ミレニアムサイエンススクール、セミナー会長室。
その部屋の主であるリオは実に不愉快だった。
「じゃあ、これでエンジニア部の開発する特殊兵装の試験運用はSRT部が承った。これが書類な」
SRT部の顧問としてやってきた男が、書類を彼女に差し出した。
「この間購入した杭打機は実に良かったと伝えておいてくれ。
だが音楽を聴くにはちと大きすぎるってヒビキに言っておいてくれると更にいい」
「そう、用件が終わったなら帰って下さい」
「そうですよ、アップルマンさん。
こんな塗装された街灯に浮いた錆びのような女の居る部屋なんていつまでも居るものではありません」
「じゃあ何でお前もついて来たよ、ヒマリ」
「おや、理由が無いと会ってはいけないのですか?」
リオの苛立ちの理由。
それは目の前の男女二人の存在だった。
「悪いな。今日はリオに用事があって来たんだ。
お前こいつのこと嫌いだろ? じゃあ誘うのもあれかと思ってな」
「そもそも彼女を誘うものではないでしょう」
「私は我慢の出来る系の天才美少女なので気にはしませんよ。
それより、この偉大なる叡智を冠するこの頭脳の持ち主たるこの私を差し置いて、このサラリーマンが長年履き潰した靴の悪臭のような女に用事とはいったいどういうことでしょう」
「一体その罵倒の語彙力は何なんだよ。
悪いな、この元清楚系美少女を連れてきちまって。
でも元清楚系って聞くとAV女優みたいで甘美な響きだな」
「ふふふ、身体を安売りする女は嫌いでしょうに」
「わかってるじゃないか!!
この間なんて、自分を差し出すから仲間は勘弁してくれなんて狐ちゃんが居てよ。そう言うの一番萎えるんだよな。
そこのメイドちゃんはどう思う?」
「ネル先輩が同じことを言ったのなら、非常に愉快かと」
「いや、逆にあのおチビちゃんが言ったのなら俺は余裕で襲う自信があるけどな」
「ネル先輩に夜のご奉仕は期待しない方がよろしいかと思います」
「バーカ、だからいいんだろうが」
「あなた達、なんの話してるのよ!!」
リオはトキと猥談に発展した男に声を荒げてそう言った。
「えーと、それで何の用事だっけ?」
「もう帰ってくれますか?」
「つれないな。まあお前は俺の好みにかすりもしないから別に良いけど」
「そんな言い方はよくありませんよ、アップルマンさん。
このミレニアムの高嶺の花である私に女として負けているこの憐れなハムの塊を胸にぶら下げた輩が可哀想ではありませんか」
いつにもましてキレッキレのドヤ顔のヒマリの罵倒に、リオもイラっとしていた。
「あーそうだ、思い出したよ。
実は今、俺と先生は来るべく災厄に対して備えをしてる最中なんだ。
その為に、あるツールを作ろうとしている。
あんたに協力してほしい、と思ってるのよな」
「では必要に応じた部活を紹介しましょう」
「俺は、お前に協力してほしい、と言っているんだ」
「……」
今日初めて、リオと男の視線が交わった。
「俺の友人たち曰く、そのツールの完成には生徒の手が必要なんだとよ。
BLEACHって漫画知ってる? 浦原喜助って天才キャラがいるんだけどよ、もしそいつが作中で出来ないことを挙げる方が難しいだろうっていう『記号』が必要なんだって、友人のゴルちゃんが言ってたわけよ。
それで、キヴォトスを見渡してそれに該当する人物はってなったらお前が居たわけだ」
「まるで私の技術ではなく、私が手掛けることが重要だって言われているみたいに聞こえるのだけど」
「まあ、そう言うことなんだろうな」
男は訳知り顔で頷いた。
「まあ、だからよ、取引しないか?
