわいいと言っていた。それでフロルも自然と笑顔を見せる事が増えてきた。
――それに。
フロルの胸がキュンとした。タダは嘘をつくのが実に下手だ。殆どの人間が直感力を持っている星では、子供が幼い嘘をついても、大人はおろか子供同士だって簡単に見破ってしまう。子供はこれを何度か経験するうちに嘘をつくのは割に合わないと学習してしまい、自然と嘘をつかないようになってしまう。そんな星で育ったのがタダだ。
――だから……。
だからタダがフロルの笑顔がかわいいと言うとき、それは本当にかわいいと思って言っているのだ。
しかし再びガラス窓を見たとき、そこに映っていたのは別のフロルだった。鋭い目をして歯を食いしばり戦いを挑むような表情。
――昔のオレだ。
それはヴェネで自分の運命を何とかして変えたいとあらがっていた頃の自分だった。するとその暗い目をしたフロルがふわりとガラスの中から躍り出てフロルの前に相対峙した。
「おまえさ、なにやってんだよ」とそのダークフロルは冷たい声で言った。
「おまえ、男になりたくて、必死で勉強して大学受験したんだろ。身体が男になるならそれでいいじゃないか。所詮おまえの人生だろが!」
フロルは遠くを見つめてぽつんと言った。
「オレ、幸せになりたいんだ」
「それは当然だろ。誰だって自分が幸せになりたいからがんばってるんだ」
「……そうじゃないよ」フロルはそっと言った。ほとんどつぶやき声だった。
「あの……宇宙船の中で……オレ達2人とも試験は不合格だと思っていて……その時あいつ、オレに『僕と結婚しなよ』って言ったんだ。そしてその後こう言った。『女性になっても堂々と自分の人生を生きればいいよ、いや生きるべきだ。そして君が自分の人生を生きるためなら僕はどんな協力も惜しまない』ってね」フロルの顔に穏やかな微笑みが浮かんだ。
「ねえ、あのときあいつはオレに新しい人生をくれたんだよ」フロルの目に涙が浮かんだ。
「だからオレの幸せってあいつと一緒に幸せになることなんだ。オレだけ幸せになってあいつは不幸になるなんて、オレは絶対にいやだ」フロルはふっとため息をついた。
「そして今日、リドリーが話してくれた。タダは異性愛者だから本当に愛する女性としか幸せになれない。これは人が後から変えられる物じゃないって」
「だからオレ、女性になりたいんだよ。タダと一緒に幸せになるために」
ふと気がつくとダークフロルは消えていた。フロルはふとひどい疲労感を感じた。シャワーも食事もする気力がない。着替えるのすら面倒くさく、フロルはなんとかベッドまで歩いていくと身体を投げ出し、眠りに落ちていった。
次の朝、フロルはまたアパートを出てあてもなく大学の構内を歩いていた。、ふと見た事のある女性が道を歩いているのに気づいた。黒い髪に長めのスカート。教材を入れた大きなバッグを肩にかけ、颯爽と歩いていく。アリスンだった。タダと同郷の女の子。少し前にタダとハーブティーを飲ませてもらったっけ。あの時フロルはタダがアリスンとシベリースの話ばかりしていたのに腹を立てて部屋を出て行ってしまったっけ。タダとは入学以来毎日ものすごく多くの事を話してきたけれど、それでもアリスンとタダはフロルの知らない多くの共通の話題を持っていた。それを思い出すとフロルの心にアリスンへの嫉妬が沸き起こった。
しかし次にフロルの中に沸き起こったのは、今まで経験した事のないような強い衝動だった。
ーーアリスン、きれいだ…。今まで気がつかなかった…。
そう思うと同時にフロルの中に急に、どうしてもアリスンの裸体を見たい、抱きしめたい、組みしだきたいという押さえがたい衝動がこみ上げてきた。こんな事は始めてだった。
―オレ、どうなってるの?
