D.U.にある連邦生徒会にある、シャーレの本部。
そのレセプションルームに、トリニティとゲヘナ両陣営の武力集団の幹部が顔を突き合わせていた。
「それでは、エデン条約調印式会場の警備計画について話し合おうと思います」
議長として選ばれたのは、防衛室長のカヤだった。
当然、この場には先生もいるし、当日警備と担当するSRT部を代表してFOX小隊のユキノも出席していた。
「アリウス分派、ばにばに団を代表である錠前サオリだ」
ゲヘナ側から参加しているアコやチナツは誰この人、みたいな表情になった。
「調印式の会場は四つ確保されている。
トリニティの古聖堂、ゲヘナの迎賓館、D.U.のセントラルホテル、そしてシャーレビルの大会議室」
サオリはホワイトボードに四か所の図面を張り出した。
「事前にテロリスト等の侵入を警戒し、会場は当日になって公開される。
当日も我々ばにばに団、正義実現委員会、ゲヘナの風紀委員会、万魔殿の正規兵がそれぞれ各所に配置され、妨害者の攪乱を行う」
黙って、聞き入る面々。
意外とガチだったのでゲヘナ側は驚いていた。
「調印式一時間前に、各勢力の武力集団が集結し、各学校の要人の警備に当たる。
それまでは、SRT部が本会場の警備を一任する」
「任せてください。SRT部総動員で当たります」
ユキノは強く頷いて見せた。
「SRT部は前日に本会場に秘密裏に潜入。
もしもの場合に備え、会場内部の危険性を徹底的に排除してもらう予定だ」
「それで、本会場はどこになるのですか?」
アコが尋ねる。
「警備上の理由で、まだ決まっていない」
「我々がその警備をするのですよ。
この場で決めて貰わねば困ります」
「……先生、カヤ室長。どう思う?」
サオリは二人に意見を求めた。
「サイコロで決めればいいのではないですか?」
カヤは肩を竦めてそう言った。
「そんないい加減な!!」
「アコさん。そんなに声を荒げて、清楚ではありませんよ」
ハスミが微笑みを湛えて、アコを諫めた。
「まあゲヘナの方々に清楚さを求めるのは間違っているのかもしれませんが」
「何ですって!?」
「は、ハスミさん?」
先日会った時と様子の違うハスミに、チナツはちょっと困惑していた。
おほん、と先生が咳払いした。
「我々トリニティはどこを担当しても構いません。本会場をあらかじめ警備するのはそちらでも問題ないので」
「“じゃあ、公平にサイコロで決めようか”」
先生が100面ダイスをカバンから取り出す。
25ずつの数日を各所に割り振り、先生がテーブルにダイスを投じた。
殆ど球体に近いサイコロは、大きな円卓の端まで止まることは無かった。
そうして示した数字が、本会場を決定させた。
その数字は、100。
サオリは本命の図面をホワイトボードに張り出した。
「決まったな。本会場は、事前に公開するこの四か所のどこでもない。
本命は、D.U.セレモニーホール。あの男の葬儀が行われた、大葬儀場だ」
葬儀場と言われれば、当然葬儀を行われる場所だけだと思われがちだが、意外とイベントなどの会場として使用される場合も多い。当然、意外性もある。
「皮肉ですね。エデン条約の為に尽力したあの男が葬られた場所で、エデン条約の調印が行われることになるとは」
アコは万感の思いでそう呟いた。
「きっと、彼も我々を見守っているのでしょう」
「“…………そうだね”」
先生は複雑な気持ちで、頷くのだった。
「では、我々は前日に行われる葬儀の参加者に紛れ、本会場に潜入致します」
「お願いしますよ、ユキノ。
あ、出来れば会場内の装飾もお願いします♪
流石に当日に内装等の準備はできないでしょうから」
「分かりました……何とか持ち込みます」
ユキノは人使いの荒いカヤにもの言いたげだったが、粛々と頷いた。
そうして、各々の配置等の打ち合わせが続いて行く。
「“……爆弾が持ち込まれる可能性はあるかい?”」
「勿論、有るでしょう」
先生の言葉に、カヤは頷いた。
「既に各学園や連邦生徒会に、大小様々な脅迫やテロの予告が届いていると報告が上がっています。
