※この作品はR-18です。

ユー・アー・マイ・スペシャル   作:グリム・グリルグリン・グリーングリップ

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10 ハッピーバースデイ

 

 

 

 9.

 

 

 

「今日は、武術の初歩について教えよう」

 

 興味本位に覗いた鍛錬場で、一対多の波状攻撃を受けながらも術式持ちで構成されている「灯」を子供のようにあしらい沈めてゆくスーツ姿の男に、驚天動地の衝撃を受けた――あの日以来。

 月に二度、禪院真希は彼が屋敷を訪れるたびに突撃し、なり振り構わず弟子入りを懇願するようになった。

 

 父が嫌いだ。母が嫌いだ。屋敷(いえ)が嫌いだ。

 強くなりたい。誰にも馬鹿にされないように。屋敷の奴らを見返せるくらいに。あいつらから、妹を守り通すために。

 いつしか抱いていた、幼くも切実な願い。この人ならそれを叶えてくれる。陰湿で性悪な屋敷の連中とは違う空気(・・)視線(・・)をしている彼を見て、禪院真希は直感でそう思った。叶えてくれるとしたら、外から来たこの人しかいない。

 だから、必死で頼み込んだ。一級呪術師の実力を持ちながら「俺は、本業は税理士なんだけどな」とかなんとか笑えない冗談を抜かしやがっていた彼に禪院真希は一心不乱に頼み尽くし、ひたすら拝み倒し、ついには根負けさせることに成功し、双子の妹である禪院真依ともども指導を賜ることを許された。

 予感があった。一度目の指導――師からすれば“指導”とすら呼べないような基礎的なトレーニング方法の伝授――に臨んだ際、予感したとおり、禪院真希の淀んでゆくばかりであった退屈は裏返った。たしかに、強くなるための道を見つけられた気がした。

 

 そうして離れにて、待ちに待った二度目の指導を受ける機会が訪れて。師から、非常にわくわくするようなことを告げられた禪院真希は、心を躍らせずにはいられなかった。

 

「ブジュツ!」

 

「そう。これでも皆伝を修めていてね」

 

「おおーっ!」

 

 カイデンってよく分かんねえけどスゲー!

 

「俺が教えるのは、里見御流祓征礼法(さとみおんりゅうばっせいれいほう)という」

 

「…………ぉぉ?」

 

 聞き慣れない難読漢字が突如として羅列され、威勢のよかった禪院真希の声に、やや頼りない疑問符が入り混じると。師は「だろうな」と苦笑を浮かべた。

 

「聞いたことないのも無理はない。北辰一刀流や天然理心流、シン・陰流に比べれば、はっきり言って古臭いうえマイナーな流派だし。ただ、実践向きなのは保証するよ」

 

「わかった。どうすればいいんだ……ですか?」

 

「まずは概略を話してからだ。それと俺は気にしないし、今は俺と真依しかいないから楽にしていてもいいけど、他の人目があるところでは敬語はちゃんとするように。師に対してまともな口も利けないのかと五月蠅く言われるぞ」

 

「わ、わかった。気をつけます」

 

「よろしい。では基本的な説明に入ろう」

 

 里見御流祓征礼法。室町時代中期に存在していた祭礼作法を源流とする古武術であり、呪力と剣術および徒手武術の合一を理念として受け継がれてきた対人対霊闘法でもある。

 帯刀を前提とする大原(おおはら)派ならびに武具を用いない大草(おおくさ)派という二種類の“型”が存在し、それぞれの“型”から繰り出す六つの戦技と“奥義”を極めることで、一つの“極伝”に達することができるという。

 

「むろまちじだい?」

 

「だいたい今から五〇〇年くらい前だな」

 

「ごひゃく年まえっ?」

 

 スゲー。歴史スケールの大きさに、一緒に講釈を聞いている妹も目を丸くしている。

 

「大原派の戦技が……」

 

 大原一刀流〈穂狩(ほがり)〉。

 大原一刀流〈鱗剥(うおはぎ)〉。

 大原一刀流〈絞尽(こうじん)〉。

 大原一刀流〈炎舞(えんぶ)〉。

 大原一刀流〈俎載(そさい)〉。

 大原一刀流〈噛月(ごうげつ)〉。

 

「大草派は……」

 

 大草無刀流〈花影(かえい)〉。

 大草無刀流〈群鏡(ぐんきょう)〉。

 大草無刀流〈凡唄(ぼんばい)〉。

 大草無刀流〈虚水(きょすい)〉。

 大草無刀流〈腐瘴(ふしょう)〉。

 大草無刀流〈天座(あまくら)〉。

 

「まてまてまてまてまてまてまてまて。まってください」

 

