※この作品はR-18です。

ユー・アー・マイ・スペシャル   作:グリム・グリルグリン・グリーングリップ

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12 青が澄んでいる

 

 

 

 15.

 

 

 

 長針が、朝の七時を指している。

 

 リビングでは、スーツケースを開いた子供たちが、ばたばたと慌ただしくしている。騒ぎがひとしきり収まると、それを見守っていた菅田真奈美が、子供たちに訊いた。

 

「着替えは?」

 

「入れた」

 

「ティッシュとタオルは」

 

「持った!」

 

「水着は」

 

「ばっちし」

 

「パスポートは?」

 

「問題なし」

 

 他にも日傘、日焼け止め、ビーチバッグ、虫除け、サンダル、充電器、サングラスなど。必要物品の所在を確認し、美々子、菜々子、禪院真希、禪院真依らが打てば響くように答えてゆくと、最後にもう一度ぐるりと面々を見回してから、菅田真奈美が言った。

 

「準備は?」

 

「オーケーです!」

 

 びしっと敬礼した菜々子を筆頭に、一斉に期待の視線を向けられた坂本は、軽く肩を揺らして頷いた。

 

「それじゃあ、行こうか」

 

 六人分のスーツケースを車に詰め込んで。

 

 羽田空港に到着し、人が動き始めつつあったターミナルの食堂で、朝食を済ませると。

 

 予約していた国内線のビジネスクラスに搭乗し、空を渡って数時間が経過した頃には。

 

「着いた――!」

 

 坂本たちは、燦々と陽光の降り注ぐ、沖縄の地へと降り立っていた。

 

 

 チェックインを済ませると、荷物を預けた一行は、さっそくホテル自慢のプライベートビーチに足を運んだ。

 海まで徒歩一分の場所にある、開放感に満ちた白い砂浜にはパラソルやチェアが置かれ、坂本たちと同じように、夏休みを利用してバカンスに訪れた家族連れや恋人らで賑わっている。

 

「ね、ね、お父さん」

 

「うん?」

 

「じゃーん!」

 

 照り返すエメラルドグリーンの海景を一望していた坂本は、せかすような声に、ゆったりと振り向いた。

 カーディガン丈の上着(ラッシュガード)を脱いだ菜々子が、ワンピースタイプの、フリルのついたオレンジ色の水着姿で期待するような眼差しをしており――「どうっ?」――坂本はやわらかい笑みをこぼすと、似合ってるよ、と頷いた。

 

「可愛い水着だな。元気いっぱいって感じで」

 

「でしょー」

 

「美々子も可愛いよ。自分で選んだのか?」

 

「――うん」

 

 へへーんと胸を張っている菜々子の隣で、同じくフリルのついた淡いブルーの水着姿の美々子がはにかんでおり、その背後では坂本の視線から逃れるようにして、パーカーを着たままの禪院真依が俯いている。

 

「ほら真依、さっさと脱いじまえよ。どうせ泳ぐときは脱がなきゃなんだし」

 

 土壇場で羞恥に見舞われている妹とは対照的に、禪院真希は可愛さ追求よりも泳ぐことを目的にしたスポーツタイプのセパレート水着姿で、あっけらかんとしていた。坂本が「似合ってる、かっこいいな」と褒めると、まあな、と満更でもない様子で口端を緩める。

 

「無理しなくてもいいのよ」

 

 苦笑して言ったのは黒のクロスビキニにパーカーを羽織った菅田真奈美であり、彼女の抑えきれないオトナの色気に触発された禪院真依は、意を決した(かんばせ)で上着を脱ぎ捨てた。

 

「……おじさま」

 

「恥ずかしがらなくても、ちゃんと可愛いよ、真依。少し大人っぽいけど、いいと思う」

 

 頬を赤くしながら、坂本を上目遣いに見やった禪院真依の格好は、フリルのついたビキニ水着であり、年少組のなかでは一番露出度が高かった。背伸びしてみたくなった少女の心境を慮りながら坂本が頷くと、ようやく禪院真依は恥じらいが抜けきらないながらも、安心したように笑顔を見せた。

