ボクの感情に関わらず時は過ぎるし朝は来る。鳥の鳴き声に薄っすら目を開くと、すっかり日が昇った後のようだった。体を起こそうとして、あらぬところが濡れてことに気付く。
「つかれた……」
小さく呟いても誰の耳にも届かない。
起きることを完全に諦めて、ベッドの中で身を丸めた。
昨日、リンくんと体を繋げた。たぶん。
ボクが一方的に襲ったという認識で正しい。
処女は痛いとは言うが、全然痛くはなかった。半面、体力の削られ方がやばい。ことが終わってからの興奮状態だったとはいえ、よくぞ自ら自室のベッドの中に潜り込めたものだ。
今頃はリンくんにかけた魔法陣も効力を失って、彼の記憶の中には昨晩の記憶の欠片もないはずだ。いやもしかしたら、「ボクがリンくんの部屋を尋ねて少し話した」「ボクは実は女かも」くらいの情報も残っているかもしれない。でも、リンくんの身分で「実は西方伯は女だったんだ!」と言いだしても不敬罪に問われるのが関の山だ。
布団の中で、そっと、下腹部に触れる。
長年親しんだ男物の下着はよくわからない液体にまみれていた。洗濯すれば大丈夫だろうか。
布団の中でごろごろ過ごしていると、扉を叩く音がした。
「坊ちゃま! 入りますよ!」
「どうぞ……」
この屋敷唯一のメイドのマーサが部屋に入ってきた。メイドというには年季が入っているので、女中、と言い表した方がいいかもしれない。ボクの母上より上、お祖母様より下くらいのお年頃、まあ要するにばあやである。
「坊ちゃま、もうお昼……まぁまぁまぁ」
下半身が見えないように、布団を被ったままベッドから顔を覗かせると、マーサは心配そうに近付いてボクの顔を覗き込んだ。
「体調が悪いのですね? お疲れのようです」
「そうですね、少し……」
昨晩運動をしまして、とは流石に言えない。
曖昧に頷くと気のいいマーサは大きく頷いた。
「お水は呑みましたか? 後で食べ物をお持ちしますね。まったく、坊ちゃまは本当に小さい頃から手が掛かる」
「だって……たくさんは、食べられないんです」
ボクは女だから、食べ過ぎると胸が膨らんでしまう。
成長期はそういうものだと、芸術院の教科書に載っていた。
成人したので、もう大丈夫だろうか。でも念のため食べないようにしないと。今は大丈夫だ、リンくんが傍にいるから倒れても助けてもらえる。芸術院の頃も、空腹で起き上がれないボクを、いつも見つけてくれたから。リンくんがいれば大丈夫。
……昨晩のあれで、愛想を尽かされてなければいいけど。大丈夫。きっと大丈夫だ。
「急ぎのお仕事はございますか? セバスに言付けて準備いたしますが」
「……緑の小物入れを持ってくるように言ってください。書類は結構です」
ボクの言葉に、マーサは渋い顔をした。
「またあれですか」
「<パスティーシュの絵筆>には、初代様の魂が宿っているんですよ。代々の当主の相談役です」
「いずれにせよ、魔力の使いすぎで倒れないようにご注意くださいませ。ただでさえ坊ちゃまは食が細いのに……」
「マーサ。ボクは今は当主なので、『旦那様』と呼んでください」
「朝ごはんとお昼ご飯を全部食べたら、午後は『旦那様』と呼んで差し上げますよ」
「無茶を言わないでください」
二食分を一気に食べろ、というマーサの言葉にボクは唇を尖らせた。マーサは気にせず言葉を続けた。
「それと、昨日いらっしゃったお客人ですが」
「彼が何か」
リンくんの名前に心臓が跳ねた。魔法陣が中途半端だっただろうか。全部覚えていて「こんな屋敷にいられるか!」って言われたらどうしよう。
ボクの反応に、マーサは首を横に振った。
「お客人も具合が悪いらしく」
「え」
「屋敷の外の空気を吸いたいと言っています。ですが、このお屋敷は、外に出るためには許可証が必要でしょう? 一朝一夕しか滞在していないお客人に、自由に出入りできる許可証を与えるのはいかがなものかと。どうなさいます? あの方も芸術院の卒業生なら西領をよくご存知でしょう。街に宿を取らせて、必要に応じて呼びつけてもよいかと思いますが……」
マーサの提案にボクは顔を青くした。
リンくんには、できるだけ長く屋敷に滞在してほしい。リンくんと体を重ねたのはボクの独断なのだ。セバスやマーサにバレないように事に及ぶには、リンくんに屋敷に滞在してもらった方がいい。
「ダメです。アトリエと応接間は与えたでしょう? リンくんは他に何が欲しいと言っていましたか? できるだけ要望には融通して、屋敷から出さないようにしてください」
ボクの言葉に、マーサは目を細めた。
「坊ちゃま。人にしろ動物にしろ、無理に一か所にとどめるのは良くないですよ」
「リンくんが外に出るときは、セバスが見張るようにしてください。できるだけ外に出さないように、逃げないように。お願いします」
「随分とご執心なのですね」
マーサは、やれやれと首を横に振った。ボクは泣きそうになった。
「わがままを言って、ごめんなさい。でも、そうしてほしいんです」
「当主様がアトリエを与えられたのですからね。先方も心得ているでしょう。ですが人手が足りません。ご当主様のお抱え芸術家に、屋敷のお掃除をお手伝いさせる許可をくださいませ」
「許可します――リンくんがいいなら」