自分で自分がわからない。しかし自問する間もなく、その衝動は抑えられないほど強くなっていった。そしてフロルはその衝動に背中を押されるようにアリスンの方にふらふらと近寄っていった。
「おーい、アリスン!」声をかける。
「あら、フロル!」アリスンは一瞬ぎょっとしたが、すぐに笑顔に戻って答えた。
「あのさ、アリスン、オレ、その、ハーブティーをまた飲んでみたくて」本当に飲みたいのではない。ただなんとかアリスンの部屋に入る口実が欲しかったのだ。
「あら、いいわよ。今から、いい?私はちょうど空いてるの」アリスンは愛想よく答えた。それは知らなかったとは言えフロルの婚約者のタダと寝てしまったという負い目も感じていたからだ。
誘われるままにフロルはアリスンの部屋を訪れた。アリスンは手早く湯を沸かし、ハーブティーを入れる準備をした。
アリスンの部屋には壁に故郷の様々な写真が飾ってある。前回訪れたとき、タダは壁の写真を見て、これは○○山だ、××の海岸だと楽しそうにしゃべっていた。
フロルはアリスンをこっそりと盗み見し、あたりを見回した。大学の学生用のアパートはどこも似たような作りだ。手前にはテーブルと椅子、横には簡単なキッチン、そして奥の方に勉強机とベッドが置かれていた。ベッドの横の壁にも写真が飾られている。フロルは立ち上がるとベッドの横の写真を見に行った。
「アリスン、この写真はどこの?」
「ああ、その写真が気に入った?それ、私の祖父母の家に行った時の近くの湖よ。きれいでしょ」アリスンもベッドに近づいて来た。別にその写真が気に入ったのではない。アリスンを自然にベッドに近づけたかったからだ。
フロルはアリスンが充分に近づいたのを見定めるといきなりアリスンを抱きしめベッドに押さえつけた。アリスンは悲鳴をあげたが、フロルは構わずアリスンの衣服をいささか乱暴に剥ぎ取っていった。アリスンは抵抗したが、フロルは華奢な見かけの割には力が強かった。
「フロル!何をするの!」アリスンは我に返ってフロルに怒鳴り、フロルの頬に平手打ちをくらわせた。そして裸のまま携帯を取り構内警察に連絡しようとしたとき、アリスンはフロルの表情に気づいた。シベリース星人特有の直感力が働いた。その直感はこんな状況でもフロルに悪意がないこと、むしろ深刻なトラブルを抱えている事を告げていた。
「アリスン、おまえ…きれいだ」フロルはうっとりとしてつぶやいた。アリスンは思わず手を止めてフロルを見つめた。
「え?あなた、…バイセクシャルなの?」言ったそばから、直感がそうではないと告げた。
「ごめん…本当にごめん」フロルは顔をゆがめると絞り出すような声で言った。その目から大粒の涙が流れ落ちた。フロルはベッドの上で身体を震わせて泣き始めた。アリスンは状況が飲み込めずにただ見つめるだけだった。
「フロル…、あなた、タダの婚約者なんでしょ?ガンガに聞いたわ。あなたは未分化の両性種で、女性になったら結婚するって」アリスンが言った。フロルはうなづくとその頬にさらに涙が流れた。
「オレ…オレ、身体が男性になりかけてんだ。オレ、女性になりたいのに。…さっきはごめん。本当にごめん。おまえをみたら、とってもきれいで、裸を見たくて抱きしめたくて自分を抑えられなかったんだ。…でも…」とフロルは涙を流しながら絞り出すような声で話し続けた。
「おまえの裸見て、はっきりわかったんだ。オレが望んでるのはおまえの裸を見て抱く事じゃない。…おまえみたいな身体になってタダに愛される事なんだ!…なのに…なのに…オレの身体…」フロルの顔はすでに涙でぐちゃぐちゃだった。
アリスンは性的少数者ではなかったが、シベリースの学校の授業でLGBTQについては教えられていたし、トランスジェンダーの苦悩についても教材で読んだ事があった。フロルのケースはまたちょっと異なるが。
アリスンは眉をひそめると床に散らばった衣類を手に取り、手早く身につけた。そしてタブレットを開いて立ち上げた。そのタブレットには大学専用のアプリが入っていた。とにかく困った事があったら、これを開けと入学時のオリエンテーションで言われたソフトだ。
――どうすればいいかしら?
見るとパラサイコセラピーと書かれたところに、知っている名前が載っていた。アテナイ教授。超能力開発部門担当の教授だ。前回、タダとフロルにお茶を振る舞った後、タダはアリスンをこの超能力開発部門に連れて行き、アテナイに引き合わせた。タダの訓練されたテレパシーは、アリスンにも潜在的な能力があることを見抜いていたからだ。
――この人だ!
