※この作品はR-18です。

ユー・アー・マイ・スペシャル   作:グリム・グリルグリン・グリーングリップ

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17 ずっと君に会いたかった

 

 

 

 13.

 

 

 

 伏黒恵には、二人の師がいる。

 

 ――「〈十種影法術〉は基本的に式神を扱う術式だ。呪霊や呪詛師との戦いでは、式神を運用しながらどう立ち回るかが重要になる。そういう点で、私の戦い方は君の参考になるところも多いだろうね」

 

 ひとりは夏油傑。背の高い、特徴的な前髪の男性。斃した呪霊を己の配下として取り込むことができる〈呪霊操術〉の担い手であり、彼の保有する戦力はこれまでに打倒した特級呪霊を含めて万は下らないという。この世に三人しかいない「特級呪術師」のひとりでもあり、高専で教鞭を取っていて、仲間思いで真面目な人柄でもある。

 

 ――「ヘイヘイッお待たせGTG(グレートティーチャーゴジョー)ですよー。今日もがっつり呪い合っていきましょ。ハイそこ恵クゥン、めんどくせえって顔しない。お姉ちゃん呼んじゃうよー? 恵がセンセーのお話きかない不良になっちったって。いいのかなァ?」

 

 もうひとりは五条悟。背の高い、特徴的な白髪のバカ。〈無下限呪術〉とかいう無法を自在に操る比類なき「特級呪術師」であり、呪術を知る者に訊けば万人が認める“現代最強”の術師でもある。一方でモラルやデリカシーを〈天与呪縛〉として失ったんじゃないかと疑われるほど傍迷惑な性格をしており、そのくせ何故だか高専で教職に就いていて、なにか思いつくたびに周囲を好き勝手に振り回している。

 

 本来ならば。いくら有望な術式を持つとはいえ高専生徒でもない子供に、多忙な特級呪術師の二人が手ずから指導することは無い。にもかかわらずそれが実現したのは、伏黒恵の血縁が関係していた。

 

 ――「君の父親を殺したのは私たちだ」

 

 伏黒恵と二人との間には、因縁があった。

 

 伏黒甚爾。顔もあまり覚えていない、実の父親。夏油傑と五条悟が学生時代に任務で戦った、呪詛師であったという。裏社会で汚れ仕事を請け負い、護衛対象の少女の命を狙って、殺し合いの末に死んだ。それを明かされたところで、二人に怒りが向くことは無かった。もとより義理の姉と自分を捨てて蒸発した男だ、しかも伏黒恵を禪院家という呪術師一族に売り飛ばしていたというのだから、そんなろくでなしの死を悼むなど御免だった。

 

 ――「そっか。お義父さん、もう帰って来ないんだね」

 

 義姉は、そうは思っていなかったのだろう。一度だけ墓参りに付き添ったとき、埋葬されたという伏黒家の墓に手を合わせる義姉の横顔には、後悔が滲んでいた。伏黒恵が知る限りでは、義姉は、五条悟と夏油傑へ暗い感情は持ち合わせていないようだったが。恨みを抱いていないのだとしても、父親が出て行くのを引き留められなかったことに、責任を感じていたのだろう。

 誰のせい(・・)でこんな目に遭ってると思ってんだよ。責める気はないのに、口から出た声は、責めるような響きだった。義姉は悲し気に笑うだけで。伏黒恵は、それ以上何も言えなかった。

 自分たちを捨てた悪党にすら、そんなふうに想えてしまう。馬鹿馬鹿しいほどの善人だ。自分とは違う。それでも。

 

 ――「恵は、いなくなったりしないよね?」

 

 俺は父親みたいにはならない。心のなかで、そう決めた。

 

 五条悟と契約し、小学生にはどうすることもできなかった、禪院家との一件を帳消ししてもらった。呪術師として将来働くことを担保に、五条悟と夏油傑の庇護下に入り、先が見えなかった自分たちの生活を保障してもらった。

 義姉にも。夏油傑から説明してもらい、待ち受ける仕事(・・)について、消極的ながらも認めさせた。

 

 ――「へえ、オマエが相伝の継ぎ手? なんかひょろっちいな。ためしにイヌ出してみろよ、イヌ」

 ――「ふーん。なんだか目付きの悪いガキね」

 ――「おーイヌだイヌ。こちょこちょ、うりうり。おお~~~ここがきもちええんか、よすよす」

 ――「しっぽふわふわ。わしゃわしゃ、よすよす……」

 

 高専と繋がりが出来てからは、伏黒恵と同じように「呪い」を認識できる、年嵩の近い子供たちのことも知った。

 禪院真希。禪院真依。坂本菜々子。坂本美々子。義姉が認めた理由には義姉自身が、同い年の同性の呪術師と知己になり、交流を持つようになったことが影響しているのだろう。

 

 ――「人を許せないのは悪いことじゃないよ。それも恵の優しさでしょう?」

 

 仕事(・・)をするようになってからは、数多くの悪辣を目撃した。

 

 ――「はな、っていうの。……ありがと。たすけてくれて。……めぐみくん」

 

 助けられた子供がいれば、死に際に呪いを吐く悪党もいた。

 初めて手を下した夜は、腕にぬめった(・・・・)感覚がいつまでもへばりついていて、なかなか寝付けなかった。義姉には怪我の心配をよくされ、しかし誰にも相談はせず、やがて数をこなすうちに、その感覚も気にならなくなった。

 

 鍛錬で痛めつけられた躰を動かす。みにくい呪霊を祓徐し、悪党の命を刈り取る非日常を踏み越える。灯りのついた家に帰り、義姉の話に適当な相槌を打ちながら食事を取り、風呂に入り、眠りにつく。朝になれば学校へ行き、何も知らないクラスメイトたちがふざけているのを横目に遣り過ごし、学校の無い日には仕事(・・)で、世に跋扈する醜悪なモノどもと向かい合う。

 

 々。

 〃。

 

 尽きることは無い。

 

 ――「恵は偉いね。困った人を助けてるんだもの」

 