「うん?」

 

「きゅうにそんなに言われても、おぼえられねえーって」

 

「さわりを話してるだけだから、今すぐ覚えろなんて言わないさ。名前だけ覚えても仕方がないしな。とりあえず、どんなものかだけ先に見せておこう」

 

 困惑する禪院真希の前で、師は油体(じゅつしき)を使ってアーチ状の(かわら)を積み上げてゆく。積み重なった三〇枚の瓦は禪院真希の身長を優に超えて聳えており、ふう(・・)と息を吸った師が、そっと一番上に手のひらを置いた、――次の瞬間。

 

 短い壊音が、すべて(・・・)の瓦から響いて。

 ほぼ同時に亀裂が奔り、一瞬にして。

 

 割れる(・・・)

 

「わっ」

 

 上から下まで。うず高く積まれた瓦が、綺麗に線を引くように砕かれていた。師の掌は最初に触れた位置から動いていない。縦に二等分断された三〇枚の瓦の山が、割り砕かれた衝撃の余韻でぐらつき、地面に突っ伏すように散らばる。

 

「大草無刀流〈凡唄(ぼんばい)〉が奥義――“無間(むかん)”」

 

「すげ……」

 

「俺は今、呪力を使わなかった。素の身体操作だけだ。原理としては、中国武術の寸勁(すんけい)に近いかな」

 

「すげーっ」

 

「反応がよろしくて、なによりだよ」

 

 さらりと高等技術を披露した師は、興奮気味の禪院真希を微笑ましげに見ている。

 

「里見御流祓征礼法は呪力と武術の合一を理念にしている。だから身体操作の習熟にも重きを置いているし、これを学べば自然と色んな動きにも応用できるようになる。そのためにも、まずは基礎を作らないとな。いくら素材が優れていても骨組みが手抜きじゃあ話にならない。一通り鍛え終わったら、他の流派も試していこう」

 

 撒き散らされた破片を油体が呑み込み、跡形も残さずに焼失させる。妹が唖然としている傍らで、禪院真希はきらきらと目を輝かせながら師を見上げた。

 

「わたしにも、できんのかな」

 

「もちろん。呪力に頼らずとも、純粋な身体操作を極めれば、真希もこれくらいはできるようになるさ。なんせ君のそれは、フィジカルギフテッドだからな」

 

 簡易なパフォーマンスながらも、効果は絶大だった。試しにやってみる? そう訊かれた禪院真希の返事は、とっくに決まっていた。

 

「おう!」

 

 離れには師が「躯倶留隊(くくるたい)」に運び込ませた瓦がまだまだ残っている。腕をまくり、どきどきと胸を高鳴らせながら禪院真希は、身長の半分ほどの高さに積まれた瓦に意気揚々と向かい合った。

 結局その日、いくらフィジカルギフテッドと言えども幼女の未成熟な肉体であるから、割ることができたのは数枚だけだったが。それも師が実践してみせた綺麗でスマートな割り方とは程遠い、荒っぽい結果になってしまったものの、禪院真希の心は明るく上向いていた。

 

「俺が見てやれる時間は多くない。だから君たちの場合は自己錬成が重要になる。この時間で学んだことを、日々の訓練に正しく生かすんだ」

 

「はいっ」

 

「最初は基礎訓練だ。初めに言っておく、基礎訓練っていうのはたいがい地味だから、つまらないものと感じるかもしれない。派手さはないしな。だがこれを疎かにしたり軽く見てるやつは強くなれない。焦らないことだよ、武術っていうのは一朝一夕では身に付くもんじゃない」

 

「はいっ」

 

「まずは受け身の練習をしよう。そこから、体内の力の流れやイメージを掴んでいく」

 

「おねがいします!」

 

 その日から、禪院真希の鍛錬の日々が始まった。師に直接指導してもらえるのは彼が来訪する二週間に一度だけだ。なので普段は指示されたトレーニング方法に則って鍛錬を重ね、屋敷で雑務を押し付けられているときも、呼吸法や肉体の動かし方を常に意識しながら行動するようになった。二週間後にその段階での仕上がりを評価してもらい、都度新しい宿題をもらうというサイクルを繰り返し、ある程度の土台が固まったと判断されてからは、本格的に無手と剣術それぞれの稽古に挑めるようになった。

 明らかに手加減されているにもかかわらず、放った拳撃はすべてふわり(・・・)といなされ、剣撃も、振り下ろした木刀に刃先でちょん(・・・)と横から当てられただけでいとも容易く弾き飛ばされてしまうが。そのたびに師の凄さを思い知り、負けてなるものかと向上心を刺激された。