アリスンにはその名前が光っているように見えた。早速フロルの状況を簡単にアテナイに書き送った。
「すぐにフロルを私のところによこしてちょうだい」
すぐに返事が来た。
まだ泣いているフロルに声をかける。
「フロル、あの、アテナイ教授って超能力開発部門の教授なんだけど…」
「…知ってる」
「え?」
「一ヶ月ほど前、その教授からメールもらったんだ。何か困った事があったら来なさいって」
驚いたが、その方が都合がよい。
「相談に乗ってくれるって。すぐにいらっしゃいって」
フロルはかくんと力なくうなづいた。
またアリスンは棚から別の茶葉の瓶を取り手早く新しいお茶をいれた。
お茶のカップをまだベットにいるフロルに持っていく。
「フロル、飲んでみて。前よりは苦味を感じないと思うわ」
フロルはうなすくと素直にカップを手に取った。お茶はまだ苦かったが、よい香りの湯気がたちのぼり心が落ち着くのが感じられた。
「落ち着いた? このハーブティーは鎮静効果もあるのよ」
フロルはカップを飲み干し小さく「ありがとう」と言った。
「アテナイ教授のところに行ってみて。超能力開発部門よ」
フロルは小さくうなずいた。
第21章
フロルはあまり来たことのない建物の入り口で建物を見上げた。超能力開発部門。タダは何度も来ているがフロルは関係なくてほとんど来た事はなかった。
「フロル、よく来てくれたわね!」暖かい声がフロルを迎えた。豊かな金色の髪をした美しい女性が笑顔でフロルを迎えた。
「アテナイ教授…」なぜか涙があふれてきた。
「アリスンが知らせてくれたの。よかったわ!」その声はあくまでも優しかった。
アテナイはフロルをソファーベッドに寝かせると自分はそばの椅子に座りフロルの両手を自分の両手で包み込んだ。
「フロル、私はこれからあなたの心を読もうと思います。あなたの心はダメージを受けていて言葉にするより、私がそのまま読み取った方がいいと思うの。でも読まれてほしくない部分に私の意識が触れたら、遠慮無くいやだと言ってね。すぐに離れるから。それでいいかしら?」
フロルは黙ってうなずいた。タダが時々フロルの心を読み取るのになれていたからだ。
アテナイはフロルの心を探り、ふうっとため息をついた。
「あの……」フロルが言った。
「なに?」
「どうしてオレにあのメールをよこしたんですか?いつでもいらっしゃいと」
「一月前にあなたたち2人を見かけたのよ。2階のカフェの窓から。あなたもタダも気付いてなかったと思うわ。私、タダは時々見てるけど、あなたを見るのは一年ぶりぐらいだった。で、そのときにあなたが変わってきてるなって感じたの」
「変わってきてる?」
「そう。どこがって言われると説明できないんだけど。あなたはもちろん、タダもあなたを毎日見てるから気がつかなかったのね。私は一年ぶりだったから気付いたの。それで何かトラブルがあるかもしれないと思ったの」
フロルは黙ってうなづいた。
「さあ、それじゃ最後に私の目を見て。あなたはこれから眠くなってここで眠ります。眠りから覚めたら少しは気分がよくなっていると思うわ」
またフロルは素直にうなづき、眠りに入っていった。
アテナイは自分の机に戻るとスクリーン上にグレン・グロフを呼び出した。
「フロルについて至急医療チームの結成をお願いします。精神面、医療面、両方必要です。メンタル面は私を入れてください。非常に繊細な問題なのでできればスタッフは女性をお願いします」
「分かった。すぐに手配しよう」と言う答えが返ってきた。
タダがアテナイに呼ばれたのはその日の夕方だった。
「タダ、いらっしゃい」
「あの……」
「ええ、フロルの事よ」
勧められてソファに座る。