 生死の狭間で呪い合う。五条悟みたいなのが“現代最強(トップ)”を張っていて、殉職者は日常茶飯事で、元締めの総監部も腐り切っている。そんな、先行きが不明で、ろくでもないことばかりの業界。

 なにが呪術師だ。なにがまともだ。こんなの(・・・・)がヒーローのわけあるかよ。

 

 ――「今日の晩ごはんは、恵の好物だよ。生姜たっぷりの鶏団子鍋。だから、ちゃんと帰ってきてね」

 

 意地や反発が育ってゆく。だが、抜け出すことは出来ない。父親のように、置き去りにして逃げ出すことなど。

 汚す(・・)ことに慣れた手を見下ろす。効率化した動きで返り血を避け、汚れることもなくなった手を見つめる。

 もし俺が死ぬとしたら。きっと最期は、呪われて死ぬんだろう。漠然とした予感は、いつも付き纏っていた。

 だからこそ。

 

 

「――――は?」

 

 

 報告を受けたとき、伏黒恵は耳を疑った。

 搬送された病院のベッドで眠り続けている義姉を目にしても。自分の眼を信じられなかった。

 

「確かに呪われてるね。見た感じ、随分と深い(・・)呪いだ」

 

 五条悟の声が、耳を素通りする。現実感が空疎になり、足元が脆く崩れるような感覚に襲われ、肺を締め付けられるように息苦しくなる。

 いってらっしゃい。そう言って伏黒恵を見送った伏黒津美紀の額には、最後に見た時にはなかったはずの、“呪印”が刻まれていて。

 

 なんでオマエが呪われてるんだよ。

 

 “誰かを呪う暇があったら、大切な人のことを考えていたいの”

 

 呪われるなら、俺のほうだろ?

 

「五条先生」

 

「んー? ちょっと待ってね、いま考えてるから」

 

「五条先生、」

 

「そういや傑が呪詛系の研究してたっけな。アイツ今日空いてたっけ」

 

「津美紀はっ」

 

「いま考えてるからさ、落ち着きなって」

 

「落ち着いていられるわけ――」

 

 とん、と額を小突かれた。

 

「助けたいんでしょ? なら焦るのが一番良くない。あと僕喉乾いたからさ、なんか買ってきてよ」

 

 携帯を取り出した五条悟は、動揺を抑えきれない伏黒恵にひらひらと手を振ると、どこかに電話を掛け始めてしまう。

 それ以上は埒が明かず、伏黒恵は拳を握り締めると、歯噛みしながらも病室を出た。一階で自販機を見つけ、そのまま待合室のソファーに腰掛けると、苛立ちに促されるがままに買ったばかりの缶コーヒーを呷る。冷たい無糖の味が喉を通り過ぎ、一息で飲み干してしまうと、叩きつけるようにゴミ箱に投げ入れた。

 舌打ち。顔を覆う。指の隙間から溜め息がこぼれる。他の来院者たちの雑音を意識して排しながら、深呼吸を繰り返す。落ち着け。とにかく冷静にならなくては。

 

「恵っ」

 

 呼び声に釣られ、顔を上げた。

 見慣れた少女。制服姿の来栖華が、肩で息をしながら駆け寄ってくる。

 

「津美紀さんが、倒れたって」

 

「……ああ」かすれた声になった。

 

「無事、ですよね?」

 

 伏黒恵が目を逸らすと、来栖華は強張った表情で息を呑んだ。

 

「恵おっそーい。買ってくるのに何分かかってんの? トイレでもしてた?」

 

 来栖華を連れて病室に戻ると、五条悟の電話は終わっていた。「はあ?」頭を冷やして来いという意味ではなかったのか。もしかするとこの男、本当に喉が渇いていただけだったのか。戻るや否やそんな不躾を言われた伏黒恵は、さっそく冷静を欠きそうになったが。

 マジでデリカシー。心底思いながら――なんとなく察した来栖華と一緒に――睨みつけると、五条悟はとぼけたようにへらりと笑った。

 

「とりあえず応援呼んだから、それまで待とうか。東京にいるみたいだし、そんなに掛かんないでしょ」

 

「応援?」

 

「坂本さん」

 

「……あの人が?」

 

 禪院真希と禪院真依の師匠であり、坂本菜々子と坂本美々子の義父でもある男。高専に属していないフリーの呪術師であり、特級呪術師の二人が口を揃えて「強いよ」と断言するほどの強者。

 

 ――「恵はさー、ポテンシャルは高いんだから、もっと発想を自由に広げないと。坂本さんとか見てみなよ。あのひと〈油煎呪法〉とかいうクッソ弱い外れ術式であそこまでやれてんだから、ホント変態だよね。恵も、もっと変態にならなくちゃ。というわけで本日は特別変態ゲストをお招きしてまーす」

 ――「殴っていいよな、五条悟クン」

 ――「たはー。もう殴ってんじゃん」

 

 知らない間柄ではない。手ほどきを受けたことは何度もあるし、特に呪力操作と術式拡張の鍛錬では世話になった。

 

「ホントは傑に頼むつもりだったんだけど、なんか北海道行ってるみたいなんだよね。最近は呪いの起点を逆探するプログラム作ってるとかで、それ関連らしいんだけど。坂本さんも協力してるらしくさ」

 

「坂本さんなら、どうにかできるんですか」

 

「まあ、そこら辺は本人に聞いてからだよね」

 

 恵、と肩に置かれた来栖華の手を振り払おうとして、やめた。怒りや焦りの為にむやみに当たり散らすのは、あまりにもみっともなさ過ぎる。

 

「あれ、二人ってもしかしてデキてんの?」

 

「……アナタには人の心がないんですか」

 

 正気で言ってるのかと底冷えした視線を向けられた五条悟だが、気にしたふうもなく首を傾げている。「でも場はほぐれたじゃん」

 

 アンタもう黙ってろよ。うんざりして、心のなかで吐き捨てる。

 

「よっす。坂本さん、おひさー」

 

 ほどなくして、待ち人が到着した。

 挨拶もそこそこに。五条悟が呼び出した理由を説明すると、坂本は渋い表情を浮かべた。

 

「まず先に訊いておきたいんだが、津美紀君を呪った犯人はどうしたんだ?」

 