大半はイタズラでしょうが、身の程を弁えない連中はキヴォトスに山ほどいます」
「先生、貴方のところにもタレコミがあったそうだな。
当日、爆発物の持ち込みがある、と」
うん、と先生はサオリに頷いて見せた。
「その子がどこの誰かは、わからないのですか?」
「“匿名のタレコミ、としか。調印がダメになるほどの爆弾が持ち込まれる、って”」
先生はハスミにそんな風にぼかして伝えた。
「まあ、よくあることですよ。
所属する集団がバカなことをする。でも通報者には止める力がない。だから相手にこっそり通報する、というのは」
「だが、個人で持ち運べる量の爆薬で、調印式を止められるとは思えないが」
カヤとサオリが所見を述べる。
例え手榴弾が調印式のど真ん中で爆発しても、それはちょっと調印が遅れるだけで終わる。
そして調印式が滅茶苦茶になるような大量の爆薬を、SRT部や各学園の武力集団が持ち込みを許す訳が無い。
身体検査は徹底され、爆発物検知器も使用される。
物理的に不可能。
各学園の武力集団の幹部は、そう結論付けた。
「“見えない爆弾、か”」
それこそ、ミサイルでも飛んでこない限り、会場に爆薬を持ち込むのは不可能に近いだろう。
「当日はポーンマスを用いた警戒網を敷き、不審者は即座に感知されます。
不安なのはわかりますが、アリウス分派は裏稼業に精通し、対テロの訓練を積んだSRT部、そして我々正義実現委員会が必ずやエデン条約の調印を実現させましょう」
「そこで我々風紀委員会を忘れないで貰えませんか?」
バチバチににらみ合っているハスミとアコに、先生はやれやれと溜息を吐いた。
そうして、先生の不安はぬぐえないまま会議は終わった。
「ああ、そうだ。先生。
例の生徒ですが、解放しておきましたよ。彼女も、彼の後継者に噛みつくだなんて、愚かなことを……」
「“カヤ、君は止められなかったのかい?”」
「先生はご存知でしょう。私が彼に……ポーンマスに逆らえないのを」
「“……”」
カヤと二人、レセプションルームに残った先生は眉を顰めた。
「ポーンマスの採用は、連邦生徒会でも始まっています。
民衆は設備を最新にすると文句を言うくせに、こういうアプリの導入には何も言わないんですから。笑ってしまいますね」
「“カヤ、あまり無理はしてはダメだよ”」
「なら先生。私にどうしろと言うんです?」
以前のカヤは、どこか物腰が柔らかであった。
だが、今の彼女は何かに追い立てられるように余裕が無い。
「ポーンマスの導入のお陰で、列車強盗が激減しました。
その威力は、先生も体感しているかと思います」
「“……うん”」
「あの人が、私をずっと見ているんです」
もはやキヴォトスに、カヤの心休まる場所は無いのだろう。
きっと、彼女のスマホも、スワンプマンが語り掛けてくるのだ。
先生と同じように。
「当然、ポーンマス推進派は私です。いえ、私はただの操り人形でしょうか。ふ、っふふふ、ふふふ」
カヤは自虐的な笑いを終えると、据わった目で先生を見た。
「ですが、不満はありません。
かつて私が理想とした、誰もが安寧を享受できる社会に、近づいて行っているのですから」
「“カヤはそれでいいの?”」
「先生。私は気づいたんですよ。
市民の平和とは、役人たちの犠牲によって為されるのだと。
リン行政官はそれを象徴しています。政治家なんて、そう言うものなのです」
カヤの変化は、先生には痛ましいものだった。
「だッ、だから、先生。貴方は私を責めないでくださいッ。
これからもッ、身を粉にして働きますのでッ」
「“うん、カヤは頑張ってるよ”」
何かに怯えるカヤを安心させるように、先生は頭を撫でた。
やはりこんなことは間違っている、と己の中の結論を強く意識しながら。
『先生、たった一人の生贄の為に、世界は存続すると言われたらどうする?』
「“……”」
『たった一人の喪失によって、世界の安寧は守られるんだ。
俺はこう思う。──そんな世界、滅んでしまえばいい、と』
スマホから、男の声で先生に語り掛ける。
『お前も同じ意見の筈だ。
誰かの犠牲を強いてまで、存続をする世界とはどれほど尊いのだ?