あんたの目的は興味ないが、俺もそれに協力してやろう。
裏で色々とこそこそやってるんだろう?」
「必要無いわ。
私は自分の力だけで十分だもの」
「見たか、ヒマリ。
こいつの旦那になる奴は大変だろうな。
前に言っただろ、自分の好きになった相手が馬鹿だと気づいて失望するタイプの女だ」
「仕方ないですよ、アップルマンさん。
この女の性根がそれなのです。全てを見下し、支配の愉悦に浸るぐらいしか趣味がないのですから」
「いい加減、私も怒るわよ?」
リオはヒマリの肩を抱いてイチャイチャしてる男を睨んだ。
「じゃあアプローチの仕方を変えよう。
俺はお前のやることを徹底的に邪魔してやる。
例えばお前の指示している各地のシェルターが、使い物にならなくなったら困らないか?」
「あなた、言っている意味が分かっているの?」
確かにリオはキヴォトス各地に大型のシェルターの建設を指示している。
しかしそれで困るのはリオではなく、それの利用者だ。
「じゃあこういうのはどうだ。
ヒマリ、ヴェリタスの面々を連れて地下に潜れ。
セミナーの業務を
お前が何をしたいかは知らないが、権力があるのとないのと効率が段違いだと思わないか?」
「……流石にこの天才美少女もドン引きですよ」
男の腕の中に居るヒマリは半眼で隣の悪魔をみやった。
「好きにすればいい。ヒマリとはいずれ決別の時が来るとは思っていたから。想定内よ」
「なら、俺がアリスにちょっかいを掛けるってのはどうだ?」
「なんですって?」
「お、顔色が変わったな。
俺がアリスにイタズラでもして、なんか眠れる防衛機能みたいなのが暴走したら面白いと思わないか?」
「トキ」
「イエス、マイマスター」
トキは男に銃口を向ける。
だというのに、男はニヤニヤと笑うばかりだった。
「お前と言う人間が見えてきたぞ。
お前は背負い込むタイプだな。だが時として非情にも成れる。
常に最善手を選び続け、非難も気にしない」
「……」
「メイドのお嬢さん。
こういう時はこう言うんだ。
──銃は私が構えよう照準も私が定めよう。弾を弾装に入れ遊底を引き、安全装置も私が外そう。だが殺すのはお前の殺意だ!!
────さあどうする、命令を!!」
「リオ様、命令を」
「お前は撃たせられないよ。
こいつに責任を、殺人の責任を押し付けるなんて無責任、お前には出来ない」
「ッ──!!」
トキは間違いなく撃つだろう。
命令をすれば必ず。
だがリオは躊躇っていた。
命令するのが怖いのではない。
トキを殺人の実行犯にするのを恐れていたのだ。
リオの額に汗が垂れる。
男は笑って彼女を見ていた。
「俺はやる。なんでもする。
お前が首を縦に振るまで、なんだってして見せる。
そのメイドのお嬢さんをボロキレのようにしてお前の前に転がしてやろうか?
それとも適当なミレニアムの生徒を選んで酷い目に遭わせてやろうか。
それが嫌ならここで撃たせてみせろ。支配者の度量を見せろ」
「リオ様、私は撃てます!! あなたの手足に、御命じ下さい!!」
「ッ、トキ!!」
この男はやる。目的の為なら必ずやる。
そんな思いが、リオに非情な判断をさせようとしたその時。
「その前に、私を撃ちなさい」
「ヒマリッ!!」
「彼を撃つなら、私を撃ってからにしてください。
一人を殺すのです。二人殺すのも同じでしょう?」
ヒマリが男の前に立ち塞ぐ。
それを見て、男は興醒めしたように溜息を吐いた。
「止めろヒマリ、俺も冗談が過ぎた。
悪かったよ。こんな堅物を見たらからかいたくもなる」
男は後ろからヒマリを抱きしめ、頭を撫でた。
「アップルマンさん……。
あなたの冗談は、冗談に聞こえないのですよ」
「俺が悪いんだ。ヒトに物を頼むのに、頭の一つでも下げるべきだったんだ」
空気が弛緩する。
リオがほっと息を吐いて、トキが銃を下ろす。
「そう言うわけでな、頼む、協力してくれ」
「お断りするわ」
「……どうしてもか?」
「あなた達に協力するメリットなんてないもの」
「そうか、どうやら誠意が足りないらしい」
男は残念そうに、下げた頭を上げた。
何を言われても、リオは協力などするつもりはなかった。
リオは生粋の頑固者だった。
これと決めたら貫き通す。たとえ何があろうとも。
だからこの気に食わない男の提案など、碌なモノではないと分かっていて受けるつもりなど決してなかった。
「対等な協力関係だ。俺にできることなら何でもするぞ」
「くどいわ」
「なるほど、信用も足りないか。
じゃあこうしよう」
「何を提示されようとも──」
そろそろ警備でも呼ぼうかと考え始めたリオは。
「リオ様!!」
咄嗟にトキが自分の前に出たことで、何が起こったのか見えなかった。
────銃声。
「あ、アップルマンさんッ!?」
ヒヨリの悲鳴。
ぽた、ぽた、と何かがしたたり落ちる音。
そして硝煙の臭いに交じる、血の臭い。
「まずは左腕でどうだ?」
男は血だらけの左腕を示した。
「あ、あなた、何をして!?」
「足りないか?
