※この作品はR-18です。

ユー・アー・マイ・スペシャル   作:グリム・グリルグリン・グリーングリップ

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 誠に遺憾ながら、今回はスケベZEROです



























04 や

 

 

 

 11.

 

 

 

「なんだ」

 

 男が息を荒げ、脂汗を浮かべている。

 風呂あがりの丸い肩をわななかせ、バスローブで隠れたでっぷりと肥えた腹を震わせて、目を血走らせている。

 

「な、なにが」

 

 引き攣った、馬が(いなな)くような声をして、男が叫んだ。

 

「何なんだ、おまえは!」

 

「田中」

 

 男の前に立つ、侵入者(・・・)が言った。

 ノーブランドのステンカラーコート。大量生産された安物のハット。ありふれたボトムス。こだわりのない革靴。衣類以外の露出した部分――目、鼻、口、首、胴、腕、指先に至るまで――を白い包帯に覆われている侵入者は、男性とも女性とも判じえない声をして、男の質問に答えた。

 

「もしくは飯田。他だと奥村とか、神林とか。マック・ガフィンって名乗ったこともあったかな」

 

「どこの手のモンだ、答えやが――」

 

「あんたに恨みがあったんだ」

 

 ひゅう、と息を呑む音。

 

「晴らし屋だよ」

 

 はらしや? 聞き慣れない言葉と、気が動転しているために、男はオウム返しに訊いてしまう。

 

「そう。晴らし屋。霊とか呪いとかじゃあない、人の恨みを晴らす。そういう仕事をしている」

 

 ここには仕事をしに来たんだ。侵入者が、侵入者の足元に倒れている屈強な男たちや裸の女たちを一瞥したのち、男のほうを向きながら言った。依頼を受けた。だから、俺がここに来たってわけさ。

 護衛はみな意識を失い、侵入者は外へ通じるドアを塞ぐ位置に立っている。息苦しさに耐えられなくなった男は、胸を押さえながらテーブルに手を伸ばし、ニトロの錠剤の入った小瓶を取ろうとするが。

 

「【油煎呪法(アブラカダブラ)】」

 

 侵入者が熱の無い声で呟いた瞬間、部屋の空気がそよぎ、掴んだはずの小瓶が光り輝いた。

 ()

 一秒と立たずに、小瓶は小瓶を掴んだ男の手首ごと跡形もなく焼尽した。男は絶叫しかけるが、それより早く男には知覚できない何かが男の顔面にべたり(・・・)と張り付き、頭部を呑み込んでしまう。

 

「俺の術式(ちから)だ。アブラカダブラ、そう呼んでいる。聞いたことくらいあるだろう。魔法の言葉さ。語源のアラム語によれば、すべて意のまま、って意味になるらしい。実際はなんでもできるわけじゃない。俺の場合は、油を生み出して(・・・・・・・)自在に操れる(・・・・・・)くらいでね」

 

 膝を折り、恐怖と激痛にのたうち狂いながら、男は酸素と逃げ場を求めて這いずり回る。焼尽された手首は断面ごと焼き払われたため出血はないが、顔面は紫がかり、双眸は眼底出血したことで赤黒く濁ってゆく。

 

「ただまあ、油っていうのは燃えやすい。しかも俺のは特別製だ。だからこういう真似もできる」

 

 侵入者が、指先を男たちや女たちに向けた。

 性別も体格も質量も関係なく。消滅した男の手首のように、男たちや女たちの身体が次々と炎に飲み込まれ、この世から焼尽してゆく。灰の一片、臭跡すらも残さずに。それでいてソファーやマットには、僅かな傷みも生じていない。

 

 濁り切った男の瞳に、窓越しの夜空が映り込んだ。懸命に震える手を伸ばす。しかし伸ばした手が届くことはない。錠は下ろされている。密室であり、どこにも逃げ場はない。

 