「フロルは今日、私のところに来たの。実は何かあったら来るようにって一月ほど前に連絡しておいたのよ。そしたら今日アリスンがフロルの状況を伝えてくれたの」
「え?」
「毎日見てるあなたは気付いてなかったと思うけど、フロル、何か変わってきたわ」
「……」
「で、今のトラブルを聞いたの。基本的なパラサイコセラピーをして……。で、結論から言うと…フロルはもう完全に女性よ」
「え?」
「セラピーの後、性自認チェックをしてもらったの。これがその結果」
アテナイはプリントされた用紙を見せた。
「通常70%あれば充分にどちらかの性と言える。フロルは92%よ。残りの8%はまだ身体が女性化していないためのもの」
「……」
「これが精神面ね。で、肉体面だけど」
アテナイは机の前のスクリーンに画像を呼び出した。
「これがフロルの腹部CTスキャン。今日撮ったもの。で、この部分だけど……」
アテナイは白く映っている器官を指さした。
「未発達の子宮と卵巣」
「え!?」
「驚いた?……フロルも驚いていたわ。自分でも気づいていなかったのよ……そう、フロルの体は自分でも気が付かないうちにここまで変化してたの。ただ、この部分は……」アテナイはすぐ横の器官を指さした。「こちらは未発達の精巣…それから、ここ。まだ小さいけど男性外性器もできつつあるの」
「……」
「これらは明日、手術で除去します。必要ないからね。フロルの同意も取ってあるわ。…こちら側の精巣は卵巣に複雑に絡んでいて大変だけど、今の手術ロボットは優秀だから大丈夫よ」
何かタダの心の中でざわつく物があった。が、それが何か自分でもわからなかった。
「…僕がフロルをもっとそっとしておいたら…」タダは呟いた。
「それはわからないわ」とアテナイは答える。
「あなたは未分化のフロルを女性として愛した。だからフロルはまだ女性として留まっていられるのよ。大量の男性ホルモンが体内にあって、身体が一部変化しても」
「とにかく」とアテナイは言葉を続けた。
「私達も全力を尽くすわ。フロルを女性の側に引き戻すために。…すでに医療チームの要請をして、チームができて1度目の会合をしたの」
「先生」タダは言った。「僕もその会合に参加できませんか?」
「あなたが?」アテナイは少しためらった。
「婚約者としてフロルのことならなんでも知っておきたいんです」
「まあ、あなたは当事者だから私達の知らない情報も提供できるかもしれないわね」とアテナイは答えた。
「でもあなたにはかえって辛いかもしれないわよ」
「構いません」
「分かったわ。それでは2回目から参加してちょうだい。日時はまた知らせるわ」
「そう、それから」アテナイは続けた。「タダ、あなた、エンパシーは知ってる?」
「エンパシー?」
「そう。要はテレパシーの逆ね。テレパシーが相手の思考を読み取るのに対してエンパシーは自分の思考や感情を相手に伝えるの。…テレパシーは本来コミュニケーションの一つの手段だわ。エンパシーもそうよ。…ねえ、コミュニケーションは一方通行ではありえないわ。双方向であるべきよ。だからテレパシーをコミュニケーションのツールとして使うならエンパシーも使うべきね」
タダはじっとアテナイの話に耳を傾けていた。
「ところでフロルは今大学附属病院に入院してるわ。会いに行く?」
「え?…ええ」
タダは病室を教えてもらい、あらかじめ連絡を入れた。
「会いたいんだ。会いにいっていいかい?」
会いたいのはフロルも同じだった。しかし今のフロルには会いたくない理由もあった
ーー見られたくない。たとえ服の上からで見ただけではわからなくても。
しばらくして音声通話があった。
「オレも会いたいけど…でもお前に見られたくないんだ」
——見られたくない?