 指導の機会が少ないことに不満が無いわけではなかったものの、とはいえ禪院真希の鍛錬に対するモチベーションは高かった。強くなれることが純粋に嬉しかったし、よく師が糖分補給と称して甘いものをお土産に持って来てくれることもそうだったし、妹が笑っているのを目にする回数が増えたこともそうだし、何より単純に師との交流が楽しかったという理由が大きい。

 

 師は、禪院真希と妹をよく褒めた。たとえ一度できたことを失敗しても貶したりわらったりせず、疑問に思ったことを質問しても無視したり鬱陶しがって殴ったりはせず、技を披露すれば的確なアドバイスをくれて、上達した際にはきちんと褒めてくれた。

 当然、叱られることもあった。妹の〈構築術式〉が師の考案した〈縛り〉の甲斐あって着実に成長していることに焦りを覚え、師と取り決めたはずのトレーニング量を勝手に超過し、幼い肉体の限界を無視して鍛錬にのめり込んだ挙句に蓄積した疲労が原因で高熱を出したとき。

 それでも、理不尽に怒鳴るような叱り方ではなかった。叱り終えると、まだ納得がいっていない禪院真希に対して師は言った。

 

「鍛錬で無茶は厳禁だ。そんなんじゃ強くなるどころか、身体を壊すことになる」

 

 このままだと強くなれない。師匠みたいに強くなれない。なんで無茶しちゃダメなんだよ。

 

「……少し、昔の話をしようか」

 

 高熱でうまく動けないのに鍛錬を続けたいと言い募る禪院真希を、強制的に布団に寝かしつけると。師は持参した菓子を広げ、最近入れ方を覚えた妹が率先して用意したお茶を受け取ってから、静かに話し始めた。

 語られたのは、師の人生の一部。()呪詛師である男の、強さの原点。

 

「俺はもともと一般家庭の出身でね。両親は呪霊が見えなかった。サラリーマンと専業主婦。まあ、どこにでもいる普通の人たちだったと思う。……悪党ではなかったよ。ただ、呪力を扱えたり普通とはだいぶ違う俺のことを気味悪がっていた。それで色々あって、俺は呪詛師に売り飛ばされたんだ。たしか五歳のときかな」

 

 俺を買い取った奴は、一言でいえば気狂いだった。手の施しようのない、どうしようもない悪党だよ。そいつは俺を、そいつの復讐の道具に仕立てたがっていた。俺はそいつに呪詛師として育てられながら、呪術の扱いを学んだ。

 ひどい環境だった。最悪なんて簡単に使っていい言葉じゃあないが、当時の俺にとっては毎日が最悪で地獄だった。二四時間、三六五日。常に修行漬けで、いつも手足や罵倒が飛んでくる。あいつ(・・・)に課される修行は、赤熱化した鉄棒を握らされたり、蟲毒で抽出した蟲を血管に入れられたりするようなやつばかりでさ。ガキだから逃げることもできない。助けを求めようにも、そもそも周りには敵しかいなかったし。死に物狂いで〈反転術式〉を覚えたら、今度は呪霊を食わされるようになったりもした。

 

「呪霊がどんな味か、知ってるか?」

 

 布団のなかで、禪院真希はかぶりを振った。

 

「とにかくまずい(・・・)。この世すべての悪感情を煮詰めたような……ともかく知らずに済むのなら絶対に知らないほうがいい味だ。あれ(・・)は臭いはそうでもないけど、味覚を貫通してくる。たぶん脳のなかの呪いを司る部分に作用するんだろうな。あれ(・・)が生まれて初めて知った味だったもんだから、食ったあとは寝ても覚めてもずっとあの味が残り続けることになって、本当に大変だった。必死に試行錯誤して、結界術でなんとかできることがわかって、おかげで術の幅は広がったけど。今思い返しても、その成果をあれ(・・)のおかげだとは言いたくないな」

 

 語られた内容に反して、重たすぎない口調で。しかし苦い笑みを浮かべた師は、妹からの視線に気が付くと「これはちゃんと美味しいよ」と妹が入れたお茶を褒めた。それから、まだ手に付けていなかった菓子を食べるよう勧める。妹は嬉しさを隠し切れない顔で含羞(はにか)むと、少し遠慮しい間を置いてから、自分のぶんのどら焼きを口に運んだ。すぐに目を大きくすると、おいしい、と口角を緩めて師に笑いかけている。

 

「そりゃあ良かった。……ともあれ俺は、そうやって修行の日々を送って、まあ色々あってあいつ(・・・)が死んだあとも呪詛師を続けて。――そのあとも色んなことが起きて、なんやかんや紆余曲折あって、それでこうして今、君らの指導をしているわけだ」