「いつもなら全部燃やしてさっさと終わらせるところだけど、できるだけ苦しめて殺すようにという、依頼人からの要望だ。だからこんな長話をした。依頼人が誰なのかは、あんたが知る必要はない」

 

 侵入者の指先が、男に向けられた。

 男の意識が、絶望に押し潰される。

 

 

 男の身体は、眩い炎に包まれてゆく。

 

 

 標的をこの世から「蒸発」させた“侵入者”は、ホテルの窓から、遠くに意識を向けるように夜空を見やった。

 

「〈術式〉、【解除】」

 

 途端に、ノーブランドのステンカラーコートと、大量生産された安物のハットと、ありふれたボトムスと、こだわりのない革靴と、“侵入者”の全身を覆う包帯が、瞬く間に燃え上がる。

 護衛や女たちや標的であった男と同じように、“侵入者”は、何の痕跡も残さずにホテルから「蒸発」する。

 

「………、」

 

 現場(ホテル)から一キロメートル弱の距離に建つ二十四時間営業のファミリーレストランの客席で、“侵入者”である分身体(・・・)の拡張術式を解除した呪詛師は、遠隔操作に割いていた思考を戻すと、軽く目を(しばた)いた。そしてテーブルに置かれた食べかけの少し固いピザを口に運び、何事もなかったかのように、もう片方の手で文庫本の残り少なくなったページをめくった。

 ぬるくなった味のしない(・・・・・)コーヒーを胃に流し込み、数年前に映画化されたスティーヴン・キングの「ゴールデンボーイ」を読み終えると、伝票を手に取って立ち上がった。

 

 公衆電話を見つけ、仲介人の番号に事前に取り決めていた数だけコールを掛ける。完了の報告を終えた呪詛師は、駅の方角に足を向けた。

 

 春の陽気に誑かされ、ネオンの輝く夜の街へ吸い込まれてゆく人々と擦れ違う。明るさと派手さに目を眩ませた人々を引きずり込んで散財させようと企む客引きたちを躱しながら歩く。どこからどう見ても、どこにでもいそうな、どこもはみ出していない普通の青年として、街に紛れることを意識しながら。

 金が足りていないわけではなかった。ただ単に、気が向かないだけだ。今回の依頼は自腹である遠征費と非術師にも視認できるよう分身体に用意した使い捨ての衣装代、仲介料を差し引いても帳消しして余りあるほどの報酬額であり、危険性に目を瞑れば一般の勤め人たちの平均年収を上回る破格なものだった。

 もし今しがた横を通り過ぎた冴えない青年の預金通帳が億ケタを超えていることを知れば、彼ら彼女らが目の色を変えて誘蛾灯に誘われる羽虫のように群がってくるのは想像に容易い。幸運にも他人の預金通帳を合法的に調べる方法は素人が他者の内面を精査するのが困難であるのと同様の難易度を強いられるし、そもそも懐の寂しさとは無縁の呪詛師自身も、そういった成金の気配は消して歩いていた。

 

 やろうと思えば、この街で暮らす売春婦全員の一夜を買うこともできる。あるいは視界の端の酔っぱらいが気に入らないからと、術式(ちから)を解放し一夜で阿鼻叫喚の地獄絵図を作り出すこともできる。魔法のように。そんなアイデアが(よぎ)れども、やはり、気持ちが動くことは――

 

「………、」

 

 ふと、音が遠のいた。

 

 足を止めている。

 

 靴先に、花が落ちていた。

 

「   」

 

 赤い花。

 

 なんとなしに、吸い寄せられるように手を伸ばした。

 濡れている。

 

「   」

 

 鮮やかな、花弁の蜜。

 触れた指先が、しっとりと濡れてゆく。

 

「   」

 

 持ち上げて、気が付いた。

 折れ目がある。

 

 紙で折られている。

 

「紙細工」

 

 視界が瞬いた。

 

 花が消えていた。

 

