日を追うごとに、博士の狂気がより深まっているのをアリスは肌で感じていた。
博士の日課の軌道計算の合間に、彼女は何かを研究している。
何度も、何度も、何かをシミュレーションしているのだ。
それを心配そうに見守るしかできない自分が、アリスには歯痒かった。
そんな時だった、艦橋のモニターにエラーが発生した。
「エンジンに不具合の発生?
ふむ、自動修復機能の限界か。元々何十年も連続稼働を前提とした代物じゃないからな」
「直せるんですか?」
「エンジン部分は生憎とブラックボックスなんだ。
しょうがない、彼女と連絡を取るか」
博士は機械を操作し、食料精製プラントに指示を送った。
「アリス、取って来てくれ」
「はい、博士!!」
アリスが食料精製プラントに行くと、なぜかキノコが生成されていた。
「持ってきました、博士」
「ありがとう」
アリスが持ってきたキノコを、博士は円環状に並べ始めた。
「ユキワリの輪、あとは確か……」
博士はキノコの輪の内側を踊るようにステップを刻んだ。
「楽しそうですね、アリスも踊ります!!」
「遊んでるわけではない、原始的な精霊術だよ」
アリスがMPの減りそうな踊りをしている横で、博士の魔法的な儀式には変化が訪れた。
キノコが溶ける。菌糸のように分解され、それが輪の中央に集結し始めた。
「わ、わ、わわ!!」
それが徐々に人型を模り始めたではないか。
アリスはその未知の現象にワクワクしていた。
やがて、それが完全にヒト型になると、明確に人間の輪郭が浮かんだ」
「久しぶりだな、ウインター博士」
「こちらこそ。高度文明サミット以来ですね」
そうして現れた白衣の女性と、博士は握手をした。
「スゴイ、スゴイ、魔法です!!」
「おやおや、可愛らしい助手さんですね。お名前は?」
「アリスは、アリスです!!」
「うん、いい名前ね。ソシャゲに必ず一人は居そうで」
黒髪の女は、アリスとも握手をした。
「私はウインター博士、この船の設計者です」
そして、彼女はそうアリスに名乗った。
「そうですか、イース文明の悲劇は私も最近聞きました。
うちの世界は特殊な形でメアリース様を崇めてるので、伝達が遅れたんです」
「気にしないでください。この船で傷心旅行には丁度いい機会ですから」
博士はウインター博士に、己の旅路をそう説明した。
「いやぁ、宇宙戦艦、作ってみたはいいんですけど、税金がとんでもなく掛かるって忘れてて。
博士に引き取ってもらって助かりましたよ」
「妖精の寵愛を受けた、妖精に師事した貴女にしかできないこの船の設計には感銘を受けただけです」
「それは、運が悪かっただけですよ」
なぜかウインター博士は複雑そうにそう返した。
「妖精なんかに関わるなんて、うぬぼれた小娘の浅はかな好奇心のツケを払っただけですから」
「……悪魔と大差ない連中ですからね」
「悪魔は契約を守ったら終わるでしょう? 妖精との約束は永遠ですから」
「……」
「ずっと友達で居てあげる、だなんて、過去に戻れたら自分を殺してますよ」
エンジンルームまでの道中の雑談。
その間、アリスは二人の博士の会話に挟まることは出来なかった。
「でも、あなたとあなたの相棒は英雄だ。
現役最強の魔法少女*1、彼女とあらゆる悪をその手で全て倒し尽くした」
「それはあいつが強過ぎて、もうみんな他所の世界に逃げちゃっただけですよ」
ウインター博士は博士の言葉をお世辞と捉えたのか、そう笑って返した。
「最強の魔法少女!! 本当に魔法少女が居るんですね!!」
「あー、その初々しい反応が懐かしいな。
ただ若いまま年を取れなくなっただけって。実際は二百歳くらいのババアだよ、私もあいつも」
「博士もずっと若いままですよ?」
「私の場合は遺伝子がエルフナイズされているだけだ。千年ぐらいの寿命がある」
「じゃあどっちもババアですね!!」
はしゃぐアリスに、二人はなぜか押し黙った。
