閨事というのは難しいものである。
初代様には、『男女の仲は慎重に手順を踏むべき』という説教なのか蘊蓄なのか昔話なのか自慢話なのかよくわからない話を長ったらしくされてしまった。愛妾が二十人を超えたという初代様なら閨事も得意かと思ったが、よく考えたら逸話とは常にスケールが大きくなるものである。実際は純情だったのかもしれない。『自分の体を大事にしろ』とも言われたが、相手はボクよりもボクを気遣うリンくんである。当主の座を譲り受けて半月しか会話していない初代様よりも、三年間机を並べたリンくんの方が付き合いも深い。という思考は初代様に筒抜けだったようで、最終的には『その男としっかり話し合え』という道徳的な話になってしまった。
なので、ボクは、リンくんと話すことにした。
執事のセバスと女中のマーサの話によれば、リンくんはこの屋敷の中で着々と生活基盤を整えているらしい。頭の中を整理しつつ、ボクはリンくんのアトリエの扉を開いた。
「こ、こんばんはー……」
灯りがともっているから、いるかな? と思ったけれど、リンくんはいなかった。
アトリエは油絵具の匂いがした。壁沿いの棚には代々受け継がれる画材や絵筆が仕舞われ、南側の大きな窓からは夜闇に沈んだ庭が見えた。壁際には芸術院で見慣れたリンくんの道具箱と、作品を持ち運びするための専用の箱があった。リンくんの新作があるかもしれないが、持ち主のいないところで手を触れるわけにはいかない。大人しく、作業台の椅子に座る。
手持ち無沙汰になったので、リンくんの道具箱を<鑑定>した。
リンくんの本業は絵画なのだが、絵描きというものはどうにも需要が限られる。芸術院卒業後、リンくんとやり取りした手紙の中には、「王都で画材屋をやっている」というものがあった。貴族の親御さんが持つ王都のタウンハウスの管理をしつつ、装飾品を作ってお小遣いを稼いでいたそうだ。工具箱は何度も使われた形跡があって、中身の工具の種類も若干増えているようだった。芸術の都パスティーシュには昔ながらの工具も沢山あるが、新しい製品はどうしても人が集まる王都で生まれる。後でぜひとも見せてもらいたい。
絵具箱も<鑑定>するがこちらはあまり変化はない。魔法陣を描くための絵筆ばかり使われた形跡があり、魔道具の修繕も行っていた様子がうかがえた。
芸術ギルドを追放されても、案外生きていけるんだなぁ、と思っていると、リンくんの寝室と繋がる扉が開いた。
「リンくん!」
目を輝かせて振り向いてから、そういえば先日ボクは彼に犯罪行為を働いてしまったんだと思い出して、少し身を縮める。
リンくんはボクの微妙な反応には気付かなかったようで、「おう、来てたのか」と普段通りに答えた。
「リンくん、こんばんは!」
「お前、夜には出歩くなって……」
「大丈夫ですよ! ここはボクの屋敷の中ですし、全て魔法陣で管理されています。ですけどリンくん。<鑑定>スキルを持つボクならまだしも、未登録のリンくんは廊下に出ただけで防犯システムにひっかかりますからね。部屋の外に出る時は必ずセバスかマーサと一緒に行動するんですよ?」
「わかったわかった。昼にも聞いたってば」
リンくんは肩にひっかけたタオルでがしがしと頭を掻いた。
「リンくん、水を浴びていたのですか?」
「うん、そろそろ寝るかーと思ってたんだけど。お前が来たならちょっと作業するかなぁ」
芸術家として呼ばれた訳だし、とリンくんが小さく呟き、ボクの心臓が跳ねあがった。
「リンくん、作業するんですか? 新作はありますか? 王都で何を作ったんですか?」
「お前、本当に俺の作品が好きだよなぁ」
「大好きです! リンくんの作品は本当に素晴らしいんですよ、他の人にとってどうかは知りませんがボクはキミの作品だけが色づいて見えます。優しくて、繊細で、ボクはリンくんの作った作品が世界で一番大好きです」
「わかったわかった」
「本気ですからね!」
はしゃぐボクに、リンくんは苦笑して道具箱の蓋に手をかけた。
「今日はもう夜だし、見るだけな」
リンくんの選んだ箱には、虫の標本のように繊細な、優美で美しい髪飾りがグラデーションのように整列していた。
「うちの店の看板商品を持ってきた」
「スカーレットとサファイアブルーとこっちのオレンジイエローはリンくんの作品ではありませんね?」