 

「めんそーれー!」

 

 子供たちは初めての海に突撃すると、ばしゃばしゃ水を掛け合い、はしゃぎ声を上げている。

 

「真奈美」

 

 その様子を見守りながら。坂本は、手際よく飲み物を準備している菅田真奈美に、ぽつりと言った。

 

「水着、似合ってる」

 

 菅田真奈美は。パラソルの陰で一瞬だけ手を止めると、サングラス越しに坂本を見上げ、小さく吹き出した。

 

「知ってる。顔に書いてあるもの」

 

「そうか」

 

「ありがと。あなたもかっこいいわよ」

 

 風が穏やかだった。

 

 眩しいものを眺めるように目を細め、坂本は、静かに笑った。

 

 お父さーんっ。真奈美さーんっ。子供たちが手を振っている。

 

「お呼びだ。俺たちも行こう」

 

「荷物は?」

 

 答える代わりに、坂本は簡易な結界を即興で構築すると、菅田真奈美を引っ張り上げた。

 

「せっかくの海なんだ。少しくらい、羽目を外してもいいだろう」

 

「そうね」

 

 せっかくだものね。茶目っ気のある眼差しをして、菅田真奈美が微笑み返す。

 

 白砂を踏んだ。日差しが照り付けている。

 

 見上げれば、どこまでも。

 

 青が澄んでいる。

 

 

 

 16.

 

 

 

 水遊びを満喫した一行は、それから予約していたウェイクボードにも挑戦することになった。

 

「おー、真希すご。プロみたいじゃん」

 

「ジャンプしてるし」

 

「あんなに高く飛べるものなの?」

 

「おかえりー。すごかったね」

 

「ま、私にかかりゃあ、こんなもんよ」

 

「めっっっっちゃドヤ顔」

 

「ムカつく」

 

「次は誰いく?」

 

「私は遠慮するわ」

 

「私もパス」

 

「よし、じゃあ私が行くっ。お父さん」

 

「おう。見てるよ」

 

「やるぞ――!」

 

「やっちまえ、菜々子」

 

「頑張って」

 

 ひえぇぇこれやばあぁぁぁ――んびゃっぶっ。

 

「顔からいったわね」

 

「派手にやったなー」

 

「……大丈夫か?」

 

「……だい…じょうぶ…」

 

「おー、よしよし」

 

「菜々子…私が仇を取るから」

 

「おっ、やる気か?」

 

「うん」

 

「お願い美々子、私の仇を…っ」

 

「まかせて。坂本美々子、征きます」

 

「頑張れー」

 

 おぉぉこれちょっヒザがまず――んびゃぶっ。

 

「背中からいったわね」

 

「一瞬びたんって跳ねてたぞ」

 

「……大丈夫か?」

 

「……だい…じょうぶ…です…」

 

「………、」

 

「なによ」

 

「んじゃ、次は真依だよな」

 

「いやよ」

 

「いや真依でしょ、ここは」

 

「いやだってば」

 

「……私もやったんだから」

 

「絶対に、いや」

 

「おいおい、無理強いするなよ」

 

「ちぇー。ま、怖いんじゃあ仕方ねえか」

 

「はあ”?」

 

「真依は怖がり屋さんだもんね」

 

「ピッチャーびびってるもんね」

 

「怖いとかそんなこと一言もいってないんですけど??」

 

「じゃあ、やろっか」

 

「はあぁぁぁ――いいわよ、やってやるわよ!」

 

「真依って、あんがい、だいぶチョロいわよね」

 

 ホテルのレストランで少し遅めの昼食を取ったあとは、初日のメインであるシュノーケリングに参加し、透き通る海中のサンゴ礁や熱帯魚などを観察していると、“海の守り神”と遭遇する幸運にも恵まれた。

 

「カニいた、カニ。ちっちゃ。ちょこちょこしてた」

 

「ニモいる、ニモ。ほら、ほら、あそこ」

 

「ウミガメじゃん、すげー」

 