直感がささやいた。
——身体の変化が始まったからだ。
「わかった。…それにしても音声通話なんてアナログだな。…君を絶対に見ないから、会いたい」
沈黙。フロルは迷っているようだ。が、やがて
「…わかった。いいよ」と返事があった。
しばらくしてタダはフロルの病室を訪れた。
ノックをする。見られたくないと言っていたためドア越しの会話になるかもしれないと予想していたが、案に反してドアが開く音がした。
フロルは恐る恐る少しだけドアを開け、タダの様子を見て思わず吹き出した。タダは黒い布で自分を目隠ししていた。
「君を見ないって言ったろ?」
「おまえ、オレの事アナログだって言ったけど、おまえの方がずっとアナログじゃん」そしてフロルはタダの手を取ると「こっちに来て」と誘導した。
視界が奪われているため、余計にフロルの指先の暖かさと柔らかさが伝わってきた。フロルはタダを自分のベッドまで連れてきた。
フロルのベッドに座り、そっと髪を撫でる。
フロルはタダの手を取りゆっくりと話し始めた
「ごめん。来れなくて」
――怖くて来れなかった。言うべき言葉が見つからなくて。
そっと抱きしめて、「愛してる」とささやき、自分の感情をそのままフロルの心に押しやった。フロルはしがみついて黙っていたが、目に涙が浮かんでいた。
「おまえの心、あったかい」フロルはぽつんと言った。
――僕は恐れていたんだ。君を抱きしめられるか、君にキスできるだろうかと。
結局自分がフロルのところに来れたのは、フロルが病院で治療を始めてからじゃないか。
「おまえの考えてる事が直に伝わってくるよ」フロルが言う。「ねえ、だからオレ、女性になりたいんだ。どんな事があっても」
フロルは顔を上げてタダの顔を見た。
「今日、医者に言われたんだ。何もしてないのに、オレの身体、男性ホルモン値がずっと高いんだって。オレの身体のどこかが男性ホルモンをどんどん作り出してるんだって。なぜなんだろう、オレは女性になりたいのに、身体が勝手に男性になろうとしてるんだ。
「アテナイ教授に、オレ、心は完全に女性だって言われた。検査もしたけど、そんなのしなくたって自分でわかってたよ。なのに…」フロルはタダにしがみついた。涙がこぼれた。
「オレ、アテナイ教授に色々話したけど、一つだけどうしても恥ずかしくて話せなかった事があるんだ。でもお前には正直に全部話したい」
「わかった」タダは目隠しをしたままフロルの肩を抱いてささやいた。
「…オレ、今朝、アリスンの部屋に行って…アリスンを襲った」
「え?」フロルの肩をなでていたタダの手が止まった。
「朝、どこへ行けばいいかわからなくて歩いていてアリスンを見かけたんだ。で、アリスンを見た途端に、アリスンの裸を見たい、抱きしめたいって気持ちが沸いてきて自分を抑えられなかったんだ」
――性衝動か!しかも男性の!
「で、アリスンにハーブティー飲みたいって言って、アリスンの部屋に行った。ベッドでアリスンの服を脱がせて裸を見たときにわかったんだ。オレ、本当に望んでいる事はアリスンの裸を見て抱く事じゃなくて、アリスンみたいな身体になっておまえに愛される事だって」
「……」
「でも怖かった。こんな事しちゃいけないって分かってても自分で自分を止められなくて、自分が自分じゃないみたいで。オレ、本当に気が狂ってしまったんだろうか。思い出すと怖くて、恥ずかしくて」
「違うよ、フロル。君は気が狂っている訳じゃない。それは性衝動だよ。ただし男性のね」
「え?」
「男性なら普通だよ。おかしくなった訳じゃない」
「え?じゃ、おまえもあんな衝動あるわけ?」
「…あるよ」
「えーーっ!」
「でもほとんどの男性は衝動もあるけど、理性もあるからね」
「そうなの?」
「…それにさ、フロル、僕はこの男性ってヤツと付き合いが長いわけ。で、扱い方も心得てる訳さ」
「ふうん」
「それより、フロル、アリスンに謝ったかい?いったいどんな事したんだ?」
フロルは起こったことを正直に話した。
「そんなひどいことしたのに、アリスンは君のことをアテナイ教授に知らせてくれたのか。後でもう一度きちんと謝って、お礼も言っておくんだぞ」
「…うん」
フロルの手がタダの頭の後ろにまわされ、目隠しの布が取られた。フロルの涙に濡れた目を見て改めてもう一度優しく抱きしめる。