一目見て疑問を口にすると、リンくんは肩をすくめた。
「ちょうど欠品だったんだ。お前がいきなり呼ぶから、それらしいものを知り合いから買ったんだが。やっぱり俺が作った方がいいか」
リンくんの疑問に大きく頷く。
「ボクはリンくんの作品がいいです!」
「王都の芸術ギルドで、そこそこいいやつ見繕ってきたんだけどなぁ」
「リンくんのが見たいです。……<鑑定>するとそこだけ制作者が違って、気持ち悪いです。あと花の種類と花びらのつけ方と葉っぱの葉脈と金属の流れが」
リンくんは笑いながら「そのうち作る」と約束してくれた。
「全部できたらボクにください! 言い値で買います!」
「いや、やるよ。食事代と場所代にはなるだろ」
「ダメです! 安売りしないでください!」
「えー?」
「お代は何がいいですか? 何でも言ってください、キミが望む分を望む分だけ。ボクは西領伯なので。どんな願いでも叶えます! 地位でも権力でも金銭でも女性でも、何でもいいですよ!」
リンくんはボクをじっと見た。
「何でも?」
「何でも!」
ボクは大きく頷いた。リンくんになら何だって渡せる。なんならつい先日、処女をあげたばかりである。後悔はない。だって、ボクが一番信頼している相手だ。
リンくんは、口元に手を当てて考え込んだ。よくよく考えたら、「何でも」と言われたら困るのは当然である。選択肢が多すぎて絞り切れないに違いない。ボクは慌てて言葉を付け足した。
「本当に何でもいいですよ。ボクの……西領伯の専属芸術家の地位があれば権力も金銭もついてきますし、貴重な画材や魔道具も好きなだけ使えます。代々我が家で管理している<パスティーシュの宝物庫>の中にある、貴重な国宝や絵画も見放題です。リンくんはお酒も嗜むでしょう? <宝物庫>の中には伝説の古酒もありますよ。あとはそうですね、過去のお抱え芸術家には当主の妻や娘、好きな人との結婚を望んだ者もいるようです」
リンくんは顔を上げた。
「当主の妻や、娘?」
ボクは大きく頷いた。
「貴族と平民の身分を超えた縁を結びたい、という望みを叶えた例もありますし、寵愛した愛人兼芸術家に正妻の地位を与えた当主もいます。男性の場合は、褒賞として娘を下げ渡したり、伯爵夫人と一晩を過ごしたいなんて望みを叶えた例もあるようですね」
普通、貴族が自分の配偶者を平民に触れさせることはない。自分の妻より絵画を優先するのは貴族としても人としても異常だ。だが、それを許容するからこそ、我が家は<芸術狂い>と呼ばれている。
ちなみに「伯爵夫人と一晩を」と言いだしたのは雇い主である伯爵側らしい。芸術家は一晩かけて、眠る夫人の肖像画を描き上げたというオチである。
「もちろん、以前より思いを寄せている相手と一晩を、というパターンもあります。恋仲の相手と添い遂げられるよう伯爵家に口添えを頼む例もありますし、高級娼婦を呼ぶ例も。……ここだけの話、街中から美人を浚うこともあったとか」
リンくんはじっとボクの目を見た。
「お前は……」
「なんでしょう?」
「いや。随分と変わったなと思って」
「男子七日会わざれば刮目して見よというやつです。清濁併せ吞めるようになったと褒めてほしいですね」
「お前、女だろ」
「まぁそうですが」
リンくんがあっさり相槌を打つので、ボクもあっさり頷いた。カマをかけられたのか、先日の会話を覚えていたのかは、よく分からなかったけど、どちらでも良かった。
「という訳で、リンくんは何か欲しいものはありますか?」
「ありますか、ってお前なぁ。地位は伯爵家の専属芸術家ってだけで十分だし、権力はあると邪魔だし、金銭も不自由はしてないし……女も、まぁ、いいや」
「相変わらず真面目ですね。王都なら、娼館も美人さんが集まっているでしょう。恋人や気になる女性はいないのですか?」
ボクの言葉に、リンくんは眉根を寄せた。
「うるせー。どうせ俺には恋人はいねぇよ」
「でもいつかはお嫁さんを取るのでしょう? 我がパスティーシュ家の権力を使えば、素敵な女の子が選り取り見取りですよ。おっぱいの大きい子がいいですか? それとも髪の綺麗な子がいいでしょうか」
「惚れた女は自力で口説く。お前の助けはいらねぇ」
リンくんの口ぶりに、ボクは首を傾げた。
「……リンくん、気になる子がいるんですね」