「まだちっちゃい……子ども?」

 

「ひやぇぇ…かわいぃぃぃ」

 

「ウミガメって爬虫類なのよね」

 

「ヘビと同じってこと?」

 

「でもこっちのほうがかわいいよ」

 

「魚類のヘビもいるんだけどね」

 

「魚のヘビ? なんか混乱してきた」

 

「あっ、あっちにヘビいたっ」

 

「……あれは、ヘビっつーか」

 

「ウナギ?」

 

「ウツボじゃない?」

 

「ええー?」

 

 他にも海遊びの定番である砂城を築き上げ、その荘厳たる威容を目撃した他の観光客たちから、意図せず称賛されることになったり。

 

「どうせなら名前つけようぜ、名前」

 

「どんなの?」

 

「カリオストロの城とか?」

 

「それルパンだろ」

 

「ボーレタリア王城は」

 

「それ真依がやってるゲームのだろ?」

 

「サクラダファミリア」

 

「サ()ラダ・ファミリアな」

 

 あるいは禪院真希の希望を受けて、砂場と海水に足を取られる不安定な状態での組み手をしていると、あっという間に日は暮れてしまい。

 レンタカーで国際通り沿いまで出向いて腹を満たした一同は、夜になるとすぐに寝付いてしまった。

 

 沖縄旅行が二日目に入ると、チェックアウトした一行は今度はマングローブカヤックを体験した。そのあとは(ちゅ)ら海水族館でイルカショーを見物したり、シュノーケリングでは見られなかった深海魚や回遊魚たちのダイナミックな群泳に心を躍らせたりし、時にサーターアンダギーや巨大バーガーや琉球ソフトクリームに舌鼓を打ち、それ以外にも何処までも広がる蒼天の下、のびのびと続く明るい道のりをエレクトリック・ライト・オーケストラの「ミスター・ブルー・スカイ」といったご機嫌な曲を流しながらドライブして巡り――数々の観光スポットや標識を通り越すうちに、あれよあれよと時間は過ぎ去っていった。

 

 今夜のホテルにチェックインしたあとは、都会では見られない壮大な星空を横目に、バーベキュー店で本部牛や大車海老や特大ソーセージを堪能して。露天風呂で一日中遊んだ疲れと汚れを落とした一行は、せっかくだからとホテル側が用意した浴衣に着替え、眠りについた。

 

 

「―――」

 

 

 禪院真依がそのことに気づいたのは、偶然だった。物音がしたわけでも、何者かの悪意を感じ取ったわけでもない。

 なんとなく目が覚めた。何度か瞼を閉じてみるが、やはり妙に冴えている。眠りが遠ざかってしまったことを悟り、ため息交じりに起き上がると、禪院真依は喉の渇きを覚えて居間のほうに出た。

 ミネラルウォーターを飲んで、一息つく。客室を繋げたコネクティングルームであるためスペースが広く、リビングから見えるところにもベッドが置かれていて、薄暗いながらも菜々子と美々子の寝顔が見える。

 外は、既に夜のとばりが下りきっており、朝の気配にはまだ遠かった。禪院真依は、そのとき何気なく、視線を坂本のベッドにやった。

 あれ、と首を傾げる。彼の姿が無い。お手洗いかと思ったが、視界の隅に何かが引っ掛かって菅田真奈美のベッドを見やると、こちらも、もぬけの殻になっていた。

 わけもなく、胸騒ぎがして。そこでようやく、禪院真依は部屋の一か所に結界が敷かれていることに気づいた。

 疑問に思わなければ認識することすら(あた)わない性質を付与されたその結界は、客室付き露天風呂があるルームに敷かれていて、しかも光が、中から微かに漏れている。

 

 禪院真依は。心臓が早鐘を打ち始めるのを感じ、物音を立てないよう、慎重に唾を呑んだ。

 ゆっくり近づいてゆく。一歩進むごとに、鼓動が静寂にうるさく響き、指先の血が引くような感覚と、息苦しさにも似たものに襲われる。

 