誰かの犠牲を許容し、悲しみを見てみぬ振りをする、そんな世界に、価値があるのか?』
「“言いたいことは分かるよ”」
誰よりも、この世界にあの男は納得していなかった。
それは、あの男のアバターも同じだった。
『だから先生。俺はあんたがどんな選択を選ぼうと、軽蔑したりはしない。
それだけは、心に留めておいてくれ』
「“なら、少しカヤに手加減してあげるんだ”」
『カヤ担当の俺は別に脅かしたりはしていない。勘違いはしないでほしいね』
どうだか、と先生は思うのだった。
§§§
そして、あっという間に調印式当日は訪れた。
『見てください。
先日、悲しみに包まれたセレモニーホールは、平和を願った英雄を葬ったその地で、二つの巨大な学校の平和条約が締結されることとなりました』
本会場は当日になって公開され、多少混乱があったものの大々的に放送がされていた。
ゲヘナ、トリニティの両陣営の首脳陣と要人が問題なく現地入りしていく。
SRT部による鉄壁の警備と、身体検査。
ネズミ一匹入れない強固な守りの中で、次々と各陣営が護衛に加わる。
セレモニーホールは今キヴォトスで一番安全な場所に相違なかった。
だけど、先生の不安はぬぐい切れなかった。
エデン条約は決裂する。
こんな状況で、そんな預言がなされたのだから。
それは、いったいどのような被害をもたらすのか。
先生は気が気でなかったのである。
先生は今日の日程を確認する。
調印式は厳かな雰囲気の中行われ、丸一日掛かりで行われる。
まず、両陣営の対談が行われ、その後に昼食会。
その後に、正式に調印がなされるという日程だ。
先生が、調印式に参加する生徒の参列を見守っていると。
「先生、よろしいですか?」
「“ハルナ?”」
なんと、きっちりと制服を着たハルナが現れたのである。
「まあ、驚くのも仕方がありません。
今日はフウカさんのお手伝いとして参加しております」
「“ああ、昼食会の料理はフウカが作るんだね”」
「ええ、光栄なことです」
と、言ったハルナの表情は優れなかった。
「“それで、どうしたのかな?”」
「実は……」
先生は彼女が持ち込んだトラブルに、すぐに向かうことになった。
『ご、ご覧ください!!
あの黒いローブの列を!!
カルトです、先日ブラックマーケットを壊滅させた災厄を崇めるカルト集団が、列を成してセレモニーホールへと向かって歩いています!!』
先生はその映像を、放送から見た。
上空から、百人以上の黒いローブの集団が一列に並び真っ直ぐと会場に向かっているのを。
『あ、先生ですッ、どうやらシャーレの先生が対応に出るようです!!』
自分がテレビに映るというのは、あまり嬉しくないな、と先生は思った。
「排除しますか、先生?」
「“相手の様子は?”」
「それが、全員無手です……」
ユキノの報告に、先生は衝撃を受けた。
キヴォトスにおいて、銃で武装しないというのはそれだけ異様な光景だった。
「“完全に無抵抗な相手を攻撃するのはよくないよ”」
それに、彼女達はカルトとして恐れられているが、特に問題を起こしているわけではないと先生も聞いている。
彼女達を騙る詐欺師や犯罪者が、彼女達を貶めているのだ。
ただ、弱い者同士が寄り集まって、身を守っているだけ。そう聞いていた。
「それ以上近づくな!!」
