[newpage]
「あんたの笑顔が、大好きだった」
*
カーテンの隙間から、朝日が差し込んだ。外ではイタリアスズメのさえずりが聞こえる。普段通りの、フィレンツェの朝だ。
「……」
緩く腕を上げる。なんだか体が重い。横を見ると、れおくんがオレンジ色の髪を広げてすやすや寝息を立てていた。
首輪はなく、うなじに歯形が残っている。
部屋の中を見回すと、俺の服が散乱していた。巣作りの名残だ。
れおくんを起こさないようにそっと起き上がって、適当な服を引き寄せる。乾燥した精液が、足の皮膚から剥がれて落ちた。
フィレンツェに来て半月、れおくんとは半分同居している状態だった。戴冠式ライブで後輩達に呆れられたけど、俺の方がもっとふがいなさを感じているので安心して欲しい。卒業したられおくんは、一時期海外へ行っていた時のように、連絡一つ寄越さず、俺のことなんて忘れ去ってしまうと思っていたのに。
れおくんはある日俺の所属する事務所に来て、そのまま俺の家までついてきて、夜遅くにオメガを一人歩きさせる訳にはいかなくて、泊まるようになって、合鍵も渡して。そのうち部屋では首輪を外すようになって。
ある日発情期を迎えたれおくんは俺の服で巣作りを始めて、それを知らず外出先から帰ってきた俺は驚いて、寝室に行ったらそのままれおくんに誘われて。れおくんはその時、首輪をしていなくて。
それが、恐らく、昨晩の話。
我ながら、意志が弱い。
シャワーを浴びて無事だった服を探し、フィレンツェで買ったばかりの服に袖を通す。キッチンに行って冷蔵庫の中身を確認。温めるだけのスープをレンジに入れてタイマーをセット。鞄の中からスマートフォンを発掘して、電池の残量を確認し、通話アプリを立ち上げる。
イタリアの早朝は、日本の昼過ぎだ。
『ふぁい。なんなの~、ちょうどお昼寝中だったのに』
眠そうな声を出す知り合いに、俺は要件を切り出した。
「ねぇ、番いを解消する方法、知ってる?」
『番いを解消する方法?』
声がはっきりとした。目が覚めたらしい。
くまくん、改め朔間凜月。俺の一応親友にして元ユニットメンバーのこの男は、どうやら古くさい外国の家の血を引いているらしく、魔術だったり儀式だったりに異様に詳しい。
『番いを解消って、セッちゃん、え? 月ぴ~は?』
「だから、番いを解消する方法知ってるか聞いてるんでしょ。早く。れおくんが起きちゃう」
『は~。いやそんな方法知ってたらとっくに……えっと、ちょっと待ってセッちゃん。それ俺が知らないって言ったらどうするつもり?』
戸惑う声に、冷静に言葉を返す。
「別の方向から情報探るに決まってるでしょ」
『だよね~。……うん。そうだね。う~ん。知ってる……かも。番いを解消する方法』
「本当?」
ほっと息をつく。くまくんは俺の様子に、途端に不安そうな声を出した。
『何なのセッちゃん、本当に。で、それが何なの。誰と番いになっちゃったの』
「具体的な方法って何なの。薬を飲むとか?」
『セッちゃん、質問に答える気ないでしょ。……あーうん、薬、みたいなの、だった気がする。でも俺もうろ覚えだから色々調べ直すね』
歯切れの悪いくまくんに、俺は焦った声を出した。
「くまくん、それ、俺にも手に入るやつ?」
『んん、どうだろう。でもセッちゃん、欲しいんだよね。誰かと番いを解消したいんだよね』
「うん」
それにははっきりと頷いておく。くまくんは、歯切れの悪い声を出した。
『もう本当、何が何だか分からないけど、分かった。調べてみる』
「えっ、いいの」
『探すだけだよ、本当に』
曖昧に言葉を重ねるくまくんに、うなずきを返す。
「うん、分かってる。俺もこっちで探してみるから」
『ネットの情報は怪しげなのが多いし、違法なのもあるから、俺が連絡するまで絶対暴走しないでね。それで、誰と番いを解消したいの。月ぴ~は知ってるの?』
れおくんは。
どうなんだろう。昨晩の記憶はどれだけ残ってるんだろう。