年齢の概念の無いアリスには理解の出来ない世界だった。
「あ、ここ、ここだ」
三人がエンジンルームに入る。
「これが、エンジンですか?」
エンジンルームの内部は、大樹が鎮座しているだけだった。
アリスもここに入るのは実は初めてだったのだ。
「ああ、人類文明では説明が出来ない、妖精技術の結晶だ」
「その結晶を、ぽいってしてるのがその妖精どもって種族なんだけどね」
「あの自己中心的刹那的快楽主義者どもめ……技術の研鑽をなんだと……」
ウインター博士は早速作業に取り掛かった。
博士の恨めしい声に、アリスは知りもしない種族がどんな奴らなのかの知識が溜まっていく一方で会った。
「私も、私の作業に戻るよ。
あとはお願いする、ウインター博士」
「うん、じゃあまた後で」
「アリスはここで見てます!!」
「好きにするといい」
博士はエンジンルームから出て行った。
「あー、ちょっと負荷がかかり過ぎちゃった感じか。
思ったより内部がボロボロだ」
ウインター博士が大樹に触れると、その内側が裂けるように露わになる。
木の幹の中身を、まるで機械を弄るように手を突っ込んでかき回している。
「ほえー、スゴイです……ファンタジーです」
「あはは、見てても面白くないよ。説明を求められても困るし」
「いえ、そんなことはありません!!」
「嬉しいなぁ、若い頃の自分を思い出すよ」
アリスのウブな反応に青春を思い出し、ウインター博士はほろりと涙した。
「ウインター博士は魔法少女の相棒なんですよね、アニメみたいです!!」
「私はもっぱら武装の開発とかバックアップ担当だよ。
現場は相棒が……敵を殺すのはあっちばかりだったかな」
「必殺技で浄化とか、そう言うのじゃないんですね」
「悪の組織の構成員は大抵が人間だからね。でもこの間は並行世界で魔王と戦ったって言ってたかな」
「戦ったって、勝ったんですか!?」
「いいや、お互いに本気で戦ったら地上が消し飛ぶから、引き分けだって」
「凄まじいです……」
「でもさ、そう考えると滑稽だと思わない?」
「え?」
「私は相棒に、死んでほしくないから最強にした。
でも最強って結局、強さの上限ってことじゃない? それ以上強くなる意味って、無いでしょう? それに到達したところで、虚しいだけなのかなって」
アリスは考える。
魔王と戦って、周囲に被害を齎す勇者は、それは勇者足りえるのだろうか、と。
「本当の最強って、守るべきものを捨てないと手に入らないのかな。その為に一番になるのって、私のしてきたことに意味があるのかな、なんてね。
子供の頃は魔法使いに憧れてたんだけどね」
「後悔、しているんですか?」
「いいや、責任を感じてるだけ。ファンタジーを現実にしてしまったことをね」
「ファンタジーを現実に……」
「うん」
ウインター博士は頷いた。
「アリスちゃんはどんな自分になりたい?」
「アリスは勇者に成りたいです!!」
「いい夢だね!! じゃあ先輩勇者から助言をしてあげよう。
君が勇者に憧れたように、君に憧れる者も現れることを覚えておこうね」
「アリスに?」
「……うん。私の相棒は勿論、私みたいなのにも憧れて妖精に近づいたって人の話って何人も聞いたから。
帰って来れなかったのなら良い方で、惨殺されたなんて話もあった。
強過ぎる光は、君だけでなく後ろに続く者を産み出すんだよ」
英雄を支え続けた者は、当然その影を見てきた。
その影の先を見て後悔するのを見て、アリスは複雑な気分だった。
「ごっこ遊びは、辞め時が肝心だからね。
じゃないと、私の相棒みたいに二百歳超えても魔法少女やることになるからね!!」
「アリスはずっと続けられるのは凄いことだと思います」
「あ、ごめん、なんだか説教臭かったかな!!
うん、だからアリスちゃんが他にやりたいことが見つかったら、いつでもそれを止めたって良いってこと!!