「目下捜索中。唯一の目撃者は倒れてるトコを見つけた生徒だけど、その子は呪力がないし、残穢もついちゃいなかった。まあ詳しく調べる必要はあるけど……たぶん(シロ)だね」

 

「それで、俺にどうにかしろと」

 

「坂本さんって、呪った相手の縁を辿れる(・・・・・・・・・・・)んでしょ? それで傑に協力してるって聞いたけど」

 

「それならっ」

 

 思わず口を挟んだ伏黒恵に、しかし坂本はかぶりを振った。

 

「そいつはある意味では正しいし、ある意味では正しくない。どのみち、今回のケースだと使い物にならないな」

 

「なんでですか」

 

「簡単な話だ。俺が作った術は、確かに術師の(つながり)を辿れるが。そのためには対象を生きたまま呪物(・・)に変える必要がある」

 

「―――」

 

「この場合、呪物になるのは津美紀君だ。使えるわけないだろう」

 

 予想の斜め下を突き抜ける答えに、病室が凍り付いた。

 

「……うッわ~~~完ッ全に呪詛師の諸行じゃん。流石の僕でもドン引きなんだけど」

 

「なにかと狙われる立場だったんでね。手っ取り早く探し出して、後顧(こうこ)の憂いを絶つためにも必要だったんだ」

 

「今は使ってないよね、それ?」

 

「必要が無けりゃ、使わないさ」

 

「それ答えになってなくない?」

 

 ならば、どうしようもないのか。口端を歪ませ、項垂れてしまう伏黒恵を気遣うように、来栖華が慌てて言った。

 

「他に手はないんですか」

 

「そう言われてもな」

 

「そういや、真希たちのときは? フィジカルギフテッドにするために“魂”を焼いたとか言ってたけど、あんな感じで“呪いだけ焼く”みたいなことってできないの?」

 

「そもそも〈天与呪縛〉と呪いは別物だ。アレは、二人の根源的な繋がりを絶つことでむしろ〈天与呪縛〉が正しく成立するようにした結果であって、魂に絡む〈天与呪縛〉そのものを焼き消したわけじゃない」

 

「んじゃ、できないの?」

 

 坂本は。さてね、と考えるような口ぶりで言った。

 

「間違いなく繊細な作業になる。やるにしてもそれなりの準備が必要だろうし、とんとん拍子で、上手いこと“呪いだけ焼く”ことが出来たとしても、後遺症が残る可能性は否定できない」

 

「坂本さんなら大丈夫でしょ」

 

「簡単に言ってくれるよ。俺としては、まずは正攻法で解呪するのを試すべきだと思う。調査が進展すれば状況も変わるだろうし……」

 

 掌が、じっとりと汗で冷たい。

 

「ただ、君らとは知らない仲じゃないしな。もし見通しが立たなくて、他の手も尽きて、危険を承知のうえで望むっていうんなら。そのときは手を貸す。俺も、用意はしておこう」

 

 伏黒恵は、何も言えなかった。

 

 

 何も解決しないまま、帰路に就いた。

 

 鍵を回す。灯りのついていない、無人の家に入る。縦長の傘立てに並んだ赤色と濃紺の傘。誰のものも置かれていない土間で靴を脱ぎ、鏡に映る顔と目を合わせずに、ぬるい水で手を洗った。

 しんとしたリビング。照明。朝見た時と何も変わっていない。食欲は無かった。布団を敷く気にはなれない。着替えるのも億劫で、倒れ込むようにして、ソファーに寝転がった。

 天井を見上げる。臓腑の底で、名状しがたい感情が渦巻いている。行儀悪いよ、恵。もし義姉がいればうるさく言っただろう。だが伏黒津美紀は、病室のベッドで今も眠り続けている。

 

 押し殺すように、目を瞑った。

 

 どれだけそうしていたのか。闇のなかで、腹の音が鳴った。空腹の訴え。どれだけ食欲が無くとも、気分が底を突いていても。腹は減るらしい。

 もう一度。

 場違いに間延びした、間の抜ける腹鳴がして。それでも静寂に横たわったままでいると、伏黒恵はなんとなしに、よじれるような苛立ちと、頬が引き攣るのを感じた。

 

 俺はなにをしているのか。真空のなかに、火花のように生じた問い。直ぐに答えは出た。なにもしちゃいない。ただ非生産に落ち込んでいるだけだ。呪われたのはアイツなのに。大変なのはアイツなのに、俺は此処で(うずくま)っているだけだ。不幸を嘆いて感傷に(ひた)っているだけだ。それなのに、一丁前に腹だけは空かせている。

 

「………、」

 

 悪人が嫌いだ。分別を弁えずルールを破って楽しんでいる思慮の無い奴らが嫌いだった。そんな奴らを付け上がらせのさばらせ(・・・・・)ているような善人どもも得意ではなく、それらと同じくらい――普段は威勢が良いのにいざ困難にぶち当たったらへこたれてしまう野郎だったり、自分(てめえ)自分(てめえ)を憐れんでばかりいるような連中のことを、伏黒恵は口先だけのクズであると見下して生きてきた。

 その姿勢に変わりはない。だが、ふと思ってしまう。今の自分は。客観的に見れば、まさしくこれまで馬鹿にしてきた連中の醜態そのものではないのか。

 

「………ダセぇ」

 

 くたびれた躰に力が入る。起きろよ。(おき)のような、意地が言った。いつまでこうしてる気だ。いつまでもこうしている気か。そうやって落ちぶれていって、最後は父親みたいなクズになる気か、俺は。

 奥歯を噛んだ。深く息を吸った。濁った灰色の空気を吐き切り、伏黒恵は気怠さに引き摺られながら、躰を起こした。

 床を踏みしめる。踏みつけていると、不意に、激しく叫び散らしたい衝動に駆られた。どうしてだよ。なんで津美紀だったんだ。悔しさと虚しさと憤りとで、叫びながら視界に映る何もかもを暴力のままに滅茶苦茶にしてやりたい欲求が込み上げてきて――しかし実際には叫びは飛び出さず、嵐のように膨れ噴こうとする感情を制し、乗り越えたあとには。