アルファの俺があれだけ記憶を飛ばしたんだ、れおくんはひょっとしたら殆ど覚えていないかもしれない。
「……れおくんは、知らない。多分」
『多分って』
「察してはいるかも。でもどうだろう」
『相手は、月ぴ~とは知り合いなんだ?』
知り合いも何も、本人だから。
「そうだね、知ってる人間だよ」
『うーん……色々分かんないけどさぁ』
くまくんは不審そうな声を出したが、最後は納得したようだった。
『何かあるんなら、本当に、こじれる前に連絡してね』
くまくんとの会話を終えて、通話アプリを閉じる。レンジが音を立ててスープが温まったことを知らせた。パンを取り出してトースターに入れ、サンドイッチの具にするためにアボカドを取り出す。アボカドを無心で刻むと無事ペースト状になったので、他の材料と和える。
「セナ」
ぼさぼさの髪のれおくんが、軽く俺のカーディガンを羽織った状態で台所に顔を出した。どこか落ち着かない様子で自分の来ているカーディガンの裾を摘まみ、ためらいながら口を開く。
「お、おはよ」
「おはよう。シャワー浴びておいで」
思ったより、冷静な声が出た。目を見開いたれおくんから、手元に視線を戻す。手にしたパンから、アボカドのペーストがはみ出た。
「セナ、昨日おれたち、」
「ごめん」
れおくんの言葉を遮る。
「もう、二度とあんなことしないから。ごめんね」
「セナ」
「シャワー浴びてきて。きちんと髪まで乾かすんだよ。朝ご飯はサンドイッチとスープね、俺は用事があるからちょっと出かけてくる」
スープは一人分をテーブルの上に移し、サンドイッチは半分は皿の上に、もう半分はラップを掛けて持ち出せる状態にする。鞄の中に作ったばかりのサンドイッチと財布を放り込み、廊下に立ち尽くすれおくんから逃げるように、俺はアパートメントの外に出た。
こんな時でさえ、優しくできない自分は、なおさら彼に相応しくないのだろう。
*
くまくんからの薬は、【オペレッタ】ライブと同時期に入手できるらしく、れおくん経由で渡されることになった。
『あのメンバーなら、月ぴ~と俺で二次会行っても不自然じゃないでしょ。ナッちゃんも一緒になるかもしれないけど。月ぴ~には、セッちゃんに頼まれたものを渡す、とだけ言っておくね』
朔間家のライブにKnightsの面々が関わると聞き、首を傾げる。
「かさくんは?」
『人のことより自分のことを気にしなよ。それか、ス~ちゃん気になるなら日本に戻ってきて。今のKnightsを見たら、セッちゃんきっとびっくりするから』
「んー、こっちの仕事にキリがついたらね。じゃあ、また」
適当なことを言って通話アプリを閉じる。通話終了、の文字が浮かんだ画面を見ていると、脱衣所からひょっこりとれおくんが顔を覗かせた。
「セナ、シャワー浴びたぞ」
「ちょっとぉ、れおくん。服着なよ」
「セナが着せて~」
「この部屋にあんたの服はないんだけど」
下着だけを身につけたれおくんは、上半身裸のまま俺の元に来た。近くのチェストの引き出しから、適当に俺のお古のカーディガンを取り出して渡す。ここ最近のれおくんのパジャマだ。
れおくんは、何を思ったか、番いになった後も俺の部屋に入り浸っている。流石に夜中にストリートに放り出すのは治安の面で不安だったので、同居状態は継続中だ。
「こら、髪も乾かしなさいって言ったでしょう」
「わはは、分からず屋のセナの歌~」
「あぁもう、まったく!」
カーディガンだけを羽織って五線譜に向かったれおくんにため息をついて、櫛とドライヤーを取り上げる。さらさらのれおくんの髪は、癖っ毛の俺に比べれば手入れが楽だ。
れおくんの髪を乾かし終え、俺も寝る支度を調えていると、れおくんは顔を上げて俺を見た。
「セナ」
「何?」
「一緒に寝よ?」
「嫌だ」
「セナぁ」
甘えた声を出し、俺に向かって腕を伸ばす。毎晩の誘いを断り続けて、それでも甘えてくる神経が本当に分からない。
「明日から二晩も会えないのに」
「たったの二泊三日でしょぉ。あんたロケのたびに言うつもり?」