そして、先頭に居る元生徒が銃を構えて待ち構えていた警備の前までたどり着いた。
「エデン条約の締結に際して、我らの尊きかの御方から祝詞と贈答品を預かっております!!」
先頭の黒いローブの元生徒は、桐の箱を掲げてそう叫んだ。
「……私が受け取りに行きます」
「“大丈夫かい?”」
「かの御方が、危険物を送りつけるような卑しい真似は致しませんよ」
そう言って、ハルナは一人、対応に出た。
そもそも彼女らはハルナにメッセージを送り、先生に贈答品の受け取りを願い出たのである。
「お納めください」
膝を突いて、桐の箱を掲げる少女から、ハルナはそれを手に取った。
「我らが楽園の主、アダム様からのお言葉でございます。
──余興を用意したので、楽しむと良い、と」
「わかりましたわ」
「では、我らは帰ります」
本当にそれだけらしく、用事を終えると彼女達は何もせずに引き返していった。
ハルナが先生の下に戻って来る。
SRT部の生徒が、爆発物検知器を使い桐の箱を調べるが、反応は無かった。
「“余興、か”」
嫌な予感がしていた先生は、どこからどう見ても格式高い桐の箱を開けてみた。
次の瞬間、爽やかな甘い香りが周囲に広がった。
箱の中身は、黄金。
いや、黄金に輝いて見える果実だった。
「黄金の、林檎」
最高級のシルクを緩衝材として惜しげもなく使い、その中心に一つの林檎が鎮座していた。
思わずハルナは唾を飲み、喉が鳴る。
『聞いたことがある。
エデンの林檎という超最高級の林檎の品種を。
非常に育てるのが難しく、しかしその見た目は黄金のように輝いて見えると。
そして、その年に選び抜かれた最高のひとつが、神に献上されその生産者は最高の栄誉を得るのだとか』
男のアバターがそんなことを口にした。
「“エデンの林檎……”」
そして、その同じ重さの黄金にも匹敵するだろう珠玉の逸品に、文字が刻まれていた。
曰く────最も優れた学園の生徒へ、と。
それは間違いなく、爆弾に匹敵する劇物だった。
「“……”」
先生は、控室で頭を抱えていた。
悩みの種は、勿論桐の箱の中身だ。
衆人環視の中で、先生はそれを受け取ってしまった。
そしてその中身は、最も優れた生徒へ宛てられていたのである。
つまり、先生がそれを決めることになるのだ。
誰にその贈答品を与えるのか。この平和条約の真っ最中に。
まさにエデン条約が決裂しかねない、危険すぎる爆弾だった。
『黙って食っちまえよ、先生。
恥を捨ててでも食べたくなるってキャッチコピーもあるそうだぞ』
「“恥を忍んで逃げ出したい気分だよ”」
無責任なことを言う男のアバターに、先生は溜め息と共にそう言った。
貴人からの贈り物だ。
そんな無体な真似ができない程度に、先生は常識があった。
実に悪辣な、まさに魔王の余興だった。
「キキキッ、先生、聞いたぞ!!」
先生がどうするべきか唸っていると、控室にマコトが現れた。
「“マコト……”」
「最も優れた生徒の証をこの式典の最中に贈呈するとな!!
それはすなわち、この羽沼マコト様以外にはあり得ないだろう!!」
「“もうこじれて伝わってる……”」
そして当然のように貰った気になっているマコトに、先生は頭が痛くなる思いだった。
「キキキッ、先生。勿論タダとは言わない。
イロハが良いか? サツキが良いか? せっかくだし、どちらも選ぶと良い!!