 そしてひっそりと、リビングと風呂場を仕切るカーテンを恐る〃々めくり、透明なガラス戸越しに見た。

 

 にゅる…にゅる…♡♡

 たぱっ…たぱっ…♡♡

 

 海に面した露天風呂で。裸になった男女が、睦み合っている。

 

 海水浴のときは上着(ラッシュガード)で隠していた、強靭と柔軟を兼ね揃える厚い肉体を今は曝け出した坂本と、バスチェアに座る彼の股座(またぐら)にしゃがみ込んだ菅田真奈美が、その豊満な乳房を遣って彼の雄々しい一物(イチモツ)を挟み込み、ずりゅ…♡♡ ずりゅ…♡♡と(しご)いている。

 坂本が何かを言うと、菅田真奈美は柔媚な笑みを浮かべ、乳内に収まりきらない亀頭にちゅっ♡♡と唇を落とした。

 れろ…♡♡と舌を這わせ、はぷ…っ♡♡と口腔に頬張ると、ぢゅぷ…っ♡♡ ぢゅちゅる…っ♡♡と吸いついている。やがて坂本の手が菅田真奈美に触れ、むちむち安産型の尻がびくっ♡♡と震えた途端、ぷしっ♡♡と恥丘から飛沫が滴り、…んくっ♡♡ ごくっ…♡♡と飲み干した菅田真奈美が、淫蕩にとろけた双眸を向けた。

 今度は坂本が膝をつくと、壁に尻を押しつけた菅田真奈美の、早くも濡れそぼっている性器を愛撫し始める。菅田真奈美は手で口を覆って声をこらえようとし、ふるふると時おりかぶりを振るも、坂本の攻めに呆気なく膝をがくがく♡♡揺らしてしまい、数分と持たずに快楽の頂きに達してしまう。

 

 落ち着いた二人はそれからシャワーを掛け合うと、一緒に湯船に()かった。肩が触れ合う距離で並ぶように座り、会話をしている。笑みを交えながら。

 禪院真依のいる場所まで、音は聞こえてこない。結界の防音効果が作用している。読唇術を修めていない禪院真依には、二人の会話を想像することしかできない。

 

 菅田真奈美が、坂本の裂創の目立つ身体に細い指を這わせ、傷口に愛おしげに唇を圧し付けている。すると小さく笑った坂本が、お返しするように菅田真奈美の肌に順に唇を落とし、耳元で何かを囁いた。菅田真奈美の頬があまやかにほころび、ゆるりと視線を交わすと、二人は口づけを始める。

 はじめはじゃれる(・・・・)ように、浅く。次第に舌を重ね、絡め、貪るように深く。甘く。官能にとろんだ舌遣いになってゆく。

 たおやかに微笑んだ菅田真奈美が、口づけを続けながら坂本の正面に移ると、腰を浮かせたのに次いで、にゅぷぅ…っ♡♡と尻を落とした。菅田真奈美は背筋を悦びに震わせ、重たげに乳房を息づかせながら、坂本の肩に手を回し、互いだけを視界に映したまま、ずちゅっ…♡♡ にゅちゅ…っ♡♡とぬかるんだ抽送を行いだす。

 

 熱帯びた肌を触れ合わせて。こびりつくような(なま)めかしさと、剥き出しの情欲に喉を震わせる菅田真奈美は、何度も全身を震わせ、何度も坂本と口づけを交わす。

 

 何度も。

 

 々。

 

 〃。

 

 

「―――」

 

 どうやって自分はベッドに戻ったのか、禪院真依は覚えていなかった。

 ただ、覗いてしまった淫靡な交わりの姿だけが、脳に焼き付いている。

 

 目を瞑った。どうにかして、眠りに落ちようとするが。

 

 聞こえないはずの音が、ずっと。耳の奥に響いている。

 

 何度も。

 

 々。

 

 

 〃。

 

 

 

 

 17.