 指が摘まんでいるのは、片翅を捥がれた、白い蝶の死骸だった。

 折れた翅の付け根に、黒い虫が集っている。うぞうぞと動いている。爪にも、黒い虫が這い上がっている。

 

 立ち上がった。

 

 擦れ違う人の顔が、花になっていた。

 

 鼻も口も無い。瞳だけがついている。誰もが、瞳だけの花になっていることに気付かず、スーツやドレスを着て擦れ違っている。

 

「………、」

 

 目を閉じた。

 

 深く息を吸う。そろそろと吐く。

 開く。

 

 花は、消えていた。

 

 靴底で、蝶の死骸を踏みにじる。止めていた足を動かす。

 何も問題はなかった。非術師の顔が、自分のそれと同じに見えなくとも。

 

 呪詛師はわらった。いつものように。このまま電車に揺られ、自身が暮らしている拠点へと帰る。足を止めさえしなければ。そうして眠りについて。

 

 だが。たとえば、もしも。

 

 足を止めて。

 あるいは、この場で。

 

 すべて意のままに(アブラカダブラ)、そう唱えてしまえば。

 

 唱えてしまえたなら(・・・・・・・・・)――

 

「だめだ」

 

 思考を振り払い、歩き続けた。

 

 雨など降っていない。だが、降り積もってゆく。一歩置きに。魂に。誰もその内面を推し量ることはできない。これからも灰色は降り積もる。いつか重みに耐えかねる、その時まで。

 

 

 その日は違った(・・・・・・・)

 

 

「なんか目が冴えちゃってさー。屋敷抜け出して来て、探してたわけ。なんか面白いことないかなあってさ。そしたら、キモイ呪力を感じたんだよね」

 

 夜間は人の気配がすっかり絶える静かな郊外に、都市開発計画中止の煽りを食らって工事途中のまま放置されているビルが何棟かあり、その一画に呪詛師の拠点はある。

 呪力の波を感知したのは、とぼとぼと帰路に就く最中のことだった。

 

 思わず足を止めてしまうほどの、とてつもない呪力量。隔絶した存在感。息を呑んだ。()の巨大な暴威の一撫でによって、ビルのなかで蠢いていた別の複数の呪力源――巨大な方を象とするならば微生物めいた微弱な呪力の持ち主――がぷちり(・・・)、と押し潰される。

 

「マジくだんねーの」

 

 窓が粉々に砕け散り、二人の男が道路に放り出された。共に全裸であり、全身の皮膚は(かんな)で削がれたように赤く露出している。ガラスの突き刺さった太股や陰茎は特に血にまみれていて、精臭を放ちながら白目を剥いていた。

 

「呪詛師ってさ、ザコにも色んなのがあるけど、こんなんが面白いとか……ウケる。いやウケねーわ。キモ過ぎんだろ」

 

 風が吹いた。

 

 遅れてビルから出てきた()に、呪詛師は言葉を失った。

 

 純美な白髪。

 端麗な容姿。

 小柄な痩躯。

 

「おまえもこいつらと同じ? にしては、もっとキモい呪力してんな。呪霊みたいな。しかも、その呪力量。オレより多いやつなんて初めて見た」

 

 声変わりもしていない、第二次成長期に差し掛かるかくらいの少年は、やっとマシなのが出てきたぜ、とくつくつわらっている。

 黒いサングラス越しに見える双眸は、常ならば碧眼――されど今は闇夜に浮かび上がるほどに、蒼く輝きを放っていた。

 

 常ならばあり得ないことだったが。呪詛師は、我を忘れていた。現れた「脅威」を前にして、棒立ちになるという失態を晒してしまう。

 少年の持つ術式によって「無限」を流し込まれたわけではなかった。しかし呪詛師の脳に飛び込んできた「情報」は、それまで呪詛師が積み重ねてきた価値観の根幹を破壊するほどの衝撃を持っていた。