次は右足を撃つが、それでも足りないか?」
「止めて、お願い止めてください!!」
真っ青な顔をしたヒマリが男に縋りつくが、彼は気にも留めない。
「右足の次は、心臓を撃つ。生憎とそれ以上は支払えない」
「狂ってる……どうかしてる!?」
「お前だけ破滅を強いるなんて間違ってるよな。
だから、俺もまた破滅を以って、お前に選択を求めよう」
リオは知らなかった。
彼女の人並み外れた頭脳でも、理解しがたい相手の存在を。
「俺は己の命をベットし、お前に協力を求めよう。
もしお前が断るなら、俺は己の命を断つ。
結果として、俺の右手たちはどこで俺が死んだかを知り、誰を殺せば良いか理解するだろう。
そして全てが終わり、俺の下へとやってくるはずだ。
俺は合計五人分の命を賭ける。どうだ、協力するか?」
リオは口を開いたが、掠れて声が出なかった。
ヒマリは泣き叫び、トキは困惑して判断を求めている。
「俺の右手達は、お前を殺せないとなると可能な限り道連れを求めるだろう。
次はミレニアムの生徒全員の命をベッドする。どうする、俺に協力するか?」
男がリオに歩み寄る。
トキが彼女を庇うように前に出るが、トキも目の前の得体のしれない何かに怯えていた。
藪のように振り払われるトキ。
男は左手でリオの頬に触れた。
血がべっとりと、彼女の頬を染める。
「それでもダメか!?
じゃあしょうがない、俺の負けだ!!
────それじゃあな、あばよ」
男はリオの目の前で愛銃を口に咥えた。
「わ、私に、なにをしてほしいのッ」
漸く出た声は、震えていた。
「私に、なにをさせるつもりなの……!!」
それを了承と取ったのか、男は満面の笑みを浮かべると、銃を下ろした。
「俺の誠意を理解して貰えてうれしいよ。
それよりも、協力の対価だ。お前は俺に何を望む?」
「──早く、会長室です、怪我人が居ます、今すぐです!!」
後ろでヒマリがスマホで人を呼んでいる。
全てが現実味の無い光景に見えていたリオが、現実に引き戻される。
「どうか、このキヴォトスから出て行って」
ある種の使命感を以って、彼女は言った。
この男を、キヴォトスに存在させてはいけない、と。
「ぷッ、なんだそれは!!」
男は笑った。
まるでランプの魔人に、無意味な願いを口にしたのを嘲るように。
「ああいいだろう。全てが終われば、お前の言う通りにしよう」
男にとって、それは何の代償にもなっていなかった。
「詳しい話は後だが、まずはミレニアムの生徒全員の健康診断でもして貰おうか」
それを意味するところを、キヴォトス屈指の頭脳の持ち主はすぐ理解した。
自分がなぜ、必要とされたのかも。
「理解できない、合理的じゃない、正気とは思えない……」
強姦魔に遭遇した少女のように、リオは怯えていた。
彼女は本物の狂気を目の当たりにした。
そして、男は駆け付けてきたミレニアムの医療部の生徒に、保健室へと連れていかれる羽目になった。
ヒマリもそれに付き添っていった。
「う、ううッ、ぐすッ」
「リオ様……」
恐怖から解放されたリオは、成熟したその見た目に反して幼子のように泣いた。
何もできなかったトキは、そんな彼女に寄り添うほかなかった。
あの男の情報を収集し、プロファイリングし、理解したつもりになっていた。
本物は、そんな情報は何の意味もなかった。
彼は本気で、──今この場で死んでも構わなかったのだ。
リオと共に破滅する、そんな選択を躊躇わなかった。
「皮肉なものですね。
リンゴの花言葉はいろいろありますが、そのひとつに──“選択”があるそうです」
それは神話において、ある男が三つの選択肢を三柱の女神から強いられた逸話に依るものだという。
結果として、女神は男に報酬を与えたが、同時に災禍も齎した。
トキは、感じざるを得なかった。
あの男に与する、その結果としての災禍を。
§§§
男がミレニアムを訪れる、ほんの少し前の事だった。
「あなたの要望は概ね満たせたと思います」
黒服は一枚のディスクを男に差し出した。
「意外に早かったな。研究開発ってのは、もっと時間が掛かるもんだと思ってたが」
「既存の技術を組みわせただけだ。
貴下もそれを見込んで助力を求めたのだろう?」
「まあ、たしかに」
男はマエストロの言葉を受け、ノートパソコンにディスクを挿入した。
そうして出来上がった彼らの“成果”を確認し、男は眉を顰めた。
「まずまず、だな」
「やはり、か」
男の感想に、マエストロは予想していたかのような声を漏らした。
「私の芸術家としての感性が、これは不完全だと訴えていた」
「なにがいけないのでしょうかね。
我々は実験体の協力もあって、意識をミメシスし、魂をテクストとして定義した。
黒服の齎す技術を用い、それらをAI化してみせた。