 

 なんでこんな話をしたと思う? 師が問うてくる。

 わかるはずもなかった。禪院真希が妹に視線をやると、何を勘違いしたのか妹はどら焼きを半分に割り、寝ている禪院真希の口元に差し出した。おいしいよ、と言いながらぐいぐい押し付けてくる。甘い香りが鼻腔をくすぐり、いかんともしたがくなって口を開けると、大粒のあんこが飛び込んできた。思った通り甘くて、でも甘過ぎずさっぱりとしていて、やっぱり美味しくて、禪院真希は仏頂面が維持できなくなる。

 

「俺が強くなったのは、あいつ(・・・)が言ったように“天から与えられた才能”ってやつのおかげだ。それを開花するよう仕向けたって意味では、あの鍛錬は間違っちゃいなかったのかもしれないが。俺は自分の弟子に、あんな思いはさせたくないんだよ。というより、あの頃の俺と大差ない年齢のガキ相手に、そんなクソみたいな真似するのは御免なんだ。――だからさ」

 

 甘味のおいしさに、もうほとんど機嫌が直りかけていて師から「ガキ」呼ばわりされてもスルーしてしまっている禪院真希を見て。軽く笑い声を上げながら、師は言った。

 

「もう、無茶な真似はしないでくれ」

 

 もぐもぐもぐ。

 

「どうしても物足りないのなら、そのときは改めて相談に乗る。わかったかい?」

 

 もぐもぐもぐもぐ。ごくん。「……わかった」

 

「よし」

 

 師は微笑むと。いい子だ、と。ぎこちない手で、禪院真希の頭に触れた。

 

 やさしく撫でられる。「―――、」不意に、禪院真希は顔が熱くなるのを感じた。大事にされている。そう意識した途端に、ひどく心がむずがゆくなって、何かを言おうとするが、生じた感情を持て余し、何も言うことができなくなる。

 妹がじっと見ていた。なんだよ、なにか言いたそうなかおして。言いたいことあるなら言えよ妹。

 

「いつまでなでてんだ」

 

 目を三角にしながら――顔は赤いまま――禪院真希が言うと、師は肩を揺らした。

 

「今日は時間が余ってるけど、どうしようか」

 

 妹が、お話しして、前にしてくれたやつ、とねだると、師は海外で経験した野生アニマルの突飛な出来事を語り始める。油体で操る鉛筆で画用紙にラクダやシマウマの絵を描きながら話してくれたエピソードは、師の語り口もあって面白おかしく、あっという間に時間が経ってしまう。

 

「それじゃあ、今日はしっかりお休み。新しいメニューは置いておくから」

 

 師が立ち上がる。もう行っちゃうのか。起き上がろうとするが寝ているよう言われてしまい、約束したばかりである手前、禪院真希は不承不承ながらも従った。

 

「またな」

 

 見送るために妹も一緒に出て行き、部屋が静かになると、禪院真希は小さく息を吐いた。急に、部屋が広くなったような気がする。(ふすま)が開いて戻ってくると、傍に座った妹が、しげしげと覗き込んでくる。なぜかにまにま(・・・・)と笑い、師の真似をするかのように頭を撫でようとしてきたので、禪院真希は鬱陶しげにそれを払いのけた。

 

 一晩寝ると、翌日には快調になっており、禪院真希は鍛錬を再開した。

 

 退屈な毎日を繰り返す。

 厳しい鍛錬を反復する。

 

 ちからの入れ方。ちからの抜き方。ちからの流し方。化勁(かけい)。重心。適切な呼吸法。肉体の仕組みと物体の構造。力学。歩法。合気。里見御流祓征礼法。

 自分の知らない技術や知識を、自分が知る限り一番強い人間から教わることができる。教えてくれるその人は、自分の存在を認めてくれている。頑張ったら頑張ったぶんだけ、良くやったと褒めてくれる。

 禪院真希は師との約束を守った。やがて修行ばかりでは気が滅入るだろうからと、ときどき外に連れ出してもらえるようになり、そこで初めて色彩(そと)に触れた禪院真希は、屋敷(いえ)の縁に因らない友人(つながり)を得ることができた。

 手狭で薄暗い箱庭のなかで日々を送らざるを得ない禪院真希にとって、師によって齎される様々な感情はあまりにも新鮮で、刺激的で。否応なく心をひきつけられてゆく。己の進歩を実感するほどに要求される課題は難しくなり、それでも禪院真希は、へこたれることは決してなかった。そんな暇があるくらいなら貪欲に指導に喰らいつき、己の失敗と向き合って懸命に分析した。師の与えてくれるものすべてを吸収するべく。希少な機会を無駄にしないために。

