モブ描写あり/何でも許せる人向け
ネタバレあり(チェックメイト・スタフェス・レクイエム・オペレッタ)
「セナ、そこ、すき」
ぐちゃぐちゃと漏れる水音、生ぬるい相手の体温、快感に揺れる瞳。
嬌声を堪えるように手で口を塞ぐのを、「噛まないで」と遮って、れおくんの手を床に固定し、キスをする。
「あ、ん、うぅ……セナぁ」
「なぁに?」
ゆるゆると腰を動かすと、れおくんは、はくり、と空気を食んだ。
「もっと、痛くして」
れおくんの要請に応えるために、腰をぐっと突き出すと、ひときわ高い声が上がる。
「セナ、セナ、せなぁ」
舌足らずな声が俺の名前を呼ぶ。
「せな、噛んで、おねがい」
噛んで、もっと、痛くして、と願う声に、相手の手を離して太股の角度を変える。より深い挿入に、言葉にならない声をあげ、手を口元に運ぶれおくんを「こぉら」と窘める。
「噛んだら痕が残るでしょ。だめ」
その言葉にれおくんは大粒の涙をこぼした。
なんで。おねがい。かんで。セナ。
れおくんの懇願をそれ以上聞きたくなくて、俺はれおくんの唇に噛みついた。
*
れおくんは、おかしくなってしまった。
二年の初め頃、俺たちはしょっちゅう人の来ないガーデンテラスで放課後を過ごしていた。れおくんは俺の顔がお気に入りで、見ると「霊感が沸く」と言って結構な頻度で曲をくれた。俺は俺で、れおくんの曲には歌詞もないし題名も適当だし、何よりオメガなのに物静かな、人のいない場所に行きたがるれおくんが心配で、何だかんだ一緒にいた。れおくんはいつも芝生の上で五線譜を広げ、俺は日焼けを避けて東屋の中で書類や音源の確認をしていた。俺がモデルの仕事で掲載された雑誌のチェックをしたり、れおくんの音源を聴いたりしていると、れおくんはいつの間にか東屋の中に入ってくる。俺がれおくんを見ると、れおくんはにこにこと笑い、俺がれおくんに声を掛けると、それが嬉しくてたまらないと大仰な手振りでアピールした。
「れおくん、作曲は終わったの」
「今はセナの顔見て霊感沸くの待ってる!」
「そう。じゃあ、そんな所に立ってないで隣に座りなよ」
こっちおいで、と隣を指さすと、れおくんは元気よく頭を縦に振って、腕が触れる位の位置に座ってくる。三人はゆうに座れる長椅子なのに。れおくんが側に来て俺の顔を見上げるので、恥ずかしくなって目を背け、書類に集中する。
「セナ、本当に綺麗だよなぁ」
思わず口から出ました、という雰囲気の独り言に耳まで熱が上る。
「ちょっと、何言ってるの」
れおくんの顔を見ると、本人はきょとんとした表情で見返してくる。
「だって、本当のことだろ?」
「そ、そうだけど。俺はモデルだしねぇ」
ふん、と形だけ鼻を鳴らすと、れおくんはクスクスと笑った。照れているのがバレて恥ずかしくなり、すぐ側にあるれおくんの手に、自分の手を重ねる。
途端に隣が静かになったので、こっそり横目で確認すると、れおくんは頬を真っ赤に染めていた。
「れおくんも、かわいい」
手を繋いだくらいで、赤くなっちゃって。
自分の心拍数の高鳴りもそっちのけで、胸中でざまあ見ろ、と舌を出す。役者の年数はこちらの方が上だ。ふっ、と唇の端を上げると、れおくんはぱっと東屋の隅に逃げた。
「い、インスピレーションが沸いてきた!」
だから作曲する! と大声で叫んで、また芝生の上に戻っていく背中は、モデル仲間の誰よりも好ましかった。
*
そんなれおくんが変わってしまったのは、れおくんが弓道場で腕の骨を折ってからだった。