ずっと勇者の役ばかりやると、飽きちゃうしね!!」
愚痴っぽくなったのに気づいて、子供に言う話ではないとウインター博士は無理やり話を変えてそう言った。
「……よし、これで大丈夫。あと二百年は稼働できる」
彼女は作業を終えると、木の幹を閉じた。
近くの端末からは、エネルギー供給の正常化が確認できた。
「……戻ろうか」
「はい」
エンジンルームからの帰りの道中、ウインター博士はずっと黙っていた。
「作業は終わりました」
「ありがとう、ウインター博士」
「いえ、これくらいいつでも」
艦橋に戻ると、博士は作業をしていた。
「もし、行き場がないのなら、いつでもうちの世界にどうぞ。歓迎しますから」
「ああ、それも良いかもしれない」
「貴女の頭脳は、人類の至宝ですから。だから、その」
ウインター博士は気づいているのだとアリスは思った。
これが、生涯最後の会話であると。
「これ、うちの相棒の戦闘データです」
「ウインター博士?」
「どうか、役立ててください。では、お達者で」
データチップを渡すと、ウインター博士はアリスを見た。
「それじゃあね、アリスちゃん。
いつか私の世界に遊びに来てね。いつでも歓迎するから」
「はい!!」
ウインター博士の身体が溶ける。
彼女の足元に菌糸の残骸が残ったのが、彼女が居た証明だった。
「本当に、頭が上がらないよ、彼女には……」
「お友達だったんですか?」
「いや、数回会ったことがある程度だった。
彼女は努力の人でね、尊敬できる人だったよ」
博士はそれだけ言ってから、作業に戻った。
「……この度が終わったら、お礼をしに行きましょう!!」
「ああ、そうだな」
お互いに心にも無いことを言ったなと、二人は思った。
§§§
“聖地”到達まで残り一年。
艦内はそれまでに大きな変化が起こっていた。
「イリスとシルフィはシミュレーションに入れ」
「はい」
「はい、博士」
「ミラとクラリスは今日のトレーニングメニューを消化」
「了解です」
「分かりました、博士」
艦内に、四人の少女を迎え入れていた。
その誰もが、神の審判の生き残りだった。
船はまるで孤児院のように、彼女達を受け入れた。
そして、望むままに戦う力を与えようとしていた。
彼女達は復讐心のままに、魔王と戦うことを誓っていた。
博士はそれを手助けした。
「アリス、彼女達は順調だ」
「はい……」
博士は彼女達を助け出し、意志を確認し鍛え続けた。
アリスはそれをずっと複雑そうに傍で見ていた。
「人間の魂魄データ化は順調だ。
彼女達の専用武装とリンクさせ、魔王に対抗できる力となるだろう」
久しぶりに二人きり。
アリスは堪らずに尋ねた。
「博士は、エリサのことを後悔しているのですか?」
「あれは失敗だったな」
「……失敗、ですか」
「だが、私はもう失敗しない」
アリスは博士とはもう長い付き合いだ。
彼女が彼女なりに葛藤し、後悔しているのを理解していた。
だけど、彼女はある種の狂気に取り付かれていた。
その発端がエリサで、同じような失敗をしないように武器を与えている。
それが正しいのか? 魔王と戦えるのが正解なのか?
復讐を許し、無辜の人間に武器を渡すことは正義なのか?
彼女のしていることは悪なのか?
アリスの中の考えが迷路のようにグルグルと回り、答えは出口から出てこない。
「……皆の様子を見てきます」
「ああ、そうしてくれ」
まるで兵士のように、博士は四人を訓練している。
エリサのように大事に成長を見守るのではなく、彼女達を鍛え強くしている。
アリスは博士から逃げるようにブリッジから出た。
彼女はそのまま、少女たちがいるトレーニングルームに赴いた。
「……ん? アリスか」
「どうしたの、博士からなにか?」
トレーニング中のミラとクラリスが入室したアリスを見た。
「いいえ、二人がちゃんとトレーニングしているかどうか、見に来たのです」
「あはは、私はともかく、クラリスはサボったりしないよ!!」
ミラは笑ってそう答えた。
そもそも彼女達の一挙手一投足はモニタリングされている。サボったらすぐに分かるのだ。
「……そうだよ、私は必ず、あいつを倒すんだ」
クラリスは真面目に鍛錬を積んでいた。
その表情は昏い憎しみに満ちていた。
「あいつを、魔王を、魔王ローティを!!」
「……」
クラリスは目の前で、双子の妹を殺されている。
家族も、住んでいた村も、世界も全て滅ぼされた。
「あいつは、私の目の前で妹の頭を果物のように潰した!! 笑いながら!!