 さながら原因不明の難病に蝕まれ、知識から知識へと渡り歩くも解決の糸口は見えず時ばかり嵩み、何時しか諦め淀み腐り(せかい)を呪詛して()んでゆくだけであったところに、ひょんなことから光明を一っ飛びして「真実」が降り注いだかのような。

 絶望(・・)が裏返る衝撃と、興奮と、恐怖と、憤怒と、悔恨と、それらを上回る欣快(きんかい)が一気に心臓に押し寄せて氾濫し、激突し、撹拌され、それらの情動を――ようやく呑み込んで、呪詛師は言った。

 

 立ち尽くして。こぼれ落ちるという表現が、ぴったりな口調をして。「おいおい、嘘だろ?」と。

 

「なにが?」

 

 

「……五条悟(・・・)……」

 

 

「正解! やっぱ呪詛師か。ん、呪術師? どっちでもいいけど」

 

「つまり、ここ(・・)は」

 

「オレ、退屈してたんだよね。どいつもこいつもザコばっか。つまんねーんだよ。その点、おまえは少しはマシみたいだし」

 

「本物だ。間違いなく……嘘じゃあない、この感じは。ホンモノだ。……ああ、くそ、これは。――これ(・・)が、間違いのわけない」

 

「はあ?」

 

「五条悟」

 

「おーい、さっきから」

 

「俺が見えてるか」

 

「ええ……?」

 

「見えてんのかよ、その〈六眼〉に。俺の姿は、映ってるのか。俺は、ちゃんと……本当にここ(・・)にいるのか?」

 

 呪詛師の言葉は、絞り出したように震えていた。

 視覚、味覚、触覚、過去、記憶。呪詛と呪縛で雁字搦めにされながら生きてきた呪詛師の灰色の内面は、〈六眼〉を持ってさえ窺い知ることはできないが。

 

「もしかして、頭イカレてんの?」

 

「どうなんだよ。教えてくれよ」

 

「やべーよ、このおっさん。……俺が、幽霊と会話してると思ってんのかよ?」

 

「はは」

 

 五条悟の投げやりに放たれた言葉は、呪詛師のなかの、敏感で脆く、弱り切っていた琴線に触れていた。

 

「キッショ、なに笑ってんの。え、ていうか、泣いてんの?」

 

 呪詛師は唖然とし、肩を震わせて。

 

「マジかよ。そっか、そういうことか。――ここ(・・)、……」

 

 大声で笑った。闇夜に響き渡るのも構わず、年下の少年にドン引きされて呆れられていようが気にせず。

 笑い続けた。とめどなく溢れ出る、長らく溜め込み蓋せざるを得なかった「熱」で頬を濡らしながら。

 呪いに満ち〃々た灰色の荒野に、突如として鮮烈な色彩(かがやき)が出現したことで、自分の内面に不可逆な革命的転回が起きたことを理解して。

 色彩(かがやき)に照らされて蘇った「熱」の赴くままに、泣きに泣き、笑いに笑うと。

 

 不格好に頬をぬぐった。

 

「悪い。悪かったよ」

 

「どーすんだよ。とりあえずキモいしぶっ飛ばしちまうか?」

 

「悪かったって。……悩みがあったんだ、ずっと。毎日毎日、だだっ広い荒野に迷子って感じで、悪化する一方だし、解決の糸口も見つからないし、堂々巡りで。色んなことに、……絶望してた。それが、――たった今、解決(・・)した。全部の悩みが消えたわけじゃない、でも、やっとな。俺の正気が間違っていようが、それでも、それだけは絶対に間違いじゃないものが見つかった。信じられる拠り所というか、偽れない、揺るぎないものがあったんだ……本物(・・)が。だから……不安が吹き飛んだというか。地に足が付いたっていうか。安心したんだな。安心したら、急にこの状況がおかしくなっちまって。はは。間抜けだなあ、俺って」

 