「やっぱりおまえに会えて良かった」フロルはタダの肩に頭をもたせかけて言った。
「ねえ、女性になりたいよ。おまえの心があったかいから。ずっとこうしていたいから」
「……きっと方法がみつかるよ。…希望を持とう」
こう言って慰める事しかできない。しかも根拠のない無意味な慰めの言葉。
第22章
アテナイは大学の自分の研究室でスクリーンにある人物を呼び出した。
「フィーノ先生」
「おお、アテナイ。久しぶりじゃな」
「実は先生にお願いがあります」
「なんだね」
「先生はこの大学の教授の中で唯一の両性種の方ですわ」
「まあ、そうじゃが、それが何か?」
「先生は先月心理学棟で起こったレイプ事件を覚えていますか?」
「ああ、本学生にあるまじき行為だったな。で?」
「そのレイプ事件の直接の被害者の学生が未分化の両性種の子なんです」
「ふむ」
「一般の職員向けメールでは詳細は省かれていましたが、彼女はいたずらと間違いから本人の意志に反して大量の男性ホルモンを注入されてしまいました」
「ふむ」
「すぐに大学の病院の方で治療しましたが、それが…うまく行かずに担当者が困惑している状態です」
「ここの病院でもわからない事があるのかね」
「なにしろ両性種の人間は非常に少数で、病院も症例を持ってないんです」
「しかし私は確かに両性種だが、私が変化したのは50年も前の事で、しかも私は医者じゃない。申し訳ないがお役には立てんよ」
「でも先生は先生の独自のチャンネルをお持ちですわ。色々な両性種の星に」
「ふん、あんな物が役に立つのかね。君達もすでに動いておるんじゃろ?」
「彼女はヴェネの出身です。すでにヴェネの病院には問い合わせ、非常に協力的でしたが、出身星でも原因がわからないそうです」
「ふむ…まあ、協力できる所は協力は惜しまんよ」
「お願いしますわ」
医療チームの2回目のミーティングが開かれた。女性ばかりだったチームに今回タダと老齢と言っていいほどの男性が1人加わっていた。
「今回からフィーノ教授に加わっていただきます。教授はプレスネリス出身でこの大学の教授で唯一の両性種の方です」
「しかし私が変化したのは50年以上前の事だし、私の専門は政治学で医学ではない。お役に立てるかどうか、わからんよ」
「またこちらはタダ。フロルの婚約者で本人の希望でこちらに参加してもらっています」
「それではミーティングを始めます」
まず性医学専門の医師が口を開いた。
「フロルの状況ですが……こちらが、手術前のCTスキャン。そしてこちらが手術後です」
手術後のスライドには未発達の精巣が取り去られていた。
「未発達の精巣など男性内生殖器と未発達の外生殖器はすべて取り除きました。ですが……」
「何か問題でも?」
「全くもって不思議なんですが、男性生殖器をすべて取り去ったにもかかわらず、男性ホルモン値がずっと高いままなんです」
「え?」
「フロルの身体の何かの器官が男性ホルモンを大量に作って放出しているんです。我々はどの器官がホルモンを作り出しているか、全身をくまなく検査しました。そして信じられない結論に達しました」
「それは?」
「フロルの体内の卵巣……これもまだ未発達ですが、この卵巣が男性ホルモンを大量に作り出して放出しているんです。具体的にはテストステロン、デヒドロエピアンドロステロンなどです」
「え?卵巣が男性ホルモン?どういう事?」
「はい、実は通常の女性の卵巣でもごくわずかですが、男性ホルモンを作って分泌しています。しかし女性ホルモンに比べればごく少量です。フロルの場合は信じられないほど大量の男性ホルモンを作り出しており、その原因は私たちでもわかりません。それにまずいことに、卵巣が暴走していることで、多くのエネルギーが取られ、フロルの身体に負担を強いています」彼女はスクリーンを示した。
「こちらの……以前、精巣が絡んでいた方の卵巣です。こちらが男性ホルモンを放出しています」
「こんな状況が続くと……フロルはどうなるんです?」
「男性器官は取り去りましたから、当然男性としての機能はありえません。しかし大量の男性ホルモンは女性器官の発達も妨げますから、女性としての機能も失われる可能性があります。……外見はこの大量の男性ホルモンが作用して男性化していく可能性が大きいです」
「なんてこと!」
「放出している卵巣は片方だけですか?」
「今のところ、そうです」