「セナに会えない日があるなんて、霊感の喪失だ!」
「はいはい。俺はもう寝るから、あんたもちゃんと寝るんだよぉ?」
「セナぁ~」
心を鬼にして寝室の扉を閉める。いざという時にオメガが閉じこもれるように、借りたアパートの寝室には最初から内鍵が付いていた。まさかアルファの俺が引きこもるために使うとは思ってなかったけど。
扉の向こうでは、れおくんが暫く声を上げていたが、俺は無視して無理矢理目を閉じた。
翌朝、リビング中に散らばった五線譜に埋もれて、れおくんは床の上で眠っていた。ソファーベッドがあるのに、どうして床の上で寝るのかな。
冷えた体をそっと抱き上げ、先ほど自分が寝ていたベッドに横たえる。
「……本当に、ごめんね」
聞こえないだろう彼に呟くと、頭を撫でて立ち上がる。
あと数時間でれおくんは【オペレッタ】ライブに向かう。
あと三日後に、俺はれおくんと番いを解消する。
*
「セナぁ! ただいま~」
れおくんは、【オペレッタ】ライブを観劇して、空港から真っ直ぐに俺の部屋にやってきた。
「れおくんさぁ、別にここが家じゃないんだから『ただいま』はおかしいでしょ。夕ご飯食べた?」
「機内食は食べた! こっちは夕ご飯なんだな。時差で変な感じ」
前半は無視か。予想してたけど。
わざとらしく腰に手を当てると、れおくんはまた、にこにこと笑った。
「ちょっとなら、おかず残ってるけど。食べる?」
「食べるー!」
れおくんは笑って、手を洗いに洗面所に歩いて行った。そういうところはマメだ。親御さんの教育がいいんだろう。
俺は冷蔵庫の中からラップをかけた皿を取り出して、電子レンジにかけた。手洗いうがいを終えたれおくんは、まっすぐキッチンにやってきた。
「お腹すいたー」
「まだ暫くかかるから、スーツケースはリビングに持って行って。洗濯物は洗濯機の中に入れて」
「はぁい」
れおくんは楽しそうに一つに結った髪を揺らして、俺が言った通りの作業を行った。普段からこれくらい聞き分けがいいと、本当に助かるんだけど。
レンジから温まったスープを取り出し、冷蔵庫から取り出した海鮮サラダを添える。パンの入ったバスケットを出しておけば、必要な分だけ摘まむだろう。
「久しぶりのセナのごはん!」
「召し上がれ」
「いただきます!」
ふんふんと鼻歌を歌いながら、れおくんはスープをスプーンで掬った。パンをちぎりながら、俺を見る。
「お前は食べないの?」
「もう食べたの」
「ふぅん。じゃあ、食べ終わるまでここにいてよ」
「……別にいいけどね」
ついでだから、ケトルに二人分のお湯を沸かし、れおくんの向かい側に座る。俺の分は白湯で、れおくんはノンカフェインのインスタントコーヒー。
れおくんから、オペレッタのライブでくまくんがどうしていたとか、なるくんが始終楽しそうだったとか、朔間零の顔が始終緩んでたとかいう話を聞きながら、俺はれおくんの話に相づちを打った。食べ物の大半がれおくんの胃に消えてから、れおくんはコーヒーのカップを手にして、思い出したように言った。
「そういえば、セナ」
「なぁに?」
「リッツから、お前宛にって荷物預かってる。なんか飲み物っぽかったけど」
心臓が跳ねた。番いを解消するための薬だ。
「それ、」
緊張して声が震えた。つばを飲み込む。
「それ、どこにあるの」
れおくんは俺を見て、リビングに行った。スーツケースのそばで何やら荷物をあさり、「これ」と小瓶を手にして戻ってくる。
番いを解消するための薬は、英語でもイタリア語でもないアルファベットで、植物の絵が描かれたラベルだった。
「欲しかったんだろ?」
「ありがと、れおくん」
れおくんの差し出した小瓶に立ち上がって手を伸ばすと、れおくんは小瓶を俺の手から逃がすように遠ざけた。俺が眉をひそめて、手を更に伸ばすと、れおくんは小瓶を俺から隠すように動かした。
「ちょっと、れおくん」
「セナ」
れおくんは、笑った。