 こんなに泣いたり笑ったりしたのは久しぶりだ。呪詛師は、屈託のない表情で五条悟に笑いかけた。というか初めてかもしれない。おかげで今は、正月元旦の初日の出を浴びたような晴れやかな気分って感じだ。

 

「はあ……? いきなり意味不明な自分語りに巻き込んでんじゃねーよ、不審者過ぎんだろ。ていうか今は春だし、夜なんだけど」

 

「そうか。……そうだな、そうかもな。わるいわるい、お子様は寝る時間か。“最強”だろうと、それは変わらないよな」

 

「ナメてんの、おっさん?」

 

「おっさんじゃねえよ。まだ十代だ」

 

「フケ顔かよ」

 

「目が腐ってるのか。クソガキだな、君は本当に」

 

「あのさあ。状況わかってる?」

 

「そっちこそ。ちび五条悟君」

 

 呪詛師は、呪詛師が抱える極めて個人的で重要かつ甚大な「真相」を通り魔的な遭遇によって唐突にぶちまけられた衝撃こそまだ冷めていなかったが。己が今なすべきことは既に理解して、思考も立ち直りつつあった。五条悟は呪詛師が大笑した時点で興を削がれた様子であったから、吹っ掛ける真似をしなければ見逃される可能性はあったが。

 敢えて呪詛師は、それを選んでいた。そして五条悟は、とうに見逃すつもりではなくなっている。

 

「あっそ」

 

 自分の希望は通って当然だしこれからもそうだという高慢な確信を見せつけながら、五条悟が立ちはだかった。

 

「なら来いよ、呪詛師。先手は譲ってやる」

 

 ひらひらと手を動かし、五条悟が言った。

 だが呪詛師は動かず、邪気のない笑みを浮かべている。

 

「なんだよ、来ないならこっちから行くぜ」

 

 凄まじい呪力が巡る。

 

「〈術式順転〉、【蒼】」

 

 秩序が歪む。

 

「まあ――おまえがこっち(・・・)に来るんだけどな!」

 

 呪詛師の身体が、「蒼」に引き寄せられる。

 〈無下限呪術〉によって生み出される「-1の虚構」により、大人であろうと何であろうと軽々と引き込む収束現象が、呪詛師の肉体を捉えている。

 蒼眸を爛々と見開いた五条悟と呪詛師の距離は、あっという間に三メートルにまで縮まる。呪詛師は呪力を巡らせ、体勢を制御し、その動きを〈六眼〉が見抜く。いい反応だけど意味ねえよそれ。五条悟は毀笑しながら〈無下限呪術〉の防御を展開している。何をしようと五条悟の「無限」を突破することはできない。

 

 呪術界御三家の一角である五条家次期当主。慢心も当然である呪力保有量ならびに数一〇〇年ぶりに爆誕した〈無下限呪術〉と〈六眼〉の抱き合わせ。年齢など関係ない。間違いなく現代最強の術師にして、世界の均衡をも崩した「特別」な男児。

 巷に紛れて小金を稼ぎながら暮らす、ちゃち(・・・)な呪詛師が敵う相手ではない。

 彼我の差が一メートルに達する。

 五条悟の勝利だ。仮にこの場に他の術師がいたならば、誰もがそう考えるはずだった。

 

 

「【領域展延】」

 

 

「は?」

 

 視界に星空が広がっている(・・・・・・・・・・・・)

 仰向けに倒れていた五条悟は、悪夢から目覚めたように身体を跳ね起こし、茫然と周囲を見回した。

 

「――何してんだオレ?」

 

 誰もいない、喧騒からも程遠い郊外だった。何があった? 五条悟は記憶を遡る。目が覚めて仕方なかったので(誰にも言わず)家を抜け出して、気の向くままにビルとビルの間を飛び越えて探索していたら、キモい呪詛師を見つけて、そいつらをシバいて。