それは完全な、──人間のドッペルゲンガーの筈です」
ゴルゴンダが唸る。
男がゲマトリアに依頼したのは、──人間のAI化だった。
かつてのゲマトリアが神を創造しようとしたように、男は今のゲマトリアに人間の創造を依頼した。
そのような倫理を冒涜する所業の結果は、男を満足させるものではなかった。
「──肉体だ」
「ほう?」
男の呟きを、黒服が興味深そうに示した。
「人間の構成要素の三つ。
人体と、精神と、魂。
これには肉体が欠けている」
「なるほど、少なくとも実験体はそのようにして存在している。
それを再現するには、精神と魂を有するAIに相応しい肉体が必要である、と」
「言い出したのも俺も悪いが、その実験体って言い方は止めて欲しいけどな」
本当に倫理観も欠片も無い怪人たちに、男は苦言を呈した。
その時であった。
「────なにやら私に隠れてこそこそとやっていると思ったら、そういうことでしたか」
赤い肌の魔女が現れたのは。
「おや、マダム。我々の会合には興味が無かったのでは?」
「ああ。こいつが例の魔女か」
黒服がベアトリーチェに向けて言った。
男と彼女は初対面だった。
「あなたが例の狼男ですね。
よくも私の計画を台無しにしてくれてものです。
しかし、何やら興味深いことをしているのですね」
「現金なモノだ。あれほど怒り心頭だったのにな」
新しい玩具に興味を示す彼女に、マエストロが嫌味を言った。
「せっかくですからマダムの知見を頂きたい。
我々は皆、各々の解釈が違いますので。貴女の視点からの異なる意見が欲しかったところです」
「そういうこった!!」
ゴルゴンダとデカルコマニーがそう言った。
彼らは本当にベアトリーチェをのけ者にしているつもりはなかったのだろう。
「あなた達の厚顔無恥さには怒りを覚えますが、まあいいでしょう。
……私は生徒の力が必要だと感じます」
「その心は?」
「先の失敗で私も学んだのです。
いくら我々大人が子供たちを操ろうとも、このキヴォトスの主体は生徒達であると。
即ち、彼女らの下らない青春の一部として、彼女らの苦痛と嘆きを用いてそれは完成するのですよ」
「面白い意見ですね」
黒服はベアトリーチェの解釈に、感心したように頷いて見せた。
「つまり、大人向けのグランギニョルから大衆劇に演目を変えるべきだ、と」
「感受性とは思春期に培われ、その時期が最盛期を迎える。
子供の柔軟な発想と思考は、我々には無いモノだ」
ゴルゴンダとマエストロが意見を交わす。
「くっくっく、では我々の作品の完成は、子供たちに委ねる、べきだ、と?」
「物語の筋書きにおいて、一番重要なモノはわかりますか?
それは、──納得です。
観客の承認と納得こそ、物語の完成度を保証するのですよ」
「要するに、Re:CREATORSのセレジアがファンの承認を得て新技を会得したようなものか?」
男は怪人たちの言いたいことを自分なりにかみ砕いてそう解釈した。
「生徒たちの有する神秘が、創作物に過ぎないそれに本物の命の息吹を吹き込むのか?
これは実に興味深い実験ですね」
「そしていつの時代でも、生命を産み出すのは女性と相場が決まっておりますもの」
怪光を滾らせる黒服、センスで邪悪な笑みを隠すベアトリーチェ。
「問題は、この命無き彫像に命を吹き込むアフロディーテは誰にするべきかだ」
「勿論、誰もが納得と承認をせざるを得ない人選にするべきかと」
「そういうこった!!」
マエストロの言葉に、ゴルゴンダとデカルコマニーが応じる。
怪人たちは各々好き勝手な解釈で言葉を交わしているのに、不思議と会議は進んでいた。
「丁度ミレニアムに、機械の生命の器にするに相応しいアーキタイプと、それを形にできる最高の頭脳があるな」
怪人たちの議論に、男の言葉が加わる。
「──アリス。ああ、我が麗しの乙女」
男は見出した。誰もが納得し、それを承認する存在を産み出す道筋を。
そして、大仰にアニメの台詞を引用し、こう言った。
「まさに、彼女は私の母になってくれるかもしれなかった女性だったとは!!」
男の笑い声に、怪人たちの楽し気な笑い声が混じる。
この狂気に満ちた空間で、ひとつだけ言えることがあるとすれば。
彼らの実験は、最終段階に至ろうとしているということだった。
男の示した狂気の行き先。人間のAI化。不可能なはずはありません。だってもう、先生は先例をその手にしているのですから。
アリスを原型とした機械の生命。リオが彼女を分析し、完全とまでは言えなくてもその複製を作れない理由を、誰が証明できますか?
しかし重要なのは、その用途です。
今回の話はほんのちょっと本編に差し込む話にしようと思ったのですが、思ったより長くなったので一話で独立して投稿しました。
ではまた、次回!!