白いマンションの屋上に居を構えたのはほんの数年前のことだ。真也は自分たちの暮らすマンションを見上げて目を細めた。美鈴とはバスに乗る前に一度、別れている。どうやら何かと準備をする必要があるらしく、待ち合わせは夕方遅くということになっている。何をそんなに用意しなきゃならんのかな。そう呟きながら真也は肩でマンションの硝子戸を押した。
小さなボードに設えられたテンキーで暗証番号を入力する。こんな具合に用心深い鍵のついている住居というのも生まれて初めてだった。このマンションに引っ越す前に暮らしていた場所とは随分と作りもルールも違う。自動で開いたドアからエレベーターホールに移動しつつ、真也はかつて暮らしていた屋敷のことを思い出した。
緑の美しい静かな場所だった。今暮らしている街と比較すると、その周辺ははるかに人口は少なかった。暮らしていた当時は何の疑問も抱かなかったが、今思えば辺りの敷地の全てが吉良瀬の家のものだったからこそ、あの静けさが保たれていたのだ。
だがそれも全て燃え尽きた。吉良瀬の血は真也と兄である立城の二人を残して絶えてしまったのだ。広大な土地を含む莫大な財産も全て二人のものとなった。
軽い電子音がしてエレベーターのドアが開く。真也は最上階でエレベーターを降りた。このフロア全てが今の二人の住居だ。真也は玄関に立って呼び鈴を押した。ほどなくスピーカーから声が聞こえてくる。
『真也? いま開けるから』
穏やかな声と共にドアが自動的に開く。真也は無言で家に入った。広々とした玄関から廊下を抜けて居間に向かう。真っ先に見えたのはインターフォンに向かう立城の後姿だった。
「おかえり」
にっこりと微笑みながら振り返る立城の頭には小さな二本の角が生えている。瞳と髪は紫。人間では決してあり得ない存在だったからこそ、立城は吉良瀬の屋敷の離れにずっと幽閉されていたのだ。
龍神という生き物なのだと立城は以前、真也に自分のことを説明した。立城はかつて生きていた龍神の生まれかわりなのだという。昔の記憶をはっきりと持っているためにか、立城は幼い頃から大人びていた。真也はおう、とぞんざいに返事をしてソファに腰を下ろした。タイミングを測っていたかのように立城が真也に何かを差し出す。
「なんだ? これ」
「卒業祝いだって。さっき配達されてきたんだよ」
どうやら電報らしい。差出人の名前を見た真也は半ば呆れつつ電報を開いた。電子メロディのついた電報にはたった一文、卒業おめでとうと記されている。鳴っているのはいつか観た映画でかかっていた曲だ。
「コーラスライン?」
いつの間にか真也の後ろに回っていた立城が正確に映画のタイトルを言い当てる。真也は答えの代わりに肩を竦めてみせた。
「理香さんらしいじゃない」
「あのアマ、いつまでも子供扱いしやがって」
感心したような立城の言葉に真也はそう吐き捨てた。電報を机に放ってため息をつく。立城がテーブルの横に回って電報を取り上げる。途切れていた曲がまた鳴り始めたところで真也は目一杯顔をしかめた。
「優しい人じゃない。ああ、あとね。夏子さんとエリさんとあやめさんと」
電報を片手に立城が一人一人挙げながら指を折る。片手が終了したところで立城は持っていた電報を脇に挟みなおして右手の指も折り始めた。両手の指を全部折った所で再び指を一本ずつ開きだす。
「州崎さんと良枝さんと渡井さんと」
「あー、もういい! そいつらが何だって!?」
十六人目がカウントされたところで真也は声を張り上げた。一人一人の名を挙げていた立城が驚いたように少し目を見開く。瞬きをして真也を見つめてから立城はため息混じりに告げた。
「卒業おめでとうって電話が」
「うあ、うざっ」
率直に言ってから真也は立ち上がった。これ以上、話をし続けたら今度はどの名前が出るか判らない。これまで付き合ったことのある女性たちが卒業式のことを知っていたことも心外だが、何故ここの電話番号をまめに覚えているのだろう。うんざりしながら真也は自室に向かった。
十二畳の部屋を真也は自分専用に一つ使っている。部屋に置かれた家具は机と椅子、本棚、テーブル、洋服箪笥。それとは別にクロゼットが一つある。真也はクロゼットの扉を開いたところで手を止めた。もう、この学生服は着ることはない。脱いだ服を椅子に放り投げてクロゼットから新しい服を取り出す。
着替え終えてから真也は制服を抱えて居間に戻った。いつものようにお茶の用意をしていた立城に制服を差し出す。
「なに?」
ティポットを傾ける手を止めた立城が不思議そうな顔をして首を傾げる。真也は笑ってソファに制服を置いた。何着も替えを持っていたために真也の制服はそう大して汚れてはいない。ボタンは全部取れてはいるが、丈もぴったりのサイズだ。
「着てみろよ。制服、着たことないじゃん」
何となくそんな気分になったから、と笑って真也は制服を顎でさした。制服と真也を見比べていた立城がふわりと微笑む。そんな笑い方をすると立城は真也とは全く雰囲気が違い、とても柔らかな印象を人に与える。
「判った。じゃあ、代わりにお茶を頼むね」
二客のうち片方のカップにだけ茶を満たしたところで立城は制服を手に取った。穿いていたジーンズを脱いでスラックスに足を通す。真也は茶をいれながら時折、立城の様子を伺った。どうやらサイズはぴったり同じらしい。
「こんな感じかな。何だか照れるね」
制服を上下着込んだ立城がその場でくるりと回ってみせる。不思議なことに、同じ制服だというのに立城が身につけるともっと別の服に見える。へえ、と感嘆の声を漏らしながら真也はソファに腰を下ろした。
焼きたてのマフィンと一緒に紅茶を味わったところで真也は腰を上げた。そろそろ出かけなければ間に合わなくなる。腕に巻いた時計は既に午後四時をさしている。
「ちょっと出かけてくる。戻るのは」
「明日? 昼食時かな?」
途中で真也のせりふをさらって立城がにっこりと笑う。ああ、と頷いて真也は片手を上げて居間を出た。玄関まで立城が見送りに出る。
「あんまり無体なことをしないようにね。君とは違うんだから」
ドアにもたれた立城が言う。真也は口許を歪めて軽く笑って家を出た。
一応、これでも真也は中学卒業したばかりです……。