「セナはこれの使い方、知らないだろ」
「れおくん……?」
れおくんは、小瓶を手の中で弄ぶように回した。
「リッツに聞いた。お前、番いを解消するための薬を依頼したんだって?」
「れおくん」
「なぁ。お前、何が不満なの。おれが何かしたか? 嫌なところがあったら直すよ。欲しいものがあるなら買ってやる。曲だって、セナのためなら幾らでも書ける。セナはおれをどうしたいの。どうすればセナはおれを好きになってくれる?」
俺は口を閉じた。下手なことを言えば数年前の悪夢の再来だ。れおくんは全力で俺の願いを叶えようとして、きっと不幸な結末になる。
言葉を選んでいる俺を見て、れおくんは手にした瓶の蓋を開け、中身を煽った。
「れおくん!?」
声を上げると、れおくんは俺の胸ぐらを引き寄せてキスを仕掛けてきた。油断していたから、れおくんの舌はあっさり俺の口の中に入った。口の中に薬草のような匂いが広がり、喉をアルコールが焼いた。中身の減った小瓶が床に転がる。
ひとしきり、ぐちゃぐちゃと口の中を掻き回してから、れおくんは熱くなった口内から舌を引き抜いた。唾液が唇の間に糸を引いた。
「ちょっと、何なの、いきなり」
「でも、セナはおれにこの薬を使いたかったんだろ?」
れおくんの瞳に真っ直ぐ見つめられ、目を逸らす。
れおくんは、俺の表情を見て、足下に転がった小瓶に視線を向けた。
「セナ。この薬、何だと思う?」
「……番いを解消する薬、じゃないの?」
くまくんに依頼した条件がそれだ。れおくんはゆっくりと首を横に振った。
「番いをただ解消することはできない。でも、上書きはできる。この薬を一緒に飲んで、アルファがオメガのうなじを噛めば、番いの契約をやり直せるんだって」
「やり直し、って」
れおくんは、俺を見た。
「セナ。どうして、番いを解消する薬なんて頼んだんだ」
「だって、れおくんと俺が番いになったのは事故でしょ。そんなの間違ってる」
「何で? おれと番いになることの何が問題なんだ。もしかして、恋人がいた? それなら、セナ。今すぐそいつを連れてこいよ。あぁ、ベータじゃダメだぞ。番い契約だから。アルファも、既に相手がいるオメガもダメだ。フリーのオメガでちゃんとお前のことを好いてくれるやつじゃないと」
「恋人なんて、いないけど」
「じゃあ何が問題なんだよ!」
小さい子どものようにかんしゃくを起こしたれおくんの腕を、思わず掴む。れおくんの頬は血が上っていて、瞳は涙できらきらと輝いていた。
「何が問題なんだよ。おれの何がダメなんだ。そりゃ、喧嘩はしたけどさ、でもこれまで何とかやってこれただろ?」
「だって、れおくんは天才だから」
月永レオは天才だ。高校時代から世界で賞を取り、作曲してヒットナンバーを飛ばすれおくんが、天才でない訳がない。れおくんは唇を噛んだ。
「天才だから、なんだよ」
「俺と、釣り合わない」
「それが何だよ!」
れおくんは俺の腕を振り払って、逆に掴んだ。
「じゃあ何だよ、セナは何が言いたいの? おれがおれと同じくらいの天才と番えば満足なの? お前以外に抱かれろって? お前以外の誰かにうなじ晒して噛んでもらえって言ってんの?」
「れおくん、そういう意味じゃ」
「そういう意味だろ!」
れおくんは、体当たりするように俺の胸に顔を埋めた。体重を支えきれず、そのまま床に尻餅をつくと、れおくんは俺の胸ぐらを掴んで顔を歪めた。
「言っただろ、おれがアルファだって勘違いした事務所が、オメガの女の子襲わせるように仕向けたって」
「……そんなことも言ってたね」
スタフェスの時期にその話を聞いたのだ。三年の春から夏にかけて、れおくんが三毛縞と海外を巡っていた頃に。三毛縞が手を回したから二度目はないと言っていたけれど。
「その時、女の子、首輪してなかった」
「え?」
「そいつら、おれとその子を番わせるつもりだったんだ。どうしてだと思う?」
俺は呆然とれおくんを見上げた。