そして私をハズレだから見逃してやるって、私は勇者として予言されてたのに、魔王を前に何もできなかった!!」
まるでゲームのような生い立ち。勇者クラリスの断絶の物語。*2
それに直面したアリスは、何も言えなかった。
ゲームの設定が現実になって現れたのに。
喜ぶべきはずなのに、アリスは彼女に何も言えなかった。
そう、言えなかったのだ。
あの時自分が彼女を止められれば、クラリスは今も妹と過ごせていたかもしれない、と。
「(ゲームはファンタジーだから、素晴らしいんですね。誰も傷つかないから、喜べるんですね……)」
アリスは無性に、ゲーム開発部の皆やユズリハ達に会いたくなった。
先生なら彼女達をどう導くのだろうか。
皆なら、博士にどんな言葉を投げかけるだろうか。
果て無き望郷。胸に去来する悲しさと虚しさ。
思い出す、ファンタジーを現実にしてしまった、その残酷さを語ったウインター博士の言葉を。
彼女達はどんどんと完成に近づいて行く。
戦いに、魔王に挑む為に。己の復讐や、願いの為に。
そして、“聖地”に辿り着くまで、残りあと数日にまでなった。
「二十年近い航行、思い返せば短いような、長かったような」
「そうですね、博士」
博士とアリスはブリッジでこれまでの旅路に思いを馳せていた。
「“聖地”であのクソ女神の秘密を暴き、それを手にレジスタンスの本部に凱旋だ」
「そうなったら、皆はどうなるんでしょうか」
「対魔王戦の先陣を切るだろうな」
戦う為に鍛えたのだから、その用法は戦うことだ。
その事実が、アリスに暗澹たる思いを抱かせていた。
ふと、その時アリスは気づいた。
「あ、博士!!」
博士は酒瓶を煽っていた。
アリスはそれを見てそそくさと逃げ出した。
彼女は知っていた。博士は酒癖が悪いのだ。
とりあえず、隣にある博士の部屋へと逃げ込んだ。
この部屋のロックは最初の頃からずっと解除されっぱなしだったのだ。
「……博士?」
その時、運悪くクラリスがやってきて、酔っ払いを目撃してしまった。
「クラリスか。アリスは……どこに行ったんだ?」
「アリスは最初からいませんでしたよ」
「まったく、付き合いが悪い」
生真面目なクラリスは酔っ払いの相手をしてしまった。
「博士、博士はどうしてレジスタンスになったんです?」
だから、普段と違う博士にそんな質問をしたのだろう。
「……復讐だ。復讐以外に無いよ。我々レジスタンスにはね」
アリスは、そんな光景をコッソリとドアの隙間から見ていた。
「私の故郷は、偉大なる魔王様の元で類稀なる繁栄を与った。
その文明レベルは何と95だ。君らには想像できないだろうが、メアリース様がこれ以上の発展は見込めないと太鼓判を押すほどだ」
博士が管を撒き始めた。
知的に聞こえるかもしれないが、酔っ払いのダル絡みだ。
「我らは巣立ちの時を迎え、新たなる地で人々に叡智を与えるはずだった。
だが、その前に我らに無限大の恩寵を与えて下さった大いなる御二柱の“聖地”へと巡礼するはずだった。
だが、それは、それだけはならぬ、と!!
……我が故郷は、一瞬のうちにメアリース様の手によって滅ぼされた。
たまたまよその世界に出かけていた、私のような者たちを除いて」
博士は泣いていた。彼女は泣き上戸なのだ。
「我らが敬愛する魔王様も、あれほど優しく偉大だった、我らを導いてくださった大いなる御方さえも!!