 冷静になった伏黒恵の口からは、ただ疲れた溜め息だけがこぼれた。

 

「……何時だ今」

 

 痺れるほど握り締めていた拳を解き、携帯で確認する。メールが何件も届いていた。一番多いのは来栖華からだ。別れ際、伏黒恵が断らなければ、強引に家にまで押しかけてきそうだったのを思い出す。

 無事だと返信すると、即座に反応が返ってきた。まさかずっと待機していたのか。怒涛の長文メール。心配されていた。

 

 目を通しながら。気が付くと、苦笑していた。こんな状況であっても、笑うことはできるらしい。

 開けっ放しのカーテンから、月明かりが差していた。修学旅行で義姉がお土産に買ってきた、妙に愛嬌のある左利きの招き猫が、月明かりに照らされながら伏黒恵を見ている。

 

 鼻で笑った。「やめだ(・・・)

 

 鬱屈した思考を捨てる。手遅れではないはずだ。地球が終わるわけではないし、光明が絶たれたわけでもない。なら、できることをしなくては。一つずつこなしてゆく、結局はそれしかないのだから。

 伏黒恵は、まずはうるさく主張する()きっ腹から満たすことに決めた。さっきよりも、軽くなった気がする腰を上げる。

 

 

「あれ、あんまり落ち込んでないね。今日の任務はパスかなって思ってたけど」

 

 翌朝に電話を掛けてきた五条悟は、普段とほとんど変わらない調子だった。

 

「舐めないでください。いつも通りです、落ち込んでなんかいられない」

 

「そう? ならいいや。――まあ、お姉ちゃんのことは、僕らがなんとかするからさ。恵は自分のことだけ考えときな。んじゃ、今日もヨロシクー」

 

 言いたいことだけ言って、さっさと切られてしまう。もしかしてこれで心配しているつもりなのか。伏黒恵は呆れながらも、逆に神妙に対応されるよりはマシだと思い直し、学校に行く前に、鏡の前に立った。

 髪を直し、ネクタイを正し、鏡に向かって言う。大丈夫だ、ちゃんとするさ。落ち込んでいる暇なんかない。

 俺にだって、意地はあるんだよ。

 

「行ってきます」

 

 

 一週間が過ぎた。

 正体不明。出自不明。呪いの種類も、義姉を呪った犯人も見つからず、何もわからないということがわかった。それから半月という時間が流れたが、やはり、何の手掛かりも得られなかった。

 

「いいんだな」

 

「はい」

 

 ひと月が経った頃。伏黒恵は再度、坂本に連絡を取った。解決のめどが立たなくなった以上、もはや悪戯に時間を引き延ばすべきではない。長いようで短い期間のなかで考え抜き、感情ではなく、理性でそう決断した。今は自発呼吸が続いているが霊障が悪化しないという保証はないし、呪いを放置していて良いことなど、何一つないのだから。

 

「津美紀を助けてください。お願いします」

 

 坂本は、反対しなかった。

 

「……ああ。やってみるよ」

 

 不測の事態に備えて控えている五条悟が、お手並み拝見とばかりに見物し、隣では来栖華が不安そうにしている。

 病室ではなく、儀式用の部屋に移された伏黒津美紀の前で、坂本が掌印を組んだ。

 

「【領域展開】」

 

 夥しい呪力が立ち昇り、空間を遮断する結界が、坂本と伏黒津美紀の姿を呑み込む。

 

 ―――。

 

 解呪には、五分と掛からなかった。しかし懸念は現実となり、伏黒津美紀には、後遺症(・・・)が残ることになった。

 これまで通りの生活は送れない。坂本が〈領域〉内で予期せず遭遇(・・)した呪いの“真相”を聞かされた五条悟は、坂本の推測も合わさって、総監部への物騒な粛清案を口にしていたが。

 

「どうしたの、恵? ……泣いてるの……?」

 

 この選択をしたことを、いずれ後悔する日が来るのか。

 だとしても。

 

 それでも、伏黒恵は。

 

 

「泣いてねえよ、バカ姉貴」

 

 

 

 

 14.

 

 

 

 頭上のスピーカーが喋り出し、待機席にいる教師たちのやり取りが聞こえてくる。

 

「開始一分前でぇす。ではここで歌姫先生にありがたーい激励のお言葉を頂きまーす」

 

「はァ~~ッ?」

 

 呪術高専京都校の秋空は、快晴だった。

 

 周りの三年生たちは、五条悟と庵歌姫の音割れ上等なやり取りに、ハイハイいつものやつね、と特に反応していない。

 禪院真希は京都姉妹校交流会(in2017)団体戦に集ったメンバーを見回すと、東京校サイドで唯一自分以外に参加している、明らかに緊張気味な一年生のほうを見やった。

 

「おい憂太、そんなにビビってんなって。シャキッとしろ」

 

 びしっと背中を叩いてやると。「おわっ、真希さんっ」佩いた刀を揺らしながら、乙骨憂太は生硬な声で心許(こころもと)なげに見てくる。「ビビるなって、そんなの無理だよ」

 

 五条悟が数か月前に拾ってきた、一般家庭出身でありながら「特級呪術師」に指定されている異例極まりない少年。

 その実態は特級過呪怨霊:祈本里香に憑かれた「特級被呪者」であり、厳密には特級過呪怨霊:祈本里香から特級呪術師相当の呪力を借り受けている(しかも完全には掌握し切れていない)事情があるため、周囲からはいつ炸裂するか分からない超爆弾を背負っている“トンデモ問題児”な認識を向けられがちな一年生だったが、線の細いなよなよしい容姿の通り、本人は豪快からは程遠い性格をしていた。

 

「やっぱり僕なんかが出て……」

 

「まーだそんなこと言ってんのか。いい加減、腹ァ括れよ」

 

 呪いが見える者同士、呪いを学び祓う少数の者同士、この数か月の交流で多少は同僚の仲間たちに心を開いてはいたが。イレギュラーである交流会への参加には、流石に弱気の虫を抑えきれなくなったらしい。

 