 

 “あんたなんか産まなきゃよかった”

 “禪院家の恥め”

 

 “みんな、真希みたいになっちゃだめよ”

 

 嫌なことがあっても。意地でも、顔には出さなかった。布団に包まって、くすぐったくもあたたかい記憶を抱きしめて眠れば、それだけで次の日から、また頑張ることが出来た。

 私は強くなる。師からの期待に応えるために。きっと強くなってみせる。そうしたら――師匠はもっと、私を褒めてくれる。私の頑張りを認めてくれる。強くなった私のことを見てくれる。

 

 師が、自分たちのもとを訪れなくなっても。

 屋敷を出て、姉妹ともども師のもとに身を寄せて暮らすようになってからも。

 

 師には特別に親しい女たちがいることを知り、複雑で入り組んだ感情を覚えるようになってからも。妹が、師のことを“お師さま”ではなく“おじさま”と呼び始めるようになってからも。

 友人である坂本菜々子や坂本美々子たちと一緒に暮らすうち、妹や他の面々と違って自分だけが師から“隔意”を向けられていることに気が付き、思いつめた末に泣きながら理由(わけ)を問い(ただ)したあとも。

 

 禪院真希は努力し続けた。ずっと追い続けてきた師の動きを、師の言葉を。信じ続けることで。

 

 

「【領域展開】――【供花絶尽霊柩(くげぜつじんれいきゅう)】」

 

 

 そして、待ちに待ったそのときが訪れた。

 

 一月二〇日。禪院真希と禪院真依が、呪いに満ちたこの世に誕生して九度目を迎えるその日。

 地表を白い花、天蓋(そら)を開かずの扉で埋め尽くされた美しくも悍ましい〈生得領域〉にて。二人は、自分らの師である坂本と対峙した。

 

 

 

 10.

 

 

 

「ようこそ、俺の地獄(せかい)へ」

 

 具現化した〈領域〉内に招き入れ、一変した光景に面食らっていた二人に声をかける。すると禪院真希は、何故か妹を庇うような仕草をした。

 

「そんなに身構えるなよ、取って食おうとかじゃあないんだ。緊張するのは分かるけどな」

 

「師匠、か?」

 

 声に警戒が滲んでいる。ちょっと気取り過ぎたかと、坂本は花畑に置かれた〈領域〉の象徴(シンボル)である棺から立ち上がると、白い花を踏み潰しながら苦笑した。

 

「どういう意味だ」

 

「うまく言えねえけど、なんかふんいきが」

 

「……俺は俺だよ」

 

 坂本にとって、この景色は己の〈生得領域〉でありながら気が安らぐものではない。此処に敵対者以外を招いたのは初めてであるから、もしかしたらその辺りの機微に、勘の鋭い禪院真希は気付いたのかもしれない。

 

「これから君たちの呪縛(・・)を解く」

 

「ああ」

 

「わかってます」

 

 (ここのつ)――(イチ)の位の最も大きい数字にして、陰陽道における(きすう)の最大数。四と並んで不吉の数字とされることも多いが、九歳とは肉体的にも精神的にも呪術的にも“変化”を受容しやすい年齢であり、その誕生日に合わせて実行できるよう様々な準備をしてきていた。

 

「師匠」

 

「うん?」

 

「約束、おぼえてるか」

 

「……覚えてるよ。そのために色々と用意したんだ。だからまあ、安心していい。というか君らがそれを疑うのは、あまり宜しくないな」

 

 約束? 禪院真依が首を傾げる。

 

「真希を、完全なフィジカルギフテッドにするって約束さ。話してなかったのか」

 

 どうやら図星らしく、妹からじろりと視線を向けられている。「べべ別に言わなくたっていいだろ」「…なんかあやし~~~」禪院真希が目を泳がせるのを見やる一方で、坂本はそのときの彼女の取り乱し様を思い出す。

 

 ――「なんで、さわらないんだ」

 

 水族館に来ていた時だった。菜々子と美々子、禪院真依や他の客たちもいるなかで、禪院真希が叫ぶように大声で言った。

 

 ――「なんで私には、さわらないんだよっ」

 

 菜々子も美々子も禪院真依も他の客たちも、呆気に取られていた。走ってその場から逃げだした禪院真希を追いかけた坂本は、目を赤くした彼女を強制的に落ち着かせてから、唐突な発言のわけを訊いた。

 すると曰く、師匠は本当は私を嫌っていると。本当は私のことを鬱陶しく思っているのだ、と。完全に寝耳に水なことを、禪院真希はそう信じ切っている様子で口にした。

 