二人に心行くまで接待させようではないか!! お持ち帰りしても、マコト様は見てみぬ振りをしてやる!!」
「“…………”」
「では、期待して待っているぞ!!」
マコトは言いたいことを言って、去って行った。
『なるほど、あの様子では会場中に伝わってるだろうな』
「“だろうね……”」
先生は遠い目になった。
すると、控えめなノックの音が聞こえた。
どうぞ、と先生は入室を促すと、今度はナギサが入ってきた。
「失礼します。先生。
お話しは伺いましたよ。非常に権威ある贈呈品を預かったとか。
心中察し致します」
「“ナギサ……”」
「そのような品物は、格式と伝統のある我がトリニティ総合学園に相応しいかと存じます」
「“ナギサぁ……”」
アルカイックスマイルを浮かべてそんなことを言うナギサに、先生は肩を落とした。
「安心してください、先生。所詮は余興です。
先生がトリニティを選んでも、エデン条約には何の影響もありません。
我々を選んでくだされば、先生がいずれサンクトゥムタワーで権力を得る際には、お手伝いを出来ると思いますので、心に留めておいてくだされば」
それだけ言うと、失礼しました、と言ってナギサは去って行った。
『美女に、権力。次は戦勝かな?』
「“と言うことは……”」
先生は嫌な予感を禁じえなかった。
「先生、失礼するわ」
ノックの後に、新たな生徒が入ってきた。
「こうして御会いするのは初めてですね。
ミレニアムサイエンススクールの生徒会、セミナーの会長を務める調月リオと申します」
彼女は礼儀正しく一礼をした。
「“うん、君の事はユウカ達から聞いているよ”」
今度は彼女か、と先生が内心身構えていると。
「彼から聞いているとは思いますが、私があのスワンプマンの制作を担いました」
「“えッ!?”」
「聞いていなかったのですか? 彼の事ですから、貴方に伝えていると思ったのですけど」
「“そう言えば、そんなこと言っていたような……”」
以前スワンプマンがリオの名前を出したような、先生はそんな記憶を頭の奥から引っ張り出す。
「製作者の一人として、先生に伝えておきます。
ポーンマスと言うアプリを、スワンプマンが作るのは不可能だと」
「“なんだって?”」
「よく考えても見てください、先生。
あの男は、生前アプリを作る能力があったのですか?
スワンプマンはあの男の能力を忠実に再現し、それを継承した存在。
あの男にできないことは、スワンプマンにもできないのです」
それは、先生にとって盲点だった。
電子的な存在なら、ネットワークでは自在に行動できるものだと思っていたのだ。
「彼の死後、学校からヒマリが姿を消しました。
恐らく、彼女がスワンプマンの指示でアプリの制作と運営を担っているとするのが妥当でしょう。
図らずも、スワンプマンは私と彼女の合作と言うわけになりますね」
「“最強の組み合わせだね”」
しかも、それにゲマトリアの面々の技術を使用している。
キヴォトスに存在する想像しうる最高の技術を集結して、スワンプマンは作成された。
まさしく、キヴォトス最高の最強人工頭脳と言っても間違いない。
「あれを作ってしまった責任の一端を、私は感じています」
「“君の所為じゃないよ。あいつのことだから、まともな頼み方をしていないだろう?”」
「今のキヴォトスの情景を見れば、我が身を犠牲にしても断れば良かったと思っていますよ」
責任感が強いんだな、と先生は思った。
リオは淡々と話を続ける。
「ポーンマスのシステム自体は、合理的であるとは思います。
しかし、一度でもインストールを許せば、バックドアを残し、以後自在に侵入を許します。
今後、キヴォトスの秩序はあの男の妄執によって成り立つことでしょう」
「“実際に、多くの問題を解決しているね”」
「同時に、数多くの問題を起こしています。
完全な統制を敷いて、平和になってしまったらスワンプマンは存在意義を失うのですから」
「“……皮肉だね”」
ポーンマスは便利なアプリで、同時にそれは人間の倫理に追いついていない。
科学の発展の速度に、人間が追いついていないのだ。
「クローン問題、AIイラストのように、ポーンマスの是非は今後のキヴォトスでも論議されるでしょう。