 交流会は二年生と三年生がメインのため、基本的には、一年生がメンバーに入ってくることは無い。開催の一週間前に東京校側の出場枠に穴が開くトラブル(・・・・)さえ起きなければ、その穴埋めの代役として五条悟に急遽ゴリ押し推挙されることもなかったはずなので、最近は改善されてきたとはいえ乙骨憂太の弱腰な性格を鑑みれば、わたわたと落ち着きないのは仕方がないことかもしれない。

 禪院真希からすると、だとしても現場に立ったんだからいつまでもうじうじしてねえでさっさと覚悟決めやがれと言いたくはあったが。

 なおイレギュラーの元凶であるトラブルは、べつに学生たちに突発的な殉職者が出たとかの不幸ではなく――むしろ高専の殉職者は年々減少傾向にある――高専内で“複数人の生徒が補助監督を巻き込んで違法賭博をおこなった”というものだった。不祥事を主導した秤金次(パチカス)星綺羅羅(舌ピアス)(東京校でただ二人だけの二年生)は、罰として半年間の減給と複数の塩漬け任務の全国消化行脚を強制させられているので、当然この交流会には参加していない。

 

「……あとはそのォ……助け合い的なあれで――」

 

「時間でーす」

 

「ちょっ五条、アンタねえっ」

 

「それじゃ、カモン・ミュージック!」

 

 頭の上で、ちゃんちゃんちゃっちゃっちゃっちゃん、とイントロが流れ始める。かと思えば次の瞬間には、疑問符をハジケ飛ばすような音量で「セイ・ワー・ボーボボ!」とビンビンにマッチョしい歌声が鳴り響き、絶叫にも似た庵歌姫の愉快な悲鳴が轟いた。

 

「なにこれェェェ!?」

 

「姉妹校交流会、スタートォォ!」

 

「アンタの仕業か五条ォ~~~~~~~!!」

 

 団を取りまとめるリーダーの三年生男子は、苦笑いしていたが。

 

「ほら、行くぞ」

 

「う、うんっ」

 

 広大なエリアに放たれた二級呪霊を見つけ出して祓うことが主目的の団体戦であるため、もたもたしていては先を越されかねない。

 禪院真希と乙骨憂太は索敵適正や術式相性を考慮して分けられた二つの組のうち、同じチームである三年生の男女を含めた四人で移動を始めた。

 

 そう時間をかけずして、一匹目の、昆虫型の呪霊を見つける。ただし三級呪霊であるため加点にはならず、敵チームの出発地点から逆算すると、そろそろ京都校側の妨害があってもおかしくはなかった。

 

 憂太君、まーじで期待してますからねえ? 走りながら、お喋り好きな三年生女子が笑って言う。

 いやいやイヤそんなに張り切り過ぎないでいいから、ほどほどにな、憂太? フォローするように、三年生男子が苦笑して言う。

 

「は、はいっ。頑張ります」

 

 真希ちゃんも頼りにしてますからねえ。「ハイハイ」と返しながら事前のミーティングで予測していた襲撃ポイントに差し掛かった時、禪院真希は殺気に肌を打たれた。

 

おでまし(・・・・)だ。憂太」

 

 ぱん(・・)、と高らかに拍手が響いた瞬間。返事をしようとした乙骨憂太が、いきなり目の前から消失(・・)した。

 

 その意表を突くように、生い茂る樹々を縫うようにして〈黒縄〉と〈帯電した呪符〉が殺到する。間断置かず呪具を抜刀した三人が木陰から飛び出してくるが、禪院真希は慌てなかった。放たれた攻撃をいずれも余裕をもって回避し、間合いを取り、周囲に潜伏する気配へ感知を広げる。

 

 アアラララァ、ずいぶんご挨拶じゃないですかー! なんかイイことあったのかしらァん!?

 

 味方の先輩たちも。奇襲されたかたちでありながら難なく躱し切ると、肉薄する敵を嬉々として蹴り飛ばし、襲撃者である京都校チームへ呪具である剥き出しの太刀を向けた。

 

 パターンCってトコですねえ。今のは東堂君の術式かな。憂太君をどこにやったかって一応訊いときますゥ?

 やーやー、わかってんだろ? コイツらが言うわけないって。

 アッオゥ、んじゃーしかたない。真希ちゃんゴメンけど、作戦通りにお願いしまァす!

 

「りょーかい。其処と其処、あとふたり隠れてる。んじゃ、作戦通りに」

 

 伏兵の存在を教えると、禪院真希はぎょっとした京都校の面々の横をすり抜け、一気に加速した。五対二という数的不利であっても先輩二人の実力であれば勝ち目は十分に拾えるため、躊躇せず置き去りにし、遠くにある乙骨憂太の気配を追う。

 

 オラオラッやっぞオラァ! コッチヲ見ロォ~~~~~!

 

 京都校メンバーは、術式を発動した先輩たちの攻勢で禪院真希に追い縋れない。坂本から教わった“足で空気の面を捉える際に呪力を小爆発させる加速術”は禪院真希には真似できないが、フィジカルギフテッドの身体能力と“空気の面を的確に捉える移動法”が組み合わさることで、背後で聞こえる激突音は、瞬く間に遠のいてゆく。

 

「ん」

 

 乙骨憂太の、独特の呪力が解放されていた。随分と遠くに転移させられたようだが、既に戦端は開かれたとみていい。

 聞くところによると、乙骨憂太が戦っていると思しき東堂葵は五条悟と夏油傑に並ぶ三人目の「特級呪術師」に師事しているという。ただでさえ五条悟から今回の交流会で周囲に成長をアピールするよう課題を出されている乙骨憂太にとっては難敵と言ってよく、噂が本当であるのなら、甘さを抱えたまま戦える相手ではない。

 

 どんな女が好み(タイプ)だ?

 え”っ……うわ待って里香ちゃん!