 

 

 

「なにぼーっとしてんだよ、真依」

 

 禪院真希が、顔を覗き込む。

 ぼんやりしていた禪院真依は、自身を覗き込む姉から視線を逸らすと、背景の青空や小島に向けた。

 

「だいじょうぶ、真依?」

 

 チェキで撮影していた菜々子や美々子に何でもないとかぶりを振り、禪院真依はおもむろにサンダルを脱ぐと、裸足で(なぎさ)に立った。

 冷た過ぎない温度の海水に(くるぶし)(ひた)し、帽子が飛ばされないよう押さえながら、小さくため息をつく。

 

 首里城で記念撮影したのち、沖縄旅行の最終地として訪れた石垣島は、沖縄本島とも異なる海景を広げていた。生態系を始め、青の色ひとつを取っても多彩であり、足に伝わる砂の硬さまでもが違っている。

 しかしそれらの自然が織りなす美しい調和は、禪院真依を悩ませる問題を解きほぐすには、あまり役立っていなかった。

 

「どうしたんだろ、なんか元気ないけど」

 

「あんにゅいな感じだよね」

 

「あれじゃね、アニメかなんかのシーンを真似したくなったんじゃね? ほらあるだろ、海辺でひとり、物憂げにしてる女みたいな」

 

「あー」

 

「あるある」

 

 そこ、聞こえてるわよ。普段なら言い返したであろう台詞も、今は心のなかで呟くだけにとどめる。

 

 そういう関係(・・・・・・)であることは、知っていた。

 

 そういう関係(・・・・・・)である以上は、そういうこと(・・・・・・)をするのは自明のことだった。禪院真依が今まで決定的な場面に遭遇していなかったというだけで、これまでもそういう(・・・・)行為は、たくさん、々、〃、してきたのだろう。

 隠していたことに不当を感じるべきではない。(しとね)のなかの睦言を明かすほうがない(・・)のは分かり切っている。そもそも居候し教えを乞うている立場の禪院真依が、道義に反したでもない坂本の行動を咎めるのは御門違いというもの。踏み込むべからざる領分はきちんと弁えている――そう自分では思っていたくせに、いざ実際に直面すると所詮は思っていただけであることが発覚し、こうも無様に揺らぎ取り乱している。

 

 失望と、怒りや悲しみの枠を超える名を付け難い感情が、絡まり過ぎた繊維の塊のようになって喉に(つか)え、胸が苦しい。

 認めたくなかった。気が付きたくはなかった。けれど同時に、臓腑の裏側では、自分の卑しさをなによりも理解させられていた。だって――隠秘(いんぴ)の現場を盗み見たのは私なのに、そのくせ私は、彼に裏切られたと思ってしまっている。これほど与えられておきながら、いったい何様のつもりで裏切りなどと思えたのか。どのツラを下げれば、そんな恥知らずな傲慢をのたまえるというのか。

 浮き彫りにされた、己の醜悪さに。心底、嫌気が差す。

 

 禪院真依は、今日は一度も菅田真奈美と会話していなかった。目が合ってもすぐに逸らしてしまう。当然、坂本とも話せていない。どうしても、脳裏に焼き付いた二人の情事を意識してしまうから。そのことも、禪院真依の内面に波濤を立たせる一因となっていた。

 

「帽子かぶって波打ち際っていうのも、それっぽいよな」

 

「ねー」

 

「うんうん」

 

 だから聞こえてんのよ。知ったふうに話している、何も知らない年少組にふつふつと怒りが沸き始めた、そのときだった。

 

「あれ、呪霊じゃねえか?」

 

 禪院真希が、声を鋭くして言った。

 

 姉の見ている方角を向くと、確かに。向かいの小島との合間の海面に、星形で中央に人の顔を持つ、巌のような大きさの呪いの具現体がふよふよと浮いていた。一見すると間抜け顔ではあるものの、感知できる呪力の度合いからいって、二級ないし準二級相当の力を備えていると思しい。

 珍しくはあった。都会に比べて、沖縄は呪霊の発生数が少ない。とはいえ人が営むところには、どうしたって発生し得るのが「呪い」でもある。

 

「師匠?」

 