朝登校すると、やたらと俺を避け、やっと捕まえたと腕を掴んだら悲鳴を上げた。袖をめくると痛々しく腫れていて、詳しく聞いたら学院内で喧嘩をしたという。嫌がる本人の言葉を無視して病院に連れて行くと、入院の診断が降りた。親御さんに連絡することを約束してから、その日は学校に置きっぱなしの教科書や楽譜を取りに戻った。
翌日、授業中もれおくんからのメッセージを届けるスマホにうんざりしながら病室に向かうと、本人は元気そうに「セナだ!」と笑った。
「はいはい。俺だよぉ。これ、お見舞いね」
コンビニのプリンの入った袋を掲げると、れおくんは嬉しそうに快哉を叫んだ。
「あまり騒がないの。他の人に迷惑でしょ」
大部屋なので他の人もいる。れおくんは慌てて口を塞いで、そっと俺の顔色をうかがった。俺は苦笑しながら、プリンの入った袋をベッド脇の棚に置き、プライバシー保護のためのカーテンを引いた。
「パイプ椅子は……あぁ、そこね」
棚の影にある折りたたみ式のパイプ椅子を取り出そうとすると、れおくんは「待って」と俺を制した。
「セナ、ここ、こっち座って」
「なぁに、寂しいの?」
れおくんは、ぽんぽんとベッドの上を示した。れおくんのおねだりに笑いながら腰掛けると、れおくんはベッドの上の掛け布団を脇に寄せ、正座し、どこか緊張した面持ちで俺を見上げた。
「セナ」
「どうしたの、れおくん」
笑いかけると、れおくんは目を伏せ、ベッドの掛け布団をめくって更に俺に近付いてきた。
「れおくん?」
れおくんの体が近付き、俺に触れる。ガーデンテラスの時よりも更に距離をつめて、れおくんは俺の腕に自分の胴体を押しつけた。
「れおくん、どうしたの、本当に」
俺の体とれおくんの体に挟まった腕を引き抜くと、れおくんは更に近付いてきた。ほとんど抱きついているような状態だ。流石にちょっと照れる。俺の気持ちなど知らず、れおくんは真顔で言った。
「セナはおれのこと嫌い?」
「は?」
口を開いたまま、れおくんを見ると、れおくんは真剣な顔をしていた。
「セナ、おれのこと嫌い?」
「何で? 誰かがそう言ってたの。あぁ、喧嘩の相手?」
笑い飛ばすと、れおくんは顔を伏せた。れおくんの髪が俺の肩に触れる。背筋がぞわぞわして落ち着かない気分だ。知っている。このぞわぞわの名前を性欲と言うのだ。だって、いくら親友とはいえ、こんなに近くで話すのは初めてだから。
「気にすることはないよ。どうせヤキモチでしょ、あんたこの間作曲で賞もらったばかりだし」
宙に浮いた手をどこに置こうか迷って、ベッドの上のれおくんの手に重ねる。ずっと病室で過ごしていただろうに、れおくんの手は驚くほど冷えていた。
「今は学院内だけだけど、芸能界に出たら山ほど嫌味言われるから今のうちに忍耐付けなよ? 特にあんたオメガだし」
オメガ、の言葉に、れおくんの体がびくりと震えた。エメラルドグリーンの瞳と目が合う。
「セナ」
れおくんは俺の名前を呼んで、俺に思いっきり体重をかけてきた。二人分の体重に、俺はベッドの上に倒れ込んだ。
「れおくん?」
首を傾げてれおくんの顔を覗き込もうとすると、れおくんは首を振って俺の目を避けた。
「れおくん」
れおくんに向かって手を伸ばすと、れおくんは俺の手を受け止めて、自分の体に導いた。パジャマ越しにれおくんの体に俺の手が触る。れおくんはパジャマの隙間に俺の手を突っ込ませた。反射的に手を引くと、れおくんは泣きそうな目で俺を見た。
「セナ、おれのこと嫌い?」
「いや、あの、びっくりして……」
「じゃあ、触って」
れおくんはギプスで固められた側の手に体重がかかったようで、顔を歪めた。泣きそうな顔で笑う。
「ね、セナ、お願い」
「分かったから」