 

 仮に特級過呪怨霊:祈本里香を御し切れず完全顕現させてしまった場合、それは、そのまま東京校サイドの失格に繋がりかねない。京都校側がそれを利用して特級呪術師:乙骨憂太の脱落を狙ってくる可能性は、十分に考えられる。

 故にこそ数合わせという名目で抜擢された禪院真希は、その実は敵の対乙骨憂太作戦のカウンターとして、不測の事態の“抑え役”を期待されていた。

 

「んん?」

 

 禪院真希ぃ! 気配と、喚き声。道を塞ぐようにして、京都校の男子が立ちはだかっている。男子は呪力を滾らせ、禪院真希を視認するや、術式を発動しようとしている。

 

 出来損ない、オマエ等のせいで!

 

 いや誰だよ、と思いながらも。脚は止めなかった。行きがけの駄賃だ。跳躍。二歩(・・)で、彼我の距離を潰した。

 正面に、憎しみを募らせた男子の相貌。その瞳に、驚愕の色が生じるよりも速く。

 

里見御流祓征礼法(さとみおんりゅうばっせいれいほう)

 

 懐に踏み込み、()れるように柔らかく、拳を叩き込んだ。

 

「大草無刀流〈群鏡(ぐんきょう)〉が奥義――“無鳴(むめい)”」

 

 拳風は生じず、幽かな破裂音も起こらず。悲痛な叫びすらもなく。

 唯々、静かに。

 糸の切れた人形のように、(くずお)れる音だけが響く。

 

「悪い、もう一回言ってくれ」

 

 禪院真希は、頽れた男子を見下ろして言った。答えは無い。白目を剥いている。かろうじて息はしていたが、意識が戻っても、起き上がれはしないだろう。経絡を乱し、練った(エネルギー)を一切の漏出なく全体に伝播させ、四肢の骨を打ち砕いた。

 やろうと思えば――奥義を習得した今の禪院真希であれば――全身の骨を粉微塵にすることもできる。

 

 禪院真希はしげしげと、気絶顔を観察した。やはり、見覚えは無い。マジで何だったんだ。禪院の人間? それとも禪院家に恨みのあるヤツ? オマエ等と言っていた。もしかして真依の関係者とか?

 どのみち、手加減をしたうえで、これだった。呪詛師を仕留めたことは何度もあるが、禪院の関係者と戦うのは、そういえば実家を出てからだと初めてかもしれない。こんなもんか。一瞬綻びそうになった口角を、しかし、禪院真希はすぐに引き締め直した。こんな雑魚(・・)を斃した程度で喜ぶのはアマチュアくらいなもんだ。私は浮かれちゃいねえ、と思いながら、それはそれとして“出来損ない”呼ばわりしてきたヤローの白目姿に内心「ザマミロ&スカッとサワヤカ」な気分になっていると、頭上を、旋回するように黒烏(からす)が飛んでいた。

 

 運営側の式神。棄権(リタイア)は伝わったはずなので、このまま放置しても問題はないだろう。禪院真希は男子の正体について考えるのを打ち切ると、追跡を再開した。

 目的地に近づいているのがわかる。一分と経たず、樹々の無残に圧し折れる音が目と鼻の先に現れた。その頃にはもう、謎の男子のことは、禪院真希の頭からはすっかり消え失せていた。

 

 ゆう”だを”をををォイジめるなァァァァ!

 

 現場に辿り着くと。半身を顕現させた特級過呪怨霊:祈本里香が、滅多矢鱈に破壊を繰り出していた。争闘の余波で地面が剥げており、樹々や土塊が宙を乱舞し、そのなかでひいひい言っていると乙骨憂太と、「瞬間転移」を繰り返す上半身裸の東堂葵(ゴリラ)が入れ替わりながら戦っている。

 

「こりゃまた派手だな」

 

 まだ完全顕現/暴走状態のようには見えない。ただし下手に介入しようものなら、返り討ちになること請負(うけおい)の様相だった。

 悪くねえ。小さく笑うと、禪院真希はここまで出番の無かった、左腰に佩いていた刀柄を握った。

 

 朱塗りの(さや)から、滑らかに引き抜く。刃毀れの一つもない耽美的でさえある先反りの刀身を外気に晒し、引っ提げた右腕の五指に心地よい重量(おもさ)を感じながら、双眸で標的を見据える。

 出し惜しみはしない。そもそも禪院真希が御守(おもり)役を引き受けたのは、交流会という呪術界の注目が集まる場所で活躍すれば、実家(・・)の影響で留め置かれている己の「三級」の評価を覆せると思ったからだ。坂本の弟子なのに“四姉妹”でいつまでも自分だけが「三流」と呼ばれるのは業腹であったし。今回の誘いは、渡りに船だった。

 一級呪術師である東堂葵と、特級呪術師(暫定)である乙骨憂太と、特級過呪怨霊:祈本里香を同時に相手取って勝利する。これ以上なく分かりやすい“戦果”であり、なればこそ、この巡ってきた機会を逃すつもりは無い。

 

 さて、と。禪院真希は刀身に指の腹を当てると、(なぞ)りながら(ろう)じるように呪詞(・・)を唱えた。

 

「“蟒蛇(うわばみ)”・“月食(にくはみ)”・“禍炙(かしゃ)瑞相(ずいそう)”」

 

 禪院真希が“天与の暴君”に至り得る資格を得た際に坂本から与えられた、この世にただ一振りだけの太刀。これ(・・)は、単なる頑強で切れ味が鋭いだけの刃物ではない。

 呪物。それも十月十日(とつきとおか)を掛けて呪具化させる本来の“浴”とは異なる工程で(もと)となる「九字兼定」に坂本の骨肉と禪院真希の血を融け込ませ、その製造過程を経て刀が使い手を選ぶ(・・・・・・・・)“妖刀”と化した、禪院真希にしか扱えない、まさしく禪院真希の為だけに(こしら)えられた天下無二の一品であり。

 “天与の暴君”たる禪院真希の「全力」に十全に応え得る――等級は鑑定にこそ出していないため未登録ながらも――間違いなく一級以上の、最上大業物だった。

 

「――【()きろ】、〈酒撫(さかなで)〉」

 

 刀刃に刻まれた〈油煎呪法(・・・・)〉が所有者の命令(こえ)によって励起され、ぬらりと濡れるように、稠密な呪力の深層を(まと)う。

 禪院真希の存在に気づいた東堂葵と乙骨憂太が、一瞬動きを止めた。目が合う。禪院真希は得物の切っ先を向けると、二人と一匹へ、煽り立てるようにわらいかけた。

 