 禪院真希が、坂本を見る。

 坂本から視線を向けられた禪院真依は、彼の小さなため息を聞き、背中が冷たく汗ばむのを感じた。

 

「やれるか?」

 

「もち」

 

「わかった。なら“帳”は俺が下ろす、好きにやってみな」

 

「よっしゃ、オマエら集まれー」

 

 気が乗らないながらも、禪院真依は作戦会議の輪に加わった。

 立案された作戦はシンプルであり、各人に要求される動きも複雑なものではなかったが。

 

「トドメ刺すのは真依、オマエな」

 

「はあ?」

 

 意表を突くことを言われた禪院真依は、素っ頓狂な声を上げた。「なんで私が。アンタがやればいいじゃない」

 

「オマエさあ、悩んでるだろ」

 

 さらりと図星を指され、咄嗟に否定しようとするものの。皮肉の一つも返せずに、更に見透かしたように言われる。

 

「重症じゃねえか。辛気くせえ、そういうときはな、とりあえず身体を動かすんだよ。ちょうど、おあつらえ向きの的もあるしな。試しにぶっころせば、気が晴れるかもだろ」

 

「……脳筋と一緒にしないでよ」

 

「誰が脳筋だコラ」

 

 それ以上文句を言う暇もなく、菜々子と美々子は配置についてしまう。

 

「【闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え】」

 

 空に「帳」が下りてゆく。非術師からの認識を阻み、呪霊を閉じ込める結界が淀み無く完成する。

 

 サンダルを近くに脱ぎ飛ばし、特殊な呼吸法によって体内環境を切り替えると、禪院真希は気負わない調子で言った。

 

「んじゃ、こっちに飛ばすから」

 

 あいあいさー。菜々子がそう応じた直後、禪院真希は、海へ目掛けて猛然と駆け出した。

 

 足が海面に触れる。

 足裏が海面に沈む――よりも速く(・・・・・)海面を蹴り叩くと、禪院真希は超人(フィジカルギフテッド)の脚力で海上(・・)を疾走しながら、秒速三〇メートルを凌駕するスピードで呪霊に猛接近する。

 呪霊の背後を取り、反応されるよりも早く。「里見御流祓征礼法(さとみおんりゅうばっせいれいほう):大草無刀流〈群鏡(ぐんきょう)〉」円転と共に拳打をぶち当てると、呪力が無い故にダメージは与えられずとも注ぎ込んだ運動エネルギーによって呪霊を浜辺へ吹き飛ばし、後続へと繋げる。

 

「おー、いい位置」

 

 自身の左手首にいつも巻き付けてある、黒と白のミサンガに触れながら、美々子は上空に吹っ飛ばされた呪霊を見上げた。“それ”は正確にはミサンガに近い見た目を持つ呪具であり、美々子の〈誅罰(ちゅうばつ)法術〉を活かすために坂本が与えたものでもある。

 

(くび)れ、〈悲號鞭(ひごうべん)〉」

 

 呪力を流すことで自在に伸縮する術式を付与された細い紐が、末端を美々子の手首に巻き付けたまま、使い手の意思に則って空中へと奔る。射程距離に入った呪霊の突起へ瞬時に巻き付くと、鞭のようにしならせ(・・・・)て勢いよく地上に引き摺り落としたところで、次が動いている。

 

「菜々子」

 

「今は〈射影機〉持ってないからあんまり止めらんないけどっ」

 

 両手の人差し指と親指を組み合わせて作った四角形(フレーム)に呪霊を収めながら、菜々子が術式を発動する。区分(カテゴリ)としては美々子と同じながらも分類(ジャンル)が異なる〈誅罰法術〉は、今回は発動と同時に呪霊の動きを拘束(・・)する効果だけに留めたところで、菜々子が振り返った。

 

「真依っ」

 

 呼ばれた禪院真依は、舌打ちしたい気持ちを抑えながらも。目を鋭くし、呪力を漲らせる。

 

「……【自壊する狂疾的ねじれ矢(フェイタル・ブロウ)】――」

 