「……そちらの卵巣だけ除去するのはどうでしょう?もう片方があるので、将来子供を産む事はできるかと」
フィーノが口を開いた。
「あなた方はすぐに除去すると言う。卵巣が男性ホルモンを放出している理由はわかっておるのですか?」
「いえ、こんな状況自体初めてで……」
「それを解明せずに片方を切り取ると言う。そしてもう片方も男性ホルモンを放出し始めたらどうします?そちらも除去しますか?こんなまだ若い、女性を希望している者にそんなむごい事はできません」
「……」
「私は医者ではないし、医学の知識もない。あなた方は卵巣が暴走しているとおっしゃる。しかし私には卵巣が悲鳴を上げているように思えるのですよ。あるいは臓器が助けを求めていると。
「脳のあずかり知らぬところで体内で臓器は伝達物質を使って会話をします。フロルの臓器も何かを伝えようとしているのではないですか。
「まあ、両性種の人間の戯言と思ってもらえば結構です」
タダは教授達の話を黙って聞いていた。
もとより自分は何かを言える立場ではない。ただ当事者というだけで希望して参加させてもらっているだけだ。タダはスクリーンをちらと見上げた。フロルの腹部CTスキャン画像。そんなものが公然とさらされているのも見ていて辛かった。むろん興味本位などではなく医療目的で、しかも集まっている医者達は真剣にフロルの治療について考えていてくれているのに。それでもフロルのプライベートな部分がさらされ議論されるのが単純に辛かった。
「それではこれで一旦終わりにします。また報告すべき事が出てきましたら3回目を開きます」
医師達は立ち去りかけた。フィーノも立ち上がって出て行こうとした。タダはフィーノに駆け寄って声をかけた。
「先生」
「なんだね?」
「あの、よければ少しお話したいんです」
「おお」と彼はタダを見つめ、「じゃ、私の研究室に行こう」と言った。
フィーノの研究室に行くと、かれはソファにタダを座らせコーヒーを入れた。
「先生……実は僕は知っていたんです」
「何をだね?」
「…フロルは先日手術で未発達の精巣を取り除きました。除去すると言われた時、何か心がざわついたんですが、なぜだかその時は自分でも分かりませんでした。先生のお話を聞いていて思い出したんです。フロルは……ヴェネの人間は変化するときまず体内に未発達の卵巣と精巣と両方を持つという事を」
「……君は何か本でも読んだのかね」
「ヨーハンの『両性種大全』を読みました」
「ああ、あれか。かなり古い本だが実に詳しく網羅してある本だ」
「でも除去すると言われた時には思い出せなかったんです。また思い出していても、この状況では除去すべきだったのか残すべきだったのか僕にはわかりません」
「タダ、人は誰でも常に最善を尽くそうとしているんだよ。君も最善を尽くそうとして考えていた。自分を責めるんじゃない」
教授は優しい目でタダを見つめ、カップを手に立ち上がった。
「……しかし、あの本の言うとおりなんじゃ。普通の単性種の人間では胎児のごく初期にミュラー管とウォルフ管を両方持つが、性別に従って片方が消失する。しかしフロルも含めて、両性種のうちかなりの者が思春期までこの2つの器官を体内に持ち続け、やがて未発達の卵巣と精巣に変化してから、片方が消失する。君は笑うかもしれんが、体内で卵巣と精巣は会話するんじゃよ。私はそう思っておる」
「では、先生は精巣は取るべきではなかったと?」
「ああ。しかし彼らを非難する気にはなれんよ。私は大学の附属病院のレベルは宇宙一だと思っておる。彼らの発見や作り出した薬や治療法は実に多くの人々を救ってきた。これはゆるぎない事実じゃ。いわば大きな両手で多くの患者を救ってきたんだ。しかし中にはその両手からこぼれ落ちる者もいる。それは仕方ない事だと思う。こぼれ落ちた者からすれば、大学の病院は救ってくれなかった、で終わるかもしれん。しかし全員をきっちり救うことはできないからの。
「そして両性種は悲しいほど少数派じゃ。彼らが両性種の特性について疎かったとしても責めることはできん」
「……」
「私はアテナイから依頼されて自分のつてを使って100通以上あちこちにフロルの病状についてメールを書いたよ。ほとんどが私の人生で知り合った両性種の星の人間だ。私にできることはこれぐらいしかないのでね」