自らの母神の手によって粛清された!!
あれが、あれが親のすることなのかッ、許せない、赦せない!!
私が、私達がッ、魔王様の仇を討つのだ!! あの我々を舐め腐った女神に、目に物を見せてやるのだ!!」
博士はぐずぐずに泣いて、クラリスに介抱されている。
あ、吐いた。
その凄惨な光景にアリスは目を逸らしながらも、初めて彼女の本心を聞いた気がした。
「だが、もうすぐ我らの船も、目的地へと辿り着く」
みなの長い旅路が、ようやく終点へと至ろうとしていた。
長い旅路を経て、次元航行船フェアリーテイル号は“聖地”に辿り着いた。
「こ、ここは、この場所は!!」
そして、今更ながらアリスはモニターから見える“聖地”の光景に絶句した。
そう、ここは彼女が初めて降り立った地だった。
ようやく、彼女は自分たちの目的地がここであると知ったのだ。
「どうした、アリス?」
「はか、せ──」
言えない。
アリスは寸前で思い止まった。
<●><●>
視線だ。
言ったら死ぬ。
この場所の詳細を、あの存在を語ったら死ぬ。
「なんでも、ありませんッ。昔、来たことのある場所に似てただけです」
「……そうか。酸素濃度、気温、その他諸々に異常はない。
むしろ、人間が足を踏み入れるのに何ら問題が無い方が異常か」
博士はそう呟くと、武装を確認した。
そう、博士は自分用の武装も当然用意していた。
「……できれば、全員で見送って欲しい」
そして、全員が船から降りた。
「あれが、見えるだろうか。
あれこそが、我らの文明が観測した巨大な障壁だ。
あの奥には、神々も恐れる窮極の叡智が眠っているとされる」
アリスは見上げる。
途方もない、巨大な白亜を“門”を。
アリスは、長い旅路の果てにここに帰って来た。
「これから、私はあの巨大な障壁の向こうへと向かう。
伝承では、あの先に行った者は誰ひとりとして帰ってこなかったと言う。
だから諸君は、もしもの場合に備えて定時連絡が無ければ、転移装置で各々の目的の世界へ行きなさい」
博士が各々に別れの言葉を言うまでも無く、淡々とそう言った。
皆が、なんとなく察していた。これは今生の別れであると。
博士に鍛えられた四人には、それぞれ標的の魔王が居る。
これまで頑なに使用をしなかった、転送装置。
これを使えばどこからでも一瞬でこの“聖地”に来れただろうに。随分と遠回りをしたものだった。
「皆には、我が文明が生み出した最高峰の武装を与えている。
それがあれば、完全な生命たる魔王とて殺しえるだろう。
我々の叡智が、神々の最高傑作にどこまで対抗しうるか見ておきたかったが……」
博士は、目配せした。
それに気づいた、彼女が育てた勇者たちも臨戦態勢に入った。
当然、アリスもだ。
「残念だが、ここより先は我が母の命にて行かせるわけにはいかない」
何もない、“聖地”の地平。
そこに悠然と佇むのは、一人の魔王。
「まさか、あなた様が出てくるとは。
偉大なる“マスターロード”ッ!!」
その名に、誰しもが緊張が走った。
魔王一族序列一位、偉大なる“マスターロード”。レジスタンスの最大目標の一人だった。
魔王たちの長兄、最も神に近き女神の嫡子。
「そういう君の顔は覚えがある。
我が弟の四天王として、良く支えてくれたはずだったね」
それは皆にとって、予想外の言葉だった。
アリスが皆が驚く表情が見えた。
「もう、昔の話だ。
あなたにとって、我が主が昔の事のように!!」
「あの子の事は、本当に残念だった。
だが、あの向こうに行ったところで、君の欲するものなど何もない。
我が主上や我が母に対する失望が、繰り返されるだけだ」
怒れる博士に対し、魔王の頂点は痛まし気に彼女を見ていた。
「慈愛深い魔王、などと呼ばれているが、ここは本来の悪役に徹しようか。
──憐れな子よ、お前も我が弟の元へその魂を送ってやろう」
「お前たちッ、早く転移しろ!!」
博士が、背後の勇者たちにそう声を掛けた。
「遣る瀬無いものだ。
お前が見逃されていたのも、全ては主上の意思。
お前がやってきたことも、全て主上の望み通りに過ぎない」
「私の意思は、私のモノだ!!