 そこからあとの記憶がない。二人いたはずの呪詛師も、姿を消している。

 

「てか、なんで服、破けてんだ?」

 

 後頭部に触れる。少し腫れていた。腹部にも痛みがある。(へそ)の周りや胸周りの生地が、刳り貫いたように無くなっていた。ズボンの太腿部分も破けており、血液らしきものが付着している。ふと見ると、割れたサングラスが転がっていた。地面には、血の跡が染み込んでいる。

 服もサングラスも勝手に壊れるものではないし、ましてや五条悟が出血するなどという事態は、呪術の鍛錬でもそうそうあるものではない。しかも身体には、僅かながらに呪力の痕跡があった。

 

 絶句する。何があったのか思い出そうとし、その時点でようやく、五条悟は思い出すことが(・・・・・・・)できない(・・・・)事実に気が付く。

 

「……〈縛り〉……?」

 

 自他ともに比類なき術師と認める五条悟は天が二物も三物も与えたもうた多角的な素質を備えている。それ故に血の気が引くような感覚に襲われながら、五条悟は優れた分析力によって信じ難い真相に辿り着いた。

 

「俺が、負けた(・・・)?」

 

 チンカス呪詛師を斃したあと、遭遇した術師に。認め難いが、倒されたのだろう。「無限」を突破され、ダメージを負った。

 負ったダメージは〈反転術式〉かそれに類する能力によって治された。服の破損や呪力の痕跡はその証左だ。

 

 治すのと引き換えに〈縛り〉を結んだ。そうでもなければ傲岸不遜たる五条悟が〈縛り〉を結ぶはずがない。すぐに〈縛り〉を結んで治癒しなければ致命傷に成りかねないほどのダメージだったのだろう。そしてその術師は、五条悟に自らを思い出させないための〈縛り〉を結んだ。

 

「ふざっ、ふざけんなよ!」

 

 五条悟の絶叫が反響する。その術師がなぜ五条悟を殺害しなかったのかはわからない。呪詛師であるのなら裏社会で掛けられた懸賞金が億単位を超えることを知らぬはずはない。仮に呪術師であったとしても、五条悟が消えて喜ぶ者などいくらでもいる。あるいは五条悟と〈縛り〉を結ぶのが目的であったのか。

 

「クソ! クソ! クソ! クソっ、」

 

 何も思い出せず、ただぽっかりと失われた五条悟の記憶には。

 

「おぼえてろよ――!!」

 

 自らが敗北した(・・・・)、という事実だけが残されていた。

 

 

 

「舐め過ぎなんだよ、クソガキ君」

 

 地団駄を踏む五条悟と同じ闇空の下を歩き、とっくに現場から離れていた呪詛師は、自らの勝因を冷静に分析していた。

 

 一つ目。「此方側は五条悟の〈無下限呪術〉を突破するすべを有していた」。

 二つ目。「相手側は〈無下限呪術〉を突破できるすべが存在することを知らなかった、もしくは見たことがなかった」。

 三つ目。「場数の違い」。

 四つ目。「相手の油断」。

 

 勝敗は一瞬で決した。

 

 「蒼」に引き寄せられた呪詛師は〈領域展延〉の発動によって〈無下限呪術〉の防御を中和し、その勢いのまま呪力強化同様に〈領域展延〉で強化されている手刀を振るうと、呆気に取られた五条悟の隙を縫って急所を貫いた。

 派手な攻防もない、瞬きの決着。腹部に大穴を開けられ、次いで片肺と片脚を潰された五条悟は激痛によって〈無下限呪術〉を正確に操作することができず、なにより絶対の防御を突破されたショックによってろくに反撃もできないまま、呆気なく死ぬはずだった。

 

 そこまで追いやってから、呪詛師は契約を持ちかけた。呪詛師側に優位な〈縛り〉を結び、それから致命傷であった五条悟を〈反転術式〉で治療した。わざわざ助けた五条悟が殺されるのはつまらないので、ついでに転がっていた呪詛師二人とその呪詛師に襲われていたらしき一般人も「蒸発」させてから、その場を離れた。