 当然ながら、坂本側にそんな事実は無かった。坂本には坂本が誰にも打ち明けたことのない「記憶」からくる打算もあったが、姉妹は弟子に取ったあとも真面目な態度で鍛錬に取り組んでいて悪感情を向ける理由など無かったし、そもそも水族館を訪れたのは当時の禪院真希に思い悩んでいる節が見られたので理由を探り解消するためだった。

 なぜ禪院真希は思い込んでしまったのか。訊き出してみれば、自分はほとんど撫でられたことがないからだという。菜々子も美々子も妹も何気ないやり取りのなかに撫でられているのを見ていたのに自分は言葉でしか褒められたことがない、それに気づいてしまってからは明確な態度(あつかい)の差を意識してしまい、他の三人との違いは呪霊が見えないことくらいしか思いつかないため――悩みに悩んで誰にも相談できず悪循環に陥り――屋敷の連中と同じく、坂本も本音では禪院真希を忌み嫌っているのだと思い込んだらしい。

 

 私に呪力が無いから。だから除け者にするのか。家の奴らと同じで?

 いつも私だけ。いつも、いつも。母さんも、父親(あいつ)も。……あんたも。

 

 ――「ちゃんと、私を見ろよ!」

 

 公共の場で感情を爆発させるほど溜め込んでいた以上、下手な誤魔化しは逆効果であると判断した坂本は、やむを得ずその場で自分も〈天与呪縛〉であることを打ち明けた。

 生まれたときからこの身は、術師以外は同じ人間に見えない呪いを背負っているのだと。禪院真希もその対象なのだと。そのせいで無意識に扱いに差が出たかもしれないが、それは決して禪院真希という個人を嫌っているからではないのだと。坂本はなるべく齟齬が起きないよう、目を見つめながら、彼女にそのことを伝えた。

 

 ――「禪院甚爾という人物がいる。君と同じ禪院家の人間で、君と同じフィジカルギフテッドの〈天与呪縛〉で、天与の暴君とも恐れられていた」

 

 そして坂本は、坂本の打ち明けた秘密に驚愕している禪院真希へ「君を鍛えているのは、君にフィジカルギフテッドの可能性を感じたからだ」とも告げた。もし坂本の仮説が正しいのなら、完全に呪力を脱した人間には、坂本の認識障害は働かない。

 

 ――「やくそくしろ。私を、そいつと同じにするって。……やくそく、しろ」

 

 ――「ああ。約束するよ」

 

 泣きながら取り交わした約束。改めて振り返ってみれば、そりゃあ言いたくないよな、と坂本は納得した。泣き止んだ禪院真希を連れ帰ったあとはさんざん(・・・・)であったし、彼女自身しばらくはそれを口実に禪院真依に揶揄われたりもしていた。

 

 思い返せば、禪院家関連には何かと印象に残る出来事が多かった。あるとき坂本事務所に――わざわざ独立前に世話になった事務所を経由して――禪院家からの依頼が舞い込み、渋々禪院直毘人と会うと税理士のみならず戦闘指南者としてもスカウトされて降りるに降りられなくなったり、なんだかんだで二年以上続いた指南役をついにクビにされたと思いきや再び呼び出されて「オマエに任せる、好きに使え」と問答無用で真希真依(マキマイ)を押し付けられた際の衝撃は、禪院真希号泣事件に並んで未だに記憶に新しい。

 

「ほら、いつまでもやってねえで。位置につく」

 

 そう促すと、二人は素直に横一列になった。手を繋ぎ、口では茶化しているがいよいよ緊張を強めた四つの瞳で、坂本を見つめ返してくる。

 

「さて」

 

 禪院真希に言ったように、〈領域〉内に招いた時点でお膳立ては済んでいた。万全は期してある。あとは成すように為せば、成るように為ることを坂本は疑っていない。「手早くいこう、そう引っ張るもんでもないしな」気負いない声と表情を意識しながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「〈油煎呪法〉。知っての通り、俺の術式だ。呪力によって油を生み出し、生み出した油を自在に操ることができる。アブラカダブラ、と俺は呼んでいるが。ガキの頃の些細な反抗として名付けたんだ。それ以来、ずっとそう呼び続けている。最大稼働範囲はだいたい半径一キロメートルで、重いものを持ち上げたり、物体や呪霊を油のなかに閉じ込めたりする遣い方もできる。だが、このちからの本質はそれらとは別にある」

 

 具体的な〈油煎呪法〉の詳細を聞くのは初めてであろう二人の前で、術式の開示を続けながら。

 