ちょっと寂しい。芸術院に在学中はボクとリンくんはニコイチだったのだ。そのボクが知らないということは、きっと卒業して王都に行ってからの半年ほどで知り合った女性に違いない。リンくんはボクから顔をそらした。
「お前には関係ないだろ」
「だったら」
ボクは手に胸を当てて、身を乗り出した。
これはチャンスだ。
「だったら、ボクと子作りしていただけませんか」
*
「お前は何を言っているんだ……」
呆然とするリンくんに、ボクは先日話した内容を繰り返した。
ボクは対外的には男であること。
ボクに婚約者はいるが女性であり、子作りはできないこと。
だが、我が家の当主は血筋に宿る<鑑定>スキルが必要であること。
「当主の受け継ぐ魔道具は、起動に<鑑定>スキルが必須なのです。遠縁から養子を取るにしても、そう簡単に候補者が見つかるとは思えません。だからボクが子供を産む必要があるのです」
「けどお前、伯爵家の姫が何言ってんだ」
「ボクは男です。『レイチェル』ではなく、『レオナルド・パスティーシュ』です」
ボクは堂々と弟の名を名乗った。
「ボクは当代パスティーシュ家の当主として、跡継ぎを作る必要があります。キミが協力してくれたら大変助かります」
「けど、お前……弟が生きてる可能性があるだろ」
「母上と弟が行方不明になって十年以上経っているのですよ? 名乗り出るならボクが当主に就任する前に声を上げるはずです。そうでないなら、仮に生きているにしても当主をやる気がないのでしょう。だったらボクがやります」
ボクはリンくんをまっすぐに見た。
「リンくんも、いつかは愛する女性と家庭を持つのでしょう? だったらボクの体で練習をしていきませんか? ボクはまだ若いです。大抵のプレイには対応しますし、どのような体位にも応じますよ」
リンくんは重い口を開いた。
「……けど、お前、だってそれは」
「どうせ処女ではありませんし」
「え」
リンくんは目を見開いた。ボクは勝機を感じ、ふふんと胸を張った。
「リンくんの前任は、あのフォージェリおじさまですよ。ボクが何もされなかったとお思いですか?」
まぁボクが処女を捧げた相手は数日前のリンくんなんですけどね!
ボクの当主就任直後に失踪したフォージェリおじさまは、異常性癖者で、日替わりで様々な女性を部屋に呼んでは壊していた。ボクの婚約者に手を出しかけたこともあったのだ。ボクが女だと知っていればまず間違いなく狙われただろう。ボクを男と信じていても、ボクを利用して複数人プレイや視姦プレイに参加させたり、催淫効果のある魔法陣を書かせたり、娼婦のおねーさんの相手をさせようとしたりしてきたのだ。ボクが女性に興味を示さなかったので、その手の男にあちこち撫でられたことだってある。貞操を守ってはいたけど、そういう意味では、ボクだって色々なことを経験済みだ。
「リンくん、ボクとエッチしましょうよ。どうです? キミから貴族の身分を奪って平民に貶めた女を、ぐちゃぐちゃに犯して屈服させたいとは思いませんか?」
リンくんは眉根を寄せた。とことんボクを抱く気にはなれないらしい。やはり先日、リンくんがボクに興奮していたのは、完全に魔法陣の効果だったのだ。女性としての性的魅力はゼロだと改めて示されて、ボクはなんだか悲しくなった。ボクは、胸元に当てた手を下ろた。
「まぁでも、リンくんが断るなら、他の人に声をかけますが」
「それは駄目だ」
リンくんは即答した。
ボクは目を瞬かせた。
「え? でも、リンくんはボクの相手は嫌なのでしょう?」
ボクが首を傾げると、リンくんは強い目でボクを睨んだ。
「誰がそんなことを言った」
「でも、ボクが非処女の阿婆擦れで経験済みであっても、ボクとエッチするのは嫌なのでしょう?」
なんのために数日前にわざわざ<娼婦グウェンダルクの魔法陣>など持ち出したと思っているのだ。ボクが処女だと素面のリンくんは絶対に犯してくれないと思ったから、わざわざ古の魔法陣を使って夜這いしたのに。
「ボクの髪は女性にしてはあり得ないほど短いし、体つきも女性らしさとは程遠いですからね。欲情できなくても仕方ないと思いますが」
ぺったんこの胸に手のひらを当てて、改めて自分の絶壁ぶりを確認すると、リンくんはボクの腕を掴んだ。
「抱けばいいんだろ」
リンくんはボクの腕を掴んだまま、強い口調で言った。
「ちゃんと手ぇ出すから、他の奴のところへは行くな」