神が勝手に、私の尊厳を語るなッ!!」
博士が武装を展開する。
戦闘がすぐに始まったのだ。
「アリスッ、我が助手よッ、あとは任せた!!」
「ッ!!」
アリスは博士の言葉に背を押されるように、四人を船に先導した。
あらかじめ教わっていた通りに、アリスは転送装置を起動する。
その間に四人は武器庫から武装を取って来て、四つの装置に入った。
「各々の世界の常識については、現地の支援組織に教わって。
多分、今生の別れだと思うけど、みんな元気で!!」
ミラがそんなことを言った。
「みんな、また会いましょう!!! 必ず、生きて、また!!」
四人の姿が消える。
機械は無事に転送されたことを示していた。
勇者たちを送り出したアリスが、船から降りる。
戦っていた二人は、もうどこにも見当たらなかった。
「君が、アリスだね? 君の事は我が母から聞いているよ」
魔王の長兄、マスターロードがいつの間にか現れ、無造作に話しかけてきた。
「ああ、失礼、ここは時間や空間が曖昧でね。
私以外にも二人の門番がこの地を守っている。
私に出会ったということは、基本的に通さないことにしているし、あの御方にも通すなと言われている」
「博士は?」
「勝手に通って行ったよ。あとで私は叱責だろうね」
アリスの端的な問いに、マスターロードは柔和に笑って返した。
「ルールは!! あの御方に会うには三つのルールを知らないといけません!!!」
「おや、そのことを知っているのかい。
まさかあの御方に会って、もう一度ここに戻って来る者が現れるとは。
何千年も生きてきて初めてだよ」
彼はくつくつと笑っている。
「そこをどいてください!!」
「あの御方に出会って、あの御方を知ってなお、ここを通ろうと言うのかい?」
「このままじゃ、博士が!!」
「もう手遅れだよ。分かっているだろう?」
マスターロードは背後を振り返る。
「あの“門”は絞首台だ。
彼女は自ら死に向かっていった。
我が弟をあれほど慕ってくれた彼女の悲鳴は聞きたくなかったよ」
この場所で時間の経過など意味がない。
彼は心底、博士の行く末に嘆いていた。
「どうしても行くというなら、行けばいい。
どうせ私の折檻は確定だからね。一人分も、二人分も同じだ」
マスターロードは道無き道を開け渡した。
アリスは脇目も振らずに白亜の“門”へと向かう。
とても常人では開けられないような、そもそも開閉できるような構造ではない巨大な壁の如き門を、アリスは叩いた。
「開いて、開いてください!!」
すると、門は開いた。
アリスは僅かな隙間を縫うように入った。
「まったく、最近は珍しい事ばかりが起こる」
そして、ああ、と彼は顔を上げ呟いた。
「二人を通した罰ですか?
謹んでお受けいたします」
直後、“マスターロード”の肉体が爆散した。
§§§
この場所に時間の意味はない。
そのことを、アリスは思い知った。
「ここが、“聖地”の最奥? 何もないじゃないか」
アリスは走る。
目の前に博士が居るのに、どれだけ走っても、叫んでも、彼女の声は届かないし、近づかない。
「この何もない荒野を、本当に神々は守っていたというのか!?」
「そうだよ、博士」
「ッ!?」
博士の目の前には、エリサが立っていた。
あの時と全く同じ姿で、声で。
「誰だお前は、なぜその姿で現れた!!」
「おかしなことを言うね。これがお前の望みだろう?」
エリサの姿をしたそれは、嘲笑を浮かべてそう言った。
「これが、私の望み? 馬鹿を言うな」
「馬鹿はお前さ」
エリサはくすくすと笑いながら、無造作に博士に近づく。
「本当は最初から分かってたんだろ?