「〈油煎呪法〉によって生み出された油は、触れたものに“可燃性”を付与することができる。油っていうのはそもそも燃えやすいものだけど、〈油煎呪法〉はたとえ対象が燃えにくいものであっても、火をつけやすくしてくれるわけだ。とはいえ付与できる効果は限定的だし、御三家と比べれば戦いにはあまり向かない術式だ。歴代の遣い手は苦労したらしい。だけど、俺のは少し(ずる)くてね」

 

 なんでも(・・・・)だ。「烏枢沙摩明王」の掌印を結び、久しぶりに全力全開(・・・・)で呪力を運用しつつ。坂本は、己の術式の真価を明かした。

 

「俺の場合は、触れたものをなんでも(・・・・)可燃性に変えられる。術式対象に制限はない。呪力次第で、人でも、物でも、呪霊でも。誰でもなんでも(・・・・)。ちょっとした熱量(ねつ)を火種にして、好きなように燃やし尽くせる。俺の燃やしたいものだけを」

 

 そして、と。先ほどから息を呑んで言葉を忘れている姉妹に対し、結論を言った。

 

 

「〈油煎呪法(アブラカダブラ)〉は、既に君たちに触れている。――その“魂”にも」

 

 

 シンプルな計画だった。

 坂本の〈供花絶尽霊柩〉は今回“必殺効果”を縛っている。この〈領域〉には術式を一度発動したら崩壊するという〈縛り〉も加えており、更に坂本は「習得済みの一〇を超える拡張術式を〈領域展開〉後から二四時間使用しない」などの多数の〈縛り〉を課してこの場に臨んでいるため、既存の〈領域〉バフと相まって呪力精度は極限の域に達し、もはや「天地同根・万物一体」という傲慢な嘯きは過言ではなくなっている。

 そして坂本は、その出自から他者の“魂”を容易く認識することができる。〈領域〉内に満たされた“必中効果”は健在であり、坂本の術式は、禪院真希と禪院真依の重なり合う“魂”の輪郭を捉えていた。

 

「“焙尽(ほうじん)”・“呑食(どんしょく)”」

 

 仕上げに、順転の呪詞を唱える。それを契機に、地獄(せかい)が瞬く間に変貌してゆく。

 

 柩を中心に地表を満たす本物そっくりの紙細工(・・・・・・・・・・)が、花弁を、絶望する人間の顔(・・・・)のように次々と(しお)れさせてゆく。血を溢すように次々と赤く滴り、次々と慟哭(あざやか)に揺れながら、滴った赤から生じた炎に次々と呑まれてゆき、燃え始める。どこまでも。果てしなく。赤は広がってゆく。

 

「“祭神(さいじん)(かまど)”」

 

 地獄(せかい)が、炎に燃えてゆく。

 炎が、地獄(せかい)を焼いてゆく。

 

 地獄(せかい)のあるじである坂本は、招かれた重なり合う“魂”の輪郭を捉えながら。

 地獄(せかい)に一言、命じた。

 

 

 

「――【すべて、我が意のままに(アブラカダブラ)】」

 

 

 

 瞬きのように、空間を遮断する〈領域〉が解除される。

 天地を焼き焦がす炎は消え失せ、気が付けば、地獄ならざる高専の校庭に戻って来ている。

 

 雲一つない蒼天。冬風が、肌を冷たく撫ぜる。

 

 坂本は。呆然と立っている、二人の少女に微笑んで言った。

 

 

誕生日おめでとう(ハッピーバースデイ)。真希、真依」

 

 

 

 

 

 11.

 

 

 

 身じろぎする。毛布のなかで、目を開く。

 

 静かだった。隣から寝息がしている。目と鼻の先では、妹が穏やかに眠っており、たまに家の外では風が吹いたり、物か何かが転がる音が聞こえる。

 

 禪院真希は薄暗い部屋でぼんやり妹の寝顔を見つめると、少し考えてから、起こさないようそっとベッドから抜け出した。

 お手洗いを終えて、リビングのほうを窺うと、天井の照明は消えたままなのに部屋が僅かに明るい。覗いてみると、卓上のテーブルランプが灯っていて、イヤフォンをした坂本がソファーに座りながらノートPCと向き合っていた。

 

「どうしたんだ?」

 

 すぐに気づかれる。声には、咎めるような感情は含まれていない。

 

「まだ起きてんのか」

 

「仕事さ。そっちは、眠れないのか」

 

 頷くと、少し笑って「ホットミルクでも飲むか?」と坂本が訊いてくる。それにも頷きを返すと、坂本は座ったまま油体を生み出し、冷蔵庫から牛乳パックを取り出した。禪院真希専用のコップに注ぐと油体が分裂し、片方は冷蔵庫に牛乳に戻すと、もう片方はコップを電子レンジに入れて「あたため」を操作する。