「<芸術狂い>パスティーシュ伯のお抱え芸術家に、使用人の分際で無理強いはできませんよ」
マーサの持ってきたお昼ご飯は、サラダとスープのみならず、パンまでついてくる大ボリュームだった。肉がついてこないのが救いである。半分までは何とか胃の中に流し込み、残りは夕食に回すことにして、セバスが用意した緑の小物入れを引き寄せる。
「<絵筆は剣よりも強し>」
指を添えて解呪の呪文を唱えると、箱の表面に魔法陣が浮かび上がる。開錠されたことを確認し蓋を持ち上げると、一本の万年筆が現れた。この万年筆に見えるものが、パスティーシュ家当主だけが使える魔道具、<パスティーシュの絵筆>である。
ベッドの上で、万年筆を持ち上げる。キャップを外しお尻に嵌める。手の中でくるりとペンを回すと、<絵筆>はすぅっとボクの肌に溶け込み、頭の中に男性の声が響いた。
『――また君か』
「おはようございます。初代様」
『今は何年何月何日?』
「セントバード歴1518年、秋の中月の十五日目です」
『前回から数日しか経っていないじゃないか。つまり君はレオナルド・パスティーシュだね』
「はい――ボクがレオナルドです」
初代様には、ボクの双子の弟のことは伝えていない。先代当主である父上から聞いているかもしれないが、質問されないので伝えていないだけだ。
『子孫が頼ってくれるのは嬉しいが、あまり私を使うものではないよ。私は魔力を消耗する。前回の悩み事はなんだったかな』
「なんだったでしょう――沢山ご相談しすぎて、あんまり覚えていなくて」
初代様の声はボクにしか聞こえないので、ボクは小さな声で答えた。初代様は優しい声で笑った。父上が正気で今でも健在だったなら、こうして話を聞いてくれただろうな、という声だった。
『何でも話しなさい。君は私にとって娘や孫のようなものだ――使いすぎるのは良くないが、頼られるのは悪い気がしないからね。当主の仕事は一通り教えたからなぁ。察するに、この数日で何かがあったのだろう。書類に読めない文字があったかい? やっかいな裁判があった? それとも中央から呼び出されたのかな?』
初代様はボクを幼い子供だと思っている節がある。父上は母上たちがいなくなってから全然遊んでくれなかったので、なんだかくすぐったい。初代様に見えないことは承知で、ボクは小さく微笑んだ。
「いえ、お仕事のことではなくて。ご報告したいことがあるんです」
『なにかな?』
リンくんのことを思い出して、ボクは頬を緩めた。
「屋敷に人が増えました。前にお話したかもしれませんが、友人を呼んだんですよ」
『……あぁ、そんな話もあったね。芸術院で知り合った同級生だっけ』
「初代様も、ボクが一人で当主業務をするのは大変だ、誰か信頼できる友達に助けてもらえ、って言っていたでしょう」
『言っていたね。でも彼は芸術家だろう? いいのかい? 芸術活動と当主業務は別物だ』
「リンくんは貴族院に通っていたこともあって、書類仕事も得意なんですよ。クラスの子たちの書類仕事やレポートも、たくさん手伝っていたんです」
ボクは初代様にリンくんの素晴らしさをアピールした。芸術家としても有望だが、役人の素質もある、と。
「それにリンくんのご両親は貴族なんです。芸術院の卒業制作でやらかして、リンくん自身の貴族位は剥奪されてしまいましたけど……だから貴族社会に詳しいんです。今の我が家には使用人はセバスとマーサしかいませんし、屋敷も別棟は火事で焼けたまま放置、母屋も部屋の半分も掃除できていませんけど、リンくんなら何かしてくれると思います!」
『いやぁ、流石に一人では変わらないんじゃないかなぁソレは』
というか屋敷、マジでやばいね、と初代様は呟いた。全面的に同意する。
『確かに人手は欲しいね。我が家の<宝物庫>は大丈夫?』
「大丈夫です。あそこはほとんど手入れもいらないし、魔力さえあれば維持できますから」
『君一人で魔力を支払いすぎるのもよくないよ。魔力とは即ち幸運の量だ。使いすぎると世界を統べる<四季の王>に見放される』
「リンくんがいますから! それに、ほら、ボクは女の子だから跡継ぎが必要だと初代様も前に言っていたでしょう?」
『あぁ……そんなことも言ったっけね』
初代様は、なるほど、と声をあげた。
『レオナルドは、リンくんとやらに片思いしているんだね。恋文かい? それならばこの私<パスティーシュの絵筆>を使うといい。君と同調しながら心情を適格に表現してみせよう。交換日記もいいね』
初代様が楽しそうな声を出したが、ボクは首を横に振った。
「いえ、別に片思いはしてないです」
『あぁそうなんだ』
初代様の声のトーンがちょっと落ち着いた。
「あと、昨晩体を繋げました」
『えっ』
「<娼婦グウェンダルクの魔法陣>を使いました」
『は? え、君、リンくんに襲われたの』
初代様が慌てた声を出したので、ボクは慌てて否定した。
「ボクが襲いました。でもちょっと体の負担が大きくて」
『え……?』
「一回で孕むとは限りませんよね? 何回か夜這う方が確実かと思うのですが」
『それは……そう、だけど』
「ボクも体力がある方ではありませんし、大っぴらに誰かに相談するのもちょっと」
『そうだね………………』
「初代様、何かいいお考えはありませんか?」
初代様は沈黙した。