れおくんは魅力的な人間だ。高校時代から世界で賞を取り、作曲してヒットナンバーを飛ばしている。誰もが認める天才で、お金持ち。三毛縞や天祥院と仲よしで、海外の人脈だって持ってる。そんなれおくんが自分の配下と番いになったら。もし身内にいたら。もし便利に使える立場にいたら。
「なぁ、セナ。そいつら、おれがオメガだって知ったら、どんなやつを差し向けると思う? おれは二年の時、ベータにすら敵わなかったのに」
れおくんを番いにしたいなら。オメガのれおくんを番いにしたいなら、力ずくで従わせれば良い。屈強なアルファで取り囲んで、発情期を誘導する薬でも盛れば完璧だ。発情期のオメガに行う性行為は合意と見なされるし、うなじを噛めば番いになれる。無理矢理アルファが番い契約を行った事例も、番いのアルファがオメガを脅す事例も、山ほどある。
「れおくん」
「セナがいい」
れおくんは、俺の背中に腕を回した。俺の頬に、れおくんの頬が触れる。濡れた感触。
「番いになるなら、セナがいい。他のやつに力尽くで噛まれるなら、セナに先に噛まれたい。だってセナは、おれの意見聞いてくれるし、おれの曲よりおれを大事にしてくれる。おれはセナがいい。世界中の他のどんなアルファよりも、セナがいいよ」
俺は、床についていた手をれおくんの背中に伸ばした。細い体は、俺の腕の中にすっぽり収まった。
「れおくん」
「セナ、噛んで」
それでもまだ迷いを残す俺の口元に、れおくんは肩をすり寄せた。
「噛んで。おれを守ってよ、セナ。お前が噛んでくれれば、おれは一生幸せだから」
「でも、れおくん、番いができたらオメガは芸能界に居られなくなるよ」
「そんなの、日本だけだろ」
俺は目を見開いた。確かにそうかもしれない。思えば幼い頃に慕っていたあの女性モデルは、数年前、ハリウッド映画の脇役に抜擢されたはずだ。
「セナ」
れおくんは小さな声で囁いた。
「噛んで」
れおくんを噛んでいいんだ、そう思うと途端に、胸によく分からないものがこみ上げた。
「噛むって、……どのくらい?」
俺の言葉に、れおくんは一瞬息を呑んで、それから嬉しそうに笑った。
「いっぱい噛んで、セナ。痛くしていいから」
*
『それで、その後どうなったの?』
くまくんの言葉に、俺はため息まじりに答えた。
「れおくんが二日酔いになった」
うなじを噛んでキスをして、良い雰囲気かなと思っていたら、れおくんの顔がどんどん青くなっていったのだ。
「セナ、頭痛いし吐きそう、これが番いになったってことなのかな」
なんて強がりながらも口元を押さえるれおくんを急いでトイレに連れて行き、ゲエゲエやってるれおくんを見ながら落とした薬の瓶を拾い上げた。ラベルを読み、顔をしかめる。
アルコール度数、25%。
「くまくん、本当なんてものを寄越したの。未成年の飲酒は違法だからね?」
『ヨーロッパでは十八歳で成人だから合法だってば。あれ、度数の割に飲みやすかったでしょ?』
「えげつないわ」
くまくんの寄越した薬は、お酒の小瓶だった。ハーブリキュール。滋養強壮、消化促進に効果的。
「平然と嘘ついてきて、本当腹立つ」
『だってさぁ、番い契約を解消する方法なんて、あるわけないじゃん?』
くまくんの言葉にぐっと詰まる。
「あんた、知ってるって言ったでしょ」
『そうでも言わないと、セッちゃん、ネットに落ちてる怪しい薬に手を出しそうだったし。セッちゃんが誰かと番いになるなんて、あの月ぴ~が黙ってる訳ないじゃん? だからまず月ぴ~に連絡して裏付け取ろうとしたらさぁ、「番いになってからセナが冷たい」とか泣かれる訳ですよ』
「えっ、れおくん泣いてたの」
狼狽えて声を出せば、『そりゃあ泣くでしょ』と呆れた声が返ってきた。
『せっかく既成事実を作ったのに、相手は知らんぷりしてバックれるつもり満々なんだよ? あの月ぴ~だよ? 当然どうやって外堀埋めて追い詰めて責任取らせるか考えるでしょ』
「別に俺はばっくれるつもりでは……ねぇ待って、それ本当にれおくんの話?」