 

「“狂ったこの世で狂うなら、気は確か”……ね」

 

 五つ目。「運が傾いた」。間違いなく、それもある。五条悟が追跡できないように幾つかの〈縛り〉を結んだが、相手が「五条悟」という規格外であれば、それだけで安心するのは油断だろう。

 勝因が重なったとはいえ、紙一重であったのは確かだった。紙媒体や映像ではない、本物(・・)の「五条悟」を肌で体感することで自覚した、呪詛師が誰にも打ち明けたことのない「記憶」を加味してもそう思えた。

 

「認めるよ。忘れてた、何のために頑張ろうとしたのか」

 

 ぽつりとこぼれた言葉の意味を聞く者は、ここにはいない。

 

 時計を見やると、零時を回っていた。

 

「呪詛師、やめるか」

 

 立ち止まり、呪詛師――坂本は呟いた。

 

「五条悟、ゲトウスグル、フシグロメグミ、イタドリユウジ、ゼンインマキマイ、宿儺、メロンパン。“原作”は、どうだったかな。あんまり覚えてないけど。敵対しないようにして、そのほかは――“封印”か。時期はいつだっけ。どう動くか。いや、というか、その前に就職しないとな。どのみち今のままじゃ、うん。やっぱり、表のまともな職について……」

 

 声色に昨日まで含まれていた、限界まで張りつめていたものは、いくらか薄らいでいる。

 

「……ありがとう、五条悟。今日はよく眠れそうだ」

 

 坂本は。

 しっかし、とそれはそれとして今しがた打開した“最強”との邂逅という寿命が磨り減るような体験を笑い飛ばすように、茶化した口ぶりで言った。

 

「ヤバかったなー。(なま)五条悟」

 

 

 

 12.

 

 

 

 存在しないはずの記憶が溢れ出す。

 

 ――「腹をブチ抜いた。片肺も潰した。足もだ。術師は身体が頑丈だけど、こんなに大きな穴が開いてちゃあ長くはもたない(・・・・)だろうな。血も、ドバドバたくさん出ているし」

 ――「今際の際だな。手短に言うぜ、五条悟君。助けてやるよ。その代わり、俺と契約を結ぼう」

 ――「そんなに警戒しないでくれよ。別に何か非道なことをさせようってわけじゃない。俺は君のファンだぜ。本当さ、必要なら神さまに誓ってもいい。まあ神さまが信用できるかどうかは、大いに疑問の残る話だけどな」

 

 一つ目。「〈縛り〉を結んだ相手との記憶を忘れる」。

 二つ目。「〈縛り〉を結んだ相手を探そうとしない」。

 三つ目。「〈縛り〉の解析や解除をしてはならない」。

 四つ目。「〈縛り〉を結んだことを誰にも伝えてはならないし誰からも疑われてはならない」。

 

 ――「五つ目。次に再会したとき、〈縛り〉を結んだ相手……つまりは俺の願いを一つ聞いてもらう。この際、俺が頼む内容は倫理や道徳に反さない範疇であることを約束する。そんな渋い顔するなよ。成長途中とはいえせっかく“最強”に泥をつけたんだ、これくらいの特典はあって然るべきだろう?」

 ――「最後、六つ目。これから忘れるすべての出来事は、次に俺たちが再会したときに、不可分なく思い出す」

 ――「契約、成立だな。賢明な判断に感謝するよ。あー、よかった。俺も、君を死なせたくはなかったし」

 

 ――「それじゃあまた、次に会うその時まで。おやすみ、五条悟君……そして、さようなら」

 

 

おまえ(・・・)、は――!!」

 

 絶叫しながら指を組む。衝動のままに射線に捉える。〈術式反転・赫〉、すぐにでも弾き出せる。一撃で頭蓋ごと撃ち抜いてみせる!