 一連の油体の動きを眼鏡なし(・・・・)で追った禪院真希は、坂本の横着ぶりにじゃっかん呆れながらも、坂本の隣に座った。

 PCには理解不能なグラフや文字列が表示されている。禪院真希の興味は、早々にイヤフォンから漏れ出ている音楽のほうに移った。

 

「なに聴いてんの?」

 

 するとイヤフォンの片側を差し出され、禪院真希は自分の耳に嵌めた。

 

「なんて曲?」

 

「サタデー・イン・ザ・パーク。シカゴっていう、昔のアメリカのバンドさ」

 

「英語じゃん。なに言ってるか分かんねえよ」

 

 口を尖らせると、くすくす笑われてしまう。

 禪院真希はイヤフォンから流れてくる色んな曲と、坂本のキーボードを打つ音に耳を澄ませながら、ホットミルクを口にした。

 

「あ。これは知ってる」

 

 宇多田ヒカルの「光」。ラジオでも聴いたことがあった。合ってるだろ、と坂本を見やると、何故か苦笑していた。

 

「ヒゲが生えてるぞ」

 

 坂本の指が、――頬に伸びて。

 驚いた猫のように固まった禪院真希の、上唇に触れる。

 

「………、」

 

「取れた」

 

 付着していた白髭(ミルク)を拭われると、しばらくして再起動した禪院真希は、宣言なしに不届きな真似をした(やから)を睨みつけようとするが。「……っ、」

 やっぱりよくよく考えて睨みつけるのは(なんかわかんないけど今は顔が見れそうにないので)勘弁してやり、代わりに「ぢっ!」と盛大な舌打ちを響かせた。

 

 “私はどっかの誰かさんのせいでヒジョーにムカついてますムーブ”をするが、それすらも、坂本には笑われてしまって。これ以上からかわれたくなかった禪院真希は、一気にミルクを飲み終えると、水洗いしたコップを立て掛け、リビングから出て行こうとした。

 

「真希、寝る前にうがいはしておけよ」

 

 背後に掛けられた、彼のやさしい声音に。

 

「おやすみ」

 

「……おやすみっ」

 

 しないつもりだった返事をしてから、禪院真希は洗面台でうがいを済ませ、自分のベッドに戻った。毛布にこっそり潜り込むと、妹が眠ったままであるのを確認し、ため息を吐く。

 

 そしてふと、自分は嫌な夢を見て、そのせいで目が覚めてしまったことを思い出した。しかしどんな内容の夢だったのかは、思い出せない。坂本のせいで、そんなものすっかり吹き飛んでしまっていた。

 

 禪院真希は目を瞑ると、禪院真依の呼吸に耳を澄ませた。気持ちが落ち着いてくる。此処には自分たちを害そうとする者はいない。家族がいて、友人がいて、師匠がいる。私は此処にいてもいいのだという安心感が、禪院真希の緊張を緩ませ、穏やかな眠りへと(いざな)ってゆく。

 

 いつの間にか、眠っていた。

 

 

 今度は、悪い夢は見なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





・里見御流祓征礼法 … 嘘か真か、室町時代中期の祭礼作法を源流とする古武術にして、呪力と剣術および徒手武術の合一を理想として受け継がれてきた対人対霊闘法。刀法の大原派と、江戸時代後期に編み出された無手の大草派という二種類の“型”があり、それぞれに存在する六つの戦技と“奥義”を極めることで“極伝”に達する。坂本が翁から伝承した秘術の内の一つ。
 なお宗家は大昔に滅亡&細々と受け継いできた分家も没落し、現代では闇に埋もれている。現存する唯一の皆伝者である坂本には継承者を作る気がさらさら無いので、長い歴史を持つこの闘法は坂本の代で失伝することが決定している(ネタバレ)。

・禪院真希 … 禪院真依と重なり合っていた“魂”の輪郭を焼き切られ、個として独立。その肉体は呪力から完全に脱却し、“天与の暴君”に至り得る可能性を手に入れた。なお彼女の“魂”には、輪郭を焼き切った際の坂本の呪力が焼き付いている。

・禪院真依 … 禪院真希と重なり合っていた“魂”の輪郭を焼き切られ、個として独立。呪力量および術式効果が飛躍的に向上し、一級呪術師のポテンシャルを手に入れた。なお彼女の“魂”には、輪郭を焼き切った際の坂本の呪力が焼き付いている。

・坂本 … 生まれて初めて知った味は呪霊だった。マキマイの“魂”に自身の存在を刻み込んでしまったが、そのことに気づいていない。



・菅田真奈美 … 自慢のかれぴが一〇歳にもならないヒロイン(ようじょ)に手を出す可能性にふるえている。

















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