『セッちゃんは本当に、月ぴ~のことを何にも分かってないよねぇ』
盛大なため息をつかれ、俺は目を逸らした。
「悪かったよ」
れおくんに迫られて番いになった時、俺は本当にれおくんのことを何も分かっていないんだな、と思った。
れおくんが誰かに迫られたことがあるってことを本当の意味では何も理解していなかったし、れおくんが誰かに迫られるのを、あれほど嫌がっているとも思っていなかった。
他の誰かと番いになるのが嫌だから、俺と番いになる、なんて。
「でも、もうれおくんは大丈夫だから」
『は?』
「普通のベータとして暮らしていけるはずだから、もうこれで安心だよねぇ」
学生時代、一番俺とれおくんがセックスしていた時期を思い出す。れおくんはやたらと俺に、「痛くして」とねだっていた。最後には欲望に負けて好き放題にしてしまうし、れおくんは俺とエッチするたびに泣いていた。俺がれおくんを満足させたことはないから、俺達はセックスの相性が良くないんだと思う。他の人を抱いたことはないから、分からないけど。
俺は、れおくんが望むなら、一生禁欲生活でも全然構わないし。
『あのさぁ、セッちゃん。また変なこと考えてそうだから言っておくけど。月ぴ~は本当にセッちゃんのことが大好きだよ』
「はいはい。まぁ、番いの相手に選ばれる程度には信用されてるんだろうけど」
一生切り離せない契約相手だ。生涯を共にするパートナーとして俺を選んだというのは、親友としてそれだけ信用してたってことになる。なんだかくすぐったい。
「でもさぁ、最近困ったことがあって」
『え、何? まだ何かあんの』
くまくんの面倒くさそうな声に、一瞬言って良いものか迷うが、『こじれる前に教えて』という言葉に後押しされて口に出す。
「れおくんが、」
『月ぴ~が?』
「いつまで経っても寝間着を持ってこなくて。用意しても全然着ないし、未だに下着の上に俺のカーディガンだけとかいう薄着で寝てて、あのままだと風邪引きそうなんだよね。どうしたらいいと思う?」
『襲っちゃえば?』
くまくんは、あっけからんと口に出した。これは相談相手を間違えたかな、と思ったけど言葉を続ける。
「あと、毎晩、うなじにキスするようせがんでくるんだけど」
『へぇ。毎日貞操を証明してくれる訳? 健気だねぇ』
「いや、そうかもしれないけど、それだけじゃなくて」
『何?』
「部屋に俺のシングルベッドしかないから、リビングにもソファーベッド置いてるんだけど、俺が先に寝ると、毎回俺の寝てる方に入り込んでくるんだよね。どっちも一人分だから狭いし落としそうになるし、何とか別々で寝たいんだけど」
『オチるまでイかせればいいじゃん。それかダブルベッド買えば?』
くまくんの言葉に、俺は拳を握った。
「あのねぇ、くまくん。俺は真剣に相談してるんだけど」
『だってどう考えても「嫁が毎晩エロ可愛い」ってのろけてるだけじゃん。下着に彼シャツで部屋をうろついて? 毎晩おやすみのキスして? 毎晩ベッドに潜り込んでくるんでしょ?? バカップルじゃん』
「いやでも。れおくん、えっちとか、そういうの嫌いだし」
俺も大変なんだとくまくんに伝えると、くまくんは大あくびをした。なんて友達だ。
『エッチ嫌いって、それ本人に確認した?』
「セックスが嫌で俺と番いになった相手に、確認できる訳ないでしょ」
『あー番いになる時に「お前以外とセックスしたくない」とか言われた訳ね、はいはい』
「くまくん監視カメラでもつけてるの?」
暗に、なぜ知っているんだと言うと、くまくんは呆れた声を出した。
『まーくんならまだしも、何でセッちゃんの部屋に付けなきゃいけないの』
「衣更の部屋につける理由もないでしょ」
『ゆうくん監視網持ってるセッちゃんがそれ言う? そう言えば今日、トリスタの写真集の告知出たの見た?』
「は? 嘘なにそれ知らない。ネットに出てる?」
『ネットじゃなくて新聞広告ね。でもネットにもじきに上がると思うよ。写真送るね~』
「ありがと。……うわぁあぁ俺のゆうくん! 可愛い!」