 呟きと共に。禪院真依の掌に「無」から「有」が生じ、在り得ざる「かたち」があらわれる。

 

 それは秘める可能性は大きいと励まされながらも、とんでもない燃費の悪さと使い勝手に難が有り過ぎる故に苦悩し煩悶し幾度(いくたび)も躓かされ、それでも諦めずに格闘し挑み続けることでついに掴み取った、術師:禪院真依の方程式の一つ。

 “術式で生み出したものは術式終了後も消滅せずに残る”という〈構築術式〉の大前提(・・・)に干渉し、“構築後九分以内に使用しない場合は崩壊する”、“構築後一度でも使用した場合は崩壊する”、“構築後二四時間は同分類(ジャンル)の呪具を構築できない”という三重の縛りを課すことで、一度きりという使用条件こそあれど「架空の術式を付与した呪具」の構築をも強引に成立させるに至った拡張術式。

 〈自壊する狂疾的ねじれ矢(フェイタル・ブロウ)〉――この妙技を駆使することにより、手の内に忽然と呪具を生み出した禪院真依は、自らが「かたち」に与え定めた銘を呼んだ。

 

「【ホームランバット】」

 

 それは、一見すると木製のバットだった。禪院真依はグリップ部分を握り、びちびちと指枠(フレーム)内で震えてそれ以上は動けずにいる星型の人面呪霊を睨みつけると、口元でわらった。

 

「この呪具の名前よ。スマブラに登場する、一撃必殺のアイテムを参考にしてる。だから、〈ホームランバット〉。アンタは知らないだろうけど」

 

 そして流し込んだ呪力を呼び水に、呪具に刻まれた術式を励起しながら、バッターボックスに入った選手さながらに両腕で構えた。

 

「術式効果は“振り被る時間が長ければ長いほど打撃のインパクトが向上する”、それだけ。作れるようになるまで大変だったのよ。いくら縛りだからって、NPC相手にホームランバット・オンリーで五〇連勝しろとかとんでもない無茶ぶりされて……」

 

 なんだか。こうやって喋ってたら、やっぱりだんだんとムカついてきた。真希の言う通りなのは癪だけど、アンタの顔をぶん殴れば多少は気が晴れるかしら。

 呪具の間合い上、至近距離で星型人面呪霊の間抜け顔を目視せざるを得ない状況も手伝って、禪院真依はじわじわ(・・・・)と、黒々とした感情が抑えられなくなる。

 

 呪霊も、ゴゴゴゴゴゴと立ち昇る〈ホームランバット〉の呪力に反応するかのように、びちびちびちと震えていた。

 

「真依、まだかかんの?」

 

「まだよ」

 

 無神経な禪院真希の声に苛立ちが煽られ、眉間の皴がますます深くなる。

 

「もう一分経ったんじゃない?」

 

「まだだってば」

 

 どうせなら最大まで“溜め”込んで、このムカつく哀れな呪霊の顔面を整形(ふんさい)してやる。

 

「ねえ、まだーっ?」

 

 再三の急かす声に。ついに我慢が出来なくなった禪院真依は、ああもうっ、とうんざりしながら“溜め”終わった〈ホームランバット〉を、眼前の憎き敵目掛けて思いッ切り振り抜いた。

 

 

「――うるっさいのよ!!」

 

 

「ひえっ」

 

 かーん、と金属音がした直後、雷鳴のような爆音が轟いて。

 

 星型呪霊が。爆散(・・)した。

 

 見るも無残に。

 原形も(とど)めずに。

 

「………、」

 

 断末魔すら無かった。

 

 呪霊が消え失せたあとには、返り血をもろ(・・)に浴びた、禪院真依だけが立っている。

 

「ぼ、ぼくさつだ……」

 

「爆発したぞ」

 

「ちょいグロ」

 

 撲殺に使用した〈ホームランバット〉は、既に夢の名残のように手元から消失している。ぶつぶつ言っている年少組に遠巻きにされながら、禪院真依は、感情的に乱してしまった息を整えようとした。