俺はれおくんの腕に体重をかけないようにして、起き上がった。起き上がる途中に、れおくんのパジャマの隙間から赤い虫刺されのような痕が見えた。二人で向かい合う。れおくんの瞳には涙が溜まっていて、唇は赤く色づいていた。唾を飲み込む。
「じゃあ、触るね」
パジャマのボタンに指をかけると、れおくんは怯えたように身をすくめた。
「このままでいい」
「パジャマの上から? 直接触る?」
れおくんは暫く迷ってから、「上から」と言った。全然嬉しそうじゃなかった。泣きそうな顔だった。
「こっち来て」
れおくんの体に手を伸ばす。抱きしめると一瞬強張ったが、パジャマの上から背中を撫でると少しずつ力が抜けた。背中の全体を温めるように、優しく撫でる。ぐすり、と鼻を啜る音がすぐ側で聞こえた。制服の肩口に湿った感触が広がる。
どんな言葉をかければいいのか分からず、結局出たのは在り来たりな言葉だった。
「……うなじは、噛まれてないよね」
俺に縋る手に一瞬力が籠もり、そして緩んだ。「大丈夫」れおくんの小さな声に、ほっと息をつく。最悪の事態は免れた。きっとれおくんは発情期になったんだろう。初めての発情期は感情が不安定になるというし、近くにいたアルファにフェロモンを察知されて襲われるのはよくある話だ。ピルさえちゃんと飲んでいれば避妊も容易いし――
「あいつら、ベータだったから」
ひゅ、と息を呑む。
ベータはオメガのフェロモンを察知できない。発情期のオメガを救えるのもアルファだけ。ベータがオメガの男を襲う理由はないし、意味もない。発情期のオメガをアルファが襲うのはよくあるけど、やむを得ない事情でベータがオメガを強姦するなんて、聞いたことがない。
「れおくん」
れおくんの背中を撫でる手に力が籠もった。
「セナ、痛いよ」
「そうだね」
一度力を緩めてから、また、れおくんの体を抱きしめる。柔らかな体だ。れおくんの香りは発情期にはほど遠い。普段通りのお日様の香りの中に、他のアルファの気配はない。
「ねぇれおくん、何か俺にできることはある?」
言いながら、知っている限りのベータを頭の中で思い浮かべる。れおくんを逆恨みしそうな相手は誰だろう。明日からの行動について考えていると、れおくんは「うぅん」とうなり声を上げた。結論が出たらしい。
れおくんは少し体を離して、緑の瞳で俺を見た。もう泣きそうな顔はしていなかった。
「これまで通り、側にいて」
「それは勿論」
「あと、できればで良いんだけど」
「何?」
「父さん達には、このこと、言わないで」
がつん、と脳を殴られた気分だった。
どんなに腕が痛くても、俺が促すまで病院に行かなかった理由。
自分が強姦されたなんて、大好きな家族に知られたくなかったから。
「わかった」
腕を緩める。自然と互いの体が離れた。れおくんは暗い瞳を細めて、「セナ、プリン食べよう」と笑った。
れおくんが初めての発情期を迎えたのは、それから一週間後だった。
発情期が来たれおくんは、泣きながら俺の上にまたがった。
ごめん、ごめんと言いながら、れおくんは俺の上で腰を振った。
できるだけ優しく触れると、またれおくんは泣いた。
「こんなの、あいつらと同じだ」
発情期だから仕方ない、と何度も俺は言った。
「ごめん、痛いよな、苦しいよな」
大丈夫だよ、と言う代わりに、喉の奥から喘ぎ声が漏れる。
「ごめん。セナ、ごめんなさい。酷くしていいから」
「嫌いになっていいから、優しくしなくていいから、」
「ねぇ、なんで」
――なんで嫌いにならないの。
――――なんで優しくするの。
――――――どうしてもっと、痛くしてくれないの。