お前の旅路は、死出の長途。お前は復讐の為に来たんじゃない。
死に場所が欲しかっただけだ。違うか?」
「……お前は、誰だ」
博士が後退る。
得体のしれないモノに恐怖する。
「ここに来れば、お前の神が罰してくれる。
敬愛する魔王のところに、故郷の皆のところに逝ける。
ははは!! 死後や転生のシステムを理解してるくせに、甘ったれた考えだよね!!
それに加えて、お前は自分の所業から目を逸らしている。
お前、自分の両親を覚えているか?」
「止めろ!! 止めてくれ!!」
「なら最初からここに来るなよ」
エリサの鏡像は博士を侮蔑する。
「お前の両親は、お前を大金で天才としてデザインした。
そしてお前が頭角を表したら、小銭欲しさにお前の出生をスキャンダルとして売った!!
お前は親と言う者を嫌悪していた。
それがどうだ。お前は一番嫌いなモノに成り果てたよな」
違う、そうじゃない。
アリスは叫んだ。どれだけ叫んでも、その声は届かない。
「イース文明の至宝、魔王の四天王筆頭!!
挙句に、頂いた称号は“神の左脳”だっけ?
あはははは、まさにお前を示してるよなッ!!」
博士はもう、震えることしかできなかった。
エリサの姿が、彼女を一歩一歩追い詰めていく。
「お前には左脳はあっても、右脳は無かったんだな」
それは、博士の全てを否定した。
「能無しって言葉はあるけど、半脳が居るとは初めて知ったよ。
お前は理屈は語れても感情は語れなかった。
初めて娘のように接した少女を見殺しにした。
愛していたのに、捨てたんだ」
「……」
断罪。
最初から、博士はそれを求めていた。
彼女の願いは叶ったのだ。
「ああ、そうだ。
折角だからサービスしてやるよ。お前が失った物をやろう。
遠慮するな、長旅だったんだからな」
おい、とエリサは視線を横に向けた。
「我が神たる母よ、至高なるメアリース様よ!!
見てください、我が管理下にあるこの世界の発展度合いを!!」
博士は見た。
「大いなる御二柱よ、私は、彼らと共に貴女方の庇護下から巣立ちます!!」
自らの敬愛する魔王が、己の神に嘆願する姿を。
「そして、御二柱の産まれた“聖地”に参拝し、彼らが観測した“門”へと至るでしょう。
その先にある、我らも知らぬ未知を求めて!!」
滅亡の、その瞬間を。
女神が今まさに、博士の故郷を滅ぼさんとしたその時。
びくん、と女神メアリースは硬直した。
「……仰せのままに。大師匠」
視線に晒された女神は、滅亡を撤回した。
「さあ、今こそ我らは巣立ちの時を迎えましょう!!」
巨大なコロニーが、“聖地”に接近する。
それを見た博士は、咄嗟に叫んだ。
「ダメだ、ここに来てはダメだ!!!」
博士の叫びは虚しく、消え去った。
彼女の故郷の文明は、“聖地”に降り立った。
そして巡礼と称して荒野に無数のモニュメントや建造物を瞬く間に建てた。
そして、門が開かれる。
「うるさい、羽虫ども」
彼らは、決して触れてはいけないモノの怒りを買った。
「そんなに欲しいなら、くれてやるよ。好きなだけな」
不老不死、時間旅行、人間が想像しうる全てを手にした文明が、溶けていく。
彼らも、建物も、歴史も、叡智も。
粘液のような何かとなって、完全に退行しつくした。
「ほら、アメーバ以下の単細胞生物にしてやったぞ。これから思う存分、好きなだけ未知を堪能すれば良い」
博士の目の前に、ビー玉のようなガラス質の物体が投じられる。
それが、彼女の故郷の全てだった。
ヒトも、建物も、彼女の敬愛する魔王も、全てがその小さな物体に凝縮されていた。
「お前の故郷だよ。ほら、喜べよ」
「あ……ア……ぁ」
「僕は、喜べと言ったぞ」
がくがくと震える博士は、無理やり笑顔を作らされた。