「おもしれえコトしてんじゃねえか。私も混ぜろよ」

 

 撫で斬りにしてやっからよ。

 

 

 

「あー、たりぃ」

 

 担いでいた鞄を床に下ろす。

 

 三年生や乙骨憂太たちと一緒に簡単な京都校の施設案内をされ、それぞれ荷物を置くべく男子寮と女子寮の手前で別れた禪院真希は、ひとまず宛がわれた部屋で腰を落ち着けると、室内を見回した。

 テレビやベッドといった最低限の埃を被っていない家具は備え付けられているが、内装は東京校のそれと大差がない。外部からの客が寝泊まりする部屋にしては凝ったものも飾られておらず、極めて普通だった。まあホテルじゃねえから期待するだけ損か、と思いながら禪院真希は鞄を広げ、持ってきていた時計に目をやった。

 土曜日の夕暮れ時。外は陽が沈みつつある。

 

 姉妹校交流会一日目の団体戦は、無事に死者を出さずに終わっていた。京都校側の主力が脱落してからは展開が早く、あのあと(・・・・)も禪院真希と乙骨憂太(と特級過呪怨霊:祈本里香)組一年生の活躍は続き、京都校側は土壇場で賭けに出ようとしたが結局は盛り返せないまま、東京校の勝利で幕を閉じた。

 

 とりあえず目標は達成できたんじゃねえかな。禪院真希は腕を組んで寝転がると、一日の戦果を振り返った。明日の個人戦でも上手くやる。動脈硬化を起こしてるような狭量で頑迷な老人共の鼻を明かせるくらい、明日は誰にも文句を付けられない圧勝で決着してみせる。

 それはそうと、夕飯までは自由時間なので暇だった。何をしようか。外出するのは微妙だ。京都の街を散策しようとは思わないし。本でも読むか? 星新一の傑作短編集「ボッコちゃん」。暇な時間があるだろうからと相談したら美々子におススメされ、坂本の本棚から借りてきた文庫本が、ブックカバーをして鞄に入れてある。

 

「そうだっ」

 

 起き上がると、携帯を取った。電話を掛ける相手は決まっている。

 

 呼び出し音を聞きながら、報告を聞いた坂本がどんな顔をするのかを想像した。驚くだろうか。いや私が京都校のメンツに負けるなんてことは天地が引っ繰り返らない限りありえないから驚きはしないか。でも残念がりはするかもしれない。この禪院真希の超絶無双活躍っぷりを現地で拝めなかったのだから、是非とも悔しがっていて欲しいなと忍び笑いしつつ。

 繋がった。「お、師匠――」

 

「あら。終わったの、真希?」

 

 早々に、出鼻を挫かれた気分になった。

 

「……真依?」

 

 なんで師匠の携帯から妹の声が? しかも電話の向こうからは、妙な艶音(・・)が漏れ聞こえてくる。

 

 …ふぅ”ぅ♡♡ ふぅ”…っ♡♡ お”ッ”♡♡ ォ”っ”♡♡ ……おとう…さん…っ♡♡♡

 …んむっ…はむっ♡♡ …れちゅ…れろぉ…っ…おとうさん…♡♡ すき…♡♡ ちゅー…♡♡ ちゅー…♡♡♡

 

 というか、これってまさか。禪院真希は一瞬で理解すると、思わず声を大きくした。

 

「オマエら今の時間からもうヤッて(・・・)んのかっ?」

 

 まだ夕食も食べてない時間帯なのに!?

 

「そうよぉ…♡♡」

 

 からかうような妹の声音は、官能の悦びで濡れているのを隠そうともしていない。

 

「ていうか…………朝から晩まで」

 

「は?」

 

 朝から(・・・)晩まで(・・・)? 私が切った張ったの大立ち回りしてた時も?

 マジで? ずっと(・・・)??

 

 納得いかね~~~~~~~~~~~~!!

 

「今は、美々子とベロチューして…おまんこ弄りながら…菜々子をバックハメしてるわ…♡♡ ほら、聞こえるでしょ…♡♡」

 

 ぱんっ…♡♡ ぱんっ…♡♡ ぱこっ…♡♡ ぱちゅっ…♡♡

 

「おい師匠だせよっ」

 

「だめよぉ…♡♡ おじさまのおまんこハメの邪魔をするのは、だーめ…♡♡」

 

 むぐぐぐぐ。「こんのォっ、色情魔が!」

 

「むー、しょうがないわねえ。じゃあどんなふうにシテ(・・)たのか、教えてあげる…♡♡」

 

 

 …まずは朝ね♡♡ 今日はみんなで一緒に起きて、菜々子と美々子と私で…朝フェラご奉仕したの♡♡ おじさまのペニスって…かたくて…あつくて…おおきくて…♡♡ すっごい、オス(・・)でしょ…♡♡ 嗅いでるだけでマン汁どろどろになっちゃうし…おしゃぶりフェラしてるだけで二回はイッちゃったわ…♡♡ 最後は顔にかけてもらって…三人でお掃除フェラして…なでなでされて甘アクメして…♡♡

 

 …それからリビングで〈リンドウ〉の作ったごはんを食べたけど…もちろんセックスしながらよ♡♡ 菜々子と対面座位でぱこぱこ♡♡するおじさまに、私と美々子で「あーん」してあげて…菜々子がアクメしたら、その次は私の番…♡♡ 子宮に挿れられっぱなしで、くっ付きながら食べさせ合って…♡♡ 私も途中から「お”…っ♡♡ お”…っ♡♡」ってオホ声しか言えなくなっちゃったけど、そのままおじさまに最初に「びゅるるーっ♡♡」ってナカ出ししてもらえて…♡♡ まあ私も盛大に潮噴きしちゃったのだけど…♡♡

 