そのとき教授のタブレットからビン!という小さな音がした。彼はスクリーンをのぞき込み、「ほう、面白いところから返事がきたな」とつぶやき、「ちょっと失礼」と言ってメールを開いた。
「え?」そしてタダに向かい「おい、フロルを治す方法が見つかったぞ!」と叫んだ。
「え?」タダもスクリーンを覗き込んだ。
「ノルサイラの知り合いからだ。ここも両性種の星だ。フロルの病状を伝えたんだが、同じ症例を扱った事があると言ってきた!治療法も確立しているらしい!おお、フロルは助かるぞ!」
「助かる!」
教授はタダの肩に手を回し、次にタブレットを操作してアテナイを呼び出した。
「おお、アテナイ、フロルを治療できる星が見つかったぞ!」
第23章
次の日臨時のミーティングが開かれ、フィーノとタダも加わった。ところがアテナイはさらなる報告を付け加えた。
「昨日、フィーノ教授の元にノルサイラの病院からフロルの症例について治療可能という回答を得ました。これ自体は非常に喜ばしいのですが、1つ問題があります」
皆がええっというように彼女を見た。
「ノルサイラはロタ系の惑星です」
おおっと言う声がメンバーから上がった。
「現在宇宙大学国はこの惑星と正式な国交を結んでいません。……すべてのテラ系の惑星でロタ系の星と国交のある星は今のところないはずです」
「いや、星系は他にもあるだろう」
「むろんサバやセグルの星系にも問い合わせました。今のところよい返事はありません」
医者の1人が口を開いた。
「そこで私たちは治療法を直接問い合わせる事にしました。同じ治療を大学の病院でフロルに施せないかという考えです。ノルサイラの病院は非常に好意的に全て教えてくれました。ですが、彼らの使う薬は私たちのデータにはない物です。せめて組成がわかればこちらで合成できると考えたのですが、ノルサイラではその薬物の分子組成まで調べておらず、こちらで合成することは不可能です」
あちこちでため息が聞かれた。
「他の理由もあり、ノルサイラのスタッフはとにかくフロルを寄越してくれと言っています。必ず治療できるからと。しかしフロルをこの星に送るすべが見つからないのです」
タダは愕然として報告を聞いていた。医療の問題はあっというまに政治問題に変わってしまった。ロタ系と国交がないのは理解できる。しかしなんとかして行く方法はないのだろうか。
「彼らはさらにフロルが実際に来るまでの治療も細かく教えてくれました。幸いこちらの薬は大学でそろう物ばかりです。ただ……」彼女は言葉を切った。「ノルサイラの担当者によると副作用が強い薬で、一旦使い出すとフロルの病状を抑える事はできるが、副作用に苦しむだろうとの事でした。ノルサイラにいけばきちんとした治療に移る事ができ、副作用もなくなるとの事でした。この点について私たちはフロルがいつかノルサイラに行けると希望を持って、薬を替えたいと思います。現状ではフロルの男性化を抑えるため、過剰に女性ホルモンを投与するしかなく、これは長い目でみれば良くないことは一目瞭然ですから」
――しかし治療法を変えてもノルサイラに行く方法がなければ苦しむだけで無駄なのではないだろうか。
タダにも判断の難しい状況だった。
「私たちはあらゆるルートを通して、このロタの惑星への道を探っています。またさらなる動きがありましたら報告いたします」
そしてミーティングは終わった。
タダはフロルの病室を訪れた。
早速ミーティングの内容を話したが、フロルはもう先に知らされていた。
「オレ、その治療、受けてもいいよ」フロルはぽつんと言った。
「副作用がきつくて苦しいらしいよ」
「でもさ、今の状態を続けても意味ないし、これを長く続けちゃまずいんだろ?」
確かに単に女性ホルモンを投与し続けるとどうなるのか、予測ができなかった。
「だったら、将来性のある治療にかけてみたい」
それにはロタ系の星に行くという難題を解決しなければならないのだが。
「フロル、多くの人がノルサイラに行く方法を探してくれてるよ」
でもそれだけでいつかいけるかもしれないから、わざわざ苦しい治療を選べというのか。本人はいいと言っているにしても。
「フロル」
ただ抱きしめてキスしかできない。なんて自分は無力なんだろう。
医療の問題は瞬時に政治問題に変わってしまった。そして自分は全くそれに対して無力だ。
次回は11月29日(水)午後10:00アップの予定です。