 

「悟!?」

 

 発動の寸前で親友に腕を掴まれ、五条悟は目を血走らせた。

 

「邪魔すんな、傑!」

 

「何を考えているんだ悟! どうしたんだ!?」

 

「うるせえ!」

 

「悟っ」騒ぎに気づいた夜蛾正道もやってくる。「何をしている!」

 

 家入硝子は、ぽかんと呆気に取られている。

 

「や。久しぶり、五条悟君。その様子だと、無事に思い出せたみたいだな」

 

 よかったよかった、と男は安堵したように言うと、激昂する五条悟に笑いかけた。

 

「驚かせて悪いね。硝子も、久しぶり。そっちは……噂の呪霊操術の使い手さんか。夏油傑君で合ってるかな。初めまして、坂本です」

 

「あなたは?」

 

 夏油傑は興奮状態の五条悟を押さえつけながらも、坂本と名乗った男を睨みつけている。

 

 激しく警戒されているにもかかわらず、坂本は自身に引っ付いている女児二人の肩に手を置き、親し気な笑みを返した。

 

「今日から高専(こちら)でお世話になります、この子らの父親です」

 

 

 どうぞよろしく。

 

 

 

 

 13.

 

 

 

「むむむ」

 

 武家屋敷の離れの庭で、忌み子とされる双子の姉が、木刀を両手に構えている。

 (みね)を下にして正眼を取り、正中線に沿うように伸ばされた刀身の刃先には、厚さ1.5ミリの一〇円硬貨が縦に二枚(・・)積まれている。

 

「ゆれてるよ」

 

 縁側で見ている妹に「わかってるよ」と小声で返すが、徐々に揺れが抑えきれなくなり、ころんと銅貨が転がった。

 

「あー、もう」

 

「ざんねん」

 

「……うーん。もう一回」

 

「お姉ちゃん、まだやるの? なんじかんやるつもり?」

 

「そんなにやってないだろ。それに、強くなりたいなら、ししょーがこれくらいはできるようになれって」

 

「そうだけど」

 

「真依のほうは?」

 

「わたしは、もう作れるようになったもん」

 

「ほーん。すごいじゃん」

 

「えへへ」

 

「あーあ。ししょーも、どうせならもっと教えてくれればいいのに」

 

「こんどはいつ来てくれるのかな」

 

「わかんね。あいつらしだいだとは思うけど」

 

「もう。お姉ちゃん」

 

「はいはい。あー、はやく来ないかなあ」

 

 ししょー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





・最強(ちび) … 夜更かし散歩していたら、変わった呪詛師がいたのでちょっかいをかけた。泣きながら喜ばれるという意味不明な反応と自分語りに巻き込まれた末、反撃で致命傷を負った。〈縛り〉によって記憶を失い、その後は夜に対して原因不明の苦手意識を抱えるようになった。

・最強 … 存在しないはずの記憶を思い出した結果、夜に対する苦手意識の原因を理解した。「や」されてブチ切れた。

・変な前髪の人 … 事態が呑み込めていない。というか誰??

・家入硝子 … 数年ぶりの再会にもかかわらず挨拶一つで済ませようとした坂本にキレた。ていうか腰に引っ付いてるメスガキども、誰?? えまって父親ってどういうこと??

・コワモテ先生 … ストレスがマッハ。

・坂本(10代) … 絶望を拗らせて現実と妄想を反復横跳びするキワキワな日々を送っていたが、ひょんな邂逅から偽らざる揺るぎない“最強”を実感し、ようやく自身の正気を肯定することができた。ありがとう五条悟。かっこいいよ五条悟。ユー・アー・マイ・スペシャル。それはそれとして〈縛り〉を結ぶために致命傷とトラウマを与えた。

・坂本 … 「や」した。


・マキマイ … 出番まで待機中。















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