しかし、その頃には致命的なまでにポーンマスによる汚染は広がっている。誰もがインフラから逃れられないように。
私は、スワンプマンと戦う準備をします。彼を消すか否かの判断は、先生にお任せします。私の送ったあれを使ってください」
「“もしかして、ユウカが言っていたあれって”」
「はい。彼が、“聖櫃”と呼ぶオリジナルデータ。
あれを使用すれば、スワンプマンの初期化が可能です。初期化した彼に、ポーンマスの削除を命令すれば、それを実行するでしょう」
それが、リオの想定するスワンプマンの対処法だった。
「“だけどそれは、今の彼を殺すことになる”」
「所詮、まがい物ですよ。先生。
あれはデータの集合体で、1と0の羅列に過ぎません。
人間が道具に、使われることはあってはならないのですから」
先生はリオに何も言えなかった。
結局、本人の人格を持ったAIの定義など、今の人類の誰にもできないのだから。
「その際は、ポーンマスの……ヒマリの全力の抵抗が予想されます。
彼女と戦うというのなら、ミレニアムサイエンススクールの総力が必要でしょう。
我々は喜んで、先生のお力になります」
「“わかった。ありがとう、リオ”」
「ですので、先生のもとに届けられた権威を、是非我が校へと」
「“……”」
「知っての通り、我が校はキヴォトスでも創設して三十年程度の新参校。
我々のような新興の学校に、箔付けは必要でしょうから」
それでは期待しています、とリオはぺこりと頭を下げて退出していった。
『ははは、やっぱりそう言う話になったな!!』
男のアバターの笑い声を聞きながら、先生は桐の箱を開けた。
思わず唾が出てくるような、芳醇な香りが部屋に充満する。
「“よし、決めた”」
先生は、誰にこの林檎を与えるのか、結論を下した。
「そろそろ、昼食会の時間か」
マコトが腕時計で時間を確認する。
メインホールで、対談の時間が終わろうとしていた。
お互いにエデン条約に対する意気込みやら今後の条約機構についてなど、話し合う等など。
マコトにとっては退屈な時間だった。
彼女にとって、この調印式は己のカリスマを高める為の舞台装置に過ぎないのだから。
「ところで、先生が預かったという“権威”。
キキキ、いったいどの生徒に与えられるのだろうな」
長テーブルに一緒に並んでいるヒナが何か言いたげな視線を向けるが、マコトは気にしない。
「それは当然、ナギちゃんじゃないかな。
今回のエデン条約の締結に、一番尽力したと言っても過言じゃないし」
対面の長テーブルの前に座るミカがそう発言した。
「はしたないですよ、ミカさん。まだ誰に先生が権威を授けるのか、分かっていないのですから」
「やれやれ……」
やっぱりホストは面倒だな、みたいな表情のセイアと、アリウス分派の生徒会長として出席しているだけのアツコ。
両者は緊張を維持したまま、昼食会に移行する。
「(味が分からない……)」
ヒナはフウカによって手掛けられた極上の料理を食べながら、そんな感想を抱いた。
本当にヒトは緊張で味がわからなくなるものなのだな、とそんなことを想いながら。
「そして、こちら最後のデザートになります」
一々ハルナが料理についてその都度解説を挟みながら配膳がなされ、食事会は進んでいく。
そして、その解説は最後の品目に移行していた。
フウカがお盆にクローシュをかぶせて、最後の一品を運んできた。
「自然豊かなゲヘナの牧場によって作られた質の良い小麦を使用した生地に、今回の調印式の為に贈答された“権威”。
それを使用したアップルパイでございます。
トリニティでも最も伝統と格式の有る名店のアールグレイの紅茶と共に堪能下さいませ」
ハルナの解説が終わると、フウカがクローシュを取った。
思わず、その香りに皆が生唾を飲んだ。
黄金に匹敵する食材を用いた至高のアップルパイに、包丁がはいる。
さくッ、さくッ、と焼きたてのパイ生地が裂かれる音さえも美味しさに満ち溢れていた。
「“みんなで仲良く食べようね”」
調停人の席にカヤやリオと並んで座っている先生にそう言われては、各々バツが悪そうにするだけだった。
ミカは先生らしいね、と笑っていたが。