 そうしていると間もなく、顔や服に付着した返り血は、本体の後を追うように消え去ったが。たとえ顔や服の汚れが曇り窓を拭き取ったように綺麗になろうとも、依然と心臓の奥では、虚無感にも似た想いがとぐろを巻いている。

 

 爽快な気分には程遠かった。真希のうそつき。なにやってんだろ私、と思わずわらいたくなる。ばかみたい。かってに怒ったり、かってに悲しんだりして。

 

「お疲れ様」

 

 背後から近づく砂音に気づき、身体が固くなる。

 

 地面に落ちてしまっていた帽子を拾い、砂を払うと。坂本は禪院真依に被せ直し、ぽんと頭に手を置いた。

 

「いいスイングだった」

 

 礼を言おうとして。なのに、声が詰まってしまう。

 言葉が出ない。会話しなければいけないと思いながらも、想いを上手く言葉にして伝えられる自信がない。

 

「……見てた(・・・)んだろう、昨日」

 

 沈黙を破り、坂本が言った。穏やかな声音で。

 責めるような棘は無かった。ただ彼は、気まずげに苦笑していた。

 

「悪かった。もう少し気を遣えばよかったな」

 

「いいんです」

 

 わたしは気にしてませんから。

 

「そうか」

 

 うそ。

 

「歩けるか?」

 

「はい」

 

 踵を返した坂本が、禪院真希たちのもとに行ってしまう。姉と菜々子と美々子の連携を褒めていて、そのすぐ傍には、当然のように菅田真奈美も立っている。

 

 私が話そうか?

 難しいな。

 

 そんな会話が為されているとは思いもよらず、しかし菅田真奈美が、坂本に耳打ちしている光景を見て。

 禪院真依は。誰にも悟られないよう、静かに唇を噛んだ。

 

 

 わたしだって

 

 おじさまのこと

 

 

 頭から離れなかった。鍾乳洞に寄り、石垣空港に戻り、飛行機に乗って、東京に帰ってきたあとも。禪院真依は、ずっと考えていた。

 こんな私を知ったら、おじさまは私をどう思うだろうか。わかっているのに、それでも。それなのに、考えることは止められなくて。

 

 考えて。

 考えて。

 

 考えに考えて。

 考えに考え続けて。

 

 思考回路が昏く熱帯びた、その果てに。

 

 

「そうよ。わたしだって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 18.

 

 

 

 紙の本を(めく)る音だけがしている。

 

 デスクライトで手元の文庫本を照らし、映し出される瑞々しい登場人物たちの活躍に、微かに笑みを(たた)えながら次のページを捲ろうとした、そのとき。

 

 気配を感じて、坂本は顔を上げた。遅れて、扉をノックをする音が響く。

 

「おじさま」

 

 坂本がベッドから降りるよりも先に、扉を開けた禪院真依が、無許可で踏み入ってくる。

 

「どうした、こんな夜更けに。……それに、その格好は」

 

 寝間着ではある。だが、彼女は上しか着ていなかった。ボトムを履いておらず、肉が付き始めたばかりの細い脚が露わになっている。

 尋常ではない予感に襲われた坂本は、ひとまず打海文三の「愚者と愚者:下巻」をサイドテーブルに置くと、思いつめた表情のわけを訊こうとして。

 

「おじさま。お願いがあるの」

 

 張り詰めた声で、禪院真依に遮られた。先んじられるのを恐れるように、それよりも早く強張った指先で、身に着けていたトップスの、最後のボタンを外すと。

 

「わたしにも」

 

 ぱさり、と服が床に落ちる。

 

 頬は、闇夜にも浮かぶほど火照っている。晒された幼い肌は、浴びせられる視線に怯えるように、ほの白くふるえている。

 

 拒絶への不安で、双眸を滲ませながら。

 

 

「真奈美さんと同じこと、してください」

 

 

 

 裸になった、禪院真依が言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 ヒロインは強靭なプロットアーマーに守護られているので、みんな幸せになります。





 安心してね!!!!




















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