『でしょう? 俺のまーくん世界一可愛いでしょ』
「あんたのじゃないでしょ」
『お互いにね』
くまくんと俺にとっては大変重要な情報交換をしていると、こんこん、と控えめなノックが寝室に届いた。オレンジの髪が顔を出す。ベッド脇の机に座り、スマートフォン相手に会話をする俺を見て、れおくんは目を瞬かせた。
「セナ? 電話中? コーヒー飲むならついでに淹れるけど」
「相手はくまくんだから大丈夫だよ。夜だからコーヒーはいらない。れおくんも話す?」
言葉と共に電子機器を指し示す。電話の向こうのくまくんも状況を察して、ノリ良く答えた。
『月ぴ~おいっす~』
「お~リッツ! 元気か?」
『なんとか。月ぴ~も、セッちゃんと無事番いになれたんだってね。おめでとう』
「リッツも色々ありがとな!」
れおくんは、俺の机の脇に立って、こちらに身を乗り出してきた。風呂上がりなのだろう。石鹸の香りに混じって、俺にだけ届くフェロモンが香った。髪の毛を解いていると本当に性別が分からなくなる。このままだと危ない気がしてそっと目線を下げると、俺のカーディガンの下からすらりと伸びた太股があった。下着だけを身につけた無防備な下半身。
『そういえば月ぴ~、セッちゃんが月ぴ~にムラムラして困ってるって~』
「そうなのか?」
れおくんは突然振り向いて俺を見た。
「はぁ? 何言ってるの、そんな訳ないでしょ」
『とか言いつつ、俺、さっき散々のろけられたんだよぉ。セッちゃん本当ツンデレだよね』
「ちょっと、くまくん?」
『あっ急にちょっと電波が悪くなったみたいだから一旦切るね~』
「くまくん!?」
『おかけになった電話番号はぁ、現在ぃ、ま~くん応対中ですぅ。プチッ』
「ふざけんな、くまくん! まだ話は終わってないんだけど!?」
電子音が通話終了を告げて、かけ直しても一向に応答がない。眉間にしわを寄せると、れおくんが俺のパジャマの袖をぎゅっと掴んだ。
「セナ、おれにムラムラしてるの?」
俺は唇を噛んで、れおくんの手を振りほどいた。
「くまくんの言うことは気にしなくていいよ。そりゃあちょっとは暖かい格好して欲しいとは思うけど、これから夏だし」
「セナ」
れおくんが俺の腕を掴んだので、そちらを振り向く。
「れおくん?」
驚いて目を開くと、れおくんは俺の目を見て言った。
「セナは、どうしておれを襲わないの」
「え?」
「もうおれに飽きちゃった? やっぱり他に好きなヤツがいた? それともおれだと勃たない?」
可愛い顔で何を言うのか、と呆気にとられていると、れおくんの手が俺の股間に伸ばされた。
「れおくん!?」
「なんだ、勃つじゃん」
「そりゃ触られたらね、っていうかれおくん、セックスは嫌って言ってなかった?」
「そんなこと言ったっけ? ……あぁ、あの時か」
れおくんは俺を見て、嬉しそうに目を細めた。顔が近付いてきて、唇が触れる。
「おれ、確かに、セナ以外とセックスするのは嫌だよ。でも、セナとなら幾らでもセックスしたい」
「れおくん」
俺の顔中に触れるだけのキスをしながら、れおくんは椅子の上に乗り上げて、俺の太股を跨ぐように座った。瞳が近い。
「セナ。おれはお前のことが大好きで一生一緒にいたいけど、セナは違うの?」
俺は、れおくんが落ちないように、れおくんの腰に手を回した。
「おれ、セナが好き。セナはおれが好き? それとも、セナは好きじゃない相手と番いになれる人間なの?」
「その訊き方はずるいよ、れおくん」
知っているくせに。
れおくんは笑みを含んだ声で俺の首筋に頬をすり寄せた。裸の太股が俺の腰を挟む。
「好きだよ、れおくん」
言いながられおくんのうなじに指を滑らせた。首輪のないうなじには、俺の歯形が残っている。腰を押しつけると、れおくんの体はびくりと震えた。
「んっ、」
「ベッド行く?」
笑いを堪えて耳元で囁くと、れおくんは嬉しそうに頷いて、俺の首に腕を回した。
ご愛読ありがとうございました!