しかし緊張した雰囲気も、至極のアップルパイの前にはほだされていく。
アップルパイが切り分けられ、配膳される。
ハルナやフウカが順番に紅茶を入れると、各々食べ始めた。
「あ、美味しい……本当に美味しい」
今まで味を感じられなかったヒナが、思わず呟く。
素材の良さを生かすために、甘さは控えめ。
最高の林檎の味と聞いてどんな甘い果実なのかと思えば、酸味と甘さが爽やかに主張し、くどくはない。
想像を絶するという味ではなかった。しかし、万人が一人も例外なく美味しいと感じるだろう逸品だった。
先生も神にも献上される逸品と聞いて、思わず拍子抜けするほどだったが。
「……こんな美味しいアップルパイは初めてです」
舌の肥えているトリニティの面々は、絶句していた。
「アップルパイの調理の腕前は勿論のこと、使用されている林檎から感じる手間暇を惜しまないどころか、人生を投じるような熱意を感じました。
まるで春の訪れを感じるような、今日この日に食べられることを計算され尽くした完璧な熟成と、まるで絹を食べるような滑らかな舌触りと感触。
このおいしさを言葉で表現するのに、これほどまでに不自由を感じたことはありません」
と、ナギサは言葉を尽くして賛辞を述べた。
「まさに、人生に一度食べられれば一生の栄誉として自慢できる逸品だった」
「うん、うん……」
したり顔でいうセイアの横で、ミカは何度も顔を頷くだけだった。
つられてアツコも分かった振りをして頷いている。
何だかワインの品評みたいだな、と先生は思った。
「うむ、素晴らしいアップルパイだった!!
流石は我がゲヘナ学園の誇る給食部が手掛けた逸品だ!!」
「ありがとうございます」
何も分かって無さそうなマコトに、フウカは頭を下げた。
内心、じゃあ予算増やせや、と思いながら。
「ささ、フウカさん。
我々もそろそろ戻って“余り”を頂きましょう」
「まったく、ハルナったら」
こそこそフウカに耳打ちするハルナに、ジト目を向けるフウカだった。
二人が退出をすると、僅かな休憩を挟んで、正式に調印がなされる。
エデン条約の締結の書類に、トリニティのホストであるセイアが先代生徒会長達から引き継いだ校印を押した。
パシャパシャ、とマスコミのカメラがフラッシュを焚く。
「“おかしい……”」
先生は、エデン条約は決裂すると聞いていた。
それが不可避の預言である、とも。
だというのに、このままではあっさりと締結が完了しそうである。
「“カヤ、危険物の報告は?”」
「はい? いえ、ありませんよ?」
カヤは心配性にしか見えない先生の顔を見上げる。
もし爆弾が爆発するなら、このタイミングしかないと、先生は確信していた。
つまり、あの黄金の林檎は爆弾ではなかった。
あれは本当にただの余興の、善意からの贈り物だったのだ。
では、爆弾はどこに?
トリニティの校印が押された書類が、マコトに回って来る。
彼女も先代から引き付いた校印を押せば、それでエデン条約は締結される。
「しかし、良かったです。無事に終わりそうで」
カヤがホッと胸をなでおろして、こう言った。
「連邦生徒会の会議では、──
先生は、思わず目を剥いて彼女を見やった。
「諸君、突然で悪いが」
びりびり、と紙が引き裂かれる音。
「ゲヘナ学園の生徒会、万魔殿の議長たるこの羽沼マコトが宣言する!!
たった今、締結したこのエデン条約を、破棄する!!」
自らも印を押した書類を、彼女は立ち上がって皆の目の前で破り捨てたのだった。
そう、預言通り────爆弾が、爆発したのである。
アンズちゃん「誰もバクダンが物理的なモノだって、言ってませんよ♪」
完全におちょくられた先生は、エデン条約の結末に相対することになる!!
次回予告。
やめて!! マコトの爆弾発言で、エデン条約が決裂したらヒナとナギサの苦労が全部だめになっちゃう!!
お願い、持って、ヒナとナギサの胃!!
あなた達が今ここで倒れたら、先生との約束はどうなっちゃうの?
胃腸薬の在庫は残ってる、ここを耐えれば、エデン条約は締結されるんだから!!
次回、「ヒナとナギサの胃、死す」 ブルーアーカイブ、スタート!!
※なおタイトルは予定と異なる場合があります。