「……お」
「……」
「お、御赦し、くだ、さい……私が、間違って、ました」
「……」
「私が、我らが、愚か、でした」
「……」
完全に、博士の心は壊れていた。
自分が憎んだ神々、女神メアリースの所業。
それは全て正しかった。
目の前の“暴君”は、誰も殺さなかった。
女神メアリースは全員殺したが、彼は殺さなかった。
殺すよりずっと、おぞましい目に遭わせた。
全ての尊厳を、知性を、人間性を、紙屑のように丸めて潰して放り捨てた。
ありとあらゆることを可能にしたはずの文明が、紙屑程度。
そのプロセスを何一つ、博士は理解できなかった。
神の左脳と謳われた頭脳が、一つも役に立たなかった。
「お前たちの文明は、もう少し歴史から学べば良かったな。
即ち、好奇心は猫も殺す、と」
彼はふと、神々の領域を見下ろした。
「大師匠、これは連中が勝手にやったことで、貴方様が無礼を許した以上、私の責任じゃありません」
女神メアリースがそんなことを言い放った。
「私はちゃんと、貴方様の御手を煩わせる前に処分しようとしましたから!! 大師匠、貴方がそれを止めたんですよ!!」
責任転嫁。それは、人間らしさそのものだった。
「つまり、私は悪くありません!!」
「お前の仕事はなんだ?」
「……」
「そうだ。僕の寝床の周りの静けさを保つことだ。だよな?」
「……」
「はい、その通りです」
黙り込んだ女神メアリースを、隣の邪悪の女神が頭を掴んで下げさせ、そう言った。
「メアリース、お前昔、どうせ司るなら人間なんかよりずっと優秀な虫の方が良かったって言ったよな」
「……はい」
「蛆虫、ボウフラ、どっちがいい?」
「個人的には軍隊アリが好みで──」
女神メアリースは蟻の幼虫になって、ぼとりと落ちた。
「十万年ぐらいそうしてろ」
そして“暴君”の視線が、博士に戻った。
彼女はただひれ伏し、自分に関心が向けられないように必死に震えていた。
自分が絶対だと信じていた神を虫けら扱い。
博士は人知を超越した、本物の“神”に遭遇したのだ。
「お前も、お前に相応しい姿にしてやるよ」
博士の身体が、縮小する。
その過程で激痛が発生し、絶叫が彼女の喉から絞り出される。
「……あ、り……ス」
最後に彼女が見たのは、己に最期まで付き添ってくれた助手の姿だった。
「……さようなら、博士。私のもう一人の、先生」
博士の姿が圧縮され、電子チップのような何かになった。
“暴君”はそれを蹴飛ばした。
博士の成れの果ては、どこかに消え去った。
「まったく、僕が誰かを殺すなんて、そんな酷いことするわけ無いってのに。なあ、アリス?」
「ひッ」
反射的にアリスは頭を下げた。
彼女の視線の先に、イース文明の成れの果てが転がっている。
エリサの姿をした暴君は、それを拾い上げると、後方に捨てた。
時間が巻き戻る。
虫になった女神、アメーバになった文明。全て元通りになった。
そして、女神メアリースの手によって、何事も無く
イース文明は三度、滅びたのだ。
「さて、よく戻って来たね」
「はい……」
目の前の存在の、怒りに触れてはならない。
戦うとか、勝つとか負けるとか、そんな次元ではない。あまりにも的外れだ。
魔王は敵として戦えるが、災害とは戦えない。
博士はあり余る知性で理解したのだ。
目の前のそれに逆らうのは、自分が存在していること、それそのもの逆らうも同然だと。
ゲームの登場人物が、製作者の機嫌を損ねるのと同じ。
アリスは己のかつての無邪気さを責めたい気分だった。
「じゃあ、お前のこれまでの旅路の批評を始めようか」
“暴君”はアリスを見下ろし、そう言った。
彼女の旅路は、残りもあと僅かだった。