 …お昼になってからは、休憩して、映画を見ることになったの…♡♡ やっぱり後半はみんなえっちのことしか考えられなくて、誰も見てなかったけどね…♡♡ 私はおじさまにおっぱい揉まれながらべろちゅーするのに夢中だったし…美々子は「トイレに行きたい」って言ったらデカ尻ハメハメ♡♡されながらトイレまで歩かされて、そのままナカ出しするまでオホ声が家中に聞こえていたし…♡♡ 菜々子なんてそれに張り合って、おじさまに「お父さんのおしっこ飲みたい♡♡」っておねだりしたのよ…♡♡ ちょっとアブノーマル過ぎるわよね…まあその結果どうなったのかっていうと…♡♡

 

 ごちゅんっ♡♡ びゅるるるる~~~~~~っ♡♡♡

 

 

「あ…っ♡♡」

 

 ん”お”ぉっォォ”っっ♡♡♡ お”ぉぉ”ォォぉおお”――――――――っ”♡♡♡♡

 

「…ふふ…♡♡ 菜々子ったら、また…ナカ出しされて…ひっどい顔…♡♡」

 

 聞いているだけで。脳裏に、まざまざと情景が浮かび上がってくる。

 

「くそう!」

 

 なんで交流会がよりによって土日開催なんだよ! 土日じゃなきゃ私だって今ごろ……あ~~~~~くそムカつく~~~~~~~!

 

「……はァ。もう、ほんとうるさいんだから。……おじさま? ……はぁい♡♡」

 

 もぞもぞと動く気配のあと。よくやったな真希、お疲れさま、と彼の声が聞こえて。「師匠っ」何か言うよりも早く、ところが直ぐに、携帯は遠ざけられてしまう。

 

「はいおしまい。……それじゃあ、明日もさっさと倒して、無事に帰って来なさい。通信終わり」

 

 ぷつん。

 

「おい、」

 

 返事は無い。禪院真希は、無言になっている携帯を見下ろして。「あ、あんにゃろ……」あんまり過ぎてキレそうになったそのとき、玄関がノックされた。「あ”あっ? 誰だよ」

 

 事と次第によっちゃタダじゃおかねえと思いながら、ずんずん荒っぽく扉を開けると。

 面食らった顔をして。数年前からの友人である、京都校一年生の三輪霞が立っていた。

 

「あ、ども。えと。……まずかったですか?」

 

 深々と。どんよりと漏れてしまった嘆息に、三輪霞がおろおろしている。

 

「え、ごめんなさい真希さん?」

 

「オマエじゃねえよ」

 

 かぶりを振った。なんかもう、この一瞬のやり取りだけで交流会の時よりも疲れを負った気がする。確実に妹のせいだった。あいつのスケベ話のせいで、禪院真希の芯部に中途半端にムラムラしい欲求が熾きてしまっていた。

 まさか此処で慰めるわけにもいかないし。気分転換が、急務だった。

 

「霞」

 

「は、はい。あの、やっぱり出直したほうが」

 

「表出ろ」

 

「え”っ」

 

「ちょっとムカつくことあって、身体を動かしてえ気分なんだ。ちょうどいい、稽古つけてやるよ」

 

「えぇぇぇそれはちょっと」

 

「おら行くぞ」

 

「え”ぇぇぇぇ」

 

 このあと滅茶苦茶、二人で汗を流した。

 

 

 

 

 

 15.

 

 

 

 二〇一八年、九月。

 神奈川県川崎市キネマシネマ施設内にて、従業員が男子高校生三名の変死体を発見。通報を受けた神奈川県警は匿秘協定に基づき当事案をC案件として呪術高専東京校へ報告。

 同日、呪術高専東京校は現地へ呪術師二名の派遣を決定する。

 

 

 

 足音が響く。

 

 浄化処理された生活排水を川へと流している、川を横断する橋の下に伽藍洞のようにぽっかりと空いた下水道トンネル内に反響する足音。それは一人の人間が踏み鳴らす靴音であり、じめついた空気に含まれる独特の苔むした青臭さと滞留する陰気を無視して進み続けるこの男以外には誰の姿も、このトンネルには存在していない。

 

 足音は響き続ける。薄暗い通路は奥へ奥へ進むにつれ次第に血痕や残穢が散見され始め、しかし奥へと進む男の足取りには依然一切の迷いは無く、冷ややかなコンクリート壁は無機質に足音を反響させ続けている。

 

 足音が響く。

 足音が響く。

 

 足音が響く。

 

 足音が、

 

「―――、」

 

 止んだ。

 

 足音を止めた男の視線の先に、人間はいない。偶然にも超常を目撃し好奇心から追跡し奥地へ踏み込んだ物知らずな少年は、幸運にも少し前にこの場を離れている。真実この場には今、男以外の人間は存在していない。

 であるのならば。

 今、男の前に現れ――ヒトを嘲笑し続けているそれ(・・)の正体は何者か。

 

 果たしてそれ(・・)は、人間以外の存在だった。

 

 それ(・・)は道を塞ぐように立ちはだかり、継ぎ接ぎに縫い合わせたヒトのような(・・・・・・)顔面に、にたにたと露悪的な笑みを浮かべている。

 

 男はそれ(・・)を認めると、万感の籠った息を吐いて。それ(・・)へ、心の底から親し気に、わらいかけた。

 

 

 

「ずっと君に会いたかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





・十種影法術:相伝継承者 … 坂本に大きな借りを作った。大切な義姉が救われたので、後悔はしていない。

・リカちゃんのかれぴ … 色々と問題を抱えていたが、なんやかんやあって解決した。仲間もできて嬉しい。

・謎の男子 … 禪院真依と間接的に因縁があった。禪院扇の犠牲者であり、以降は本編に登場しない。

・禪院真希 … 激怒した。必ず、かの邪智暴虐の妹に復讐()せねばならぬと決意した。

・禪院真依 … 調子に乗って姉をからかった数分後、坂本の手によってお仕置き三重アクメの刑に処された。

・伏黒津美紀に潜んでいた“呪い” … 焼却された。



・伏黒津美紀 … “呪い”は取り除かれたが、特異な後遺症が残った。これまで通りの生活は送れない。その“魂”には、“呪い”を焼却した際の坂本の呪力が焼き付いている。






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